こんばんは、紫栞です。
今回は京極夏彦さんの『邪魅の雫』をご紹介。
あらすじ
昭和二十八年秋。探偵・榎木津礼二郎の元に三度の縁談話が持ち込まれるも、何故か本人達を引き合わせる前に最初は乗り気だった先方から軒並み断られるということが続いていた。先方の家の不審な様子などから何者かの妨害、邪な企みがなされているのではないかと疑いを持った榎木津家の親類・山之内欣一は、薔薇十字探偵社の探偵助手・益田龍一に縁談破談の理由を調べろと言い渡す。
一方、現在交番巡査の青木文蔵は江戸川で発見された会社員・澤井健一の変死体事件と大磯で発見された女学生・来宮小百合の変死体事件を根拠もなく連続殺人だとして捜査方針を決定した本部の動きに不審なものを感じ、刑事の木場修太郎、古書肆の中禅寺秋彦らに相談をするうち、二つの事件には捜査本部が公には出来ぬような“特殊な毒”が犯行に使われているのではないかとの考えに至り、独自の調査を開始する。
大磯の海岸で殺害された来宮小百合は、榎木津の見合い相手のうちの一人・来宮秀美の妹だった。さらにその後、大磯では次々と毒殺事件が発生。果たして榎木津の見合い話と一連の毒殺事件には繋がりがあるのか?
「殺してやろう」「死んでいる」「死のうかな」「殺したよ」「殺す以外にない」「殺された」
数々の邪な想いが錯綜し、ばたばたと人が死ぬなか、ついにあの男が立ち上がる。
「邪なことをすると――死ぬよ」
今のところの最新作
『邪魅の雫』は【百鬼夜行シリーズ】(京極堂シリーズ)の九作目。
シリーズの長編作品としては今のところこの『邪魅の雫』が最新作となります。とはいえ、今作が刊行されたのは2006年なので、もう十五年以上の月日が経っているのですが(^_^;)。
前作『陰摩羅鬼の瑕』はほぼ関口視点で語られる『姑獲鳥の夏』を連想させるような原点回帰漂う物語りでした。
果たして次はどんな作品なのかというと、なんと榎木津礼二郎の見合い話&過去の女性関係が絡んだ事件。
「女性関係だあ」
と、作中で中禅寺と関口が揃って大声を上げるシーンがあるのですが、まさに読者の心境もそんな感じ(^_^;)。
なにしろ榎木津は常人では計り知れない「神」ですからね。榎木津の恋愛というのがまず具体的に想像出来ないのですけども・・・。“あの”榎さんに見合い話!そして過去の女!冗談や笑い話のようですが、事態は笑っていられないような深刻なものとなっております。
【百鬼夜行シリーズ】は事件形態・登場人物・視点と、その都度大きく異なるものの、人の記憶が視える探偵・榎木津礼二郎と憑物落としの拝み屋・中禅寺秋彦が必ず登場するというのがシリーズで一貫している共通点。大体の場合、この二人は事件に対しては第三者で後から人に頼まれたりなんなりで介入することになるというのが殆ど。例外として『塗仏の宴』が中禅寺の事件だったのですが、
今作は榎木津が事件の渦中の者である事件。いつも奇天烈な言動で場を混乱させている榎木津ですが、今作は自身が大いに関係している事件とあって通常とは違う雰囲気、シリアスモード(?)な榎さんの様子を多く見ることができます。これまでにないことでシリーズファン必見ですね。その分、いつもの破天荒っぷりは他作品より鳴りを潜めてますけど。ま、今作の前に刊行されたスピンオフシリーズ「百器徒然袋」
でこれでもかと大騒ぎしている榎さんが描かれているので、躁病榎さんはそちらで存分にお楽しみを。
つかみが今までにない驚き要素で、スピンオフ的な印象をひょっとしたら受けるかもしれないですが、そこはやはり【百鬼夜行シリーズ】の本筋長編。超絶ミステリが展開され、憑物が落される独自の妖怪小説として相変わらずの読みごたえで「やはり百鬼夜行シリーズの本流長編だなぁ」といったものです。
今作では益田と関口という珍しいコンビも拝めます。例によって例のごとく、関口は小説の執筆が上手くいかない毎日であり、気分転換に頼まれてもいないのに益田の大磯での調査に同行しています。なんの役にもたってないのですが。これもいつものことですね(^_^;)。
そして、今作ではなんと益田が榎木津に初めて「益田」とまともに呼んでもらえるシーンが!シリーズファンとして、これは見逃せないポイントですね!(いつも「バカオロカ」「カマオロカ」としか呼んでもらえてないからね)
実は今作では青木もまともに呼んでもらえているのですが(いつもはコケシって云われる)、青木はこの画期的事態に気付いている様子がない。「青木!いま、非常に希少で貴重なことが!」と、読みながら心中で呼び掛けてしまう(^^;)。
ウンチクがない!?
