こんばんは、紫栞です。
今回は吉田修一さんの『犯罪小説集』をご紹介。
『犯罪小説集』というタイトルの通り、犯罪にまつわるお話が5篇収録された短篇集で、各話大体70ページほど。
実際にあった事件をヒントにして書いたものを何作かまとめて本にしたいという著者の吉田修一さんの意向で出来上がった作品集です。書く際には編集者さんに事件リストのようなものを製作してもらい、それを参考にお話を書いていったのだとか。
2019年10月18日に、この本を原作とした映画が『楽園』というタイトルで公開が決定しています。
犯罪小説集【映画カバー・ムビチケプロモーションコード付き】 (角川文庫)
- 作者: 吉田修一
- 出版社/メーカー: KADOKAWA
- 発売日: 2019/08/09
- メディア: Kindle版
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収録されている2篇、「青田Y字路」「万屋善次郎」を混ぜて脚色したストーリーになっているのだとか。オリジナル要素が強い映画になりそうで、どのような脚本になっているのか気になるところ。
文庫版ですと、監督の瀬々敬久さんによる解説が巻末に収録されています。
函入りの愛蔵版も刊行されています。↓
函入りの本ってかっこいいよね!みたいなノリで作ることになったらしい。出版界ってどういう基準で本作りしてるのかいつも疑問・・・・(^^;)。
目次
●青田Y字路(あおたのわいじろ)
●曼珠姫午睡(まんじゅひめのごすい)
●百家楽餓鬼(ばからがき)
●万屋善次郎(よろずやぜんじろう)
●白球白蛇伝(はっきゅうはくじゃでん)
の、5篇収録。
各タイトルの字数が同じなのとか、字面の雰囲気とか並びとか、椎名林檎のアルバムみがある。(ファンにだけ分かることだとは思いますが・・・)
上記したように、この5篇それぞれにモデルとなる実際の事件があるようなので、以下、モデルに使われたと推察できる事件と各話の解説をしていきたいと思います。※ネタバレふくみます。
●青田Y字路(あおたのわいじろ)
田園に続くY字路で一人の少女が行方不明に。何があったのか、犯人はいたのか自体も解らぬまま事件は迷宮入りの様相となっていたが、10年後に同じY字路で少女が行方不明となる同様の事件が発生。最初の事件発生当初に嫌疑をかけられた青年・中村豪士の存在が地域住民たちを疑心暗鬼にさせて――と、いうお話。
犯人だと疑われてしまう豪士、10年前に行方不明となった少女と直前まで一緒にいた同級生の紡、少女の祖父の五郎、それぞれの視点で物語りが展開していきますが、豪士が冤罪だったことは判明しつつも、結局10年前に少女を連れ去った犯人は解らずじまいで話は終わっています。
同一地域で女児が連れ去られていて、事件が未解決のままであり、冤罪も絡んでいるということで、「北関東誘拐殺人事件」がモデルなのではないかという意見が多いですが、下校途中に三叉路で友人と別れた直後に連れ去られているなどの類似から「栃木小1女児殺害事件」がモデルなのではないかという意見もあります。
読んでの感触としては、このお話は色々な女児誘拐事件から少しずつ要素を抽出して書いたもので、明確な「コレ!」というモデルはないのでは?と思います。このお話ではそもそも10年前に少女に何があったのか、連れ去りなのか事故なのかも解らずじまいですし、実は連続した事件でもないし、遺体だって見つかっていないですからね。
地域住民たちの根拠薄弱な疑念で追い詰められてしまった無実の青年の顛末と、架空でも犯人を想定して怒りをぶつけてしまいたい事件関係者の心情などを書くのが著者の主目的なんじゃないかと。
●曼珠姫午睡(まんじゅひめのごすい)
目立たない存在だったかつての同級生がスナックのママとなり、保険金をかけた夫を若い愛人に殺害させる保険金殺人事件を起したことを報道で知った主婦が、加害者の同級生の奔放な半生を調べて追体験し、色欲の世界に足を踏み出しそうになるお話。
