夜ふかし閑談

夜更けの無駄話。おもにミステリー中心に小説、漫画、ドラマ、映画などの紹介・感想をお届けします

『ゼロの焦点』原作小説・映画2本まとめ 松本清張自らが宣言する代表作~

こんばんは、紫栞です。
今回は松本清張ゼロの焦点をご紹介。

ゼロの焦点 (新潮文庫)

 

あらすじ
昭和三十三年。板根禎子は広告代理店に勤める鵜原憲一と見合い結婚をした。式を挙げ、信州から木曾を巡る新婚旅行を終えた十日後、憲一は仕事の引き継ぎの為に金沢へ行ってくると旅立った。それが、禎子が夫である鵜原憲一を見た最後となった。憲一はそのまま新婚一週間にして突如失踪してしまったのだ。
健康で、精力的で、職場では腕利き社員。順風満帆で、若い妻との結婚生活を楽しみにしていた様子だった憲一に一体何があったのか。
結婚早々に一人残されてしまった禎子は、夫の勤務先であった金沢に赴き、憲一の後任である本田良雄の協力を得ながら夫の行方を追うが、その過程で禎子は夫・鵜原憲一の隠された過去と“陰の生活”を知ることとなる。
そんな中、夫の失踪に関係したと思われる人物が次々に殺されてゆき――。

 

 

 

 

 


代表作(※著者談)
ゼロの焦点』は1959年に光文社から刊行された作品。長編小説としては『点と線』

 

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『目の壁』などに続いての発表作ですね。

 

 

 

最初、『虚線』のタイトルで【太陽】という雑誌に連載していたものの休刊。その後、『零の焦点』とタイトルを変えて【宝石】に連載が引き継がれて、カッパ・ノベルス創刊作品として刊行される際に『ゼロの焦点』と更に改題。【宝石】は当時、江戸川乱歩が編集長を務めていました。
タイトルの改題もそうですが、連載雑誌が休刊になったり、雑誌が移った後も様々な理由で何度も休載があったりと、今作の執筆は三年間にわたり、中々一筋縄ではいかない大変なものであったようです。
苦労したせいもあるのかどうかは分かりませんが、1978年当時に三好行雄さんとの対談「社会派推理小説への道程」で、著者の松本清張は自作の長編小説の代表作を訊かれた際、“好きなもの”として今作を挙げています。

 

社会派推理小説の先駆者として名高い松本清張。今作も戦後13年経った日本の情勢が色濃く反映された社会派ミステリが展開されているのですが、この作品では特に女性がクローズアップして描かれています。主人公は捜査機関とは無縁の一妻とあって、当時の女性読者が感情移入しやすく、入り込みやすいものになっているかと。


昭和30年当初というのは、推理小説、探偵小説というのはエログロが強調されているものが多く、「探偵小説は男性の読み物」というボンヤリとした認識があり、女性は手に取りづらかったようです。社会派もそうですが、清張作品はミステリ界の女性読者の増加という点でも先駆者であるようですね。『ゼロの焦点』は、より女性読者を強く意識した作品だと思われます。

 

 

 

 

映画
ゼロの焦点』は今までに映画が二本、ドラマが確認出来るだけで六本制作されています。ドラマはいずれも20年以上前のもので単発・短期放送のためかDVD化などがされておらず、今となっては観るのは困難です。なので、ここでは映画二本をご紹介。

 

1961年版

 

ゼロの焦点

ゼロの焦点

 

 松竹大船撮影所制作。第12回ブルーリボン賞助演女優賞受賞※高千穂ひづる
キャスト
鵜原禎子-久我美子
室田佐知子-高千穂ひづる
田沼久子-有馬稲子
鵜原憲一-南原宏治
室田儀作-加藤嘉

 

映像はモノクロ。
監督は野村芳太郎さん。脚本は橋本忍さん、山田洋次さん。このお三方は『砂の器』など、清張作品を原作とした映画を多数手掛けています。

 

砂の器 デジタルリマスター版
 

 

原作とは異なり、この映画ではラストで主人公と犯人が直接対峙して問答しています。崖の上で
「クライマックス、何故か崖の上で犯人をとっちめる」というのは二時間サスペンスのド定番、お約束としてよく出て来ますが、その演出の発端がこの映画であるとされています。偉大な(?)作品ですね。
この映画の予告映像を動画で観たのですが、犯人が丸わかりというか、丸出しでした。予告でこれって良いのか?と思うのですが・・・犯人当ては度外視したサスペンス映画ということなんでしょうか。
原作だと禎子の夫探しに多大なる協力をしてくれる本田良雄の存在感は希薄で、事件に巻き込まれないままに退場しています。原作での本田さんが気の毒すぎる立ち回りなので、映画でのこの変更はなんだかホッとする・・・(^^;)。

 

2009年版

 

ゼロの焦点(2枚組) [DVD]

ゼロの焦点(2枚組) [DVD]

 

 東宝映画。第33回日本アカデミー賞、計11部門で優秀賞受賞。
キャスト
鵜原禎子-広末涼子
室田佐知子-中谷美紀
田沼久子-木村多江
鵜原憲一-西島秀俊
室田儀作-鹿賀丈史

 

松本清張の生誕100周年を記念してのリメイク作品。監督はメゾン・ド・ヒミコ

のぼうの城 

 などの犬童一心さん。


初見のときは原作未読だったのですが、感想としては「よく分らない映画」。演出方法のせいか、ストーリーが判りづらかったり、登場人物の心情の変化についていけなかったり(特に最後の室田儀作)と、「?」ばっかりの映画でした。原作を読んだ後だと、何のために加えたんだという映画オリジナル要素に疑問を抱きます。室田佐知子の周辺をだいぶ膨らましていますので(絵描きの弟がいたりだとか)、主人公である鵜原禎子の存在感が希薄です。
室田佐知子を演じている中谷美紀さんの演技が凄まじく、素晴らしいので、ストーリー展開も相まって室田佐知子しか印象に残らないお話になっちゃっているのではってな気が。主役を“くってる”ってやつですね。


しかし、昭和三十年代の雰囲気や美術や衣装も美しくて良く雰囲気が出ているのと、中谷美紀さんの演技だけでも観る価値はあると思います。
1961年版のような崖の上での犯人との相対は出て来ません。全身真っ赤な恰好をした女(トリックのための恰好なんですけども)がホラーチックでやたら怖い。

 

 

 

 

 

以下ネタバレ~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三人の女
禎子が失踪した夫の行方を追ううちに明らかになるのは、夫・憲一が昔警察官で、その当時に取り締まり対象だったパンパン(大戦後、在日米軍将兵を相手にしていた街娼)の一人、田沼久子と関係を持ち、誰にも知られないように同棲生活をしていたこと。
憲一は禎子との見合い結婚を機に久子との関係を清算しようとしていた矢先に、久子のパンパン時代の仲間で、今は社長夫人の女性活動家として名声を手にしている室田佐知子に殺害されます。

 

憲一が長く関係を続けていながらも端から久子との結婚を考えていなかったのは久子が過去にパンパンをしていた女性だったからで、佐知子が憲一を殺害したのはパンパンだった自身の過去を露見させないため。


今現在も職業への貴賎はことある場面で実感するものですが、『ゼロの焦点』の舞台である昭和三十年代は女性の社会的地位は今よりずっと低く、貞操など諸々に対して強い偏見がある時代でした。犯人の佐知子は自身の才覚と必死の努力で女性活動家としての地位にまでのぼりつめた女性。パンパンをしていた過去も戦後の混乱期での話であり、食べるために必死だっただけのことで、本来は恥ずべきものでも非難されるいわれもないもののはずですが、それを許容しないであろう社会への恐れから過去を隠すために連鎖のように殺人を犯してしまいます。

 

佐知子夫人の気持ちを察すると、禎子は、かぎりない同情が起こるのである。夫人が、自分の名誉を防衛して殺人を犯したとしても、誰が彼女の動機を憎みきることができるであろう。もし、その立場になっていたら、禎子自身にも、佐知子夫人となる可能性がないとはいえないのである。
いわば、これは、敗戦によって日本の女性が受けた被害が、十三年たった今日、少しもその傷跡が消えず、ふと、ある衝撃をうけて、ふたたび、その古い疵から、いまわしい血が新しく噴き出したとは言えないだろうか。

 

夫を殺された禎子ですが、上記のように犯人の佐知子に同情してしまっています。憲一を殺し、憲一の兄を殺し、真実に近づいた本田を殺し、それらの罪をなすりつけようと久子を殺し・・・と、だいぶ酷いことをしているのですが。
それほど、敗戦によって女性が受けた被害というのはぬぐい去れないものだということでしょうか。見合い結婚でよく知りもしないままに短期間添っただけの男より、敗戦で辛い境遇に立たされた女性である佐知子の方に肩入れしてしまうのはこの時代の女性ならではかもしれません。原作と違い、映画では佐知子に怒りをぶつけていたりしますけどね。

禎子や佐知子と違い、自分が受けている仕打ちがわかっていて、それでも男の言うままに行動してしまう田沼久子の存在もまた、時代の象徴のように感じられます。


女性としては、やはり鵜原憲一への憤りが読んでいると湧いてきますね。そんなに相手女性の経歴が恥だと思っているのなら、そもそも付き合わなければいいのに(-_-)。久子を完全に結婚相手として除外しているところが腹立たしい。あげく、久子に別れを切り出せないからと自殺の偽装までしようという始末。佐知子が突き落としたくなるのも分かるというものです。
砂の器』でも給仕をしている彼女の職業を恥じて交際を公にしたがらないという描写がありましたが・・・見栄っ張りの優柔不断なろくでなし男ばかりが世にはびこっていると著者は言いたいのでしょうか。

 

