夜ふかし閑談

夜更けの無駄話。おもにミステリー中心に小説、漫画、ドラマ、映画などの紹介・感想をお届けします

コナン 映画『緋色の弾丸』ネタバレ・感想

こんばんは、紫栞です。

今月初めに名探偵コナン 緋色の弾丸』を観てきたので、今回はこの映画の感想を少し。

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名探偵コナン 緋色の弾丸』は劇場版『名探偵コナン』シリーズの24作目。

こちらの映画、本来は2020年4月公開予定だったものが感染症拡大の影響で延期となり、2021年4月公開となりました。丸々1年の公開延期という発表には当時なかなかに驚かされたものですが、内容がオリンピックを連想させるようなものだったのと、万全の体制で公開してシリーズ最高興行収入を狙いたいってことなのかなぁ~と、制作者サイドの意気込みを感じる決定でしたね。

が、満を持しての公開もゴールデンウィーク前に緊急事態宣言が出されちゃって何とも不運なことになってしまった。万全を期しての丸々1年延期だったろうに、一番の稼ぎ時であるゴールデンウィークに映画館閉鎖。本当にタイミングが悪いなぁと。それでも現時点で70億以上の興収いっているので、やっぱり凄いんですけど。

 

近年のコナン映画は特定のキャラクターにスポットを当ててストーリーを作る戦略(?)でずっときている訳ですが、今回は赤井家総出演を謳い文句にしたストーリーで、主題歌は東京事変

赤井家推しで林檎ファンである私は、「まさに私のためのような映画!」と、発表された時から「私が観に行かなくてどうする!」みたいな妙な使命感に燃えていた訳ですけども、なんやかんやで観に行くタイミングを逃し続け、今月になってやっと観に行った次第です。

 

 

 

 

以下ネタバレ~

 

 

 

 

 

 

 

 

お話は数年前のアメリカで起こった事件映像からスタート。このオープニング、何やらお洒落でしたね。日本でのスポーツの世界大会開催とリニア開通で盛り上がるなか、オープニングで出て来た数年前のアメリカでの連続要人誘拐事件を模倣したかのような出来事が起こり、日本にいるFBIの面々が密かに捜査を開始する――と、いったストーリー。

 

脚本は『相棒』シリーズや『科捜研の女』シリーズなど刑事ドラマもので有名な櫻井武晴さん。コナンの劇場版はこれまでに「絶海の探偵」「業火の向日葵」純黒の悪夢「ゼロの執行人」と書かれていて、近年ではコナン映画の常連の脚本家さんですね。

 

スケボーで道路交通法違反したり、建物にリニアがぶっ刺さったり、人間を辞めた技術を披露したりで「ウソだろ!?」というシーンの連続でツッコミどころ満載なのですが、もはやそれでこそコナン映画。観ている側としてもコナン映画にはそういった“とんでもなさ”を期待してしまうところがあるので、真面なシーンのみだったら逆にガッカリしてしまうかも知れない。

とはいえ、アメリカの証人保護プログラムが云々で犯人が私見を述べるのとかはいかにも櫻井脚本ちっく。『ゼロの執行人』でも公安のSが~と、組織の在り方やシステムへの批判やらが盛込まれていましたが、

 

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個人的には『純黒の悪夢』ぐらいエンタメよりでファンサービスに溢れた物語の方がコナン映画には向いているのではないかと思う。

 

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原作は本格推理漫画なので、クローズド・サークルで密室殺人とか、推理劇に的を絞ったものを映画でやっても良いんじゃないかって気はするし、個人的にはそういった話好みなので大歓迎なのですが、劇場版名探偵コナンでは本格推理路線は採用されないのかな。

 

 

映画は面白かったですが、観ての率直な印象は「灰原映画だったな」というもの。

今回はずっと灰原と連絡を取り合って事件解決に尽力する流れになっていて、いつもなら居合わせる少年探偵団の面子も「事件に巻き込まれるかもしれなくて危ない」と、博士と園子共々ヤイバ-ショーに追いやっちゃっているので(子供は危ないだとか言っといて、コナンは灰原引き連れてちゃっかりオッちゃんと蘭についてくるんですけども。しかもコナン、「灰原がどうしても来たいって」と、人のせいにしているし)、本当に二人だけで連絡を取り合い、協力しているので、今までになくコナンと灰原の相棒感が存分に楽しめる映画となっています。

お互いの能力への信頼感ですとかが垣間見えて、コナン(新一)にとって、蘭は守る対象で(物理的には守る必要皆無だけど)、灰原は一緒に戦える相手なんだなぁと。息の合った相棒っぷりは見ていて面白いのですが、この関係性には最終的には終わりが待っているんだよなぁ・・・と、なにやら切なくなった。

 

 

さて、では肝心の赤井さんはというと、想像していたよりも活躍が少ない。

コナンと相棒してるのは灰原だし、コナンと一緒に行動しているのは真純ちゃんだし、逃げた犯人を追い詰めたのは秀吉さんだし、最後の最後にすべてをかっさらっていったのはメアリーさんと由美さん。

実質、赤井さんは弾一発撃って車運転していただけなんじゃ・・・?って感じ。前半はずっと沖屋さんの扮装してたし、これなら『純黒の悪夢』のときの方がよっぽど活躍してんじゃないかって思う。顔はいつも以上に格好良くって、「気合い入れてセル画描いてんな」って感じでしたけども。

 

登場人物が多いせいか、赤井家がヤバすぎるせいか、活躍が分散されてしまったためですかね。正直言って、お話的にはFBIの面々がいれば事足りるだろうってなものですので、赤井家全員を話に絡ませるのは割と無理があったんじゃないかな。そもそも、赤井家はメアリーさんが縮んだのを隠していたり、赤井さんが絶賛死んだふり中だったりで、非常にややこしいことになっているので、家族全員で協力して~なんてことは今現在の設定上出来ないんですよね。

観る前は家族全員でのやり取りとか妄想してたんだけど、自分、願望が高まって設定の細かな部分を失念していたな・・・と、観ながら思った(^_^;)。

 

個人的に、赤井家メインにするのは時期尚早だったんではないかと。今の段階では、赤井さん一人に的を絞った話のほうが良かったのでは。原作がもっと進んで、家族間で状況の共有が出来てからのほうが、規格外な一家のスパイ大作戦みたいな楽しい映画が出来たんじゃ。ちょっとまだ願望引きずってますけど(^^;)。

 

CMや触れ込みから、この映画を観に行く人は赤井さんとコナンとの共闘を期待して観に行くはずなので、この内容では肩透かしを食うだろうなぁと。私自身もそうでしたし。

でも、コナンと灰原の映画として観るなら十分に面白い仕上がりになっているので、アピールポイントのズレというか、宣伝の仕方が何か間違っていたんじゃないか?と、思う。

 

せっかくの赤井さんなのに勿体ないなって。今回やったから後2・3年はメイン回やらないだろうしねぇ・・・赤井家も。登場人物の多い漫画も困りものですね。

 

 

とはいえ、秀吉さんやメアリーさんを劇場版で観られたのは嬉しかった。メアリーさんは出番少ないし、ぶっちゃけ話的には居なくてもいいだろって感じが特に強いんですけど、あの姿で長男に蹴り入れたり、背後を易々ととったりと、母親の貫禄を見せつけていましたね。声が田中敦子さんというのもあって、最強感が凄い。カッコイイ。『攻殻機動隊』ファンの私としてはどうしても素子を連想しちゃって、「攻殻観てぇ」ってなった。メアリーさん、口調もやってることもほぼ素子だし。

 

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今回の映画で分かった新事実は、メアリーさんがあの姿でもSISの仕事続けてるってところですかね。この事からして、イギリス側は完全に組織の幼児化の薬について把握しているという訳か。あの姿で日本に入国出来たのも、SISの協力があってなんですね。

 

エンディング後のシーンが必見なのですが、このシーン、原作ちゃんと読み込んでいる人じゃないと真意を知るのが難しいですかね。母からのメッセージは回りくどい。

 

エンディングはもう一つ、由美さんの“やらかし”が強く印象に残る。せっかくの登場なのに、由美さんがやったことといったら、デート中に酒飲んで酔っぱらって、プロポーズ忘れて、交際相手のお兄さんのあの高そうな車で吐くという、失態しかしていないというありさま(^_^;)。あの後兄弟で掃除したのかなぁとか妄想すると可笑しいですね。

 

後、ゲスト声優で出演している浜辺美波さんが凄く上手くって、“そういった”部分でのストレスなく鑑賞出来て良かったですね。またゲストで出て欲しい。

 

 

次の25作品目は警察学校組らしいです。25作品目で節目なので、黒の組織関連やるかなぁと思っていたのですが。20作目の『純黒の悪夢』のときのような黒の組織関連のオールスター揃い踏みのものは30作目まで持ち越しなんでしょうかね。原作あと何年やるんだっていうのもありますが。でも余裕であと5・6年は続けそうな予感はする・・・。

 

 

今後の赤井家のさらなる活躍に期待しつつ、原作も映画も追っていこうと思います。

 

 

 

ではではまた~

 

 

 

『秘密season0』10巻 ネタバレ・感想 〈悪戯〉編、完!“イタズラ”の結末は?

こんばんは、紫栞です。

今回は清水玲子さんの『秘密season0』10巻をご紹介。

 

秘密 season 0 10 (花とゆめコミックススペシャル)

 

『秘密-THE TOP SECRET』

 

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「スピンオフシリーズ」と銘打たれて始まった『秘密season0』も、今作で10冊目。もはや何が「スピンオフ」で、何が「season0」なんだか分からない感じとなっておりますが、年に1回のお楽しみコミックスである近未来サスペンス漫画、今年も無事に刊行です。

 

表紙がまた美しいです。7巻の表紙を思い出すようなどことなくギムナジウム的(?)表紙ですね。書かれている人物は高校生じゃなくて中年男性ですけどね。お耽美で爽やかな表紙ですが、内容はやっぱり血生臭いクライムサスペンスですよ。

 

 

 

 

〈悪戯(ゲーム)〉編、完結!

