こんばんは、紫栞です。
今回は京極夏彦さんの『ルー=ガルー 忌避すべき狼』をご紹介。
あらすじ
二十一世紀半ばの日本。すべてがデジタル管理された社会で、人々は携帯端末によって繋がれている。
旧弊的な教育制度もなくなり、他者との物理接触もイベント化しつつある児童たち。そんななかで、十四五歳の少女ばかりが狙われる連続殺人事件が発生していた。
牧野葉月は週に一度のコミュニケーション研修後に同級生の都築美緒宅に神埜歩未と向かっていた際、偶然被害者の一人である矢部祐子と接触するうちに事件に巻き込まれていくことに。
一方、葉月たちのクラスの担当カウンセラーである不破静枝は、事件が発生し執拗に未成年の非公開データの提供を要請する警察に不審を感じ、同じく警察上層部に不信感を抱いていた県警刑事課の橡兜人と共に事件の謎を追い始めるが――。
異色作
『ルー=ガル 忌避すべき狼』は2001年に刊行された長編小説。
当時の単行本ですと帯に“近未来少女武侠小説”との文句がついていたこちら、書くに当たって2030年から2053年までの近未来の社会設定を月刊「アニメージュ」と月刊「キャラ」誌上、ネットで一般公募するという【F・F・N(フューチャー・フロム・ナウ)】たるプロジェクトが試みられました。
読者と共に物語を創る“双方向性(インタラクティブ)小説というやつですね。本の巻末には応募者への御礼とともに名前も掲載されています。
ライトノベルとして書かれていまして、近未来が舞台で少女が主役、終盤は少女が大立ち回りをするアクションものになっているなど、普段の京極作品らしからぬ異色作。
京極夏彦といったら江戸時代~昭和を舞台にした“妖怪小説”を書く作家ですからね。
現代が舞台の小説を書くこと自体も珍しいから当時の読者は驚きだったでしょう。
徳間書店からの刊行だったのですが、今手に入れやすいのは講談社から出されているノベルスと文庫ですね。
文庫は一冊での収録のものと分冊版と出ています。
樋口彰彦さんによって漫画化されていて、
2010年には劇場版アニメにもなっています。
京極作品のなかでは比較的ストーリーが解りやすいので映像化しやすいですかね。
表面的な情報だけですとかなりの異色作ではありますが、読んでみるとそこはやはり京極作品。
ウンチクはないものの文章やストーリーの進め方は通常運転だし、ミステリ要素もちゃんとあり。1000ページはこえていないですけどやっぱりレンガ本ですしね。(※単行本だと750ページほど)
一見すると如何にもライトノベル的な少女たちのキャラクター像も、読んでみるとなにやら【百鬼夜行シリーズ】(京極堂シリーズ)の主要メンバーたちを彷彿とさせる。
ひたすらクールな神埜歩未は中禅寺的だし、天才で何もかも規格外で調子外れの都築美緒は榎木津的、引っ込み思案で周りに流されがちな牧野葉月は関口的で、武闘派でとにかく考えるより先に行動する未登録住民の麗猫(れいみゃお)は木場的・・・といった具合に、京極ファンは考えて楽しむのも一興かと。もちろん容姿は百鬼夜行シリーズの面々とは似ても似つかないですけどね・・・。
最後に明かされる真相は「京極夏彦小説だ!」感を突き付けられるものになっていて、ずっと京極作品を読み続けているファンはある意味感動・感激します。私はそうだった。
異色作であるものの、今作もやはり京極的妖怪小説なのです。なので、設定で尻込みせずにファンには必ず読んで欲しい作品。
無機質社会
読者からの公募によって構築された未来社会設定で書かれている訳ですが、デジタル化が進んで物理接触が減った無機質社会ってことで、アニメの『攻殻機動隊』、森博嗣さんの【百年シリーズ】や【Wシリーズ】と共通するような世界観。順当に未来を予測するとやっぱりそうなるのですかね。
物語は牧野葉月視点とカウンセラーである不破静枝視点が交互に語られ同時進行していく構成になっています。
葉月サイドの方が事件に対しての少女たちの立ち振る舞い、静枝サイドの方が事件の謎を追うってな感じで、少女たちの成長物語が描かれる一方で大人二人組がミステリ面での細かい謎解きをする。
もちろんメインは少女たちの方なのでしょうが、個人的にカウンセラーの静枝と刑事の橡のコンビが好きですね。
静枝は前時代的な意識を持つ堅物たちに抵抗心と嫌悪感を持ち、真っ向から噛みつく潔癖症の女性。(この舞台では潔癖症の方が普通で、そうでない人の方を不潔愛好症と呼ぶようですが・・・)
差別意識を徹底的に排除しようと用語や表現に関して過剰に反応してしまうというのは今読むと非常に現代人的。
今作が刊行されたのはおよそ二十年前ですが、世界が予想された通りに近づいているなぁと。
このツンツン女性である静枝が、いつもなら忌み嫌っている世紀末生まれの冴えない中年男性・橡に対して徐々に態度が軟化して協力し合う過程が面白くって、個人的イチ押しポイントです。
近未来ものの『攻殻機動隊』や森博嗣さん後期シリーズ作品でも共通しているのは、社会の変化・進化によって人間が本来の生き物としての在り方から外れてしまい、「人を人たらしめているものは何なのか」がテーマになっているところ。
『ルー=ガルー』でもそれは同様でして、今作では特に“食べること”にスポットが当たっています。
合成食品の発達により、この物語の人々は“本物の肉”を食べることがない。生きるために他の生物の命を奪う必要がなくなっている訳で、その状態は「人間が食物連鎖から解脱した」と言える。
しかして、それは生き物として大きく逸脱しているということなのではないか。本来の生き物の性質、獣の本能は、この無機質社会で完全に失われるものなのか?
