夜ふかし閑談

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『すべてがFになる』ネタバレ・考察 これを読まなきゃすべてが始まらない!傑作理系ミステリィ!

こんばんは、紫栞です。

今回は森博嗣さんのすべてがFになるをご紹介。

すべてがFになる THE PERFECT INSIDER S&Mシリーズ (講談社文庫)

 

あらすじ

コンピュータサイエンスの頂点に立つ天才プログラマ真賀田四季。彼女は十四歳のときに両親を殺害し、以降は孤島の研究施設の一室から一歩も出ない生活を十五年続けていた。

 

ゼミ旅行で教え子たちと共に孤島を訪れたN大学助教授・犀川創平は、教え子の一人である西之園萌絵に誘われて真賀田博四季士に会うべく研究施設を訪問する。

施設内の研究員によると、真賀田博士とは一週間いっさい連絡が取れておらず、博士が居るはずの部屋のドアもソフトの問題で開けられなくなっているという。

ソフトが復旧し、心配した研究員と犀川たちが博士の部屋に入ろうとしていた矢先、部屋からウエディングドレスを着た真賀田四季だと思われる死体がワゴンに乗せられて進み出て来た。

死体は両手両足が切断されており、明らかに他殺。博士の部屋の中を確認したが誰もおらず、室内の異常はコンピュータのディスプレイに「すべてがFになる」という謎の言葉が残されていたことのみ。

 

あまりに不可解な状況に困惑する犀川たちだったが、さらに研究所内で事件が発生して――。

 

 

 

 

 

 

 

理系ミステリの傑作

すべてがFになる』は1996年に刊行された長編小説。森博嗣さんのデビュー作であり、工学部建築学助教授の犀川創平と、その教え子である西之園萌絵が活躍する【S&Mシリーズ】の第一作。

 

今まで【S&Mシリーズ】について、

 

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森博嗣作品全体について、

 

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当ブログでまとめる度に森博嗣作品はこれを読まないと、とにかくすべてが始まらない!」と書いてきた訳ですが、いずれもサラッとふれる程度だったので、今回は『すべてがFになる』一作に絞って深堀していきたいなと。この間新作の『オメガ城の惨劇』

 

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を読んで『すべてがFになる』読み返したくなったからってことなのですけど。広大な森博嗣ワールドも終盤に差し掛かっていますので、ここらで第一作を振り返っておこうという訳です。

 

 

今作は第1回メフィスト賞受賞作。この賞の創設には京極夏彦さんが姑獲鳥の夏の原稿持ち込みで突如異例のデビューをした経緯が大いに関係しています。

 

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読んだ人なら分ると思いますが、『姑獲鳥の夏』は色々な意味で規格外な作品ですので、コレを受けて創設されたメフィスト賞の第1回受賞作品である『すべてがFになる』もとんでもない規格外な作品となっています。

 

メフィスト賞を象徴する作品の一つであり、科学・理科系分野の人間が活躍し、その分野が題材に使われている「理系ミステリ」(森博嗣風に言うなら「理系ミステリィ」)の代名詞的作品。日本ミステリ界に新しい風を吹き込んだ傑作です。

 

 

実はこの作品、当初はシリーズの一作目にする構成ではなかったところを、デビュー作はインパクトがあった方がいいとの編集部の意向でそうなったのだとか。

タイトルも「すべてがFになる日」だったものを編集部との話し合いで最終的に“日”が取れて『すべてがFになる』になったとのこと。

デビュー作だからこその衝撃と、この印象に残るタイトルが合わさって、森博嗣さんの代表作として定着したのだと思うので、編集部の思惑がドンピシャで当たったって感じですかね。こういう話聞くと、名作の誕生には作家一人だけでなく編集部の力が大いに関わっているのだなぁと感じる。

 

 