10巻の収録内容は〈悪戯(ゲーム)〉編の9~13話。8巻から続いてきた〈悪戯〉編も今作で完結です。

前巻が割とゆったりとしたストーリー展開だったので、よもや次の巻では終わらずにもっと長くなるかもなぁとか危惧したりもしていたのですが、今巻でこの事件はキッチリと終わっています。三冊使っての、およそ3年間使っての長編ってことで、前シリーズの最終事件レベルの長さでしたね。

 

カルト教団の教祖の息子・光。かつての「つばき園」の子供達を煽動し、取り返しの付かない“悪戯”をさせたりした後、色々と画策して、殺人も犯して、青木家に里子にやってくることに。青木家の人々との生活の中で徐々に普通の子供らしい感情を表すようになり、更生の兆しを見せていた光だったが、舞が襲われる事件がきっかけとなり、異常な凶暴性を露わにしてしまう。自分では力が及ばないことを痛感した青木は、光を専門機関に預けることを決めるが、その矢先に舞を襲ったことで光に痛めつけられて重傷を負っていた元「つばき園」出身の子供・淳一が突如病院から姿を消す。「一体福岡で何が起こっている・・・」ってところで前巻は終わっていました。

※8巻・9巻の内容について、詳しくはこちら↓

 

 

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前巻までは疑惑の危険人物である光の動向を追うというものでしたが、今巻で思わぬ人物が思いがけぬほどの行動力を発揮して事態が一気に動くことに。

 

 

 

 

 

以下、がっつりとネタバレ~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イタズラ

淳一が連れ去られた後、光も姿を消し、帰宅途中だった舞と元「つばき園」園児・ミミも連れ去られて、24時間のうちに同じ小学校の児童4名が行方不明となる異常事態が発生。

 

舞ちゃんに命の危機が迫るという、もっとも恐れていた事態となる訳ですが、作中に出てくるいや~な刑事さんが指摘するように、夜の7時過ぎに小学校5年生と1年生の女の子を二人だけで帰すというのはあまりに無用心で「おい!青木!」って思った。案の定、連れ去られているし。

舞、ミミ、淳一を連れ去ったのは臨床心理士スクールカウンセラー神原翔子。子供時代に陰湿ないじめにより妹を殺されたことから“邪悪な子供達”への嫌悪を募らせていた神原は、光に教え子を殺され、「化物」を排除しようと光を誘き出すために三人を攫い、妹が死んだ場所である廃校舎のトイレに監禁し、光を誘き出して決着をつけようとする。

 

〈悪戯〉編開始当初から舞ちゃんらしき女の子がトイレに閉じ込められている様子が度々作中に挿入されていましたが、あれは実は舞ちゃんではなく、神原の妹がいじめを受けて死亡する間際の過去の様子だったんですね。神原の妹は拘束され、目と口をふさがれてトイレに閉じ込められたて喘息の発作で死に至ったという惨いものでした。

 

前巻で、淳一が光に襲われているのを目撃しながら助けようともせずに動画を撮っていたのには疑問と憤りを感じたものの、このカウンセラーの先生は単なる端役だと思っていたので、今巻の最初の方で「光に刺された」と狂言をしだす姿には驚きましたね。それだけでなく、子供を拉致監禁までするとは。いきなりのあさっての方向への行動力に脱帽です。いやぁ、この展開は予想出来ませんでしたねぇ。

 

しかし、行動力でいうなら光も負けておらず、廃校舎に放火したり、避難スライダーにワイヤートラップ仕掛けたりと、こっちも「何してくれてんの?お前?」という方法で応戦。神原と光の対決に、舞ちゃんと薪さんが居合わせるという形での最終局面となる。

 

舞ちゃんを助けるためと言いつつ、神原を殺す気満々な光君。放火もワイヤートラップも舞ちゃんを危険にさらす可能性があるし、助けるだけなら絶対もっと穏やかな方法があるはず。なのに、態々こんな方法をとるってことは、神原を確実に殺害しようというのが第一にあるから。

光の悪意を改めて目の当たりにし、神原は「治らない」「どれだけ時間をかけて更生させても」「命を削って愛情を注いで教育しても治らない」「こういう子は」と言った後、火災による爆発の揺れで避難スライダーを滑り出してしまった舞ちゃんを助けようとした際に光の仕掛けたワイヤートラップにかかり、命を落す。

 

ワイヤートラップが仕掛けられていることも、そのワイヤーが張られているだろう位置も薪さんが看破して神原に教えていたのですが、薪さんの「上体を寝かせろ」という忠告を無視して、神原はワイヤートラップに自ら突っ込んで“消極的な自殺”をしてしまう。

それというのも、「本当にワイヤーで首がとぶんだろうか」というのを“ためしたく”なったから。魔が差しての、悪戯心からの行動でした。

 

ま、実際にはワイヤーでスッパリ首が飛ぶなんてことはそうそうないようで、神原の首も完全な切断には至っていない。自分の頭上で知り合いの首が半分もげたのに、メンタルに影響が無さそうな舞ちゃんには逞しさを感じた。青木も見たら気が触れて死んでしまうっていう猟奇殺人犯の脳映像見て平気だったし、青木家の人間は逞しい家系なんですかね。

 

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子供の悪戯から始まったこの事件。悪フザケが延長し、「悪意」と「好奇心」は際限なくふくれあがり、人の命を奪うまでに至った。そんな子供の悪戯心が許せなかったはずの神原も、最後には自身の悪戯心によって死ぬことに。

悪戯に始まり、悪戯に終わる、なんともやり切れない事件でした。やり切れないのはこの漫画ではいつものことかもですが・・・(^_^;)。

 

神原の一連の犯罪行為は「テロリストが主義主張のために空港爆破するみたい」に、すごく滅茶苦茶なことをしているくせに「正義」を行っているつもりでいるという、利己主義的なもので、もちろん批難させるべき行いですが、「罪を犯したのに、子供だからというだけで放免されてしまうのが許せない」という気持ちはまぁ分かる。

悪フザケの延長で面白半分に身内や教え子を殺されて、加害者はまったく贖罪の気持ちを持っていない。だけど子供だからどんなに酷いことをしても実刑にはならないってんじゃ、そりゃ憤るだろうし、なんとかして相応の報いを受けさせたいと考えるのが当然でしょう。加害者が過酷な環境で育ったとか、被害者側からすると関係ないし。だから、神原が死んでしまったのはやっぱり哀しくて残念ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天使の真似

光は子供ながらに自分が「悪」の側だとハッキリ認識している人間で、薪さんのことを自分と同種類の人間とみなして「皆人間の中に邪悪さがないって認めたくないんだ。そう“思いたい”だけなんだ。本当はあんたも僕とそんなに変わらないくせに!」と、まぁ喚くのですが、そんな光に薪さんは「お前が好きな人の好きなところを真似してみろ。そしたらまわりの人が変わってくる。そして、動物を殺したりいたぶったりして遊ぶ“面白さ”よりずっと毎日が面白くなる」「毎日毎日、天使の真似をしていればいつか、きっと“偽物”と“本物”の区別がつかなくなる」と、アドバイスする。

 

光が言うように、皆の中に邪悪さはあるけれど、光の場合は自分の中の「邪悪」を見つめすぎているのじゃないかと思う。人間って、そんな大差があるもんじゃないのに、自分の「邪悪」を強く意識するあまり、自分はまわりとは全然違う悪の塊なんだと思い込んで、その思い込みにしたがって行動してしまう。本当は確固たる「自分」っていうものはハッキリ主張できない曖昧なもので、言いきれるもんじゃないだろうし、若いときの自分語りってのは大抵滑稽なもんです。ましてや光はまだ10歳。自分自身を決めつけるのはまだ早すぎる。ま、10歳の時点で償いきれないような罪を犯している訳ですけども・・・。

 

心中の曖昧な想いより、人は実際の行動に引っ張られるもの。だから薪さんのいう「真似ごと」も有効だし、真似していたことが自然に身につけば、それはもう真似じゃなくなり、嘘だとか本当だとかはどうでも良くなる・・・と、いうか、そういった煩わしいことは考えなくなる。

 

ま、人を好きになれるって時点で、光は「怪物」ではないってことなのかも知れない。薪さんのアドバイスに素直に従ったものか、光は1年後に心臓病でこの世を去るまで「天使の真似」をして穏やかに過し、本物の天使となった――で、この本は終わっています。

 

 

しかして、光のしでかしてきた諸々を考えると、やっぱり何のお咎め無しというのはモヤモヤしてしまうところ。被害者に申し訳ないって気持ちは抱けないみたいだし、最終的に病気で死なせたのは話をまとめるにはこうするしかないのかなって気がする。

あと、「つばき園」の元園児の洗脳状態とか、どうなっているんだ・・・そこらへんも疑問が残る(^^;)。

 

 

 

 

次作は?

10巻は福岡での緊迫したやり取りが主ということで、岡部さんを始め、他のメンバーの出番が少なめでした。出番が少ないながらも岡部さんは迫力満点の壁ドンを披露してますけど。そして怒られてますけど。次作に期待ですね。

青木の部下の白石という女性なのですが・・・どうも“アレ”なことになりそうな予感がヒシヒシとするんだが・・・どうなのでしょう。

 

不穏な始まり方をしての長丁場の事件だったので、主要メンバーが死んじゃったりだとかがあるのか!?ビクビクしていましたが、そういったことはなしで終わってとりあえず安心した。前シリーズでのお姉さん夫婦殺害という前科がこの漫画にはありますからね・・・気が気じゃない。

 

前シリーズの『秘密-THE TOP SECRET』は全12巻でしたが、このseason0は何巻までやるのでしょうか。前シリーズを踏襲するなら、そろっと大きな展開が待っているのではって思うところですが。三冊使って綺麗に終わらせたこの事件の後、どんな物語を持ってくるのか気になりますね。

 

 

また来年、楽しみに待ちたいと思います。

 

 

 

 

ではではまた~

 

『書楼弔堂 破曉』シリーズ第一弾!登場人物、他シリーズとの繋がり、ネタバレ・解説

こんばんは、紫栞です。

今回は京極夏彦さんの『書楼弔堂 破曉』をご紹介。

 

書楼弔堂 破暁

 

〈探書〉朝

『書楼弔堂 破曉』は明治二十年代半ばが舞台の〈探書〉物語シリーズの第一弾。「書楼弔堂」という、とんでもなく品揃えが良い本屋に、史実の著名人たちが本を探しに訪れて“その人の人生にふさわしい一冊”に出合っていくという連作短編もの。

 

京極さんの代表的シリーズである巷説百物語シリーズ】

 

 

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百鬼夜行シリーズ】

 

 

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との間を埋めるような時代設定になっていて、話も繋がっています。後巷説百物語収録の「風の神」からおよそ十五年後という設定。単体でも十分愉しめるよう書かれている作品ですが、他シリーズも知っているとより愉しめるというか、興奮する作品になっていますので、京極作品ファンは必見。

 

簡単に言うと、本屋に客が来て本を買っていくというだけのストーリーで、ドラマチックな出来事やミステリ要素などもないのですが、史実の著名人たちが登場人物として出て来て、何に悩み、何に迷って、何に気付いて、“こと”を成したのかが、「書楼弔堂」を通し、虚実入り乱れて描かれています。

 

史実を踏まえて虚構を愉しむ物語で、読みながら「これは史実の誰かな?」と予想する面白さもあり、歴史好きや明治時代の著名人に詳しい人はより愉しめるものになっていると思います。残念ながら、私は歴史やらに疎い方なので、最後に著名人の名が明かされても「名前は聞いたことある気がするけど、何した人だっけ?」と、なってしまい、後から検索してやっと納得するみたいな事が大半だったりしますが(^_^;)。

 

集英社からの刊行なのですが、コレの前に京極さんが集英社で出していた作品は『どすこい』『南極(人)』『虚言少年』

 

 

 

 

など、ギャグ本というかコミカルなものばかりだったので、集英社では“そういう本”しか書かないのだろうとか勝手に思いこんでいました。なので、『書楼弔堂』が刊行された時は集英社でもマジメなもの書くんだ」と、妙なところで驚いたものです。しかも他シリーズともガッツリとリンクしているものを書くとは。私は京極さんの笑いのセンスもツボなので、『どすこい』みたいな笑いに特化した作品も大歓迎なんですけどね。

 

シリーズ第一作目である今作は、コネで煙草の製造販売業に就くも、単なる風邪を癆痎かと怪しんでさっさと休職。感染しちゃ悪いと思い、妻子を屋敷に残して閑居に移り住んだら、父親の遺産で食い繋ぐ勝手気ままな独り暮らしが気に入ってしまい、風邪が治った後もダラダラと同じ生活を続けてしまっている元幕臣の嫡男・高遠が、その閑居の近所を散策しているときに「書楼弔堂」を発見するところから始まる。