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名誉を守るために、自分の過去を知っている人物を殺害するという点も『砂の器』に通じるものがありますね。清張作品ではこういった、不遇の境遇から成り上がった人間が過去を消し去るために殺人を犯してしまうというパターンがよく見られます。「境遇からの脱却=社会への抗い」として、過去に成功を阻まれてしまうのは社会や時代の“しつこさ”を描いているのかなぁと思ったり。

 

 


タイトルの意味
ゼロの焦点』って、全部読んでみてもタイトルの意味が明確にはわからないんですよね。タイトルに繋がる具体的な記述もないので。何とな~く、ニュアンスで・・・みたいな。ちゃんと説明するのは難しい(^^;)。


連載当初のタイトルが『虚線』だったことから推察するに、やはり“禎子が夫の行方を探す旅”を表しているんだとは思います。

見合い結婚であるが故、夫の事をまだよく知らなかった禎子は、その夫を探す旅の中で“あるはずのない夫の一面”に直面し、殺人事件の謎を追っていくも、真ん中が抜けたように実体はいつまでも掴めない。実体の“無い”ものが関心を、注目を集めている。
禎子の夫を探す旅は、葬り去られたものをひたすら追い続ける旅路で、禎子にとっては判明していく事実はどれも虚構の絵空事のように実感が湧かないものだが、殺人という悲劇は間違いなく起こっている現実。


見合いによって会ったその日に結婚が決まった、まだよく知らない夫が新婚一週間で失踪。行方を探る中で、夫が周囲に隠していた女との生活が判明。さらに周辺の人間が次々と殺されていって~・・・ですからね。大混乱ですよ、まぁ。


自分が同じ状況に立たされたら・・・・・・と、読んでいるといい知れぬ不安に襲われてきます。それらのことを踏まえると、やっぱり今作は女性読者向けの作品なんだなぁと。

 

あと単純に、松本清張は「点」「線」などをタイトルで使うのが好きだったのかとも思いますが。連載当初の『虚線』もそうだし、『点と線』とか『蒼い描点』とか・・・。

 

 

 

 

 

冬の風景
他に特色として、『ゼロの焦点』は冬の風景が非常に上手く噛み合っている作品です。舞台は冬の金沢、能登半島。禎子が事件を追う中で抱える虚無感は、寒くて白い雪が降り積もる北国の風景にピッタリで、舞台情景が作品と密接に関わっていると感じます。冷たい海や断崖も然りですね。
禎子が室田儀作と共に室田夫人・室田佐知子が乗った小舟を見送るラストはとても情緒的です。
過去を隠すために必死だった佐知子ですが、夫の室田儀作にとって、佐知子のそんな過去は咎めるに値しないもので、妻を想う気持ちは変わらないのだという事実は、救いであり皮肉です。
痛ましく、哀しく、虚無な事件。
寒く真っ白な世界、荒れ狂う冬の海はこの事件と正に一体化しています。


敗戦による女の苦境、タイトルの意味を熟考し、情景を思い浮かべながら読んで欲しい作品です。気になった方は是非。

 

 

 

ではではまた~

 

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『ばるぼら』あらすじ・ネタバレ解説 手塚治虫の芸術論~

こんばんは、紫栞です。
今回は手塚治虫ばるぼらをご紹介。

 

ばるぼら 黒ミサ (My First Big)

 

あらすじ
美倉洋介は耽美主義をかざして文壇にユニークな地位を築いた流行作家。作品はいくつか海外にも紹介され、多くのファンを持つ。しかしその実、美倉は自身の異常性欲に日々悩まされていた。
そんな美倉はある日、新宿駅アルコール依存症のフーテン娘・バルボラと出会い、酔った彼女を家に上げて介抱する。それが切っ掛けとなり、バルボラは美倉の家に居着くようになった。
ことある毎に文句を言って飛び出していくが、その度にまた美倉の家に戻ってくるバルボラ。アル中でだらしのない、金の催促ばかりするどうしようもない女だが、美倉は何故かバルボラを追い出すことも、決定的に離れることも出来ない。バルボラが来てから生活はブチこわしだが、小説家として書く意欲が湧いてくるのだ。
そのうち、特務機関から追われる身である作家・ルッサルカから美倉は「バルボラの正体は芸術の女神“ミューズ”だ」と聞かされるのだが――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


“芸術”に振り回される男の物語
ばるぼら』はビックコミックで1973年から1974年まで連載された作品。

1973年から1974年は社長をしていた出版社・「虫プロ商事」とアニメ会社の「虫プロダクション」が相次いで倒産していて、手塚治虫先生としては大変な時期に直面していたはずですが、『ばるぼら』は一度も休載することなく最後まで連載が続けられました。
ビックコミック】では奇子の後に連載されたものですね。

 

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奇子』と同じく、この作品も“大人向け漫画”となります。

 

著者のあとがきで、「一言にしていえば、この物語は、芸術のデカダニズムと狂気にさいなまれた男の物語」と語られている通り、“芸術”が本来持ち合わせている退廃感やエロス、異常性に振り回され続ける、困った質の男の物語が展開されています。
手塚作品ではいつものことかもしれないですが、ヒロインがめったやたらと脱いでいます。裸だらけだし、不健全極まりない内容ですので、「大人になってから読め」という代物ですね。描かれているテーマも年長になってからのほうが理解しやすいのではないかなぁと思います。


オッツフォンバッハのオペラホフマン物語からのインスピレーションで今作を描いたとのこと。

 

 

なるほど、上手い具合に踏襲しています。

筒井康隆を模して「筒井隆康」という作家が主人公の友人として登場していたりと、物語全体に著者が文学好きだったことが窺える箇所が多数あります。最終15章には松本零士ならぬ松本麗児という漫画家も登場。

 

 

今手入れやすいのは角川文庫から刊行されている文庫の上下巻と、

 

 

 講談社から刊行されている手塚治虫漫画全集ばるぼら(1)(2)、

 

 

手塚治虫文庫全集〉ばるぼら

 

 

らへんですかね。手塚プロダクションから出されている電子書籍もあります。

 

ばるぼら 1

ばるぼら 1

 

 

そして、毎度お馴染みのマニア向け〈オリジナル版〉

 

こちらは連載当時の原稿を完全再現したものですが、巻末には『ばるぼら』とは別の希少性が高いダークファンタジー短編が五編収録されているとのこと。

 

角川文庫と〈手塚治虫漫画全集〉だと二冊にわかれていますが、手塚治虫文庫全集〉の方だと一冊で全話が収録されています。私はこの〈手塚治虫文庫全集〉で読みました。

物語は15章まであり、9章ぐらいまでは一話完結型の短編漫画形式ですが、後の半分は大きな流れで展開していく長編漫画といった形になっています。

 

※2021年に永井豪版が刊行されました。

 

 

 

 

映画
映画化が決定しており、「2019年公開」となっているのですが、9月になっても公開日も詳細もよくわからない・・・。(※2020年11月20日に公開が決定しました)


今の時点でハッキリしているのは、監督が手塚治虫の長男・手塚眞さんであることで、キャストは美倉洋介を稲垣吾郎さん、バルボラを二階堂ふみさんが演じられるということぐらいですね。
2019年10月28日開催の『第32回東京国際映画祭』のコンペティション部門に出展が決まったそうですが。選定理由について映画祭のプログラミング・ディレクターの矢田部吉彦さんは


「『ばるぼら』はたん美で幻想的、悪魔的でエロティックな世界観の独創性が、近年の邦画において際立っている」


とのこと。

なにか色々と凄そうですね・・・(^^;)。

 

 

 

 

 

ミューズ
第6章「黒い破戒者」で登場する作家・ルッサルカはバルボラのことを「ミューズ」だと説明します。
「ミューズ」というのはギリシャ神話に登場する、ゼウスとムネーモシュネーとの間に産まれた9人の娘たちのこと。芸術をつかさどる女神とされ、ミュージアムやミュージシャンという単語も語源はここからきています。

一般的には芸術家にとって創作意欲をかきたててインスピレーションを与えてくれる存在、主に女性のことを指してそう言い表されるもの。サルバドール・ダリにとってのガラ、モディリアーニにとってのジャンヌ、ミュシャにとってのサラ・ベルナール・・・と、いった具合。

ファッション業界では近年はよくブランドモデルを「ミューズ」と言っていたりしますね。あまりハッキリとした説明は難しいのですが、“創作者のイメージを具現化する存在”といったところでしょうか。

 

今作ではバルボラはこの「ミューズ」自体を具現化したかのような存在として描かれています。


作中で美倉が言うように、バルボラは「飲んだくれで、グータラで、うす汚くって、あつかましくって、無責任で、気まぐれで、お節介で、狂気じみて」いて、行動も感情も一貫しておらず、いたかと思ったら消えたり、と、思ったらまた現われたり、汚い姿をしていたかと思ったら魅惑的な姿で現われたり、と、思ったら元に戻ったり、なびいたと思ったら拒絶したり、と、思ったらまたなびいたり・・・・・・・といった、やたらフラフラしていてつかみ所のない女性なんですが、この行動や干渉の仕方がつまりは「ミューズ」の性格で、「芸術」とは元々そういう厄介なものなんだという・・・。

作中に登場するバルボラの母親の名前がムネーモシュネーというのはそのダメ押しですね。

 

物語が進むにつれ、バルボラは今まで様々な芸術家の元に居着いては去って行くということを繰り返していることが判明します。その都度、相手によって姿を変えており、バルボラが居た期間はその芸術家は傑作を産み出すことが出来、バルボラが去ると芸術家としての身を持ち崩してしまう・・・・まるで座敷童のような話なんですが(^_^;)。

 

