こんばんは、紫栞です。
今回は湊かなえさんの『母性』をご紹介。
あらすじ
県営住宅の中庭で、市内の県立高校に通う女子生徒(17)が倒れているのを、母親が見つけ、警察に通報した。4階にある自宅から転落したとして、警察は自殺と事故の両方で原因を詳しく調べている。
母親は「愛能う限り、大切に育ててきた娘がこんなことになるなんて信じられません」と言葉を詰まらせた。
“私は愛能う限り、娘を大切に育ててきました”――そうやって始まる母の手記と、漆黒の闇の中での娘の回想。
十一年前の台風の日、「美しい家」での一家三人での生活はある悲劇によって唐突に終わり、その悲劇によって母娘はすれ違い、捩れて更なる悲劇を生む。これは事故か、自殺か、それとも――。
渾身の書き下ろし
『母性』は2012年に刊行された長編小説。2022年秋にこの小説を原作とした映画が公開予定です。
当時、単行本が発売されてすぐに買って読んだ記憶。あの頃は湊かなえさんの新作が発表されればすぐ購入していたんですよね。あんまりバンバン本出されるようになったのでそのうち追えなくなっちゃったんですけど・・・(^_^;)十年目にしての映画化で久しぶりに再読してみた次第です。
この本は作者の湊かなえさんが「これが書けたら、作家を辞めてもいい。その思いを込めたて書き上げました」という、渾身の書き下ろし小説。
湊さんは母娘の関係をよく作品に取り入れる作家さんなのですが、
この『母性』では超直球でそれがテーマで書かれているとあって、作者の本領が発揮されまくりのシンプルな長編小説となっております。
母と娘
湊さんはこの本を書こうと思った経緯について、
「永遠に愛され、庇護される立場(娘)でありたい母親と、その母親から愛されたい娘の物語です。毒親でもなく、虐待でもなく、だけど大切なものが欠けた関係。それを、自分が母親と娘の両方の気持ちを持っているあいだに書きたいと、このテーマに挑みました」
と、映画化決定の際にコメントされています。
書き上げてから十年の月日が経ち、「今はもうどちらの気持ちも持っていません」とのこと。
母親であり娘である意識が混在しているほんのわずかな期間にのみ書けた小説ということですね。
この本は最初に女子高生が自宅の庭で倒れていたのが発見されたという新聞記事が出されており、各章、最初の新聞記事に疑問を持つ学校教員が視点の【母性について】、神父さま相手に文章を書いている母親(ルリ子)視点の【母の手記】、暗闇の中で今までの出来事を思い出している娘(清佳)視点の【娘の回想】という順番で展開していきます。※名前に関し、作中では終盤まで読者にわからないように書かれています。
学校教員による視点の今現在の時間軸である【母性について】は各章ほんの少し。ほぼ【母の手記】と【娘の回想】によって物語は構成されています。ルリ子の手記は結婚して娘を産むところから始まっており、【娘の回想】と並行して手記の中で回想しています。
母親からの視点の後に娘の視点が書かれることで、同じ出来事がまったく違う印象になる訳で、「人は、自分が見たいようにしか物事を見ていない」というのが浮き彫りになる空恐ろしい構成。
湊さんは“イヤミスの女王”で有名で、ミステリ要素が強い作品を書くのが特徴なのですが、今作はミステリかどうかといわれると結構微妙。トリックがあって云々というお話ではないですからね。
しかしながら、母と娘の謎・不思議を追求するというミステリ小説ということではあるのかとは思います。
以下ネタバレ~
母性について
“永遠に愛され、庇護される立場(娘)でありたい母親と、その母親から愛されたい娘の物語”
と、作者が仰っているように、この小説は親になりきれない未熟な母と、得られようもないものを求める娘、二人の女性の苦しいすれ違いの物語。
ルリ子は母親(清佳にとっては祖母)にべったりな人生を送ってきた女性。いつでも自分に無償の愛を与えてくれる母を盲目的に慕い、「どうすれば母が喜んでくれるか、褒めてもらえるか」を第一の行動理由にして生きてきた。母を尊ぶをこえてもはや宗教的に崇めているといっても過言ではない。
そんなルリ子なので、結婚相手も母のウケが良かった田所とあれよあれよと流れるままにしてしまう。清佳を出産するが、子育ての第一方針は“母が喜んでくれるような孫に育てること”。それで「貴方の育て方が良いのね」と褒めてもらいたい訳で。それでいて可愛がられている清佳を見て「母の愛はいつも私が独占していたのに・・・」と嫉妬する始末である。
この時点で子供を育てるには何かが致命的に足りないんですけれども。それでも母が生きていたうちは表面上親子として問題なく取り繕えていました。
高台にある洋風の家、庭に植えられた色とりどりの花、はしゃぐ娘、自分と一緒にリルケ詩集を暗唱しながら絵を描く夫・・・これぞ「美しい家」。
って、端から聞いているとちょっと寒々しいというか、ハッキリ言って気持ち悪い家なのですが(^_^;)。これはルリ子の手記によるものなので、ちょっと変な方向に美化して盛ってあるらしい。【娘の回想】の方でそれらが少し明らかになっています。