『書楼弔堂 破曉』では、この高遠が語り手を務めていて、終始高遠からの視点で物語が描かれています。

高遠の他にレギュラー出演する登場人物は元僧侶である弔堂主人と、美童で憎まれ口が達者な書楼弔堂の丁稚・撓(しほる)

 

「書楼弔堂」は三階建ての燈台のような建物で、軒には簾が下がっており、その簾には「弔」と記された半紙が一枚貼られている。※文庫の表紙を見ると分かりやすい↓

 

 

 

店内は薄暗く、上等の和蝋燭が一定の間隔で灯されていて、夥しい数の本が積まれているという、まるで異界に迷い込んだかのような空間。この異界の建物、主人がいうには「書物の墓場」に、迷える者たちは〈探書〉に訪れ、弔堂主人と会話するなかで“ただ一冊の大切な本”と出合っていく。

 

タイトルにある「破曉」というのは“明け方”のこと。作者インタビューによると、このシリーズは朝、昼、夕、夜という構成で書いていくのだそうな。京極さんは「それって四冊かよ」と後悔しているらしいですが(^_^;)。ま、京極さんのことだからキッチリ四冊出すのだと思う。

ともかく、今作は始まったばかりの明け方、開幕の一作目だということですね。既にシリーズ二作目である『書楼弔堂 炎昼』が刊行されているのですが、

 

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※2023年1月に第三弾『書楼弔堂 待宵』も出ました

 

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読む順番を間違えないように要注意です。

 

 

 

 

 

 

各話・解説

『書楼弔堂 破曉』は六編収録。

以下、各編に登場する史実の著名人たちについて紹介しますが、上記したように「史実の誰か?」を予想するのもこの物語の楽しみの一つとなっていますので、ネタバレをくらいたくない人はご注意下さい。他シリーズとの繋がりも解説していきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

探書壱 臨終(りんじゅう)

 

 

〈探書〉の客は月岡芳年。“最後の浮世絵師といわれる人物で、主に残虐怪奇な無残絵が有名ですが、他にも様々な絵を描き、旧来の画法に拘泥せず、次々と新たな技法を編み出した国芳門下一の出世頭。しかし、名を成すなかで強度の神経衰弱となり、度々身体を壊していた。

月岡芳年が亡くなったのは明治二十五年六月。このお話では、死期を悟った芳年「臨終のその前に、読む本を売って呉れ」と弔堂を訪ねてくる。単行本の表紙に使われている絵は芳年筆の肉筆画。単行本ですと、作中にもこの絵が挿入されています(文庫には挿入されていない)。「幽霊之図」という題ですが、赤い腰巻きに赤ん坊を抱いている姿から、おそらく産女を描いたものだと思われる。シリーズの第一話にウブメを出してくるところがニクイですね。

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探書弐 発心(ほっしん)

 

 

〈探書〉の客は泉鏡花幻想文学で有名な文豪ですね。

このお話では、泉鏡花はまだ文壇デビュー前の若造。金沢から上京して尾崎紅葉内弟子となり、原稿の整理や雑用をしていた時で、ひょんなことから知り合いとなった高遠は、お化けに惹かれてしまうことに悩んでいる様子の青年を見かねて弔堂へと連れてくる。

泉鏡花が京都の日出新聞で処女作である『冠彌左衛門』の連載を開始するのは明治二十五年十月。作中ではこの初連載を開始する三ヶ月前に弔堂を訪れたという設定になっています。

 

 

 

 

探書参 方便(ほうべん)

 

 

〈探書〉の客は井上圓了。妖怪博士として有名な、妖怪研究の第一人者。

このお話では、圓了はまだ妖怪学だのをやりだす前で、哲学者として近代国家を目指して「哲学館」を設立して講師をしていた時。

江戸無血開城の立役者で枢密顧問官・勝海舟は「面白い奴」と圓了に目を掛けており、金を稼ぐことに無知な圓了に知恵を授けてやってくれと弔堂主人に頼みにくる。弔堂主人と勝海舟は懇意な間柄という設定なんですね。高遠は弔堂主人のビッグな人脈にあらためて驚きます。そりゃそうだ(^_^;)。

京極さんの作品ですと『ヒトごろし』にも勝海舟が登場していますね。

 

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京極作品はいずれも同一の世界観で描かれているので、『書楼弔堂』に登場する勝海舟と『ヒトごろし』に登場する勝海舟は同一のもの。伝法で気持ちの良い人物として描かれています。

 

このお話では他にもゲストで『後巷説百物語』の矢作剣之進が登場。

 

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不思議巡査として名を馳せた矢作ですが、『後巷説百物語』収録の最終話「風の神」での百物語怪談会から十五年経ち、警察を辞めて圓了を師と仰ぐ「哲学館」の熱心な学生となっています。矢作以外の朋輩たちも十五年経って何しているのか気になるところですね。

 

 

 

 

探書肆 贖罪(しょくざい)

 

 

〈探書〉の客は岡田以蔵。「人斬り以蔵」の異名で知られる、幕末四大人斬りのうちの一人。

何やら黒い男を連れた老人と鰻屋で思いがけず相席となった高遠。話をしたところ、老人は弔堂を訪ねてきたのだということを知り、高遠が案内をすることに。

この老人は幕末から明治にかけてアメリカと日本で活動し、日米和親条約の締結に尽力した中濱萬次郎(ジョン万次郎)。連れていた黒い男が岡田以蔵で、万次郎は生きながら死んでいるような以蔵をどうにかしてやりたいと、勝海舟に勧められた弔堂を訪れ、「この者を救う本はないか」と尋ねる。

いやいやまて、岡田以蔵は明治になるよりも前に打ち首獄門となって死んだはずでしょ?ってなるところですが、このお話では万次郎が生前語っていた“史実とは矛盾した証言”から着想を得た「もしも岡田以蔵の打ち首獄門が偽装だったら?」というifストーリーとなっています。

岡田以蔵に関しては『ヒトごろし』でも勝海舟が言及している箇所があって、ちゃんとこのお話とリンクするようになっているので是非双方読み合わせて欲しいところ。

 

 

 

 

探書伍 闕如(けつじょ)

 

 

〈探書〉の客は巌谷小波。少年少女向けに書いた『こがね丸』を発表し、児童文学の先駆者となった人物。

このお話での巌谷小波は処女作である『こがね丸』を発表して少し経った頃で年齢は二十三歳。人からの又聞きの又聞きで「見事な品揃えの、揃わぬ本のない書舗」の噂を聞きつけ、本当なら是非行ってみたいと巌谷小波は高遠の元を訪れる。

インタビューで作者の京極さんも仰っていますが、このお話の巌谷小波は今でいうオタク気質な人物として描かれています。噂を頼りに高遠の元に来る熱量や、品揃えをみて興奮する様、読むのとは別で保管用として所持したいなど、まさにオタクの“それ”。弔堂主人に語る悩みや迷いも、簡単に言うと「自分、このままオタクのままで良いのだろうか」というもの。それに対しての弔堂主人の返答はというと、これも簡単に言うと「良いじゃないですか、オタクで」というもの。そう、良いんですよ。オタク万歳さね。

 

 

 

探書陸 未完(みかん)

 

 

相変わらず暇な日々を過していた高遠。ある日、撓に頼まれて弔堂の本の買い取りの手伝いをすることとなり、中野にある神社を訪れる。本の買い取りを希望しているのは宮司の中禅寺輔だった――。

中野、神社、中禅寺、キタコレ!と、京極作品ファンなら大興奮してしまうところ。この本の最終話で登場する人物は史実の著名人ではなく、【百鬼夜行シリーズ】の主要人物である中禅寺秋彦の祖父中禅寺輔。父である洲斎が亡くなり、神社を嗣ぐために妻と生まれたばかりの息子を残して一人実家に戻り、神職の勉強やら修行やらをしている時で、買い取って欲しいという大量の本は父・洲斎が懇意にしていた戯作者・菅丘李山の遺族から譲り受けたものだという。

洲斎は今のところ小説には登場していないのですが、2000年にWOWOWで放送された【巷説百物語シリーズ】の実写ドラマ京極夏彦・怪』の第四話、作者の京極さん自身の手による完全オリジナル脚本「福神流し」に凄腕の陰陽師として登場しています。※詳しくはこちら↓

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そして、菅丘李山という名は『巷説百物語』の主要登場人物・山岡百介の筆名。サービス心溢れる、ファンにとっては色々と必見なお話となっています。

 

神職を嗣ぐ決意をしたものの、輔は父の仕事、陰陽師の在り方には否定的な立場でした。所詮ペテン師の類いなのではないかと。家を出ていたのもそういったわだかまりがあったからで、宮司となったこの時も「迷信、まやかしは不要で滑稽なもの」と思っています。(この、お化けや幽霊なんて・・・!真に受けてたら今の世じゃ馬鹿だろう」という意見は、各話に登場するゲストが皆いいだすことですね。時代の移り変わりによって、迷信は打破しなくてはという考えが世間一般で強くなってしまっているということなのでしょうが)

そんな輔に、弔堂主人は「心は、現世にはない。ないからと云って、心がない訳ではない。心はございます。“ない”けれど、“ある”のです」「“ない”ものを“ある”としなければ、私共は立ち行きません」と語り、はっとさせる。

 

百鬼夜行シリーズ】で、中禅寺秋彦は祖父と袂を分けた父にかわり、神社を嗣ぐことになったと説明しています。このお話の最後でも、「武蔵野晴明社の宮司中禅寺輔の一人息子はそれから二十年の後に父と袂を分かち、洗礼を受けて耶蘇教の神父になったのだと風の便りに聞いた。自ら辺境に赴き、熱意を似て布教活動を続けていると云う。父である中禅寺輔の心中は、知れない。」と、書かれています。

なかなか一筋縄ではいかない家系のようで(^_^;)。いったい何でそうなってしまったものか、気になるところですね。

 

弔堂主人の名が「龍典(りょうてん)」だということもここで初めて明らかになります。

 

 

 

 

 

以下、さらなるネタバレ~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高遠

『書楼弔堂 破曉』の語り手であり視点は一貫して高遠です。この高遠、三十五歳の妻子持ちの男ですが、風邪をこじらせて独り暮らしを始め、その生活が気に入ってしまってダラダラと実家も妻子もほっぽっていつまでも仕事もせずに家にも帰らずにいる。直参旗本の家に生まれて父親の残した財産もあり、独り暮らしといっても掃除や食事は隣家の者に頼んでやってもらっているという「そいつはいいご身分だ」ってな野郎なのですよ。

偉そうにしている訳でも、偏見を持っている訳でもなくって、人並みに謙虚も気遣いも出来るので、読んでいて不快になるような語り手ではないのですが、「ちょっとどうなのよ」とは思ってしまうところ。身内にこんな人がいたら、やっぱり説教の一つもかましたくなりますよね(^^;)。

 

この本の舞台は明治二十年代半ば。長かった江戸時代が終わり、明治へ。『後巷説百物語』では文明開化のころが舞台で、急激な変化による葛藤やら戸惑い、もの悲しさなどが描かれていましたが、

 

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その『後巷説百物語』で描かれた文明開化から十五年が経ち、人々は変化を受け入れ、環境に慣れてきています。

が、世間が順応していっても取り残されてしまう人物はいるもので、移ろいゆく時代の中で迷える者達が「書楼弔堂」を訪れる。高遠はその“迷える者達”、時代の変化に追いつけない、乗ろうとしない人物の筆頭として、「書楼弔堂」の常連客となり、〈探書〉にくる人々を目撃していく。

