夜ふかし閑談

夜更けの無駄話。おもにミステリー中心に小説、漫画、ドラマ、映画などの紹介・感想をお届けします

『私の頭が正常であったなら』8編 あらすじ・感想 失った者たちの奇談集

こんばんは、紫栞です。

今回は山白朝子さんの『私の頭が正常であったなら』をご紹介。

 

私の頭が正常であったなら (幽BOOKS)

『私の頭が正常であったなら』は2018年に刊行された短編集。2021年1月に文庫版も発売されました。文庫版だと宮部みゆきさんの解説が収録されているようです。

 

私の頭が正常であったなら (角川文庫)

私の頭が正常であったなら (角川文庫)

 

 

 時代小説である和泉蠟庵の道中記『エムブリヲ奇譚』『私のサイクロプスの2冊はシリーズ物ですが、『私の頭が正常であったなら』はノンシリーズの短編集。

ノンシリーズの短編集は2007年に刊行された『死者のための音楽』

 

死者のための音楽 (角川文庫)

死者のための音楽 (角川文庫)

 

 

以来、2冊目の短編集で、山白朝子個人名義の本としては4冊目。

 

「山白朝子」は作家・乙一さんの別名義。

 

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主に怪談雑誌『幽』で書くときに使われる名義なため、山白朝子での作品は奇談短編が大半となっています。怖いだけでなく、どこか哀しさがある作風が特徴。(中田永一名義だと青春・爽やか系が多い)

本の帯に中田永一氏絶賛!」と書かれているのは、いつものお遊び。

 

※各名義での合同本もあります↓

 

結構前に単行本で購入済みだったんですけど、読まずに放置してしまっていました(^^;)。今回やっと読んだので、あらすじや感想をまとめたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目次

全8編。いずれも何かを失った者たちによる、“喪失”の物語り“となっています。

 

●世界で一番、みじかい小説

突然、不気味な男の幽霊が見えるようになった夫婦のお話。

二人そろって怖がるのかと思いきや、慌てる旦那とは対照的に、ガチガチの理系頭である妻は「ただの心霊現象だから」と、落ち着き払っている。それどころか、幽霊相手に実験をしてみたり、観察をして記録をとるだのと妙な具合に。心霊現象の再発防止のため、幽霊の身元捜しを科学的に、論理的に試みるという趣向の短編。一風変わった推理モノですね。

“世界で一番みじかい小説”というのは、「For sale: baby shoes, never worn」。直訳で、「売ります:赤ちゃんの靴、未使用」という、たった六つの言葉で成立している小説。ヘミングウェイが執筆したものだとされることが多いらしいですが、もっと古くから似た文は存在しているらしく、正式な作者は不明。

突き止めた真相は恐ろしいものでしたが、出産前に子どもを失った夫婦にとっては、ちょっとした救いとなるもたらすものとなっている。

 

 

 

 

●首なし鶏、夜をゆく

叔母から虐待を受けているクラスメイトの少女が、首のない鶏を飼っているのを偶然知った主人公。少女の叔母に見つからぬよう、二人で首なし鶏を世話し始めるが――な、お話。

まずコレ、首なし鶏にビックリしてしまった。1940年代のアメリカで、首をはねられた後18ヶ月間生存していたとかで、「首なし鶏マイク」として世間や生物学者を騒がした有名な出来事らしい。私は全く知らなかったので、思わずネットで調べたら写真が出て来て驚いた(^_^;)。

 

最初はおかしなタイトルでコメディかななんて思いましたが、内容は怖くて哀しく、やりきれない気持ちになる。

 

 

 

●酩酊SF

彼女が酩酊し、意識混濁しているときに過去や未来が混濁して見えていることに気が付いたカップル。彼女のこの能力を利用して何とか金儲け出来ないものかと男は考えるが――な、お話。

深酒することにより、意識と一緒に時間も混濁するというアイディアが面白い作品。このような、“ちょっとした特殊能力・現象”のお話は乙一の十八番ですね。ページ数が限られているのを逆手にとり、登場人物が超即決だったり、ナチュラルにダメ人間だったりするのを、あえて簡素な説明ですまして可笑しみをだすのもまた乙一的。

ある人物がとても気の毒なことになっている。その後の人物たちの事を考えると空恐ろしいお話。

 

 

 

 

●布団の中の宇宙

長年のスランプ状態で妻子に出て行かれた小説家。金欠のため、中古の布団を買うが、その布団で寝る度に足先に何かが触れる感覚に陥るようになる。まるで布団の中だけ別世界と繋がっているかのごとき不思議体験に、小説家は無くしていた創作意欲を取り戻していくが――な、お話。

これまた“布団の中、足先だけで感じる不思議体験”といった面白アイディア。布団の中で感覚だけということで(?)、終盤は少し官能的な事態に。

「夢と現の境界線が布団の中で曖昧になる」というのは、朝、布団から出たくない、もっと寝ていたいという感覚を拡大させたものでしょうか。境界線に布団を使うというのが上手いですね。

布団の虜になったとき、人は・・・現実に戻れなくなる(^_^;)。

 

 

 

●子供を沈める

高校時代、いじめに加担してクラスメイトを死なせてしまった過去を持つ女性・カヲル。時が経ち、いじめのメンバーだった三人が、相次いで自分の産んだ子を一歳に満たないうちに殺害した。彼女たちの赤ん坊はいずれも死に追いやったクラスメイトの顔にそっくりだったという。その事実を知ったとき、カヲルは既に妊娠していて――な、お話。

 どんな状態でも産まれてきた子を愛せるのかがテーマのもので、非常に重い。バッドエンドではないのですが、この主人公の置かれている状況はこの先も非常に辛いものです。贖罪は一生掛けてするものだということなのでしょうね。

このタイトル、子宮に沈めるという映画を連想してしまいますね。


映画「子宮に沈める(Sunk into the Womb)」予告編 Trailer

虐待がテーマのもので、我が子を愛せるかという部分は共通している。

 

 

 

●トランシーバー

震災で妻と幼い息子を失った男性。焦燥の日々を過していたところ、生前、息子のお気に入りだったトランシーバーの玩具から、生きていた時そのままの息子の声が聞こえてくるようになり――な、お話。

2011年の東日本大震災で妻子を失ったという設定。残された者も前に進んで生きていかねばならない哀しみと苦悩が描かれる。読んでいて、あの震災からもう何年もたったのだなぁと実感させられますね。主人公が、トランシーバーの声を自分の願望による幻聴だと信じて疑わないところが辛い。完全におかしくなれた方が楽で幸せなのか・・・。

 

 

 

●私の頭が正常であったなら

元夫に目の前で愛する娘と共に無理心中され、精神を病んでしまった女性。母と妹の手助けにより、何とか病状が安定してきた矢先、日課にしている散歩の最中にいつも決まった場所で助けを求める子どもの声が聞こえるようになる。声は自分にだけ聞こえているらしい。精神を病んでいるが故の幻聴なのか、それとも本当に誰かが助けを求めている声なのか、彼女は真相を突き止めるためある実験を試みるが――な、お話。

まず、元夫が酷すぎて絶句してしまう。こんなことがあれば、精神を病まないほうが寧ろおかしいというもの。

主人公は自分で自分の頭が信用出来ていない常態のため、幻聴か否かの判断からして通常とは違う方法をとる事になる。“私の頭が正常かどうか”を憂慮しなくてはいけないという、皮肉な調査過程が描かれる訳ですね。

自分で自分を信用出来ない、“頭がおかしい人”として見られることの恐怖と、もどかしさが伝わる作品。

 

 

 

●おやすみなさい子どもたち

船の事故で死んでしまった少女。死に際、走馬燈を見るが、その走馬燈の記憶は他人のものだった。すると目の前に天使が現われ、「ここは死後の世界で、私たちは走馬燈を上映するのが仕事だが、何かの手違いで別人の走馬燈フィルムが流れてしまったようだ。ついては、貴女の走馬燈フィルムを探すのを手伝って欲しい」と言われ、一緒に探すこととなるが――な、お話。

死後の世界でのシステムが確りと決められていて、それの描かれ方が面白い作品。しかし、これらのイメージはすべて概念で形而上のものであり、その人の経験に一致する、理解が容易い形に変換されているとのこと。この話の主人公・アナはおそらくキリスト教的イメージで天使などを捉えていますが、人によっては別宗教のイメージなどで変換されるということなのですね。ここら辺の説明がなんだか巧み。

書き下ろしということで、本の全体をまとめるような締め方をされています。

 

 

 

 

 

 

 

 

正常か否か

8編収録されていますが、どのお話も、人にまともに説明すると正気が疑われてしまうお話ですね。表題作のタイトル「私の頭が正常であったなら」は、見事にこの本全体を表すものになっていると思います。

子どもに関連するワードが特に多いのも特徴の短編集で、隠れテーマだったのかなと。「おやすみなさい子どもたち」で出てくる一節「あらゆる人生、そのどれもが祝福に満ち、悲哀にあふれている」に、強いメッセージが込められていると感じる。

 

相変わらず奇想天外な発想で楽しませてくれる、山白朝子らしい、乙一らしい、期待を裏切らない短編集です。乙一の短編集に外れなし!

