夜ふかし閑談

夜更けの無駄話。おもにミステリー中心に小説、漫画、ドラマ、映画などの紹介・感想をお届けします

『鳩の撃退法』映画 「難しい?」原作小説との違いはいかに!?

こんばんは、紫栞です。

映画『鳩の撃退法』を観たので、感想を少し。

鳩の撃退法

 

原作の小説については前に当ブログで紹介しましたので、あらすじなど詳しくはこちら↓

 

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原作小説が大変面白かったので映画も観に行きたいと思っていたのですが、結局劇場には行けずじまいでしたのでレンタルにて鑑賞。

 

原作は上下巻にわかれて結構なボリュームがあり、なおかつ時系列の入れ替えやダラダラとりとめのない描写が続いたり場面や視点がいきなり切り替わったりなど、のらりくらりとしていて読者を煙に巻くような独特の作品なので、いったいどんな風に映像化するのかが気になるところでした。

 

概ねのストーリーは原作とほぼ同じ。ですが、やっぱり原作のボリュームがボリュームですので、映画の二時間におさめるためには全部を忠実な映像化は無理。

原作のどこをどんな風にカットするかがこの映画の出来を左右するところですが、この映画は上手くまとめられていたと思います。

 

主人公の津田(藤原竜也)はロクデナシで女性にだらしない設定なので、原作では交際女性が何人も登場していたのですが、映画だと人数が減らされていました。

事件を追うのに必要な情報は原作では後半からしか登場しない編集者・鳥飼(土屋太鳳)が序盤から登場して役割が増やされていた印象。津田が書いている小説が“本当にあった事”かどうかを見極めるため、現地に取材に行くのは映画オリジナルですね。

 

原作は津田の軽妙な台詞返しも読んでいて楽しいところだったのですが、映画だとそこら辺の台詞のやり取りは少なめ。ま、尺の都合上しょうが無いのでしょうけど。

それでも沼本(西野七瀬)との掛け合いがそのままだったのは嬉しかったですね。沼本は原作よりも津田に気がありそうに見えた。なので、バーでの津田の仕打ちがよりいたたまれなかったなぁ。ロクデナシの演技、上手いですねぇ・・・。

 

 

 

 

 

 

 

原作と大きく違う点は、房州老人(ミッキー・カーチス)がニセ札だと気がつかないままだったところですね。

原作だと房州老人のニセ札だと解った上での意図的な行動がラストの解明の要になっていたのですが、映画は津田と幸地(風間俊介)交わした些細な会話、津田が“この小説を書いている理由”にスポットを絞るためにあえて省いたのかなと。

 

タイトルの意味に重点が置かれていた感じですね。“小説でなら皆を幸せにすることが出来る”、鳩(ニセ札・元凶)の撃退法(小説を書くこと)。

 

幸地家族を全員死なせないラストに導くために虚構として小説を書いていた津田ですが、最後に虚構と現実が融合。津田が小説のタイトルを決めるところで映画は終わっています。

原作だと虚構と現実が融合した場面の後にニセ札の行方を最初から順に追っていくという説明的な解明が描かれているのですが、映画では物語の中で一番盛り上がる融合部分をラストに持ってくることで“洒落た締め”になっていたなぁと。映画として綺麗なラストになっていましたし、役者さんの演技も皆良かったと思います。

 

とはいえ、時系列の入れ替えや場面の切り替わりは多いので、原作未読の人は一回観ただけでわかるのかどうか・・・。二回は観るのがオススメですかね。再度観てくれるのを狙っているのかも知れないですが。

幸地が手を叩くところが印象的に演出されていましたが、これはピーターパンのお話を知らないと意味が伝わらないので、『ピーターパンとウエンディ』の内容についてもっと説明があった方が良かったかなと。

 

ただの事件ものではない、虚構と現実を行ったり来たりする異色ミステリになっていますので、繰り返し観て愉しんで欲しい映画です。原作もオススメですのでセットで是非。

 

 

 

 

 

ではではまた~

『眼の壁』あらすじ・ネタバレ ドラマ原作!恐ろしいトリックにはモデルあり!?

こんばんは、紫栞です。

今回は、松本清張『眼の壁』をご紹介。

眼の壁(新潮文庫)

 

あらすじ

従業員の給料遅配を防ぐため、資金調達に奔走していた昭和電業制作所の会計課長・関野徳一郎は、白昼の銀行の一室を利用した手形詐欺に引っ掛かり、三千万円を詐取されてしまう。会社に大損害をもたらしてしまったことに責任を感じた関野は、妻と社長と専務、直属の部下である萩崎竜雄にあてて四通の手紙を書き、山中にて自殺した。

 

萩崎にあてられた手紙には手形詐欺事件の詳細が詳細に書かれていた。関野課長に恩義を感じて慕っていた萩崎は、罪に問われぬままの手形詐欺グループに憤怒し、独自に事件を追跡してみようと決意する。

友人である新聞記者・田村満吉の協力を得ながら事件を調べるうち、この手形詐欺には代議士や右翼団体の領袖である船坂英明、高利貸の女秘書・上崎絵津子などの得体の知れない人物たちが関わっていることを突き止める萩崎だったが、事態は次第に危険な方向へと進んでいく。さらには殺人事件が発生して――。

 

 

 

 

 

 

 

 

手形詐欺に端を発する社会派ミステリ

『眼の壁』は1957年4月~1957年12月まで「週刊読売」にて連載された長編小説。2022年6月に小泉孝太郎さん主演でWOWOWでの連続ドラマ化が決定しています。

 

松本清張の代表作の一つである『点と線』と同時期に連載された作品でして、

 

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今では『点と線』の方が世間での認知度は高いんですけれど、連載当時はこちらの『眼の壁』のほうが反響は大きかったんだそうな。

 

信じられないほど映像化されてきている清張作品ですが、『眼の壁』が映像化されるのは1958年に公開された佐田啓二さん主演の映画以来。

 

2022年は松本清張の没後30年の節目ってことで、今回初の連続ドラマ化だそうです。記念とか節目とか関係なく、清張作品は毎年なにかしら映像化されている気もしますが。

 

この原作は刊行当時の1950年代の設定で書かれていますが、今度のWOWOW連続ドラマではバブル期に時代設定を変更して描かれるのだそうです。

こちら↓

 

 

繰り返し映像化されている作品ではなく、清張作品の中では知名度もさほどなので「どうかな?」と思っていたのですが、実際読んでみたら凄く面白かったです。

文庫で500ページほどのボリュームですが、スリリングな展開もあって飽きずに読む事が出来ます。

 

“パクリ屋”と呼ばれる手形詐欺を素材として選んだのは、当時の検察庁検事河合信太郎氏に勧められたからなんだとか。当時の小説では汚職や詐欺などの捜査二課が担当する知能犯による犯罪を扱う例が少ないから、書いてみてはどうかということだったらしい。今ではその手の犯罪を扱った作品も多いですので、この分野でもやはり松本清張は先駆者なんだということかもしれない。

 

手形詐欺から端を発する物語ということで読む前は取っつきにくさを感じるかもですが、手形詐欺については発端として描かれているだけで、そんなに難しいところや解りにくいところはないので心配はご無用です。組織的で巧妙な方法での殺人事件ものとして、確りと推理を楽しめるミステリ小説となっています。

 

 

 

 

 

素人探偵の奮闘

今作は亡き上司の無念を晴らすべく奮闘する会社員・萩崎竜雄が事件を追う素人探偵ものとなっています。素人探偵ものだとゼロの焦点のように主人公自身が事件の当事者の一人で云々という流れが多いですが、

 

