夜ふかし閑談

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『西巷説百物語』7編 あらすじ・解説 シリーズ第五弾。靄船の林蔵、西での仕掛け仕事とは?

こんばんは、紫栞です。

今回は京極夏彦さんの『西(にしの)巷説百物語をご紹介。

 

西巷説百物語 「巷説百物語」シリーズ (角川文庫)

第24回柴田錬三郎賞受賞作。

 

上方の狂言仕事

『西巷説百物語』は巷説百物語シリーズ】の第五弾。

「続」、「後」、「前」ときて、次は何だ?と、思いきやまさかの「西」。「東西できたか~」と、発売当時に虚を突かれた気分になった思い出・・・そんなのは私だけだろうか(^_^;)。

 巷説百物語シリーズ】は、江戸時代を舞台に、御行の又市率いる一味が、公には出来ぬ厄介事の始末を金で請け負い、妖怪譚を利用した仕掛けで解決させていく妖怪小説のシリーズ。

 

前四作は本によってそれぞれ視点や構成は違うものの、いずれも又市の仕掛け仕事を描く物語でしたが、今作で描かれるのは又市ではなく、又市のかつての相棒・靄船の林蔵が仕掛ける狂言芝居です。

 

靄船の林蔵は又市の朋輩で、義兄弟の杯も交わした古い仲。“御行の又市”誕生物語であるシリーズ第四弾『前巷説百物語で主要人物の一人として登場しています。

 

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『前巷説百物語』の終盤で又市と別れて上方(大阪)へ戻った林蔵が、時を経て一文字屋仁蔵のもとで再び狂言仕事を始める。今作は上方、西での仕掛けが描かれる物語となっていて、いわばシリーズのスピンオフ的なものとなっていますね。

 

『前巷説百物語』の最終話「旧鼠」から十数年経っていて、シリーズ全体の時系列では巷説百物語収録の「帷子辻」の前後にあたる。

 

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 因みに、林蔵がシリーズで初めて登場するのはこの「帷子辻」。「帷子辻」は又市が仕事のために大阪に呼ばれる話なので、上方を拠点とする一文字屋メンバーが出て来ているんですね。【巷説百物語シリーズ】は時間軸がバラバラに展開される構成になっているので、振り返って繋がり方を確認するのもまた一興。

 

※シリーズの年表について、詳しくはこちら↓

 

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そんな一文字屋メンバー、林蔵と組んで仕事をするのは、死人芝居を得意とする六道屋の柳次、何処にでも入り込み何にでも化ける横川のお龍に、前四作品の中でも度々登場する祭文語りの文作無動寺の玉泉坊、上方の小悪党を束ねる一文字屋仁蔵など。『前巷説百物語』でも少し触れられていますが、これらの二つ名は比叡山七不思議から採られています。

上方が舞台なので、江戸時代の活き活きとした関西弁が愉しめるのも見所。

 

シリーズお馴染みの江戸の面々も登場しており、どのように上方仕事に関わるのかもシリーズファンにとってはお楽しみポイントですね。

 

 

 

 

 

 

各話、あらすじ・解説

 

『西巷説百物語』は全七篇収録。

 

巷説百物語シリーズ】で題材として採られている妖怪たちは全て、天保12年(1841年)に刊行された画・竹原春泉、文・桃山人の『絵本百物語』から。

 

 

※以下、若干のネタバレをふくみます~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●桂男(かつらおとこ)

裸一貫から昇り詰め、財を築いた傑物の商人・杵乃字屋剛右衛門。

銭と立派な屋敷を持ち、家族も達者で奉公人にも恵まれ、身体の不調もない。満ち足り、倖せを噛み締めて、そろそろ隠居しようと考えていた剛右衛門であったが、一人娘・お峰に縁談が舞い込み、頭を悩ませる。