モデルだと言われているのが「首都圏連続不審死事件」。「婚活殺人事件」とか「木嶋佳苗事件」とも呼称されている事件ですね。加害者女性の写真と裁判などでのあけすけな発言が度々注目されて世間での認知度も高い事件。
男性関係が奔放な女性が男を手玉にとってウンヌンといった部分から、この事件がモデルに使われていると連想する人が多いのかと思われます。しかし、こちらも言うほどの接点はそんなに無いような。生い立ちとかも違うし、婚活を利用しての犯行でもないし。連続でもないし。
このお話で描かれているような保険金殺人の内容って、結構ありふれたものだという気がするので、「首都圏連続不審死事件」がモデルだと言われるのは、単に人々の印象に強く残っている女性の保険金殺人事件がそうだというだけなのかなと。
犯人の視点は一切出ず、事件とは無関係な主婦の一視点でずっと語られていますので、本の中でも一番日常感が出ていて、読んでいて入り込みやすいかなぁと思います。特に女性は。
●百家楽餓鬼(ばからがき)
運輸業者の御曹司がギャンブル依存症になって会社の金を不正に使い込んでしまうお話。こちらはシンプルに当事者の御曹司の視点で描かれています。恵まれた境遇に溺れず、実直に会社経営に勤しんでいたはずが、いつの間にかギャンブルに傾倒していってしまう男の心情変化が見物です。
有名企業の一族だと、常に周りが「頼んでくる」人間ばかりになるというところが虚しいし苦々しい。なるほど、お金持ちならではの苦しみだなぁと。
他のヤツとは違うと思っていた親友にも「金を貸してくれ」と言われてしまうのは酷く裏切られた気分になりますが、お金に困っている一般家庭の妻子持ちが、友達に大金持ちがいたら「貸してくれ」と頼みたくなってしまうのは何か凄く分かる。
NGO活動で貧困に喘ぐ子供達を救済したいと本気で思っていながら、ギャンブルで大金をドブに捨てる日々という矛盾した行動や心理が、最後のスープを飲むシーンで痛烈に表されています。
モデルだとされるのは「大王製紙事件」。金額の大きさで驚かれた不正使い込み事件ですね。
これは割とモロにモデルとして使われていると私個人も思います。創業者の孫だとか、経営手腕が評価されていた点とか、カジノで億以上の借金をし、その都度、金を数々の子会社から不正に借り入れていたという手口も同じ。
●万屋善次郎(よろずやぜんじろう)
限界集落で最も若い60代の善次郎。養蜂で村おこしを行おうとするも、些細なすれ違いの結果、集落の人間達から村八分にあい、精神的に追い込まれた挙げ句、村人の暴言が引き金となって集落の人間を次々と殺害。最後は山の中で自殺を図る――と、いう内容。
過疎の閉鎖空間“ムラ社会”だからこその出来事で、東京から親を看取るために戻ってきた善次郎に、最初のうち村人は好意的に接して「若いから」と色々と頼りにして良好な関係を築いていたのに、村の有力者を蔑ろにしたという村人の思い違いからとんでもない悲劇に発展してしまう顛末が描かれています。
村八分にあった善次郎のことを気に掛けて心配しつつも、ムラ社会のしがらみから何の手段もなせないお婆さんの視点がやるせない。しかも、このお婆さんも事件の犠牲になってしまいます。
モデルは「山口連続殺人放火事件」。村八分にされた末の大量殺人という類似から「津山事件」を想起させるということで「八つ墓村事件」なんて呼ばれたりもしている事件ですね。
※「津山事件」と『八つ墓村』の繋がりについて、詳しくはこちら↓
かなりセンセーショナルな事件で、当初はうるさく報道されていましたけど、“村八分”というワードが見え隠れしてきたら一気にテレビで扱われなくなった印象。やはりムラ社会というのはいまだにセンシティブな事柄だってことなんでしょうかね。
犬を飼っていたとか、60代で一番の若者とか、村おこしでの諍いとか、家の前にマネキンを並べていたとかの事柄はそのまま作中に出て来ますので、こちらもモデルは丸わかりなお話ですね。