全話、30~40ページと読みやすい長さですので、ちょっとした休憩時間に是非。

 

私の頭が正常であったなら (角川文庫)

私の頭が正常であったなら (角川文庫)

 

 

 

 

ではではまた~

 

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『イニシエーション・ラブ』小説・映画 ネタバレ解説 ”最後二行”で全ては変貌!仰天恋愛小説

こんばんは、紫栞です。

今回は乾くるみさんのイニシエーション・ラブをご紹介。

イニシエーション・ラブ (文春文庫)

 

 あらすじ・概要

イニシエーション・ラブ』は2004年に刊行された恋愛小説。乾くるみさんは【タロウ・シリーズ】というタロットをモチーフにしたシリーズを書かれているのですが、この『イニシエーション・ラブ』はタロットの6番目「恋人」をテーマにした作品で、シリーズとしては『塔の断章』に続いての二作目。因みに、三作目はドラマ化もされた『リピート』ですね。

 

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このシリーズは「天童太郎」という人物が共通して出てくるのが特徴で(ただし、作品によって天童の人となりは異なるので、同一人物ではない)イニシエーション・ラブ』にも登場しています。ほんのチョロッと出てくるだけなのですが、「イニシエーション・ラブ」の意味を説明する役割を担っている、印象的な人物として描かれています。

 

どんなお話かというと、男性が代打で呼ばれた合コンの席で好みの女性と出逢い、恋に落ちる。1980年代後半を舞台にした、ノスタルジックで甘く切ない青春小説。

 

・・・と、いう、一見何の特徴もない恋物語なのですが、実は驚きの仕掛けが施されていて、最後の二行を読むと全く違う物語りが浮かび上がる、仰天させられる作品になっています。なので、恋愛小説というよりミステリ小説だと捉える人も多いですかね。

「最後から二行目は絶対に先に読まないで!」「必ず二回読みたくなる小説」という販売文句と、著名な芸能人による帯の絶賛コメント、テレビ番組で紹介されたりなどして注目を集めた作品です。

 

施されている仕掛けはミステリとしては叙述モノということになりますが、人が死ぬような物語りではない。2000年当初は、誰も死なない日常ミステリや、叙述トリックを使ったどんでん返しものがはやって多数出回った頃だというのが個人的な印象。この小説はそんな流行の只中にあった作品だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

以下ガッツリとネタバレ~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Side-A、side-B

この小説は1980年代後半の福岡・東京が舞台。各章のタイトルに内容に合わせた当時の有名楽曲が使われているのが構成の特徴ですが、もう一つの特徴がSide-Aとside-Bで物語りが大きく二つに分かれていることです。

 

Side-Aでは大学4年生で今までに恋愛経験のない22歳の鈴木夕樹が、歯科衛生士で20歳の成岡繭子と出逢い、交際するに至るまでの、恋にのめり込んでいく、幸せでたまらない様が描かれていて、side-Bでは就職したばかりの鈴木が東京に派遣され、静岡の繭子と遠距離恋愛する中で気持ちが離れていってしまい・・・と、いう苦々しい様が描かれる。

と、簡単にいうと太田裕美さんの代表曲木綿のハンカチーフまんまのストーリーがside-Bでは展開される。

実際、side-Bの最初の章は「木綿のハンカチーフ」になっています。

 

「離れ離れになっても僕たちは大丈夫さ!」と田舎に彼女を残して上京した男が、都会の絵具に染まって田舎と一緒に彼女を棄てる。

男を想い、静かに身を引くいじましい女性の姿と、恋愛の儚さを謳っていている名曲ですが、男性の身勝手な心変わりや、男性にとって都合の良い女性像の描写など、女性としては割とイラッとしてしまう歌詞ではある。

 

 

曲以上に、この小説のside-Bは胸糞が悪い展開をしています。

上京し、初の社会人生活に追われて静岡との行き来が面倒になる鈴木。繭子とは違う魅力を持った都会の女性・石丸美弥子に言い寄られて気持ちが揺れ動く。そんな時、繭子の妊娠が発覚。繭子に子供を堕ろさせたあげく、鈴木は美弥子と肉体関係に。しばらく二股状態だったが、ある日浮気が繭子にバレて、逆ギレして怒鳴りつけて別れる。かくして、鈴木は繭子を棄てて美弥子と真剣交際することに。

 

俺と繭子との関係は、子供から大人になる為の儀式、通過儀礼の恋、イニシエーション・ラブだったんだ。子供っぽい繭子から大人の女性である美弥子に。「脱ロリコンって意味でも、あいつと別れることが大人になることと繋がっていたんだな――」

 

そっか~“イニシエーション・ラブ”ってそういう意味なんだ~これってそういうお話だったのね~

 

って・・・・・・

 

は?

なんだこの、気持ち悪い男の独りよがり物語りは。冷静に考えてクズじゃないか鈴木。一人の男がクズになる過程を見させられているだけじゃないか。こんなんで“必ず二回読みたくなる”とか、本当か!?

 

と、読者はなる訳なのですが、最後から二行目を読んで、やはり最初のページに戻ることになる。

 

 

 

 

 

 

A面、B面

最後から二行目で明かされること、それは、side-Bの鈴木の下の名前が「辰也」だということです。

ここで読者は「ん?」と、なる訳です。そう、side-Aの鈴木の下の名前は「夕樹」。つまり、side-Aの鈴木とside-Bの鈴木は同じ名字というだけの別人なのだとここで判明する。

一貫して鈴木夕樹の、一人の男の視点で追っていたと思わせられるように書かれていましたが、それは“騙し”。実際はSide-Aは夕樹の視点で、side-Bでは辰也の視点で描かれている。

さらに、side-Aの後にside-Bの出来事が起こっているのではなく、Side-Aとside-Bの出来事は同時進行。どちらのsideも1987年の4月頃から12月までの出来事なのです。2年間の出来事と見せかけて、本当は1年間の出来事。

 

どういうことかというと、成岡繭子は上京した彼氏・辰也と遠距離恋愛中に、彼氏はいないと偽って大学生の夕樹に言い寄り、恋仲になった。つまり、辰也と同様に繭子も二股を掛けていた。

 

Side-Aとside-Bとは、カセットテープのA面とB面のこと。A面を聞いているときは、B面も一緒に回っている。

 

ここで重要になってくるのが、1986年~1987年に世間で起こった出来事の数々です。単にノスタルジックな、当時の懐かしい恋愛の在り方を描く為にこの時代設定にしているのではなく、仕掛けの目眩ましとしてこの時代設定が作用している。本の巻末に、大矢博子さんの「解説~再読のお供に」で御丁寧にイニシエーション・ラブ』を理解するための用語辞典が収録されているのですが、この用語辞典を参照しながら再読して答え合わせしていく作業が、この本の最大の面白さとなっていい。

 

しかしこの仕掛け、気が付かずにただ「ほろ苦い恋愛小説だったなぁ」で終わってしまう人もいるらしいく、現に、私の友達の友達は仕掛けに気が付かずに、友達が「驚くよね~」と言っても何のことか分からなかったのだとか。

 

確かに、side-Aの鈴木夕樹の名前を失念しているとせっかくの仕掛けにも気が付かないかなとは思う。多くの人が気付くことが出来るのは、本の紹介や帯に「仰天作」「必ず二回読みたくなる」と大きく書かれているからで、この本が評判になったのは販売戦略が大きいのかなぁとも思いますね。

私は宣伝文句を受けて最初っから警戒して読んでいたので、Side-Aとside-Bで違う男性なのではないかというのは読みながら少し感じていました。あまりにも人柄が変わりすぎですからね。同時進行なんだということには気づけませんでしたけど。80年代後半に詳しい人は気づけるのかな?

販売文句を知らずに、普通の恋愛小説だと思って読んだ方が純粋に驚けるのは確かなんですが。でも仕掛けに気が付いてもらえないのじゃもったいないしねぇ・・・。

 

 

 

 

映画

イニシエーション・ラブ』は2015年に実写映画化されました。

 

イニシエーション・ラブ

イニシエーション・ラブ

  • 発売日: 2015/11/02
  • メディア: Prime Video
 

 

監督は堤幸彦さん、鈴木役が松田翔太さんで、繭子役が前田敦子さんというキャスティング。

原作を読んだ人はまず映画化されるという一報を聞いただけで驚きだったと思います。私も驚きました。仕掛けが仕掛けなので、どう考えても映像化不可能な代物だという認識があったからです

ハッキリ言って、仕掛けなしでは面白味が無になる作品なのでどう映像化するのかと疑問でしたが、映画ではside-Aの鈴木夕樹(森田甘呂)がダイエットし、side-Bの鈴木辰也(松田翔太)の容姿になったかのように描くことでこの問題をクリアにしていました。

 

映画では「最後の5分全てが覆る。あなたは必ず二回観る」というキャッチコピーが付けられており、原作と違い、最後はクリスマスの夜に辰也(松田翔太)が繭子(前田敦子)に会いに行き、そこで繭子と一緒にいる夕樹(森田甘呂)と鉢合わせ。そこから映像上で“答え合わせ”の5分間が始まるという、原作よりも仕掛けが分かりやすいオチになっています。この後どうするんよ、この人ら・・・と、心配になる締め方ではありますが(^_^;)。

 

仕掛けが分かりやすいのもそうですが、原作の各章のタイトルに使われている懐メロがそのまま流れたり、映像で確りと1980年代後半が再現されていて、原作を読んだ人にとっても原作への理解がより深まる親切なものとなっているかと思います。

 

オチを変えている以外は割と原作通りに映像化しているのですが、成岡繭子は原作よりもより男性の妄想みたいな女性になっていましたかね。女性からすると、繭子って“100%あざとい女”なんですけど(^^;)。

 

 

 

 

何をしたい物語りなのか

この本を読み終わり、再読で答え合わせもすませて読者がまず思うことというのは、成岡繭子の周到な二股の仕方。夕樹と辰也、双方の男に全くバレずに二股行為をしているのですからね。見事なものですよ。

 

しかし、このことから繭子の方が悪いかのように捉え直すことは的外れです。

浮気はもちろんダメですが、このお話で圧倒的に悪いクズなのが辰也であることは、仕掛けが判明した後でも何ら変わらない見解のはず。

浮気して、きちんとした避妊をせずに妊娠させて堕胎させて、挙げ句逆ギレして怒鳴りつけ、シレッと別の女に乗り換えているのですからね。なにが、「俺とあいつの関係は、結局はその――イニシエーション・ラブってやつだったんだろうな」だ。ふざけきったバカバカしい男だ。