相手は尾張でも指折りの廻船問屋である城島屋の次男坊。お峰を何処で見初めたものか、嫁に欲しいと剛右衛門宛てに文を送って来たのであった。

降って湧いたような良縁を訝しむ剛右衛門に、大番頭の義助は巷で耳にした城島屋の悪い噂を聞かせる。これは城島屋のお店乗っ取りのいつもの手口であると。義助は縁談を思いとどまるよう剛右衛門に諫言するが、義助の弱気に腹を立てた剛右衛門は「呑みに掛かって来たら呑み返せばええ」と怒鳴りつける。その勢いのまま、この縁談を進めることを決意するのだが――。

 

「桂男」は、月の中の隈、クレーターですね。兎が餅つきしているように見えるだとかが一般的ですけど、これが俗に桂男といって、満月じゃないときに月を長く見ていると桂男に招かれて命を縮めることになるよってな伝承。

 

時期としては、『巷説百物語』収録の「柳女」と、後巷説百物語収録の「赤えいの魚」の間ぐらいのお話。

 

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もう十分すぎるほど成功したし、倖せだし、隠居する。と、なんとも謙虚というか、欲がなさそうな剛右衛門ですが、お話が展開されるにつれて商魂の逞しさ、強欲さが露わに。「月ぃ眺めとったらあきまへんで」と冒頭で林蔵が言いますが、商売のことばかり、上ばかりを見て、下のこと、過去を振り返ることをしなかった男の顛末が描かれる。

仕掛けに関しては「そんなバカな」って思うところですけども、剛右衛門のように無意識的に見たくない物をまったく見ないで長年過してきた人物なら、そんなバカなことも本当にあるかもしれない。

 

思い出すヒントや、悔い改めるきっかけを何度も仕掛ける側に与える、靄船の林蔵のやり口が分かりやすく示されているお話となっています。

 

 

 

 

●遺言幽霊 水乞幽霊(ゆいごんゆうれい みずこいゆうれい)

両替商小津屋の次男坊・貫蔵が頭痛に苦しみつつも目を醒ますと、見知らぬ者達に囲まれていた。訊くと、貫蔵は三月前に突如倒れてからずっと、意識を失って生死の境を彷徨っていたらしい。

貫蔵には倒れた時の記憶は無かった。覚えているのは、小津屋に押し込みが入って兄が殺されたこと、それで跡目で揉めて父親と喧嘩し、勘当されて店を飛び出したところまで。

しかし、それは貫蔵が三月前に倒れるよりも前、一年余り前の出来事であるという。その間に勘助は父親から跡目を譲られて店の主となったが、押し込みが銭とともに盗んでいった預かり物の茶碗のせいで店はあっという間に左前となり、父は首を吊って自害、顔なじみの奉公人たちも次々に去ってしまったのだという。

混乱する貫蔵に、縁あって小津屋の商売を手伝っていた帳屋の林蔵は「こら祟りや、禍いですわ」と囁くが――。

 

「遺言幽霊 水乞幽霊」とは、遺言し損ねて死んだ者、死に水を飲まされないで送り出された者が、幽霊となって迷うというもの。

 

時期としては、『後巷説百物語』収録の「赤えいの魚」の後ぐらいですね。

 

古典ミステリでよくあるトリックが用いられている狂言仕事。仕掛け方の規模(?)が大胆ですねどね。

このお話のターゲットである貫蔵は、あからさまに嫌なヤツというか、短気で僻みっぽい人物として描かれています。しかしながら、貫蔵が父親や兄弟に向ける鬱憤などは読んでいると同調してしまうものがある。思春期など、こういった思考に陥りやすいのではないかと。とりあえず僻んでみるみたいな。貫蔵の場合はこじらせまくって行くところまでいってしまったのだなぁと。

結末を読むと貫蔵の父はだいぶ人間ができているような印象を受けますが、これまでの次男への接し方にはやはりよろしくない部分があったことは確かなのでしょうね。仕掛けも結末も、父親にとっては大変厳しいものとなっています。

 

 

 

 

●鍛冶が嬶(かじがかか)

