夜ふかし閑談

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『ライ麦畑でつかまえて』は何が「人気」「怖い」のか?ネタバレ考察

こんばんは、紫栞です。

今回は、『The catcher in the rye』について少し。

ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)

 

永遠の青春小説

『The catcher in the rye』は1951年に出版されたジェローム・デイヴィッド・サリンジャーの長編小説。日本だと野崎孝さん訳によるライ麦畑でつかまえてというタイトルで有名ですね。内容は分らなくとも、この日本語タイトルだけは知っているという人も多いかと思います。長らくこの野崎孝さん訳によるものが君臨していましたが、2003年に村上春樹さん訳のものが同じ白水社から刊行されまして、今手に入れやすいのは村上春樹翻訳のもののほうになっているかなと思います。

 

 

私は「ライ麦畑でつかまえて」って書かれたあの有名な青い本の方でどうしても読みたかったので、野崎孝翻訳のものを読みました。

 

若者に絶大な支持を得るなか、アメリカでは学校の図書室から追放、禁書扱いされ、80年代にはジョン・レノンを殺害したマーク・チャップマンが警察に捕まるまで殺害現場で読んでいて、法廷で作中の一節を読み上げたこと、レーガン大統領殺害未遂事件を起したジョン・ヒンクリー、女優のレベッカ・シェイファーを殺害したロバート・バルドもこの本を愛読書にしていたなど、よろしくない話題も手伝って売れ続ける作品であり、近年の日本では、攻殻機動隊S.A.C』『サイコパス』『バナナフィッシュ』『天気の子』など、数々のアニメ作品で題材として使われてまた興味を持たれるようになりました。

 

私も、既に若者ではないのにこの青春小説を読もうと思ったのは『攻殻機動隊』や『バナナフィッシュ』を好きで観ていて気になったからなんですが(^_^;)。読んだ後だと、『攻殻機動隊S.A.C』には特に多数の引用があるのに気がつく。赤い帽子とか、秘密の金魚とか、左利き用のキャッチャーミットとか・・・。全体を通して描かれる笑い男事件」の“笑い男”もサリンジャーの短編小説からとられていますしね。

『バナナフィッシュ』は最終回のサブタイトルが「ライ麦畑でつかまえて」になっていて、全体的にサリンジャーの小説を意識したものになっています。そもそも、『バナナフィッシュ』というタイトルも、サリンジャーの短編小説『バナナフィッシュにうってつけの日からとられていますし。

 

 

個人的に、一話のサブタイトルが「バナナフィッシュにうってつけの日」で、最終話のサブタイトルが「ライ麦畑でつかまえて」なのが凄く洒落ていて良いと思う。

『天気の子』では、主人公がこの本を持ち歩いている描写があります。『サイコパス』は私、観られていないのですが、一期の最終回の決着場面がライ麦畑で、この小説から着想を得たものとなっているようです。

 

どのアニメ作品も、「社会全体と個人との対立」の象徴としてこの本が使われている感じですね。制作者側が影響を受けているってことなのでしょうが、その制作者が制作したものを観て、また影響を受ける人がいると。

そんな具合に、出版から70年以上経ってもなお、時代を越えて影響を与え続ける世界的ベストセラー、永遠の青春小説が、この『ライ麦畑でつかまえて』ですね。

 

 

 

 

 

以下ネタバレ~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何が「怖い」「人気」?

タイトルだけだとどんな話か見当も付かないだろうと思うのですが、実はあらすじらしいあらすじは無いというか、「どんなストーリー?」と聞かれても、説明するのに困ってしまう内容になっています。

 

主人公は16歳の少年であるホールデン・コールフィールド。コールフィールドは西部の町にある病院で療養中、誰かに(もう読者にって解釈でいいのかもですが)去年のクリスマス前に体験した事を語っていく――訳なのですが、これが本当に脈絡もとりとめもなくって、成績不良で高校を退学処分になることとなり、スペンサー先生の家に行ってお叱りをうけるところから始まり、高校の寮の同室者・ストラドレーターや隣室者・アクリーと一悶着起したりした後、夜中に高校を飛び出し、ニューヨークに向かう道中でご婦人と話たり、着いたらナイトクラブで酒を飲んだり、おのぼりの女性グループにちょっかいを出したり、ベルボーイに娼婦を買わないかと誘われて応じたものの、気が滅入ってお喋りだけして帰したら、後で料金をぼられて殴られたり、女友達のサリーを電話で呼び出してデートするものの、突如の思いつきで「これから二人で田舎に行って自給自足の生活をしよう」と言ったら「非現実的なことを言わないで」と怒らせてしまい、ますます気が滅入ったので妹のフィービーに会おうと、両親に気がつかれないように家にこっそり帰ったりなんなりする。

