こんばんは、紫栞です。
久しぶりに、今回は夏のオススメ本で小野不由美さんの『残穢』(ざんえ)をご紹介。
あらすじ
二〇〇一年末、作家を生業とする「私」の元に届いた一通の手紙。それがすべての端緒だった。
ホラー小説のシリーズを持っていた「私」は、かつてあとがきで読者に実体験の怖い話を募集しており、およそ二十年が経ったいまでも時折、読者からの実話怪談の手紙が来る。この手紙もそんな読者からのものだった。
手紙の主は三十代の女性・久保さん(仮名)。編集プロダクションでライターとして勤務している彼女は、首都近郊にある賃貸マンションに引っ越したばかりなのだが、その部屋では何かが畳の表面を擦るような音がし、得体の知れない気配がするという。
「私」は過去にこの話と似た怪談話が違う読者から寄せられていたことに気が付き、手紙の住所を確認してみると、久保さんからの手紙とまったく同じ所番地が書かれていた。それぞれ、同じマンションの別の部屋で起こった怪異だったのだ。
久保さんと連絡を取り合い、マンション住人に聞いてもらったところ、このマンションでは何故か人が居着かない部屋があるのだという。
個々の部屋の問題ではなく、マンション全体、土地自体に関係する“何か”なのではないかと久保さんと二人で土地の歴史を調べてみると、次々と因縁が浮かび上がっては怪異と結びついていった。
果たして、これは〈穢れ〉の感染なのか?
調べを進めるうち、「私」も久保さんもこの土地の〈穢れ〉の渦に巻き込まれていき――・・・。
実話(風)怪談
『残穢』は2012年に刊行された長編ホラー小説で、山田周五郎賞受賞作。
ホラー小説で検索すると必ず表示されるような有名作で、映画化もされています。夏なので、有名ホラー読みたいぞ!と、なってこの度読んでみました。
小説作品ですが、ドキュメンタリー風味に書かれている作品で、作中の「私」が長期にわたって手紙をくれた読者と共に怪異、土地の因縁を、時代を遡って調べていく過程がルポルタージュ的に描かれています。
「私」は作中では氏名が明かされていないのですが、作家としての経歴、大学時代の逸話、同じく作家である夫の存在など、作者の小野不由美さん自身が「私」なんだと連想出来るようになっていて、本の冒頭で触れられている“ホラー小説のシリーズ”とは1989年から始まった【悪霊シリーズ】全7巻のこと。今は改題されて【ゴーストハントシリーズ】として新訂版で出されているのですが、
改題前の【悪霊シリーズ】だった頃の本のあとがきで読者の怪談話を募集していたのだそうです。
その他、平山夢明さんや福澤徹三さんなど、実在の作家がそのままの名前で登場しています。平山さんは京極夏彦さんの『虚実妖怪百物語』でも登場人物として描かれていたのですが、
京極作品の方ではもっと癖のある砕けた人物として描かれていたため、この作品の平山さんはだいぶおとなしいというか、凄く真人間っぽくてギャップを感じる。小野さんの前ではこういった振る舞いだということなのでしょうか。
また、この本と同時期に読者から寄せられた怪談体験を元に書かれた挙編怪談をまとめた本『鬼談百景』が刊行されています。
『残穢』の文庫版に収録されている中島晶也さんの解説によると、
『鬼談百景』に収められている怪談の数は、書名に反して全九十九話。『残穢』はもちろんそれ一冊でも独立して読める小説ではあるが、『鬼談百景』の作者自身の体験を綴った長編版にして、「現実に怪を呼ぶ」と百物語では禁忌とされる百話目としても読めるように書かれている。
とのこと。
版元は違うものの、“対をなす姉妹編”となっているのですね。
面白い仕掛けだとは思いますが、正直、まとめて読みたいとは個人的に思えないですね。怖いんで。百話目として完成させたくないですもん。
ドキュメンタリーを装いつつの小説作品とはいうものの、この作品は全部が創作だとは信じがたいものとなっています。
土地の因縁がどんどんと繋がっていくのはミステリ的で、怪奇現象にしては“ハマりすぎてる”と思えて「なるほど創作か」なのですが、細かな部分、ちょっとした不気味さや判別不能な些細な事柄があまりにもリアリティがある。モデルにしているものがないとこんな文章は到底書けないだろうと。
だから、何割かは実話だと思うのですよ・・・。作者の小野不由美さんはどこまでが創作かを明かしていないので確かめようもないのですが・・・このわからなさ具合がもう怖いですね。