土佐の刀鍛冶・助四郎は、藁にもすがる思いで大阪の大きな版元の主である一文字屋仁蔵の元を訪れた。

旅の六部である又市に「何とも為難き困りごとの相談に乗ってくれる」と紹介され、半信半疑ながらも土佐からやって来た助四郎は、一文字屋に「女房が、入れ替わってしまったのじゃ」と相談する。

助四郎の妻・八重は、ある日いきなり笑わなくなり、鬱ぎ込んで口も利かず、飯も食わなくなった。女房を大事に思い、日々出来る限りのことをして尽くしてきた助四郎は、八重が鬱ぎ込む理由はなに一つないはずだと断言し、「あれは、多分――狼が化けておるのです」と言い出す。

助四郎の家は代々、狼の墓守であるという。村人に狼の子孫だと疎んじられていた助四郎の孤独な暮らしや心持ちを変えてくれたのは八重だった。八重は助四郎の唯一の支え。なんとか女房の“中身”をもとに戻して欲しいと助四郎は懇願するが――。

 

「鍛冶が嬶」は、土佐の鍛冶屋の女房を狼が食い殺したところ、死んだ女房の霊が狼に乗り移って人を襲うようになったとかいう伝承。

 

時期としては、「遺言幽霊 水乞幽霊」から二ヶ月ほど経った春の出来事

 

依頼人の助四郎は又市の紹介でやって来たということで、読者としては又市の名が出てテンションが上がってしまうところ。又市が助四郎と出会ったのは、『続巷説百物語に収録されている「船幽霊」の騒動で土佐に行っていた時ですね。

 

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田舎者の小心者で、愛妻家の真面目な依頼人。前の二話よりも和やかな雰囲気で始まりますが、結末はとんでもなく恐ろしくって悲惨。最初と最後での落差が激しいお話。

この世になるものは皆、毒。良薬も匙加減を間違えれば毒薬で、情愛も掛け過ぎれば毒となる。なんでもやり過ぎは良くないってことですね。

 

 

 

 

 

●夜楽屋(ゆるのがくや)

人形浄瑠璃人形遣い名人・藤本豊二郎。ある日、いつものように楽屋へ赴くと、そこは荒れ放題になっており、己が操る人形である塩屋判官の首が割れて転がっていた。

芝居の関係者は口々に「また人形争いだ」と騒ぎだす。この楽屋では八年前にも人形が動いて争ったのだとしか思えぬ怪異が起きており、それによる死人も出していた。

壊れてしまったものはしょうがない、人形の首を替えて興行を続けようと周りは説得するが、豊二郎は「この首じゃなければ興行は出来ない。自分は降りる」と頑なに言い張り、まったく聞く耳を持たない。

埒が明かず、座元に掛け合って興行を止めにしてもらうしかないかとなっていたところに帳屋の林蔵が現われ、「寸分違わずに、その首と同じものを拵えることが出来る人形師が居る」と言い出す。

半信半疑ながらも、豊二郎はその人形師に会わせてくれと懇願するが――。

 

「夜楽屋」は、夜の楽屋で『仮名手本忠臣蔵』の演目で用いられる浄瑠璃人形の高師直と塩屋判官が争っていたという怪異。

 

時期は「鍛冶が嬶」の後で、同じく春の出来事

 

人形に魂が入って勝手に動くという怪異は、今も世界各地にありますよね。人の姿を模しているとあって、そういった得体の知れない怪しげな魅力が人形にはあるのですかね。

このお話は、人形遣いのはずが、“人形に遣われてしまった”男の物語。「人形はモノや。モノには心なんぞない。心のないモノに操られたら、人は狂うで」と、いう訳ですね。

この度の裁量は甘いのではないかってな気がしますが、依頼人の意向ということで。芸を守ることが恨みを晴らすことよりも大事ってのは、如何にも芸人気質。そんなものですかねぇ。

 

人形話ってことで、人形師である御燈の小右衛門がゲスト的に登場して重要な役どころをしています。と、いうか、この仕掛け仕事は小右衛門がいないと到底出来なかった代物ですね。やっぱり小右衛門は格好いいというか、いいとこ取りする人物だなぁと思う(^_^;)。