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萩崎は直接事件に関わっていないし、特別被害を被っていないにも関わらず、自殺してしまった上司の恩義に報いるべく事件を調べる。

もはやこの調査動機だけで好感が持てる主人公ですね。順調に出世していたのに、最悪会社を辞めることになっても良いと亡き上司のために長期休暇までとって事件を追う訳ですから。

 

萩崎だけでなく、会社の専務も社長も善良な人物として描かれていて、社長に至っては「強く言い過ぎた」と関野課長を自殺に追いやってしまった原因は自分にあると悔いており(社長は「責任をとれ」と言っただけなんですけどね。関野課長は責任感の強い人物だったので、社長が思っていたのとは違う形で責任をとってしまったと)、萩崎が事件を独自に追っていると知ってさらなる異例の長期休暇を萩崎に与えてくれる。

 

会社の人間関係、特に上役たちというのはミステリ作品ではドライに描かれがちですが、この物語ではどの人物も従業員思いで、読んでいて嫌な気持ちにならなくて良いなぁと。従業員が五千人近くいる大きな会社ですが、昭和電業制作所はさぞかし良い会社なのでしょう。辞めちゃ駄目だよ、萩崎。

 

素人探偵に新聞記者の友達がいるというのは定番のご都合主義ではありますが、田村も良いヤツで、単独スクープをとる野心を持っているとはいえ、親身になって旅費と労力も厭わずに萩崎の調査に付き合ってくれる。

 

清張作品は電車での移動調査や捜査が多く描かれるのも特徴の一つですが、『眼の壁』でも中央本線木曽山脈の線を行ったり来たり忙しく動き回っています。

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清張作品はやはり地道な調査・捜査過程が面白いですね。

 

 

 

 

 

 

以下、若干のネタバレ~

 

 

 

 

 

 

 

衆人環視のなかでの犯行

手形詐欺に端を発するこの物語。代議士や右翼団体が絡んでいることで萩崎も身の危険を感じたりしてスリリングな目に遭うのですが、途中で衝動的な殺人事件が発生したことで事態はいよいよ物騒なことになっていく。

 

黒幕には手下が多くいまして、その手下たちを使って黒幕は白昼堂々、衆人環視のなかで巧妙に犯行計画を実行する。

犯罪は普通、人目を忍んで実行されるもので、誰にも目撃されないように気を遣いながらするものなんでしょうけど、この黒幕は周りの眼を気にしないで、寧ろ逆手にとった大胆な方法をとるんですね。これは捜査二課が担当する知能犯的な犯行方法だともいえる。堂々としているぶん、かえって気がつかれないという盲点ですね。

 

目撃者はいっぱいいて、眼前で拉致や遺体搬送といった恐ろしい犯罪が行なわれているにも関わらず、誰も気にとめることがない。見逃してしまうという恐怖。

 

“建物も、電車も、自動車も、人も、彼の視界にさりげなく映っている。眼にうつっていることが現実なのか。しかし、じっさいの現代の現実は、この視界の具象のかなたにありそうだ。眼は、それを遮蔽した壁を眺めているにすぎない。”

 

松本清張の作品タイトルってのは大抵が抽象的なのですが、今作のタイトルはこの“人の眼はほんの表層部しか見ていないし、映していない”という現実を表しているものなのかなと。

 

 

 

 

 

壮絶なラスト

今作はメイントリックが結構えげつないといいますか、非人道的でグロテスクで「いやいや、そんな・・・」な、血の気も引くおぞましさなんですけども、このトリックは1956年に足立区の工場で実際に起こった事件をヒントにしているのだとか。

フィクションだと思っていたからまだアレだったのに・・・。いやぁ、人間って本当にこんな酷いことが出来るもんですかね。

 

このトリックに関連しまして、終盤に事件の黒幕は壮絶な行動をとる。追い詰められたとはいえ、よりにもよってこんな方法を最後に選ぶのは唐突すぎて読んでいて疑問でした。あの黒幕はそんなタマじゃなさそうだし。

 

人物確認のために連れて来られた人の良いおじいさんいましたが、目の前で再会したばかりの懐かしい人物があんなことになって、さぞかしショックだったろうと思う。トラウマ確実ですよ。

 

“無理やり感”が垣間見えるラストで少し残念ですね。部落差別などにも作中で動機として触れているのですが、サラッとしすぎかなと思います。もっと深掘りして欲しかったですね。

 

 

事件には右翼団体を率いている船坂英明の他に、高利貸で秘書をしていた上崎絵津子が実体は見せぬままに影のごとくつきまとうのですが、萩崎は一回面会しただけの上崎絵津子に妙に惹かれてしまったらしく、事件を追いながらも何故か庇い立てし続けて、事件に深く関与しているのは間違いないと確信しながらも誰にも打ち明けない。

 

一目惚れってことなのかもしれませんが、本当にたいした対面をした訳でもないので、萩崎が何故そんなに上崎絵津子に肩入れするのかが解せない。なので、事件調査が佳境を迎えても協力してくれている田村に打ち明けないのにはなんだかイライラさせられました。田村が良いヤツだから余計に・・・。

しかし、たいした接触も持ってないのに何故か心に深く刻まれて、訳も無く庇いたいという感情がわき起こることはあるのかもなぁとも思う。上崎絵津子という“幻の女”の真相も今作の大きな見所ですね。

 

松本清張作品ならではの面白さが詰まった作品で読みやすいボリュームですので、初めて清張作品を読む人にもオススメです。

ドラマ化などで気になった方は是非。

 

 

ではではまた~

『秘密』7巻 ネタバレ・解説 圧巻!執念の復讐劇

こんばんは、紫栞です。

今回は清水玲子さんの『秘密-トップ・シークレット』7巻に収録されている

新装版 秘密 THE TOP SECRET 7 (花とゆめCOMICS)

 

 

※シリーズの概要につきましてはこちらを御参照↓

 

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「千堂咲誘拐事件」をご紹介。

 

あらすじ

2062年3月末。千堂外務大臣の14歳の一人娘・咲が突如として行方不明となる。捜索願が出されたものの見つからず、4月に入り「千堂大臣の娘を一人さらった」との犯行声明がマスコミ各社に送られた。

捜査により、警察は吉田さなえという63歳の女性を容疑者として絞り込むが、吉田さなえは自宅に警官隊が踏み込んだ際に大臣へのメッセージを残して頸動脈を切って自殺。大臣の娘の行方が不明のまま容疑者死亡という事態となり、捜査は「第九」に全指揮権継承が決定。吉田さなえの脳を見るMRI捜査が主体となって行なわれることとなり、薪、青木らは捜査に乗り出す。

 

吉田さなえは「デルナ集団拉致事件」の被害者遺族だった。20年前に起こったこの事件当時、中東アフリカ局長だった千堂は国交を優先し、被害者家族の捜査活動継続の訴えを却下。吉田さなえはこの決断を恨み、復讐するべく犯行に至ったと仮定されたが、MRI映像から吉田さなえは拉致誘拐には直接関わっていないことが確認されたため、共犯者がいることを視野に入れ捜査は進められていった。

 

また、MRI映像から千堂咲は中東の貨物船「アルタイル」のコンテナに入れられたことが確認されるが、船はすでに公海上で「アルタイル」は停船命令を無視して走り続ける。咲が少量の水と食料と共にコンテナに入れられて既に一週間。10日以内に救出しなければ生存は絶望的な状態だと分かり救出を急ごうとするが、そこには国交の壁が――。

 

さらに、捜査の結果行着いた吉田さなえの元夫で共犯者であり首謀者・淡路真人が大臣に思わぬ“宣言”を突き付けて・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

