こんばんは、紫栞です。
今回は、映画『屍人荘の殺人』(しじんそうのさつじん)について感想を少々。
今村晶弘さんの長編推理小説が原作のこちらの映画、公開されたのは2019年で前に当ブログで原作小説の紹介をしたのですが↓
今更ながら映画を観たので思ったところを少し。
以下、映画及び原作小説のネタバレ含みますのでご注意~。
予想通りの酷評
まずこの映画、各サイトのレビューが散々に酷評されております。公開直後も今現在もそうです。
しかし、それは原作を読んでいて、映画の役者三人がそろったメインビジュアルとコミカルなCMを目にした人なら予想がつく評価なのですよね。「ああ、これじゃあ原作未読の人は“思っていたのと違う!”ってなるだろうなぁ・・・」と。
トリオものの定番ミステリで、コメディタッチの映画――そう思って観ると、この映画はことごとく期待を裏切ってくることになる。それは原作を読んだ人間からすると明白なこと。
それというのも、この『屍人荘の殺人』は途中で突如として脈絡もなくゾンビと化した者たちに襲われるトンデモ展開となる。
それだけでなく、ホームズ役の一人だと思っていた明智さん(中村倫也)が最初のゾンビ騒動の時点で襲われて早々と退場してしまう。
メインである殺人事件が起きるのは館に数名が逃げ込んでからなので、明智さんは実質事件に参加しないに等しい。当然ながら出番はほぼなしということに。
これが、役者の中村倫也さん目当てで観に行った人にとっては受け入れがたいだろうなと。
明智さんが序盤で退場してしまうのは、原作小説でも驚きポイントの一つ。
メインの探偵役だと思っていた人物が“あんなこと”になってしまうというのは、ゾンビが出て来るのと同様、いやそれ以上に、読者に衝撃を与える展開で度肝を抜かれる訳です。
デビュー作の小説でやられるなら「斬新なストーリー展開だなぁ」で済みますが(明智さん、少しの登場だけど良い感じのキャラクターだったので私は悲しかったですけどね・・・)、映画で人気役者を起用、メインどころのように触れ回っていたのに蓋を開けたらこれでは、そりゃ役者のファンは文句言いたくなりますよね。
映画の制作側としては、原作での驚きを“どう考えてもメインの一人だろう主役級俳優”をキャスティングすることで再現しようとしたのだと思います。メインビジュアルもCMも原作に倣っての“引っ掛け”のつもりなのでしょう。
でも、如何せん映画でこれをやられると・・・レンタルや配信で観た人はともかく、映画館で観るのはそれなりの労力とお金がかかりますからね・・・。驚きよりも文句を言いたい気持ちの方が勝ろうというものです。
それに加えて予想外のゾンビ登場でのパニック・ホラー的展開に戸惑う人ももちろんいるだろうと。ミステリは好きでもパニック・ホラーが苦手な人はいますからね。苦手なのに観に行ってしまった人は「言っといてよ!」って、これまた文句言いたくなるでしょう。
予想以上の酷評
そんな訳で、レビューの低評価の嵐を見ても「そりゃそうなるよね」と一人納得していたのですが、「でも私は原作完読済みだし、全部了解していて心構えも出来ているから!」と、低評価を知りながらも大丈夫だろうと観てみたのです。
結果・・・予想の範囲を上回る酷さ加減でした。観終わった直後に凄い怒ってしまった。
原作が好きだから許せない!という怒りではなくって、「映画作品」としての出来が酷い。
変更点は多々あるものの大体のストーリーは原作通りだし、役者も良いのだが、演出ですべてを台無しにしてしまっている。
『99・9』などで知られる監督の木村ひさしさんは、独特のコミカルな小ネタなどを入れる演出をされる監督さんで、この映画でも変わらずにそのような演出を自身の持ち味だと思ってか入れているのですが、これがことごとく作品にミスマッチでスベって見える。何も笑えない。
だってそもそも笑える状況じゃないですからね。