森博嗣作品は各シリーズが繋がり続けての広大なものであり、私は『すべてがFになる』を読んでしまったがために読者として長らくのお付き合いとなった訳ですが、今作は確り単独で愉しめる作品ですので(※近年の森博嗣作品は長年のファンでないと意味が分らないものも多い)、とりあえずの“お試し”というか、気負わずに読んでみて自分に合う合わないを見極めて欲しいですね。

 

 

 

 

以下、ネタバレ込みの解説・考察となりますので注意~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トロイの木馬

作中では三人殺されるんですが、やはり一番のメインは初っ端の密室殺人。

部屋のドアが突如開き、手足が切断された死体が進み出てくる派手な死体登場シーンから始まる事件ですが、この真賀田四季の部屋、どんなに調べてもコンピュータの記録に残らず、研究員らに気が付かれずに人が出入りすることは不可能。真賀田四季が部屋に入ってから十五年間、ずっと完全にそのように管理されている筋金入りの完全密室です。

 

端的に言うと、「一人しか居ないはずの密室に他者がどうやって入ったか」という謎。

部屋には本当に何の仕掛けもないので、どう考えても不可能だとなるところですが、部屋に居たのが“女性である”ということを踏まえると、「一人だったのに二人になる」状況が成立する。

それは妊娠、出産です。

 

真賀田四季は十四歳のとき、この部屋に入る前に妊娠していた。部屋の中で娘を出産し、部屋から娘を一歩も出すことなく十五年間育て続けた。

 

皆は部屋の中には真賀田四季一人だけが居るのだと思わされていたが、実は十五年間、部屋の中には真賀田四季とその娘、二人の人間が居た。なので、部屋のドアが開いたときに一つの死体が、その派手な死体登場で衆人の目を惹きつけている間にもう一人が出て行ったというのがこの密室殺人の真相なのです。

 

この発想は「トロイの木馬」を連想させるもので、作中でも読者へのヒントのように言及されています。敵の陣地に運び込まれた木馬の中には人が入っていた――部屋に入った女性の腹には胎児が宿っていた――と、いう訳です。

 

トロイの木馬」はコンピューターウイルスの名称としても有名なので、この発想とトリックは正に理系ミステリにピッタリ。ドンピシャ!やられた!って感じですね。

 

しかしながら、こんなトリック・・・規格外すぎる。現実にはそう言われたってにわかには信じられませんよねぇ・・・。

 

 

 

 

 

「F」の意味

この密室の真相だけをドンと言われても受け入れられるものではありません。もちろん、こうなるためのお膳立てというか、緻密な計算が組まれていた訳です。なんせこの計画は、人類でもっとも神に近い天才と言われた真賀田四季によるものなのですから。

 

計画を紐解くヒントとして残されていたメッセージがすべてがFになる。これは真賀田四季が誰かに気づいてもらおうと意図的に残したもの。誰も追いつけない程の天才となると、態々自分が不利になるようなものを残したくなるものなのですかね。

 

このメッセージでの「F」が何を表しているのかというと、フィフティーン。「15」のこと。

「すべてが15になる」って何?って話ですが、16進法では「15」の数字をアルファベットの「F」で表記する。

ここら辺の数字の説明が難しいところなのですが、真賀田四季はあの部屋から死体と共に出るために、その日、その時間になると研究所内がシステムエラーを起すようにセットしており、65535時間後に起こるようになっていた。「65535」という単精度型整数は16進法で表記すると「FFFF」。

 

「0000からカウントを始めて、すべての桁がFになるまで数えていた・・・・・・。全部の桁がFになるまで数える、それが時限装置だったんだ」

 

65535時間・・・つまり、七年以上前から真賀田四季はこの事件を起すことを予定していた。読み進めてみるともっと以前、両親殺害の罪で逮捕され、十五年前に部屋に入ったその時には既に、この事件を起すつもりでいたのだと明らかになる。

 

 

 

 

 

 

真賀田四季

十四歳の少女が十五年後に事件を起すべくプログラムを組む。その常人には理解しがたい計画の目的は何なのかというと、「娘に殺されること」。

 

真賀田四季が産んだ娘の父親は叔父の進藤清二で、両親を殺すことになったのも叔父との関係がバレてのことでした。

「何してんだ叔父!!」で、けしからんですね。あまりに規格外なことだらけなので薄れますが、恋愛とか血のつながりとかよく分っていない十四歳の娘(※天才ではあるものの、四季はこちらの知識は誰も教えてくれなかったためからっきしだった)を孕ませるなんて絶対に許してはいけない大人ですよ!

