夜ふかし閑談

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『ばるぼら』あらすじ・ネタバレ解説 手塚治虫の芸術論~

こんばんは、紫栞です。
今回は手塚治虫ばるぼらをご紹介。

 

ばるぼら 黒ミサ (My First Big)

 

あらすじ
美倉洋介は耽美主義をかざして文壇にユニークな地位を築いた流行作家。作品はいくつか海外にも紹介され、多くのファンを持つ。しかしその実、美倉は自身の異常性欲に日々悩まされていた。
そんな美倉はある日、新宿駅アルコール依存症のフーテン娘・バルボラと出会い、酔った彼女を家に上げて介抱する。それが切っ掛けとなり、バルボラは美倉の家に居着くようになった。
ことある毎に文句を言って飛び出していくが、その度にまた美倉の家に戻ってくるバルボラ。アル中でだらしのない、金の催促ばかりするどうしようもない女だが、美倉は何故かバルボラを追い出すことも、決定的に離れることも出来ない。バルボラが来てから生活はブチこわしだが、小説家として書く意欲が湧いてくるのだ。
そのうち、特務機関から追われる身である作家・ルッサルカから美倉は「バルボラの正体は芸術の女神“ミューズ”だ」と聞かされるのだが――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


“芸術”に振り回される男の物語
ばるぼら』はビックコミックで1973年から1974年まで連載された作品。

1973年から1974年は社長をしていた出版社・「虫プロ商事」とアニメ会社の「虫プロダクション」が相次いで倒産していて、手塚治虫先生としては大変な時期に直面していたはずですが、『ばるぼら』は一度も休載することなく最後まで連載が続けられました。
ビックコミック】では奇子の後に連載されたものですね。

 

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奇子』と同じく、この作品も“大人向け漫画”となります。

 

著者のあとがきで、「一言にしていえば、この物語は、芸術のデカダニズムと狂気にさいなまれた男の物語」と語られている通り、“芸術”が本来持ち合わせている退廃感やエロス、異常性に振り回され続ける、困った質の男の物語が展開されています。
手塚作品ではいつものことかもしれないですが、ヒロインがめったやたらと脱いでいます。裸だらけだし、不健全極まりない内容ですので、「大人になってから読め」という代物ですね。描かれているテーマも年長になってからのほうが理解しやすいのではないかなぁと思います。


オッツフォンバッハのオペラホフマン物語からのインスピレーションで今作を描いたとのこと。

 

 

なるほど、上手い具合に踏襲しています。

筒井康隆を模して「筒井隆康」という作家が主人公の友人として登場していたりと、物語全体に著者が文学好きだったことが窺える箇所が多数あります。最終15章には松本零士ならぬ松本麗児という漫画家も登場。

 

 

今手入れやすいのは角川文庫から刊行されている文庫の上下巻と、

 

 

 講談社から刊行されている手塚治虫漫画全集ばるぼら(1)(2)、

 

 

手塚治虫文庫全集〉ばるぼら

 

 

らへんですかね。手塚プロダクションから出されている電子書籍もあります。

 

ばるぼら 1

ばるぼら 1

 

 

そして、毎度お馴染みのマニア向け〈オリジナル版〉

 

こちらは連載当時の原稿を完全再現したものですが、巻末には『ばるぼら』とは別の希少性が高いダークファンタジー短編が五編収録されているとのこと。

 

角川文庫と〈手塚治虫漫画全集〉だと二冊にわかれていますが、手塚治虫文庫全集〉の方だと一冊で全話が収録されています。私はこの〈手塚治虫文庫全集〉で読みました。

物語は15章まであり、9章ぐらいまでは一話完結型の短編漫画形式ですが、後の半分は大きな流れで展開していく長編漫画といった形になっています。

 

※2021年に永井豪版が刊行されました。

 

 

 

 

映画
映画化が決定しており、「2019年公開」となっているのですが、9月になっても公開日も詳細もよくわからない・・・。(※2020年11月20日に公開が決定しました)


今の時点でハッキリしているのは、監督が手塚治虫の長男・手塚眞さんであることで、キャストは美倉洋介を稲垣吾郎さん、バルボラを二階堂ふみさんが演じられるということぐらいですね。
2019年10月28日開催の『第32回東京国際映画祭』のコンペティション部門に出展が決まったそうですが。選定理由について映画祭のプログラミング・ディレクターの矢田部吉彦さんは


「『ばるぼら』はたん美で幻想的、悪魔的でエロティックな世界観の独創性が、近年の邦画において際立っている」


とのこと。

なにか色々と凄そうですね・・・(^^;)。

 

 

 

 

 

ミューズ
第6章「黒い破戒者」で登場する作家・ルッサルカはバルボラのことを「ミューズ」だと説明します。
「ミューズ」というのはギリシャ神話に登場する、ゼウスとムネーモシュネーとの間に産まれた9人の娘たちのこと。芸術をつかさどる女神とされ、ミュージアムやミュージシャンという単語も語源はここからきています。