 

結果的に二股・浮気になっていますが、繭子の方は夕樹と親しくなっていきデートしたりするようになっていたものの、夕樹と肉体関係を持ったのは堕胎し、辰也との関係に破綻の兆しがハッキリと出てから後のことです。

まだ新生活が始まったばかりの頃に彼氏はいないと嘘を言って合コンに参加しているのはいただけず、男性に対して思わせぶりな態度をとるのが好きな女性なのかとは思いますけどね。

 

最後の2行目を読んで浮かび上がるのは、辰也より繭子の方が上手だったという事実。

ここで、「で?」となる人もいるかと思います。「ただ浮気し合っていた男女の話を読まされただけじゃないか。何がしたいのだ」と。

 

仕掛けありきの、脅かすのが第一目的に書かれた小説ではあるのだろうと思います。この手の話題は叙述トリックものでは度々議論されることであって、どうしても直面する問題なのですけども。『イニシエーション・ラブ』の場合は殺人事件ものではなく恋愛が題材になっているぶん、余計に疑問視されるのかもしれません。

 

終盤、酔った辰也は間違えて別れた繭子に電話をし、「たっちゃん」と普通に応対されて怖くなり、繭子が哀れだと思って勝手に感傷に浸っています。

実際は、繭子は誤って相手の前で浮気相手の名前を口走っても大丈夫なように夕樹の事を辰也と同じく「たっちゃん」と呼んでいただけなのですが。(因みに、辰也は繭子の前で美弥子の名前を口走ったことで浮気がバレた)

 

何も知らずに、繭子がまだ自分のことを想っているなどと哀れんで感傷に浸る。何を伝えたいのかと言われたら、この“独りよがりなクズ男の滑稽さ”を嘲っている物語りなのだろうと個人的には思っているのですが、どうなのでしょう。

 

必ず再読したくなるといいますが、私としては辰也がクズで不快なので(他に感情移入出来る人物もいないし)、とても丸々最初っから全部再読しようという気にはなれないのが正直なところ。拾い読みでの答え合わせとなってしまう(^_^;)。なので、映画はなんだか有り難かったですね。

 

 

一風変わった恋愛小説、血生臭い要素なしで叙述モノを楽しみたい人は是非。

 

 

 

ではではまた~

 

 

 

 

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『続巷説百物語』6編 あらすじ・解説 シリーズ第二弾!敵は”死神”

こんばんは、紫栞です。

今回は京極夏彦さんの『続(ぞく)巷説百物語をご紹介。

 

続巷説百物語 「巷説百物語」シリーズ (角川文庫)

 

『続巷説百物語』は江戸時代を舞台に、御行の又市率いる一味が公には出来ぬ厄介事の始末を金で請け負い、妖怪譚を利用した仕掛けで解決させていく妖怪小説のシリーズ巷説百物語シリーズ】の第二作目。


シリーズ一作目の『巷説百物語』は一話完結型の連作もので、関係者や仕掛けられている側の様々な視点で事件の全体像が示され、最後の章で百介が又市たちから仕掛けの種明かしを聞くという構成になっていました。

※詳しくはこちら↓

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この『続巷説百物語』も連作短編で六編収録なので、普通に前作からの続きなのだろうと目次を見た段階では思ってしまうのですが、実は色々と前作とは異なる描き方をされていて、単純な続編にはなっていません。

 

今作ではお話は全て山岡百介の視点で描かれています。各話の時系列も前作と大体交互、間に位置しているようになっています。

※作品時系列など、詳しくはこちら↓

 

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また、前作では全く語られなかった又市一味の過去や因縁が明らかに。一話完結の形をとってはいますが、今作に収録されている各話は複雑に絡み合い、大事件で大仕掛けの「死神 或は七人みさき」に収斂されていきます。そして、今作の最後の収録作「老人火」で、シリーズは思わぬ展開をする。単に続きだと思って読んでいた読者の意表を突く代物となっていまね。

 

「死神 或は七人みさき」を中心に描かれるとあって、前作は各話大体同じページ数でしたが、今作ではそれぞれお話によって文量が異なります。

 

 

 

 

 

各話、あらすじと解説

『続巷説百物語』は六編収録。

 

巷説百物語シリーズ】で題材として採られている妖怪たちは全て、天保12年(1841年)に刊行された竹原春泉の画、桃山人の文の『絵本百物語』から。

 

 

 

以下、ネタバレ含みますので注意。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●野鉄砲(のでつぽう)

百介は八王子千人同心である実兄・山岡軍八郎から武蔵国多摩郡千人町に呼び出される。

軍八郎の同僚が額に石がめり込んだ変死体で発見されたが、一体どのような事態になればこのような奇怪な死体が出来上がるのか、不思議話を蒐集している百介に意見を求めたいという。

百介は「野鉄砲」という妖怪の仕業ではないかと思いつき、表側からは見えない渡世に精通している御行の又市と事触れ治平に相談する。話を聞いた二人は途端顔色を変え、何やら慌てて行動を開始するが・・・。

 

「野鉄砲」っていうのは、北国の深山に棲む子狸だかモモンガらしき獣で、人を見かけると蝙蝠みたいな物を噴射し、目口をふさいで人を取り食うとかいう伝承。

越後の旅から数ヶ月後、八月の出来事で、時系列としては前作『巷説百物語』に収録されている「小豆洗い」の後。百介からすると二件目の仕掛け仕事ですね。

 

このお話では治平の辛い過去が明らかになります。事が終わった後、軍八郎に仕掛けのことを全て白状しちゃうのですけども、事情を知った軍八郎は粋な計らいをしてくれる。しかし、この仕掛け仕事は直接的な仇討ちの手伝いなので、又市としては見逃して貰っても苦々しい想いが残っている様子ですかね。

 

 

 

 

●狐者異(こわい)

百介は小塚原縄手に“稲荷坂の衹右衛門”の晒し首見物に出かける。なんでもこの衹右衛門、斬首される度に蘇る極悪人で、今回が三度目の斬首だというのだ。

好奇心から見物に来たものの、暗澹たる気持ちになってなかなか刑場への足運びが進まなかった百介は、立ち寄った茶屋で山猫廻しのおぎんと出会う。おぎんは衹右衛門に遺恨があるらしく、今回の仕置きを聞きつけて晒し首を見に来たらしい。二人は一緒に刑場にと向かい、晒された首を見る。其処に晒されていた衹右衛門の首は確かに“死んで”いた。しかし、首を見たおぎんは「まだ生きるつもりかえ」と呟く。

程なくして、衹右衛門が三度蘇ったという噂が立ち上るが・・・。

 

「狐者異」は無分別者で、“殺しても死なない執着”などを指し、仏法世法の妨げをするもの。『絵本百物語』では、「怖い」の由来だと書かれているらしい。

 

甲府から戻っての十一月半ばの出来事で、時系列としては『巷説百物語』に収録されている「白蔵主」の後。百介からすると四件目の仕掛け仕事ですね。

 

このお話ではおぎんの出生の秘密が明らかになり、“稲荷坂の衹右衛門”と又市との十年越しの戦いに決着がつけられます。

稲荷坂の衹右衛門”を巡る騒動についてはこの話は決着部分であり、ここでは十年前の出来事に関しては又市の口からサラッと説明されるだけですが、シリーズ4冊目の『前巷説百物語で十年前の衹右衛門との戦いが詳細に描かれています。

 

 

いやぁ、とんでもなく辛くって酷い事件だったのですよ・・・。

 

また、このお話で軍八郎の友人で北町奉公所定町廻り同心・田所真兵衛が登場しています。“融通の利かぬ朴念仁”という、非常に京極小説的(?)人物で、変な具合に好感が持てる。

 

 

 

 

●飛縁魔(ひのえんま)

百介は貸本屋の平八から、名古屋の廻船問屋の主・金城屋享右衛門の嫁を巡る奇妙な話を聞く。十年前、祝言の日に右衛門の嫁・白菊は姿を消した。勤勉で実直な人格で周りに慕われていた享右衛門だったが、この事があってからというもの、すっかり腑抜けて見る影もなくなってしまったという。

それが最近になって、金城屋の奉公人が江戸で白菊を目撃。話を聞いた享右衛門は立派な館を建て、其処に日がな一日閉じこもって白菊を待ち続けるという更なる奇行をするようになったという。

又市の手腕をあてに平八から白菊捜しを頼まれた百介が白菊について調べてみると、彼女は常に火の気がつきまとう、魔性のごとき女だと口さがなく云われ続けていたらしい事実を知る。

金城屋に訪れ、享右衛門の建てた館を前にした又市は、白菊は「飛縁魔」であり、今夜あの館に火の手が上がると皆に云うが・・・。

 

「飛縁魔」は顔や姿は美しいけれども、実は恐ろしい存在で、夜な夜な出没しては男の精血を吸って取り殺してしまうという妖怪。要するに魔性の女ということなんですが、暦の「丙午」から出た名だとも云われています。丙午生まれの女性は婚姻を忌まわれるという俗信や差別は現在でも残っているところでは残っている。

 

伊豆から戻ったばかりの五月半ばの出来事で、時系列としては『巷説百物語』収録の「舞首」の後で、百介からすると六件目の仕掛け仕事ですね。

 

事の真相を知ると、「金持ちの酔狂だなぁ」と。豪気なことよ。享右衛門としては気が狂うほど切実なんでしょうけども。しかし、燃やすための家を一軒建てても、一回こっきりで終わりでは結局長く留まってはくれないのではないかと思うのだけど・・・。ま、出来るだけのことはしてあげたかったということなのか。