 

進藤は研究所の所長で、今作での第二の被害者です。「二番目に進藤清二が殺される」これもまた十五年前からの計画されていたことで、進藤清二もそのことは承知していました。

 

つまりこの計画は、“娘に両親を殺害させるための計画”

 

あの部屋の中で、真賀田四季は自分を殺させるために娘を育てていた。

長い時間をかけての緻密な、実行日時が予め定められた計画。

しかし、結果的に殺されたのは娘の方でした。

 

「名前のない十四歳の自分の娘を、真賀田博士は殺したんです・・・・・・。博士の子供は、普通の子供だった。天才ではない。母親を殺すことができない。母親の思想を理解できなかったのです・・・・・・」

 

娘がそうだったように、読者にも真賀田四季の思想は理解できない。十五年かけての“死ぬため”の計画を、自分が部屋を出るための計画に変更し、進藤を殺害。研究所から逃げるために予定になかった研究員の山根さんをも殺害して、警察からまんまと逃げおおせる・・・・・・・。

 

あまりに矛盾した行動。そもそも何でこんな大掛かりでまどろっこしい“殺される計画”を立てたのかも今作だけじゃよくわかりませんしね。“自分が死ぬ日のためのスケジュールがとても贅沢だ”的なことは言っていますが。

 

 

どうして自殺しないのだと犀川に聞かれ、四季は「たぶん、他の方に殺されたいのね・・・・・・」と答える。

 

「自分の人生を他人に干渉してもらいたい。それが、愛されたいという言葉の意味ではありませんか?犀川先生・・・・・・。自分の意思で生まれてくる生命はありません。他人の干渉によって死ぬというのは、自分の意思でなく生まれたものの、本能的な欲求ではないでしょうか?」

 

うーむ。今読み返してみると、真賀田四季もこの時はまだ人間的だなといった感じですね。“そういう欲求”がまだ残っていたのだなと。他人巻き込んで死のうとする傍迷惑な人って度々ニュースになっていたりしますが、こういう心理なんでしょうか。

 

今作の事件背景に関しては『四季』で語られていますので、

 

 

 

天才の思想をもっと知りたかったらこちらを。これを読んだからといって納得出来る「理解」は保証しないのですけどね。凡人の限界を感じさせられる・・・。

 

第一作のこの時点では単に“天才の殺人犯”という認識しかないですが、この後、真賀田四季は神様街道まっしぐらですから。

「人類でもっとも神に近い天才」ってこの時点で書かれていますが、まさか本当に文字通りの神様になると誰が思うよ・・・。

 

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個人的に、「水の中では煙草が吸えない」っていう発言が気に入ったという理由だけで四季が犀川先生に度々干渉してくることになっているというのが洒落ていて良いなとずっと思っています。

【Vシリーズ】の紅子さんもですが、天才過ぎて何でも予測ができてしまう真賀田四季にとっては、相手に予想外の発言をされるだけで“お気に入り”になるのですね。

 

 

単純に理系ミステリというだけでなく、森博嗣作品は一般論に対しての逆説的・別方向からの思考で「なるほど、そういう考え方もあるのか」と、いつも新鮮な気づきや驚きを理知的に、淡々と、低温で、与えてくれるのが魅力的。

 

人によって好き嫌いがハッキリする作風でしょうし、構想もあまりに壮大で追うのは大変ではありますが、今作が気に入ったなら「森ミステリィ」の深みにどっぷり嵌まってみては如何でしょうか。

 

 

 

 

ではではまた~