しかし、作中では村人による陰湿な苛めなどは特に描写されておらず、あくまでボタンの掛け違いというか、事態がこじれて取り返しがつかなくなったという風に描かれています。
●白球白蛇伝(はっきゅうはくじゃでん)
早崎弘志というプロ野球選手が、引退後も現役時代の華やかな生活水準を落すことが出来ずに周りに借金を繰り返し、いよいよどうしようも無くなって、借金の申し出を断った友人の会社社長を衝動的に殺害してしまうという内容。
「元千葉ロッテマリーンズ投手強盗殺人事件」と「清原和博覚せい剤取締法違反」などがモデルの候補として挙がっていますが、事件内容や生い立ちなどから主なモデルは「元千葉ロッテマリーンズ投手強盗殺人事件」の方だと思われます。どちらの事件もプロ野球選手時代の豪遊生活をそのままに“見栄”をはり続けた結果、身を持ち崩すという点が共通していますけどね。
こういう事件を聞くと、「標準的な生活を出来るだけのお金は十分持っていたのだから、贅沢をせずに身の丈にあった生活をしていれば良かったのに」と表面的に思ってしまうものですが、作中での早崎の栄光が、父親の、兄の、妻の、息子の、“幸せの象徴”になってしまっている手前、皆の望む振る舞いをしなければならないという心境に追い込まれてしまうのは、とても人間的だなと感じますね。誰でも“期待に応えたい”と思うものですから。
このお話は読んでいて一番哀しかったし、悔しかったですね。被害者の早崎への心境がよく伝わってくるぶん、「なんでこんなことになっちゃうの?」とやり切れない気分になりました。
ワイドショー
文庫版に収録されている瀬々監督の解説によると、著者の吉田さんは瀬々監督に「『犯罪小説集』はワイドショーのような感じ」といったニュアンスのことを仰ったらしいです。
“ワイドショーのよう”という表現は凄くしっくりときました。「ああ、なるほど」と。
タイトルの通り、5篇の短篇で扱われているのは日常からはかけ離れたような「犯罪」なのですが、あくまで描かれているのは人々の「日常」なんですよね。普遍的な生活の中で「犯罪」に触れたときの、人々の“揺らぎ”が様々な視点で描かれている。
テレビの向こう側での、まるで別世界で起こっているかのごとき陰惨でセンセーショナルな「犯罪」にも、そこには私たちと変わらぬ、地続きでまったく“特別“じゃない「日常」が存在し、境界は有るようで無く、実はとてもボンヤリとしたものなのだと思い知らされます。
「青田Y字路」が犯人や真相が解らないまま終わっていたり、どのお話も明確なオチがついていないのもそのためかなぁと。「犯罪」という「日常」を切り取った小説集なんですね。
映画ではどのようにこの「日常」が描かれるのか気になるところ。
「青田Y字路」で近隣住民に疑われてしまう中村豪士を綾野剛さんが、行方不明となった少女と直前まで一緒にいた女の子・紡を杉咲花さんが、「万屋善次郎」で村八分にされてしまう善次郎を佐藤浩市さんが演じられるということで、かなり重厚な作品になりそうな予感がしますが。
「青田Y字路」と「万屋善次郎」で共通している点は、どちらも田舎での事件だという部分ですね。過疎の閉鎖空間での事件として物語りを繋げているのかな?しかし、この原作でのラストがそのままなら、とてつもなく悲惨で後味の悪いものになりそうですが・・・どうなんでしょう(^^;)。
映画の『楽園』というタイトルがどのような意味を持ってくるのにも注目ですね。
読むと普段目にしている報道のとらえ方が変化する小説集だと思いますので、映画やモデルになった事件に興味がある方などは是非。
犯罪小説集【映画カバー・ムビチケプロモーションコード付き】 (角川文庫)
- 作者: 吉田修一
- 出版社/メーカー: KADOKAWA
- 発売日: 2019/08/09
- メディア: Kindle版
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ではではまた~