途中、ブードゥーだ、黒魔術だ、魔女だと何やら奇っ怪な様相を呈してきたりもしますが、これは著者曰く、「狂気の変容とみなしていただいてよいでしょう」とのこと。

主人公の美倉は元から妄想癖がある男で、この漫画を読んでいると何処までが現実で何処までが妄想なのかよく分かりません。最初は邪険にしつつもバルボラを追い出せない自分に疑問を抱いていたものの、いざバルボラが去った後は気が狂ったように追いかけ回し、妻子もそっちのけで社会人として転落していきます。
ぱっと見は、女の尻を追いかけるダメ男の転落人生ですが、美倉が追いかけているのは“芸術”なんです。かつては確かに自分のもとにあったはずの、立ち去ってしまった“芸術”を、再び自分のもとに呼び戻そうと奮闘する、“芸術”に、「小説家としての享受」に取り憑かれてしまった男の物語が今作なんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

以下ネタバレ~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


大団円
最後の15章は「大団円」というタイトルになっています。

死体のようになってしまったバルボラと共に霧に包まれた山小屋に閉じ込められてしまった美倉は、死の恐怖の中で小説を執筆します。書いている最中、言葉を発せない程に衰弱していたところを、通りかかった学生グループが死んでいると勘違いして火葬にしようと小屋に火を放ち(ここがよく分らない。なんだって火を放つかね・・・犯罪だよ・・・)、小説を持ち去ってしまう。美倉はバルボラと共にムネーモシュネーに救出されますが、記憶を失い、バルボラとも引き離されます。
数年後、美倉が山小屋で執筆した怪奇と不条理に満ちた私小説ばるぼら』が世に出回り、大ベストセラーとなるが、記憶を失いすっかり老け込んでしまった美倉は名乗り出ることもなく、行方は永久にわからずじまいに。

そしてまた、見すぼらしく、酔いつぶれてうずくまっているバルボラの姿が町に現われ・・・・・・。

 

と、いうのが大体の終盤のストーリー。

 


「大団円なのか?これは?」って感じですよね。「美倉自身は全然ハッピーになってないじゃん。どこがめでたいラストなの?」と言いたくなりますが、まぁでも、これは“めでたい”ラストなんですよ。


美倉洋介の最高傑作が出来上がり、大ベストセラーとなって世間で評価・議論され世に残る。


この結末がハッピーでめでたいのです。

作品が世に残るならば、作者がどうなろうと良しとする。すべては作品ありき。傑作が残せるならば、書き手の存在は捨て去ってしまって構わない。


「芸術家は芸術のためにだけ心を捧げればよいのだよ 政治とか金とかにウツツを抜かしているようじゃそいつはおしまいだ・・・・・・」

 

上記した通り、手塚治虫は『ばるぼら』の連載時、会社の倒産で窮地に立たされていました。

「しかしペンは奇妙に走った それだけが私が生きつづけている証だった」と死の間際に小説を書き続ける美倉洋介の姿もそうですが、この『ばるぼら』には、著者・手塚治虫の作品・創作への思想が強く表れているのだと思います。

実際、手塚治虫は病気で息を引き取る直前にも漫画を描いていた訳で。その事実を知った上で今作を読んでみると、“作品を描くこと”への強い思いが凄絶に伝わってくるかと。

 

手塚治虫が考える“芸術”の、作家の姿。気になった方は是非。

 

 

 

 

 

 

 

ではではまた~

 

 

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『影踏み』映画の原作小説 ネタバレ・感想 横山秀夫の異色の連作短編集~

こんばんは、紫栞です。
今回は横山秀夫さんの『影踏み』をご紹介。

影踏み (祥伝社文庫)

2019年秋に上映予定の映画『影踏み』の原作本ですね。

 

あらすじ
忍び込みのプロ・ノビ師として「ノビカベ」と刑事達の間で綽名される真壁修一は、盗みのため深夜に侵入した稲村家の夫婦の寝室で妻の夫への殺意を感じた。
その妻・稲村葉子の通報によって真壁は住居侵入の現行犯で逮捕される。二年後、刑務所を出所した真壁はすぐにその後の稲村家について調べるが、夫婦は離婚していて事件は何も起こっていなかった。
思い過ごしだったのか?しかし、あのとき確かに女は夫を焼き殺そうと計画していた――。
疑惑を払拭出来ず、真壁は執拗に葉子を追うが・・・。

 

 

 

 

 

 

 


異色の連作短編集
主に警察小説で有名な横山秀夫さん。こぞって映像化される作家さんのうちの一人ですよね。元新聞記者ということで、高い取材能力が遺憾なく発揮された、業界の内部に入り込んだリアリティのある描写で有名・・・と、いう個人的イメージ(^^;)。
※映画化もされた『クライマーズ・ハイ』などは横山さんの新聞記者時代の体験が元になっています。日航機墜落事故のお話ですね↓

 

クライマーズ・ハイ (文春文庫)

クライマーズ・ハイ (文春文庫)

 

 

横山秀夫さんの小説が原作のドラマは散々観てきたくせに、今まで本を手に取ることはなかったのですが、今度映画化されると聞いて今作を読んでみました。なので、私にとっては初の横山秀夫作品です。


『影踏み』は忍び込みの凄腕窃盗犯が主役の連作短編集。横山さんの作品で警察側ではなく犯罪者側視点で描かれているのは珍しいことらしいです。予想通りというか、期待通りというか、警察と窃盗犯との駆け引き、持ちつ持たれつなやり取りや警察の捜査方法、忍び込みの技術や窃盗犯同士でのコミュニティ形成など、普段私たちが知りようもない裏の世界を存分に味わうことが出来ます。
業界用語もたくさん出て来るのですが、日テレ系ドラマの『ドロ刑-警視庁捜査第三課』

 

ドロ刑 -警視庁捜査三課- Blu-ray BOX

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を観ていての予備知識(?)があったので、聞きかじった単語が作中に度々登場して楽しかったです。“ドロ刑”という単語も「泥棒警察」の略称ですね。

 

一つの事件に関わったことで連鎖して次々と身の回りで事件が起こり、巻き込まれて、その度に「ノビ師」の技術や知識を使って真相を見抜いていくというストーリーなのですが、今作で最も異色なのは、主人公の真壁修一には16年前に死んだ双子の弟・啓二の魂的なもの?が頭の中に住み着いていて、記憶力抜群な弟の意識(魂?)と共に事件を追っていくという、ちょっとファンタジーでSFチックな設定ですね。
姿が見えるとかではなく、耳の中で声だけ聞こえて頭の中で会話しているというもの。“姿は見えなくって声だけ”という設定もまた珍しい。啓二の声は作中では終始《 》で示されています。
初っ端から啓二と頭の中で会話しているシーンなので、読み始めは結構戸惑いますね(^^;)。日頃から捻くれたミステリばっかり読んでいるので、最初はこの設定に別の仕掛けか何かがあるのではみたいな考えも浮かんだりしたのですが(主人公が思いこんでいるだけとか、二重人格とか)、この設定はこのまま純粋に受け止めて読むものです。捻くれたもんばっか読んでると何でも疑ってしまってダメですねぇ・・・。


目次
●消息
●刻印
●抱擁
●業火
使徒
●遺言
●行方

の、7編収録。どのお話もだいたい60ページ程。“連作短編集”という触れ込みではあるものの、この本は7篇全部で一つの物語りになっていて、どのお話も抜かして読んではダメな代物。ですが、どのお話も短篇のお手本のようにしっかりと意外な真相のオチがあり、完成度も高い良作ばかりなので、ミステリとして人間ドラマとして飽きずに愉しむことが出来ます。


ハードボイルド要素もあるせいか、特に二枚目設定ではありませんが主人公の修一がやたらとカッコいい。しゃべり方や立ち振る舞いが。
修一は現在三十代半ばですが、啓二の方は亡くなった19歳の頃のままで時が止まっているためか幼い印象。それにしても、19歳にしては幼すぎるよなぁと読んでいると思う。やたらかわいいですね。二人のやり取りからくる相乗効果(?)でそう感じるのかもしれないですが。

 


映画
映画は2019年11月15日全国公開予定。11月8日に群馬県で先行公開されるようですが。

 

キャスト
真壁修一山崎まさよし
安西久子尾野真千子
啓二北村匠海
久能次郎滝藤賢一
馬淵昭信鶴見辰吾
真壁直美大竹しのぶ
葉子中村ゆり
吉川聡介竹原ピストル
大室誠中尾明慶
安西久子(回想)-藤野涼子
栗本三樹男下條アトム
菅原春江根岸季衣


キャスト一覧から登場人物の省略がみられるので、原作よりコンパクトな内容になっているのではないかと思います。真壁家の過去が原作より掘り下げて描かれるのではないかと予想。
気になるのは原作での“頭の中の会話”をどう画面上で表現するのかですが、予告を観た感じ、啓二の姿をそのまま出すみたいですね。修一にだけ見えるっていう設定なのかな?

主演の山崎まさよしさんは14年ぶりの長編映画主演。山崎さんは横山秀夫作品の大ファンなんだとか。主題歌も担当しています。

 

影踏み (movie ver.)

影踏み (movie ver.)