シリーズファンのなかで『邪魅の雫』についてよく云われる特徴がシリーズお馴染みの妖怪ウンチクが無いというところです。
いつもは画図百鬼が~鳥山石燕が~何々の文献によると~など、事件のテーマに使っている妖怪について作中で中禅寺が京極堂の座敷であれやこれやと執拗に解説しているシーンが頁を割って書かれているのが常なのですが、今作では「邪魅」に関して、
「よこしまに魅力の魅と記す、そう云う名前のお化けが居るんだそうです。これは魑魅の類いと云いますからね、まあ魑魅と云えばスダマ、山野の精霊のようなものでしょう。京極堂じゃないので上手く説明出来ませんけど、いずれ邪悪なモノなんでしょう。妖邪の悪気なるべし、と書いてあったと思います」
と、関口のセリフがあるのみです。
ウンチクに関しては前作の『陰摩羅鬼の疵』でも少なかったのですが、今作では殆どなし。ウンチクが少ないぶん読みやすくなっているし、作品の構成要素を欠いているという訳でもないので「別にいいんじゃない?」ってなものですが、今までの膨大なウンチクに毒されているシリーズファンにとっては、読む上で厄介なはずのウンチクがないと寂しいような気分になるんですね。個人的には「別にいいんじゃない?」なんですが。ま、一抹の寂しさはありますけど。やっぱり毒されていますかね・・・(^_^;)。
「今作に妖怪ウンチクがないのは何故なのか?」の、理由は物語りに必要じゃないからってだけだとは思うのですが(いつものウンチクは余計だとか云われたりしますが、あれはあくまで必要だから書いてあるのですよ)。“邪悪なモノで、邪気が人から人に移っていくよ”という説明だけで事足りるので良いと。単純に邪魅について残されている文献がほぼないとか、魑魅の類いとあるので、説明しようとすると『魍魎の匣』と被る部分などがあるという事情があるのかもですが。
妖怪ウンチクがないだけで、批評に対する捉え方だとか「世間話」「お伽噺」などのウンチクはかなりな文量で語られています。
自分が書いた小説についての批評について、関口が京極堂の座敷で相談するシーンでの中禅寺の言葉には気付かされる部分が多くて読んでいて面白いです。私自身もこうしてブログで本の感想などを書いているので、「書評はこうあるものだ」という話は興味深かったですね。
登場人物・他作との繋がり
今作での語り手は、レギュラー群からは榎木津の見合い話に隠された陰謀らしきモノを追う益田と、刑事として独自に毒殺事件の調査する青木の視点が主です。下僕が頑張っている印象ですね。
他は事件関係者の面々。画家の西田新造、酒屋住み込みの江藤徹也、元刑事の大鷹篤志、そして謎の女。
大鷹は前作の『陰摩羅鬼の瑕』で刑事として登場し、懸想していた女性の遺体を目の当たりにして己を見失ってしまい、最後には刑事を辞めて失踪してしまっていました。今作では失踪後の顛末が描かれています。また、【百鬼夜行シリーズ】のサイドストーリーズである短編集『百鬼夜行-陽』
では江藤と大鷹、同じく『邪魅の雫』の事件関係者でヤクザ崩れの赤木大輔、三人それぞれのサイドストーリーが収録されていますので、読むと各人物の詳細をより深く知ることが出来ます。
他作との繋がりとしては、『鉄鼠の檻』
で捜査主任として慌ただしくぷりぷり怒っていた神奈川県警捜査一課の刑事・山下徳一朗が今作でも大磯平塚事件の捜査担当者として登場しています。鉄鼠の事件での経験によって色々と山下さんのなかで変化があったらしく、人が変わったようにすっかり丸くなっており、対面した益田も変容ぶりに驚いています。(鉄鼠の事件の時、益田はまだ刑事で山下さんの部下でした)。