明智さんは目の前であんなことになっちゃったし、館の周りはゾンビが囲んでいていつバリケードを破って入ってくるかも分らない、館の中は中で殺人事件が起きている。
なのに、葉村君(神木隆之介)は比留子さん(浜辺美波)にドギマギして終始デレデレ。慕っていた明智さんが目の前であんなことになった直後でのこの葉村君の態度は不自然だし、人間性を疑ってしまう。
全体的に不謹慎な感じが漂っていて、コミカルな場面をやられる度に不快になってしまうのですよね。ゾンビにとどめを刺す瞬間をレントゲン写真(?)で表現しているのも個人的には凄く嫌でした。
実を言うと、原作小説でも少しこういったコミカルシーンはありました。原作を読んでいてもミスマッチで浮いているので余計だと感じていた部分が、映画だと増大されてしまっていたので悪い意味で驚き。
木村さんのコミカル演出自体が独特で、一歩引いて客観的にみると「これのなにが面白いんだ?」なシュールさなので、元々人を選ぶんですよね。そのくせこの映画は画面が暗くてBGMが少なめなので、鑑賞者の“おいてけぼり感”が際立つ。
私は原作の比留子さんがさほど好きではないのでアレですけれども、特徴的なファッションさせたり、妙な口調で喋らせたり、変なポーズとらせたりと、妙ちくりんな人物設定の変更も終始疑問でしたね。ま、かわいいから見ていられるんだけど・・・。
ゾンビシーンが思いの外長いのに、元凶であるウィルスをばらまいた「斑目機関」に関して映画ではノータッチだったのも鑑賞者を困惑させるところかと。
原作は、コテコテの本格推理小説→かと思ったらゾンビ登場で予想を裏切る→だけどやっぱり本格推理小説。
といった、特殊設定ミステリ。
特殊な設定を踏まえてあくまで論理的思考を愉しむ、奇抜ながらも実のところは古式ゆかしいゴリゴリの本格推理モノなのですが、映画だとなんの脈略もなくいきなりゾンビが登場し、意味不明に緊迫した展開になった印象が強いので、「なぜゾンビ?」って感じで、単に閉鎖空間をつくるためだけにゾンビが機能しているような勘違いをしている人もいるようです。
解決部分をちゃんと観ていればゾンビがいる特殊設定だからこその殺人事件でしっかり作り込まれていることが分るはずなのですが。ゾンビに関しての“ルール説明”が映画だとサラッとしているからですかね。特殊設定ものはルールが大事・・・!
最悪な最後
一番酷いのはなんと言ってもラストシーンです。ゾンビ化した明智さんが葉村君を襲って、比留子さんが「あげない。彼は私のワトソンだ」といって明智さんの頭を槍でぶっさして終わり。
「えええ!?ここで終わり!?」とポカンとしているところで、Perfumeさんの場違いにポップなエンディングが流れてさらにポカン。もう、最悪です。
もちろん、曲が悪いのではありません。このラストシーン後にこの曲を流す、そのセンスが最悪。
原作にもあるシーンなのですが、状況が全然違いましたし、ラストシーンではありませんでした。
なんでこれをラストに持ってくる?信じられない。本当に何がしたいのか分らない映画。
明智さんの最後の言葉、口パク部分が気になる人も多いようですが、原作から考えるなら「うまくいかないもんだな」だと思います。あのシーンで言うセリフではなく、作中で印象的に言っているセリフなんですけど。
ゾンビになると知性は失われるはずなので、完全にゾンビになっているこの状況で言うのはおかしいのですが・・・もはや考察する気力もおきない。
私にとってはそんな気分になる最悪な最後でした。
原作はシリーズ化して続編がでていますが、
映画はどんなもんでしょうか。
キャストは良いので、演出を見直してくれるなら或は・・・ですが。そう考えると、本当に残念ですね。原作小説はミステリ界の話題を攫った高評価の作品なんですよ・・・。
色々言ってしまいましたが、そこまで言うなんて逆に気になるよって方は是非。
ではではまた~