分厚い7巻

前巻の6巻は青木が「第九」に来る前のエピソードで岡部さんが主役の番外編であり、シリーズ史上最薄だったのですが、

 

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この7巻は通常の時間軸に戻り、前巻とは打って変わっての分厚い巻となっております。

この漫画シリーズは基本的には事件ごとに巻が区切られているので、このような厚さの違いが出るんですね。ひょっとしたら6巻の番外編は長い事件の前の骨休め的なつもりだったのかもしれない。骨休めにしては重すぎる内容でしたけど。

 

長いだけあって、国交や大臣が関わるスケールのデカイお話となっています。一段と社会派色が強いので最初はとっつきにくさを感じるかもですが、構造や犯行動機はいつもの『秘密』らしい人間味溢れるもので理解しやすく、堅苦しさもさほどではないのでページ数があるのもなんのその。

結末はズッシリと重いですが。いつも重いんですけども、今作はまた違うズッシリさがある。

 

個人的にはこの重た~い結末も含めてシリーズの中ではかなり好きな作品です。

 

5巻の最後で青木が三好先生に空気を読まない唐突なプロポーズをした後ということで、

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薪さん、青木、三好先生、三人の人間関係や心情が大きく変化しており、青木も驚きの行動をしていますので見所満載です。

 

 

 

 

 

以下、若干のネタバレ~

 

 

 

 

 

 

 

「人命」と「国交」

中東の貨物船コンテナに攫われた娘が紛れ込まされたらしいと分ったものの、その船はもう日本の領海内を出ており、輸送禁止物資を積んでいるためか海上保安庁からの停船命令に応じない。

国交上、確かな証拠もなく、何をされたわけでもないのに、他国の船を無理に停めさせて強制調査するわけにはいかないってことで、救助は困難な状況・・・な、はずですが、娘を助けるために千堂大臣は自らの権限を駆使して威嚇射撃と強制調査を強行しようとする。

 

「大臣」のように絶大な権限が与えられている人間というのは公平性が求められるもの。大臣の権限を私的な希望のために使おうとするのはあってはならないことですが、千堂大臣は公私混同を承知の上で外務大臣の娘じゃなければ狙われることはなかった。大臣の力を使って助けようとして何が悪い」と言い放ち、強行に出ようとする。20年前の「デルナ集団拉致事件」では国交を優先して拉致被害者を見捨てたくせに。

 

まだ人命優先のためだと言われたなら筋が通るところですが、堂々と「自分の娘だから大臣の力を使って特別に助ける」と言ってしまっているわけで、気持ちは人としてはわかるところですが、「大臣」としてはそれじゃあやっぱりダメでしょう。

 

それでまたこの千堂大臣、コンテナに入れられたのが咲ではなく別の女性だと判明するやいなや態度を一変、

「どこの誰ともわからないたった一人の命を救うためにほんの少しでも国家の安全が脅かされるような事になってはならない 絶対に!」

「それにそうやって国の安全を守ったとなれば犠牲になった命もうかばれるというものだ」

と、のたまって船の追跡も威嚇射撃も立入調査も救助も中止させる。

 

はぁぁ~?さっきまでの自分の行動を棚に上げて何言ってんだ!怒るとすぐ手が出る野蛮人だし、選民意識ばっか高いし、作中で薪さんが言うように“「外務大臣」の職を辞するべき”人物で、もう、本当に怒りが湧いてくる。

 

20年前、「人命」よりも「国交」を優先させ、今回もまた同じ選択をするということは、それが千堂大臣にとっては揺るがぬ姿勢で信念なんでしょうが、それなら自分の身内が渦中にいるときも同じ対応をとるべきで、実際、こういった権限を持たされている職務の人は同じような局面に立っても表立って身内を特別扱いは出来ないものだと思う。政治家の権限は本人が持っているものではなく、国民に与えられているものですから。

 

 

 

 

復讐

こんな調子の千堂大臣だからこそ、「デルナ集団拉致事件」の被害者遺族である淡路真人は20年間ずっと恨み続けてきた訳で、癌で余命宣告を受けたことで今回の一世一代の復讐計画を立てる。この物語は淡路の執念の復讐劇なんですね。

 

一年かけて調べ上げた“ある秘密”と、自分と元妻の命を最大限に利用した淡路の復讐計画は用意周到で緻密なもの。それでいて偶発的な危険要素を孕んでいる危ない計画でした。

復讐が成功するかどうかはターゲットの選択に委ねられているというのがこの計画の狡知で恐ろしいところ。

 

ただ危害を加えるのではなく、選択によっては救済が用意されている。“この結果を招いたのは自分の選択だ”とターゲットに思わせる。権力の座から一番遠い立場に引きずり落とし、一生涯の苦しみを。20年間憎み続けたから淡路だからこそ練り上げることが出来た復讐計画なんですね。

 

この復讐方法は、犯人の淡路としても自分の復讐心を千堂に委ねる賭けだったのだと思います。千堂が淡路の思うのとは違う選択をして、その結果計画が失敗するのなら、それは千堂大臣が復讐するに値しない人物だということ。自分は千堂の人間性を見込み違えていたのだと、その場合は見逃してやろうと、思っていたのではないかと。

 

しかして、千堂は淡路が思っていた通りの決断と行動をした。自分の復讐は完遂されるのだと確信して、淡路は最後に笑みを浮かべる。

 

 

 

 

 

この物語は、余命宣告を受けた淡路が「私はこれから鬼になりますから」と告げるところから始まっています。

 

千堂大臣自身ではなく、何の罪もない娘達を巻き込み、元妻・吉田さなえの自殺を前提(この元奥さんも相当な覚悟でのことだったと思います。淡路とは違って余命僅かというわけでもないのですから。それだけこの元奥さんも恨みが強かったということなのか・・・。淡路を主に展開するためなんでしょうが、吉田さなえの描写が少ないのはちょっと残念なところですね)としたこの復讐計画は、人であることを捨てて「鬼」にならなければ実行出来ない犯行だったでしょう。

 

青木のお人好しな無茶な行動により、淡路が望んでいた完璧な形での復讐は成らなかったのですが、頓挫しかけた淡路の復讐は犯行計画の詳細の解明と“秘密”が暴かれることによって、薪さんの手で別の形で完遂されることとなる。

 

薪さんとしては前段階のネタばらしで千堂を追い詰めるのは止めるつもりだったのでしょうが、血にばかりこだわって「咲には会わない」「絆じゃない。私は裏切られていた」「あかの他人のためにこんなバカなことはしなかった」と言い出す千堂を目の当たりにして見限ったのか、淡路の復讐を引き継ぐかのように千堂を糾弾し、最後に一生悩まされ続けるだろうキッツ呪いの言葉を投げかけて立ち去るところで物語は終わっています。

 

最後の薪さんの言葉にはそばで聞いていた岡部さんも青ざめるほど。「鬼」です薪さんは。

なんとも物々しいというか、ズゥウ~ンと読者も精神的にやられる終わり方ですね。

 

この事件で味わうことになった心境が、シリーズの今後の薪さんの行動に影響を与えることとなっているので必見。復讐劇としての見所が存分に詰められている作品ですので是非。

 

 

 

ではではまた~

『ドクターホワイト』ドラマ には”あの”衝撃事実がない!?原作との違い ネタバレ・解説

こんばんは、紫栞です。カンテレ・フジテレビ系の月曜10時枠の連続ドラマ『ドクターホワイト』が終了いたしましたね。

 

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樹林伸さんによる原作小説は2022年現在で3冊出ていまして、前にこのブログでまとめ記事を書いたのですが↓

