こんばんは、紫栞です。
“あれ”から四十年後
江戸時代を舞台に、御行の又市率いる一味が公には出来ぬ厄介事の始末を金で請け負い、妖怪譚を利用した仕掛けで八方丸く収めていく一話完結型の妖怪小説のシリーズ【巷説百物語シリーズ】。
シリーズ第一弾『巷説百物語』
第二弾『続(ぞく)巷説百物語』
に続いての第三弾が『後(のちの)巷説百物語』なのですが、今作は前二作とはかなり趣が異なります。
まず大きく違うのは、前作『続巷説百物語』の最後に収録されていた「老人火」で百介が又市たちと別れてから四十年後、文明開化の明治十年(1877年)が舞台であること。
年老いた百介は自らを「一白翁」と名乗り、薬研堀の九十九庵という閑居に遠縁の娘・小夜と一緒に暮らしていているのですが、この九十九庵に一白翁の博識頼りに元幕臣の若者四人が不可思議な事件を携え相談しに訪れて、百介はかつて又市たちが施した仕掛け話を逸話として若者たちに語り聞かせる――といった、百介の昔語りで物語は進んでいきます。
前二作の『巷説百物語』『続巷説百物語』はハッキリとした年代が分からずあやふやだったのですが、今作で正確な年代が記されていることで逆算して前二作で描かれた時代が明らかになるのもチェックポイント。
元幕臣の若者四人は、貿易会社勤務で物語の中心的存在として描かれる笹村与次郎、奇談好きの東京警視庁一等巡査・矢作剣之進、洋行帰りのハイカラで小理屈ばかり捏ねる無職遊民・倉田正馬、いまだに侍然とした堅物の剣術使い・渋谷惣兵衛といった面々。
巡査である剣之進が「こんな奇っ怪な事件が起こった」と仲間内で話題に出して、四人であーだこーだ言った末に「このままじゃ埒が明かないから、不思議話にやたら詳しい一白翁に相談しに行こうぜ」となり、そこで一白翁から聞いた逸話をヒントに剣之進が事件解決の糸口を見出すというのが大体の毎度の流れ。おかげで剣之進は「不思議巡査」の異名を取るようになる。
こう書くと剣之進が出張っている物語のように思われるかもしれないですが、この四人の中で中心的存在として描かれるのはあくまで笹村与次郎で、百介の視点や語り以外は全て与次郎からの視点で描かれています。
笹村与次郎は前作『続巷説百物語』収録の「死神 或は七人みさき」で騒動の舞台となった北林藩の元江戸詰め藩士。あの騒動の後、義理堅いことに北林藩は百介に藩を救った恩人として恩賞金を月月渡していたらしく、与次郎はその恩賞金を届ける役目を任されていたことで一白翁こと百介と知り合い、御一新で藩士ではなくなった後も交流を続けているという設定。
かつて北林藩で又市たちが仕掛けた祟り話を、現実にあったこととして幼少から聞かされて育ったため、百介が語る怪奇譚も受け入れやすく、興味を惹かれるという土台があるのですね。
各話、あらすじと解説
『後巷説百物語』は六編収録。
【巷説百物語シリーズ】で題材として採られている妖怪たちは全て、天保十二年(1841年)に刊行された竹原春泉の画、桃山人の文の『絵本百物語』から。
●赤えいの魚(あかえいのうお)
維新から時が経ち、世相の混乱が一段落した感がある明治十年(1877年)。笹村与次郎は矢作剣之進、倉田正馬、渋谷惣兵衛の前で半月前に酒の席で聞いた「ゑびすの顔が赤く染まると島が滅ぶ」という珍奇な伝説を語った。与次郎としては単に座持ちの与太話のつもりだったのだが、聞いた三人はこの話があり得ることか否かで議論を戦わせることになってしまい、埒が明かなくなった四人は薬研堀の九十九庵に住まう博識の老人・一白翁に意見を求めることにする。
一白翁こと山岡百介は若い頃、怪異譚を求めて諸国を巡っていた好事家であり、それは奇妙な体験談を沢山持っていた。相談を受けた一白翁は四十年前に自らが体験した「恵比寿の顔が赤く塗られただけで崩壊してしまった島」、戎島での怪異を語り始める。