 

 

 

 

 

●溝出(みぞだし)

十年前、寛三郎が故郷の村に戻ってくると、そこは阿鼻叫喚の地獄と化していた。美曽我五箇村は疫病に襲われていたのだ。あまりに酷い状況を見かね、寛三郎は疫病で果てた屍を村外れの野原に集め、積み上げて焼いた。

日々屍を厚め、燃やし続ける寛三郎の姿は鬼のようだとも謗られたりもしたが、この行動によって次第に疫病は治まり、寛三郎は村を救った恩人だと村人から敬われ、村で一番の有力者となった。

十年が経ち、寛三郎が屍を焼いた野原は荼毘ヶ原と呼ばれるようになっていた。最近になって、その荼毘ヶ原に幽霊が化けて出ると噂になっているという。「村人は不安がっている。一度、ちゃんとした供養をしよう」という提案に対し、坊主嫌いの寛三郎は「莫迦莫迦しい法螺話だ。そんなことをしても銭の無駄だ」と取り合わないでいたが、その幽霊が男と女の二人連れだと聞き、僅かに動揺し始める――。

 

「溝出」は、貧乏人の遺体の始末に困り、葛篭に入れて捨てたところ、その死骸が骨と皮に分かれて歌い踊り出したとかいう怪異。「遺言幽霊 水乞幽霊」と同じで、死人はちゃんと供養して送り出さないとダメだよという伝承ですね。

 

「夜楽屋」の後、夏の出来事ですね。

 

前の四話からのパターンに慣れてそのまま読んでいると、意外な真相に驚かされる。これもまた推理小説的な仕掛けですね。明らかになる真相は償いようもない酷いものですが、このような行動を起した理由はハッキリと明かされないままに終わっています。ま、動機ってのは周りが後から勝手につけるものだというのは百鬼夜行シリーズ】で繰り返し言っていることではありますが。大罪のスケール(?)に驚かされる。

寛三郎が最後にとった行動も謎のままで、まるで死霊に導かれたかのような怪談チックな結末となっています。

 

 

 

 

 

●豆狸(まめだぬき)

造り酒屋「新竹」で、売り上げの勘定が少額合わないという出来事が頻発する。不思議がる店の主・与兵衛に、奉公人たちは「これは豆狸の仕業ではないか」という。豆狸は酒蔵の守り神みたいなもので、居つくと良い酒が造れるともいうらしい。

釈然としない与兵衛にであったが、客である林蔵から「豆狸は子供に化けて酒を買いにきて代金をちょろまかしたりもする」と聞かされた直後、最近になって店にいつも遣いで酒を買いに来る男の子がいると知る。その子が帰った直後、銭箱の中を確認してみると、受け取った銭は紅葉に変じていた。

あの子が豆狸だったのか――と、奉公人と居合わせた客は驚きながらも納得するが、子供の身形を聞くなり与兵衛は「豆狸なんかじゃない。その子供は亡魂だ」と激しく動揺するが――。

 

「豆狸」は小さな狸。酒造の守り神といわれたり、人に取り憑いたり、小雨降る夜にかぶり物して肴を求めて出て来たりする・・・などなど、色々と伝承があるのだそうな。

 

時期としては、『巷説百物語』収録の「帷子辻」の後になります。

 

こちらのお話はこの本の中では毛色が異なる代物。林蔵たちが仕掛けをする意図もこれまでとは違っており、決めゼリフの「これで終いの金比羅さんや」も言わないし、読後感も穏やかで、心から「良かったね」という気持ちになれるお話になっています。

真面目で善人で不器用。良いことは全部他人のお陰、悪いことは全部自分の所為。他人を恨むことをまったくしないとはなんとも見上げた人ではあるのでしょうが、近くにこんな人が居たら「そんなんじゃパンクするよ。ちょっとは毒吐いても良いのに」と、歯がゆくなるかなと思う。

 

 

 

 

 

●野狐(のぎつね)

