こんばんは、紫栞です。
今回は重松清さんの『せんせい』をご紹介。
2019年6月14日公開予定の「泣くな赤鬼」収録の短編集ですね。
先生と生徒。六つの物語り
著者の重松清さんは今では世間的には『とんび』とかが連続ドラマ化されたこともあって有名でしょうか。
- 作者: 重松清
- 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
- 発売日: 2011/10/25
- メディア: 文庫
- 購入: 4人 クリック: 61回
- この商品を含むブログ (36件) を見る
他にも映像化されているものは何作品もありますけどね。個人的には『疾走』での読書体験が忘れられないのですが。
今作『せんせい』のタイトルは文庫版の方のタイトルで、単行本版『気をつけ、礼。』を改題したものです。
単行本版のタイトルは今作の最後に収録されている「気をつけ、礼。」をそのまま表題作としているものですね。文庫化にあたり、
「いささか緊張を強いるオフィシャルな号令ではなく、もっと大らかな呼ぶかけのほうが、文庫にはふさわしいような気がした」
とのことです。
読んでみると、確かにこの本全体を表す最も簡単で率直な単語は「せんせい」だという気がします。漢字じゃなく平仮名で“せんせい”なのがしっくりくる。
重松さんは長編でも短編でも「家族」「親」「子供」「学校」などを題材として書かれているものが殆どという作家さんです。誰もが経験してきたような経験や状況を巧みな心情描写をもって描く作家さん。と、いう勝手なイメージを私は持っているんですが。
この『せんせい』は、ザ・重松清の短編集!といった重松清作品の王道を行く短編集ですね。全話、重松さんが今まで執拗なほどに描いてきた「教師と生徒」のお話となっています。どのお話も明確な解決などは示されずに終わるのですが、読み終わるとほんのりと前進した気持ちになれる。そんな短編集です。
目次
●白髪のニール
●ドロップは神さまの涙
●マティスのビンタ
●にんじん
●泣くな赤鬼
●気をつけ、礼。
重松さんの作品は著者自身の体験や思い入れが反映されているものが多いです。短編集だと収録作品のどれか一つには“ギター”“ロック”というワードが登場するのが常なのですが、今作も最初に収録されている「白髪のニール」ではニール・ヤングの曲を弾けるようになりたいと生徒にギターを教えてくれと頼む先生というのが描かれています。
重松さんの本を読むのは久しぶりだったのですが、初っ端にギター話が出て来て「ああ、やっぱり」と可笑しくなってしまいました。ロックは若いときしか歌えないなどよくどこぞで言われたりしますが、それに真っ向から反論するお話。
「ドロップは神さまの涙」は保健室登校の生徒と保険医の先生のお話。保健室登校か・・・毎年何人かは学年にいたなぁと、読みながら学生時代のこと思い出したりしました。学校って本当に息苦しいところなんで、避難場所は必要だと苦々しい気持ちになりつつも、ほんのりと希望や救いが漂う結末。この、わかりやすい解決をしない「いじめ」の扱い方が重松清作品だと痛感。別作品ですけど、『ナイフ』とか読んでいると辛い。
「マティスのビンタ」は授業そっちのけで絵描きになる夢を追い掛ける美術教師のお話。
私も中学のとき生徒に頓着しないで授業中も自分の作品描いている美術教師って実際にいたので、これもまた当時を思い出しながら読みました。「教師は生活の為に仕方なくやってて、本当はずっと絵を描いてたいんだ」というのを隠す気も無いっていう。ま、保護者としては教師のこういう態度は気に障るでしょうけど、生徒としては構われないだけ楽って感じでほっとくもんです。ちょっと寂しさはありますけどね。選択授業の先生は往々にしてそんな感じだった気もする。
このお話はいつまでも夢を追い続ける先生に痛々しさと苛立ちを感じてしまう生徒の視点が描かれます。この年代特有の苛立ちで青春だなぁと。
「にんじん」は一人の生徒のことを理由も無く嫌ってしまう先生のお話。
今作の中では個人的にこのお話が一番印象深いです。何とも理不尽な話で生徒としてはたまったものではないですが、子供ばかり大人数を一人でまとめるとなるとこういった選り好みは大なり小なりしちゃうんだろうなとは思います。いますよねぇ、生徒の好き嫌いがハッキリしている先生(-_-)。あからさまなのはもう論外ですが(私の小学校時代にそういう先生がいて、もう地獄でした・・・)、表面的には出していないつもりでも、生徒は感じ取りますからね。しかも、このお話で嫌われちゃう生徒は特に問題は起さず、地味で目立たない子。こういう子にとっては(私もそうでしたが)学校生活自体が悪意を向けられないように過ごす、静かな戦場なのだから、先生に目を付けられるのは勘弁して欲しいもんだと切に願います。
「泣くな赤鬼」は余命半年の元生徒と再会した長年高校野球部の監督をしている教師とのお話。
元生徒の方は野球部を途中で退部し、高校も辞めてしまったという設定。厳しくすることでしか教え子に向き合えなかった“赤鬼先生”が死にゆく元生徒と向き合うことで「教師として、もっと何かしてやれたんじゃないか」と当時を振り返っていくといったストーリー。
映画化されますが、お話自体は50ページほどしかない短編なのでストーリーはとてもシンプル。なので、映画では色々とお話を膨らませるんだと思います。脚本や監督の演出の手腕が問われる映画になるかと。50ページしかないにも関わらず、存分に涙腺を刺激してくるお話です。
遠くまで旅をして、いつか、こっちを振り向いてくれ。
という一節が教師という職業の辛さと喜びを痛いほど伝えてきます。
最後に収録されている「気をつけ、礼。」は著者の重松さん自身の体験を元に描かれているのだと思われるもの。最後に収録されているだけあって、この本全体をまとめ上げているように感じられる一編。田舎あるあるや時代も感じるお話ですね。
今作に収録されている六つのお話には、共通してけっして聖人君子ではない人間くさい先生たちが描かれています。お手本にはほど遠く、ときに罪深い教師たちと対峙する生徒。普遍的な罪深さと、それに対しての穏やかな許しが示される物語り。
「こんな先生いたなぁ」と思い出しながら、あの時にあった“怒り”、そして時を経て今ある“許し”を感じながら読ませてくれる短編集ですので、気になった「あのころ生徒だった人」は是非是非。
ではではまた~