 

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今回は、ドラマを観終わっての感想と原作との違いについて少し。

 

 

※以下、ドラマのネタバレ~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

放送前から予想していた事ではありますが、全体的な流れは原作の通りではあるものの、ドラマはかなりオリジナル要素が足されていましたね。ま、原作のボリュームがさほどではないので、足さないと連続ドラマとしては難しい。

 

細かいところを挙げるとキリがないのでアレですが、一番目立つ違いは医療診断チームに研修医の佐久間新平(高橋文哉)がドラマオリジナルキャラクターとして登場していたところでしょうか。

回を追う中で白夜(浜辺美波)と同年代の医師が成長する過程を描きたかったってことでしょうかね。

確かに原作には白夜と同年代の人物が登場しないので、年齢が近い人物が診断チームの中にいるのは、チームと白夜との距離を縮める架け橋的存在となっていて良かったと思います。白夜のような特殊な環境下で育った人物でなくとも、周りが皆10以上年齢離れているってなるとなかなか溶け込めませんよね。

 

佐久間先生がいることで第4話の恩師にまつわるオリジナル話もうまれて、ドラマとして面白さが増していたと思います。ドラマを視聴後、佐久間先生目当てで原作を読むといなくてガッカリことになるので要注意です。

 

他、診断チームのメンバーである高森麻里亜(瀧本美織)、西島(片桐仁)、仙道(高橋努)、夏樹(勝地涼)は原作にもそのままの役割で登場しているのですが、原作ではページ数が少ないため、どの人物も“キャラクター付け”が薄くて物足りない感じでした。ドラマでは各キャラクターが際立ってやり取りも存分に描かれていて楽しかったです。

 

キャラクターの描写だけでなく、ドラマは原作よりも全体的にコミカルで観ていて楽しい雰囲気になっていましたね。

主人公の白夜も原作よりも明るくって可愛さが前面に押し出されていたなぁと。特別編、なんか最後に“今までの白夜のかわいいコレクション”やってたし(^_^;)。

 

 

 

最近のフジテレビドラマの、最終回後に総集編めいた特別編やるあの流れって何なんですかね?謎。

 

上記したように、原作は現在シリーズが3冊出ているのですが、ドラマでは白夜の秘密が明らかになるシリーズ2作目「神の診断」の内容までに留まっていました。特別編では最終回の“その後”が描かれるとあったので、3作目の「心の臨床」の内容も少しやるのかと思ったのですが、まったくやりませんでしたね。

 

2作目の「神の診断」での診断話はドラマの8話でやっていたのですが、原作での民間治療に関してのアレコレはほぼ省かれていましたね。民間治療はいたずらに推し進めるには危ういところがありますので、まぁそうだろうなぁと。原作読んでいても「大丈夫かなこれ・・・」って感じでしたからね。

 

ドラマは白夜が海江田朝絵のクローンだと明かされるところまでで終了していましたが(朝絵さんは40手前のはずなのですが、ドラマはめっちゃ若かったですね・・・)原作ですとシリーズ3作目の「心の臨床」で、ALSだとされている朝絵さんの病状についてのアレコレが描かれていまして、このシリーズらしいオチがついています。ドラマでも最後の最後に「それ、誤診です!」ってやるかなと思っていたのですが、やりませんでしたね。

 

後、白夜の名前の由来がドラマでは誕生日からとったとされていましたが、原作では「108番目の胚で作られたクローンだから」という由来でした。

何とも乾いているというか、酷い話ではありますが、読んでいたときは一番印象深くって「なるほど」とも思った由来でしたので、変更されていて少し残念。

 

 

ドラマでは恋愛話が盛り込まれてすぎだった印象ですかね。

患者さんの診断、白夜に関しての謎、高森院長(石坂浩二)の病気、失踪中の高森勇気(毎熊克哉)、狩岡将貴(柄本佑)の妹・晴汝(岡崎紗絵)の病気などなど、トピックがやたらとあるストーリーですので、恋愛まで大々的にいれんでもいいでしょうに。

 

原作では将貴が白夜に恋していまして、個人的には30後半の男性が中身赤ん坊同然の十代女子に恋しちゃうのはちょっとなぁと思っていました。ドラマだと最初将貴は麻里亜のことが好きって設定になっていたので(原作だと麻里亜のことは恋の対象としてみたことはない) 、やっぱりここに関しては原作みたいにしないんだなと安心していたのですが、終盤で結局ああいうことに・・・うーん(-_-)。

 

 

私は3作品の中だと「心の臨床」が一番ミステリ色強くて好きなので、いつかスペシャルドラマとかでやってくれたらなぁ~と思う。

3作目の「心の臨床」では6年の月日が経ち、白夜は24歳の医学生に。実習生として高森総合病院に戻ってきて~と、いうお話になっています。朝絵さんの病状だけでなく、今までとはまた違う“事件”が描かれていますので、ドラマ観てその後が気になった方は是非。

 

 

 

ではではまた~

『今昔続百鬼-雲』4編 あらすじ・解説 京極堂も劇的に登場!馬鹿二人の珍道中

こんばんは、紫栞です。

今回は京極夏彦さんの『今昔続百鬼-雲』(こんじゃくぞくひゃっき-くも)をご紹介。

文庫版 今昔続百鬼 雲 〈多々良先生行状記〉 (講談社文庫)

 

妖怪馬鹿二人の珍道中

『今昔続百鬼-雲』は妖怪馬鹿の上蓮と妖怪馬鹿重度(かなりヤバイ)の多々良勝五郎の二人が、妖怪伝説蒐集の旅をするなかで遭遇する騒動を描いた中編集。多々良先生行状記。

多々良勝五郎センセイは京極堂こと中禅寺秋彦の妹・敦子が編集記者をしている雑誌「稀譚月報」で妖怪研究家として連載を持っているということで、百鬼夜行シリーズ】

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と関わりのある番外編的作品。京極堂もゲストで出演してしっかりと拝み屋の仕事をしていますので、シリーズファンならば読むべし!な、一冊。もちろん多々良センセイと沼上蓮次の二人も【百鬼夜行シリーズ】、他スピンオフ作品でちょこちょこ登場しています。

 

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多々良勝五郎と沼上健治のモデルは、京極さんの妖怪好事家仲間である多田克己さんと村上健司さん。この三人による座談会がまとめられた『妖怪馬鹿』たる本も刊行されています↓

 

 

最初に刊行された講談社ノベルス版にはふくやまけいこさんによる挿絵がありました。かわいらしい絵で、なにやら今までにない雰囲気で京極作品が楽しめる・・・かも。

 

 

 

文庫版にはこの挿絵は掲載されていません電子書籍で出ているのは文庫版の方ですね。

 

 

 

物語の舞台は昭和二十五年初夏~二十六年秋。【百鬼夜行シリーズ】の第一作姑獲鳥の夏より少し前の時間軸ですね。

語り手は一貫して坊主頭で印刷所勤務の妖怪伝説好きである沼上蓮次。小柄の肥満体で人の迷惑も顧みずに怪異を求めて暴走する妖怪研究家・多々良勝五郎センセイに、沼上がひたすら翻弄され、辟易しながら肚を立て、事件に巻き込まれては偶然にも解決させてしまうという流れがこの中編集の基本スタイルとなっています。

 

殺人や村の近代化への葛藤などが描かれているものの、この本はあくまで妖怪馬鹿によるドタバタ冒険コメディー。終始「馬鹿は始末に負えない」といった感じでひたすらコミカル。