 

弔堂主人は「読まれぬ本を弔い、読んでくれる者の手許に届けて成仏させるが我が宿縁」といい、〈探書〉に訪れる者達の話を聞き、その人の“大切な一冊”となる本を提案して売っていきますが、その人の人生が激変するような、考えを丸々改めさせるような本は提案しない。弔堂主人が提案するのは、その人の考えを裏付けてくれる本。その人に寄り添う本なんですね。だから、基本弔堂主人はどの迷い人にも「それでいいじゃないですか」というスタンス。

 

どこからどうみても社会に適合できていない、無職の妻子ほったらかし男の常連客・高遠も、この本の最後で弔堂主人から薦められた一冊の本を買います。

話を順に追っていくなかで、このどうしようもない高遠は最後どうなるのだというのは読んでいてずっと気がかりなところなのですが、これがどうもしない。と、いうか、分からないままに終わっています。

これからのことについて、何も決心をすることが出来ない高遠に対しても、弔堂主人は「それで良いではありませんか」といってのけるのですね。「未完のままでいい」と。

 

本を買った日を最後に、高遠は弔堂に足を向けるのをやめ、空き家は引き払ったが、家にも帰らなかった。高遠彬(最後の最後で高遠の下の名前が明らかになっています。この書き方、京極さんがよくやるやつですね)がその後どうなったのかは誰も知らない。と、書かれて終わっています。

 

う~ん。ホント、「未完」で終わっているってな感じで、なるほどなって締め方なのですが、そうはいわれても高遠がどうなったのかどうしても気になってしまうところ。

シリーズ二作目の『書楼弔堂 炎昼』では語り手が変わるので、高遠のその後は今現在、やっぱり知れないままですね。

 

 

ここで完全退場なのか、今後どっかで登場したりするのか・・・どうなのでしょう。

 

 

 

 

明治二十年代半ばは出版法が成立したりと、「本」の在り方が大きく変わった時期でした。今現在のこの世の中も、電子書籍化がドンドンと進んで、「本」の在り方が大きく変わる時期となっています。

 

作中で、弔堂主人は、

 

「言葉は普く呪文。文字が記された紙は呪符。凡ての本は、移ろい行く過去を封じ込めた、呪物でございます」

 

「書き記してあるいんふぉるめーしょんにだけ価値があると思うなら、本など要りはしないのです。何方か詳しくご存じの方に話を聞けば、それで済んでしまう話でございましょう。墓は石塊、その下にあるのは骨片。そんなものに意味も価値もございますまい。石塊や骨片に価値を見出すのは、墓に参る人なのでございます。本も同じです。本は内容に価値があるのではなく、読むと云う行いに因って、読む人の中に何かが立ち上がる――そちらの方に価値があるのでございます」

 

と、いう。

 

本を読んでいると時偶、「本を読んでて偉いね」なんて言われるなんてこと、読書家の人には一度や二度あることかと思います。私自身も実際に何回も言われたことあるのですが、これって、本を好きで読んでいる身としてはまったくお門違いな意見ですよね。こっちはただ娯楽として本を読んでいるのであって、「偉いね」なんて褒められても戸惑うばかりです。

本好きにとって、本を読むというのは知識を蓄えたいとか勉強したいとかってことじゃないですよ。結果的に読んだことで知見が広がることはあるけども、第一にあるのは「好きだから」「楽しみたいから」っていう、気晴らしであり遊び。

“ためになる”から読むのではなく、好きだから読む。中身の情報を得るためではなく、「本」を読むことによって沸き上がる思い、虚の世界を愉しむことが「本」を持つ目的。だから、中身だけが大事なのではなく、読んでもらうための見出し、装丁、文章のレイアウト、デザイン、すべてが「本」にとっては欠かせない要素。それは現在の電子書籍という紙媒体じゃないものでも変わらない。

 

様々な人が携わってやっと出来上がる「本」も、読まれなければ只の塵。だからとにかく読んで欲しい!

と、こういった作者の「本」への熱い思いが、「本の弔い」というかたちで描かれているのが【書楼弔堂シリーズ】なんだなぁと。本への愛がこれでもかと伝わってくる物語ですので、本好きは是非、読んで弔って下さい。

 

 

 

 

 

 

※シリーズ二作目はこちら↓

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ではではまた~

 

 

『金田一37歳の事件簿』10巻 あらすじ・感想 おぞましい小説見立て殺人!

こんばんは、紫栞です。

今回は金田一37歳の事件簿』10巻の感想を少し。

 

金田一37歳の事件簿(10) (イブニングコミックス)

 

この表紙絵、最初見たとき「え?高校生に戻った?」とか一瞬思ってしまった(^_^;)。37歳のシリーズが始まってからは表紙絵もずっとスーツ姿が続いていましたからね。こういう姿だとキャラクターデザインが少年時代とまったく変わっていないのがより伝わる・・・。

作中でこの服着ているのかと思ったんですけど、作中では今回も相変わらずのスーツ姿です。じゃあ何でまた表紙がパーカー姿なんだって感じですが・・・作者の気分ですかね。

 

この漫画シリーズももう十冊目ですけれども、だからといって特にどうということもなく、通常運転で進行しています。今回も特装版などは無しで通常版のみですね。

 

 

10巻は前巻の後半から始まった事件、「綾瀬連続殺人事件」に1冊丸々つかわれています。

 

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「綾瀬連続殺人事件」はこの巻では終わらず、解決編もまだなので、次巻でもまだ結構な話数つかいそうだなと。読者としてはあんまり一つの事件で巻をまたがないで欲しいもんですが、やっぱり難しいのでしょうか。

 

 

●「綾瀬連続殺人事件」

あらすじ

オソカワミステリ大賞の受賞パーティーの運営を、佳作受賞したいとこ・フミのコネで請け負うこととなった音羽ブラックPR社の金田一一

しかし、パーティーの途中で会場に殺人映像が流され、大賞受賞者が行方不明に。流された映像は大賞受賞作の「綾瀬連続殺人事件」で描かれる第一の殺人と酷似しており、場所も作中と同じく埼玉の綾瀬。パーティーに参加していた作家たちが現場に駆け付けると、そこには本当に死体があった。

その後も「綾瀬連続殺人事件」に見立てた第二の殺人が東京の綾瀬で発生。果たしてこれは行方不明である「綾瀬連続殺人事件」の作者・瀬戸倉涼による犯行なのか?それとも――。

 

 

作家となったフミちゃんが登場しての今作。金田一は刑事の真壁先輩に協力する形で事件を追うこととなり、フミちゃんは彼氏である作家・小美野悠人と共に事件に首を突っ込んでいく。

そしてウザいことに、女子大生作家の冬樹アガサが金田一の素性を知って「取材をしたい」とまとわりついてくる。ま、冬樹さんが音羽ブラックPR社のお得意様の社長令嬢だってことで、鶴の一声で金田一が仕事を気にせず事件を追うことが出来る状況にはなったのですけど。しかし、まりんちゃんが「なんてずーずーしい奴!」と思うように、色々と失礼な人物で読んでいていい気はしない(-_-)。

 

1巻の頃から常に助手的な働きをしてきたまりんちゃんですが、今回はフミとアガサさんの存在もあって登場シーンは少なめ。真壁先輩も一緒だしね。

 

 

劇場型犯罪で殺害現場が各地でとんでいるものの、二三日で三つの殺人が立て続けに実行されるとあって、犯行スケジュールが慌ただしい。慌ただしいのはいつものことではあるのですけども、埼玉、東京、神奈川と移動があるので大変だなぁって。犯人が。

 

この事件はアリバイトリックに重点が置かれたものになっていて、死体発見時刻に死亡推定時刻、各人物がその時どこにいたか、何をしていて誰と一緒にいたかなどが事件の謎を解く上で重要なのだろうということは読んでいて分かるのですが、なんせ埼玉、東京、神奈川と遺体発見現場がバラバラで距離があるもんだから、各人物の行動と時間を合わせてみようにも考えがこんがらがってきますね。表を出して欲しいなぁと思う。次巻では出してくれるのかな?

 

 

 

 

 

 

 

 

やっぱりというかなんというか、第一容疑者であった行方不明の作家・瀬戸倉涼は自殺に見せかけた殺人により第三の被害者となり、容疑者は大物作家の間宮理利一、編集者の箕田英輔、作家の小美野悠人、入選受賞者の冬樹アガサの四人の中にいる!ってことに。

「オソカワミステリ推理会議」と銘打ち、カラオケルームを貸し切っての関係者への聞き込みで、金田一が“犯人は誰か”を確信したところで今巻は終わっています。

カラオケルームでお酒を飲みながらの聞き込みというのが何やら新しい。これも社会人ならではですかね。

 

金田一と冬樹が会話していた内容を聞いて黒シルエット犯人(?)が内心焦る描写があるので、冬樹アガサは除外してよいかと。間宮先生は、被害者たちがかつて犯した「木沢加少年リンチ殺人事件」についての説明要員って感じで犯人ではないかなぁ。胸糞が悪い少年犯罪が絡むのは『剣持警部の殺人』と似た印象ですね。

 

 

『剣持警部の殺人』での作中事件は1988年に起こった「女子高生コンクリート詰め事件」がモデルだと思うのですが、今回のは2015年の川崎市中1男子生徒殺害事件」などのリンチ殺人がモデルですかね。いずれにせよ聞いていると胸糞が悪くなる酷い事件。

 

「木沢加少年リンチ殺人事件」の加害者たちと年齢が近いのと、受賞パーティーでの映像差し替えをしやすい立場として編集者の箕田さんも怪しいは怪しいですけど、やっぱり四人の中で一番怪しいのは作家でフミちゃんの彼氏である小美野さんですかね~。

いちいちフミちゃんと行動を共にしたりとか、マネキンを使った見立てを都合良く発見したりとか、「雨が降り出した」とか電話口で言ったり、お酒が出るパーティーに自分の車で来たり、スタンガン持つの念押ししてきたり・・・・・・などなど。疑わしい言動が多すぎる。

 

金田一第二の殺人の時に完璧なアリバイを持っている人物が犯人だと言っていて、その二人目の被害者の死亡推定時刻が、午後6時45分前後から7時45分前後の1時間

小美野さんは自分の車でフミちゃんと一緒に埼玉の綾瀬に向かっていた最中でアリバイがあるってことなのですけれども、7時10分に「懐中電灯を買ってくる」とホームセンターで車を止め、フミちゃんを車に残して刑事に連絡をするよう促している。小美野さんが犯人なのだとしたら、このホームセンターで停車して一人になったときに“なんらかのこと”をしたって事かな?何か『怪盗紳士の殺人』のときのようなトリックの匂いがする・・・気がする。

 

いつでも自分の車で行動しようとするのも犯行の都合上ってことなのか。

 

小美野さんはホームセンターでたまたま見付けたから護身用に買ったと言ってスタンガンを見せてくる訳ですが、そもそも普通のホームセンターにスタンガンなんて売ってないよね?作中誰もツッコまないから「私の住んでいるところが田舎だからか?」とか不安になりますけど・・・え?都会でだってホームセンターには置いてないよね?秋葉原とか、そういった専門のお店でのみの取り扱いだと思うんだけど。それともドンキとかなら売ってるのか?分からん・・・(^^;)。

 

巻末の次巻予告のページで「悲壮な決意を固めるフミ!」という文言と泣いているフミちゃんの姿が描かれているので、犯人は小美野さんに違いないと思うのですが。でも、怪しすぎて逆に違うかも?引っかけ?う~ん。

 

ま、次巻での謎解きを楽しみに待ちたいと思います。この『綾瀬連続殺人事件』は冒頭に高遠さんが登場していたので、アリバイトリックだけでなく、そこら辺の関係性も気になるところですね。

 

次の11巻は2021年10月発売予定。巻数も二桁になりましたし、玲香ちゃんの事件のこととか、美雪のこととか、物語全体の進展も願いたいところですね。

 

※出ました!詳しくはこちら↓

 

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ではではまた~

 

 

 

 

 

『黒牢城』(こくろうじょう) 解説・感想 米澤穂信による新感覚戦国ミステリ!