 

この事件の元凶となった人物は、「死神 或は七人みさき」でガッツリ関わってきます。

 

 

 

 

●船幽霊(ふなゆうれい)

百介は又市たちとの淡路での仕掛け仕事の後、おぎんと共に四国へ渡る。土佐で噂されているという「七人みさき」の怪異が気になったためであった。「七人みさき」の怪異は近年、様々な場所で噂が立ち上っているらしいが、土佐では七人みさきは行き合うと命を失う祟り神「船幽霊」として畏れられていた。

途中、百介たちは得体の知れぬ輩たちに追い詰められるが、若狭の外れ北林藩からの密命で人捜しをしているという浪人・東雲右近に窮地を助けられる。

右近は平氏末裔の川久保党にまつわる人物を捜しており、それは偶然にもおぎんの目的と一致するものだった。

何者かに狙われながら、三人は川久保党が居るという山を目指すが・・・。

 

「船幽霊」は海で死した者たちの亡霊。甲冑姿の者たちが現われ、往来の船に取りついて「柄杓をくれ」と言ってくるのだけども、ここで素直に柄杓を渡すと船中にその柄杓で海水を汲み入れて沈めようとするので、言われたら底が抜けた柄杓を渡さなくちゃいけないとかいうもの。数ある平家の落人伝説の一つともされています。

 

巷説百物語』に収録されている「芝右衛門狸」の一件が終わった直後の、冬の初めの出来事で、百介としては八件目の仕掛け仕事ですね。

 

いつもは仕掛ける側である百介やおぎんですが、このお話では追われる側になっていて、緊迫感があります。かなりヤバかった。啖呵を切るおぎんが勇ましくって格好いい。

余裕がないとあって、又市の仕掛け仕事も荒事こみの危ない橋を渡るものです。「ヘボだ」とおぎんに詰られていますが、又市とおぎんの信頼関係がないと成立しない仕掛けでして、素直じゃない二人のやり取りがなんだかおかしいですね。

 祭文語りの文作が登場しています。

 

 

 

 

●死神 或は七人みさき

船幽霊騒ぎから数ヶ月後、百介は江戸で東雲右近と再会する。右近は相当に憔悴しきっていた。船幽霊騒ぎから解放されて北林藩に戻った右近だったが、「七人みさき」の祟りと思われる残虐非道な殺人が繰り返され、人心が乱れて、領内はこの世の地獄と化していたという。隣人の娘が殺害された事件を聞き、義憤に駆られた右近は独自に調べて回ったのだが、その最中で身重の妻が惨殺されてしまい、右近は下手人として罪を着せられ追われる身に。

右近から全てを奪い、非道な殺戮を繰り返す「死神」或は「七人みさき」を調べる百介だが、突き止めたその正体は常人にはどうするすべもない絶望的な強敵だった。

奇妙な縁と謎の断片は北林藩へと収斂され、小股潜りの又市による大仕掛け“祟りの夜”が開始される――。

 

「死神」は行き遭うと死ぬ、死を招き入れるもの。悪意を持って死んだ者の気が悪念をもった生者に呼応して悪所に引き込む。「七人みさき」は成仏出来ぬ七人組の霊で、一人取り殺すと七人のうちの一人が成仏するのだけども、殺された者が新たに仲間に加わるので数が減らないという厄介なもので、「死神」と同じく、行き遭い神・祟り神という代物。

 

加賀から江戸に戻っての六月過ぎの出来事で、『巷説百物語』に収録されている「塩の長司」の後。百介としては十件目の仕掛け仕事ですね。

 

この本の大詰めでして、「野鉄砲」「狐者異」「飛縁魔」「船幽霊」で張り巡らされていた糸は、全てこの「死神 或は七人みさき」という大事件へと繋がっています。

ページ数もこの本の中では最長で二百ページ以上ある。このお話一つだけで本出せるレベル。

 

コレに出てくる悪党たちがですね、まぁ酷いですよ。会話の内容がですね、百介のいうように“人の会話ではない”。吐き気を催す邪悪どころか、失神するほどの邪悪ッ!ですね。右近さんの立場からすると、聞いていてよく発狂しなかったなと思う。結局威勢が良いのは口ばかりで、滑稽なほど怖がって最後を迎えたというのがまたなんとも。

 

「死神 或は七人みさき」は、所々で横溝正史の『八つ墓村』を連想させられます。

 

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 オマージュとして描いているのかと思うくらい共通点がありますね。話の運びは全く違うのですけども。コレを読んだ後だと、『八つ墓村』もある意味「祟り神による事件」と解釈することも出来るのじゃないかと思えてきたりもする。

 

無動寺の玉泉坊が少し登場しています。百介は玉泉坊とはこの時が初対面ですね。また、治平がかつての又市のことを語る場面で出てくる「生きるもひとり、死ぬもひとり、ならば生きるも死ぬも変りはねぇ」という台詞は、又市初登場の嗤う伊右衛門

 

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で出てくる一節だったりして、時系列を辿って又市の心境の変化過程を鑑みるのもまた愉しい。

 

 

 

 

●老人火(ろうじんのひ)

あの“祟りの夜”から六年目の夏。戯作を開版し、物書きとして飯が喰えるぐらいには稼げるようになった百介の元に、北林藩からの使者がやって来る。六年前の騒ぎの関係者の一人、家老の樫村兵衛が度々幻覚を見るようになり、気が触れるようになってしまったため、また御行の又市の力を借りたいという。しかし、百介は二年前から又市との交流は一切経たれてしまっている状態だった。

又市の代わりに樫村に会いに行った百介。祟り神は守り神となり、北林藩は平穏を取り戻していたが、新たなささやかな怪異が囁かれていた。大磐の上に火が灯る。その火は水を掛けても消えず、蛇のように襲いかかる怪火なのだという。

女中からその話を聞き、百介は天狗の仕業とされる「老人火」だと説明するが、脳裏には一人の老人の姿が浮かんでいた。

怪異の真相が解った百介は、駆け出した先で懐かしい声を聞くが・・・。

 

「老人火」は深山において湧き出る怪火で、その火には老人が付き添っている。水をかけても火は消えず、消すためには家畜や獣の毛皮を用いるのだが、火が消えると同時に老人も消え失せる。人にとっては特に害はないもの。

 

「死神 或は七みさき」での一件からいきなり飛んで六年後。百介は百物語ではないけど戯作を開版してそれなりに名を上げているし、二年前から又市たちとは会えずじまいだというし、その二年前に何らかの大仕事で事触れ治平が命を落したとかいうしで、読者としては急な変化に困惑してしまう事請け合い!ですね。

 

百介は「死神 或は七人みさき」からこの「老人火」の間にも何件か又市たちの仕事に関わっていて、その間の仕掛け仕事はシリーズ三作目『後(のちの)巷説百物語で描かれています。(この間に『巷説百物語』収録の「柳女」「帷子辻」も含まれています)

 

「老人火」は一応件数でいうと、百介としては十八件目の仕掛け仕事。と、いっても、この一件は純粋に居合わせただけですけどね。

 

急な変化もそうですけど、この事件の決着のつけ方も、「今生の別れ」を言い渡されるのも、えらく哀しいし淋しい。

私は最初読んだ時、しばし呆然としてしまった記憶があります。単純に前からの続きだと思っていたら・・・何たることだ。変な言い方ですけど、侮ってかかっていたらドンって突き落とされた感じ。

 

 

 

 

 

 

 

 

巨大なシリーズ構成の片鱗

『続巷説百物語』を読み終わって先ず思い知らされるのは、【巷説百物語シリーズ】はどうやら通常のシリーズもののように、そう素直で単純な構成はしていないのだなということ。

 “続”とタイトル頭についているので、前作でのスタイルで一貫してストーリーを見せていくのかと思いきや、シリーズ二作目の今作は一話完結型ではあるものの、「死神 或は七人みさき」を中心とし、「野鉄砲」「狐者異」「飛縁魔」「船幽霊」は前フリ、「老人火」はエピローグ、といった一大長編の体をなしています。

時系列が前作と入り組んでいたりするのも、この本では「死神 或は七人みさき」に関連している仕掛け仕事をラインナップしているということでしょうか。おぎんの育ての親で、江戸を牛耳っていた裏社会の大立者・御燈の小右衛門も全体の重要なキーとなっています。

 

また、この本に収録されている話は全部百介からの視点ですので、百介の裏と表、彼方と此方の境界で思い悩む様子もしっかり描かれています。又市たちの境遇や素性が明かされるのもそうですが、前作『巷説百物語』では仕掛けられる側の人間を描いていたのが、この『続巷説百物語』では仕掛けている側の人間を描いている。前作が表からの見え方なら、今作は裏からの見え方という訳で、前作から一段深さが増している印象ですね。

 

 

 

二年前に何が

最後に収録されている「老人火」は結末を読む限りシリーズ最終話と受け取ることが出来るものになっていますが、“千代田のお城に巣喰っているでけェ鼠の始末”や、治平や上方の小悪党どもの元締め・十文字屋仁蔵が命を落すことになったという二年前の大抗争など、匂わせるだけ匂わしている事柄があるので、どの様に続けるのか分からないものの、まだシリーズは終わりではないのだと気が付く。

 

と、いっても、この後に刊行される『後巷説百物語』『前巷説百物語』『西巷説百物語』でも、この二つの事件についてはまだ明かされてないのですけどね・・・。

 

「老人火」の最後で、又市は全身白い御行の恰好から全身黒い恰好になって、「八咫の烏」だと名乗っている。おそらく“二年前の大抗争”を経ての変質なのでしょうが、一体何があったものやら。2021年現在連載中のシリーズ第六弾『遠(とおくの)巷説百物語』でそれは明らかになるのですかねぇ・・・。

 

 

 

後へ!

