夜ふかし閑談

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『鵜頭川村事件』まるで実話?パニック!サスペンス!ホラー!な”村小説”

こんばんは、紫栞です。

今回は櫛木理宇さんの『鵜頭川村事件』(うずかわむらじけん)をご紹介。

鵜頭川村事件 (文春文庫)

あらすじ

昭和54年6月。岩森明は墓参りのため、幼い娘を連れて亡き妻の生まれ故郷である鵜頭川村を三年ぶりに訪れた。

しかし運悪く、訪れたその日に豪雨にみまわれ、土砂崩れで村は孤立してしまう。さらに、村民である若者の他殺体が発見された。

誰もが犯人は凶暴で村の鼻つまみ者である大助ではないかと疑うが、大助は矢萩工業の社長で村の支配者である矢萩吉朗の息子であるため、大人たちは保身のために口を噤む。子供たちはそんな大人たちに失望し、閉鎖された空間の中で怒りを募らせていく。停電と断水をともなう孤立状態は、村を支配している矢萩一族と他村民との間にも亀裂を生じさせた。

 

やがて年長者たちと若者、家との対立は決定的なものとなり、鵜頭川村は悪意と暴力に支配された“狂乱の村”と化す。岩森は娘を守るべく決死の行動に出るが――。

 

 

 

 

 

 

村!パニック・サスペンス・ホラー

『鵜頭川村事件』は2018年に刊行された櫛木理宇さんの長編小説。今年、2022年にこの小説を原作とする連続ドラマがWOWOWで放送されることが決定しています。

櫛木理宇さん作品ですと『死刑にいたる病』も今年映画が公開予定ですので、立て続けの映像化ですね。

 

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昭和54年が舞台となっているこちら、「鵜頭川村」という山間の小さな村が孤立してしまったことで起こる悪夢のような数日間を描いているパニック!サスペンス!ホラー!な、作品。

全体的にじっとりとしていて、嫌悪感に溢れたイヤ~な空気をまとっているのですが、嫌だなぁと思いつつも読み始めると止まらない。文庫で460ページほどのボリュームもなんのその。嫌だからこそ一気に読みたいといった小説ですね。

 

特有の閉塞感、支配する一族、絶対的な家父長制、あらがえない理不尽、血の忌まわしさなど、「村」の“負の部分”がこれでもかと描かれる設定は横溝正史八つ墓村や、

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手塚治虫奇子を彷彿とさせる。

 

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ミステリ的要素もあり、最後に明かされる真相は読者により一層の恐怖と嫌悪感を抱かせます。とにかく、これらの“村作品”や閉鎖空間パニックものが好きな人に特にオススメしたい作品。

 

『鵜頭川村事件』というタイトルはバリバリの本格推理小説を連想させますが、ミステリ要素はあるものの、今作は推理小説というより“人間の狂気”というホラーに重きが置かれている物語になっています。

なので、本格推理ものを期待すると「ちょっと思っていたのと違う」となるかも知れません。私も古臭い日本ミステリが好きなので、こういうタイトル見ると勝手に期待しちゃう・・・(^^;)。

しかしこの作品、連載時は斧を意味する「AX」というタイトルがつけられていたらしいです。本にする時に改題したんだそうな。確かに作中に斧は出て来ますけど、「AX」だとこの作品のタイトルとしてはしっくりこない。伊坂幸太郎さんの作品ともかぶりますしね。

 

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個人的には改題して大正解だと思います。

『死刑にいたる病』も改題されてのものでしたけど。櫛木理宇さんは改題の多い作家さんなのですかね。

 

WOWOWの連続ドラマですが、監督は『22年目の告白-私が殺人犯です-』を手掛けた入江悠さん。

 

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番組公式ホームページを見たのですが、原作では電子機器製造会社勤めの岩森が医者に、病死した妻の墓参りに村に来たという設定から行方不明の妻を探しに来たということに、妻の名前も節子ではなく仁美に、昭和54年設定も現代設定にと、かなり大幅に変更されているのが説明文からだけで窺えました。

 

小説は昭和54年設定だからこその物語として書かれていますし、既に故人で事件には直接関わってこないはずの妻が行方不明状態で、探すために村を訪れるなんて変更されているとなると、共通しているのは村での閉鎖空間パニックものってところだけなんてこともあるのかもって気が。

ほぼ別作品的に愉しむ感じでしょうか。ドラマはどんな風にオリジナル要素が入るのか気になるところですね。

 

 

 

 

 

「実話」「モデル」?

鵜頭川村は人口約900人、世帯数250~300戸ほどの、矢萩姓と降谷姓がほとんどを占める小さな村。

矢萩一族は農地改革後に手に入れた土地を売って会社を興し、今では村民の直接の雇用主として村に君臨。

実質的に村を支配する矢萩一族と、雇用される降谷姓その他で大きく二極化されているといったパワーバランスで成り立っていた村だった訳ですが、豪雨で孤立状態となっている只中で他殺体が発見され、犯人の第1候補が村の最有力者の息子だったことで村内での空気が不穏なものとなっていく。

 

疑われた矢萩大助は、元々手のつけられぬ乱暴者として村民に嫌われていた人物。しかし、父親の吉朗はこのバカ息子を溺愛しており、大助が度々問題事を起しても村の支配者の立場で沙汰無しにし、野放しにしていた。こういう前設定は“村作品”のド定番って感じですね。

 