山下さんのかつての上司で、『魑魅の匣』『狂骨の夢』『鉄鼠の檻』
と、シリーズに度々登場している石井寛爾警部も西田新造の小学校時代の友人としてチョロリとゲスト出演しています。西田先生に物騒な相談や質問をされて答えるという役割ですね。今作ではこれまでの事件のヘマの結果、エリートコースを一時外れて警察署の署長さんになっています。
新登場で気になるのは東京警視庁警備二部公安一課四係の刑事・郷嶋郡治(さとじまぐんじ)。中禅寺とも戦中での旧知の仲で、敦子に「お友達なのね」と云われて否定してはいますが、青木の見立てによると嫌っている訳ではなさそうだとのこと。中禅寺は本当に嫌っているときは何も語らず、対象を買っているときほど悪口を云うことが多いように思うと青木談。確かに、そうかもしれない。
郷嶋さんは戦中内務省の特務機関にいたとのことで、今後もシリーズに登場しそうな予感がプンプンします。
そして、今作『邪魅の雫』は京極さんの近未来が舞台の別シリーズ『ルー=ガルー2 インクブス×スクブス 相容れぬ夢魔』
とも密接な繋がりがあります。どう繋がっているのかは是非読んでお確かめ頂きたいですね。必見!ですよ(^_-)。
世界
作中で繰り返し描かれているのは、個人は世界にとってあまりにもちっぽけな存在なんだということ。
今作での加害者、被害者達は皆自分が世界の中心であるという狭い世界観の思い込みで道を踏み外していくことになります。皆弾みだなんだで人を殺してしまうのですが、驚きは人を殺した後の方。自分が人殺しという大罪を犯した後だというのに、世界は何も変わらず静かなままだという事実、何かしたところで自分が世界に大きな影響など与えることは出来ないのだという現実に驚くのですね。
世界にとって自分はちっぽけで、取るに足らない存在だというのは、誰でも頭では当たり前に解っていることでしょうが、解ってはいても人間とは何処までも自分中心に考えてしまうものです。自分が怒りや悲しみで大きく揺れ動いているのに、空が晴れ渡っていたり、海が静かに凪いでいたり、電車がいつも通りに動いていたりするのを目の当たりにすると、嘘のような、裏切られたような気分になってしまうのはよく分かる気がします。
特に、作中のある人物の“殺人者なのに平然と食事をし、眠り、生活している自分が信じられなかったのだ。耐えられなかったのだ”という葛藤は、自分がもし同じ立場になったら同じような葛藤をするのではないかというリアルさがありました。ここら辺の描きっぷりが個人的に非常に好みです。やっぱり好きだなぁ・・・と、思う。
以下ネタバレ~
感染する憑物
“この憑物は感染するんですよ”と作中で中禅寺が云っているように、今作は「邪」が人から人へ移っていく事件。邪に魅入られた者が人殺しをして、その後殺される。その者を殺した人物はまた別の者に殺され、その者がまた殺され・・・と、「邪」が病気の感染のように続いていく。殺した側が殺される側になるのを繰り返し、バタバタと人が死んでしまう惨事に。
この事件は卑劣な恐喝者・澤井から端を発しています。澤井は“ある理由”から来宮秀美を乱暴し、恐喝していました。澤井の卑劣な行為に憤り、来宮秀美の妹・小百合は“ある女性”から渡された「毒」を使って澤井を殺害。その後、小百合は殺害に使った「毒」を持って大磯海岸で思い悩んでいたところを、通りすがりの江藤徹也に「毒」によって殺害される。
“ある女性”から小百合を見守るように頼まれていた赤木大輔は、小百合を守り切れなかった不甲斐なさから、元凶だと聞かされていた宇都木実菜を小百合が澤井殺害に用いた「毒」で殺害。
