夜ふかし閑談

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『砂の器』原作小説・映画・ドラマ・・・違いを解説。意外とおかしい(?)松本清張の有名作~

こんばんは、紫栞です。
今回は松本清張砂の器について色々とまとめたいと思います。

砂の器 デジタルリマスター版

あらすじ
東京・国電蒲田操車場で男の扼殺死体が発見される。死体は線路を枕に仰向けに寝かされており、顔は判別が付かぬほどに潰されていた。
聞き込みにより、蒲田駅近くのトリスバーで被害者と思われる男と連れの客が話し込んでいたことが判明するが、被害者が東北訛りのズーズー弁だったこと、連れの客が「カメダは今も相変わらずでしょうね?」という言葉を発していたこと以外にめぼしい情報は得られず、捜査は被害者の身元も犯人と思われる連れの客の正体も見当がつかぬ八方塞がりとなる。
捜査本部は当初「カメダ」は人名だろうと広範囲な捜査を開始するが、ベテラン刑事の今西栄太郎は「カメダ」は地名で、秋田県にある「羽後亀田」近辺を指しているのではないかと指摘。若手刑事の吉村弘と共に彼の地に捜査に訪れるが、付近をあやしい男がうろついていたとの情報はあったものの、それ以上に有力な情報は得られずに捜査は芳しくない結果に終わった。

その後の必死の捜査も空しく、捜査本部は解散。だが今西は諦めきれず、他の事件の合間をぬって執拗に事件を追い続ける。今西の独自の調査によって少しずつだが捜査は進展し始めるが、事態を混乱させるように第二、第三の事件が発生し――。

 

 

 


時代をこえて話題になる名作
砂の器』は1960年~1961年にかけて新聞連載され、同年に光文社から刊行された長編小説。『点と線』

 

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ゼロの焦点などと同様、数ある清張作品の中でも特に著名な作品で各時代に何度も映像化され、その度に話題になる有名作です。
私は新潮文庫版で読んだのですが、上下巻にわかれていて2冊とも400ページ程あるので結構なボリュームの長編小説ですね。

 

砂の器(上) (新潮文庫)

砂の器(上) (新潮文庫)

 

 

本格推理小説と銘打たれていますが、探偵役が鋭い洞察と驚きの閃きでバーンと解決するといったものではなく、ベテラン刑事がわずかな手がかりから、とにかく足を使って粘り強い捜査をしていくことで少しずつ、確実に、真相が明かされていくといった実直な犯罪捜査ミステリ。それだけではなく、事件の根底・背景には深刻な社会問題が描かれているといった清張作品ではお馴染みの社会派ミステリでもあります。
方言に基づく捜査とハンセン病(作中では癩病と表記されています)が扱われているのが作品の特色で印象的な点ですね。

 

 

 

 

 

以下、犯人についてのネタバレあるのでご注意~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


映画・ドラマ
砂の器』は今までに映画が一本、テレビドラマが五本制作されています。そして今月、2019年3月28日にはフジテレビ開局60周年記念の単発ドラマとして放送が決定います。

映画
1974年 松竹株式会社・橋本プロダクション

 

砂の器 デジタルリマスター版
 

 

●今西栄太郎-丹波哲郎
●吉村弘-森田健作
●和賀英良-加藤剛

 

ドラマ


1962年 TBS系列(全2回)

●今西栄太郎-高松英郎
●吉村弘-月田昌也
●関川重雄-天知茂
●和賀英良-夏目俊二

 

 

1977年 フジテレビ系列(全6回)

 

砂の器 [DVD]

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●今西栄太郎-仲代達矢
吉田弘山本亘
●関川重雄-中尾彬
●和賀英良-田村正和

 

1991年 テレビ朝日系列(全1回)

 

砂の器 [VHS]

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●今西栄太郎-田中邦衛
●吉村弘-伊原剛志
●関川重雄-船越英一郎
●和賀英良-佐藤浩市

 

2004年 TBS系列(全11回)

 

 

●和賀英良-中居正広
●成瀬あさみ(ドラマオリジナルキャラクター)-松雪泰子
●関川-武田真治
●今西-渡辺謙

 

 

2011年 テレビ朝日系列(全2回)

 

 

●吉村弘-玉木宏
●山下洋子(ドラマオリジナルキャラクター)-中谷美紀
●今西栄太郎-小林薫
●和賀英良-佐々木蔵之介

 

 

放送予定
2019年 フジテレビ系列(全1回)
●今西栄太郎-東山紀之
●和賀英良-中島健人
●本浦千代吉-柄本明

 

