夜ふかし閑談

夜更けの無駄話。おもにミステリー中心に小説、漫画、ドラマ、映画などの紹介・感想をお届けします

ホームズとワトソン(ワトスン)

こんばんは、紫栞です。

今回はコンビものとして読むシャーロック・ホームズについて少し書きます。

ホームズは近代探偵小説の祖、もちろん推理物としてトリックがここがそーで、あそこがあーだ、伏線の回収が・・・と言い合って楽しむのは王道ですし、大変意義のある良いことだと思うのですが、それはそれとして一端おいといて、私が推奨したい読み方があります。

ズバリ、コンビもの小説として読む!

あえてトリックなどの推理物的箇所をまるっきり無視してここでは話を進めたいと思います。

私はコンビものが大好きでして(同性コンビも男女コンビも好き)事件、事故などを通して徐々に深まっていく絆とか、名前のつけられない関係性とか、二人の会話劇を中心にお話が展開されていく感じとかたまらなく好きで大好物なのです。

ですからまぁホームズを読んでいてもそういった物に重きを置いて読んでしまうのですよ。

コンビものと言っても幾つかのパターンがあるのですが、ホームズは“ものすごい変人(探偵役)に振り回される常識人(助手役)のコンビ”のパターンの元祖ですね。

この“ものすごい変人(探偵役)に振り回される常識人”なんですが、近年非常に多いですよね。特に日本の推理物系の連ドラなんかはほぼこのパターンが採用されてるんじゃ無いかってくらい。変人じゃないと探偵役になれないのか?もう探偵役=変人の図式は絶対的規則なのか?って感じ。もはや変人探偵の飽和状態。他作品と差をつけようとして変人部分強調されすぎて「いくら何でもそれはナイだろ」みたいにおかしな方向に行ってしまっている作品も少なくないです。

実際はあんまり変人だと普遍的な人の行動予測とか難しくなるだろうから推理に支障をきたすと思うんですけどね~(それを補う為に常識人の助手がサポートしてるのかもしれんが)これくらい傍若無人に振る舞ってみたいという現代社会人の願望が反映されているのかしら。確かに見ていて痛快ではありますけどね。

“ものすごい変人(探偵役)に振り回される常識人(助手役)のコンビ”のパターンはお話として多少の問題点を挙げるなら探偵役ばかりが前面に押し出されて助手役がほんのオマケ的に描かれ・思われてしまう点です。

ホームズもご多分に漏れず、昔の舞台・映画作品などだとワトスンの存在が軽んじられ気味のものが多かったみたいです。粗忽に描かれたり、単に引き立て役として扱われたり。

これはなんと言うことでしょう!

原作のワトスンは非常に友人思いで情に厚い紳士なのですよ~!

原作読んで思ったのですが、ワトスンはただ振り回される常識人と言うのでも無く、割と無意識下でスリルを追い求めているような所がありますね。危険な現場でもホームズに誘われると喜んでついて行くし、「ホントに危険だし、居ても君がやることは無いよ」「邪魔だなぁ」とかホームズに言われても、心配だから断固として一緒に行く!と一歩も引かない態度をとったりします。まぁ少しホームズに持ち上げられただけでひどく上機嫌になったりするので、読んでて『ワトスン、チョロいな(笑)』とか思ってしまう箇所も多々ありますが。

ホームズはホームズで「行動をともにしてきたのは感傷や気まぐれからではなく、ワトスンにはワトスンなりに著しい美点があるからだ」と述べているように、ワトスンの事はだいぶ気に入っているのです。ワトスンが結婚した後、「置き去りにされた」「私はひとりぼっちだ」とか書かれている所があったりして「何?すねてんの?」と読んでいて微笑ましく(?)なったりも。

実はホームズ(探偵役)のほうが依存傾向は強い。

これもまた“ものすごい変人(探偵役)に振り回される常識人(助手役)のコンビ”のお約束。さすが元祖。原点にして頂点。この時点で既に確立されているのですね。

 

コンビものとしてホームズを楽しむのなら是非押さえておきたいお話は

『犯人は二人』『空家の冒険』

 

シャーロック・ホームズの帰還 (新潮文庫)

シャーロック・ホームズの帰還 (新潮文庫)

 

 

『瀕死の探偵』『最後の事件』

 

シャーロック・ホームズの思い出 (新潮文庫)

シャーロック・ホームズの思い出 (新潮文庫)

 

 『三人ガリデブ』

 

シャーロック・ホームズの事件簿 (新潮文庫)

シャーロック・ホームズの事件簿 (新潮文庫)

 

 

あたりですかね(注:あくまで私の個人的見解による抜粋です)。特に『三人ガリデブ』!これは外せません!読むとニヨニヨしますよ(笑)

 

 

ホームズとワトスン。二人の関係性に重きを置いて読むのもまた一興ですよ~お試しあれ!

 

ではではまた~