こんばんは、紫栞です。
映画『鳩の撃退法』を観たので、感想を少し。
原作の小説については前に当ブログで紹介しましたので、あらすじなど詳しくはこちら↓
原作小説が大変面白かったので映画も観に行きたいと思っていたのですが、結局劇場には行けずじまいでしたのでレンタルにて鑑賞。
原作は上下巻にわかれて結構なボリュームがあり、なおかつ時系列の入れ替えやダラダラとりとめのない描写が続いたり場面や視点がいきなり切り替わったりなど、のらりくらりとしていて読者を煙に巻くような独特の作品なので、いったいどんな風に映像化するのかが気になるところでした。
概ねのストーリーは原作とほぼ同じ。ですが、やっぱり原作のボリュームがボリュームですので、映画の二時間におさめるためには全部を忠実な映像化は無理。
原作のどこをどんな風にカットするかがこの映画の出来を左右するところですが、この映画は上手くまとめられていたと思います。
主人公の津田(藤原竜也)はロクデナシで女性にだらしない設定なので、原作では交際女性が何人も登場していたのですが、映画だと人数が減らされていました。
事件を追うのに必要な情報は原作では後半からしか登場しない編集者・鳥飼(土屋太鳳)が序盤から登場して役割が増やされていた印象。津田が書いている小説が“本当にあった事”かどうかを見極めるため、現地に取材に行くのは映画オリジナルですね。
原作は津田の軽妙な台詞返しも読んでいて楽しいところだったのですが、映画だとそこら辺の台詞のやり取りは少なめ。ま、尺の都合上しょうが無いのでしょうけど。
それでも沼本(西野七瀬)との掛け合いがそのままだったのは嬉しかったですね。沼本は原作よりも津田に気がありそうに見えた。なので、バーでの津田の仕打ちがよりいたたまれなかったなぁ。ロクデナシの演技、上手いですねぇ・・・。
原作と大きく違う点は、房州老人(ミッキー・カーチス)がニセ札だと気がつかないままだったところですね。
原作だと房州老人のニセ札だと解った上での意図的な行動がラストの解明の要になっていたのですが、映画は津田と幸地(風間俊介)交わした些細な会話、津田が“この小説を書いている理由”にスポットを絞るためにあえて省いたのかなと。
タイトルの意味に重点が置かれていた感じですね。“小説でなら皆を幸せにすることが出来る”、鳩(ニセ札・元凶)の撃退法(小説を書くこと)。
幸地家族を全員死なせないラストに導くために虚構として小説を書いていた津田ですが、最後に虚構と現実が融合。津田が小説のタイトルを決めるところで映画は終わっています。
原作だと虚構と現実が融合した場面の後にニセ札の行方を最初から順に追っていくという説明的な解明が描かれているのですが、映画では物語の中で一番盛り上がる融合部分をラストに持ってくることで“洒落た締め”になっていたなぁと。映画として綺麗なラストになっていましたし、役者さんの演技も皆良かったと思います。
とはいえ、時系列の入れ替えや場面の切り替わりは多いので、原作未読の人は一回観ただけでわかるのかどうか・・・。二回は観るのがオススメですかね。再度観てくれるのを狙っているのかも知れないですが。
幸地が手を叩くところが印象的に演出されていましたが、これはピーターパンのお話を知らないと意味が伝わらないので、『ピーターパンとウエンディ』の内容についてもっと説明があった方が良かったかなと。
ただの事件ものではない、虚構と現実を行ったり来たりする異色ミステリになっていますので、繰り返し観て愉しんで欲しい映画です。原作もオススメですのでセットで是非。
ではではまた~