夜ふかし閑談

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鉄鼠の檻 ネタバレ あらすじ・感想

こんばんは、紫栞です。
今回は京極夏彦さんの鉄鼠の檻をご紹介。

文庫版 鉄鼠の檻 (講談社文庫)

百鬼夜行シリーズ】四作目です。

 

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最近、愛蔵版が刊行されましたね~。

通常書籍には使用しない印刷技術を駆使した永久保存版!京極さんの謹製・厄除け札、中禅寺秋彦が神主を務める「武蔵晴明社」の厄除け札、小説の舞台「明慧寺」の鼠除け札の二枚が挟み込まれていますっ!↓

 

鉄鼠の檻

鉄鼠の檻

 

 

たけぇぇぇぇ(笑)
そして、只今「三社横断 京極夏彦新刊祭」開催中。この『鉄鼠の檻 愛蔵版』と、新潮社の『ヒトごろし』

 

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角川の『虚談』

 

 

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の各単行本の帯についているパスワードを全て集めると、2018年11月30日までの期間限定サイトで百鬼夜行シリーズ】の書き下ろし新作短編が読めます。しかもその短編作品の内容は『ヒトごろし』『虚談』の二作品ともリンクする内容なんだとか・・・何それ?読みたすぎ!
私は既に『ヒトごろし』と『虚談』の二作は購入済みなのですが・・・『鉄鼠の檻』は講談社ノベルス版と文庫版と持っているからなぁ・・・あ~・・・悩んでおります(>_<)おのれ出版社め・・・!

※2019年4月に書籍化されました!詳しくはこちら↓

 

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あらすじ
「拙僧が殺めたのだ」
箱根の山道。盲目の按摩師・尾島佑平は獣道を慎重に歩いていたところ、行く手に何か遮るものがあるのに気がついた。どうも人が蹲っているようだと思った矢先、「それは、拙僧が殺した屍体だ――」と、告げる声が。尾島は盲目の己をからかっているのだと思うのだが、謎の僧侶はしつこく言いつのる。畏くなった尾島は慌ててその場から逃げ出し、駐在警官をともなって戻ってみたのだが、その場には何もなくなり、僧侶も姿を消していた。

その後、箱根・浅間山中の古旅館「仙石楼」の中庭に座禅を組んだ僧侶の屍体が突如出現する。密室状況ともいえる「仙石楼」の中庭。はたして屍体はどこからやって来たものか。古物商の今川雅澄、元医師の久遠寺嘉親、「明慧寺」の取材のため訪れていた中禅寺敦子と鳥口守彦らは容疑者として警察に拘束されてしまう。

同じ頃、京極堂店主の中禅寺秋彦と作家の関口巽は、細君らとともに、山中で土砂に埋もれて発見された土蔵の中の古書鑑定のために箱根湯本に訪れていた。
関口は湯本の旅館で、殺人を犯した僧侶と遭遇したという尾島の話を聞き、さらに“成長しない迷子”の怪異譚を耳にして――。

忽然と出現した僧侶の屍、山中駆ける振り袖の童女、埋没した経蔵、次々と殺害される僧侶達――これら箱根に起きる数々の怪異は、世俗と隔絶した古寺「明慧寺」へと繋がっていく。
京極堂は「明慧寺」に張られた“結界”を消失させることが出来るのか?

「勝ち負けで云えば僕は最初から負けている」

 

 

 


「クローズド・サークル」と「見立て殺人」
今作は箱根が舞台。箱根でのみのストーリー展開となります。
旅行だっ!ってことでテンションが上がる・・・のは私だけかも知れませんが(^^;)

百鬼夜行シリーズでは京極堂の座敷で話しが展開されていくパターンが主なので新鮮。「旅行に行かないかね」とか中禅寺に言われると「行く行く~」と、答えたくなる(笑)


箱根での事件なので木場が登場しないのが残念で寂しいところですが。


お話は箱根にある古旅館「仙石楼」と、謎の寺「明慧寺」での場面が主になります。登場人物達もこの2箇所を行ったり来たり。
“閉ざされた舞台”“見立て殺人”が起こるという内容なので、見方によってはミステリ的にオーソドックスな仕様。ですが、そこは百鬼夜行シリーズなので、やっぱり通常のクローズド・サークルものとは一味も二味も違います。京極さんの手に掛かるとド定番ミステリもこのようになるのだなぁと感心。

 

 


登場人物
今作で登場するシリーズお馴染みキャラクター達は以下の通り
中禅寺秋彦(京極堂)
榎木津礼二郎
関口巽
●中禅寺敦子
●鳥口守彦
●今川雅澄(待古庵)
●益田龍一