こうやってみると、どの作品もそうそうたるメンバーが出演されていて驚きますね。

映像化作品が云々以前に、砂の器』という作品自体がここまでの有名作になっているのは1974年の映画の功績が大きいようです。その後のテレビドラマ作品は設定などをみると原作以上に映画の影響を強く受けている印象ですね。
今回原作を読み終わってこの記事を書く為に色々調べていたのですが、どこでも事あるごとに「とにかく映画を観ろ」という記述が散見していたので「そんなにアレなら観てみようか」と、気軽な感じでレンタルしてきて観たのですが、あまりにも良すぎる。

 

<あの頃映画> 砂の器 デジタルリマスター版 [DVD]

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「名作とはいっても原作読んで筋知っているし、かなり昔の作品だし、楽しめるかな~」とか観る前は侮っていたのですが、感動して泣いてしまいました。

ラストの40分、「宿命」という組曲が演奏される中で犯人の幼少期の回想がセリフ無しで流され、描かれる部分が圧巻です。かなり大胆な脚本ですが、原作を損なうことなく良作に仕上がっている映画だと思います。その後のドラマ作品が影響を受けるのも納得ですね。「宿命」もシネマコンサートがされる程の名曲です。

私はリアルタイムで見ていたのは2004年の中居正広さん主演の連ドラと、2011年の玉木宏さん主演の単発ドラマですが、この時原作は未読でした。他作品は未視聴か観たとしても記憶に残ってないかですね(^_^;)

 

中居正広さん主演の連ドラの印象が強かったので、原作もてっきり倒叙形式のお話なんだと思っていたのですが(清張作品は犯罪者が主役のものが多いですし)、連ドラでは犯人視点をメインに作り替えがされていたということなんですね。
2011年の玉木宏さん主演のものは時代設定は原作のままですが、原作の今西刑事から若手刑事の吉村弘視点に変更されています。「なんで吉村君視点?」と、原作読んだ今としては思いますが、散々映像化されている作品だから新しい視点で描いて他作品と差をつけようって目論みだったのではないかと。テレビ朝日は清張作品をよくやっているイメージですね。

 

両作品とも、視点を替えているだけあって原作とは違うオリジナルキャラクターが登場したり、設定も大幅に変更されていますが、コレはコレで原作とは別で愉しめる作品になっていると思います。

2019年版は公式サイトによると、現在設定で事件はハロウィーン当日の渋谷なんだとか。「ハ、ハロウィ~ン?何故?」って感じですが・・・どうなることでしょう。他設定は原作よりも映画版の方に全面的に寄せていますね。

『点と線』ゼロの焦点は映像化するにしてもお話の都合上、原作の時代設定のままで展開されるものが殆どですが、『砂の器』は映像化の度に時代設定を現在に変更されているものが殆どとなります。

 


原作と映像化作品との違い
上記の映像化作品ですと和賀英良が犯人である前提が最初っから示されているものが殆どで、そういった犯人心理を描くお話なんだと思われている方も多いでしょうが(私がそうでした)、原作はこの前提部分がまず違います。


原作の大まかな流れは・・・
遺体が発見され「東北訛りのカメダ」を唯一の手がかりとしての警察の捜査が今西刑事視点で延々描かれる。
→合間合間に“ヌーボー・グループ”なる新進芸術家達の集団の一人である関川重雄の動向が描かれる。
→第二第三の事件が起き、ついには関川の愛人で妊娠していた三浦恵美子も流産の果てに死亡する。
→今西は被害者が立ち寄った映画館で加賀英良の写った写真を発見する。
→今西が捜査会議で捜査の末判明した加賀の本名と素性を説明。加賀を犯人として逮捕状を請求する。
→渡米のため皆に華々しく送り出された和賀だが、空港で逮捕状を突き付けられ、今西、吉村の手によって連行される。

完。

と、いった流れでして。小説の大部分は今西の視点で描かれており、思わせ振りに愛人とのやり取りなどが挿入されている関川重雄が犯人であるかのように読者をミスリードしますが、結果的には関川が度々意識して陰口を叩いていた加賀英良が犯人でした。と、いう読者の意表を突くストーリー展開となっています。

 

映像化作品ですとそもそも関川重雄とその周辺人物自体がカットされ、原作にあるようなミスリードの手法も放棄されていることが多いです。
映像化作品と原作でなぜこんなに乖離しているのかというと、やはり1974年の映画の存在が大きいと思われます。

