夜ふかし閑談

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『奇子』(あやこ) ネタバレ・解説 子供に読ませてはダメ!?手塚治虫のタブーだらけの代表作

こんばんは、紫栞です。
今回は手塚治虫奇子をご紹介。

奇子 手塚治虫文庫全集(1)


あらすじ
昭和二十四年。天下仁朗は戦争から復員し、久しぶりに四百年続く大地主の旧家・天下家に帰ってきた。天下家には仁朗が戦争に行っている五年の間に「奇子」という四歳になる妹が出来ていたが、この奇子は仁朗の母・“ゐば”が産んだ子ではなく、兄嫁の“すえ”と父・作右衛門との間の子だという。長男の市朗が天下家の遺産を相続することと引き換えに嫁を差し出すことを作右衛門に要求されてのことらしい。
これらの事実を平然と話す一族の面々に仁朗は「うちは異常な家だ」と憤るが、仁朗自身は戦時下の最中でGHQの秘密工作員に成り下がっていた。
そして或る日、仁朗は上からの命令で共産主義者の男の殺害事件に関与し、その後血のついたシャツを洗っているところを女中で知的障害のある“お涼”と奇子に目撃されてしまう。
仁朗は口封じの為にお涼を殺害するが、弟・伺朗の告発によって仁朗の事件への関与が一族の前で白日の下にさらされる。しかし、家名が汚れることを恐れた兄・市朗は仁朗を逃がし、目撃者の奇子を警察の追求から遠ざけるために偽の死亡届を出し土蔵の地下に幽閉してしまう。
村人の記憶から消し去られ、外界から遮断された暗闇の中で奇子は人間ばなれした清潔さをもって美しい女へと成長してゆくが・・・・・・。

 

 

 

 

 

 


「冬の時代」代表作
奇子』は1972年から1973年まで「ビックコミック」に連載された作品。
私はその時代を体験していないので、その当時世間でどんな風に扱われていたのかは実際のところは分りませんが、1968年から1973年は手塚治虫が作家として窮地に立たされていた「冬の時代」らしいです。
劇画の台頭やらでそれまでの「健全ないい子ちゃん漫画」へのアンチ感情が蔓延したりしたらしく、それによって手塚漫画(主に「アトム」など)がやり玉に挙げられて人気が低迷。手塚治虫自身の精神状態が反映されたのか、はたまた「健全ないい子ちゃん漫画」という世間の声への反発と当てつけもあったのか、60年代後半から70年代前半は青年向けの暗くって陰惨な作品を多く描いています。巷でよく言われる「黒手塚作品」ってやつですね。

映画化もされた『MW』

 

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MW -ムウ-

MW -ムウ-

 

 

『人間昆虫記』

 

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などがよく上げられているでしょうか。どろろもこの時期に書かれたものですね。『どろろ』は少年誌での連載でしたが・・・。

 

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私個人は手塚治虫の後期の作品ばかり読んでいるせいか、「健全ないい子ちゃん漫画」などという言葉はまったくピンとこないんですけどね。初期の少年向けの代表作も知っている限り悲劇で始まり悲劇で終わる作品が多い印象が強いので、私の中では「容赦なく悲劇を描く作家」ってイメージです。キャラクターに対してドSだなぁっていう(^^;)この描きっぷりが物語作家としての凄味で天分なんだと思うんですけども。


作者の暗い精神状態が反映されているのではとは言いますが、暗いからといって駄作だという訳ではなく、作品としては非常に奥深くって今となっては評価が高い傑作なども多く誕生しています。
奇子もその一つで手塚治虫の“裏”代表作ともいうべき作品。子供に読ませてはいけない手塚漫画の筆頭って印象・・・・・・を私は長年勝手にもっていました。

とにかく淫猥なイメージが強くって、興味がありつつも「まだ読むべき本じゃない」とか学生時代から思い続けていた訳ですが、もういい加減オトナなので(^^;)満を持してこの度やっと読みました。


今現在入手しやすいのは角川文庫版の上下巻、

 

 

講談社から刊行されている手塚治虫漫画全集の上下巻と電子書籍

 

 

そして、復刻ドットコムから刊行の《オリジナル版》上下巻ですね。

 

 

 

《オリジナル版》なんですが、実は奇子』は単行本で刊行の際にラストを雑誌掲載時の内容から変更して書き換えられているらしいので(手塚治虫はよく書き直しをした作家で有名ですね)、この《オリジナル版》では雑誌掲載時の、単行本には未収録だった幻の別エンディング7ページが初収録されています。他にも連載時を再現し、カラー絵や全話扉絵もすべて収録されているということでお値段がお高い。
しかし、作者本人が書いた別エンディングがあるとか言われるとファンは見過ごせないですよね・・・。最終稿こそを真実作者が決定した結末と捉えるべきだとは思いますが。もっとお手頃価格のバージョンも出してくれれば良いのに・・・・・・。

 

 

 

 