こんばんは、紫栞です。

今回は米澤穂信さんの『黒牢城』(こくろうじょう)をご紹介。

 

黒牢城 (角川書店単行本)

あらすじ

天正六年、冬。摂津池田家の家臣から上り詰め、摂津一国を任され織田家重臣となっていた荒木村重は、突如として織田信長に叛旗を翻し、有岡城に立て籠もる。

織田方の軍師・小寺官兵衛(黒田官兵衛)は謀叛を思いとどまるよう説得するための使者として単身有岡城に来城するが、村重は聞く耳を持たず、官兵衛を殺すこともせずに土牢に幽閉した。

籠城戦の最中、城内では数々の奇妙な事件が起き、翻弄される事態に。不可解な事件によって家臣や民たちの人心が乱れることを危惧した村重は、囚人である官兵衛に謎解きを求めるが――。

 

 

 

 

 

 

 

戦国×ミステリ

『黒牢城』は2021年6月に刊行された小説。まずタイトルの読み方が分からなくって躓くところかなと思うのですが(本自体にもルビ振られてないし)、「こくろうじょう」と読むのだそうです。

今作は戦国が舞台の時代小説。米澤穂信さんは青春ミステリや社会派ミステリを書いているイメージが強い作家さんですが、

 

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シリーズ外作品だと色々な題材に果敢に挑戦されているかなと。

 

 

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『折れた竜骨』で魔術やら剣士が登場するファンタジー小説を書いた時も驚きましたけど、

 

 

 

今度は時代小説。しかも戦国時代。一体どのような本になっているのか予想もつかずに、とにかく米澤さんの新刊だからと読んだ次第です。

 

 

今作では天正六年の冬からの約十ヶ月間におよぶ籠城戦の様子、有岡城の“内”での出来事が主に荒木村重の視点で描かれる。

織田信長の軍が迫っているなか、毛利の援軍をひたすら待ち続けるばかりの長期の立て籠もり。危機は確実に迫っているが、為す術はなく身動きは出来ない。まさに四面楚歌の閉鎖空間である有岡城

そんな有岡城で怪事が起き、殿である村重は人心の乱れが落城に繋がることを恐れ、なんとか謎を解こうと奮闘する。しかして、結局考えに行き詰まり、最終的に『羊たちの沈黙』でクラリスレクター博士にアドバイスを求めるかのように、囚人の官兵衛に怪事を語り、謎解きを求めるというパターンになっています。

 

村重が官兵衛に謎解きを持ちかけるのは、城内で自分以上に頭が切れるのは官兵衛だけだから。官兵衛としてはそんな頼みに応じる義理は皆無なのだけども、落城すれば囚人の身である自分も命を落すことになるし、切れ者故に謎を仕掛けられたら解かずにいられない性分だろう、きっと。と、思って、村重は官兵衛の居る土牢を訪れる。

で、ま、立場があるから直接の正解は言わないのだけども、官兵衛は村重に毎度ヒントを与えてくれる。ヒントをもとに村重は謎を解き、それを皆の前で披露して人心を落ち着かせるというのが一連の流れです。

しかして、官兵衛は本当に村重が思っているような“知識のひけらかし”を耐えることが出来ないというだけの男なのか否か・・・ここら辺の疑心暗鬼感、心理戦が物語の見所の一つとなっている。

 

羊たちの沈黙』では捜査官と猟奇殺人鬼の奇妙な交流が描かれていますが、今作では捕らえた当人である城主と、幽閉された敵方の軍師との奇妙な交流が描かれているという訳ですね。

 

私自身、時代小説は初めてではないものの、戦国時代モノは今まで読んだことがありませんでした。ほぼほぼミステリを好んで読んでいる私にとっては、戦国時代は馴染みのないものなのですよね。私が知らないだけなのかもですが、やはり戦国時代が舞台の推理小説というのは非常に稀なものなんじゃないかと思います。

読む前は「何でまた戦国時代」と思いましたが、いざ読んでみたらば、この時代、この空間、この設定ならではのミステリ小説となっていて感服しました。新感覚の戦国ミステリ小説ですね。

 

黒田官兵衛が有名な軍師であることは何となく知っているけれども、荒木村重のことは全く知らない。大河ドラマほどの知識も皆無の私のような歴史オンチでも愉しめる作品となっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この本は四つの事件が各章で起き、その都度解き明かしていくという連作短編のような構成になっています。

第一章「雪夜灯籠」では雪が積もる中での足跡なき殺人事件。

第二章「花影手柄」では討った首のどれが大将首であったのかの見定め。

第三章「遠雷念仏」では密使と屈強の武者が警護の最中に殺された事件。

第四章「落日孤影」では謎の鉄砲玉はどこから、何者によって撃ち込まれたものなのか、その方法と意図を探る。

 

と、戦国の世で籠城戦真っ只中という舞台設定ではあるものの、どの事件も“如何にも本格推理小説”といったものになっており、謎が出てきて、推理して、合理的に解決させる流れになっています。どのような舞台や設定であれ、あくまで描くのは本格推理小説だというのは、米澤さんが一貫させているスタイル。

四つの事件、四つの謎が主だって描かれる中で、小さな疑問点や引っ掛かり、この物語の根本的な謎である、官兵衛を生きたまま牢に入れたのは何故なのか?村重が信長を裏切った理由とは?村重の真意は?官兵衛の思惑は?などなど、様々な「謎」は複雑に絡み合い、終盤で一気に収束し、解き放たれる。

一話完結型で描きつつ、終盤で一気に物語全てを一つに纏め上げる大きな謎解きを披露するのもまた、米澤さんの定番スタイルですね。

 

本格推理小説ではあるものの、今作の舞台は戦国時代。無用に人が死にすぎている時代であり、何かというとすぐ人死が出て、どんな人も常に死ぬのを覚悟して生きているような有り様。「進めば極楽、退かば地獄――」。血は常に流れ続け、神仏への信仰心がなければ立つ事も歩くこともままならない過酷な世です。

こんな世の中ですので、「謎」が出てきてもそれに対しての捉え方は現在とは異なる。人々にとって、摩訶不思議な死や現象は神仏が起すもの。「謎」は解き明かされるものではなく、御仏の「罰」。

この、時代による捉え方の違いが物語の重要な要素となっていています。そして、最後には神よりも主君よりも“尤もおそるべし”罰が示される。

 

 

 

 

 

因果

荒木村重が突如信長に叛旗を翻したことで起こった有岡城立て籠もり。史実で語られているこの籠城戦の顛末はというと、あてにならない援軍を待ち続けてダラダラと十ヶ月間籠城した後、荒木村重は夜中に数名の側近とともに有岡城をひっそりと脱出。嫡男の村次の居る尼崎城へ移って、それきり戻ることはなかった。主の居なくなった有岡城は総攻撃を受けて落城。村重の妻と一族を始め、有岡城に残っていた人間は女子供も含めてほぼ全て処刑され、数百人が命を落す悲惨な最期を遂げたと。

※因みに、官兵衛は長きにわたる幽閉で足を悪くしたものの、落城の際に味方に救い出されています。

 

いきなり信長を裏切り、信長側からの再三の説得にも応じずに籠城し続け、取り返しようも無く信長を怒らせた末に皆を城に残したまま一人トンズラ。しかもその後も逃げ続けてちゃっかり毛利に亡命。本能寺の変で信長が死んだ後は誰にもお咎めを受けずに茶人として生きたというのだから、「謀反を起こした挙げ句、皆を見殺しにして一人逃げた卑劣漢」という、戦国武将としてはなんとも悪名高い人物として認識されることとなっているようです。

 

こうした史実から受ける印象は「考え無しの馬鹿者」って感じですが、今作の村重は切れ者で配慮にも長けている理知的な、愛妻家な人物として描かれています。

では何故、村重は信長を裏切り、最後には一人城から脱出するようなことをしたのか。いまだに理由の解らない歴史上のこの謎を、“囚人である黒田官兵衛”を絡ませ、二人の思惑の対峙を通すことで、今作は史実を用いたミステリ小説として見事に仕上げられています。

 

『黒牢城』は「因果」の物語。村重が官兵衛を殺さずに幽閉したことが原因となり、結果として有岡城は落城することになった。そして、因果は巡っていく。官兵衛を殺さなかったこともまた、史実では謎とされていることですね。

 

時代小説と本格推理、思惑と企てを隠し持つ者同士の二人のヒリヒリするようなやり取り、城内の人々の人心の揺れ動き、緊迫の合戦描写などなど、諸々が一度に愉しめる贅沢な一冊となっておりますので、歴史に詳しい人も、そうでない人も気負わずに是非。

 

 

 

ではではまた~

 

 

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『西巷説百物語』7編 あらすじ・解説 シリーズ第五弾。靄船の林蔵、西での仕掛け仕事とは?

こんばんは、紫栞です。

今回は京極夏彦さんの『西(にしの)巷説百物語をご紹介。

 

西巷説百物語 「巷説百物語」シリーズ (角川文庫)

第24回柴田錬三郎賞受賞作。

 

上方の狂言仕事

『西巷説百物語』は巷説百物語シリーズ】の第五弾。

「続」、「後」、「前」ときて、次は何だ?と、思いきやまさかの「西」。「東西できたか~」と、発売当時に虚を突かれた気分になった思い出・・・そんなのは私だけだろうか(^_^;)。

 巷説百物語シリーズ】は、江戸時代を舞台に、御行の又市率いる一味が、公には出来ぬ厄介事の始末を金で請け負い、妖怪譚を利用した仕掛けで解決させていく妖怪小説のシリーズ。

 

前四作は本によってそれぞれ視点や構成は違うものの、いずれも又市の仕掛け仕事を描く物語でしたが、今作で描かれるのは又市ではなく、又市のかつての相棒・靄船の林蔵が仕掛ける狂言芝居です。

 

靄船の林蔵は又市の朋輩で、義兄弟の杯も交わした古い仲。“御行の又市”誕生物語であるシリーズ第四弾『前巷説百物語で主要人物の一人として登場しています。

 

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『前巷説百物語』の終盤で又市と別れて上方(大阪)へ戻った林蔵が、時を経て一文字屋仁蔵のもとで再び狂言仕事を始める。今作は上方、西での仕掛けが描かれる物語となっていて、いわばシリーズのスピンオフ的なものとなっていますね。

 

『前巷説百物語』の最終話「旧鼠」から十数年経っていて、シリーズ全体の時系列では巷説百物語収録の「帷子辻」の前後にあたる。

 

