こんばんは、紫栞です。
今回は山白朝子さんの『私の頭が正常であったなら』をご紹介。
『私の頭が正常であったなら』は2018年に刊行された短編集。2021年1月に文庫版も発売されました。文庫版だと宮部みゆきさんの解説が収録されているようです。
時代小説である和泉蠟庵の道中記『エムブリヲ奇譚』『私のサイクロプス』の2冊はシリーズ物ですが、『私の頭が正常であったなら』はノンシリーズの短編集。
ノンシリーズの短編集は2007年に刊行された『死者のための音楽』
以来、2冊目の短編集で、山白朝子個人名義の本としては4冊目。
「山白朝子」は作家・乙一さんの別名義。
主に怪談雑誌『幽』で書くときに使われる名義なため、山白朝子での作品は奇談短編が大半となっています。怖いだけでなく、どこか哀しさがある作風が特徴。(中田永一名義だと青春・爽やか系が多い)
本の帯に「中田永一氏絶賛!」と書かれているのは、いつものお遊び。
※各名義での合同本もあります↓
結構前に単行本で購入済みだったんですけど、読まずに放置してしまっていました(^^;)。今回やっと読んだので、あらすじや感想をまとめたいと思います。
目次
全8編。いずれも何かを失った者たちによる、“喪失”の物語り“となっています。
●世界で一番、みじかい小説
突然、不気味な男の幽霊が見えるようになった夫婦のお話。
二人そろって怖がるのかと思いきや、慌てる旦那とは対照的に、ガチガチの理系頭である妻は「ただの心霊現象だから」と、落ち着き払っている。それどころか、幽霊相手に実験をしてみたり、観察をして記録をとるだのと妙な具合に。心霊現象の再発防止のため、幽霊の身元捜しを科学的に、論理的に試みるという趣向の短編。一風変わった推理モノですね。
“世界で一番みじかい小説”というのは、「For sale: baby shoes, never worn」。直訳で、「売ります:赤ちゃんの靴、未使用」という、たった六つの言葉で成立している小説。ヘミングウェイが執筆したものだとされることが多いらしいですが、もっと古くから似た文は存在しているらしく、正式な作者は不明。
突き止めた真相は恐ろしいものでしたが、出産前に子どもを失った夫婦にとっては、ちょっとした救いとなるもたらすものとなっている。
●首なし鶏、夜をゆく
叔母から虐待を受けているクラスメイトの少女が、首のない鶏を飼っているのを偶然知った主人公。少女の叔母に見つからぬよう、二人で首なし鶏を世話し始めるが――な、お話。
まずコレ、首なし鶏にビックリしてしまった。1940年代のアメリカで、首をはねられた後18ヶ月間生存していたとかで、「首なし鶏マイク」として世間や生物学者を騒がした有名な出来事らしい。私は全く知らなかったので、思わずネットで調べたら写真が出て来て驚いた(^_^;)。
最初はおかしなタイトルでコメディかななんて思いましたが、内容は怖くて哀しく、やりきれない気持ちになる。
●酩酊SF
彼女が酩酊し、意識混濁しているときに過去や未来が混濁して見えていることに気が付いたカップル。彼女のこの能力を利用して何とか金儲け出来ないものかと男は考えるが――な、お話。
深酒することにより、意識と一緒に時間も混濁するというアイディアが面白い作品。このような、“ちょっとした特殊能力・現象”のお話は乙一の十八番ですね。ページ数が限られているのを逆手にとり、登場人物が超即決だったり、ナチュラルにダメ人間だったりするのを、あえて簡素な説明ですまして可笑しみをだすのもまた乙一的。
ある人物がとても気の毒なことになっている。その後の人物たちの事を考えると空恐ろしいお話。
●布団の中の宇宙
長年のスランプ状態で妻子に出て行かれた小説家。金欠のため、中古の布団を買うが、その布団で寝る度に足先に何かが触れる感覚に陥るようになる。まるで布団の中だけ別世界と繋がっているかのごとき不思議体験に、小説家は無くしていた創作意欲を取り戻していくが――な、お話。
これまた“布団の中、足先だけで感じる不思議体験”といった面白アイディア。布団の中で感覚だけということで(?)、終盤は少し官能的な事態に。
「夢と現の境界線が布団の中で曖昧になる」というのは、朝、布団から出たくない、もっと寝ていたいという感覚を拡大させたものでしょうか。境界線に布団を使うというのが上手いですね。
布団の虜になったとき、人は・・・現実に戻れなくなる(^_^;)。
