こんばんは、紫栞です。
今回は京極夏彦さんの『塗仏の宴 宴の支度』をご紹介。
大興奮の大作
『塗仏の宴 宴の支度』は【百鬼夜行シリーズ】の六作目。
この六作目は二部作になっていて、上巻にあたる「宴の支度」では六つの妖怪の名前を冠した六編の話が収録されている短編集形式になっていて(一つの話が100ページ以上あるので短編ともいえないかもですが)、
下巻にあたる「宴の始末」では上巻で示されたそれぞれの謎が集約され、解明されていく構成となっています。
上下巻とも、いつものように千ページほどあるレンガ本で鈍器本すので、「支度」と「始末」を合わせて考えるなら『塗仏の宴』はシリーズ中では現状一番のページ数を誇る超・超大作で超・超絶ミステリここに極まれり!な作品。
当ブログでは【百鬼夜行シリーズ】を順番に紹介してきた訳ですが(期間はだいぶトビトビですけど・・・)、やっと『塗仏の宴』ですよ。とうとうね。今作は【百鬼夜行シリーズ】の転換点でシリーズの第一期のクライマックスともいうべき作品。いつも以上の尋常ならざる超絶ミステリは勿論、シリーズファンにとっては驚きの展開がてんこ盛りで、読んでいて大興奮な作品です。
本当はまとめて紹介したかったのですが、あまりに大作でまとめきれないので(^^;)今回は「支度」と「始末」で分けて紹介したいと思います。
※「始末」についてはこちら↓
各話・あらすじ
●ぬっぺっぼう
関口巽は『實錄犯罪』の妹尾の紹介で出会った光保公平の依頼で、彼が戦前に警官として駐在していた静岡県韮山山中の“消えてしまった村”「戸人村」(へびとむら)を探すことになる。「戸人村」は地図に載っておらず、記録もなく、近隣住民の記憶もない、存在そのものが抹消された村だった。戦時中の新聞記事から大量殺戮の果てに村人全員がいなくなったのではないかと噂されている「H村」が、光保の記憶している「戸人村」なのではないかと聞かされた関口は韮山に赴き、地元の警官・淵脇と、道中で出会った郷土史家の堂島静軒と共に「戸人村」があったはずの場所を訪れる。そこで、光保が語っていた通りの「佐伯家」の屋敷を発見し、足を踏み入れるが――。
●うわん
一柳朱美は神奈川を離れ、何かと一柳夫婦を手助けしてくれるベテランの薬売り・尾国誠一の薦めで夫と共に静岡県沼津に居を移して暮らしていた。
ある日、朱美は首吊り自殺をしようとしている現場に出くわし、救って介抱する。自殺未遂者の男は村上兵吉と名乗るが、何故自殺しようとしたのかと問い質しても「自分でもわからない」といい、幼少の頃謎の男の手引きで家出をし、十何年ぶりに郷里に戻ったものの家族も何もかもが居なくなっていたこと、「薬売り」に恐怖を抱いていることや「みちの教え修身会」の信者であることなどを朱美に話す。
すっかり落ち着いた様子だった兵吉だったが、朱美が隣人の松嶋ナツにナツの元に毎日のように勧誘にくる新興宗教「成仙道」に困っているという話を聞かされていた最中、再び自殺を図り――。
●ひょうすべ
韮山に赴く四ヶ月ほど前、関口は京極堂の座敷で中禅寺の同業で先輩でもある宮村香奈男と知り合う。宮村は知り合いの加藤麻美子という女性の悩みについて中禅寺に相談を持ち掛けていた。麻美子の祖父は「みちの教え修身会」に入会以降、麻美子と記憶の食い違いが生じるなど様子が変わってしまい、財産も会に注ぎ込んでいた。さらには、修身会は麻美子のこともしつこく勧誘してくるという。