半月ばかり前から、上方では怪しき巷説が広まっていた。数多の巷説、その変事が起きた周辺では、何故かいつも林蔵という名の男の噂が立っている。

口の端に人を乗せ、嘘と真をくるりと入れ替え、何処とも知れぬ処まで連れ去って、手玉に取ってしまう男――靄船の林蔵。

十六年前、お栄の妹・お妙はその靄船の林蔵のせいで殺された。その後、林蔵は上方から姿を消し、消息は分からずじまいに。いつしか考えることもなくなっていたのだが、噂を耳にし、上方に靄船の林蔵が舞い戻ったのだと確信したお栄は、罠を仕掛けることを思い立ち、一文字屋にある人物の殺害を依頼するのだが――。

 

「野狐」は、絵本百物語だと「狐が提灯の火をとって蝋燭を食べることは今もよくあるよ」といった説明が書かれている。野狐は狐の中でも一番位の低いもののことを指すらしい。「野干」ともいわれ、祟るし取り憑くし、一度取り憑いたら末代まで離れない性質の悪さだとか。

 

前作『前巷説百物語』で、又市は林蔵の“しくじり”に付き合って上方に居られなくなり、一緒に江戸まで流れたという経緯が語られていました。『前巷説百物語』では、林蔵が仕事に巻き込んだ所為で、惚れた女が殺されてしまったという説明が少し出て来ただけでしたが、このお話でその事についての、十六年前にあった事件の詳細が明らかとなります。

 

後巷説百物語』収録の「天火」の後に位置するお話で、又市たちが仕事で大阪近辺をうろついていたころの出来事。そんな訳で、「鍛冶が嬶」では名前が出て来るだけだった又市がこのお話ではガッツリと登場してくれています。「御行奉為――」も言ってくれるサービスぶり。又市だけでなく、山岡百介も一章丸ごと登場してくれています。百介はシリーズ第三弾の『後巷説百物語』で退場した感があるので、こうやって出て来てくれると嬉しくなりますね。

 

このお話で描かれているお栄は計算高い欲得ずくの女ではあるのですが、後悔の念があるくせに強がって悪ぶろうとする姿が哀れで痛々しい。誰も居なくなった後、大声で吐露する内容がとても悲しくて、同情の余地は無いはずの女なのだけども、読んでいると辛くなる。

 

林蔵は本当に罪な男ですね。こんな事ばっかりあると恋をする気もなくなるというものです。

「お前の所為だぞ」とか「いい加減懲りろ」とか散々言った後、「林蔵、手前大丈夫だな」と、最後に念を押す又市の態度には、口が悪いながらも悪友への思い遣りが溢れていて良いですねぇ。

 

上方メンバー総掛かりで、又市、百介、小右衛門ら江戸の面々も巻き込んでの狂言仕事。最終話に相応しいお話となっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人間の業

巷説百物語シリーズ】は基本的に一話完結型の連作ですが、本によって各話の仕掛け仕事の描き方が異なります。

巷説百物語』は様々な視点から話が成り立つ構成、『続巷説百物語』は観察者である百介の視点、『後巷説百物語』は回顧録形式、『前巷説百物語』は仕掛ける側の又市視点。

第五弾である今作『西巷説百物語』は仕掛けられる側の視点で描かれています。種明かしとなる「後」の章は林蔵の語りになっていますが、仕掛けが始まって終わるまは“仕掛けられている側”視点のみというシンプルな構成になっていて、その人物の心の揺れ動き、「業」がまざまざと描かれる。まさに京極節炸裂の描き方となっています。

 

雰囲気としては、【百鬼夜行シリーズ】のアナザーストーリー集である百鬼夜行-陰』『百鬼夜行-陽』に近いですかね。

 

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この『西巷説百物語』で描かれる人々はいずれも業が深く、罪を抱え、囚われて“外れてしまった”、憑き物に憑かれてしまった人たち。