●子供を沈める
高校時代、いじめに加担してクラスメイトを死なせてしまった過去を持つ女性・カヲル。時が経ち、いじめのメンバーだった三人が、相次いで自分の産んだ子を一歳に満たないうちに殺害した。彼女たちの赤ん坊はいずれも死に追いやったクラスメイトの顔にそっくりだったという。その事実を知ったとき、カヲルは既に妊娠していて――な、お話。
どんな状態でも産まれてきた子を愛せるのかがテーマのもので、非常に重い。バッドエンドではないのですが、この主人公の置かれている状況はこの先も非常に辛いものです。贖罪は一生掛けてするものだということなのでしょうね。
このタイトル、「子宮に沈める」という映画を連想してしまいますね。
映画「子宮に沈める(Sunk into the Womb)」予告編 Trailer
虐待がテーマのもので、我が子を愛せるかという部分は共通している。
●トランシーバー
震災で妻と幼い息子を失った男性。焦燥の日々を過していたところ、生前、息子のお気に入りだったトランシーバーの玩具から、生きていた時そのままの息子の声が聞こえてくるようになり――な、お話。
2011年の東日本大震災で妻子を失ったという設定。残された者も前に進んで生きていかねばならない哀しみと苦悩が描かれる。読んでいて、あの震災からもう何年もたったのだなぁと実感させられますね。主人公が、トランシーバーの声を自分の願望による幻聴だと信じて疑わないところが辛い。完全におかしくなれた方が楽で幸せなのか・・・。
●私の頭が正常であったなら
元夫に目の前で愛する娘と共に無理心中され、精神を病んでしまった女性。母と妹の手助けにより、何とか病状が安定してきた矢先、日課にしている散歩の最中にいつも決まった場所で助けを求める子どもの声が聞こえるようになる。声は自分にだけ聞こえているらしい。精神を病んでいるが故の幻聴なのか、それとも本当に誰かが助けを求めている声なのか、彼女は真相を突き止めるためある実験を試みるが――な、お話。
まず、元夫が酷すぎて絶句してしまう。こんなことがあれば、精神を病まないほうが寧ろおかしいというもの。
主人公は自分で自分の頭が信用出来ていない常態のため、幻聴か否かの判断からして通常とは違う方法をとる事になる。“私の頭が正常かどうか”を憂慮しなくてはいけないという、皮肉な調査過程が描かれる訳ですね。
自分で自分を信用出来ない、“頭がおかしい人”として見られることの恐怖と、もどかしさが伝わる作品。
●おやすみなさい子どもたち
船の事故で死んでしまった少女。死に際、走馬燈を見るが、その走馬燈の記憶は他人のものだった。すると目の前に天使が現われ、「ここは死後の世界で、私たちは走馬燈を上映するのが仕事だが、何かの手違いで別人の走馬燈フィルムが流れてしまったようだ。ついては、貴女の走馬燈フィルムを探すのを手伝って欲しい」と言われ、一緒に探すこととなるが――な、お話。
死後の世界でのシステムが確りと決められていて、それの描かれ方が面白い作品。しかし、これらのイメージはすべて概念で形而上のものであり、その人の経験に一致する、理解が容易い形に変換されているとのこと。この話の主人公・アナはおそらくキリスト教的イメージで天使などを捉えていますが、人によっては別宗教のイメージなどで変換されるということなのですね。ここら辺の説明がなんだか巧み。
書き下ろしということで、本の全体をまとめるような締め方をされています。
正常か否か
8編収録されていますが、どのお話も、人にまともに説明すると正気が疑われてしまうお話ですね。表題作のタイトル「私の頭が正常であったなら」は、見事にこの本全体を表すものになっていると思います。
子どもに関連するワードが特に多いのも特徴の短編集で、隠れテーマだったのかなと。「おやすみなさい子どもたち」で出てくる一節「あらゆる人生、そのどれもが祝福に満ち、悲哀にあふれている」に、強いメッセージが込められていると感じる。
相変わらず奇想天外な発想で楽しませてくれる、山白朝子らしい、乙一らしい、期待を裏切らない短編集です。乙一の短編集に外れなし!
全話、30~40ページと読みやすい長さですので、ちょっとした休憩時間に是非。
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ではではまた~