今作も京極夏彦作品の代名詞であるレンガ本でどの編も短くはないのですが、軽快に読める中編集となっていますので、【百鬼夜行シリーズ】などを読んだ事がない人や京極作品に敷居の高さを感じてビビってしまっている人にもオススメの作品です。もちろん京極作品全体を知っていた方が愉しみは増すんですけどね・・・。

 

 

 

 

 

 

 

各話・あらすじ・解説

 

『今昔続百鬼-雲』は四編収録。題材に使われている妖怪はいずれも鳥山石燕の画集から。

 

●岸涯小僧(がんぎこぞう)

昭和二十五年初夏。戦後の闇市で偶然にも劇的に多々良センセイと再会した沼上は、二人で妖怪伝説蒐集の旅に出た。山梨の山中で嵐に見舞われ、半ば遭難しかけていた二人は川辺で「か、カッパかッ。どうして――」という叫び声を聞く。

カッパと聞いて異様に興奮したセンセイが飛び出していった結果、無事村を発見。噂に聞いていたお化け愛好家だという老人・村木作左衛門の元になんとかたどり着き、泊めてもらうこととなる。

すると翌日、二人が声を聞いた川辺にあった小舟の中で死体が発見された。死体には無数の噛み傷が。まさかこれは河童の仕業なのか――?

 

「岸涯小僧」は河童の一種とされていますが、画だけで名前の由来などは一切不明の妖怪。

 

村木老人は息子たちと折り合いが悪く、養女で一緒に住んでいる富美に財産をすべて譲ると宣言したことで親族間トラブルが発生している。事件にはそのトラブルが絡んでいるという訳ですね。

村木家は犬を何匹も飼っていまして、お化け好きなせいで悉く変な名前をつけている。読みながら思わず笑ってしまうのですが、これが実は伏線になっていて、可笑しいんだけれども「なるほどなぁ」ともなる真相。

この事がきっかけで、村木作左衛門は多々良センセイの研究にえらく関心し、以後パトロン的存在に。二人が旅先で金に困ると、富美に金を持たせて使いにやるという訳です。二人にとってはなんとも都合の良い老人ですね。

 

 

 

 

泥田坊(どろたぼう)

昭和二十六年二月。懲りもせず妖怪伝説蒐集の旅に出た沼上と多々良センセイの二人は、長野の雪山でまたも遭難しかける。やっとの思いで村を見つけた二人だったが、目撃したのは「タ、オォカ、イ、セ、タオ、カエェ、セ――」と咆哮しながら彷徨う全身真っ黒な得体の知れない人物のみで、他は誰も出歩いておらず、中に人が居る気配はあるのに戸を叩いてもどの家も開けてくれない。

何件か訪ね歩いてやっと家に入れてくれたのは、帰郷中だという田岡太郎だった。太郎によると、村は今「オッカナの晩」で忌み籠りの最中だという。

二人を泊め、占いのために鎮守に行った父・吾市を太郎は一晩待ち続けたが帰ってこず。翌朝になって三人で鎮守に行ってみると、中には吾市の死体があった。鎮守までついていた足跡は被害者の吾市のもののみ。果たしてこれは不可能犯罪なのか――?

 

泥田坊」は、死んだ翁が大切に耕していた田圃を息子が受け継いだものの怠けて農業をせず、挙げ句に売り払ったらば、夜な夜な一つ目の黒い生き物が現われて「田を返せ」と罵るようになったとかいう妖怪。

でもこの話が載っているのは『今昔百器拾遺』のみで、他に似たような伝承が見当たらないので謎に包まれているらしい。

 

前話よりも少し期間が空き、年が明けて二月。またも山で遭難しかける二人。しかも今度は雪山ってことで危険度が増しています。

雪に足跡で、本格推理モノの王道的な不可能犯罪だ!展開に。解決のされ方は全然王道ではないのですが。真相はとてもせつない。

金に困った二人は村木老人に電報を打ち、終盤でお金を持ってきてくれた富美と合流します。

 

 

 

 

●手の目

信州での事件の後、村木作左衛門の養女・富美が持ってきてくれた金子によって懐が暖かくなった沼上と多々良センセイの二人は、調子に乗って東京へ帰る前に群馬方面に寄り道して伝説蒐集をすることに。富美を伴っての道中、大雪のために足止めをくった宿屋で三人は奇妙な話を聞く。

宿屋の主人が高熱にもかかわらず家を抜け出して行方知れずになったという。主人だけでなく村の男達はここ最近、夜な夜なこっそりと何処かに出かけては憔悴して帰ってくるのを繰り返していたらしい。

女将はどこぞの女のところに通っていたに違いないと決めつけて恥じ入るが、話を聞いたセンセイは「何かに取り憑かれたのかもしれない」と興奮。村中を探っているうちに、三人は村で起こっている騒動に巻き込まれることとなるが――。

 

「手の目」は座頭姿だが両の手のひらに目玉がついている妖怪。『諸国百物語』の中の「ばけものに骨を抜かれしこと」という、妖怪に骨を抜かれて皮だけになったという話を元に鳥山石燕が書いたのではといわれているが、やはりほぼ正体が不明の妖怪。

 

こちらは前話での道中の続きになっていて、二人は富美と行動を共にしています。富美ちゃんは十六歳の小娘なのですが、聡明でしっかりもの。村木老人の影響でお化けのことにも詳しく、ワザと多々良センセイを焚きつけて面白がったりする。

なんやかんやあって沼上が博打をすることになるのですが、真剣勝負をしている横で茶々を入れてくるセンセイにマジでムカムカする。

基本的に沼上はいつも多々良センセイに対して肚を立てているのですが(じゃあ何で一緒に旅してんだよって感じですが。ま、ずっと二人きりで行動しているとイライラが募るというのと、沼上も馬鹿だからってことですかね)、この茶々の入れ方は言動がよりリアルといいますか・・・ま、とにかくムカツク(^_^;)。

 

 

 

 

●古庫裏婆(こくりばば)

発端は昭和二十六年の夏の終わり。入定木乃伊の展示を目当てに多々良センセイと東京蒲田で開かれた衛生展覧会を見に来た沼上は、そこでかつての妖怪同人誌仲間である笹田冨与巳と再会した。

冨与巳は出羽の小父の寺から詐欺師によって持ち出されて行方不明になった木乃伊(即身仏)を探しており、奥州から運ばれてきた木乃伊が展示されると聞きつけてこの展覧会に訪れたのだという。検分してみたところ、探している即身仏とはポーズが違っていたため別物だということにその場では落ち着いた。

 

秋になり、資金を貯めて妖怪馬鹿二人にとっては“いよいよ”な地、東北を訪れた沼上と多々良センセイはある事件に巻き込まれ、人生最大の生命の危機に直面する。それは、即身仏にまつわる世にも恐ろしい事件だった――。

 

「古庫裏婆」は、寺の住職の妻が夫の死後古庫裏に住み続けた末に、墓から屍を掘り出して喰らう妖怪になったというもの。石燕の絵には婆の周囲に意味深に色々と描かれているものの、意味は不明。

 

前話からまた少し空いて今度は東北道中。この話のみ書き下ろしなのですが、一番長くて文庫だと250ページある。この話だけで一冊出せますね。毎度のことではありますが。

京極堂こと中禅寺秋彦が登場でテンションが爆上がりです。多々良センセイとは違って周到に、スパッと解決。京極堂による古庫裏婆退治が拝めるので必見ですね。

この事件で助けてもらったことがきっかけとなり、多々良センセイと沼上は中禅寺と知り合い、妖怪好き仲間として親交を持つことに。多々良センセイは『塗仏の宴』に登場しているのですが、

 