「老人火」での一件以降、百介は生涯二度と旅に出なかったと書かれている。では、シリーズ第三弾の『後巷説百物語』はどんな風に続いてどんな構成になるの?と、疑問に思うでしょうが、それは読んでのお楽しみ。「老人火」を読んで哀しみで気落ちしても、次の『後(のちの)巷説百物語』はここまで読んだ人なら絶対、絶対に読まなくてはならない作品となっていますので是非。

 

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続巷説百物語 (角川文庫)

続巷説百物語 (角川文庫)

  • 作者:京極 夏彦
  • 発売日: 2005/02/24
  • メディア: 文庫
 

 

 

 

 

 

ではではまた~

 

 

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木内一裕 『ドッグレース』矢能シリーズ第4弾!今度はヤバい人捜し!

こんばんは、紫栞です。今回は木内一裕さんの『ドッグレース』をご紹介。

 

ドッグレース (講談社文庫)

 

あらすじ

ドラッグ密売人の児島康介は、ある日顧客の一人であるガスからドラッグ料金の代わりとして高級腕時計とネックレスを受け取った。翌日、人気俳優・松村保と歌姫・夏川サラが殺される事件が発生。松村保とドラック密売で悶着を起していた児島は、ニュースを見ていい気味だと溜飲を下げていたが、翌週になって自宅に警察が訪れ、部屋にあった腕時計とネックレスを押収して児島を逮捕した。

腕時計とネックレスは松村保と夏川サラの所持品だった。ガスから貰ったもので、犯人はあいつだと児島は警察に訴えるが、ガスこと西崎貴洋は数日前にドラッグの過剰摂取で数日前に死亡したと知らされる。

進退窮まった児島は弁護士を通じて元ヤクザの探偵・矢能にある人捜しを依頼するが――。

裏世界のヤバすぎる人捜し。ヤクザと警察に完全包囲されるなか、矢能の物騒な調査が始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

訳あり冤罪事件

『ドッグレース』は元凄腕ヤクザの探偵・矢能が裏社会の厄介事を独自の方法で解決してゆくシリーズ、【矢能シリーズ】の第4作目。

 

このシリーズは作品事に趣向が異なり、1作目の『水の中の犬』は矢能が探偵になる前日譚的物語りでゴリゴリのハードボイルドでノワール的。

 

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2作目の『アウト&アウト』は二つの視点で描かれる一つの事件。

 

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3作目の『バードドッグ』は容疑者が全員ヤクザの犯人当て。

 

 

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で、4作目の『ドッグレース』で描かれるのは最高難度の人捜し。

今まではヤクザや裏社会の人間ばかりを相手にするものが殆どで、警察のあずかり知らぬ所で落とし前をつけるってな感じでしたが、今作では検察と警察が冤罪事件発覚を阻止するべく執拗に矢能の邪魔をしてきます。ヤクザはヤクザで矢能に探られると困る事情があるらしく、こちらもまた全力で阻止してくるので、今回矢能は警察とヤクザの双方を相手にしなければならない大変さです。

 

今まではオマケ程度に事務所に顔を出して意味のない恫喝をしていくだけだった組対四課のキツネ顔マンボウのマル暴刑事コンビも、検察からの要請で矢能にべったりと張り付き、監視して何処に行くにもつけ回してきまして、読んでいるとこれが大層忌々しい。捜査一課の刑事も得手勝手な理由で妨害してくるしでなんともはや。

 

仕事のやり方がいつも怖いもの知らずな矢能ですけども、今作では今までに以上に危ない橋を渡っています。ドンパチや乱闘、逮捕されたりとスリリングな場面が目白押し。前作の『バードドッグ』は犯人当てとあってミステリ要素が強めでしたが、今作はハードボイルド要素が強めですかね。真犯人はすでに死んでしまっているので、人捜しと冤罪事件をどう晴らすかがテーマです。

 

しかし、エンタメとして最高に楽しませてくれるのはやはり相変わらず。お馴染みのメンバーである情報屋、後輩ヤクザの工藤、不良刑事の次三郎、六番町の婆さんと総出演で、前作『バードドッグ』に登場した工藤のところの下っ端組員の篠木は今回も運転手として、佐村組の外崎も電話と少し登場。

矢能独自のアウトローな人脈と経験を駆使し、スリリングに、巧みな仕掛けで事を手打ちにし、二作目から娘となった栞ちゃんとのやり取りでほっこりもさせてくれる、最凶エンタメ小説です。

 

 

 

美容室問題勃発

さて、今回はヤバい人捜しに加えて矢能にとってさらに厄介な問題が発生。なんと、娘の栞ちゃんがたいそう懐いている“美容室のおねえさん”のいる店が閉店することになったというのです。

おねえさんはオーナーである先生から店をほぼ任されている状態だったのですが、その先生が体調を崩しがちになり、店を手放すことを決断。前々から居抜きで借りてくれる人を探していて、ようやく見つかったのが若い美容師夫婦。新しい店は夫婦二人でやっていくようなので、おねえさんを雇ってくれるということもない。おねえさんは地元の静岡で先輩から店を手伝って欲しいから帰ってこないかと誘われていて――・・・

 

と、本格的にどうしようもない話なのですが。

今までワガママを一度も言ったことがなかった栞ちゃんがこの現実に激しく抵抗。「イヤです」「美容室のおねえさんのこと、なんとかして下さい」と矢能に頼んでくるのです。

 

栞ちゃんを可愛がっている情報屋に「なんとかしてやれよ。まがりなりにも父親なんだからよ」と言われ、どうすることも出来ないから、「我慢しなきゃならないってことを教える」と応えるも、コレを聞いて情報屋はあんなになにもかも我慢している子にこれ以上我慢させる気かと激昂。確かに栞ちゃんの生い立ちや今現在の健気な振る舞いをみているとねぇ・・・。

 

「シオリンが求めているのは美容室のおねえさんなんかじゃねえんだ」「そのおねえさんそのものだ。美容室なんか関係ねえ」「シオリンが欲しいのは母親なんだよ」と情報屋は言い募り、最終的には「お前の嫁にしちまえってんだよ。それでシオリンはいまよりずっと幸せになる」と矢能に迫る。

言われた矢能が「ど、どうやって」と動揺して応えるのがなんともおかしいですが、情報屋の気迫と栞ちゃんの無言の眼差しに後押しされ、戸惑いながらもおねえさんを食事に誘うのでした。果たして結果はいかに・・・。

 

女性を口説くにが不得手な矢能の様子は読んでいてニマニマしてしまう。ヤクザや警察の前では傍若無人な矢能ですが、栞ちゃんや美容室のおねえさんに対しては誠実なのが読者心をくすぐりますね。

情報屋だけでなく、栞ちゃんも割と本気で矢能とおねえさんをくっつけようとしていたみたいでちょっと驚き。お互い相手に好印象は持っているみたいですけどねぇ・・・どうなのでしょう?

 

 

 

 

 

 

以下若干のネタバレ~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どんどん続いて欲しい

仮釈放中に「やらなくてはいけない事がある」と姿をくらましていた武装強盗のプロ・河村隆。ガスの唯一の友人であり、細かい事情を知っている可能性が高いだろうと矢能は河村の捜索を依頼される訳ですが、仮釈放中という状況が状況だし、どうやらヤクザに匿われているらしいと、なるほど、普通の探偵じゃ当然手が出せないだろうという厄介で危険な人捜しです。

ドンパチこみのすったもんだでようやく探し当てた河村。この河村、矢能が気に入るタイプの人となりをしているのですよね。武装強盗のプロとはいえ、仕事の引き時を弁えているし、それなりの情も持ち合わせている。河村の“やらなくてはいけない事”の詳細や顛末を知って、矢能は同情的になり、「ムショで残りの弁当を喰わせるのは忍びない」と思い、逃がす。

河村の方も別れ際、矢能に“ささやかな友情の証”を示し、「俺に用があるときには連絡してくれ」と連絡手段を教えて去ります。

 

荒事慣れしていますし、河村は今後また再登場してくれそうな気配がプンプンしますね。あと、今回矢能に仕事を依頼してきた鳥飼弁護士も再登場しそう。

 

『水の中の犬』が2007年、『アウト&アウト』が2009年、『バードドッグ』が2014年、『ドッグレース』が2018年と、刊行が割と飛び飛びの【矢能シリーズ】ですが、回を重ねるごとにシリーズとして確立されていっていますし、今後が楽しみな事柄も増えているので、定期的に刊行されて欲しいなぁと思います。

 

新たな人脈も手に入れたことですし、栞ちゃんを養うためにも、矢能には探偵仕事に邁進していって欲しいですね。

次も楽しみにしています!

 

 

 

ドッグレース (講談社文庫)

ドッグレース (講談社文庫)

 

 

 

 

 

ではではまた~

『復讐の協奏曲(コンチェルト)』あらすじ・感想 シリーズ5作目。明かされる洋子さんの謎!