 

 映画と同じタイトル。

 

 

 


真壁修一・啓二の一卵性双生児の兄弟は両親ともに教職者の家庭で育つ。二人とも優秀だったものの、修一は有名大の法学部に現役合格したが、弟の啓二は受験に失敗。浪人中にヤケになって窃盗を繰り返すようになり、悲観した母親はノイローゼとなって、ある日発作的に家に火を放って啓二を道連れに無理心中。二人を助け出そうとした父親も炎に呑まれて死亡。
一人残された修一は葬儀の場で障害事件を起して大学を退学。以後、弟の影を追うように泥棒をして生きてきた――。

 

と、これが16年前にあった真壁家の悲惨な事情なんですが、弟の啓二がヤケになってしまったのには受験の失敗以外にも理由があって、そこには失恋が絡んでいます。


修一と啓二は共に幼馴染みの安西久子に想いを寄せていました。久子は修一を選び、修一と啓二の間でわだかまりが生じることに。そして、このわだかまりは啓二の死後、修一の中耳に啓二の声が棲みついている現在でも続いています。啓二の“声”は「気にしない」と盛んに言って修一と久子を元サヤに納めようとするのですが、修一の方が中耳の啓二の存在を気にして踏み出していけない状況なんですね。ま、頭の中に弟が居たんじゃなぁ・・・存分に察せられるところではありますが(^^;)。

 

双子というものは、互いの影を踏み合うように生きているところがある。真壁が自分ならそうするだろうと思うことは即ち、啓二がそうする確立が極めて高いことを意味していた。胸の中は黒々としていた。顔形はおろか、自分と心の有り様まで似通った複製のごとき人間が、この世に存在することを呪った。いっそのこと消えてなくなれ。そう念じた。

 

久子を取り合ったことから啓二に対して忌々しい想いを抱いていた修一でしたが、いざ望み通りに啓二が亡くなって“この世でたった一人の人間”になってみると、言いようのない喪失感に苛まれます。修一にとって、双子の弟を失うことは自身の片割れを失うこと、「影」を失うことだったのだと気づくのですね。

 

啓二が現世への未練から真壁の裡に棲みついたのではなかった。真壁が呼んだのだ。どこにも啓二をやりたくなくって、影のない闇から逃れたくて、だから啓二の魂を呼び戻し、自分の中に繋ぎ留めている。あの日からずっと――。

 

やり切れない想いは怒りとなり、啓二を焼き殺した亡き母親へと向かいます。一話目の「消息」で執拗に事件を追ったのも、夫を焼き殺そうとした葉子に母親の姿を重ねて怒りを覚えたからなんですね。

 

 

 

 

 

 

以下がっつりとネタバレ~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


真相
最終話の「行方」で啓二の“声”が告白する16年前の真相は痛切なものです。


家に火を放って無理心中しようとしたものの、嫌がる啓二の姿を目にして母親は思い直し、押さえる手を緩めました。しかし、母親の手を振り払って一度逃れたものの、啓二に「逃げな」と言いながら丸くなって動かずにいる母親が泣いているのを見て、「本当におふくろを悲しませたんだ」とわかり、逃げるのを止めて母親のところに戻り、そして共に死んだ。

 

思い違いで母親を憎んでいる修一に、啓二は長年修一の中耳に棲みつきながらも真相を言い出すことが出来ませんでした。話せば兄と一緒にいられなくなると、わかっていたからです。

 

啓二は答えを知っていた。
あの日の話をしたら真壁が気づいてしまう。憎んでいた相手は母ではなく、自分の弟だったことに。
啓二がおふくろを奪ったから。
死という永遠の形で、おふくろを独り占めにしたから。
母は啓二を愛していた。死を共にするほど深く、狂おしく、自分ではない、自分と瓜二つの弟を――。

 

思いを振り払うように修一は「それがどうした」と啓二を引き留めますが、啓二の“声”は「大好きだよ」と言い残して修一の中耳から消えてしまいます。残ったのは淡い影のみ・・・。

 

弟への相反する想いが描かれるこのラストは、切なく、哀しく、とても感慨深いです。
“気づいた”後に修一が言う「それがどうした」には凄く心情が表れていると思いますね。憎んでいた相手が啓二だからって、だからなんだと。憎んでいても、弟への愛情は変わりないというか、憎んでいるのも愛しているのも本当なんだという叫びにきこえる。

泥棒から足を洗ったのか、久子と新たな生活を踏み出したのか、修一はこの後どうなったのかは書かれないまま終わっています。そのまますんなりと久子と・・・というのはちょっと考えづらいのですが、啓二の最後の願いが叶っていますようにと読者としては願うばかりです。

 


特殊な状況での人間模様と泥棒による謎解きミステリ、短編のお手本のようでありつつも何処までも長編小説。そんな今作が気になった方は是非。

 

 

影踏み (祥伝社文庫)

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影踏み (祥伝社文庫)

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ではではまた~

映画『楽園』原作『犯罪小説集』5篇すべてにモデルの事件がある?ネタバレ・解説

こんばんは、紫栞です。
今回は吉田修一さんの『犯罪小説集』をご紹介。

犯罪小説集 (角川文庫)

 

『犯罪小説集』というタイトルの通り、犯罪にまつわるお話が5篇収録された短篇集で、各話大体70ページほど。

実際にあった事件をヒントにして書いたものを何作かまとめて本にしたいという著者の吉田修一さんの意向で出来上がった作品集です。書く際には編集者さんに事件リストのようなものを製作してもらい、それを参考にお話を書いていったのだとか。

 

2019年10月18日に、この本を原作とした映画が『楽園』というタイトルで公開が決定しています。

 

 

収録されている2篇、「青田Y字路」「万屋善次郎」を混ぜて脚色したストーリーになっているのだとか。オリジナル要素が強い映画になりそうで、どのような脚本になっているのか気になるところ。
文庫版ですと、監督の瀬々敬久さんによる解説が巻末に収録されています。

 

犯罪小説集 (角川文庫)

犯罪小説集 (角川文庫)

 

 函入りの愛蔵版も刊行されています。↓

 

犯罪小説集 愛蔵版

犯罪小説集 愛蔵版

 

 

函入りの本ってかっこいいよね!みたいなノリで作ることになったらしい。出版界ってどういう基準で本作りしてるのかいつも疑問・・・・(^^;)。

 

 

目次
●青田Y字路(あおたのわいじろ)
●曼珠姫午睡(まんじゅひめのごすい)
●百家楽餓鬼(ばからがき)
万屋善次郎(よろずやぜんじろう)
●白球白蛇伝(はっきゅうはくじゃでん)

の、5篇収録。


各タイトルの字数が同じなのとか、字面の雰囲気とか並びとか、椎名林檎のアルバムみがある。(ファンにだけ分かることだとは思いますが・・・)


上記したように、この5篇それぞれにモデルとなる実際の事件があるようなので、以下、モデルに使われたと推察できる事件と各話の解説をしていきたいと思います。※ネタバレふくみます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●青田Y字路(あおたのわいじろ)
田園に続くY字路で一人の少女が行方不明に。何があったのか、犯人はいたのか自体も解らぬまま事件は迷宮入りの様相となっていたが、10年後に同じY字路で少女が行方不明となる同様の事件が発生。最初の事件発生当初に嫌疑をかけられた青年・中村豪士の存在が地域住民たちを疑心暗鬼にさせて――と、いうお話。


犯人だと疑われてしまう豪士、10年前に行方不明となった少女と直前まで一緒にいた同級生の、少女の祖父の五郎、それぞれの視点で物語りが展開していきますが、豪士が冤罪だったことは判明しつつも、結局10年前に少女を連れ去った犯人は解らずじまいで話は終わっています。
同一地域で女児が連れ去られていて、事件が未解決のままであり、冤罪も絡んでいるということで、「北関東誘拐殺人事件」がモデルなのではないかという意見が多いですが、下校途中に三叉路で友人と別れた直後に連れ去られているなどの類似から「栃木小1女児殺害事件」がモデルなのではないかという意見もあります。

 

読んでの感触としては、このお話は色々な女児誘拐事件から少しずつ要素を抽出して書いたもので、明確な「コレ!」というモデルはないのでは?と思います。このお話ではそもそも10年前に少女に何があったのか、連れ去りなのか事故なのかも解らずじまいですし、実は連続した事件でもないし、遺体だって見つかっていないですからね。
地域住民たちの根拠薄弱な疑念で追い詰められてしまった無実の青年の顛末と、架空でも犯人を想定して怒りをぶつけてしまいたい事件関係者の心情などを書くのが著者の主目的なんじゃないかと。

 

 

 

●曼珠姫午睡(まんじゅひめのごすい)
目立たない存在だったかつての同級生がスナックのママとなり、保険金をかけた夫を若い愛人に殺害させる保険金殺人事件を起したことを報道で知った主婦が、加害者の同級生の奔放な半生を調べて追体験し、色欲の世界に足を踏み出しそうになるお話。

 

モデルだと言われているのが「首都圏連続不審死事件」「婚活殺人事件」とか木嶋佳苗事件」とも呼称されている事件ですね。加害者女性の写真と裁判などでのあけすけな発言が度々注目されて世間での認知度も高い事件。

男性関係が奔放な女性が男を手玉にとってウンヌンといった部分から、この事件がモデルに使われていると連想する人が多いのかと思われます。しかし、こちらも言うほどの接点はそんなに無いような。生い立ちとかも違うし、婚活を利用しての犯行でもないし。連続でもないし。


このお話で描かれているような保険金殺人の内容って、結構ありふれたものだという気がするので、「首都圏連続不審死事件」がモデルだと言われるのは、単に人々の印象に強く残っている女性の保険金殺人事件がそうだというだけなのかなと。
犯人の視点は一切出ず、事件とは無関係な主婦の一視点でずっと語られていますので、本の中でも一番日常感が出ていて、読んでいて入り込みやすいかなぁと思います。特に女性は。

 

 

 

●百家楽餓鬼(ばからがき)
運輸業者の御曹司がギャンブル依存症になって会社の金を不正に使い込んでしまうお話。こちらはシンプルに当事者の御曹司の視点で描かれています。恵まれた境遇に溺れず、実直に会社経営に勤しんでいたはずが、いつの間にかギャンブルに傾倒していってしまう男の心情変化が見物です。

有名企業の一族だと、常に周りが「頼んでくる」人間ばかりになるというところが虚しいし苦々しい。なるほど、お金持ちならではの苦しみだなぁと。


他のヤツとは違うと思っていた親友にも「金を貸してくれ」と言われてしまうのは酷く裏切られた気分になりますが、お金に困っている一般家庭の妻子持ちが、友達に大金持ちがいたら「貸してくれ」と頼みたくなってしまうのは何か凄く分かる。