殺人までいつもの調子で無罪放免にしようとする吉朗に、常日頃から矢萩一族にいいようにこき使われている村民は不満を爆発させ、停電と断水という危機的状況の中で矢萩姓の者には水も食物も売らないという事態に発展する。

こういう状況だと工業会社をしている矢萩一族より、農家や商店をやっている側の方が有利ってことで。パワーバランスが逆転するんですね。閉鎖空間での極限状態により、人間の醜悪な“負の面”が露わになる。

 

今作をネットで検索すると候補に「実話」「モデル」と出て来る。

各章の冒頭に新聞記事やWikipediaからの引用風の文章が挿入されているので、いかにもモデルにした事件があるという実話感を読者に感じさせますが、今作は完全な創作。ま、それくらいリアリティがある物語になっているということでしょう。

 

昭和40年代の学生運動が大きな影を落している物語となっていまして、ああいった集団ヒステリーというか、正当だったはずの主張も運動が過激化することでただの狂乱に成り果てる様が要素として詰め込まれている。昭和54年という舞台設定もこれを踏まえてのものですね。

 

 

 

 

 

 

以下、若干のネタバレ~

 

 

 

 

 

 

 

 

岩森明

主人公の岩森明は東京で矢萩節子と知り合い結婚。娘が産まれた後に「故郷でこの子を育てたい」という節子の意向に添って一時鵜頭川村で暮らしていたものの、節子が病死したことで村を出た。

今回は墓参りのために三年ぶりに村を訪れたというだけで、実質村とは関係の無い人物なのですが、「矢萩一族の娘と結婚した元村民」という微妙な立場のために渦中に巻き込まれてしまう。

 

節子の伯父も村民も岩森のことを“都会人の近代主義者”という風に扱っていますが、実は岩森も過疎の村出身者。東京に出る前は末の息子ということで家族の中では疎外され、村と家に鬱憤を募らせる青春時代を過していた。節子と娘の存在によって変わることが出来ましたが、本来は“暗い衝動”を内に抱えていた人物。

村での騒動に巻き込まれ、暴力に晒されることで岩森が身に秘めていた狂気も溢れだすこととなる。

物語の後半では娘を守るべく、故郷の村で培ったサバイバル能力を惜しげも無く発揮させているのが意外な読みどころにもなっています。

 

 

 

 

 

 

降谷辰樹

地獄絵図のような村での狂乱はしかし、無秩序的なものではありません。この狂乱は降谷辰樹という一人の青年によって悪意を持って計画的にもたらされたものです。

 

辰樹は次男坊で東京の大学に進学予定だったものの、長男が事故で亡くなったことで繰り上がりで家の跡取りとなり、村から出られずに将来が閉ざされてしまった。親友が自分は行けなかった東京の大学へと進学し、矢萩工業で召使いのようにこき使われて、優秀で能力もある辰樹は小さな村で鬱憤を溜め込んでいました。

 

そんな時に土砂崩れで村が孤立。この機に乗じて辰樹は学生時代からのカリスマ性を発揮して若者達を煽動し、村が崩壊するように仕向けていく。

 

岩森はそんな辰樹にかつての自分の姿を見る。自分も村を出ることが出来ていなければ辰樹のようになっていたかもしれないと。そんな岩森の想いを知ってか知らずか、辰樹は“よそ者”であるはずの岩森に狙いを定めてくる。

 

鬱憤を溜め込んでいたとはいえ、辰樹はどうしてここまで執拗に村を壊そうとするのか?関係が無いはずの岩森を何故狙ってくるのか?発端である殺人事件の犯人は誰なのかももちろんですが、これらの辰樹の行動の謎が今作での最大の読みどころとなっています。

 

ほかの雄の子供を嫌い、噛み殺してしまうというライオン。托卵するカッコウ。自分の子だけを大事と思い、遺伝子を残そうと努めるのは、どの動物とて同じだ。だがそこに打算はない。純粋な本能でしかない。

人間だけが、その本能へ異なった意味合いを含ませ、歪ませる。

望んだ子。望まれぬ子。偏った愛情。与えられぬ愛情。家のため。己の老後のため。見栄のため。そのひずみが、次代へと繋がる悲劇を生んでいく。

 

元凶は人間の歪んだ“血”への執着。これもまた村作品では外せない要素ですね。

 

 

ここまで説明した感じだと嫌な人ばかり出る嫌な事しか起きないひたすら不快な小説って思われるかもですが(実際八割がたはそうなんですけども)、鬱屈とした中でも降矢港人矢萩廉太郎の少年二人が、親同士でどんなに対立していようとも友情を貫く姿や、岩森の幼い娘・愛子の健気な姿は物語のオアシス的な救いになっています。

 

 

最後ですが、『死刑にいたる病』はやりすぎ感がある仕上がりとなっていましたが、今作は逆に“やらなすぎ感”がある。

割りとぶつ切りに終わっていて、死人の人数ははっきりしているものの、大怪我した人々はどうなったんだとか、親戚の有美隆也の家を始めとした各家と村はその後どうなったかなど気になる部分が多すぎて…個人的にはエピローグ書いて欲しかったですね。エピローグがない方が怖いまま終われて作品には合っているのかもしれないですが。

後疑問なのが、廉太郎ってあの時どうして大助のロープ切ったんだろ?自分のだけ切れば良くない?結局その後自ら取り押さえてるし・・・うーん・・・わからん

 

 

とにかく、村が舞台の小説としての“オキマリ”や怖さがてんこ盛りになっている小説ですので、“村作品”が好きな方は是非。

 

 

 

ではではまた~