こんばんは、紫栞です。

今回は中山七里さんの『復讐の協奏曲(コンチェルト)』をご紹介。

 

復讐の協奏曲 御子柴礼司

 

あらすじ

三十年前、十四歳のときに5歳の少女を惨殺し、〈死体配達人〉と呼ばれて少年院に入った過去を持つ弁護士・御子柴礼司。〈この国のジャスティス〉と名乗るブログ主に煽動され、御子柴礼司に対しての懲戒請求書が弁護士会と事務所に八百通以上届く事態となり、事務所の唯一の事務員である日下部洋子は処理に忙殺されることに。

そんななか、洋子は息抜きがてらに外資コンサルタントの知原徹矢と夕飯をともにする。知原と夜九時に別れて自宅に帰宅した洋子だったが、翌朝になって知原の他殺遺体が発見されたと訪ねてきた刑事に知らされ、凶器に残った指紋から洋子は殺人容疑で逮捕されてしまう。

洋子に弁護を依頼された御子柴は独自に事件の調査を開始するが、洋子の身辺を調べるうち、三十年前の洋子の出身地域がかつて自分が殺害した少女・佐原みどりと同じであることを知り・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

今度は洋子さん

『復讐の協奏曲(コンチェルト)』はドラマ化もされた【御子柴礼司シリーズ】の五作目。

 

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中山七里さんの12ヶ月連続刊行企画の第11弾として、2020年11月に刊行されました。12ヶ月連続刊行って凄まじいですね・・・普段追っている作家さんが年に一・二冊ぐらいの方ばかりなので驚愕する(^_^;)。

 

【御子柴礼司シリーズ】は、猟奇殺人を犯した過去がある弁護士・御子柴礼司の贖罪がテーマの前提としてあるシリーズ。前4作で御子柴が弁護した依頼人は、三十年前の事件の被害者遺族、少年院時代の恩師、自身の母親・・・と、御子柴の過去の罪にまつわる人々が相次いでいました。

 

いや、もう流石に周りの人ネタはないだろうと思っていましたが、今回は現在の御子柴にとって一番身近な人間、御子柴法律事務所ただ一人の事務員である日下部洋子が殺人犯として逮捕されてしまい、御子柴の依頼人に。「今度は洋子さんかい!」って感じですが、話を聞いてすぐに弁護を引き受け、「君が殺人を犯していようがいまいが、必ずそこから出してやる」と言い、いつもなら相手に請求する多額の成功報酬も社員割引してくれる御子柴にはなんだかニヤニヤする(^_^)。

 

2019年のドラマは洋子さん視点で物語りが描かれていて内面描写もかなりあったのですが、原作の洋子さんは有能な事務員でありながら、御子柴がかつての〈死体配達人〉だと知ったあとも何故か頑なに事務所を辞めようとしないし、怖がる素振りもないという謎の人物で、人の内面を見抜くことには自信のある御子柴にとっても、全く何を考えているのか分からない、どこかミステリアスな女性として登場していました。ドラマの洋子さんは完全にドラマオリジナルのもので、原作とは別物ですね。

 

このまま明かされないままなのかとも思っていましたが、今作で洋子さんに関しての謎が一挙に明らかに。シリーズファン必見の物語りとなっております。

 

 

 

 

 

以下、若干のネタバレ~(犯人や事件の真相については書いていません)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

登場人物

今作で登場する主要人物は、毎度お馴染みの法曹界の大物である谷崎と、過払い金請求案件で業務の規模を拡大し、荒稼ぎしていた弁護士・宝来兼人

洋子が不在のため、懲戒請求書の事務処理をする事務員を見繕って派遣してくれと御子柴に頼まれた谷崎さん、なんと宝来さんを御子柴の事務所に送り込んでくるのでした。

 

弁護士法人の代表者でありながら事務仕事に駆り出されるとは、どう考えても谷崎さんから宝来さんへの嫌がらせですが、過払い金請求案件が頭打ちとなり、困窮していた宝来さんはなんとか前向きに捉えて事務仕事に没頭してくれる。

宝来さんは今まであまり良い印象がない人物として描かれていたのですが、商魂が逞しいものの、それなりの良識はあってそんなに悪い人という訳ではないのだということが今作を読むとよく分かる。しかし、この登場のさせ方は意外でしたね。

 

他、主に古手川・渡瀬コンビ活躍の別シリーズで登場する埼玉日報の記者・尾上がゲスト出演しています。さほど嬉しいゲストでもないですけど・・・(^_^;)。

 

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中盤でオアシス要員(?)の倫子ちゃんももちろん登場しています。成長して11歳となり、知恵も働くようになって、ますます御子柴にとっては扱いに困る存在となっています。相変わらず御子柴に懐き、洋子と愉快に結託している。

 

そして最後に、意外な人物が再登場しています。

 

 

 

 

 

 

日下部洋子

今作の冒頭でそうそうに、洋子さんが実は三十年前に御子柴が惨殺した少女・佐原みどりの友人であったことが判明します。

二作目の『追憶の夜想曲(ノクターン)』での事件の顛末で初めて御子柴がかつての〈死体配達人〉だと知ったフリをしていましたが、実は御子柴の事務所に来る前からその事実を洋子さんは知っていました。知っていて、三年前に態々それまで勤めていた事務機器メーカーを辞め、御子柴の法律事務所の求人面接を受けに来たのです。

 

三十年前のこととはいえ、好き好んで友人の仇の元で働くとはどういうことだ。まさか復讐すべくよからぬことを企んでいるのか?でも、それならこの三年の間にいくらでも寝首をかけただろうし、今まで洋子は御子柴にとってマイナスになることもしていない。むしろ事務員として遺憾なく才能を発揮してサポートしてくれていた・・・・・・と、御子柴も読者も今まで以上に洋子さんのことが分からなくなる。

 

それとは別に、あらすじを読むとシリーズファンなら微妙に気になるのが、洋子さんが男性とデートしていたというくだり。洋子さんは今まで誰かと交際している描写はなかったので、「彼氏いたのか!」とちょっと驚く。

しかし、デートとはいうものの、洋子さんは被害者の知原徹矢のことは食事友達としかみていませんでした。この知原徹矢、実は相当なクズ男であることが事件発覚後に判明するのですが、洋子さんは知原の底が浅い人間性を見抜いており、たまに高級レストランで御馳走してくれる人として、アプローチされても適当にあしらっていたというのが実情。

 

今作では洋子さん視点での語りもあるのですが、洋子さんは心中で知原は結婚相手としての条件は申し分ないけど、物足りないと感じていました。

 

何とつまらない人間なのだろう。

だが、次の瞬間、慌てて打ち消した。今の評価は知原にあまりに酷だ。異性とすれば魅力があり、結婚相手としてもハイレベルであるのは間違いない。

大体、比較対照する基準が異質過ぎるのだ。一日で一番長く身近にいる男だから、どうしても御子柴と比べてしまう。元触法少年、優秀だが悪辣で名を馳せる弁護士。皮肉屋で計算高く、機械のように冷静な男――そんな人間と比較されれば、大抵の男は物足りなく見える。当たり前だ。凡庸は平和の別名だ。今更危険に惹かれるような迂闊さは持ち合わせていないものの、御子柴が放つ悪徳の魅力は否定できない。

 

と、いった具合に、あろうことか御子柴を引き合いにだして知原を「つまらない」といってしまう始末。

 

友人の仇なのに、御子柴のことを好意的に見ていることに嘘はない。自分の容疑を晴らすことより、宝来さんに自分の事務仕事をとられてしまったことの方を強く気にしたりと、御子柴も呆れるほど思考が読めない。「わたし、きっと退屈が苦手なんですよ」と洋子さんは仰っていますが・・・。

事件以上に、洋子さんが一体どういう思考回路をしているのかが気になって一気読みしてしまいますね。

 

 

 

 

今後はどうくる?

事件の犯人についてですが、洋子さんの指紋つきのナイフを手に入れられる人物というと限られますので当てるのは難しくないし意外性もないと思います。凶器の出所については捜査段階で普通警察が気付くのでは、と、いうか、気付いて欲しい(^_^;)。特徴的なナイフなんだし。

しかし、やはり中山七里作品なのでそれだけでは終わりません。懲戒請求書の煽動をした〈この国のジャスティス〉(この名前ダサい・・・)と、とある人物が意外な繋がり方をしていて、毎度のどんでん返しで愉しませてくれます。

 

とはいえ、やっぱり今作のメインは洋子さんでしたかね。洋子さんの過去が明らかになり、どうなることやらと読んでいて気を揉んだりもしましたが、ホッコリとした終わり方をしてくれて良かったです。

 

これでもう三十年前の事件にまつわる人ネタはやり尽くした感がありますが、次はどのような事件が御子柴を待っているのでしょうか。

今作の黒幕もまだまだ御子柴を恨み足りないようですし、その線でまだ何かありますかね?それとも宝来さんが捕まっちゃうとか?でも宝来さんが捕まっても御子柴は弁護してくれなさそうだなぁ・・・(-_-)。とりあえず、倫子ちゃんにこれ以上の不幸が訪れないで欲しいと切に願う。

 

前作の『悪徳の輪舞曲(ロンド)』で実母の弁護をして以降、また御子柴の様子も変わってきているようなので(洋子さん談)、そこら辺の変化もまた楽しみですね。

 

今後もシリーズを追っていきたいと思います。

 

 

 

 

ではではまた~

 

 

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『騙し絵の牙』ネタバレ・感想 映画化される”あてがき”小説!

こんばんは、紫栞です。

今回は塩田武士さんの『騙し絵の牙』をご紹介。

 

騙し絵の牙 (角川文庫)

 

あらすじ

出版大手の薫風社でカルチャー誌「トリニティ」で編集長を務める速水輝也。憎めない朗らかな笑顔と、才知に長け、瞬時に場を和ませるユーモラスな会話。“天性の人たらし”といわれ、周囲を魅了する速水は仕事熱心で部下からの信頼も厚く、日々よりよい雑誌作りに邁進していた。

出版業界が不況の中、すれすれで実売率六割を死守していた「トリニティ」だったが、ある日、速水は上司から廃刊の可能性を匂わされてしまう。「トリニティ」を守るため、黒字化のために奔走する速水。社内の派閥抗争、女優作家のデビュー、大物作家の大型連載、企業タイアップ、映像化・・・。

様々な出来事に翻弄されながらも雑誌と小説を愛し、編集者としての情熱を失わない速水。それは異常なほどの“執念”を浮かび上がらせるほどに。

やがて、速水は出版業界全体にメスを入れるべく牙を剥く――。飄々とした笑顔の裏に隠された、彼の真意とは――?