 

と、ホールデンが思いつきでブラブラと気を滅入らせながら行動するのがダラダラと描かれる。普通、このようなまとまりのない文章を口語的文体で300ページ以上読者に読ませるのは難しいものですが、文章の上手さとホールデンの語り口調が妙に癖になってきてすんなり読めてしまいます。

 

しかし、この物語の何がそんなにウケているのか、なぜ人気があるのかというのは、読み終わってみてもよくわからない。ハッキリ言って、16歳のガキが社会や大人への不満をグチグチと語るのを延々読まされるだけですからね。

 

この本は今までに名だたる著名人や学者先生によって無数に考察されてきているので、今更どうこう言うのもアレなのですが、

 

 

誰でも大なり小なり共感できる主人公の心情と、“わからないけれども、わかる”ところが普遍の青春小説として読み継がれている所以なのかなぁと思います。

 

ホールデンは学校を退学処分になるのはこれが4回目。どの学校に行っても授業内容や教員、学校の方針などに批判的な態度を示し、反発心からボイコットしたりしてその度に放校になり、いつも親や教員を困らせる。社会に適合できない少年なんですね。

ホールデンからすると、大人や社会は“インチキ”だらけ。建前や礼儀的なものも欺瞞だと拒否するので、周りに溶け込めずに孤立していくと。

 

作中のホールデンほどではないにしても、「世の中が欺瞞だらけなんじゃないか」というのは、幼少期を過ぎて十代後半に入ってくると誰でも引っかかってくることなんじゃないかと思います。そういった事を受け入れて適応していくのが大人になる過程なんですけども、ホールデンはそんなふうに自分は染まっていきたくないと、16歳ながらに抵抗している訳ですね。このホールデンの心情がいつの時代の若者にも共感されるのだろうなと。

この本を読んで「つまらない」「中二病」といった感想を抱く人も多いですが、否定的な感想になるのは、いざ大人になってみて振り返ると恥ずかしくなってくるような”青春時代の痛々しい葛藤”を突き付けられるからじゃないかと思う。

 

殺人犯が愛読書にしていたことでも有名になった今作ですが、社会への反発心が強い人ほど共感してしまい、内容によくわからない部分が多いぶん、どうとでも都合良く解釈出来てしまうのが要因なんですかね。不満だらけのホールデンですが、社会に対して何かとんでもないことをしでかしてやろうなんてこともなく、むしろ切り離して自己に閉じこもろうとする内容なので、表面的には犯罪の誘発になるとは思えないのですが。共感のあまり「これは自分のことだ」となり、元々あった考えが全面的に肯定されているような気がして人によっては暴走してしまうのが、この本のとても怖いところなのか・・・も?

 

 

 

 

 

つかまえて

野崎孝さん訳による「ライ麦畑でつかまえて」というタイトルが日本ではもっとも親しまれている訳ですが、原題の『The catcher in the rye』は直訳すると「ライ麦畑で捕まえる者」となるはずなので、原題とは意味が変わってしまっている。訳者がこんな単純な間違いを大事なタイトルでするはずもないので、これはわざとそうしているというか、意訳ということになるのでしょう。

 

タイトルのライ麦畑が云々というのは、作中でのホールデンと妹のフィービーがする会話から採られています。

 

兄のことが大好きな幼いフィービーではありますが、ホールデンがまた学校を退学処分になったことを知り、呆れて「兄さんは世の中に起こることが何もかもいやなんでしょ」「兄さんはどんな学校だっていやなんだ。いやなものだらけなんだ。そうなのよ」と言い放つ。「そんなことない」と否定するホールデンに対し、フィービーは「じゃあ一つでも好きなものやなりたいものを言ってみなさい」と迫る。そこでホールデンが口にするのが以下の台詞。

 

 

「とにかくね、僕にはね、広いライ麦の畑やなんかがあってさ、そこで小さな子供たちが、みんなでなんかのゲームをしているとこが目に見えるんだよ。何千っていう子供たちがいるんだ。そしてあたりには誰もいない――誰もって大人はだよ――僕のほかにはね。で、僕はあぶない崖のふちに立ってるんだ。僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえることなんだ――つまり、子供たちは走っているときにどこを通っているかなんて見やしないだろう。そんなときに僕は、どっからか、さっととび出して行って、その子をつかまえてやらなきゃならないんだ。一日じゅう、それだけをやればいいんだな。ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ。馬鹿げていることは知ってるよ。でも、ほんとになりたいものといったら、それしかないね。馬鹿げてることは知ってるけどさ」