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 因みに、林蔵がシリーズで初めて登場するのはこの「帷子辻」。「帷子辻」は又市が仕事のために大阪に呼ばれる話なので、上方を拠点とする一文字屋メンバーが出て来ているんですね。【巷説百物語シリーズ】は時間軸がバラバラに展開される構成になっているので、振り返って繋がり方を確認するのもまた一興。

 

※シリーズの年表について、詳しくはこちら↓

 

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そんな一文字屋メンバー、林蔵と組んで仕事をするのは、死人芝居を得意とする六道屋の柳次、何処にでも入り込み何にでも化ける横川のお龍に、前四作品の中でも度々登場する祭文語りの文作無動寺の玉泉坊、上方の小悪党を束ねる一文字屋仁蔵など。『前巷説百物語』でも少し触れられていますが、これらの二つ名は比叡山七不思議から採られています。

上方が舞台なので、江戸時代の活き活きとした関西弁が愉しめるのも見所。

 

シリーズお馴染みの江戸の面々も登場しており、どのように上方仕事に関わるのかもシリーズファンにとってはお楽しみポイントですね。

 

 

 

 

 

 

各話、あらすじ・解説

 

『西巷説百物語』は全七篇収録。

 

巷説百物語シリーズ】で題材として採られている妖怪たちは全て、天保12年(1841年)に刊行された画・竹原春泉、文・桃山人の『絵本百物語』から。

 

 

※以下、若干のネタバレをふくみます~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●桂男(かつらおとこ)

裸一貫から昇り詰め、財を築いた傑物の商人・杵乃字屋剛右衛門。

銭と立派な屋敷を持ち、家族も達者で奉公人にも恵まれ、身体の不調もない。満ち足り、倖せを噛み締めて、そろそろ隠居しようと考えていた剛右衛門であったが、一人娘・お峰に縁談が舞い込み、頭を悩ませる。

相手は尾張でも指折りの廻船問屋である城島屋の次男坊。お峰を何処で見初めたものか、嫁に欲しいと剛右衛門宛てに文を送って来たのであった。

降って湧いたような良縁を訝しむ剛右衛門に、大番頭の義助は巷で耳にした城島屋の悪い噂を聞かせる。これは城島屋のお店乗っ取りのいつもの手口であると。義助は縁談を思いとどまるよう剛右衛門に諫言するが、義助の弱気に腹を立てた剛右衛門は「呑みに掛かって来たら呑み返せばええ」と怒鳴りつける。その勢いのまま、この縁談を進めることを決意するのだが――。

 

「桂男」は、月の中の隈、クレーターですね。兎が餅つきしているように見えるだとかが一般的ですけど、これが俗に桂男といって、満月じゃないときに月を長く見ていると桂男に招かれて命を縮めることになるよってな伝承。

 

時期としては、『巷説百物語』収録の「柳女」と、後巷説百物語収録の「赤えいの魚」の間ぐらいのお話。

 

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もう十分すぎるほど成功したし、倖せだし、隠居する。と、なんとも謙虚というか、欲がなさそうな剛右衛門ですが、お話が展開されるにつれて商魂の逞しさ、強欲さが露わに。「月ぃ眺めとったらあきまへんで」と冒頭で林蔵が言いますが、商売のことばかり、上ばかりを見て、下のこと、過去を振り返ることをしなかった男の顛末が描かれる。

仕掛けに関しては「そんなバカな」って思うところですけども、剛右衛門のように無意識的に見たくない物をまったく見ないで長年過してきた人物なら、そんなバカなことも本当にあるかもしれない。

 

思い出すヒントや、悔い改めるきっかけを何度も仕掛ける側に与える、靄船の林蔵のやり口が分かりやすく示されているお話となっています。

 

 

 

 

●遺言幽霊 水乞幽霊(ゆいごんゆうれい みずこいゆうれい)

両替商小津屋の次男坊・貫蔵が頭痛に苦しみつつも目を醒ますと、見知らぬ者達に囲まれていた。訊くと、貫蔵は三月前に突如倒れてからずっと、意識を失って生死の境を彷徨っていたらしい。

貫蔵には倒れた時の記憶は無かった。覚えているのは、小津屋に押し込みが入って兄が殺されたこと、それで跡目で揉めて父親と喧嘩し、勘当されて店を飛び出したところまで。

しかし、それは貫蔵が三月前に倒れるよりも前、一年余り前の出来事であるという。その間に勘助は父親から跡目を譲られて店の主となったが、押し込みが銭とともに盗んでいった預かり物の茶碗のせいで店はあっという間に左前となり、父は首を吊って自害、顔なじみの奉公人たちも次々に去ってしまったのだという。

混乱する貫蔵に、縁あって小津屋の商売を手伝っていた帳屋の林蔵は「こら祟りや、禍いですわ」と囁くが――。

 

「遺言幽霊 水乞幽霊」とは、遺言し損ねて死んだ者、死に水を飲まされないで送り出された者が、幽霊となって迷うというもの。

 

時期としては、『後巷説百物語』収録の「赤えいの魚」の後ぐらいですね。

 

古典ミステリでよくあるトリックが用いられている狂言仕事。仕掛け方の規模(?)が大胆ですねどね。

このお話のターゲットである貫蔵は、あからさまに嫌なヤツというか、短気で僻みっぽい人物として描かれています。しかしながら、貫蔵が父親や兄弟に向ける鬱憤などは読んでいると同調してしまうものがある。思春期など、こういった思考に陥りやすいのではないかと。とりあえず僻んでみるみたいな。貫蔵の場合はこじらせまくって行くところまでいってしまったのだなぁと。

結末を読むと貫蔵の父はだいぶ人間ができているような印象を受けますが、これまでの次男への接し方にはやはりよろしくない部分があったことは確かなのでしょうね。仕掛けも結末も、父親にとっては大変厳しいものとなっています。

 

 

 

 

●鍛冶が嬶(かじがかか)

土佐の刀鍛冶・助四郎は、藁にもすがる思いで大阪の大きな版元の主である一文字屋仁蔵の元を訪れた。

旅の六部である又市に「何とも為難き困りごとの相談に乗ってくれる」と紹介され、半信半疑ながらも土佐からやって来た助四郎は、一文字屋に「女房が、入れ替わってしまったのじゃ」と相談する。

助四郎の妻・八重は、ある日いきなり笑わなくなり、鬱ぎ込んで口も利かず、飯も食わなくなった。女房を大事に思い、日々出来る限りのことをして尽くしてきた助四郎は、八重が鬱ぎ込む理由はなに一つないはずだと断言し、「あれは、多分――狼が化けておるのです」と言い出す。

助四郎の家は代々、狼の墓守であるという。村人に狼の子孫だと疎んじられていた助四郎の孤独な暮らしや心持ちを変えてくれたのは八重だった。八重は助四郎の唯一の支え。なんとか女房の“中身”をもとに戻して欲しいと助四郎は懇願するが――。

 

「鍛冶が嬶」は、土佐の鍛冶屋の女房を狼が食い殺したところ、死んだ女房の霊が狼に乗り移って人を襲うようになったとかいう伝承。

 

時期としては、「遺言幽霊 水乞幽霊」から二ヶ月ほど経った春の出来事

 

依頼人の助四郎は又市の紹介でやって来たということで、読者としては又市の名が出てテンションが上がってしまうところ。又市が助四郎と出会ったのは、『続巷説百物語に収録されている「船幽霊」の騒動で土佐に行っていた時ですね。

 

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田舎者の小心者で、愛妻家の真面目な依頼人。前の二話よりも和やかな雰囲気で始まりますが、結末はとんでもなく恐ろしくって悲惨。最初と最後での落差が激しいお話。

この世になるものは皆、毒。良薬も匙加減を間違えれば毒薬で、情愛も掛け過ぎれば毒となる。なんでもやり過ぎは良くないってことですね。

 

 

 

 

 

●夜楽屋(ゆるのがくや)

人形浄瑠璃人形遣い名人・藤本豊二郎。ある日、いつものように楽屋へ赴くと、そこは荒れ放題になっており、己が操る人形である塩屋判官の首が割れて転がっていた。

芝居の関係者は口々に「また人形争いだ」と騒ぎだす。この楽屋では八年前にも人形が動いて争ったのだとしか思えぬ怪異が起きており、それによる死人も出していた。

壊れてしまったものはしょうがない、人形の首を替えて興行を続けようと周りは説得するが、豊二郎は「この首じゃなければ興行は出来ない。自分は降りる」と頑なに言い張り、まったく聞く耳を持たない。

埒が明かず、座元に掛け合って興行を止めにしてもらうしかないかとなっていたところに帳屋の林蔵が現われ、「寸分違わずに、その首と同じものを拵えることが出来る人形師が居る」と言い出す。

半信半疑ながらも、豊二郎はその人形師に会わせてくれと懇願するが――。

 

「夜楽屋」は、夜の楽屋で『仮名手本忠臣蔵』の演目で用いられる浄瑠璃人形の高師直と塩屋判官が争っていたという怪異。

 

時期は「鍛冶が嬶」の後で、同じく春の出来事

 

人形に魂が入って勝手に動くという怪異は、今も世界各地にありますよね。人の姿を模しているとあって、そういった得体の知れない怪しげな魅力が人形にはあるのですかね。

このお話は、人形遣いのはずが、“人形に遣われてしまった”男の物語。「人形はモノや。モノには心なんぞない。心のないモノに操られたら、人は狂うで」と、いう訳ですね。

この度の裁量は甘いのではないかってな気がしますが、依頼人の意向ということで。芸を守ることが恨みを晴らすことよりも大事ってのは、如何にも芸人気質。そんなものですかねぇ。

 

人形話ってことで、人形師である御燈の小右衛門がゲスト的に登場して重要な役どころをしています。と、いうか、この仕掛け仕事は小右衛門がいないと到底出来なかった代物ですね。やっぱり小右衛門は格好いいというか、いいとこ取りする人物だなぁと思う(^_^;)。

 

 

 

 

 

●溝出(みぞだし)

十年前、寛三郎が故郷の村に戻ってくると、そこは阿鼻叫喚の地獄と化していた。美曽我五箇村は疫病に襲われていたのだ。あまりに酷い状況を見かね、寛三郎は疫病で果てた屍を村外れの野原に集め、積み上げて焼いた。

日々屍を厚め、燃やし続ける寛三郎の姿は鬼のようだとも謗られたりもしたが、この行動によって次第に疫病は治まり、寛三郎は村を救った恩人だと村人から敬われ、村で一番の有力者となった。

十年が経ち、寛三郎が屍を焼いた野原は荼毘ヶ原と呼ばれるようになっていた。最近になって、その荼毘ヶ原に幽霊が化けて出ると噂になっているという。「村人は不安がっている。一度、ちゃんとした供養をしよう」という提案に対し、坊主嫌いの寛三郎は「莫迦莫迦しい法螺話だ。そんなことをしても銭の無駄だ」と取り合わないでいたが、その幽霊が男と女の二人連れだと聞き、僅かに動揺し始める――。

 

「溝出」は、貧乏人の遺体の始末に困り、葛篭に入れて捨てたところ、その死骸が骨と皮に分かれて歌い踊り出したとかいう怪異。「遺言幽霊 水乞幽霊」と同じで、死人はちゃんと供養して送り出さないとダメだよという伝承ですね。

 

「夜楽屋」の後、夏の出来事ですね。

 

前の四話からのパターンに慣れてそのまま読んでいると、意外な真相に驚かされる。これもまた推理小説的な仕掛けですね。明らかになる真相は償いようもない酷いものですが、このような行動を起した理由はハッキリと明かされないままに終わっています。ま、動機ってのは周りが後から勝手につけるものだというのは百鬼夜行シリーズ】で繰り返し言っていることではありますが。大罪のスケール(?)に驚かされる。