四十年前、年に数回しか陸地から見ることが出来ない幻の島・戎島に偶然辿り着いてしまった百介は客として島親・甲兵衛に迎え入れられるが、戎島は掟が何よりも重んじられる島だった。島親に逆らってはならぬ、笑ってはならぬ、明かりを燈してはならぬ――掟を破ると恵比寿の顔が赤くなり、島が滅ぶのだという。
島親の狂人ともいうべき傍若無人な振る舞い、能面のような顔で一切感情を見せずに唯々従い続ける異様な島民の姿に百介は嫌悪と恐怖を感じるが、特徴な海流によって島から出ることは叶わない。絶望していた百介の前に“あの男”が現われる――。
「赤えいの魚」というのは、島だと思って船で近づいてみたならば、実は島ではなくって巨大な魚の背でしたよ~ってな怪異。
時系列としては、シリーズ第一弾『巷説百物語』に収録されている「柳女」の後、品川から江戸に戻る途中での出来事で、百介からすると十二件目の仕掛け仕事ですね。
個人的に、【巷説百物語シリーズ】のなかで一番怖いのがこのお話(今のところ)。この戎島が怖ろしくってですね、読んでいると地獄を覗いている気分になる。その恐怖ってのは、“理屈が通じない恐怖”。百介から、世間一般からすると、酷く異常で残虐な行いも戎島では普通で当たり前のこと。この島では異分子の百介の方が“おかしい”という扱いとなってしまう。
こんな島から生涯出られそうもないとあっちゃ、百介が身投げしたくなるのも分かるというもの。又市が来てくれて本当に良かったなぁと(^_^;)。
島親が退屈しのぎにやることがもはや地獄絵図で酷いもんですが、産まれた時から周りが感情を一切見せぬ能面顔で唯々自分の命令に従うだけというのは、気が狂う状況なのだろうなと思う。逆差別、最上級の差別なのでしょうね。
●天火(てんか)
両国近辺で不審火が続いていた最中、油商いの根本屋が全焼する事件が発生。下手人として挙げられたのは根本屋の後妻で、今までの不審火も全てこの女の仕業であろうと考えられたが、後妻は火を付けたのは五年前に亡くなった前妻で、前妻の顔をした火の玉が窓から飛び込んで主人を追い回したのだと奇怪な主張をしているという。
巡査の矢作剣之進は困り果て、与次郎たちに話を持ち込んだ後に一白翁に相談する。意見を求められた一白翁は「天は時に偶然を装って人に罰を与えることがある」と、過去に体験した「天火」に纏わる騒動を語り始める。
摂津のある村で、死人の遺恨の火である“顔のある火の玉”が飛ぶという怪火の噂を聞きつけた百介は村を訪れるが、怪事は既に霊験あらたかな六部・天行坊によって鎮められていた。たいそう村人の信頼を得ているらしき天行坊に会いに行ってみると、天行坊の正体は御行の又市だった。これはいつもの仕掛け仕事なのか?それとも――。
「天火」というのは、またの名を“ぶらり火”。地面より五十五メートルあたりは魔道で、様々な悪鬼が住みついて災いをなすとかいわれる怪異。
時系列としては、シリーズ第一弾『巷説百物語』収録の「帷子辻」での後、百介からすると十四件目の仕掛け仕事ですね。
「帷子辻」での仕掛け仕事の後、又市はいつになく塞ぎ込んでいる様子で百介は面食らっていました。その直後にこの村での又市のらしからぬ振る舞いですから、仕掛け仕事なのか、それともマジなのか、判らなくなってしまう百介。
このお話ではなんと、又市が代官の妻に惚れられるという役回りをしています。本の中では又市の容姿についての言及はほぼ無いのですが、結構色男なんですかねぇ。
●手負蛇(ておいへび)
与次郎たち仲間内三人を集めて、巡査の矢作剣之進は「蛇というものは、果たしてどれ程活きるものなのであろう」と言い出す。なんでも、池袋の旧家が祀る蛇塚で男が蛇に噛み殺される事件が起きたのだが、その蛇は七十年間石函の中に閉じ込められていたのだとしか思えぬというのだ。