麻美子は祖父を退会させたいというが、彼女も子供の事故死をきっかけに「薬売り」の尾国に紹介された華仙姑処女(かせんこおとめ)という、「必ず当たる」と評判の女占い師にのめり込み、財産をつぎ込んでいた。どうやら祖父を「みちの教え修身会」から退会させるように麻美子に強く云い寄ったのは華仙姑であるらしいのだが――。
●わいら
中禅寺敦子は、手を触れずに気で相手を倒す「韓流気道会」を取材し「奇譚月報」に記事を掲載するが、その記事について「韓流気道会」から抗議を受け、門下生らに付け狙われることになってしまう。
そんな只中で、敦子は今世間を賑わせている女占い師・華仙姑処女だと名乗る女性と出会う。彼女もまた「韓流気道会」に狙われていると聞き、共に逃げることに。逃亡の最中に漢方薬局「条山房」の医師・通玄と宮田に救われた後、敦子は華仙姑処女から身の上と本名を聞く。彼女は自分の本当の名前は佐伯布由で、“絶対に語れない過去”があるという。
華仙姑の予言の仕掛けと布由の過去を知るとっかかりをつかもうと、敦子は彼女を連れて「薔薇十字探偵社」を訪れるが、布由を見て榎木津は思いもよらぬ発言をする。そうして、布由は十五年前に自分が家族に“したこと”を敦子に話すが、それはおよそ信じられぬ内容だった。
●しょうけら
木場修太郎は「猫目堂」の女主人・竹宮潤子から三木春子を紹介され、彼女の相談にのって欲しいと頼まれる。
春子は工藤信夫という男からつきまといの被害を受けているという。毎週、工藤から春子の一週間の行動を克明に記した手紙が送られてくるというのだ。手紙の内容はすべて当たっており、執拗なまでに行動が逐一記録されていた。仮に覗いているとしてもずっと見張っていられる訳はないのに、何故ここまでの内容が書けるのか。
木場が調査を進めると、背後には「条山房」の“長寿延命講”が関係しているらしいとわかるが、そこに照魔の術で警察の調査に協力しているという少年・藍童子が現われる。
●おとろし
織作茜は織作家の遠縁だと主張する羽田製鐵取締役顧問・羽田隆三に「徐福研究会」を手伝って欲しいと誘われる。羽田にはとある疑念があった。研究会を任せていた学者・東野と、経営コンサルタント「大斗風水塾」の南雲がそれぞれ購入を希望する土地がまったく同じ場所、韮山山中なのだ。こんな辺鄙な土地を二人とも何故躍起になって欲しがっているのか。榎木津に調査を依頼しようとしたもののすっぽかされ、羽田は代わりに茜と秘書の津村信吾を韮山に行かせる。
茜はその使いのついでに、織作家の屋敷にあった「石長姫の神像」を中禅寺の紹介で知り合った妖怪研究家・多々良勝吾郎に薦められた場所・下田に奉納しようと津村と共に立ち寄るが、そこで出会った郷土史家だと名乗る男に、「石長姫の神像」の奉納先に下田は不適切だと云い、茜にある“忠告”をする――。
語り手たち
あらすじ書くだけで一苦労(^^;)。しかし、今作はいつも以上に複雑に事が絡み合っていて次巻を読んでいてもこんがらがってくること請け合いなので、あらすじ書くとなんか整理されて良いですね。
まず、最初に今作の全てのプロローグにあたる「ぬっぺっぼう」はシリーズお馴染みの関口君が語り手。前作ではほぼ不在だったので、「お!語り復活か」と思いきや、とんでもないことになって語り手どころじゃなくなる。関口、最大のピンチ!ですな。
敦子の語りがあるのも兄への思いや『鉄鼠の檻』
などで少し触れられていた“悩み”も深く掘り下げられていて興味深いですし、木場が珍しく不安定になるのも読んでいてハラハラ。
それにくわえ、『狂骨の夢』の一柳朱美
や、『格新婦の理』の織作茜
が語り手で登場する。これだけでもうシリーズファンとしては大注目で必見。が、それだけじゃない!