リアル(死)にふれる
タイトルのルー=ガルーとはフランス語で人狼のことで、夜間狼に化けてさまよい悪事を働く伝説上の怪物。
“出合ったものを屠る、忌避すべき狼(ルー=ガルー)”
狼の頭と人間の体をもつ獣人であるとされる一方で、呪術などで狼になった者、狼に憑依された“狼憑”――精神病の類いによる奇行を表す言葉でもあります。
ルー=ガルーは作中の特定の人物を示していて、本人自ら最後にそう名乗っているのですが、どんなに社会が変わろうと残り続ける人間の、獣の本性自体を指しているのだとも思える。
モニタ越しで他人との物理接触が少なく、どこか生きている実感が希薄だった少女たちが、殺人事件とそれに伴っての戦闘で「死」というリアルにふれ、生き物として覚醒していくのがこの物語のテーマ。
とはいえ、少女たちは獣の本能のままに生きようと決意するのでは決してない。「人殺しが裁かれないのでは物語に決着がつきません」と、これもまた人間的理性と罪悪で苦しむ。
「決着なんてないわ」
静枝は――本心そう思った。
「そういうものは――データ上便宜的につけられるものでしょう。現実にすっきりした決着なんかないのよ。言葉の上では何とでも言えるけれど、そしてそう思い込むことは簡単だけど、人間はそんなに簡単なものじゃないし――ある意味でもっともっと単純なものよ」
どんなにデジタル化、システム化されようと、良くも悪くも「人間」としての不可解さと苦悩は残る。もしそれが完全になくなったのだとしたら、それこそ本当の「人間」の終わりなのかもしれない。
狼は――絶滅した。
そういうことになっている。
他シリーズとの繋がり
近未来設定の異色作なので、京極夏彦作品におけるシリーズ間の繋がり、同一世界観でのものとは違う、単体作品なのだろうと思ってしまうところですが、実は『ルー=ガルー』も他シリーズと密接に繋がっている同一世界ものです。
臓器培養の医学的発展は【百鬼夜行シリーズ】(京極堂シリーズ)の二作目『魍魎の匣』にて美馬坂幸四郎が行なっていた研究を彷彿とさせるものですが、
“モロに”繋がっているのが【百鬼夜行シリーズ】のアナザーストーリー集である『百鬼夜行-陰』に収録されている復員兵・鈴木敬太郎が語り手の「鬼一口」。
ま、このストーリーにも『魍魎の匣』の久保竣公が関わっているのですが・・・元を辿ると元凶はコイツってことに。まったく、どこまでもはた迷惑な・・・。
【百鬼夜行シリーズ】とはいえ、短編の「鬼一口」は本当のファンでないと見逃してしまうだろうマイナーどころ。繋がりに気がつけた時の感激もひとしおでしたね。
一世紀前の「鬼一口」での出来事が発端となり、今作の事件を引き起こしたとは・・・・・・何やらこう、歴史の連なりと人間の業の恐ろしさの壮大さ(?)で怖いような感慨深いような気持ちになる。妙に感動するといいますか。
企画ありきでの作品だったので一作のみだろうと思われた『ルー=ガルー 忌避すべき狼』ですが、なんと十年後の2011年に続編の『ルー=ガルー インクブス×スクブス 相容れぬ夢魔』が刊行されています。
※詳しくはこちら↓
ちゃんと続きものとして今作を補強するような驚きの真実も明かされているので、今作を読んだら間髪入れずにこちらも是非。
ではではまた~