今川と益田が今作で初登場(益田は実は『魍魎の匣』のときに捜査員の中にいたようですが)。これで百鬼夜行シリーズの主要キャラクターはほぼ出揃った感があります。


今川は伊佐間と同様、戦時中は榎木津の部下だった男。台詞の語尾に「なのです」がつくのが特徴なのですが、この口調が読んでいると何だか面白いというかカワイイ。榎木津はいつも今川のことを「マチコ」と呼びます。これも何だかカワイイ(笑)


益田はこのときまだ刑事さんです。お調子者の気安い刑事って感じですね。益田はこの事件をきっかけに、ある意味大きく道を踏み外すことになるんですが(^^;)それはシリーズ読み進めてのお楽しみで。
この時点で鳥口とは大分気が合いそうですね。↓
「益田君。そう云うことを軽々しく民間人の前で口にするのは問題だよ。人権侵害だ。捜査上の秘密厳守は警官の原則でしょう」
京極堂はいつもの調子で云ったのだが、益田はきつく叱られたと思ったらしい。
「も、申し訳ない。ど、どうも口が軽い」
「解ります」
鳥口が大きく頷いた。

 

鉄鼠の檻』はシリーズ第一作目の姑獲鳥の夏の後日譚との位置づけも出来ます。

 

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姑獲鳥の夏』は久遠寺医院が舞台のお話ですが、そこの院長だった老医師の久遠寺嘉親が『鉄鼠の檻』で再登場します。久遠寺家の人々は箱根での定宿を「仙石楼」としており(ここの部分の説明もちゃんと『姑獲鳥の夏』で書かれていますよ~)、姑獲鳥の事件で家族を全て失った久遠寺翁は家を引き払い、前の年の暮れから「仙石楼」に逗留中なのです。
この久遠寺翁、『姑獲鳥の夏』ではほんのチョイ役での登場だったのですが、今作ではガッツリと登場。良い味出している勇ましいお爺さんです。
久遠寺翁がいることで、姑獲鳥の事件を想起して関口が悶々としたりします。(四作目ともなると関口の苦悶にも慣れっこになってきますけど^^;)
実は久遠寺翁だけでなく、今作では姑獲鳥での重要人物がもう一人登場。ここら辺は是非読んでお確かめ頂きたい。
いずれにせよ、『姑獲鳥の夏』を先に読んだ方が『鉄鼠の檻』を楽しめるのは間違い無いです。まぁどんなシリーズものも刊行順に読むのが良いのは当然ですけどね。

 

 


以下がっつりとネタバレ~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


お坊さんだらけ
作中、榎木津が
「どうにも坊主が多過ぎるなあ。区別がつかない。坊主が坊主を上手に殺したなんて――僕の趣味じゃないんだがな」
と、云っているように、『鉄鼠の檻』はとにかくお坊さんだらけ。被害者がお坊さんなら犯人もお坊さん。

百鬼夜行シリーズは宗教を扱っているお話が多いシリーズですが、その中でも今作は宗教色がかなり強め。ミステリ小説というよりは“禅の思想”をモチーフにした小説という印象です。そのせいか、『鉄鼠の檻』は前作までの三作を凌駕する分厚さですが“憑き物落とし”にあたる真相部分は他作品よりページ数は少なめです。
いつものウンチクも「禅」と「悟り」についてが中心で、読むととにかく禅宗に詳しくなれますぞい。結構、仏教に対して思い違いしているなぁって気付かされるところが多くって、読んでいると「へ~」の連続ですね。

 

「禅」は他宗教と違い“言葉”を否定する宗教。言葉を操り蠱物を繰り出す陰陽師である京極堂には、“今度ばかりは勝てる訳がない”
しかし、僧侶殺害が相次ぐ中でも「明慧寺」の僧侶達は“檻”に囚われているかのように山から降りようとしない。いつも以上に腰が重かった京極堂も状況を見かねてやっとこさ、動きだす。
憑き物落としの黒装束に着替えて関口に云います。


「行くよ。結界に結界張るようなややこしいことはやはりいけないんだ」
「勝算はあるのか!」
「勝ち負けで云えば僕は最初から負けている」


と言い放ち、明慧寺の扉を開けて京極堂による“結界破り”が開始されます。


ここら辺のやり取りはまるでアクションものみたいで何だかワクワクしますね~。この後のやり取り、関口の「馬鹿云うな。君ひとりに行かせるか――」や、榎木津の「京極だけじゃあ荷が重かろうと思ってね。わざわざ待っていてやったのだ――有り難く思え」など、普段はあまり表立っては出て来ない友情が感じられて良い。


特に榎さんは他にも色々友達思いなところが。珍しく謎解き披露したり、説教したり、迷える人々に影響をあたえてたりだので、今作ではかなりの大活躍ですよ~(^o^)


