こんばんは、紫栞です。
三浦しをんさんの『風が強く吹いている』がアニメ化され現在放送中だとのことなので、この機会に少しまとめようかと思います。
第1回ブクログ大賞文庫本部門大賞受賞作。
あらすじ
「走るの好きか」
ある春の日、万引きをして逃走中の走(カケル)に自転車に乗って追いかけてきた男・清瀬灰二はそう問いかけた。
蔵原走は高校時代にインターハイを制覇し、驚異的な速さで走る天才ランナーとして知られていたが、所属していた陸上部の監督と衝突。陸上部を退部し、そのまま高校を卒業。寛政大学に入学したものの、大学では陸上部に所属する気は無くしていた。
金に困り、脚力を生かして万引きをして逃走中、同じ寛政大学4年の清瀬に捕まり、言われるまま、成り行きで寛政大の学生ばかりが住むボロアパート・竹青荘(通称:アオタケ)に住むことに。
四月に入り、アオタケで走の歓迎会での最中、清瀬は驚きの発言をする。アオタケに住む十人で今年の箱根駅伝を目指そうと言うのだ。
実は竹青荘は「寛政大学陸上競技部錬成所」であった。清瀬以外の住人の皆、知らぬ間にアオタケに入居した時点で自動的に寛政大学の陸上部員となっていたのだ。
騙されたと感じながらも、清瀬の口車に乗って練習を始めるアオタケの面々。しかし、彼らは陸上経験に乏しく、駅伝などとても出られそうにないズブの素人ばかりだった。
「速く」ではなく「強く」。走るってどういうことなのか。
たった十人。寄せ集めの陸上部員達は「箱根駅伝」を目指してひた走る――。
箱根駅伝
『風が強く吹いている』は2006年に刊行された長編小説で“三浦さんの代表作の一つ。三浦しをんはここ十年の間にヒット作を何冊も書いているので埋もれてしまった感はありますが・・・(^^;)
曰く、執筆に六年を要したとのこと。三浦さんの作家デビューは2000年ですので、デビュー直後から他の作品と平行して執筆されていた訳ですね。おそらく取材に多くの時間を要したのだと思いますが。
ほとんど陸上経験が無い寄せ集めのメンバーで箱根駅伝出場を目指すという、現実的には荒唐無稽だとも思ってしまうお話を読者がすんなりと受け入れてしまうのは、この膨大な取材があるおかげでリアリティや説得力を感じられるからだと思います。
ランナーの心情はもちろん、箱根駅伝がどういったものなのかもかなり細かく描かれていますので、読めばたちどころに箱根駅伝に詳しくなれる事請け合い。この本を読んだ後はお正月の中継を何倍も面白く観ることが出来ると思います。私はお正月いつも仕事なのでまともに観られないまま何年も過ぎていますが・・・・・・(-_-)
モデル
三浦しをんの筆力のなせるワザなのか、読んでいると実際にこのようなド素人チームが過去にあって、この小説は実話を元に執筆されているのでは?とまで勘違いしてしまいそうになりますが、ストーリー自体は完全に小説での創作のようです。
モデルとしてという訳ではないのでしょうが、この小説で主に取材対象に選ばれた大学は大東文化大学と法政大学の二つの陸上競技部。
新潮文庫版の最相葉月さんの「解説」によると、
箱根駅伝には出場するけれども毎回優勝するようなレベルではなく、徹底管理型ではない指導者がいて、若者をどう伸ばしていくかに腐心しているアットホームな小さな陸上部。そんなイメージを大学陸上部を統括する関西学生陸上競技連盟に問い合わせたところ、推薦されたのがこの二校だった
とのこと。
かなり具体的な注文ですよね。著者の中ではかなり早い段階でストーリーが固まっていて、それに近い取材対象を探したってことなのですね。書きたいことが確りと定まっていたようです。
メディア展開
2007年に漫画化、ラジオドラマ化。
2009年に舞台化、実写映画化。
そして今年2018年にテレビアニメ化。
と、各メディア展開されています。人気作なんだなぁと思い知らされますね、こう並べると。
私は2009年の実写映画はレンタルDVDで観ました。なかなかよく出来ていましたが、原作は600ページ以上の結構なボリュームのあるお話なので、映画の二時間で納めるためにやはり色々と端折られています。ストーリーもそうですが、アオタケの住人間でのやり取りが少ないのが、原作を読んだ人間からするとやはり物足りないです。皆個性豊かで会話も面白いので、映画観て終わらずに原作小説も読んで~と言いたくなっちゃいますね。
原作はクイズ王や双子、司法試験に合格した秀才や漫画オタク、黒人の留学生やヘビースモーカーなどの設定が面白いです。登場人物それぞれに掘り下げがされていますので、連続アニメに向いているのではないかと思います。テレビアニメならではの丁寧な描写に期待したいですね。
天才と努力
「努力ですべてがなんとかなると思うのは、傲慢だということだな」
走(カケル)の完璧な走りを見ての清瀬のセリフですが。
著者はこの小説を書く中で“努力神話”について考えてみたかったとのこと。「報われなかったのは頑張りが足りなかったからだ」といった考えはどうなのか。才能や実力のない人に到底たどりつけない目標を与えて頑張らせるのは、人間を不幸にするのではないかと言うんですね。
もちろん、これはできる限りの努力をした上でってことが大前提ではありますが。努力では到底到達出来ない領域というのは確かにあり、天才と言うしかない人間も存在する。“圧倒的なもの”を見せつけられて、凡人は唯々思い知らされ打ちのめされる。
しかして、天才に「何故そんなに凄いんだ」と聞けば「努力しているからだ」と応えるのが大半ですよね。この小説の天才ランナー・走も
俺に特別な才能があるわけじゃない。だれよりも練習しているから、いいタイムが出るだけのこと。
と、思っています。
まぁ当人はそうやって結果を出してきているのだからそれはそう応えるんでしょうが、こういったところが天才と凡人の間とのどうしようもない隔たりですよね。
走は高校時代、“天才”だと周りから突き放され、さびしさを募らせいた。走れば走るだけ、一人になっていくのだけれど、でもそれでも走ることをやめられない。
そして、凡人もまた、むなしいと思いつつも求めずにはいられないという葛藤がある。清瀬の走への羨望や、「信じるという言葉ではたりない」という想いもこの葛藤の中でのものですね。
走る
この『風が強く吹いている』では、長距離走という本来一人でさびしく取り組む競技が「駅伝」によって人と繋がり結びついていく様が描かれています。
実は私は運動が、特に長距離走が大っ嫌いな人間でして。学生の頃は体育、特にマラソンの授業の無い世界に行きたい!とか常々思って過ごしていたのですが(^^;)
この小説はそんな私でも読んでいて夢中になれる面白さが詰まっていました。自分がこんななので、運動音痴の王子にやたら感情移入して肩入れしたりしましたけど。「あぁ、“走る”って特別で素晴らしいものだなぁ」とも思いました。だからといって自分が走りたいかといったらそれはまた別問題なんですけど。運動音痴人間の超えられない壁(笑)
選手達の感情の揺れ動きなど、三浦しをんの書きっぷりがとにかく素晴らしいです。映画やアニメなどの映像では絶対に100%伝わらないものがあると思いますので、原作小説を未読で映像化作品等に感銘を受けた方はそれに満足せず、是非その後小説を読んで欲しいです。絶対、読まなきゃ勿体ないですので!
ではではまた~