しかし、台風の日に起こった土砂崩れによって母が命を落し、「美しい家」もなくなって田所の実家で暮らすこととなり状況は一変する。
田所の家は農家。お嬢さん育ちだったルリ子は義母に嫌みを言われながら無償でこき使われる日々になんとか耐えるなかで鬱憤が溜まっていき、この不幸はすべて娘の清佳のせいではないかと思い込むようになる。
台風の日の隠された真相が遺恨となり、度重なるタイミングの悪さやすれ違いがいやらがあってなのはもちろんですが、こんな思考になってしまう最大の原因は根本的に娘への“無償の愛”をルリ子が持てていないためです。
表面上は親として問題のないルリ子ですが、娘の清佳にはやはり自分が母に無条件で愛されている訳ではないというのが伝わってしまう訳で。いつもルリ子の顔色をうかがい、愛されよう、母を守ろうと奮闘するのですが、ルリ子から見ると清佳のそんな行動は“娘として可愛げのない姿”に見える。そうさせているのは自分であるにもかかわらず、です。
ルリ子は娘を愛そう愛そうと努めているのですが、「愛そう」と意識している時点でそれはもう“無償の愛”ではない。
「愛能う限り、娘を大切に育ててきました」それはなんて胡散臭い言葉であることか。
ルリ子に清佳が求める母性はない。“ない”ものを求めても不幸になるだけ。清佳はどん詰まりに追い込まれていくのです。
家族のリアル
回想の最後、父親の浮気を暴き、さらに祖母の死の真相を知らされた清佳は母に問い質す。その結果、ルリ子に首を絞められそうになった清佳は母の手を汚してはいけないと思い、自ら首を吊って命を絶とうとする。
この時点で、物語の最初に提示されていた新聞記事の内容は清佳の事ではないのだということが読者に明らかとなる。新聞記事の女子高生は「4階から飛び降りた」ということでしたからね。庭の木で首を吊ろうとした清佳とはまた別の子なのですよ。
そして、新聞記者を読んで「愛能う限り」という言葉に疑問を持った学校教員、各章の冒頭に挿入されている【母性について】の部分の語り手が成長した清佳であることが判明する。トリックというほどのものではないですが、ちょっとした読者への引っ掛けですね。ルリ子の手記が神父さま相手になっているのも、まるで刑務所で書いているかのように思わせるミスリードです。
清佳が高校生の時に自殺未遂をして一命を取り留めた後、ルリ子との関係はとりあえず改善された。浮気した挙げ句、清佳が自殺未遂をしたことを知ってトンズラこいていた父は十二年経ってひょっこり戻ってきて、ルリ子に許してもらってまた一緒に住んでいる。施設に入った義母も頼れるのはもはやルリ子だけだということを悟り、優しく接するようになった。清佳は教員になり、高校時代に付き合っていた彼と結婚。今度出産を控えている――。
と、ま、何やら自殺未遂後にすべてが丸く収まったかのように描かれていますが、現在でもルリ子は母性を持たないままだし、あいかわらず「愛能う限り」とかのたまっているし、結局清佳が家や母と折り合いをつけられるようになったのは家を出たからではないかという気がする。そもそも清佳は自分のこと殺そうとした(と、清佳は思っている)母と関係修復なんて出来るのか?とか・・・。
ハッピーエンドとは言い難い、モヤモヤ感が残るラストとなっている。
自殺未遂の直前、清佳はルリ子に首を絞められそうになったと認識していますが、ルリ子は抱きしめようとしたと認識しているという矛盾点があるのですが、本当はどっちだったのかわからずじまいですしね。
最後が「ページ数足りないのか?」と言わんばかりの急速なまとめ方なので余計に釈然としない。(ま、この本は書き下ろしなんですけども)
しかし、これが家族のリアルなのかなと思います。歪んでいるのかもしれないけれども、「家族」として取り繕って形を成していく。桜庭一樹さんの『少女七竈と七人の可哀想な大人』でもありましたが、
母娘というのは許す許さないの長くて終わらない旅なのかなぁと。
最初十年前に読んだ時、“褒められたい”という自分の願望ばかりが先に来る幼稚なルリ子に終始腹が立ってしょうがなかったのですが、今改めて読み直してみると清佳の回想にも疑わしいところが割とある。
結局二人とも自分の都合の良いようにしか見ていないってことなのでしょうね。なんだかんだいっても、ルリ子はルリ子で農家の嫁として確りと努めているのは間違いないし。
それにしても、ルリ子の「イヤよ、イヤ。私はお母さんを助けたいの。子どもなんてまた産めるじゃない」って言葉にはやはり酷い嫌悪感がありますが。
後、父親の田所もかなり酷かったなぁと。妻に家も義母も押し付けて浮気相手と逃げて、捨てられてにっちもさっちもいかなくなったんで十二年後に帰って来ましたって・・・なにそれ?
半端に良い部分もある父親で夫だったんで、なにやら余計に腹が立つ。これもまたリアルな家族の歪さということなのか・・・?
けして読んで気分が良くなる物語ではないのですが、湊かなえさんの筆力は存分に味わえますし、読んだ人それぞれに解釈して愉しめる小説だと思いますので、映画化などで気になった方は是非。
ではではまた~