寛三郎が最後にとった行動も謎のままで、まるで死霊に導かれたかのような怪談チックな結末となっています。

 

 

 

 

 

●豆狸(まめだぬき)

造り酒屋「新竹」で、売り上げの勘定が少額合わないという出来事が頻発する。不思議がる店の主・与兵衛に、奉公人たちは「これは豆狸の仕業ではないか」という。豆狸は酒蔵の守り神みたいなもので、居つくと良い酒が造れるともいうらしい。

釈然としない与兵衛にであったが、客である林蔵から「豆狸は子供に化けて酒を買いにきて代金をちょろまかしたりもする」と聞かされた直後、最近になって店にいつも遣いで酒を買いに来る男の子がいると知る。その子が帰った直後、銭箱の中を確認してみると、受け取った銭は紅葉に変じていた。

あの子が豆狸だったのか――と、奉公人と居合わせた客は驚きながらも納得するが、子供の身形を聞くなり与兵衛は「豆狸なんかじゃない。その子供は亡魂だ」と激しく動揺するが――。

 

「豆狸」は小さな狸。酒造の守り神といわれたり、人に取り憑いたり、小雨降る夜にかぶり物して肴を求めて出て来たりする・・・などなど、色々と伝承があるのだそうな。

 

時期としては、『巷説百物語』収録の「帷子辻」の後になります。

 

こちらのお話はこの本の中では毛色が異なる代物。林蔵たちが仕掛けをする意図もこれまでとは違っており、決めゼリフの「これで終いの金比羅さんや」も言わないし、読後感も穏やかで、心から「良かったね」という気持ちになれるお話になっています。

真面目で善人で不器用。良いことは全部他人のお陰、悪いことは全部自分の所為。他人を恨むことをまったくしないとはなんとも見上げた人ではあるのでしょうが、近くにこんな人が居たら「そんなんじゃパンクするよ。ちょっとは毒吐いても良いのに」と、歯がゆくなるかなと思う。

 

 

 

 

 

●野狐(のぎつね)

半月ばかり前から、上方では怪しき巷説が広まっていた。数多の巷説、その変事が起きた周辺では、何故かいつも林蔵という名の男の噂が立っている。

口の端に人を乗せ、嘘と真をくるりと入れ替え、何処とも知れぬ処まで連れ去って、手玉に取ってしまう男――靄船の林蔵。

十六年前、お栄の妹・お妙はその靄船の林蔵のせいで殺された。その後、林蔵は上方から姿を消し、消息は分からずじまいに。いつしか考えることもなくなっていたのだが、噂を耳にし、上方に靄船の林蔵が舞い戻ったのだと確信したお栄は、罠を仕掛けることを思い立ち、一文字屋にある人物の殺害を依頼するのだが――。

 

「野狐」は、絵本百物語だと「狐が提灯の火をとって蝋燭を食べることは今もよくあるよ」といった説明が書かれている。野狐は狐の中でも一番位の低いもののことを指すらしい。「野干」ともいわれ、祟るし取り憑くし、一度取り憑いたら末代まで離れない性質の悪さだとか。

 

前作『前巷説百物語』で、又市は林蔵の“しくじり”に付き合って上方に居られなくなり、一緒に江戸まで流れたという経緯が語られていました。『前巷説百物語』では、林蔵が仕事に巻き込んだ所為で、惚れた女が殺されてしまったという説明が少し出て来ただけでしたが、このお話でその事についての、十六年前にあった事件の詳細が明らかとなります。

 

後巷説百物語』収録の「天火」の後に位置するお話で、又市たちが仕事で大阪近辺をうろついていたころの出来事。そんな訳で、「鍛冶が嬶」では名前が出て来るだけだった又市がこのお話ではガッツリと登場してくれています。「御行奉為――」も言ってくれるサービスぶり。又市だけでなく、山岡百介も一章丸ごと登場してくれています。百介はシリーズ第三弾の『後巷説百物語』で退場した感があるので、こうやって出て来てくれると嬉しくなりますね。

 

このお話で描かれているお栄は計算高い欲得ずくの女ではあるのですが、後悔の念があるくせに強がって悪ぶろうとする姿が哀れで痛々しい。誰も居なくなった後、大声で吐露する内容がとても悲しくて、同情の余地は無いはずの女なのだけども、読んでいると辛くなる。

 

林蔵は本当に罪な男ですね。こんな事ばっかりあると恋をする気もなくなるというものです。

「お前の所為だぞ」とか「いい加減懲りろ」とか散々言った後、「林蔵、手前大丈夫だな」と、最後に念を押す又市の態度には、口が悪いながらも悪友への思い遣りが溢れていて良いですねぇ。

 

上方メンバー総掛かりで、又市、百介、小右衛門ら江戸の面々も巻き込んでの狂言仕事。最終話に相応しいお話となっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人間の業

巷説百物語シリーズ】は基本的に一話完結型の連作ですが、本によって各話の仕掛け仕事の描き方が異なります。

巷説百物語』は様々な視点から話が成り立つ構成、『続巷説百物語』は観察者である百介の視点、『後巷説百物語』は回顧録形式、『前巷説百物語』は仕掛ける側の又市視点。

第五弾である今作『西巷説百物語』は仕掛けられる側の視点で描かれています。種明かしとなる「後」の章は林蔵の語りになっていますが、仕掛けが始まって終わるまは“仕掛けられている側”視点のみというシンプルな構成になっていて、その人物の心の揺れ動き、「業」がまざまざと描かれる。まさに京極節炸裂の描き方となっています。

 

雰囲気としては、【百鬼夜行シリーズ】のアナザーストーリー集である百鬼夜行-陰』『百鬼夜行-陽』に近いですかね。

 

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この『西巷説百物語』で描かれる人々はいずれも業が深く、罪を抱え、囚われて“外れてしまった”、憑き物に憑かれてしまった人たち。

この人たちは完全に善意や悔いる気持ちを無くしてしまっている訳ではない。ただただ強がって、意地を張り続けて、引き返す機会を悉く逃してしまう、愚かで仕様もないけれども、悲しくてやり切れない人たちばかりです。

 

己を化け物と思うてしまったならば、もう歯止めは利かなくなってしまう。そんな気がする。汚らしく穢らわしく悍ましい化け物は、己の中に確かに居る。居るけれど、見て見ぬ振りをする。そうしなければ生きては行けぬ。

 

選ぶべき正しい道がわかっているのに、違う道へ進んでしまう。【巷説百物語シリーズ】のテーマである「人は哀しいもの」というのが、より身近に実感出来る本となっているかなと思います。

 

 

 

 

 

靄船の林蔵

靄船とは、死人が操る亡者船のこと。その亡者船は、靄に紛れ霞みに乗って、いつの間にか比叡の山に上るのだと伝えられるのだとか。

舌先三寸口八丁の嘘船に乗せ、気付かぬうちに相手を彼岸に連れて行く――それが今作の主役である靄船の林蔵の遣り口。

 

今作で林蔵が引く図面は、どれも六道屋の柳次による死人芝居が主となっています。だいたいが、亡者を蘇らせて見せて、相手の反応を伺うというものですね。

仕掛けている最中、林蔵は何度も「ここが勘所や」「ほんまにええんですな」「お心に嘘はないんやな」と相手に念押しする。執拗に確認することで、相手に引き返すチャンスを何度も与えているのです。しかして、どいつもこいつも林蔵の与えるチャンスを棒に振ってしまう。そこらへんが業が深い人ってことなのでしょうが。

何度も試した上で相手を見定め、見切って、引導を渡すのが林蔵の遣り方。「これで終いの金比羅さんや」という決まり文句は、相手への最終宣告なんですね。

 

又市は妖怪譚を利用し、憑物を憑けることで八方を丸く収めるという化物遣いですが、林蔵の仕掛け方は相手の中にあるモノを妖怪に仮託して解き放つという、どちらかというと百鬼夜行シリーズ】の中禅寺がする憑物落としに近いものです。

 

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「妖怪は鏡のようなものですよ。疾しい気持ちがあれば枯れ尾花も幽霊に見える。怯えていれば古傘も舌を出す」

 

妖怪を遣って己の姿を見せつけることで罪と向き合わせ、終いにする。又市とはまた違う片のつけ方で、見方によっては怖い遣り方ですね。だからこそ何度もチャンスを与えているのでしょうけど。

 

若造だった頃、『前巷説百物語』での林蔵は情にもろく、女に弱いお調子者という感じでしたが、十年以上の時が経ち、今作の『西巷説百物語』では慎重で確りした、女にはモテるがつれない色男となっています。

読者としては、前作で又市に泣き言を言って萎れていた姿が強く印象に残っているので、今作を読むと「あれ?林蔵ってこんなに格好良かったっけ?」と、なる(^_^;)。ま、度重なるしくじりで惚れた女を二人死なせたのに懲りての変化なんでしょうね。

 

 

 

 

遠くへ!

この本の最終話「野狐」で、結果的にまたも自分の所為で女を死なせる事となってしまい、またも懲りた林蔵は一箇所に長く居すぎたと大阪を去って行く。

 

これで終いの。

金比羅さんやで。

ほな、さいなら。

 

と、この本は終わっていますが、林蔵にはまたシリーズに登場して欲しいものです。退場していた百介にもこの本でお目にかかれたし、林蔵の再登場もシリーズが続く限りは期待できる・・・はず!

 

2021年7月刊行予定、次なるシリーズ第六弾は『遠巷説百物語

 

 

果たして「遠く」でどのような巷説が語られているものか。

シリーズ五作を読み返し振り返り、記事を書いて、整理もし終わった。改めて素晴らしいシリーズだという思いが溢れている状態であります。私の新作を読む準備はこれで万全となりました。

『遠巷説百物語』、刊行が楽しみで仕方ない(^_^)。読むのが待ち遠しいです!

 

※出ました!詳しくはこちら↓

 

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ではではまた~

 

 

 

『カエルの小指』ネタバレ・感想 あの「カラスの親指」続編!