行き詰まった与次郎たち四人は一白翁の元を訪れる。話を聞いた一白翁はどこか嬉しそうな様子で事件を解き明かしてくれた。実は、一白翁は四十年前、当の蛇の祠を建てた場に居合わせていたのだという。祠を建てたのは事触れの治平で、封印の札を貼り蛇入りの石函を設置したのは御行の又市――。
一白翁は「祟りが生きていた」と意味の解らないことを言い、顔をほころばせる。
「手負蛇」というのは、蛇を半殺しにして放置しておくと夜に訪れて仇をなそうとするから、殺るならちゃんととどめを刺さないと駄目だよ~てな伝承。
おそらく、時系列としては今作収録の「山男」と「五位の光」の間の出来事で、百介からすると十六件目の仕掛け仕事(たぶん)。
百介が初めて又市に依頼した仕事だったというこの事件。又市が三十年以上前に仕掛けた“祟り”が、文明開化の世の中にまだ有効だったことに「不思議なものですねえ」「久し振りに懐かしい人に会うたような気がしましてねえ」と微笑む老いた百介が切ない。
●山男(やまおとこ)
武蔵野の野方村の大百姓の一人娘・いねが行方不明になり、三年後、高尾山の麓附近の村外れで幼子を連れた状態で保護された。幼子はいねの子で間違いないようだったが、父親が誰かを尋ねると途端にいねは錯乱し、六尺を超す裸で毛むくじゃらの大男に自分は拐かされたのだと述べた。
三年前、神隠しに遭ったいねを捜す山狩りの際には野方村の男が一人、高野山の麓で刺殺体となって発見もされている。果たしてこれは山に住まうという「山男」の仕業なのか?
巡査の矢作剣之進が与次郎らと共に一白翁の元に相談に訪れると、話を聞いた一白翁はどこか哀しそうな様子で、かつて自分が遠州秋葉山で遭遇した山男騒動について語り始める。旅の途中に御行の又市、御燈の小右衛門とともに遠州に着いた百介は、山男が人を助けたという話と、山男が娘を攫って人を殺したという話を耳にして興味を引かれ、又市を伴って二つの事件が起きた白鞍村を訪れる。そこで、一年前に攫われて行方不明になっていた娘・お千代を洞穴の中の牢屋で見つける。その近くにはなぎ倒された巨木の下敷きとなった三人の男の死骸があった――。
「山男」というのは、まぁ、深山にいる鬼のような姿の大男。喋ったりはしないが、ときには村人を助けてくれたり力自慢をすることもあるってな伝承。
時系列としては、今作収録の「天火」の後の出来事で、百介からすると十五件目の仕掛け仕事ですね。
このお話では百介と一緒に住んでいる遠縁の娘だという小夜が一気に存在感を増しています。あまりに悲痛な事件を前に、真相を明かすかどうか迷う百介の背を小夜が押してくれるのですね。
このお話では時代によっての対処の違いが明確化されています。幕末の頃ならば仕掛けを用いての八方丸く収める方法も通ったが、文明開化の世では「理由はどうあれ、人殺しは罪」。顛末を明らかにして、罪人は正しく裁かなくてはならない。
そう在ってしかるべきだと思いつつも、百介は妖怪が役に立たなくなった世に淋しさを覚える。それは「巷説百物語」「続巷説百物語」と読んできた読者も同様ですね。
●五位の光(ごいのひかり)
摩訶不思議なる事件を次次に解決したことで「不思議巡査」として異名を取るまでになった巡査の矢作剣之進。その評判を聞きつけた元公卿の由良公房から、剣之進はある相談を持ち掛けられる。
四十年か五十年近くも昔、まだ三四歳の童であった由良公房卿は、山中で光る女に抱かれていた。女は公房卿を父親の胤房卿に抱き取らせ、その後大きな青鷺となって燐光のようなものを発しながら飛び去ったという。童の頃の曖昧な記憶であるため、公房卿自身も勘違いか妄想であろうと思っていたが、二十年後に信濃国を訪れた際に記憶と同じ場所を見付け、その地で再び光る女と出会ったというのだ。女の横には漆黒の塊であるような男が立っていた。漆黒の男は自らを八咫烏と名乗り、公房卿に此処は決して踏み込んではならぬ場所と告げた後、またしても青鷺に変じて飛び去ったという。