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その事を示すように作中で塗仏の絵について少し言及するシーンがあります。また、この話に登場する伊庭刑事陰摩羅鬼の瑕に登場しています。

 

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以上、四編。

 

 

 

 

 

 

妖怪の謎(だけ)解明する

『今昔続百鬼-雲』では由来など不明点が多い妖怪が題材に選ばれています。

物語の中心人物である多々良センセイは四六時中妖怪の事しか考えていない人物。作中で多々良センセイがするのは石燕の妖怪画に隠された隠喩暗喩の読み解きで、事件の謎などまったく解かない。どの事件も多々良センセイが妖怪画の読み解きをした結果、偶発的に、周りが勝手に勘違いして事件が解決に至る。棚ぼた解決的な物語集となっています。

 

妖怪画の読み解きと、多々良センセイと沼上の二人のやり取りが面白いのはもちろんですが、「古庫裏婆」の最後で不思議が残る終わり方をしていること、その不思議をもたらしているのが中禅寺秋彦だというところが、【百鬼夜行シリーズ】全体の中で割と大事なんじゃないかという気がする。「この世に不思議はない」って言っている、その当人が不思議だってところがね。

中禅寺は『百鬼夜行-陽』でも学生時代、榎木津の目の謎を何の前情報も無しにいきなり言い当てていますが、

 

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京極堂、まさか千里眼的な能力でもあるの?」ってな疑惑(?)が芽生えるような描写は今作が初だったので、最初読んだときは結構驚いた。ま、明かしてないだけでマジシャン的なペテンのタネがあるのかもですが。

不思議が残る終わり方をすることで、多々良センセイが不思議を全身全霊で楽しむ人間なんだよとダメ押しで示しているのかなとも思います。

 

“雲”とついているので続編があっても良さそうなものですが、多々良センセイと沼上のコンビが主の本は今のところこの一冊きりです。作者の京極さんもマニアックに走りすぎた自覚があるのか、「書いてくれと言われればいくらでも書けるんだけど、誰にもお願いされない」とインタビューなどで自虐的に語っていたりする。

 

正直なところ、『今昔続百鬼』の続きより本編の【百鬼夜行シリーズ】の新作をまずは書いて欲しいってのがファンとしての希望ではありますが、『今昔続百鬼』だって続編が出るなら絶対に読みたいし書いて欲しい。出版社さん、編集者さん、何とか先生を口説いてくれって感じですね。

 

 

京極夏彦作品ファンも、そうでない方も是非。

 

 

 

 

 

 

ではではまた~

『鵜頭川村事件』まるで実話?パニック!サスペンス!ホラー!な”村小説”

こんばんは、紫栞です。

今回は櫛木理宇さんの『鵜頭川村事件』(うずかわむらじけん)をご紹介。

鵜頭川村事件 (文春文庫)

あらすじ

昭和54年6月。岩森明は墓参りのため、幼い娘を連れて亡き妻の生まれ故郷である鵜頭川村を三年ぶりに訪れた。

しかし運悪く、訪れたその日に豪雨にみまわれ、土砂崩れで村は孤立してしまう。さらに、村民である若者の他殺体が発見された。

誰もが犯人は凶暴で村の鼻つまみ者である大助ではないかと疑うが、大助は矢萩工業の社長で村の支配者である矢萩吉朗の息子であるため、大人たちは保身のために口を噤む。子供たちはそんな大人たちに失望し、閉鎖された空間の中で怒りを募らせていく。停電と断水をともなう孤立状態は、村を支配している矢萩一族と他村民との間にも亀裂を生じさせた。

 

やがて年長者たちと若者、家との対立は決定的なものとなり、鵜頭川村は悪意と暴力に支配された“狂乱の村”と化す。岩森は娘を守るべく決死の行動に出るが――。

 

 

 

 

 

 

村!パニック・サスペンス・ホラー

『鵜頭川村事件』は2018年に刊行された櫛木理宇さんの長編小説。今年、2022年にこの小説を原作とする連続ドラマがWOWOWで放送されることが決定しています。

櫛木理宇さん作品ですと『死刑にいたる病』も今年映画が公開予定ですので、立て続けの映像化ですね。

 

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昭和54年が舞台となっているこちら、「鵜頭川村」という山間の小さな村が孤立してしまったことで起こる悪夢のような数日間を描いているパニック!サスペンス!ホラー!な、作品。

全体的にじっとりとしていて、嫌悪感に溢れたイヤ~な空気をまとっているのですが、嫌だなぁと思いつつも読み始めると止まらない。文庫で460ページほどのボリュームもなんのその。嫌だからこそ一気に読みたいといった小説ですね。

 

特有の閉塞感、支配する一族、絶対的な家父長制、あらがえない理不尽、血の忌まわしさなど、「村」の“負の部分”がこれでもかと描かれる設定は横溝正史八つ墓村や、

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手塚治虫奇子を彷彿とさせる。

 

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ミステリ的要素もあり、最後に明かされる真相は読者により一層の恐怖と嫌悪感を抱かせます。とにかく、これらの“村作品”や閉鎖空間パニックものが好きな人に特にオススメしたい作品。

 

『鵜頭川村事件』というタイトルはバリバリの本格推理小説を連想させますが、ミステリ要素はあるものの、今作は推理小説というより“人間の狂気”というホラーに重きが置かれている物語になっています。

なので、本格推理ものを期待すると「ちょっと思っていたのと違う」となるかも知れません。私も古臭い日本ミステリが好きなので、こういうタイトル見ると勝手に期待しちゃう・・・(^^;)。

しかしこの作品、連載時は斧を意味する「AX」というタイトルがつけられていたらしいです。本にする時に改題したんだそうな。確かに作中に斧は出て来ますけど、「AX」だとこの作品のタイトルとしてはしっくりこない。伊坂幸太郎さんの作品ともかぶりますしね。

 

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個人的には改題して大正解だと思います。

『死刑にいたる病』も改題されてのものでしたけど。櫛木理宇さんは改題の多い作家さんなのですかね。

 

WOWOWの連続ドラマですが、監督は『22年目の告白-私が殺人犯です-』を手掛けた入江悠さん。

 

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番組公式ホームページを見たのですが、原作では電子機器製造会社勤めの岩森が医者に、病死した妻の墓参りに村に来たという設定から行方不明の妻を探しに来たということに、妻の名前も節子ではなく仁美に、昭和54年設定も現代設定にと、かなり大幅に変更されているのが説明文からだけで窺えました。

 

小説は昭和54年設定だからこその物語として書かれていますし、既に故人で事件には直接関わってこないはずの妻が行方不明状態で、探すために村を訪れるなんて変更されているとなると、共通しているのは村での閉鎖空間パニックものってところだけなんてこともあるのかもって気が。

ほぼ別作品的に愉しむ感じでしょうか。ドラマはどんな風にオリジナル要素が入るのか気になるところですね。

 

 

 

 

 

「実話」「モデル」?