こんばんは、紫栞です。

今回は道尾秀介さんの『カエルの小指 a murder of crows』をご紹介。

 

カエルの小指 a murder of crows

 

あらすじ

詐欺師から足を洗って十数年。前職で培った口の上手さを使い、実演販売士としてなんとかまっとうに、嘘のない人生を生きることができるようになった武沢竹夫。

そんな武沢の前に、「実演販売を教えてください」と中学生のキョウが現われる。なんでも、天才キッズを発掘する番組に実演販売のパフォーマンスで応募し、賞金を勝ち取りたいのだという。どうしてもお金が必要だと。

キョウの過酷な事情や今現在おかれている状況、自分に依頼してきた理由を聞き、協力することにした武沢。だが、実演販売の特訓をする日々の中で、キョウにとってさらに残酷な事実が判明する。

 

詐欺師から足を洗ってから、もう妙なことには絶対に巻き込まれまいと決めていた武沢だったが、耐えがたい“仕打ち”と“不公平”を突き付けられたキョウのため、かつての仲間たちである、まひろ、やひろ、貫太郎らと再集結。皆でテレビ番組を巻き込んだ派手なペテンを仕掛けようと画策するが――。

 

 

 

 

 

 

 

 

カラスの親指、続編

『カエルの小指』は2019年に刊行された長編小説。2008年に刊行され、2012年に映画化された道尾秀介さんの代表作の一つ、カラスの親指の続編小説です。

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 前作から10年以上経ってから続編小説を出してくるとは思ってもいなかったので、まったくのノーマークでした。続編が出るようなお話とも思っていませんでしたしね。当ブログで『カラスの親指』を紹介するために調べている最中に知り、慌てて購入した次第です。

基本、作者の道尾秀介さんは続編を書かないのが常なのですが、「あいつら」に再び会いたくなったのと、『カラスの親指』での“ある人物”のペテンがその後どう作用したかを描かないと物語として真の意味で終われないという想いがあったからとインタビューで語られています。

こう聞くと「ああ、なるほどなぁ」と続編が出たことにも納得。

 

 

物語の舞台は、『カラスの親指』での出来事から十数年ほど経った設定で、リアルタイムとほぼ同じ。主役はそのまま、前作でも主役だった武沢竹夫で、前作で“ある人物”のおかげで完全に詐欺師から足を洗うことが出来た武沢は現在、「自分の長所は口の上手さしかねぇ」ってことで、実演販売士として大儲けとまではいかないまでも、そこそこ安定した生活を送っています。ちなみに独身独り暮らし。前作でペテン仲間だったまひろ、やひろ、貫太郎とは交流が続いていて、時折会ったりしているという日常。

 

堅気として、厄介事には首を突っ込まずに静かな生活を心掛けていた武沢ですが、謎の中学生・キョウが現われ、結局お人好しな武沢は困っている中学生をほっとけなくなって面倒事に首を突っ込むこととなる。

結果的に「もう一度だけ」と、派手なペテンを仕掛けることにした武沢は、まひろ、やひろ、貫太郎、そしてキョウとテツに協力してもらい、テレビ番組を利用した大仕掛けを開始するのでした。して、その結末は如何に。

 

前作の『カラスの親指』を読まなくても今作は支障がないように描かれてはいますが、プロローグの、皆で“ある人物”の墓前に立ち、お伺いを立てるところなど、前作を知っている人にとっては感慨深いシーンが目白押しなので、やはり前作を読むか映画を観るかしてから今作を読むのがオススメですね。

 

些細な疑問点が提示され、数ページ後に明かされるといったことが繰り返される構成になっていて、飽きずに一気読みさせられてしまう作りが巧い。もちろん、今回も最後には読者を驚かせる大仕掛けが待っており、また綺麗に騙されること間違いなしの作品になっています。

 

 

 

 

 

 

※以下、前作『カラスの親指』のネタバレを含みますので注意。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

テツ

他、前作のメンバーが現在どうなっているのかというと、まひろは現在三十一歳。ファストフード本社勤務で独身独り暮らし。十代の頃に自分の容姿を利用して男性を油断させた隙に、財布をスってトンズラするということを繰り返していたため、自分の過去の行いの罪悪感から、男性に好意を寄せられても遠ざけてしまうようになってしまっているのですが・・・ま、今作ではまひろのそこら辺の恋愛事情にも触れられています。

猫のチョンマゲ(トサカ)もまだ健在で、まひろが飼っています。まだまだ元気なようで、猫としては結構な長生きですかね。

 

今作を読み始めるとまず、「テツ」という名前がチラホラしていることに「おや?」と、なる。テツに聞いてみようとか、テツが暮らしているとか、今現在も当たり前に交流があるように出てくるので、前作からの読者は「え?でもテツさんはもう・・・」って、なるのですけど、これは実は、やひろと貫太郎の子供である小学六年生の鉄平のことです。

 

やひろは現在三十八歳。前作で交際関係にあった貫太郎と結婚して、一児をもうけたという訳ですね。貫太郎はマジックグッズ製造メーカーで働いていて、やひろは専業主婦。夫婦になって十年以上経っても二人の妙ないちゃつき具合は相変わらず。

貫太郎は性機能障害だったのですが、前作での騒動の後、一夜だけ完全復活したとかで、その時出来た奇跡の子が鉄平なのだとか。(その後、貫太郎の性機能障害がどういうことになっているのかは不明)

 

このテツが小学六年生ながら動画投稿サイトで小遣いを稼いでいるという、インターネット全般に超絶詳しい少年でして。今の御時世、ペテンを仕掛けるにもサイバー関連知識や技術は必須。そっち方面に関してはまったく詳しくない大人たちは、テツにほぼおんぶにだっこ状態で頼りきりとなる。

ペテンを仕掛けるのに小学生を巻き込むのはどうかなとは思いますが、計画を進めていくなかでテツは何度も機転を利かせて窮地を救ってくれます。テツ自身も自分の何やらわからぬ才能の開花を自覚し、驚愕している。大カラスだった「テツさん」の才能が、隔世遺伝で孫に受け継がれたということなのか・・・。

テツさんが大カラスだったことや、ましろとやひろの父親だったことはいまだに武沢しか知らないので、他のメンバーはテツの活躍ぶりに訳も分からず唯々驚くばかりですね。自分が親だったら、息子のキレキレっぷりに怖くなるレベル(^_^;)。それこそ天才キッズ発掘番組に出てみれば?って感じ。

 

 

 

 

 

キョウ

テツだけでなく、依頼人・キョウも中学生ながら非常に頭の回転が速い子供です。今作は子供の活躍が目立つものとなっていますね。

 

十五年前、まだ詐欺師をしていて、テツさんやましろたちと会うよりも前に、武沢は成り行きで一人の女性の自殺を止めた。その女性がキョウの母親である寺田未知子で、死のうとしていたのは妊娠した直後に交際相手の男に絶縁を言い渡されたから。この時お腹の中にいたのがキョウで、武沢が自殺を思いとどまらせたからこそキョウはこの世に生を受けることが出来た。母から話を聞き、武沢に感謝していたキョウでしたが、母親の未知子がナガミネという男に欺され、大金を奪われて祖父母の店が倒産。口論の末に未知子はナガミネを刺し、キョウの目の前でショッピングセンターの三階から飛び降りた。しかも、その飛び降りた際の映像は動画サイトに投稿され、今もネットで出回り続けている・・・。

立て続けの不幸の連鎖に、キョウは「こんな世界に産まれたくなかった。責任をとってくれ」と、武沢の元を訪れた。

未知子は殺してしまったと思いこんだようだが、どうやら一命を取り留めたらしいナガミネは、自分の詐欺が露見しないように「通り魔に刺された」と警察には嘘を述べてトンズラをしたようだ。ついては、ナガミネを見つけだすために探偵社に依頼するお金が欲しいから、テレビ番組に出て賞金を稼ぎたいので協力してくれと。

 

 

武沢の立場からすれば、キョウにこんなことを言われてもとばっちり以外の何物でもないのですが、突っぱねることも出来ずに協力することに。

しかし特訓する最中、武沢が謎の男たちに襲われたり、格安の探偵社が「ナガミネは刺された傷が元で既に死んでいる」と嘘の報告をしてきたことや、武沢のアパートに盗聴器が仕掛けられていたことが発覚。

どうやらトンズラしたナガミネはグループで詐欺をしていて、自分をこれ以上捜させないようにキョウを見張って色々な小細工をしていたようだと知り、「馬鹿にしやがって」っと、ナガミネの詐欺グループ相手にペテンを仕掛け、諸々の金を取り返すことを計画する。

 

前作では各々の過去の清算のためのペテン計画でしたが、今作はすべてキョウのためのペテン計画。武沢の声かけで皆がキョウのために計画に参加する。

どうしてキョウのためにこんな危ない大仕掛けをしようと決めたのかと訊く貫太郎に武沢は、

 

「俺がこんなことやってんのはな・・・・・・昔、ある男に世話になったからだ。その男が死んじまって、恩返しができねえから、もらった気持ちを受け渡すしかねえと思って、それをいまやってる」

 

と、答える。

つまり、前作でテツさんが自分たちのためにしてくれたことを、今度は自分がキョウのためにしようという。テツさんがしてくれたことの受け渡しをしようという想いからこの度のことを計画したと。

はたして、大カラスだったテツさんのように鮮やかに出来るものかどうか。武沢たち六羽のカラスたちによる大仕掛けのペテンの顛末やいかに。

 

 

 

 

 

以下、今作の結末部分ネタバレを含みますので注意。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

五羽と一羽

 

五羽はずっと、一羽を上手く欺しているつもりだった。ところが実際には、その一羽が五羽を欺しつづけていた。自分の目的を果たすために。

 

前作でのテツさんを真似て、大仕掛けの大胆な方法でキョウを欺していた武沢たち五人ですが、キョウはキョウで武沢たちに自分の本来の目的を意図的に伏せて欺していました。双方で欺し合っていたことに気づかず、そのせいであわや取り返しの付かぬ事となりそうだったが・・・・・・なんとか回避する。

 

言ってしまえば、仲間内で欺し合った末にすれ違ういう、なんともお粗末な結果。やはり、大カラスだったテツさんの鮮やかなペテンには遠く及ばないようです。

しかし、今回のことが無駄だったのかというとそんなことはなく。しっかりとキョウにとって前向きな方向に事態は進みます。

滑稽なことになった武沢たちのペテンですが、自分のためにここまで気を配って大がかりなことをしてくれる人がいるのだという事実は、キョウにとっても「この世界もそう悪くはない」と思えるきっかけとなったのではないかと。本物の父ガエルの背中に乗ることもできたしね。

 

しかし、二転三転してのダマシにはやはり驚かされました。まひろがナガミネに惹かれる場面など、妙にソワソワしてしまいましたが、真相を知って「な~んだ。良かった」と安心した。前作での劇団の人を出してくるとは意表を突かれた感じ。

キョウの父親は誰だという疑いに関しては、私は武沢を信じていたので、「まぁ、そうだよな」と。皆、武沢の人間性をもっと信頼してあげて(^_^;)。

タイトルの意味付けは前作ほどしっくりくるものではないかなぁ。やっぱり前作のタイトルからの当てはめ感は拭えない。

個人的に、テレビ番組の裏側とか詳細に関しての描写は物足りなさを感じますね。実演販売のノウハウ話は読んでいて面白かったですけど。

 

ナガミネの詐欺グループが野放しのままなのはちょっと気になるところ。かつてのことがあるから、武沢がどうこうしないというのは納得するところではありますが、警察が捜査しているとか、壊滅の兆しがありそうだぐらいのことはあって欲しかった。

ましろの恋愛のこととか、キョウの母親である未知子のことも結末はぼかしていますね。ま、ここら辺のことは読者の想像にお任せが良いのだろうなと思う。

 

何はともあれ、武沢たちの物語がまた読めたことは読者として思いも寄らぬ嬉しさでした。

『カエルの親指』でのテツさんの大仕掛けがあったからこそ、今の武沢たちがあり、キョウの人生の手助けが出来た。テツさんの仕掛けは十年以上経った今でもしっかりと作用し、後の者たちを生かしている。

 

「人間は、どこから来たのかじゃなくて、どこへ行くのかが大事」

 

この事実をもって、『カラスの親指』は本当の完結だということですね。月日が経ったからこそ知れる本当の“完結”。やはり感慨深いです。

 

これで前作のキャストのまま映画化してくれたらより一層感動するのですが・・・前作が込み入った話ですし、続編としてやるのはやはり難しいですかねぇ。期待したいところですけど。

 

 

カラスの親指』を読んだ人、映画を観た人は是非。

 

 

カエルの小指

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ではではまた~

 

 

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