 

 

 

 

 

 

あてがき

『騙し絵の牙』は2017年に刊行された長編小説。2018年本屋大賞6位の作品。

出版業界が舞台の物語りなのですが、特徴的なのは俳優の大泉洋さんが主人公を演じると想定されて書かれている「あてがき」小説だということ。表紙と各章に大泉洋さんの写真が使われているのが駄目押しというか、「あてがき」の宣伝となっています。

 

文庫版の巻末に収録されている大泉洋さんの解説によると、

 

「もともとプロジェクトのきっかけは、本書の担当編集者に雑誌『ダ・ヴィンチ』の表紙に出させていただく度に、“何かお薦めの本ない?”と訊いていたことから。というのも、そこではお薦め本を一冊、選ばなくって。その後に続く、“映像化されたら、僕が主演できるような作品をね”というひと言も定番だった(笑)。それを毎回言うものだから、編集者は面倒くさくなったんでしょうね。“じゃあ、もう私が大泉さんを主人公としてイメージした小説を作ります!”と。それが映像化を見据えた、僕の“主演小説”の出発点でした。

 

てなことらしいです。

 

「言ってみるもんだな」みたいな話ですが、この本を読んでも分かるように、出版業界は不況で世間の小説離れも進んでいる状態。人々を惹きつけるような目新しい企画をいつでも探している状態の最中、大泉さんの毎度の発言から思いついて企画にしたということでしょうか。

昨今の小説業界はドラマ化と連動しての刊行だとか、

 

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出版社の垣根を越えての横断刊行企画だとか、

 

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本当に色々なことに挑戦しているなぁという印象を受けますね。

 

 

そんな訳で、最初っから映像化を見据えての小説なのですが、本が面白くなければ映像化もなにも始まらない。

思いつきから出たような企画ですが、“あてがき小説”の作者として選ばれたのが取材路能力の高い社会派小説で有名な塩田武士さんだというのがちょっとした変化球で上手く作用したのか、

 

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話題になって本屋大賞にランクインされ、当初の予定通り大泉洋さん主演で映画化される運びとなりました。感染症による騒動で一度延期となりましたが、2021年3月に公開の予定です。

 

ちゃんと映画化までたどりつけて目出度い。

これで映画もヒットしてくれたらもっと目出度いのでしょうけど。どうなりましょうか。とりあえず主演がイメージ通りなのは間違いないですが。設定は人物など結構変更点があるみたいなので映画は映画でよりエンタメ的になっているかもしれないですね。

 

“あてがき小説”は、人物のイメージが分かりやすく示されるということなので、読者としては読んでいて楽(?)です。容姿もそうですが、言動もちゃんと「大泉洋ぽい」。私は大泉洋さんについて詳しくはないのですが、それでも万人が“ぽい”というだろう人物に主人公の速水輝也はなっていると思います。

しかしながら、そういった大泉洋さんのパブリックイメージだけで描写を留めていないのが流石塩田武士さん。分かりやすい人物イメージを使っているからこそ、裏での苦悩や葛藤が強く伝わってくるようになっていて、圧倒的リアリティもあり、ドンドンと読ませてくれる重厚な作品となっています。

 

 

 

 

 

食わせ物だらけのお仕事小説

出版業界を舞台に、本を愛する敏腕編集者が右往左往する今作。

雑誌や文芸の苦しい現状についての詳細は、前にブログで紹介した大崎梢さんの『プリティが多すぎる』

 

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や、早見和真さんの『小説王』

 

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で同じことが繰り返し語られていたので、個人的に目新しさはなかったのですけども。当たり前ですが、小説家は本が好きですから世間の本離れを憂いるでしょうし、取材もしやすいし、現状を訴えたいという想いもあって普遍性がないのは承知で題材に選ぶのかもしれません。

 

今作はそれだけでなく、大物作家や苦手な上司とのスレスレのやり取り、新人作家を上手く“のせる”手腕や部下の扱い方、社内の派閥争いに理不尽に振り回される様など、四十代一会社員の立場や苦悩はかなり綿密に描かれていて描写の鋭さや取材力を感じます。

ただ単に編集者たちが苦悩しつつも頑張っているというだけでなく、皆が皆、それぞれ頭の中で策略を巡らしている一筋縄じゃ行かない人達だらけなのが特徴。敵か味方かは時と場合による、そんな世界が展開されています。

 

 

 

 

 

 

 

以下ネタバレ~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

騙し?

この物語り、簡単に言うと、雑誌のために誠意を持ってひたすらに頑張っていた男が、力及ばずに落胆して社を去って行った・・・・・・と、見せかけて、実は裏で着々と独立して自分の会社設立を実現させるために抜け目なく動いており、退職後、薫風社でのコネや企画を全て持っていって大成功を収めたよ。と、いうもの。

速水の周りはどいつもこいつも信用出来ない嘘つきの食わせ物だなぁと読者に思わせておいて、実は主役の速水が一番の食わせ物でしたというオチですね。

 

「あいつは騙し絵みたいなもんや」

「騙し絵?」

「華やかな美人やと思ってても、視点を変えて見たら、牙を剥く悪魔が浮かび上がる、みたいな」

 

と、いう作中の会話が『騙し絵の牙』というタイトルを表しているのでしょうが、映画の予告での文言のように「してやられた!気持ちよく騙された!」ってなるかというと少し微妙です。

 

そもそも、今作の紹介文に“ミステリー小説”と書かれていたりしますが、個人的にはミステリー小説だとは思えない。読み終わっての印象は「お仕事小説だ」というもので、ミステリーだという触れ込みだと、別の意味で読者は「騙された!」となってしまうのではないかと。

 

一応外国語を勉強しているという伏線は出てくるのですが、伏線といえるようなものはほぼこれだけなので、速水視点でずっと進行していたのに最後の別視点で「実はこうでした!」と、バーンとやられても唐突すぎて感嘆するもなにもない。

インパクトを与える狙いなんでしょうけど、個人的には速水が退職後に起業するまでの過程を丁寧に見せて欲しかった。「騙される」という触れ込みを訊いていたぶん、そこを期待して読んでいたというか。

 

プロローグとエピローグで速水の同期・小山内甫からの視点にしているのは、“見え方の反転”を示しているのでしょうが、速水の生い立ちなどをエピローグで全て持ってくるというのもちょっとどうかと。生い立ちを謎解きの詰めみたいに持っていっていますが、小山内が態々速水の生い立ちを根掘り葉掘り調べるのは変だし。

生き別れた、作家志望だった養父からの原稿を待ち続けていたという事情は痛切ですが、でもだからってそれが何

 

違法行為をした訳でもなく、速水は自らの手腕で堂々と起業しただけなのだから、まるで「罪人」みたいな扱われ方するのはおかしいですよね。謎解きの答えみたいに出すのは疑問。

 

このエピローグによって、せっかくの“優れたお仕事小説”部分が薄れてしまっているのでは・・・なんて気がしないでもない。エピローグ前の段階で終わっていても充分に面白い作品なので、人によってはエピローグ自体が丸々余計だと思う人もいるかも。

なんにせよ、ミステリ的仕掛けを期待して読むと肩透かしを食らいますね。

 

 

 

すべて本当

 

「俺が自らの野望のために自分たちを利用していたんではないか、と。作家との人脈を築いてたたんも、雑誌のために奔走してたんも、みんな己の会社設立のためにやってたんや、と」

 「そう考えると楽やわな。結局、勧善懲悪の枠組みの中で物事を整理した方、収まりがええわけや。そうやないと混乱するから。でも、それは分かりやすいけど、真実ではない。完璧で華のある速水も、自身の目的のために冷酷になる速水も、父親のために原稿を待ち続けた速水も、娘を愛する速水も、どれもほんまもんや」

 

結果的に、周りをいいように利用して騙していたようにみられてしまう速水ですが、速水が雑誌「トリニティ」のため必死に奔走していたのも、小説を愛して、作家のことを何よりも思いやっていたのも全て本当です。

そもそも、今作はプロローグとエピローグ以外は速水視点で、その都度心情も描かれているのだから嘘なはずがないのです。会社を設立したのも、速水としてはそこに至るまでの必然性があってのことです。速水としては。

「騙し絵みたいだ」というのは、あくまで周りがそう“見ようとしている”だけ。速水があまりにも周りに好感を持たれる人物だったので、反動で表の顔だ、裏の顔だと言っているだけにすぎない。

 

とはいえ、個人的には主役である速水にさほど好感を持つことが出来なかったのですけど(^_^;)。自分が浮気しているのを棚に上げて奥さんの価値観を批判したりだとか、妻はどうでもいいけど子供はとにかく大事で渡したくないとか、身勝手な男だなぁと思う。

最後に故郷と母親を切り捨てるのもなんだか納得いかないし・・・・・・もう過去には囚われたくないってことなのでしょうけど。お母さんが気の毒ですよ。

 

 

大泉洋さんをイメージして描かれた「速水輝也」。どの様な見方をするかは読者それぞれに。

 

 

騙し絵の牙 (角川文庫)

騙し絵の牙 (角川文庫)

 

 

 

ではではまた~

『巷説百物語』7編 あらすじ・解説 シリーズ開幕の第一弾!