 

社会や大人には反発心むきだしで否定し続けるホールデンですが、純粋で無垢な存在である子供に対しては全面的に肯定的。ライ麦畑が社会だとすると、ホールデンは社会から落ちそうになる子供をつかまえる役をやりたいと、そう言っている訳ですね。

しかし、読者からみても社会から落ちそうになっているのはホールデン自身に思える。作中でホールデンは「ライ麦畑で会うならば」という詩を「ライ麦畑でつかまえて」だと思いこんでいるし、ライ麦畑でつかまえると言いながら、その実誰かにつかまえてほしいと望んでいるのはホールデンの方なんじゃないか。と、いうのが訳者の野崎さんが「ライ麦畑でつかまえて」と意訳した理由で、読んでみて私もそう思ったのですが、この意訳は誤訳なんじゃないかという意見も多いんだそうです。なので、村上春樹翻訳版だと、タイトルはカタカナでキャッチャー・イン・ザ・ライになっている。

 

しかし、間違っていてもなんでも、ライ麦畑でつかまえて』というタイトルは素敵すぎる。日本人の心を絶妙にとらえて離さないタイトルで、このタイトルじゃなければ日本ではこんなに多くの人を惹き付けられなかっただろうと思います。

 

   

 

 

 

しまいこむ

何をしても空回り、信頼していたかつての高校の恩師・アントリーニ先生の欺瞞をも見てしまったホールデンはますます気が滅入り、誰も自分を知らないところに行って、耳が聞こえず、話すことが出来ない人間のふりをして、閉じこもって暮らそうと決意する。(『攻殻機動隊』で有名な「耳と目を閉じ、口をつぐんで~」という一節はこの部分から。野崎孝翻訳より村上春樹翻訳の方が近い訳となります)で、妹のフィービーにお別れを言いに再度会いに行くのですが、フィービーはホールデンと一緒に行くと言い出す。拒否するホールデンとフィービーは一時険悪な空気になり、ホールデン「どこにも行きやしない」とフィービーに約束し、一緒に動物園に。雨の中、回転木馬に乗ってぐるぐる回り続けているフィービーを眺めていると、ホールデンは突然、とても幸福な気持ちになる。

 

ここまででホールデンの“去年あった出来事”の語りは終わりとなっています。この後、フィービーと約束した通り家に戻ったものの、病気になって病院で療養することになったのだけど、その過程を語る気はないというのですね。で、今まで語ってきたことをどう思っているのかは自分でもよくわからない。「僕にわかっていることといえば、話に出てきた連中がいまここにいないのが寂しいということだけさ」だから、「誰にもなんにも話さないほうがいい」と語ってこの物語は終わります。

 

主人公で語り手のホールデンが「わからない」と言っているように、読者もこの物語を読んでどう思ったらいいのかはよくわからない。わからないけれども、その“わからない”のがわかるって感覚が深く心に残る小説。

 

最後のホールデンの言葉もそうですが、作中では何度も「しまう」的な表現が出て来る。想っていることでもなんでも、言葉にしたり他人に見せたりして外側に出してしまうと嘘や“インチキ”になるといった具合です。

 

病院で療養中であるとされるホールデンですが、作中でハッキリと明言されてはいないものの、ホールデンは何らかの精神病を患って入院しているらしいと見受けられる。語り口も行動も情緒不安定な人物のソレだって感じで、最初サリンジャーが原稿を持ち込んだ出版社には「主人公が狂人の本は出版できない」と突き返されたらしいです。この小説を書いていた頃、サリンジャーは戦争帰りで、今でいう戦争後遺症に苦しめられていたようで、この小説にもその影響が強く出ているのかと。この本がベストセラーになった後、サリンジャーは本を数冊出したものの、人気絶頂の中で表舞台から姿を消してひっそりと暮らしたのだそうです。※伝記映画も出ています↓

 

 

このような作者の在り方からも、「社会を拒絶し、自己に閉じこもって生きる」という姿勢が貫かれている気になってくる。本物で純粋なものを“そのまま”にしておきたいなら、そうするしかない。大事にしまっておくしかね。

 

 

エンターテインメント的な面白さとはかけ離れた小説ですが、読んでみて良かったと思っています。本当の青春時代に読むと、人によっては引きづられすぎてしまう危険性がある気もするので、大人になってから読むのこそオススメかもしれません。

読めば上記したアニメ作品への解釈も深みが増すと思いますので気になった方は是非。

 

 

ではではまた~