与次郎と剣之進から相談を受けた一白翁は「八咫烏」と聞いて動揺した様子を見せ、与次郎にかつての体験談を語り始める。それは、一白翁こと山岡百介が又市を手伝った最後の仕掛け仕事だった――。
「五位の光」という鷺の名は、五位の位階を鷺が授かったという故事からのもの。この鷺は夜発光してあたりを照らすのだとか。
時系列としては、シリーズ第二弾『続巷説百物語』に収録されている「老人火」の出来事の前で、百介からすると十七件目の仕掛け仕事ですね。
「八咫烏」「青鷺」のワードが出て来て、前作の「老人火」を読んでいるだろう読者はテンションが上がる。【百鬼夜行シリーズ】
との繋がりがある事柄も出て来て、京極夏彦ファンとしてはこれまたテンションが上がるお話。
元公卿の由良家は『陰摩羅鬼の瑕』
で登場する一族で、健御名方の頭骨を御神体として崇める「南方衆」は『狂骨の夢』に登場する〈汚れた神主〉たちですね。
又市が施した仕掛けが、昭和の世に起きた事件に影を落としていたことが解る仕組み。又市さんは罪深いお人ですよ。
このお話では少なくとも又市が二十年前までは確りと生きて、かつてと同じように狂言芝居をしていたことが発覚。自分が関わったことには、最後まで関わり続けるという又市の在り方を改めて知らされ、百介は自分のことも何処かで見ていてくれたのだろうかと涙を流す。
●風の神(かぜのかみ)
由良公房卿の子息・由良公篤が主催する孝悌塾の門下生たちの間で、化け物が本当に存在するか否かの議論が巻き起こり、それを確認するために百物語怪談会をしようという成り行きになった。ついては、百物語の正しい作法を教えてくれと公篤卿は父の公房卿を通して「不思議巡査」こと矢作剣之進に相談を持ちかける。
剣之進から話を聞き、与次郎は一白翁の居る九十九庵を訪れるが、庵には和田智弁という僧侶の先客がいた。和田智弁は一白翁と一緒に住んでいる娘・小夜の命を救った恩人であるという。
和田智弁が帰った後、与次郎はこの度の百物語怪談会について一白翁に意見を求めた。話を聞いた一白翁は与次郎に、自分にもその百物語怪談会で怪異を語らせてほしいと申し出る。さらには、ある人物を百物語の席に招いてはどうかと推薦してきた。
九十九の怪異が語られ、最後の百話目、一白翁は「風の神」という話を語る。語り終わった後、引き起こされる怪事とは――。
「風の神」というのは、風に乗じて所々を廻り、人を見ると黄色い風を吹かせてくる。この風に当たると疫病による熱病を患ってしまうてな伝承。
十九件目、百介にとって正真正銘、最後の仕掛け仕事です。
シリーズ第一作目「小豆洗い」での百物語から始まった物語は、百物語によって終わる。
今まで百介が体験してきた巷説が語られ、仕掛けは「小豆洗い」とほぼ同様のもの。これ以上なく完璧で、完全な最終話となっていますね。
ここで登場する和田智弁は【百鬼夜行シリーズ】の『鉄鼠の檻』と関わりのある人物。
由良公房卿が遭遇した青鷺、この百物語怪談会でのエピソードは『百鬼夜行-陽』に収録されている「青行燈」でも触れられています。
以下ネタバレ~
小夜
四十年前、「老人火」での一件以降、百介は死んだように生きてきました。それほど百介の中では又市達と過した数年は“生きた”日々だった訳です。菅丘李山の名で戯作を開版し、生駒屋でほとんど閉じこもった生活を送っていた百介の前に、元治元年になって小夜が現われる。
小夜は幼い頃は母・りんと共に漂泊する山の民として生きていた娘でしたが、八歳の時に母が山中で暴漢に殺害されてしまい、遺体の横で衰弱していたところを臨済宗の貫首である和田智弁に保護されたのですが、小夜が首から提げていたお守り袋の中には百介の戯作の奥付が入っており、そこには又市の字で「信用出来るご仁也。窮した際は頼るべし。からす」と記されていた。