鵜頭川村は人口約900人、世帯数250~300戸ほどの、矢萩姓と降谷姓がほとんどを占める小さな村。

矢萩一族は農地改革後に手に入れた土地を売って会社を興し、今では村民の直接の雇用主として村に君臨。

実質的に村を支配する矢萩一族と、雇用される降谷姓その他で大きく二極化されているといったパワーバランスで成り立っていた村だった訳ですが、豪雨で孤立状態となっている只中で他殺体が発見され、犯人の第1候補が村の最有力者の息子だったことで村内での空気が不穏なものとなっていく。

 

疑われた矢萩大助は、元々手のつけられぬ乱暴者として村民に嫌われていた人物。しかし、父親の吉朗はこのバカ息子を溺愛しており、大助が度々問題事を起しても村の支配者の立場で沙汰無しにし、野放しにしていた。こういう前設定は“村作品”のド定番って感じですね。

 

殺人までいつもの調子で無罪放免にしようとする吉朗に、常日頃から矢萩一族にいいようにこき使われている村民は不満を爆発させ、停電と断水という危機的状況の中で矢萩姓の者には水も食物も売らないという事態に発展する。

こういう状況だと工業会社をしている矢萩一族より、農家や商店をやっている側の方が有利ってことで。パワーバランスが逆転するんですね。閉鎖空間での極限状態により、人間の醜悪な“負の面”が露わになる。

 

今作をネットで検索すると候補に「実話」「モデル」と出て来る。

各章の冒頭に新聞記事やWikipediaからの引用風の文章が挿入されているので、いかにもモデルにした事件があるという実話感を読者に感じさせますが、今作は完全な創作。ま、それくらいリアリティがある物語になっているということでしょう。

 

昭和40年代の学生運動が大きな影を落している物語となっていまして、ああいった集団ヒステリーというか、正当だったはずの主張も運動が過激化することでただの狂乱に成り果てる様が要素として詰め込まれている。昭和54年という舞台設定もこれを踏まえてのものですね。

 

 

 

 

 

 

以下、若干のネタバレ~

 

 

 

 

 

 

 

 

岩森明

主人公の岩森明は東京で矢萩節子と知り合い結婚。娘が産まれた後に「故郷でこの子を育てたい」という節子の意向に添って一時鵜頭川村で暮らしていたものの、節子が病死したことで村を出た。

今回は墓参りのために三年ぶりに村を訪れたというだけで、実質村とは関係の無い人物なのですが、「矢萩一族の娘と結婚した元村民」という微妙な立場のために渦中に巻き込まれてしまう。

 

節子の伯父も村民も岩森のことを“都会人の近代主義者”という風に扱っていますが、実は岩森も過疎の村出身者。東京に出る前は末の息子ということで家族の中では疎外され、村と家に鬱憤を募らせる青春時代を過していた。節子と娘の存在によって変わることが出来ましたが、本来は“暗い衝動”を内に抱えていた人物。

村での騒動に巻き込まれ、暴力に晒されることで岩森が身に秘めていた狂気も溢れだすこととなる。

物語の後半では娘を守るべく、故郷の村で培ったサバイバル能力を惜しげも無く発揮させているのが意外な読みどころにもなっています。

 

 

 

 

 

 

降谷辰樹

地獄絵図のような村での狂乱はしかし、無秩序的なものではありません。この狂乱は降谷辰樹という一人の青年によって悪意を持って計画的にもたらされたものです。

 

辰樹は次男坊で東京の大学に進学予定だったものの、長男が事故で亡くなったことで繰り上がりで家の跡取りとなり、村から出られずに将来が閉ざされてしまった。親友が自分は行けなかった東京の大学へと進学し、矢萩工業で召使いのようにこき使われて、優秀で能力もある辰樹は小さな村で鬱憤を溜め込んでいました。

 

そんな時に土砂崩れで村が孤立。この機に乗じて辰樹は学生時代からのカリスマ性を発揮して若者達を煽動し、村が崩壊するように仕向けていく。

 

岩森はそんな辰樹にかつての自分の姿を見る。自分も村を出ることが出来ていなければ辰樹のようになっていたかもしれないと。そんな岩森の想いを知ってか知らずか、辰樹は“よそ者”であるはずの岩森に狙いを定めてくる。

 

鬱憤を溜め込んでいたとはいえ、辰樹はどうしてここまで執拗に村を壊そうとするのか?関係が無いはずの岩森を何故狙ってくるのか?発端である殺人事件の犯人は誰なのかももちろんですが、これらの辰樹の行動の謎が今作での最大の読みどころとなっています。

 

ほかの雄の子供を嫌い、噛み殺してしまうというライオン。托卵するカッコウ。自分の子だけを大事と思い、遺伝子を残そうと努めるのは、どの動物とて同じだ。だがそこに打算はない。純粋な本能でしかない。

人間だけが、その本能へ異なった意味合いを含ませ、歪ませる。

望んだ子。望まれぬ子。偏った愛情。与えられぬ愛情。家のため。己の老後のため。見栄のため。そのひずみが、次代へと繋がる悲劇を生んでいく。

 

元凶は人間の歪んだ“血”への執着。これもまた村作品では外せない要素ですね。

 

 

ここまで説明した感じだと嫌な人ばかり出る嫌な事しか起きないひたすら不快な小説って思われるかもですが(実際八割がたはそうなんですけども)、鬱屈とした中でも降矢港人矢萩廉太郎の少年二人が、親同士でどんなに対立していようとも友情を貫く姿や、岩森の幼い娘・愛子の健気な姿は物語のオアシス的な救いになっています。

 

 

最後ですが、『死刑にいたる病』はやりすぎ感がある仕上がりとなっていましたが、今作は逆に“やらなすぎ感”がある。

割りとぶつ切りに終わっていて、死人の人数ははっきりしているものの、大怪我した人々はどうなったんだとか、親戚の有美隆也の家を始めとした各家と村はその後どうなったかなど気になる部分が多すぎて…個人的にはエピローグ書いて欲しかったですね。エピローグがない方が怖いまま終われて作品には合っているのかもしれないですが。

後疑問なのが、廉太郎ってあの時どうして大助のロープ切ったんだろ?自分のだけ切れば良くない?結局その後自ら取り押さえてるし・・・うーん・・・わからん

 

 

とにかく、村が舞台の小説としての“オキマリ”や怖さがてんこ盛りになっている小説ですので、“村作品”が好きな方は是非。

 

 

 

ではではまた~

『22年目の告白』映画の”あの後”を知れる小説版!! ネタバレ・解説

こんばんは、紫栞です。

今回は浜口倫太郎さんの小説『22年目の紅白-私が殺人犯です-』をご紹介。

22年目の告白-私が殺人犯です- (講談社文庫)

 

あらすじ

帝談社の編集者である川北未南子はある日、バーで曾根崎雅人という魅力的な男性に声をかけられ、読んでみて欲しいと原稿の束が入った封筒を渡される。

『私が殺人犯です』とタイトルがつけられたその原稿は、22年前に日本を震撼させた「東京連続絞殺事件」の犯人による手記だった。手記は曾根崎本人が書いたものだという。曾根崎雅人は未解決事件の犯人だったのだ。

 

時効により、罪を償わずに逃げのびた猟奇殺人犯の手記など本として出していいはずがないと葛藤しつつも、編集者としてこの原稿に魅せられてしまった未南子は出版することを決意。曾根崎に言われるままに大々的な記者会見をした結果、『私が殺人犯です』はたちまちベストセラーとなった。

しかしそれに満足せず、曾根崎は「日本中の注目すべてをこの一冊に集めたい」と当時の事件関係者や世間を挑発し続け、未南子を困惑させる。

曾根崎が今になって殺人を告白し、過剰な挑発行為をするのは自己顕示欲を満たすためだけなのか?それとも――?