NGO活動で貧困に喘ぐ子供達を救済したいと本気で思っていながら、ギャンブルで大金をドブに捨てる日々という矛盾した行動や心理が、最後のスープを飲むシーンで痛烈に表されています。
モデルだとされるのは大王製紙事件」。金額の大きさで驚かれた不正使い込み事件ですね。
これは割とモロにモデルとして使われていると私個人も思います。創業者の孫だとか、経営手腕が評価されていた点とか、カジノで億以上の借金をし、その都度、金を数々の子会社から不正に借り入れていたという手口も同じ。

 

 


万屋善次郎(よろずやぜんじろう)
限界集落で最も若い60代の善次郎。養蜂で村おこしを行おうとするも、些細なすれ違いの結果、集落の人間達から村八分にあい、精神的に追い込まれた挙げ句、村人の暴言が引き金となって集落の人間を次々と殺害。最後は山の中で自殺を図る――と、いう内容。


過疎の閉鎖空間ムラ社会だからこその出来事で、東京から親を看取るために戻ってきた善次郎に、最初のうち村人は好意的に接して「若いから」と色々と頼りにして良好な関係を築いていたのに、村の有力者を蔑ろにしたという村人の思い違いからとんでもない悲劇に発展してしまう顛末が描かれています。

村八分にあった善次郎のことを気に掛けて心配しつつも、ムラ社会のしがらみから何の手段もなせないお婆さんの視点がやるせない。しかも、このお婆さんも事件の犠牲になってしまいます。


モデルは「山口連続殺人放火事件」村八分にされた末の大量殺人という類似から「津山事件」を想起させるということで八つ墓村事件」なんて呼ばれたりもしている事件ですね。

※「津山事件」と『八つ墓村』の繋がりについて、詳しくはこちら↓

 

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かなりセンセーショナルな事件で、当初はうるさく報道されていましたけど、“村八分”というワードが見え隠れしてきたら一気にテレビで扱われなくなった印象。やはりムラ社会というのはいまだにセンシティブな事柄だってことなんでしょうかね。


犬を飼っていたとか、60代で一番の若者とか、村おこしでの諍いとか、家の前にマネキンを並べていたとかの事柄はそのまま作中に出て来ますので、こちらもモデルは丸わかりなお話ですね。

しかし、作中では村人による陰湿な苛めなどは特に描写されておらず、あくまでボタンの掛け違いというか、事態がこじれて取り返しがつかなくなったという風に描かれています。

 

 

 


●白球白蛇伝(はっきゅうはくじゃでん)
早崎弘志というプロ野球選手が、引退後も現役時代の華やかな生活水準を落すことが出来ずに周りに借金を繰り返し、いよいよどうしようも無くなって、借金の申し出を断った友人の会社社長を衝動的に殺害してしまうという内容。


「元千葉ロッテマリーンズ投手強盗殺人事件」清原和博覚せい剤取締法違反」などがモデルの候補として挙がっていますが、事件内容や生い立ちなどから主なモデルは「元千葉ロッテマリーンズ投手強盗殺人事件」の方だと思われます。どちらの事件もプロ野球選手時代の豪遊生活をそのままに“見栄”をはり続けた結果、身を持ち崩すという点が共通していますけどね。


こういう事件を聞くと、「標準的な生活を出来るだけのお金は十分持っていたのだから、贅沢をせずに身の丈にあった生活をしていれば良かったのに」と表面的に思ってしまうものですが、作中での早崎の栄光が、父親の、兄の、妻の、息子の、“幸せの象徴”になってしまっている手前、皆の望む振る舞いをしなければならないという心境に追い込まれてしまうのは、とても人間的だなと感じますね。誰でも“期待に応えたい”と思うものですから。
このお話は読んでいて一番哀しかったし、悔しかったですね。被害者の早崎への心境がよく伝わってくるぶん、「なんでこんなことになっちゃうの?」とやり切れない気分になりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

ワイドショー
文庫版に収録されている瀬々監督の解説によると、著者の吉田さんは瀬々監督に「『犯罪小説集』はワイドショーのような感じ」といったニュアンスのことを仰ったらしいです。
“ワイドショーのよう”という表現は凄くしっくりときました。「ああ、なるほど」と。


タイトルの通り、5篇の短篇で扱われているのは日常からはかけ離れたような「犯罪」なのですが、あくまで描かれているのは人々の「日常」なんですよね。普遍的な生活の中で「犯罪」に触れたときの、人々の“揺らぎ”が様々な視点で描かれている。

テレビの向こう側での、まるで別世界で起こっているかのごとき陰惨でセンセーショナルな「犯罪」にも、そこには私たちと変わらぬ、地続きでまったく“特別“じゃない「日常」が存在し、境界は有るようで無く、実はとてもボンヤリとしたものなのだと思い知らされます。
「青田Y字路」が犯人や真相が解らないまま終わっていたり、どのお話も明確なオチがついていないのもそのためかなぁと。「犯罪」という「日常」を切り取った小説集なんですね。

 

 

映画ではどのようにこの「日常」が描かれるのか気になるところ。
「青田Y字路」で近隣住民に疑われてしまう中村豪綾野剛さんが、行方不明となった少女と直前まで一緒にいた女の子・杉咲花さんが、万屋善次郎」村八分にされてしまう善次郎佐藤浩市さんが演じられるということで、かなり重厚な作品になりそうな予感がしますが。


「青田Y字路」と「万屋善次郎」で共通している点は、どちらも田舎での事件だという部分ですね。過疎の閉鎖空間での事件として物語りを繋げているのかな?しかし、この原作でのラストがそのままなら、とてつもなく悲惨で後味の悪いものになりそうですが・・・どうなんでしょう(^^;)。

映画の『楽園』というタイトルがどのような意味を持ってくるのにも注目ですね。

 

 

読むと普段目にしている報道のとらえ方が変化する小説集だと思いますので、映画やモデルになった事件に興味がある方などは是非。

 

犯罪小説集 (角川文庫)

犯罪小説集 (角川文庫)

 

 

 

 


ではではまた~

『蜜蜂と遠雷』あらすじ・感想 大長編だけど内容は簡単?な小説

こんばんは、紫栞です。
今回は恩田陸さんの蜜蜂と遠雷のまとめと感想を少し。

蜜蜂と遠雷

 

第156回直木三十五賞、第14回本屋大賞受賞作。

 


あらすじ
推薦状
皆さんに、カザマ・ジンをお贈りする。
文字通り、彼は『ギフト』である。
恐らくは、天から我々への。
だが、勘違いしてはいけない。
試されているのは彼ではなく、私であり、皆さんなのだ。
彼を『体験』すればお分かりになるだろうが、彼は決して甘い恩寵などではない。
彼は劇薬なのだ。
中には彼を嫌悪し、拒絶する者もいるだろう。しかし、それもまた彼の真実であり、彼を『体験』する者の中にある真実なのだ。
彼を本物の『ギフト』とするか、それとも『災厄』にしてしまうかは、皆さん、いや、我々にかかっている。
ユウジ・フォン=ホフマン

3年ごとに開催される芳ヶ江国際ピアノコンクール。まだ今年で6回目であるが、優勝者が後に著名なコンクールで優勝するということが続き、ジンクスのように、近年新たな才能を発掘する場として音楽界でも強く注目されるコンサートとなっていた。
かつて天才少女として名をはせたものの、母の死を切っ掛けに表舞台から姿を消してしまっていた20歳の栄伝亜夜。音大出身で楽器店勤務のサラリーマン、妻子持ちの高島明石28歳。高い演奏技術とスター性を兼ね備えた優勝候補、マサル・カルロス・レヴィ・アナトール19歳。そして、今は亡き音楽界の伝説的存在であるユウジ・フォン=ホフマンの推薦状と共に、”劇薬“のように突如現われたピアノを持たぬ15歳の少年・風間塵――。

彼らコンテスタントが、天才たちが繰り広げる第一次から三次予選、本戦までの闘い。
果たして優勝するのは、音楽の神に愛されるのは誰なのか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

12年越しの大作
蜜蜂と遠雷』は刊行の際、「構想から12年、取材11年、執筆7年」という謳い文句の通り、12年越しの大作です。
物語の構想はピアノコンクールのエントリーから本選までをひたすら追うというシンプルなものですが、単行本ですと二段組で500ページ程、

 

蜜蜂と遠雷

蜜蜂と遠雷

 

 

文庫だと上下巻あわせて1000ページ程

 

蜜蜂と遠雷(上) (幻冬舎文庫)

蜜蜂と遠雷(上) (幻冬舎文庫)

 

 と、小説としては結構なボリュームがあります。


12年越しなのだからそれぐらいは書きたいものなんだろうとは思いますが、凄いのはホントにひたすらピアノコンクールの描写に終始しているところです。ピアノを演奏しているか聴いているかしている場面がほとんどで、事件が起きたり、脇で別のお話が展開されるなどということも一切なく”ピアノコンクール“を書き切っているというのは、作者の本作への思い入れが伝わってきますし、クラシック音楽という、一般的な認知度や共感も得にくい題材でこのページ数読ませる事が出来るというのも凄い。音楽は元々ただ”感じる“もので文章や絵で表現するものではないですからね。作者の手腕が問われるというものです。


3年に1回開催される「浜松国際ピアノコンクール」をモデルに4度取材されたとのことですが、この作品を書くにはそれくらいの取材が必要なんだろうというのは読んでいるとよく分かります。

私自身、クラシック音楽に関しては全くの無知なのですが、そんな私でも難なく読めました。クラシック音楽界や曲に詳しい人のほうがより愉しめるのかな~とは思いましたけど。出て来る曲がどんな曲か気になって、読んでいる最中に何度も動画検索しました(^^;)。作中で演奏されている曲がまとめられたCDがあればいいのに!と、思っていたんですが、ちゃんと出ているのですね、CD。↓

 

『蜜蜂と遠雷』ピアノ全集[完全盤]

『蜜蜂と遠雷』ピアノ全集[完全盤]

 

 