小百合を殺害したときの「毒」に魅入られた江藤は、赤木がその「毒」を持っていることを知り、「毒」を奪って赤木を殺害。
宇都木美菜を警護するように“ある女性”に頼まれていた大鷹篤志は、宇都木美菜を殺害したのは江藤なのだと思い込み、江藤を問い詰めて乱闘。江藤は自身が奪い取った「毒」を大鷹に振りかけられて死亡。
殺してしまったことに動揺した大鷹は“ある女性”に唆されて、宇都木実菜に好意を寄せていた西田新造の家に行くが、西田は大鷹こそが宇都木実菜をつけ回して殺害した犯人なのだと思いこんでおり、大鷹から「殺してしまいましたよう」という台詞を聞いた瞬間、怒りにまかせて殺害してしまう。
と、いうのが大まかな事件の概要。
普通はこんな連鎖は起こるものではありません。皆が勘違いしあって殺し殺されるなんて事態は。こんなことになってしまったのは、当人達に悪意ある嘘を吹き込んだ“ある女性”と「毒」という2つの要因のせいです。
神崎宏美
“ある女性”の正体は神崎宏美。神崎グループの総帥で、榎木津のかつての交際相手です。
大戦と家のゴタゴタで榎木津とは音信不通になっていたもののまだ想いを寄せており、澤井から「榎木津礼二郎の縁談を俺が壊してやろうか」と持ちかけられて逡巡していたら澤井がさっさと事を起してしまって――・・・で、結果的に一連の事件に発展してしまう。
自分では直接手を下すことなく、人々を操って犯行をさせるというのはシリーズ五作目の『格新婦の理』の織作茜を連想させると思いますが、
実はまったく異なります。結果的にバタバタと人が死んでいるので、自分の手を汚さずに犯行を成し遂げるのが目的だったかのようにみえるのですが、これは神崎宏美が望んでいた事態ではなく、むしろまったく思い通りに事が運んでいない、憤懣やるかたない状況なのです。
神崎宏美は嘘をついて周りを唆し続けているものの、「邪」を遂行するように仕向ける一方で、その遂行を妨げようとも画策しています。いずれも自身でではなく人を使ってなんですが。正反対の矛盾した行動をしていて「何がしたいんだコイツ」状態。
「宏美さん。貴女は自分の輪郭だけを広げて、大きくなったようなつもりでいるだけだ。貴女は、自分の善なる部分を、そして邪なる部分を、他者に託しただけだ。そして実験をしたに過ぎない。恐喝者澤井の排除を小百合さんに託し、その阻止を赤木に託す――実菜さんに対する邪な想いを赤木に託し、実菜さんへの良心を大鷹に託す――一方に邪悪なる願いを知らしめ、一方にその邪願の成就を妨げてくれと乞う――残念乍ら凡て」
邪なる者が勝った。
「赤木が小百合さんの行いを止められていたら、大鷹が赤木を防げてくれていたら――事件は其処で止まっていた筈だ。しかしそれは叶わなかった。貴女の延長である人達は、次次に人を殺した。だから貴女は不満なんだろう。人はどうして――」
邪なものの方に魅せられるのか。
榎木津を他の女に盗られたくないという「邪」な想いと、そんな事をしては駄目だという「善」な想いとで悩んだあげく他者に託したものの、皆が皆簡単に人を殺してしまうのを目の当たりにし、「邪」な方にばかり傾く「人」に苛立ち憤ることに。自分も含め、「邪悪が人の常なんだ」という結論に至ってしまうのですね。
ま、神崎宏美の「実験」がことごとく失敗したのは単純に人選が悪いんじゃというのもありますが。赤木はともかく、大鷹はあまりにもヌケサクというか馬鹿ですからね。宏美さん自体も大鷹の扱いに戸惑って「いい加減にしてください」とか云っちゃってますから(^_^;)。あと、なんの関係もないのに好奇心から人を殺して毒を手に入れようなんて考える江藤の存在も宏美さん的には「なんだコイツ」だったでしょう。