地方旧家と戦後
読んでみての率直な感想としては「こりゃホント、子供に読ませちゃ駄目だわ」だったんですけども。

終始陰惨な話で、手塚作品でお馴染みのギャクなども今作には一切無いので手塚治虫の少年向け漫画しか読んだことない人はやっぱりかなり驚くと思います。

 

作品雰囲気は簡単に言うと横溝正史松本清張を混ぜた感じ
戦後の日本を舞台に、横溝正史作品のような地方旧家の因習、倒錯的な性や人間関係と、

 

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時勢や史実の事件を盛込んで松本清張作品のような社会派ミステリも展開されるといったストーリー。

 

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なんというか、文学的な印象を受けますね。小説で書いても面白いんじゃないかとか思ったりします。問題作だなんだと言われていますが、小説だったらこれくらいの内容は別に問題にならないですよね。


地方旧家・天下家は主人公の仁郎が序盤で言う通りに「異常な家」で、おぞましくて気持ち悪い人間関係が蔓延している中で、“村”という閉鎖空間ならではの裁量、殺人、近親相姦、知的障害者への虐待、幽閉、差別用語のオンパレードなどなど、タブーがこれでもかと出て来ますが、これがまったく荒唐無稽に見えない。嫌気がさすくらいにリアリティがあります。「ああ、当時の村ではこういう事、普通にあったんだろうな」っていう。
また、村民や天下家一族が強い訛りで交わす会話内容が何とも言えず生々しいんですよねぇ(^_^;)描写力が良くも悪くも凄い。

 

 

 

 

 


下山事件民進党
戦後の裏日本史ということで1949年に起きた国鉄総裁死亡事件・「下山事件が題材として使われています。作中では“霜川事件”と名称が変えられていますが、事件の詳細などはほぼ史実通りに描かれていますね。
下山事件」は未解決で終わっていて、色々な説が今なお飛び交っている事件なんですが『奇子』ではGHQの謀殺として描かれており、秘密工作員をしている仁郎が事件に関わってしまう流れ。
下山事件」は松本清張も1960年に連作ノンフィクションとして『日本の黒い霧』で取り上げています。

 

やっぱり『奇子』を描くにあたって横溝正史松本清張の作品を参考にしたんじゃないかなぁって気が。

 


他、作中では共産主義政党として民進党という架空の政党が出て来ます。時を経て、本当にこの名前の政党が日本で誕生したというのはまったくの偶然だとしても何か皮肉めいたものを感じてしまいますね。

 

上記の点などから『奇子』は昭和のこの時代だからこそのお話になっているのですが、只今九部玖凛さんによって現代リメイク版『亜夜子』が「テヅコミ」にて連載中で、今月6月には1巻も発売されました。

 

 

 

このお話をどうやって現代設定に・・・・・・・?かなり興味深いですね。

また、エロくてタブー目白押しだったり、史実の事件を扱っているせいか、有名作であるものの今まで映像化などはされてこなかった『奇子』ですが、2019年7月より初舞台化が決定されました。
このスキャンダラスな作品をどう舞台で表現するのか・・・・・・こちらもかなり興味深いですね。

 

 

 

 

 

 

 以下ネタバレ~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

因果
奇子がどんな娘なのか。それは端的に言うなら「究極の箱入り娘」
23年間、土蔵の地下に幽閉され、自由を奪われて外界から完全に隔離された結果、世間一般での常識や教養を持ち合わせるすべもなく、損傷も疲弊も汚点もない、人形じみた肉体を持った純粋培養の女。
奇子』というタイトルではありますが、物語りは大半が仁朗の視点で進んでいます。奇子は特別なにか行動する訳でもなく、ただ閉じ込められているだけ。最初のうちは地下から出たがっていたものの、幽閉生活が長くなると外の世界を怖がって出るのを拒むようになり、下巻で天下家から逃れて仁郎の屋敷に身を寄せてからは何かあると自ら箱に入って閉じこもってしまうという文字通りの「箱入り娘」に。

 

奇子自身は何もしていないのに、奇子の存在によって周りが勝手に右往左往しているという図式がこの物語りの格で、特に男どもは皆が皆己の“欲”によって身を滅ぼし、道を外していくんですけども、その様々な“欲”・“因果”の中心には奇子がいる。

 

女性としては読んでいると「男はホント、しょうがねぇなぁ」っていう、もうそれにつきる感じなんですよ。この物語りでは奇子を始め、女は別段悪いとされるような事はしていないんですよね。男の都合で振り回され、奪われているだけ。これが当時の現実なんでしょうけど。奇子や“すえ”はもちろんですが、お涼なんて本当に気の毒ですよ。何にもしていないのに仁朗に脅されて不名誉な偽証されて挙げ句殺されて。

 

個人的に、すべての元凶である父・作右衛門や長男・市朗よりも罪深く感じてしまうのは三男の伺朗ですね。

途中までは幼いながらも一族の中で唯一正論をズバズバ言う読者の代弁者みたいな人物で、奇子の母である“すえ”に次いで数少ない奇子の味方の一人だったのですが、兄弟でありながら奇子と関係を持ってしまってからは「なにやってんだコイツ」状態。正論的なことを相変わらず口にしますが、奇子に手を出して以降はどんなセリフも「アンタに言われてもね」ですね。最初に読者の代弁者だったぶん、何だか裏切られた気分になってしまいます。