2017年発売のもので、全51曲129トラックでCD8枚組。収録時間は約9時間40分。こちらも小説同様の大ボリュームになっております。奥田陸さん書き下ろしの短編小説も収められているようです。
読者の要望にみごとに対応した、本と一緒に愉しむのに最適なお品ですね。商売上手感溢れる・・・・・・。

 

 

 

映画
2019年10月4日に実写映画公開が決定しています。


キャスト
栄伝亜夜松岡茉優
高島明石松坂桃李
マサル・カルロス・レヴィ・アナトール森崎ウィン
風間塵鈴鹿央士

 

物語りの要となる風間塵役を演じる鈴鹿央士さんは、100人を超えるオーディションから抜擢された新人で今作が俳優デビュー作なんだとか。

この作品を映画化って・・・え、演奏どうするのー!!??
ですが、主要四人それぞれの演奏個性に沿って、著名なピアニストに演奏してもらうようです。
それぞれ、栄伝亜夜=河村尚子、高島明石=副間洸太朗マサル・カルロス・レヴィ・アナトール=金子三勇士、風間塵=藤田真央
そして、この組み合わせ(?)によるインスパイアードアルバムたるものが、それぞれの人物バージョンで2019年9月4日に発売されました。↓

 

映画「蜜蜂と遠雷」 ~ 河村尚子 plays 栄伝亜夜

映画「蜜蜂と遠雷」 ~ 河村尚子 plays 栄伝亜夜

 

 

上記した2017年発売の完全収録版とはまた異なるものですね。

こちらは各1枚3000円するので、4枚すべてコンプリートするとなると完全収録版よりだいぶお高い出費になる。こちらの方が各演奏者の個性が際立っているんでしょうけど。

 

三次予選での課題曲として出て来る、宮沢賢治の詩をモチーフにした架空の現代曲「春と修羅」は、映画では藤倉大さんが作曲しています。※インスパイアードアルバムにも収録されている。

それにしても、ほぼ音楽描写で成り立っている原作小説ですので、映画で表現するのはかなり難しいと思います。小説の前評判も「映像化不可能!」と謳われていましたし、著者の恩田陸さんも映画化のお話が持ち込まれたときは「映画化は無謀」というご意見・・・と、いうか、そもそも、「小説でなければ出来ないもの」というつもりで書いた作品だったので、驚きを通り越して呆れてしまったらしい。
“天才の演奏“だらけのこの作品、映画という形でどう説得力を持たせるのか、監督・石川慶さんがどのように演出するのか気になるところですね。

 

皇なつきさんによる漫画もあります↓

 

蜜蜂と遠雷 (1)

蜜蜂と遠雷 (1)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以下若干のネタバレ~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おもしろくない?
多くの人々に絶賛されて直木賞も受賞している今作ですが、ネットのレビューなどでは「つまらない」という意見もチラホラリ。検索候補にも「おもしろくない」と出て来ます。
どんなに傑作だと言われている作品だって100人が100人、皆が絶賛するハズもなく、注目作はそれだけ反対意見も出るものなので、ある意味人気がある証拠なのですが。
・・・・・・でも確かに、「つまらない」という感想があるのもわかるというか、納得できる部分が多々あるなぁとは私も読んでいて感じました。

 

ピアノコンクールの一次から三次予選、本選までを時系列通りに追っていくストーリーで、主要登場人物のコンテスタントは四人だけ。
ストーリー上、コンテストに勝ち進んでいかないと話が成立しないと読み手もわかってしまうので、ドキドキもハラハラもしないんですよね。「どうせ本選までいくんでしょ?」みたいな。
他天才三人と違い、明石だけは何処で落ちてしまうかわからないし、読者としても一番感情移入しやすい人物だったのですが、明石は二次予選という早い段階で落ちてしまうので、そこから先は読み手としても一気にトーンダウンしてしまう感じ。

 

音楽描写に重きが置かれていて、それがこの小説の持ち味であり、多彩な文章で演奏を表現しているのですが、結局一次、二次、三次予選も本選も「凄い!凄い演奏!!」という繰り返しなので、若干辟易してきてしまうというのが「おもしろくない」という感想を抱く一番の要因かな、と思います。凄い演奏をしていなければ勝ち進んでいけない訳だから、これはしょうがないことなんでしょうけど(^^;)。


また、今作を読んで他の漫画作品、ピアノの森」「いつもポケットにショパン」「のだめカンタービレなどを連想する人が多いようです。


ピアノの森」と「いつもポケットにショパン」は読んだことがないので何とも言えませんが、「のだめカンタービレ」に関しては、漫画もドラマもすべて観た身としてはクラシック音楽が題材というだけで他はまったく類似点はないように思います。
クラシック音楽が題材となると、どうしてもある程度設定は似ちゃうものなんじゃないかという気はしますけどね。

才能が問われる舞台だから規格外な天才を登場させて主軸にして、努力している面々、天才故の葛藤が描かれて、コンクールで取り組んできた成果が示される~っていう。


クラシック音楽に限らず、芸術を題材にしているものには大体このストーリー展開なのでは。奇抜な設定は不必要で、”どう描くか“で勝負している。


蜜蜂と遠雷』は「音楽を小説でどう描くか」ということに的を絞っているため、劇的な展開や山場を設けるのもあえて排除しているのではないかと思います。直球勝負の作品ですね。

とはいえ、私も登場人物達の掘り下げや葛藤はもっとあっても良かったのではと感じましたがね・・・。亜夜もマサルも塵も純真すぎというか、幼すぎるのではないかというのも気になりました。

 

 

 

 

タイトルの意味
蜜蜂と遠雷』というタイトルですが、「蜜蜂」は風間塵を指しているのだろうとは分かるものの、「遠雷」は何をいわんとしているのかが最後まで読んでもハッキリとは分からずじまいです。


作中での「遠雷」についての描写は、

塵は空を見上げる。
風はなく、雨は静かに降り注いでいた。
遠いところで、低く雷が鳴っている。
冬の雷。何かが胸の奥で泡立つ感じがした。
稲光は見えない。

と、いう部分のみ。


これを読むと、「遠雷」は”遠くから胸の奥を泡立たせる何か“といったボンヤリとしたイメージという印象。ホフマン先生のことを表しているのではないかという意見が多いようですが、どうなのでしょう。

 

今作では音楽は世界に、大地に、自然の中に元から溢れているものである。と、度々描かれています。

 

スターというのはね、以前から知っていたような気がするものなんだよ。

 

なんというのかな、彼らは存在そのものがスタンダードだからね。世の中には現われた瞬間にもう古典となるものが決まっているものがある。スターというのは、それなんだ。ずっとずっと前から、観客たちが既に知っていたもの、求めていたものを形にしたのがスターなんだね。

 

これはスターについて作中で語られていることなんですが。
新たに創り出したり産み出したりしているのではなく、元からあるものを発見しているだけ。
塵がホフマン先生と約束したのは「音楽を連れ出す」こと。狭い部屋から出して、外の世界に音楽を返す。本作の最後で、音楽は世界中に溢れている命の気配、命の予感であり、せっせと命の輝きを集める「蜜蜂」の羽音は命の営みそのものの音である、と出て来ます。
「蜜蜂」であり、「音楽」である塵は、その存在自体が起爆剤となり、周りの才能を刺激し、開花させる『ギフト』である。
推薦状を書いたホフマン先生の思惑を読み解くことが今作の主題なのかも知れませんね。

 


エンタメ作品としての愉しさは希薄かもしれませんが、音楽・読書にどっぷりと浸かりたい方は是非。

 


ではではまた~

 

蜜蜂と遠雷(上) (幻冬舎文庫)

蜜蜂と遠雷(上) (幻冬舎文庫)

 

 

 

蜜蜂と遠雷(下) (幻冬舎文庫)

蜜蜂と遠雷(下) (幻冬舎文庫)

 

 

 

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『狩人の悪夢』ネタバレ・解説 ファン必読の長編!

こんばんは、紫栞です。
今回は有栖川有栖さんの『狩人の悪夢』をご紹介。

狩人の悪夢 (角川文庫)

 

あらすじ
ミステリ作家の有栖川有栖は、人気ホラー作家・白布施正都と出版社の企画で対談をした際、京都・亀岡にある白布施の家、「夢守荘」に遊びにこないかと誘われる。なんでも、“眠ると必ず悪夢を見る部屋”があるのだとか。興味を引かれ、招待を受けてその部屋に泊まったアリスだったが、その翌日、かつて白布施のアシスタントが住んでいた「獏ハウス」と呼ばれる家で、右手首が切断された女性の死体が発見される。
第一発見者の一人となったアリスは、友人の犯罪社会学者・火村英生と共に事件の謎を追うが――。

 

 

 

 

 

 


タイトル
『狩人の悪夢』は【作家アリスシリーズ】(火村英生シリーズ)の長編。2017年刊行のもので、シリーズとしては近年の作品です。※シリーズの刊行順など、詳しくはこちら↓

 

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2019年9月29日に『臨床犯罪学者 火村英生の推理2019』単発スペシャルドラマで「ABCキラー」

 

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を放送直後にHuluで「狩人の悪夢」を原作としたドラマが配信されることが決定しています。

 

『狩人の悪夢』という、このタイトルだけで、長年のシリーズファンは読む前から何やら興奮すると思います。“狩る”“悪夢”など、このシリーズの探偵役・火村英生を語る上で欠かせない単語ですので、このタイトルから「ま、まさか、長年の謎だった火村自身の物語りが・・・!?」と、やにわに期待してしまう訳ですよ。


言ってしまうと、“そういう意味”での期待は肩透かしに終わるんですけど。私自身はタイトルに胸躍ったものの、読む前から“そういうこと”に関しては期待薄だろうという心構えでいたので大丈夫でしたが。「火村英生に捧げる犯罪」助教授の身代金」「鍵の掛かった男」など、タイトルの“あざとさ”には抗体が出来てしまったといか、そのままズバリの形態で書かないところが有栖川作品らしさだという気もする。

が!しかし!