毒
「邪悪が人の常である訳はない。慥かに理性や感情では制御しようのない部分を、人と云うものは抱え込んでいるものなのだろう。でも、それは善悪正邪に振り分けられるものじゃない。それは」
それは。
それを殺意に変えたのは。
皆が皆殺意をそのまま行動に起してしまったのは「毒」のせいです。
その毒というのは、常温で安全性が高く、致死量も微量で、経口摂取せずとも皮膚に垂らすだけで即死に至らしめる猛毒。大戦時に帝国陸軍が製薬会社社長であった神崎宏美の祖父・岩崎宗佑に作らせていた毒で、『魍魎の匣』や『塗仏の宴』で登場する中禅寺がかつて所属していた「第十二特別研究所」が関係しており、中禅寺曰く“迚も厭な男”・堂島静軒が開発させていたという代物で、その毒は暗号名で『しずく』と呼ばれる。
※十二研や堂島さんについて、詳しくはこちら↓
岩崎宗佑は開戦直後に自殺。その後、残された研究成果は堂島が引き継ぎ、十二研で完成したものの、製造はされず研究成果は破棄されたのですが、実は『しずく』は岩崎宗佑の手許で既に完成しており、神崎宏美は孫娘として莫大な遺産と共に『しずく』も相続することになってしまった。
そして、今になって戦時中に陸軍で間諜のようなことをしていた澤井が『しずく』の存在を嗅ぎつけ、引き渡せとしつこく要求してきた。頑なに拒んでいたら、「榎木津の縁談を壊してやる」と、榎木津の縁談相手を次次と陵辱し、相手も神崎宏美のことも恐喝し始めた。忌々しく許しがたい澤井に殺意を抱いていたところ、同じ想いを抱く小百合に『しずく』を渡してしまい――で、今作の事件の連鎖となる。
皮膚に一滴垂らすだけで簡単に人を殺せる毒。この毒の存在に背中を押されて皆殺意を遂行してしまう。
特定の相手に殺意を抱くことは糾弾されることではない。思うだけなら自由ですからね。問題は、実行に移すか映さないか。些細な違いだが大きな違いで、大抵は思いとどまれるはず。しかし、些細な違いしかないぶん、方法が簡単であれば簡単であるほど一線を越えやすくなってしまう。
神崎宏美にしても、榎木津を誰かに盗られるのが厭だっただけの女で、祖父が残した「毒」が手許になければここまでの邪心は起さなかった。
ま、事の起こりが「毒」から始まっているのでアレなんですけど。澤井があまりにも屑すぎてですねぇ・・・作中では既に故人としか出てこないんですけど、腹が立ってしょうが無いですよ。
結果的に散々に人々を弄ぶことになってしまった神崎宏美は、自分が起した行動によって好きだったものがすべてなくなってしまう事態となった。罰が当たったかのように。最後には榎木津の台詞によって決定的な罰を受ける。
中禅寺は榎木津に辛い言葉を云わせたくないと大磯まで憑物落としに出向いた訳ですが、結局榎木津が辛い幕引きをすることに。消息を知った時にすぐに逢いに行っていればこんな事にならなかっただろうに・・・。なんとも悔やまれる結末ですね。
次!
上記したように、この『邪魅の雫』は2020年2月現時点での【百鬼夜行シリーズ】最新作です。
このブログでは個人的整理・復習もかねてシリーズ長編を一作ずつダラダラと紹介してきましたが、ついにここまで紹介し終わりました。これで準備は万端、新作『鵼の碑』いつでもござれです。
スピンオフの『今昔百鬼拾遺』
も刊行されましたしね、そろそろ、いい加減、来るかなぁと思いたいところですが・・・(^_^;)。
※2023年、発売がついに決定しました!↓
当ブログで『鵼の碑』の感想を書ける日を夢見て日々を過していきます(^o^)!
※書けました!こちら↓
ではではまた~