 

 

 

 

 

 

 

 

小説版『22年目の告白』

こちらは2017年に公開された映画『22年目の告白-私が殺人犯です-』(脚本 平田研也/入江悠)

の小説版として浜口倫太郎さんが書き下ろした作品。

 

原作本ではなく、映画の脚本が先にあっての小説作品ですね。しかし、単純なノベライズ本という訳ではなく、小説独自のアプローチがされている別視点作品ともいうべきものになっています。

 

この間テレビのロードショーで映画が放送されているのを観まして、面白いなぁと思ったものの説明不足というか、観終わってから「アレはどういうことだったんだ?コレは?」と疑問がふつふつと湧いてきたのですよね。小説版が出ていることを知って、これを読めば数々の疑問が解消されるかと期待して手にした次第です。

 

著者の浜口倫太郎さんは小説家だけでなく放送作家としても活躍されている方で、2019年に公開された映画『AI崩壊』も今作と似たような経緯で小説版を手掛けておられるようです。

 

浜口さんの本を読むのは今回が初だったのですが、読みやすい文章で小説として綺麗にまとめられており、既に映画視聴後でネタは知っているにもかかわらず、非常に面白くって一気読みしてしまいました。

 

脚本が先にある為かも知れませんが、個人的に小説版の方が映画より完成度が高いと感じましたし、読後感も良くて好きです。映画を観た人にこそ是非読んで欲しい小説作品ですね。

 

 

 

 

 

 

原作・映画・小説の違い

映画の『22年目の告白-私が殺人犯です-』は、元々2012年に公開された韓国映画『殺人の告白』のリメイク作品。

 

なので、原作はこの韓国映画ということになるのですが、『殺人の告白』は韓国で実際にあった時効により未解決となった「華城連続殺人事件」にインスピレーションを受けて制作されたオリジナル脚本もの。「華城連続殺人事件」は2003年の韓国映画殺人の追憶の題材にも使われている事件ですね。

 

とはいえ、『殺人の告白』は『殺人の追憶』ほど実話に基づいているものではなく、未解決事件の殺人犯が手記を出して云々~という展開は完全に映画のオリジナルです。

 

リメイク作ではありますが、韓国の『殺人の告白』はサスペンス・アクションなのに対して、日本の『22年目の告白-私が殺人犯です-』は社会派サスペンスといった仕上がり。オチも真犯人も異なるので、韓国版を観た人でも充分愉しめるようになっているようです。

 

簡単に言うと、『殺人の告白』ではテレビ番組でネタばらしするまでが仕掛けのオチになっていますが、『22年目の告白』ではそこからさらなるどんでん返しがある展開になっていて、仕掛けが二段構えとなっています。

 

刑事さんのラストの行動も韓国版と日本版では異なるようでして。韓国版の方の結末なんですが、日本でそのままやったら受け入れられないだろうなぁというか、これでハッピーエンドとするのは抵抗があるだろうと思う。

 

日本ってドラマでも映画でも、主役サイドは一線を越えそうで越えないというのが“オキマリ”ですよね。「憎しみを乗り越えるんだ!!」みたいな。宗教観かなにかが関係しているのだろうか。韓国ものはどうか分らないけど、欧米ドラマとかだと主役が復讐殺人してお咎めなしという展開がざらにあって驚く。

 

 

で、日本版の映画を小説化した今作も、また違う趣となっている。ストーリーは概ね映画と同じですが、小説版は曾根崎の担当編集者・川北未南子からの視点が主となって話が展開していきます。

 

韓国映画、日本映画、小説と、新しく発表される度に新たな変化が加えられている訳で、多少こんがらがってきますね。ま、三つとも独自に愉しめる作品になっているのだということで。

 

 

 

 

 

 

穴埋めをしてくれる小説版

この編集者・川北未南子、映画では松本まりかさんが演じていたのですが、印象に残っているところといったら藤原竜也さん演じる曾根崎に首を触られるところぐらいで、ハッキリ言ってほぼ空気的存在でしかない人物でした。

 

小説版では、未南子を主役的ポジションにすることで担当編集者から見た曾根崎像や、原稿の魅力が描かれることで出版に至る経緯に説得力が増しています。本を出版したことで職場の後輩や親友に軽蔑される様なども描かれているので、事件や仕掛けとは別で未南子の編集者としての葛藤も読み応えのある箇所となっている。

 

映画では単にピリピリした人物として描かれていたので、小説版を先に読んだ人は映画の未南子に残念な感情を抱いてしまうかもしれません。なので、個人的には映画を前に観るのがオススメ。

 

 

映画では不在であったラストの決着シーンにも未南子は居合わせ、重要な役割をしています。個人的に、映画の方は曾根崎が最後思いとどまった理由が分りにくいと感じていたので、散々に欺された立場である未南子の説得だからこそ曾根崎の心に響いたという小説版オリジナルの状況には凄く納得出来ました。

 

 

映画が公開された2017年当初、主演の藤原竜也さんはまだ三十代前半。22年前の事件の犯人だと名乗り出て来るには若すぎるだろってのは皆が感じた疑問だと思うのですが、小説版を読むとその謎も分ります。単純に、めっちゃ若く見えると、そういうことらしいです(^^;)。※因みに、設定では曾根崎の実年齢は四十四歳。

 

他にも、曾根崎は名乗り出て来るまでどんな生活をしていのかなど、諸々映画ではあやふやだった部分も小説版では明かされています。

 

 

 

 

 

 

以下、映画に関して盛大にネタバレしているので注意~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小説版のみのエピローグ

曾根崎の正体は牧村刑事の妹である里香の恋人だった小野寺拓巳。手記は牧村が警察の捜査情報を元に書いたもの。敵対しているようにみせていましたが実は二人はグルで、自己顕示欲が強いであろう犯人を誘き出すためにこのような大がかりな計画を立てたと。

何やかんやあって、犯人は人気キャスターである仙道だったことが判明。かつて戦地の取材先でうけたトラウマから解放されるために行なった歪んだ犯罪でした。

 

映画では拓巳が空港で牧村達に見送られるシーンの後、精神科病棟にいる仙道が刺されるところでジャーン!って感じで唐突に終了。

曾根崎はどこに行ったのか、仙道は刺されてどうなったのか、牧村は刑事続けられたのかなど、分らずじまいに終わっていました。

 

小説ですと、これらの疑問もすんなりと明らかに。

 

仙道は刺された結果死亡。(※映画だとちょっと分りにくかったですが、刺したのは早乙女太一さんが演じていた戸田)

拓巳は日本では有名になりすぎてしまったということもあり、「海外で今後のことをゆっくり考えてみます」「里香の命日にまた戻ってきます」と、(海外のどこか分らんが)旅立っていった。

牧村は刑事を退職。手記での巧みな文章を見込まれ、未南子に口説き落とされて小説家として本を書くことに。(映画では特に触れられていませんが、牧村は読書家で文才があったらしい。未南子があんなに原稿に魅入られたのも、牧村の文才あってのことだったのだとここでも説得力が)

 

しかしながら、時効とはいっても里香が行方不明状態だったなら捜査続けられたんじゃないかとか、腹を立てたとはいえ仙道が独自ルールを破って里香を殺した理由とか、二人の計画は詐欺罪になるんじゃないかとか、拓巳は仙道への殺人未遂で捕まらなかったのかなど、これらの諸々は小説版でもぼかされたままですね・・・。ま、こんなことをいうと身も蓋もないのですが、「細かいことは気にしない」ということで・・・(^_^;)。

 

 

小説版オリジナルのエピローグでは騒動の1年後が描かれているのですが、このエピローグがなんとも感動的です。エピローグだけでもこの本は買う価値があると思う。

映画は社会派サスペンスに重きが置かれていて全体的に殺伐とした雰囲気でしたが、小説版は人間的な血が通った物語になっていて、暖かな気分になるエンドとなっています。

 

個人的には映画を観た後に小説版を読むのがオススメ。映画と、小説、それぞれに『22年目の告白』という作品を愉しんで欲しいと思いますので是非。

 

 

ではではまた~