この人たちは完全に善意や悔いる気持ちを無くしてしまっている訳ではない。ただただ強がって、意地を張り続けて、引き返す機会を悉く逃してしまう、愚かで仕様もないけれども、悲しくてやり切れない人たちばかりです。

 

己を化け物と思うてしまったならば、もう歯止めは利かなくなってしまう。そんな気がする。汚らしく穢らわしく悍ましい化け物は、己の中に確かに居る。居るけれど、見て見ぬ振りをする。そうしなければ生きては行けぬ。

 

選ぶべき正しい道がわかっているのに、違う道へ進んでしまう。【巷説百物語シリーズ】のテーマである「人は哀しいもの」というのが、より身近に実感出来る本となっているかなと思います。

 

 

 

 

 

靄船の林蔵

靄船とは、死人が操る亡者船のこと。その亡者船は、靄に紛れ霞みに乗って、いつの間にか比叡の山に上るのだと伝えられるのだとか。

舌先三寸口八丁の嘘船に乗せ、気付かぬうちに相手を彼岸に連れて行く――それが今作の主役である靄船の林蔵の遣り口。

 

今作で林蔵が引く図面は、どれも六道屋の柳次による死人芝居が主となっています。だいたいが、亡者を蘇らせて見せて、相手の反応を伺うというものですね。

仕掛けている最中、林蔵は何度も「ここが勘所や」「ほんまにええんですな」「お心に嘘はないんやな」と相手に念押しする。執拗に確認することで、相手に引き返すチャンスを何度も与えているのです。しかして、どいつもこいつも林蔵の与えるチャンスを棒に振ってしまう。そこらへんが業が深い人ってことなのでしょうが。

何度も試した上で相手を見定め、見切って、引導を渡すのが林蔵の遣り方。「これで終いの金比羅さんや」という決まり文句は、相手への最終宣告なんですね。

 

又市は妖怪譚を利用し、憑物を憑けることで八方を丸く収めるという化物遣いですが、林蔵の仕掛け方は相手の中にあるモノを妖怪に仮託して解き放つという、どちらかというと百鬼夜行シリーズ】の中禅寺がする憑物落としに近いものです。

 

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「妖怪は鏡のようなものですよ。疾しい気持ちがあれば枯れ尾花も幽霊に見える。怯えていれば古傘も舌を出す」

 

妖怪を遣って己の姿を見せつけることで罪と向き合わせ、終いにする。又市とはまた違う片のつけ方で、見方によっては怖い遣り方ですね。だからこそ何度もチャンスを与えているのでしょうけど。

 

若造だった頃、『前巷説百物語』での林蔵は情にもろく、女に弱いお調子者という感じでしたが、十年以上の時が経ち、今作の『西巷説百物語』では慎重で確りした、女にはモテるがつれない色男となっています。

読者としては、前作で又市に泣き言を言って萎れていた姿が強く印象に残っているので、今作を読むと「あれ?林蔵ってこんなに格好良かったっけ?」と、なる(^_^;)。ま、度重なるしくじりで惚れた女を二人死なせたのに懲りての変化なんでしょうね。

 

 

 

 

遠くへ!

この本の最終話「野狐」で、結果的にまたも自分の所為で女を死なせる事となってしまい、またも懲りた林蔵は一箇所に長く居すぎたと大阪を去って行く。

 

これで終いの。

金比羅さんやで。

ほな、さいなら。

 

と、この本は終わっていますが、林蔵にはまたシリーズに登場して欲しいものです。退場していた百介にもこの本でお目にかかれたし、林蔵の再登場もシリーズが続く限りは期待できる・・・はず!

 

2021年7月刊行予定、次なるシリーズ第六弾は『遠巷説百物語

 

 

果たして「遠く」でどのような巷説が語られているものか。

シリーズ五作を読み返し振り返り、記事を書いて、整理もし終わった。改めて素晴らしいシリーズだという思いが溢れている状態であります。私の新作を読む準備はこれで万全となりました。

『遠巷説百物語』、刊行が楽しみで仕方ない(^_^)。読むのが待ち遠しいです!

 

 

 

ではではまた~