ルポ風の淡々とした文章で、幽霊や化け物に襲われる鬼気迫るようなハラハラドキドキホラーではないため、「怖すぎる」という前評判を聞いて読んでみた私は最初「なんだ、怖くないじゃん」となったのですが、後からジワジワと怖い。よくよく考えるとかなり怖い。厄介なホラー小説となっています。
映画
2016年に『残穢-住んではいけない部屋-』というタイトルで実写映画化されています。主演は竹内結子さん。
読むのは比較的平気だが、ホラーを映像で観るのはビビって躊躇するタイプの私ですが、アマゾンプライムの見放題にこの作品が入っていたので怖いけれども観ました。
この映画、検索すると「ディレクター失踪」だの「具合悪い」だの「呪われる」だのと、物騒なワードがわんさか出て来るのですが・・・ま、こういった噂があったほうがホラー映画は箔がつくものなのか。怖いので深追いはしませんけども。
作家の名前をそのまま出す訳にはいかないのか、登場人物名が微妙に変更されているのが何やらおかしい。小野不由美さんの夫である綾辻行人さんにあたる役である直人(滝藤賢一)や、平山夢明さんにあたる役の平岡芳明(佐々木蔵之介)がちゃんと御本人っぽい服装しているのもフフッってなりますね。
久保さん(橋本愛)と福澤徹三さんにあたる役の三澤徹夫(坂口健太郎)は原作の年齢よりも若く設定されています。
過去の因縁話や、イタズラ電話の「今何時ですか」など、映像や音声がつくとやはりより怖くなる。ラストのビデオに映り込んでいる赤ん坊や、奥山家の絵などはビビって直視出来なかった(^_^;)。結構素敵な絵っぽかったので、怖さでちゃんと見られなかったのは残念。自分の度胸のせいですけど。
途中まではほぼ原作通りの展開なのですが、最後が変えられていましたね。
原作は劇的な出来事が起きないままなところがリアリティがあって怖く、そこが他のホラー作品とは違う点で持ち味となっているのですが、映画はラストにホラーシーンが追加されていて、それが蛇足だったなと。あれで普通のホラー作品と同じになってしまったというか、せっかくのドキュメンタリー感が薄れてしまった印象。
しかし、やっぱりよくあるドッキリ驚かす系のホラーとは違うので、ホラー映画が苦手な人でも観やすい作品になっているかと思います。ま、観た後に後悔はするかもしれませんが。
残留する穢れ
「穢れ」とは、死・疫病など、忌まわしく、不浄で、共同体に異常をもたらすもの、避けるべきだと信じられている観念のこと。
この小説は、怨みを伴う死が「穢れ」となって新たな死を引き起こし、その死がまた「穢れ」となって感染していくという、途方もない「穢れ」の感染拡大の、元は何なのかと時代を遡って追っていくドキュメンタリー・ホラー(風味)。
前に『呪術廻戦』のアニメを観ていたら当然の用語のように「残穢」と登場人物が語っているシーンがあったのですが、『残穢』と書いて“ざんえ”と読ませるのは小野不由美さんによる造語で、仏教用語などのように普遍的に使われているものではありません。
ザックリとした解釈ではありますが、“残り続ける穢れ”という意味で『残穢』なのだと思います。
忌まわしい土地の記憶など時代を遡ればどの場所でもあるはずで、人が死んでいない場所など何処にもないはず。「十年前にここで死んだ・・・」と言われれば怖いですが、「江戸時代に・・・」などと言われると、「え?そんなに昔」となって恐怖も薄れるものです。
が、この本ではその恐怖の薄れを許してくれない。むしろどんどんと「穢れ」が上塗りされていって、より恐ろしく、強い「穢れ」としてひたすら残留していく、時代を遡ることで恐怖が増していく厄介な代物となっています。
とんでもないパワーを持った幽霊やら怪物が襲ってくるというものではなく、古くから根ざし続けているもののため、一過性の恐怖で治まってくれないのですね。読者の今後の日常に支障を来す恐怖感なのです。
極めつけが、“聞いても伝えても祟る”などと、読者をどん底にたたき落とすような恐ろしいことを言い出してくる。読ませといて。
山本周五郎賞の選考委員の一人、唯川恵さんも「実は今、この本を手元に置いておくことすら怖い。どうしたらいいものか悩んでいる」と、仰っている通り、もはやこの本自体が「穢れ」に“なってしまう”のですね。
そんな訳で、いつもとは一味違ったホラー小説を読みたい人にはオススメの一冊です。この小説を読んで一番恐怖することが出来るのは引っ越しを控えている人ですね。読めば引っ越しが怖くなること間違いなしですから。
この夏、是非読んでみてはどうでしょうか。
ではではまた~