原作は長大作ですので、映画の時間内で全ての内容をやるのは不可能。原作ではほんの数行書かれているだけの加賀の過去「父・本浦千代吉との遍路の旅路」を主軸にお話は作り替えられ、簡略化されて、映画として観るのに最適でストレートな構成になっています。なので、この映画では話を複雑にしている新進芸術家集団・“ヌーボー・グループ”や関川重雄は登場せず、第二第三の事件もカット。あくまで「東北訛りのカメダ」を手がかりにした今西刑事の捜査過程と、和賀の動向のみが描かれています。

 

“不運な境遇から脱却しようともがき、虚構を作り上げて必死の思いでやっと成功をつかみかけている人間が、突如現われた“過去”を葬るために殺人を犯してしまう“といったテーマが創作意欲をかき立てるのか、映画の後続作品は和賀の生い立ちを色々な角度から突っ込んで描写しようと試みられています。

 

 

 

 

 

以下、さらに突っ込んだネタバレ~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ハンセン病
原作での加賀の犯行理由というのは、ハンセン病を患っていた人間の息子だという過去を葬り去るためのもの。自分が「本浦秀夫」だった頃のことを唯一知っているかつての恩人を、秘密を守るために殺害してしまいます。
今でこそ“ハンセン病”“癩病”と言われてもピンと来ませんが、かつてこの病気は「業病」(前世の悪行の報いでかかるとされた病)とされ、隔離されたり村八分にされたりと酷い差別を受けていました。家族にハンセン病患者がいるというだけで差別の対象にされたのです。
加賀(本浦秀夫)の父・本浦千代吉ハンセン病になり、妻に離縁され、村を追われ、引き取った六つの息子・秀夫を連れて信仰をかね、遍路姿で流浪の旅に出ます。
旅の途中でこの親子の様子をみかね、巡査だった三木謙一は千代吉を病院に入れ、秀夫を引き取って育てようとするものの、秀夫は三木の元を飛び出して行方知れずに。その後、戦中のどさくさを利用して偽の戸籍と「加賀英良」という名前を手に入れ、前衛音楽家となります。名声を得、政治家の娘との結婚も決まり、順風満帆だったところにかつての恩人・三木が現われ、偽の経歴と今の名声を守るため殺害するに至るという訳です。

 

原作は本当にこういった事実が今西の口から捜査会議で説明として語られるだけで、父親の本浦千代吉も既に死んでいる設定であり、三木はただ昔を懐かしんで訪ねてきただけとなっていますが、映画だと千代吉がまだ生きていて、三木は秀夫と父親をどうしても会わせたいと躍起になっていたため殺害されたことになっています。
原作と違い、映画は遍路の旅路の最中、差別に晒される中での親子の絆がこれでもかと描かれ涙を誘ってくるため、この殺害動機の微妙な違いが深々と心に突き刺さってきます。
慕っていた父との過去を自分の名前と共に捨て、過去を振り切るために虚構でも虚しくとも成功に向かって突き進んでいくしかなかった和賀にとっては、父に会うことはどうしても避けなければいけないことだった。たとえどんなに会いたくとも。
しかし、このような和賀の心情は三木のように何よりも情を重んじて生きてきた人間にとっては理解出来るものではなく、悲劇が起こってしまう。なんともやるせない話ですね。
原作には無い千代吉の登場シーンでの、和賀の写真を見せられ秀夫の面影を見つけるも秀夫を庇うために「こんな男は知らない」と泣きながら言うところと、最後に今西刑事が「彼はもう音楽の中でしか父親に会うことは出来ないんだ」と言うのがなんとも悲しい。

 

こういった感動ややるせなさは“ハンセン病患者の苦悩と差別”という点をなくしては成立しないと思われますが、映画以外のドラマ作品ですと、この千代吉のハンセン病設定は全て変更されてしまっています。
ハンセン病はデリケートな部分を多く孕んでおり、特効薬が出来て完治する病気となっても作品で扱うのはどこかタブー視されているようです。原作で事件背景として取り入れたのも当時は大きく話題になり、映画化のさいも抗議の声が上がったのだとか。そのため、ドラマ作品ではどれも設定が変更になってしまうんですかね。まぁ、現在設定だと病気をしてお遍路しているというのは時代にそぐわないので、変更は当たり前かなとも思いますが。(今度の2019年版もおそらくハンセン病の設定は変更されているんじゃないかと思います)
しかし、変更のために千代吉が犯罪者で逃亡していた設定にされるのは原作や映画を知る人間からするとやっぱり釈然としませんね。

 

ドラマの設定変更に対しての抗議や、原作や映画に対しても「ハンセン病が表面的にしか描かれていない」とのコメントも結構見ますが、『砂の器』は別にハンセン病を描こうとしている作品ではなく、あくまで当時の社会事情として取り入れているだけなので、あんまり声高に病気のことばかり指摘するのは何か違うかなとも思います。