解決しない事件
この六つの妖怪の名前を冠した六つのお話、これら全て次巻で行われる“宴”の支度です。千ページ程ある本が丸々伏線を張る為の仕込み・・・否が応でも次巻に期待が高まるというか、一体どれだけの気合いが込められているお話なんだ!って感じですよね。シリーズ史上、最大の事件の予感!で、まぁそれは当たっています。
「宴の支度」で示されるのは「みちの教え修身会」「成仙道」「華仙姑処女」「韓流気道会」「条山房」「大斗風水塾」などの妖しげな団体達と、暗躍しているらしき“薬売りの尾国”、そして郷土史家だと名乗り「世の中には不思議でないものなどないんですよ」と嘯く謎の男・堂島静軒。
六つのお話とも、途中まで謎が解明されるものの肝心の部分は解らないままに終わっていて、読むと読者は宙ぶらりんな状態にさせられます。とにかく水面下で何かが動き出している不穏な気配を切々と感じるといった読後感で、「おとろし」の最後では衝撃的な展開を迎える・・・とにかく「始末」へ急げ~!ですね。
以下ネタバレ~
催眠術
今作の六つのお話、結末で解る仕掛けのほとんどに“後催眠”が使われています。自分の決断で行動しているつもりが、催眠術によって行動を定められていたらしいという真相ですね。
ミステリの世界では基本的には「催眠術」は御法度になっています。「なんで?」って、まぁ、何でもありになってしまうからですけど。ミステリを読んで「被害者は何故そんな行動をとったのか?」と真剣に考えていたのに、最後に「催眠術で操っていたのです!」なんてオチだったら腹が立つというものですし、人を無意識下で自在に操れるのならトリックなど必要なくなりますよね。
しかし、この御法度をあえて描こうとするミステリ作家は結構います。サブリミナルとか、流行(?)もあったと思いますが、タブーとされてる「催眠術」をいかにミステリとして昇華させるか、タブーだからこそ挑みたい作家的反骨精神でしょうか。
この【百鬼夜行シリーズ】は、本格推理小説だのミステリだの明確に括れるシリーズでもないから「こんなの本格ミステリじゃない!」という文句もお門違いではありますけど。そもそも榎木津の能力自体が“アレ”だしね・・・(^^;)
この『塗仏の宴』は催眠術を通して“認識の揺らぎ”がド直球で描かれたお話。やり手の催眠術師がいるため、“事件の関係者の証言はどれもアテにならない”といった客観的事実が消失した状況に読者は追い込まれ、はてには「意思とはなんなのか」といった考えにまで及んでいく。
そもそも意思とはなんだ。何処にある。
人に、本当の意味での自由意思などあるのか。
凡てのものごとは、決めるのではなく、決められる――のではないのか。
このようなミステリを読む上での大前提や個人の意思まで疑うような中で、物語を収束することなど出来るのか。
読者はなんとも言いしれぬ不安を覚える訳ですが、そこはもちろん、【百鬼夜行シリーズ】ですので、下巻「宴の始末」の方でちゃんと憑物は落されます。
織作茜
今作の最後に収録されている「おとろし」は『格新婦の理』での黒幕で事件の犯人である織作茜での視点だとは上記したとおり。
『格新婦の理』での事件は茜が作ったシステムによってトータルで15人も亡くなる大事件で、茜自身が直接殺害した人も何人かいるのですが、茜の罪は明かされぬままで、警察に捕まるような事態にもなっていません。だからこそ語り手として登場する訳ですが。
「おとろし」では事件のその後の茜の様子や心境の変化が描かれています。『格新婦の理』では事件の黒幕である茜の動機についてはハッキリとした形では提示されていないので、前作を読んだ人ならば、その後の茜の心情が描かれるというのは必見であります。
茜が『格新婦の理』の事件を起こしたのは
「あらゆる制度の呪縛から解き放たれ、個を貫き、己の居場所を獲得する」
ため。
全てを排除して“個”を、自分を確立させたいといったものだったのですが、事件から日が経って、茜のこの“自分探し”“居場所探し”はどうなったかというと・・・
――このからだが私だ。
自分探しなど糞食らえである。
精神と肉体は不可分なものなのだ。肉体的経験を積み重ねることが、即ち生きることである。非経験的なる観念を、先天的な真理と見做すことは幸福の獲得には繋がらない。肥大した観念は身体を苛めるだけなのだ。観念的な“個”と云う幻想をただ追い掛けて――。
結果、茜は襤褸襤褸になってしまった。
考えずとも幸せはここにあり、
求めずとも居場所はここにあった。
――このからだこそが私の居場所だ。
妹が逝って、母が逝って、家族が誰ひとり居なくなって、茜はそうしたことに漸く気が付いた。
てなことらしいです。
あれだけの事件を起こして、得られた考えは至極シンプル。反抗期から脱却して達観した人みたいな状態になっています。
「精神と肉体は不可分」というのはシリーズ二作目の『魍魎の匣』でも語られていたことですね↓
この「おとろし」を読むと、茜はやはり聡明な女性なんだなというのが解ります。自分が死に追いやった家族の中でも葵のことを強く意識している事実や、中禅寺への複雑な感情なども明かされます。
茜は生前の妹とまともに議論したことなど、一度たりともなかった。妹だけではない。茜はだれとも言葉を闘わせずに生きてきたのだ。
ただ、ひとりの男を除いて――。
支度の完了
「おとろし」の終盤で、茜は殺害されてしまいます。そして、その犯人として関口巽が逮捕されたことが判明するところで宴の「支度」は完了する。
行われようとしているのはどの様な「宴」で、その「始末」はどうつけるのか。次作で下巻の『塗仏の宴 宴の始末』に全ては引き継がれます。
今作を読み終わったなら、そのままの勢いで次作へ急ぎましょう。シリーズ最大の興奮が待っています!
ではではまた~