この『狩人の悪夢』は【作家アリスシリーズ】としては火村・アリスコンビにとってはかなりの変化というか進展(?)がありますので、シリーズ重要作品であることは間違いありません。ファンならば必読の書です!


個人的に、角川から刊行の長編はシリーズ的に重要なものが多い印象。
『ダリの繭』

 

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『海野ある奈良に死す』

 

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『朱色の研究』

 

 

『狩人の悪夢』と、角川刊行の長編を順に読めば二人の友情の在り方の変化がわかりやすく感じ取れるのではないかと思います。

ミステリとしても派手派手しさはありませんが、有栖川作品らしさにあふれたロジックによるものですので必見。

今作は装丁が非常に良いですよね。

 

 

単行本ですとカバー下も凄いです。
この表紙デザインは『ブラジル蝶の謎』

 

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で火村が言われるセリフ、「あんたがハンター気取りの名探偵だってことだよ。犯罪者を蝶々みたいにコレクションして喜んでいる正義の味方か」を受けてのものだと思われます。

 

 

 

 

フィールドワーク!
今作は火村もアリスも犯罪捜査のフィールドワークをするのが半年ぶりだという設定になっています。二人が顔を合わせるのも半年ぶり。

読者としては、何だかもっと頻繁に会っていそうなイメージを勝手に持ってしまっていますが、二人とも社会的地位のある職に就いている成人男性なのだから、半年ぐらい友人と会う機会がないのは普通のことなんですよね。感覚が麻痺しちゃっているのだなと痛感(^^;)。
【作家アリスシリーズ】はシリーズ途中から「永遠の34歳設定」となっているので、具体的な経過期間を出されると「半年・・・」とか、ちょっと引っかかるものがあるのですが、元々時空が歪んでいるので気にしないことです。

 

“半年ぶり”であることがお話に結構影響を及ぼしていまして、久しぶりのフィールドワークなせいか、アリスのテンションが高め。「専属の助手やから」と、変な誇りをもって挑んでいます。今作で初登場の編集者・江沢鳩子(鳩ちゃん)が火村に情報提供をしているときに、"火村のフィールドワークの相棒は私なのだから、もっと発言しなくてはなるまい”とか胸中で意気込んでいるのが可笑しい。何の見栄なんだそれは。

 

火村にしても、アリスに「ずっとこの調子でうまくやってきたじゃないか」と言ったり、駅で会ったときの態度が無愛想だったと電話口で謝罪したりと大人の気遣い(?)をみせたりしています。と、思ったらキツ~いツッコミが飛んできたりするのでアレなんですけども。

 

 

 

狩人
火村は『ダリの繭』で自身にとっての繭(精神的な逃避場所)は何かとアリスに聞かれた際、
「学問にかこつけて人間を狩ることさ」と自嘲的な口調で答えています。

作中で火村は、殺人犯達は皆その瞬間や前後は“悪夢”を見ているような状態だと語ります。「私は、彼らが忘れた夢を思い出してもらう。その悪夢が実は現実だったと理解出来るように」

「人を殺したいと思ったことがあるから」という理由でフィールドワークを続ける火村。嫌なことからは遠ざかって過ごせばいいのに、わざわざ傷口をえぐるように犯罪現場に飛び込んでいくのは自傷行為的に思える。アリスが助手をしているのもそういった心配があるからなんですが。

 

この事件の主要人物の一人、ホラー作家の白布施の代表作「ナイトメア・ライジング」は他人の悪夢の中に入り込んで敵を狩っていくという物語りで、まるで火村を彷彿とさせるようなもの。悪夢ばかりみていたという白布施のかつてのアシスタント・渡瀬信也は事件を追ううちに前歴が明らかになるのですが、この前歴もなんとなく火村を連想してしまう感じ。


今作の事件は不測の事態続きでひたすら右往左往した、犯人にとっては正に悪夢のような出来事。人を狩った人間が見る悪夢ですね。犯人を表しているようでもあり、火村を表しているようにも取れるタイトルです。

 

 


悪夢
長年の友人であるものの、火村が抱えている秘密には今まで深く探らずにきたアリスですが、今作ではかつてなく火村が見る悪夢についてグイグイと切り込んできます。


『ダリの繭』で「答えたくなかったのだ。聞かなければよかった」と思っていたときから比べると、これはかなりの進歩!

菩提樹荘の殺人』

 

菩提樹荘の殺人 (文春文庫)

菩提樹荘の殺人 (文春文庫)

 

 

『鍵の掛かった男』

 

鍵の掛かった男 (幻冬舎文庫)

鍵の掛かった男 (幻冬舎文庫)

 

 

を経て、アリスも強気になってきているのか、婆ちゃんから体調の悪さが夢見に影響しているのではと聞いて心配になったからなのか、「どんな夢だ」「どこで、誰を殺すんだ」「健康診断を受けろ」「マグネシウムを摂れ」と、こんな調子で色々言い出してきます。
そして、これも今までは思いながらもハッキリとは言えていなかったことなのですが、
「事件現場に立つこと自体が影響を与えるんやったら、しばらく距離を置いてみたらどうや?」
と、提案もしています。

 

半年間ほどフィールドワーク(狩り)の機会がなかったことで火村はどうなったかというと、悪夢を見る回数が多くなってしまっていました。それを聞いて、アリスの心配は増してしまいます。
秘密を抱えていた故人・渡瀬に対しての白布施の証言、
『ずっと隠し事をしているのは、精神的に負担だったはず。打ち明けてくれたらよかったのに、そうしてもらえなかったのは僕の人徳のなさでしょう』
というのは、アリスの火村への心情にそのまま当てはまるもので、聞いていてさぞかしやるせなくなるだろうなぁと思う。良き友人だった渡瀬信也と沖田依子が事件を切っ掛けに疎遠になってしまうのとかも。


序盤で『朱色の研究』での事件について少し触れられているのですが、アリスはあの時はさらりと流していたものの、胸中では火村が夢の内容を自分にではなく、朱美ちゃんに明かしたことを意外と根に持っていたようです。どうせなら自分に明かして欲しいとか、明かしてくれるには自分は役不足なのかなぁとか、複雑な想いがあるのでしょうね。

 

 

 

 

 

以下、ネタバレ~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ゴースト
今作の謎解きはロジック攻めです。わりと難しいというか、説明を聞いて「なるほど!」というよりは、「な~るほ、ど?」って感じ(^_^;)。
第二の被害者の左手首を切断する理由が解りにくいんですよね。一旦納得はするんですけど、後から「え?そうかな?」とか思っちゃったりする。あと、調理用包丁で手首切り落とすの、結構大変なんじゃないかなぁと。ノコギリとかでないとキツくない?切ったことないんで分かりませんけど。
校閲が真相究明に大きく関わるのがミソ。この本が刊行される前に校閲を扱ったドラマを放送していたので、単なる時事ネタ的に校閲の話題を出しているのかと思いきや・・・ですね。

 

犯人は予想通りでしたが、アシスタントの渡瀬が白布施のゴーストライターだったというのは最後まで解りませんでした。

読み返してみると、思い至るのが自然なのかなという気はしますが、白布施があまりに堂々と作家然としていたので無意識に可能性を除外してしまっていたのかな。文章の模倣は実際には難しいという思い込みもあったし。白布施の場合は純文学からエンタメホラー小説に転向したというので、ジャンルが違いすぎてバレなかったということなんでしょうね。
で、最初の被害者の沖田依子は、渡瀬信也とかつては親友のような関係で、渡瀬に学生時代に「ナイトメア・ライジング」のオリジナルを読ませてもらっていたことからゴーストの事実に気づき、白布施の元を訪れたら殺害されてしまったという訳です。

 

アシスタントだった渡瀬信也には過去の事件から自分の名前を世に出すことが出来ない事情があり、白布施の名前で作品を出してもらっていたというのが実情で、渡瀬自身は白布施に感謝していたので、合作だったことを公表して欲しいと白布施に談判しにきた沖田は余計な横やり、無用なお節介をしたようにみえる。
しかし、個人的には沖田さんの気持ちはよくわかるんですよね。凄く同情しちゃいます。作者当人の思いと、ファン心理はまた別というか。

 

「(略)天国の彼は、沖田さんが下界でしたことを見下ろして、『僕には何の不満もなかったのになぁ』と思うてたかも。けど・・・・・・沖田さんはそれでは嫌やったんや。渡瀬さんのことが好きで、みんなに彼の才能を認めてもらいたかったから」

 

大切な友人が書いた、大好きな作品が他の人が一人で書いたことになっているのがどうしても納得出来なかった。たとえ本人が望んだことなのだとしても。

追求された白布施も、彼女の主張が正当で、渡瀬自身の希望を叶えてやっているのだとしても、自分が作家として許されない行為をしているという罪悪感があった。けど、純文学出身の白布施にとっては、「小説は独りで書くもの」という意識が強く、合作だと発表することは作家のプライドとして容認出来なかった。作家としての矜持は、自分自身がとうに裏切ってしまっているんですけどね。
そして、世間からの嘲りも恐ろしかった。自分が非難されて然りのことをしていると解っていたから。
かくして、白布施は沖田依子を殺害するに至ってしまう訳です。

 

 

 



解決編ですが、火村は途中から白布施への追求をアリスに丸投げしています。狩りが成功したのはアリスに助けてもらったからだと言うのですが、アリスは自分が貢献したとは気づいていない御様子。

「急所というより・・・・・・お前の矢には毒が塗ってあった。だから、白布施にとって致命的になったんだ」

この“毒”というのは、上記した沖田依子の思いとか、作家としての葛藤や罪悪感を、懐に入ってあやすように引き出したことかなぁと思います。本来もっていた、謝罪したい気持ちが毒のようにジワジワと全身に広がったんじゃないかと。
アリスのこの能力(?)は次作の『インド倶楽部の謎』でも発揮されていましたね。

 

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アリスのこういう部分って火村にとってもある意味毒で、誰よりも評価はしているんだけど、秘密を打ち明けられないのが申し訳ないというか、いたたまれない気持ちにさせているんだろうなと思う。

 

そして終盤、車の中での二人の会話が、もう・・・。


私、泣きそうになってしまいました。私だけかもしれないんですけど、長年のファンとしてはジワジワとくるものが。自分でも驚きでしたけどね、まさか本格推理小説を読んで泣きそうになるとは。ホントね、アリスみたいな友人は一生大事にしなきゃダメですよ、火村先生。

 

 

はて、今作ではさらに最後のビックニュースとして、アリスの担当編集者・片桐と鳩ちゃんとの結婚が発表されています。結婚式に出席してくれと二人に頼んでいるところで終わっていますね。

「永遠の34歳設定」ですが、このシリーズは不変ではなく、その都度変化し続けています。今回事象として大きな変化があったぶん、読者としては何かハラハラとしてしまう気持ちもありますが、今後の変化にも注目ですね。

 

なにはともあれ、おめでとう片桐さん。招待された結婚式で事件とか起きないのかなぁ~とちょっと期待してしまいますが(^^;)、どうなんでしょう。

 

 

 

狩人の悪夢 (角川文庫)

狩人の悪夢 (角川文庫)

 

 

 


ではではまた~

 

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『ABCキラー』あらすじ・解説 ドラマ前におさらい!