 

 

おかしい
実はこの小説、結構おかしい点というか、何がしたいんだかよく解らなくってご都合主義なところが多いんですよね。
まず、犯行時に着ていた血の付いたシャツの処分を愛人に頼むのですが、この愛人、どうやって処分するのかというとシャツを細かく切って紙切れみたいな状態にして汽車の窓からばらまくんですよね。で、その様子を新聞のコラムに書かれて、その記事を読んだ今西が線路を歩いて探し回り、やっとの思いで血痕が付いたシャツの切れ端を発見するという流れ。


シャツの処分を愛人に頼むのも変ですし、そんな処分の仕方をすること自体がかなりおかしい。美人が汽車の窓から紙切れのようなものをばらまき、それが風に散って紙吹雪となるというのは、画を想像するとなんとも情緒的ですが、ちょっとロマンチストが過ぎる。この愛人はそういう感傷的なことがしたい気分だったってことなんですかね?複雑な心境に陥っている愛人に証拠隠滅なんて頼むべきじゃないとつくづく感じますね。


今西も今西で、どうしてこの記事を読んで事件と関係しているのではないかと疑うのか甚だ疑問。この記事を読んで「愛人が証拠を処分したんだ!」なんて発想に、何故、なるのか。

今西の妹のアパートに引っ越してきた女性が犯人の愛人なのではないかと結びつけるのも、どこをどう結びつけてそんな考えに行着くのか解らない。そもそも、何でまた都合良く越してくるのか。

直感が鋭いとかを通り越して、霊能者なんじゃってな勢いです。

 

第二第三の事件ですが、前衛音楽家である和賀が技術を利用し、超音波を聴かせて心臓が弱い人間や妊婦を死に追いやるといった奇抜な方法で殺害しています(妊婦は関川の愛人で、関川に頼まれて流産させようとしたら結果的に死んでしまったのですが。関川、本当に酷い男だなぁ)。
コレがですね、読んでいると「なにか変なこと言い始めたぞ」と、当惑してしまうんですよね。「どうした??」と。まぁ超音波聴かされ続ければ具合も悪くなるでしょうけど・・・・・・う~ん(^^;)
最新技術を駆使しての犯罪というのを盛込みたかったらしいですが、第一の事件の「カメダ」の情報だけを頼りにした今西刑事の足を使ったクラシカルな捜査と、このハイテク(?)な方法の第二第三の事件はかみ合わなすぎてどうしても異質に見えます。第二第三の事件があるせいで犯人の和賀にも同情出来なくなりますし、やるなら別作品にすれば良かったのに・・・と素人ながら思ってしまいます。

 

映画は原作でのこういった不自然な部分がほぼ無しになっている構成ですね。超音波云々が無いので、和賀の職業は原作の前衛音楽家からピアニストの作曲家に変更されています。映画以降のドラマ作品でも超音波云々は省かれ、和賀の職業も映画の設定を引き継いでピアニストになっていますね。まぁ、その方が感動や共感は得られやすいですからねぇ・・・。

 


意欲作
話の纏まりが良く、感動するのは原作よりも映画の方ではありますが、原作は感動させることが目的の物語として書かれているものではないので、この違いは当然のものです。

原作は非常に意欲的な小説だと思います。当時実際にあった前衛芸術集団をモデルに“ヌーボー・グループ”を登場させて皮肉ったり、最新技術の装置をトリックに使ったり、きわどい題材を動機に盛込んだり。今までにない小説を書いてやろうという著者の意気込みを感じますね。

 

個人的に映画観て感動したばかりなので、なんだか映画の事ばかり書いてしまいましたが(^_^;)
原作も勿論面白いです。今西刑事の、前進したと思ったら振り出しに戻るもどかしい捜査で少しずつ解っていく真相、予想がつかない展開と、二転三転する事実などなど、長大な作品ですが最後まで飽きずに読ませてくれる名作ミステリです。

 

まずは小説と映画の両方に触れて違いを楽しみ、気に入ったなら他のドラマ作品も観て・・・と、楽しみを広げていって欲しいです。『砂の器』というタイトルの意味も読みながら、観ながら、想いをめぐらして感慨に耽るのが良いかと。タイトルの意味がより強調されているのはやっぱり映画の方ですかね。※ちなみに、原作では映画のように物理的に砂で器を作るシーンは出て来ません。

 

とにかく、小説と映画は必須!

 

 

砂の器(上) (新潮文庫)

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砂の器 デジタルリマスター版
 

 


ではではまた~

 

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