一般的には芸術家にとって創作意欲をかきたててインスピレーションを与えてくれる存在、主に女性のことを指してそう言い表されるもの。サルバドール・ダリにとってのガラ、モディリアーニにとってのジャンヌ、ミュシャにとってのサラ・ベルナール・・・と、いった具合。

ファッション業界では近年はよくブランドモデルを「ミューズ」と言っていたりしますね。あまりハッキリとした説明は難しいのですが、“創作者のイメージを具現化する存在”といったところでしょうか。

 

今作ではバルボラはこの「ミューズ」自体を具現化したかのような存在として描かれています。


作中で美倉が言うように、バルボラは「飲んだくれで、グータラで、うす汚くって、あつかましくって、無責任で、気まぐれで、お節介で、狂気じみて」いて、行動も感情も一貫しておらず、いたかと思ったら消えたり、と、思ったらまた現われたり、汚い姿をしていたかと思ったら魅惑的な姿で現われたり、と、思ったら元に戻ったり、なびいたと思ったら拒絶したり、と、思ったらまたなびいたり・・・・・・・といった、やたらフラフラしていてつかみ所のない女性なんですが、この行動や干渉の仕方がつまりは「ミューズ」の性格で、「芸術」とは元々そういう厄介なものなんだという・・・。

作中に登場するバルボラの母親の名前がムネーモシュネーというのはそのダメ押しですね。

 

物語が進むにつれ、バルボラは今まで様々な芸術家の元に居着いては去って行くということを繰り返していることが判明します。その都度、相手によって姿を変えており、バルボラが居た期間はその芸術家は傑作を産み出すことが出来、バルボラが去ると芸術家としての身を持ち崩してしまう・・・・まるで座敷童のような話なんですが(^_^;)。

 

途中、ブードゥーだ、黒魔術だ、魔女だと何やら奇っ怪な様相を呈してきたりもしますが、これは著者曰く、「狂気の変容とみなしていただいてよいでしょう」とのこと。

主人公の美倉は元から妄想癖がある男で、この漫画を読んでいると何処までが現実で何処までが妄想なのかよく分かりません。最初は邪険にしつつもバルボラを追い出せない自分に疑問を抱いていたものの、いざバルボラが去った後は気が狂ったように追いかけ回し、妻子もそっちのけで社会人として転落していきます。
ぱっと見は、女の尻を追いかけるダメ男の転落人生ですが、美倉が追いかけているのは“芸術”なんです。かつては確かに自分のもとにあったはずの、立ち去ってしまった“芸術”を、再び自分のもとに呼び戻そうと奮闘する、“芸術”に、「小説家としての享受」に取り憑かれてしまった男の物語が今作なんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

以下ネタバレ~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


大団円
最後の15章は「大団円」というタイトルになっています。

死体のようになってしまったバルボラと共に霧に包まれた山小屋に閉じ込められてしまった美倉は、死の恐怖の中で小説を執筆します。書いている最中、言葉を発せない程に衰弱していたところを、通りかかった学生グループが死んでいると勘違いして火葬にしようと小屋に火を放ち(ここがよく分らない。なんだって火を放つかね・・・犯罪だよ・・・)、小説を持ち去ってしまう。美倉はバルボラと共にムネーモシュネーに救出されますが、記憶を失い、バルボラとも引き離されます。
数年後、美倉が山小屋で執筆した怪奇と不条理に満ちた私小説ばるぼら』が世に出回り、大ベストセラーとなるが、記憶を失いすっかり老け込んでしまった美倉は名乗り出ることもなく、行方は永久にわからずじまいに。

そしてまた、見すぼらしく、酔いつぶれてうずくまっているバルボラの姿が町に現われ・・・・・・。

 

と、いうのが大体の終盤のストーリー。

 


「大団円なのか?これは?」って感じですよね。「美倉自身は全然ハッピーになってないじゃん。どこがめでたいラストなの?」と言いたくなりますが、まぁでも、これは“めでたい”ラストなんですよ。


美倉洋介の最高傑作が出来上がり、大ベストセラーとなって世間で評価・議論され世に残る。


この結末がハッピーでめでたいのです。

作品が世に残るならば、作者がどうなろうと良しとする。すべては作品ありき。傑作が残せるならば、書き手の存在は捨て去ってしまって構わない。


「芸術家は芸術のためにだけ心を捧げればよいのだよ 政治とか金とかにウツツを抜かしているようじゃそいつはおしまいだ・・・・・・」

 

上記した通り、手塚治虫は『ばるぼら』の連載時、会社の倒産で窮地に立たされていました。

「しかしペンは奇妙に走った それだけが私が生きつづけている証だった」と死の間際に小説を書き続ける美倉洋介の姿もそうですが、この『ばるぼら』には、著者・手塚治虫の作品・創作への思想が強く表れているのだと思います。

実際、手塚治虫は病気で息を引き取る直前にも漫画を描いていた訳で。その事実を知った上で今作を読んでみると、“作品を描くこと”への強い思いが凄絶に伝わってくるかと。

 

手塚治虫が考える“芸術”の、作家の姿。気になった方は是非。

 

 

 

 

 

 

 

ではではまた~

 

 

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