こんばんは、紫栞です。
有栖川有栖さんの【作家アリスシリーズ】(火村英生シリーズ)

 

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を原作としてドラマ化された『臨床犯罪学者 火村英生の推理』の新作が『臨床犯罪学者 火村英生の推理2019』と銘打たれて単発スペシャルドラマとして放送されることが決定しました。
この単発スペシャルドラマでは、原作の「ABCキラー」を映像化するとのことなので、今回はこのお話の詳細について紹介したいと思います。

※「ABCキラー」を放送直後にHuluで『狩人の悪夢』を配信するそうです。

 

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概要
「ABCキラー」講談社から刊行されている有栖川版【国名シリーズ】の第8弾『モロッコ水晶の謎』

 

 という短編集に収録されている一編で、ページ数は1000ページ程。
※【国名シリーズ】について、詳しくはこちら↓

 

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あらすじは、
安遠町(ANDO)で浅倉一輝(ASAKURA) が、別院町(BETSUIN) で番藤ロミ(BANNDO) が同一の拳銃で射殺される事件が発生。
その後、警察に
「アルファベットは26文字。手元の弾丸は26発。やってみよう、ためしてみよう。どこまで続くかは警察しだい。なるだけ早く止めてくれ。自分で自分が止められないから。まずはA、そしてB。いったい何人イケるだろう」
という、挑戦状のような手紙が届く。
そして、またC、D、と銃殺事件が起きて――・・・。


な、お話。

タイトルやあらすじから分かるように、このお話はアガサ・クリスティABC殺人事件

 

ABC殺人事件 (クリスティー文庫)
 

 

がモチーフになっています。講談社文庫が企画したアンソロジー『「ABC」殺人事件』

に寄せて書かれたものです。

 

「ABC」殺人事件 (講談社文庫)

「ABC」殺人事件 (講談社文庫)

 

 

今作のシリーズとして突出するべき点は、新聞記者の因幡丈一郎が初登場しているところです。火村とアリスがフィールドワークで警察の捜査に協力していることを嗅ぎつけ、ちょっかいをだしてくる人物で、今作以降ちょこちょこ登場するようになります。

あとがきでの有栖川さん曰く、「目下はちょい役での出演ばかりだが、忘れた頃に派手に暴れるかもしれないので~」とのことですが、大暴れしないままに今日までに至っています。因みに、この本が刊行されたのは2005年である。


「シャングリラ十字軍」と同様に少しだけ出して宙ぶらりんになっている事柄の一つですね(ドラマだとオリジナルでやっていましたけどね。酷いもんだったけど)。ま、そのぶん他の大事な部分に重点が置かれて書かれているのでシリーズファンとしては特に不満はないんですけど。


9月29日の単発スペシャルドラマで因幡丈一郎を演じるのは佐藤隆太さん。原作の因幡は色白で、肩幅の広い、がっちりとした、頭髪が薄くなりかけている男で、容姿の雰囲気は異なりますね。このドラマは最初っから原作とは違うところだらけなので今更ではありますが・・・。

公式サイトでの説明の感じだと、この因幡が不穏な事を火村に仕掛けてくるっぽい。原作だとひたすら滑稽な人って役回りなんですけどね(今のところ)。アリスに胸中で因幡の白兎”と綽名をつけられています。

 

あと、今作は広域捜査ということで火村・アリスコンビの大阪・京都・兵庫のそれぞれのお抱え(?)捜査班の面々が一堂に会して対面していますが、これはシリーズでは初めてのことです。

 

通り魔、愉快犯的事件内容ということで、作中では「絶叫城殺人事件」について多数の箇所で言及されています。

 

絶叫城殺人事件

絶叫城殺人事件

 

 

「絶叫城殺人事件」はドラマの第一話でやったお話ですね。

 

#1

#1

 

 

今回の新作に「ABCキラー」が選ばれたのもそういった事を意識してなのかもしれません。
「絶叫城殺人事件」と「ABCキラー」を読むとアリスが通り魔や愉快犯をひたすら嫌悪しているのがよく伝わってきますので、そこら辺も見所ですね。

 

もちろん、二人の掛け合いも通常運転で楽しいので必見。火村が「三匹の子豚の見立てが~」とか言うところがおかしいです(^^)。アリスから変な影響を受けている火村先生であった。

 

 

 

 

 

 

 

 


ABCで、殺人で
アガサ・クリスティの『ABC殺人事件』は本格推理小説で度々採り上げられる古典の一つ。

当初はこの「ABCキラー」、タイトルを「ABCD殺人事件」にしていたらしいのですが、編集部に赤川次郎先生に同じ題名の作品があります。しかも、うちの文庫から来月発売です」と言われて、「ABCキラー」に改めたんだとか。

※コレのことですね↓ 

ABCD殺人事件 (講談社文庫)

ABCD殺人事件 (講談社文庫)

 

 


当ブログで紹介した『連続殺人鬼カエル男』も「ABC殺人事件」が要素の一つとして使われています。

 

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それくらいに、いつの時代もミステリ作家がこぞって題材として使いたいモチーフなんですね。


今作の作中では因幡
推理小説の作家やファンにとって、ABC殺人事件というモチーフは魅力的なものなんですか?」
と、いう問いに対し、アリスは
本格ミステリというのは、すんでしまったことを掘り返すのが基本形ですから、時として現在進行形のスリルを欠いてしまう。不可解な法則どおりに進展する事件を描けば、それが解消する場合もあるわけで――」
と、返しています。


確かに通常の事件捜査ものというのは緊迫感が薄いものですから、恐怖を増幅させる、話を盛り上げるものとして“不可解な法則の殺人”は有効なのかと思いますね。

 

「本当に殺したかったのは被害者のうちの一人で、他の人間はカモフラージュのために殺された、というのが推理小説におけるABC殺人事件の定石や」


作中でのアリスの親切な解説で、正にその通りなんですが、私個人はミステリ作品で最後にこの真相を出されるのがあまり好きじゃないんですよね。私のみならず、皆が「ABC殺人事件」法則で腑に落ちないと思うであろうところは、火村先生が見事に代弁して下さっています。


「(略)精神的な負荷を感じないほど犯人の人格が破綻しているのだとしても、合理的な判断ができるのなら、警察に尻尾を摑まれるリスクが過大であることが判りそうなもんだ」

どんな人格破綻者だとしても、殺人は重労働で証拠を残すリスクはその度に発生する。それを、一件の事件をカモフラージュするために二件も三件も不必要な事件を起すだなんて、よっぽどの馬鹿なのか?もっとスマートでシンプルな方法があるでしょうよ。と、思う訳ですよ。

 

【作家アリスシリーズ】は語り手のアリスがミステリ作家だという設定を活かして、度々こういった本格ミステリの“お決まり”と、それについてのツッコミが描かれていて、この“メタ感”が醍醐味の一つ。
はて、ここまで作中で「ABC殺人事件」についてツッコミをしてしまって、果たして「ABCキラー」ではどんな真相を用意しているのかと気になってくる作りですね。

 

 

 

 

 

以下、結末について少~し触れているので注意。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

真相
今作の結末は重いものです。なんとも形容しがたい後味といいますか。マスメディアとか、事件を無責任に愉しんでいる視聴者だとかの恐ろしさというか。真相部分で判明する真のABCキラーは“愉快犯”という言葉がピッタリすぎる犯人です。

 

ドラマですと事件関係者の一人・花井雅子高橋メアリージュンさんが演じるらしいですが、ドラマのサイトに書かれている設定で結末を原作と同じにするなら、ドラマは原作以上に重い結末になりそうな予感。

 

今作での仕掛けはアイディアとしては良いなと思うし、新聞記者を話に絡ませてのラストの締めも、短編として纏まりがあってお話の完成度は高いと思うのですが、名前と町名との符合など、偶然に頼りすぎている感は否めません。

ま、その偶然も含めて“唆し”がより作用したということなのかともとれるのですが。しかし、運命の悪戯にも程があるってな気が。符合する理由のようなものが少しでもあれば、もっと納得出来たかなぁと思います。

 

しかし、トリック自体は「なるほど」と感服する“怖”さを孕んだものですし、古典ミステリ談義といい、絶妙な後味といい、有栖川作品らしさが存分に発揮されている作品で個人的にはかなりオススメの短編ですので、気になった方は是非。

 

 

「ABC」殺人事件 (講談社文庫)

「ABC」殺人事件 (講談社文庫)

 

 

 


ではではまた~

 

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