あと、京極堂の妹・敦子の意外な悩みも少し触れられています。敦子って「ちょっと優等生過ぎる気が・・・」と、第一作から思っていたのですが、まさかそれが本人の悩みだとは・・・。思った以上にお兄さんの存在が大きいんだなぁ~と。ちょっと驚き。

しかし、ここでの一番の驚きは京極堂が旅先に憑き物落としの黒装束持ってきていたことだったりする(笑)

 

 


振り袖娘・鈴子
鉄鼠の檻』は上記のようにお坊さんだらけだし、犯行も滑稽さが漂って猟奇的なものではないしで、百鬼夜行シリーズ独特の耽美で妖しい雰囲気は薄めですが、“成長しない迷子”こと、振り袖の童女の存在は何とも百鬼夜行シリーズらしいです。
この山中で突如出現する謎の振り袖娘、「明慧寺」で面倒をみている少女・鈴らしいと解るんですけど、土地の人が云うには13年前にもまったく同じ姿で目撃されている。
で、話が進むにつれ、この鈴は13年前に火事で行方不明になった少女・“鈴子”が産んだ子ではないかといった流れになる。
しかし、実は「成長しない迷子」はその名の通り、成長していない鈴子そのもの。
ストレスなどで成長が止まってしまうというのは実際にある現象みたいですね。金田一少年でも金田一少年の決死行』でこの現象を扱っていますね↓

 

 

 

いやぁ、ここの真相が解る部分、怖いです!当事者の状況を考えるとかなり。「う、うわああああ」と叫び声を上げるのも納得・・・と、いうか私も一緒に悲鳴上げちゃうよって感じ(^^;)

 

 

 

慈行
美形の僧侶、「和田慈行」ですが、終盤に関口が

「そうだ。なあ京極堂、和田慈行は――何で嘘を吐いたんだろうな」
「嘘?」
「夜坐していたのが常信さんかどうか判らなかったとか云ったんだろう。本当は必ず判る筈なのに」
「ああ」
京極堂は連れない声を出した。
「あの人――慈行さんにはきっと本当に判らなかったんだよ。あの人は――」
そしてそこで黙った。

と、まぁこんな具合にぼかされている。


ううむ。榎木津の慈行に対する「あの坊主は何も中身がない」「お前みたいな空っぽ」「子供の癖に」などなどの発言と、京極堂「あんたは禅など学んでいない。修行などしていない。禅の言葉を学び禅の戒律を修しただけだ。伝えられた心がないんだ!誰からも心は伝わらなかったか!」との発言から考えるに、“カタチだけ”の慈行には判る・判らないとかそういったこと自体が“無かった”というか・・・う~ん。いずれにしろキチンとした説明は出来ないですねぇ。


終盤、慈行は自ら「拙僧は中身なき伽籃堂。ならば拙僧は結界自体なり!」と云っています。
結界自体だった慈行は、京極堂の“結界破り”によって崩れてしまい、とち狂って「明慧寺」に火を放ち全てを消そうとするのでした。

 

 


犯人
この長編小説は「拙僧が殺めたのだ」の一言から始まります。
「え?お坊さんが殺人?」と、思いますが、後に続く事件ではお坊さんばかりが殺されていく。お坊さん同士で何をやっているんだ?って感じですが、最後に解る真相もお坊さんだからこそといったものです。
京極堂は犯人が盲目の尾島に語った「所詮漸修で悟入するは難儀なことなのだ」の一言からだけで犯人を見抜きます。犯人はこれを聞いて「見事。見事な領解である!」と感心するんですが、この“見事な領解”も、犯人の犯行理由も、真相部分より前にある膨大な「禅」と「悟り」についてのウンチクがなければ読者は飲み込むことが出来ません。

もともと「禅」は言葉を否定する宗教。『鉄鼠の檻』が前の三作品を上回るページ数なのも、本来言葉では語れない「禅」を読者にわかりやすく提示する為。無駄に長い訳じゃないんだよと(←ここ重要)


と、いう訳で、大まかな部分は真相部分より前にほぼ説明されているので、犯人の告白もこれ以上無い程アッサリとしたものです。
「あんた犯人か!」と、聞かれて、
「はいはい。左様にございます」
と、すぐに認めちゃいます。ちょっと笑っちゃうぐらいのやり取りですね。

 

 


鉄鼠の檻』はシリーズの他作品に比べると一気読みするというよりは“連ドラ”的に楽しむって要素が強いと思います(一気読み出来るならそれに越したことは無いですけどね~)長いですが、キャラクター達のやり取りや「禅」について勉強しつつ、楽しみながら読んで欲しいです。繰り返し再読するのもオススメ。

 

※漫画や電子書籍もあります↓

 

 

 

 

 

ではではまた~