こんばんは、紫栞です。

今回は京極夏彦さんの巷説百物語をご紹介。

巷説百物語 「巷説百物語」シリーズ (角川文庫)

 

江戸時代を舞台に、御行の又市率いる一味が公には出来ぬ厄介事の始末を金で請け負い、妖怪譚を利用した仕掛けで解決させていく妖怪小説のシリーズ【巷説百物語シリーズ】。『巷説百物語』はそのシリーズの第一作目。

 

※シリーズ全体の詳細はこちら↓

  

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シリーズの一作目である『巷説百物語』では、戯作者志望で百物語を開版するべく怪異譚を蒐集している青年・山岡百介が又市ら一味と出会い、裏の世界に足を踏み入れてゆく様が描かれる。

 

主要登場人物御行の又市考物の百介の他に山猫廻しのおぎん事触れの治平で、「塩の長司」で四玉の徳治郎が、「帷子辻」で靄船の林蔵無動寺の玉泉坊が登場しています。

 

文体は仕掛けられている側の心象だったり、証言者の一人語りだったりと様々な視点で提示されることで事件の全体像がみえてくる構成になっていて、最後の章で百介が又市たちから種明かしを聞くのが“オキマリ”となっています。

 

 

 

 

 

 

各話、あらすじ・解説

一話完結型な連作短編で、七編収録。

巷説百物語シリーズ】で題材として採られている妖怪たちは全て、天保12年(1841年)に刊行された竹原春泉の画、桃山人の文の『絵本百物語』から。

 

 

 ●小豆洗い 

越後の難所・枝折峠で豪雨に遭い、川岸の山小屋で雨宿りすることにした僧・円海。山小屋には白い御行姿の男、垢抜けた傀儡師の女、初老の商人、得体の知れない若い男など、十人ほどの男女が集まっていた。退屈しのぎに江戸で流行りの百物語と洒落てみようとなったのだが、怪談が終わるたびに円海は何故か取り乱してゆく。

 

記念すべきシリーズ一作目で、百介と又市たちの出会いのお話。「百物語しようよ」という所から全てが始まるのが心憎いなぁといった感じですが、シリーズ三作目の『後巷説百物語』を読むと、このお話が心憎いどころじゃない更なる意味を持っているものなのだということが解って驚愕する。

仕掛けは比較的単純なのですが、怪談の語り口や、「小豆洗い」は川で小豆を洗う妖怪で音の怪異だとのことで、オノマトペが多用された文体が怪しい雰囲気を高めてくれます。出来れば雨が降っている夜、部屋で一人の時に読むのがオススメ。

巷説百物語シリーズ】の第一話はこれっきゃないっ!ていうお話ですね。

 

 

 

 ●白蔵主

甲賀の国・夢山の麓にある社で、狐釣りである弥作はおぎんと名乗る女と出会う。おぎんは江戸からずっと弥作の後を尾けてきたと云う。弥作は火盗改めの密偵か、狐が化けたものかとおぎんを疑い、疑心暗鬼に陥る。弥作には火盗改めに追われ、狐に怨まれる覚えのある忌まわしい過去を持っていた。

 

“白蔵主”とは白狐が化けたもので、寺の住職を殺して成り代わり、何年も騙し続けたとかなんとか。能狂言の題材として芝居になったりもしていて有名(?)な伝承。

なんといっても狐の化身なのではないかと疑われるおぎんが良い。読者はおぎんの正体を知っているのに、「まさか本当に狐なんじゃ・・・」と思わせられてしまう程に妖艶でミステリアスな女性の描きっぷりは流石。

弥作の境遇はやるせなく、どちらに転んでも後味の悪い結末の仕掛けなので、百介が釈然とせずに又市に問いただしています。又市ら一味がどのような道理で仕事を請け負っているのかが示されるお話ですね。

 

 

 ●舞首

伊豆の国、巴が淵。荒くれ者である鬼虎の悪五郎。その悪五郎を斬ってくれと依頼された「首切りの又重」こと石川又重郎と、その二人を狙う田舎侠客・黒達磨の小三太。悪党どもの三つ巴の結末はいかに。

 

「舞首」は三人の博打打ちが諍いをしたあげくに揃って死罪となり、首を海に流したところ、三つの首が一箇所に集まっていつまでも罵り合いを続けたとかいう、恐ろしいような、どこか滑稽な伝承。

悪人だらけの三つ巴の合間合間に又市たちの影がちらつき、「どうなるの?どうなるの?」と、とにかく顛末が気になるお話。“首なし死体”が仕掛けに利用されているとあって、ミステリ要素が強いかも。

 

 

 ●芝右衛門狸

淡路の国の大百姓で評判の好々爺・芝右衛門。孫娘を辻斬りに殺される禍に見舞われ、傷心の芝右衛門は庭に訪れた人の言葉を解しているがごとき狸を可愛がり、話し相手とする。傷心故に気が触れたのではと村で噂されているのを知り、芝右衛門はこの狸に「明日は人の姿に化けてこい」と言い渡す。すると翌日の夜、狸は老人の姿で現われた。この老人は「自分の名も芝右衛門だ」と云い、「芝右衛門狸」として村で評判の人気者となるが・・・。

 

元の伝承は、狸が人に化けて芝居を見物しに来たところで犬に食われて死んでしまったのだが、その後三十三日間変身が解けずに人間の姿のまま、正体を見せなかったとかいうもの。

 好々爺と狸のやり取りが微笑ましいですが、その一方でどこぞの若侍の様子が血生臭く不穏に描かれる。温度差があるぶん、どのように話が繋がるのかが見所。芝右衛門の爺さんは本当の善人で好々爺なので、最後誤解させたままなのがチト気の毒。

 

 

 

 ●塩の長司

加賀の国、小塩ヶ浦の馬飼長者・長次郎。慈悲深いと評判だった長次朗は、十二年前に三島の夜行一味に襲われ、先代と妻子を殺されてしまう。それ以来、長次朗は顔を隠し、滅多なことでは人前に出ないようになった。

一方、又市は小悪党仲間である四玉の徳次郎から死んだはずの長次朗の娘・おさんを見つけたと聞かされるのだが・・・。

 

「塩の長司」は家で飼っていた馬を食べて以来、馬の霊気が口内を出入りするようになったとかいう怪事。似たような言い伝えは他にも様々にあるのだとか。

“馬を食べる”という行為がキーになっているお話で、時代背景を色濃く感じる。現代人としてはピンときませんが、この時代は確かに肉を食べる習慣はさほどなかったし、まして飼っている馬を食べるなんて非道なことだったのだろうなぁと。

このお話もミステリ色が強いですかね。

 

 

 

 ●柳女

北品川の旅籠、柳家。柳の巨木を祀り、十代続いた老舗旅館であるが、今の主人である吉兵衛はこの巨木に信心を持たず、柳を祀った祠を破壊する。それ以降、吉兵衛は妻を娶り、子をなす度に不幸に見舞われ、四人の妻と三人の子を失った。

おぎんは幼馴染みである八重と再会するが、八重は吉兵衛のもとに五人目の妻として嫁入りすることになったという。八重の身を案じたおぎんは又市に相談を持ち掛けるが・・・。

 

風の激しい日に、子供を抱いた女が柳の下を通ったら首に柳の枝が巻き付いて事故死し、それからというもの、夜な夜な柳の下に恨み言をいってすすり泣く女が現われるようになった――と、いうのが『絵本百物語』での「柳女」の解説。

おぎんが又市に依頼するとあって、減らず口どうしの二人の会話がまず楽しい。気乗りしない又市ですが、おぎんに押し切られてしぶしぶ立ち上がるのですね。

同じ男のところに嫁いだ女が次々と――と、いう筋は【百鬼夜行シリーズ】の陰摩羅鬼の瑕と似ている。真相も。

 

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どちらのお話も悲しいしやるせないのですが、こちらのお話はかなり恐ろしい真相ですね。

 

 

 ●帷子辻

京洛の西、帷子辻。与力・笹山玄蕃の病死した妻女の遺体が盗まれ、腐乱した状態で放置されたのを皮切りに、祇園の芸妓、料理屋の下女、花売りと、相次いで女の腐乱死体が辻にうち捨てられる事件が発生。まるで、腐りゆく美女の遺骸を描いた画図「九相図」を再現するかのような怪事の真相とは。

 

世の無常を示すため、檀林皇后の御尊骸がうち捨てられた逸話が地名の由来となっている「帷子辻」。

大阪ってことで、又市の大阪時代の朋輩でシリーズ五作目『西巷説百物語の主役・靄船の林蔵が登場しています。美醜が絡んでくる話なので、嗤う伊右衛門とリンクしている話題や場面があり、仕掛けが終わった後、又市が珍しく塞ぎ込んでいる。この又市の心境は『嗤う伊右衛門』を読むと理解が深まります。

 

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「弔い」について、このお話を読んで考え方が変えられたというか、気付かされたので、個人的にいつまでも忘れられない特別なお話。

 

 

 

 

 

 

 

 

ほんの序章 

以上、七編。

どれも素晴らしい一話完結型連作妖怪仕掛け小説でありますが、実はこの本はほんの序章というか、シリーズ開幕の、概略を示す看板みたいなものです。

シリーズの一作目『巷説百物語』の段階では、又市たちの素性や何故このような仕掛け仕事をしているのかなどの背景は明かされていません。それらは「続」「後」「前」へと続いていくのですが、単純に続いている訳ではなく。シリーズ全体にも驚くべき仕掛けが施され、感嘆と感動を読者にもたらしてくれます。

 

時代小説であるものの、

「人に魂などない!」

「況んや冥界などというものはない!」

「生きた身体そのものが魂でございます。生き残った者の心中にこそ――冥府はあるのでございます。だから――死したるものは速やかに、あなたの心の中にお送りせねばならぬのです。そうでなくては生きている者の示しがつかぬ」

など、妖怪小説でありながら超現実主義的な京極夏彦作品の特徴は一貫されていて、「悲しいやねえ、人ってェのはさあ」という【巷説百物語シリーズ】のテーマも繰り返し示されています。

この徹底した、完成された物語構成。是非、シリーズ開幕の今作から順を追って愉しんでいって欲しいです。

 

 

 

 

 

ではではまた~

 

 

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