“頼れ”と記されていたことに胸が熱くなり、百介は小夜を引き取って育てることにする。そうして禅師に連れられてやって来た幼い娘・小夜の顔はおぎんに生き写しでした。殺害されたりんはおぎんの娘で、小夜はおぎんの孫なのだと百介は悟る。
又市達と過した日日。その時期が虚構ではなかったことを、小夜の存在は何よりも雄弁に示してくれる。生きているのか死んでいるのか判らない、いや、死んでいるようにただ生き永らえている百介にとって、小夜は大事な宝物なのである。
そんな訳で、生駒屋を出て九十九庵で小夜と共に十年以上暮らしてきたと最終話の「風の神」で明かされています。
おぎんに子供というのも驚きですが、果たして子供の父親は誰なのか・・・おぎんの娘であるとして、りんはどのような経緯で山の民として生活していたのか・・・非常に気になるところですが、今作では分からずじまいです。
しかし、又市が深く関わっていることは間違いない。じゃあ、あの後又市とおぎんが・・・?う~ん。どうなのでしょう。
百物語とは
中途半端のどっちつかず。筑羅が沖の態。
虚構と現実の真ん中あたりに、どっちつかずの場を作る。
そうした呪術が百物語です。
と、百介は語る。
百介はシリーズ内でずっと、彼方と此方、表と裏の境界で迷う人物として描かれてきました。表の世界に完全に腰を据えることが出来ず、裏の世界に惹かれるものの、完全に一線を踏み越える覚悟はない。
「老人火」での一件で又市達と別れた百介は、自分は裏の世界で生きることは出来ないのだと決定的に思い知らされ、以後、生きてはいるけれど、どこか死んだように四十年もの時を過してきた。
又市達と過した一時期に於いては、百介自身が百物語だったのだ。百介の前で又市達が騙る度、どっちつかずの筑羅が沖は彼岸に揺れ此岸に戻った。そうして次次と怪異が生まれた。
怪を語れば怪至る。将にそうだったのだ。
百物語本の開版を夢見て諸国を巡って怪異端を蒐集していた百介ですが、戯作を開版して物書きになったものの、結局百物語本は開版しませんでした。
自分で見聞きしたものごとでも、書き記してしまえば物語。
百物語自身であった百介は、百物語を終えるのが厭で、思い出の中で保留していたのですね。
最後、百介は百物語怪談会で又市達との体験を語ることで“物語”にし、幕を閉じる。百介の百物語は今作『後巷説百物語』で完全に完結となります。
終わり
この『後巷説百物語』は八十過ぎの老人となった百介の昔語りの態で展開していく本。百介は達観した老人になっているし、又市達は昔話の登場人物として語られるだけで、又市以外の他の一味は台詞もまともにない。くわえて、文明開化の世で妖怪は不要となりつつあるなど、シリーズを読んできた読者としてはこの本全体がなんとも淋しいものだと感じることと思います。
しかしながら、今作は単に置いていかれた老人の回顧譚で終わってはいない。ただの“お話のなかの人”だった又市は「手負蛇」「山男」「五位の光」と徐々に現実の人物として浮上し、「風の神」で現世に立ち現れ、最後の仕掛けである百介の百物語の片をつける。
何ともいとおしく、あたたかで感慨深いラストは思わず泣けてきてしまいます。
「妖怪てェのは、土地に湧くもの時代に湧くもの。場所や時世を間違えちゃ、何の役にも立ちゃしないのサ。御行の又市は妖怪遣いで御座んしょう。ならばこの時世に相応しいモノを遣うに決まっている」
憑物は憑けるだけでなく、落とせなくてはならない。「妖怪遣いの物語」の後は「憑物落とし」の物語へ。
ここに至って【百鬼夜行シリーズ】と関連する事柄が出てくるのも、時世への繋がりが示されているということなのでしょうかね。
百介はここで退場となりますが、妖怪遣いの物語はまだまだ広がり続けます。シリーズの時系列では最終となる『後巷説百物語』の次は、妖怪遣い誕生の“始まりの物語”『前(さきの)巷説百物語』へ、いざ!
ではではまた~
- 価格: 924 円
- 楽天で詳細を見る