奇子は無知で、男だの女だの自体がよくわかっておらず、貞操観念が薄いというより“そもそも無い”という娘。差し入れられた本を読んで“恋”に憧れ、唯一接触する機会のある男性である伺朗に誘いをかける訳ですが、いくら誘われたとはいえ、何もわかっていない妹を相手に肉体関係をもってしまうというのは外道だと思う。

 

「人間のクズだ 人でなしめ!!」
「そん通りよ――おれはなー天下の汚物をぜんぶひっかぶったごみ箱がおれだというだことがある」

 

開き直ればいいってもんじゃないんだよ!ですが(-_-)


伺朗は過去の天下家について調べた際、天下家がいかに血縁関係のメチャクチャな家柄かというのを知って絶望というか諦めをして「俺一人だけ聖人でいるのは馬鹿馬鹿しい」と思ってしまったというのが背景にはあるようです。
血族結婚を繰り返すとサディストなど精神疾患者が出やすいという話があります。「血の伯爵夫人」

 

エリザベート・バートリ―血の伯爵夫人

エリザベート・バートリ―血の伯爵夫人

 

 

の異名で知られるエリザベート・バートリーを排出したバートリー家は、財産や権力を保つ為に外部の人間が入るのを嫌って血族結婚の繰り返しをしていたんだとか。日本でも名家や地方によっては同じような理由で近親間での婚姻が当たり前のように行われていた時代があったようです。
奇子』を書くにあたり、これらの歴史的背景も念頭にあったんじゃないかと思いますね。

 

 

 

 

ラスト
後味が悪いラストで有名な『奇子』。

手塚治虫自身はもっと長く書くつもりでいたらしいのですが、“大人の事情”で予定より早く連載を終了することとなり、終盤は確かに急ぎ足で収束に向かわしている感が見受けられます。


ラストは天下一族が一堂に会し、伺朗の暴走によって(ホントになにやってんだコイツ)皆が穴ぐらに閉じ込められるという展開。
終盤が急ぎ足なせいかやけくそな結末という風に感じるかもですが、読んでいて一番面白いのは、この穴ぐらに閉じ込められて皆が本音をぶっちゃけて言い争いをする場面です。ある意味一番スカッとする場面なんじゃないかと。

 

暗闇の中で皆が恐慌状態に陥るも、奇子は高笑いをし始めます。

 

「――奇子の笑っているわけがわかりますよ 奇子は復讐しているんだ 二十年もの閉ざされた恐怖を・・・・・・いまのみんなが味わってるんで」
奇子には満足なんだ」
「それで笑うんですよ」

 

意図せず復讐を果たすこととなる奇子と、仁郎がGHQの謀殺事件に関わったことで始まった物語りが、23年経って報復を受けるように身に降りかかってくるという因果応報。
大人の事情で打ち切りになった本作ですが、この物語りにはこの結末が最も相応しく、この結末以外あり得ないのではないかと思います。

 

最後は穴ぐらから奇子のみが生きて救出されるもその後行方知れずに。天下家で一人残された母・ゐばが村を見下ろしている場面で終わっています。


一見悪いことはしていない志子や一族と無関係の下田刑事の倅までもが死んでいるなかで、このゐばだけは天下家の因縁から難を逃れているのは不思議な気もしますが、良くも悪くも貞女の鏡で存在感は薄いものの、ゐばだけは欲に振り回されず、伺朗のように天下家に愛想を尽かして開き直ることもなく、妻として母として努めていた、実は最も強い人物なんじゃないかと。
皆ゐばを蔑ろにしているようでいて、遺言状を預けたり、奇子への送金を託したりしているので、家族の中で唯一誰からも信頼されていたのは読み返してみるとよく解ります。
手塚作品は比較的どのお話も母親が良さげに描かれているような気がする・・・。往々にして男性作家はそういう傾向が強いですけどね。基本マザコンというか・・・。

 

復刻ドットコムの《オリジナル版》に収録されている雑誌掲載時のラストは単行本とほぼ同じものの、生存者が増えているらしいので読み比べてみたいものですね。

 

 

 

しかし、単行本で奇子以外死ぬ風に書き直したということは、やっぱりその方が話しとして纏まりが良いと思ったからなんですかねぇ・・・。

 


行方知れずになっている奇子ですが、手塚治虫としては続編の構想があったようです。書かれないままに亡くなってしまったのでどんな形で続きを描こうとしていたのか想像するしかありませんが、男に道を踏み外させる運命の女・ファム・ファタールものみたいなのを書くつもりだったんじゃないかなぁ~とか思うんですけど・・・どうでしょう。先生が亡くなってしまったことが悔やまれますね。

 

夢や希望があるお話ではないですが、読めばきっと漫画家・手塚治虫の底知れぬ凄さを改めて思い知る作品だと思いますので、大人ならば是非是非読みましょう。

 

 

 


ではではまた~

 

 

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