夜ふかし閑談

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『ライ麦畑の反逆児』あらすじ・感想 サリンジャー 隠遁生活の理由とは?

こんばんは、紫栞です。

今回は映画ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャーを観たので、感想を少し。

ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー(吹替版)

サリンジャーの伝記映画

原題が『Rebel in the Rye』のこちら、2017年に公開されたアメリカ映画。ライ麦畑でつかまえて』『バナナフィッシュにうってつけの日などで知られる小説家ジェローム・デイヴィット・サリンジャーの伝記映画です。

 

1950年に発表した『ライ麦畑でつかまえて』が爆発的にヒットし、世界的な有名作家となったサリンジャーですが、作品で知られる一方で、サリンジャーは人気絶頂期に表舞台から姿を消し、塀で囲まれた屋敷の中で隠遁生活をしたことでも有名。この映画は、サリンジャーが何故そのような生活を選ぶに至ったのかが描かれている物語。

2012年に刊行された評伝サリンジャー 生涯91年の真実』という本が元になっているらしいです。

 

 

作家を志して大学の創作講座に参加している青年期から、太平洋戦争で軍に入隊しての戦闘体験、除隊後に『ライ麦畑でつかまえて』を書き上げ一躍ベストセラー作家になるが、次第に世間の喧噪に背を向けるようになる――・・・と、いったサリンジャーの動向が順を追って描かれていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

ライ麦

戦争後遺症に苦しみ、それが作品に強い影響を与えているといわれるサリンジャー。この映画は神経衰弱で陸軍病院に居るサリンジャーが、大学の講師・バーネット先生、友人、恋人との日々を思い返すところから始まる。

この始まり方は完全に『ライ麦畑でつかまえて』での始まり方を意識したものですね。

 

www.yofukasikanndann.pink

 

初っ端から“サリンジャーホールデン(『ライ麦畑でつかまえて』の主人公)”を印象づけてくる作り。

 

戦争体験や有名作家になってからの苦悩が大半を占める物語なのかと各サイトのあらすじを読んだ時は思っていたのですが、いざ観てみると軍に入隊する前の創作講座や青春部分が前半を占めているので思っていたほど息苦しい内容のものではなく、観やすかったです。

 

しかし、原題の『Rebel in the Rye』も、ほぼ直訳である邦題の『ライ麦畑の反逆児』もちょっとタイトルとしてはでかさないような。

映画の内容ともマッチしているとはいえないし、「どうしても“ライ麦畑”入れたいのかな~」感漂う。誰の伝記映画か分りやすくするためか、邦題だと更に“ひとりぼっちのサリンジャー”と付いていますが、これが更にいまいち感を醸し出している。

 

ライ麦畑でつかまえて』の原題は『The Catcher in the Rye』で直訳とは意味が異なるのですが、映画では吹き替えも字幕も『ライ麦畑でつかまえて』になっていましたね。日本では野崎孝さんの訳が有名なので、全体的に訳はそれに倣っているのかと。やはり『ライ麦畑でつかまえて』って邦題タイトルは素敵だなぁとしみじみ思う・・・。

 

 

サリンジャーの作品を読んでいなくとも映画としては愉しめる作りになっていますが、読んでいた方がやっぱり理解は深まるし、話ものみ込みやすいと思います。特に『ライ麦畑でつかまえて』についての言及は多いので、読んだ方が良いかと。映画を観た後で読んでも「ああ、そういうことだったのか」と納得出来て面白いのではないかと思う。

どっちが先でも後でも良いので、小説と映画、セットで愉しんで欲しいですね。

 

 

「創作とは、作家とは」を教えてくれた恩師のバーネット先生と、出版に関してずっと面倒を見てくれた女性編集者のドロシーとのやり取りが良かったです。ドロシーは短編集のナイン・ストーリーズの献辞で名前が書かれている人物ですね。

 

 

映画のサリンジャーは『ライ麦畑でつかまえて』のホールデンよろしく、欺瞞を毛嫌いし、世間に対して常に批判的な感情を抱く人物ですが、この映画ではサリンジャーの周りの人物たち、バーネット先生、ドロシー、親友、母親、父親、妻、皆善良でちゃんとサリンジャーのことを思いやっているのが伝わってくるので、観ていて嫌な気持ちにならない。

だからこそ、サリンジャーが周りに背を向けるのがもどかしくなるのですが。

 

 

 

 

 

 

 

 

自分のためだけの「創作」

苦しんだ末にやっと完成した長編小説『ライ麦畑でつかまえて』を出版しようと雑誌社に持ち込むのですが、持ち込んだ先々で自己を投影した主人公であるホールデンについて「まともじゃない」「おかしい」と言われてしまう。

なんとか出版したら驚くほどの大ヒット。しかし、すると今度は「ホールデンは僕なんです」と主張する厄介なファンが群がってくるように。

 

サリンジャーにとって、ホールデンは自分自身と等しい。サリンジャーにしてみれば、「貴方はイカレテる」「貴方は私です」と言われているようなもので、批評や解釈をされる度に戸惑い、世間と乖離していく。

最終的に、創作に邪魔なものはすべて取り除こうと環境を変え、人を遠ざけ、作品の発表もやめて、一人で引きこもって創作活動をするに至る訳です。

 

ここで思うのが、“発表しない創作の意義”ですね。小説だけでなく、通常文章を書くという行為は普く人に読ませる為、伝える為にされるもの。作者以外誰も読まない「作品」は「作品」だと言えるのか。発表しない「作家」は「作家」だと言えるのか。

 

私は、小説はやはり発表されて人に読まれてこそのものだと思っています。発表する以上、批評や解釈をされるのは当たり前のことだし、作者はそれを承知で作品を世に出している。そういったこと諸々を含めて「創作」なんだと。

 

しかしこの映画を観て、誰かの為とか何かのためではなく、「自分の為だけの、自分にだけ向けた創作」があっても良いではないかという気になりました。意義とか、「こうあるべき」といったものに縛られず、したいように、自分本位に生きてもいい。もちろん、そうできうる環境が整っていて、誰にも迷惑をかけないならって話ではありますが・・・。

執筆にとことん真摯に向きあった結果、孤独を選んで「自分だけが読む小説」の執筆に専念する。

表面的には世捨て人の落第した作家と捉えられるのでしょうが、純粋な“本当の作家”であるとも言えるのかも知れません。

 

 

なので、ずっと「出版がすべてよ」と言い続けてきたドロシーが、サリンジャーの意向を聞いてすんなりと「出版がすべてじゃないわ」と了承するシーンは一気に気持ちが軽くなるというか、救われたようでジーンときました。

序盤、終盤とバーネット先生とのやり取りでまとめられているのも良いですね。数年前の問いかけに「僕は喜んで書くよ」と答えて締めなのもまた良き。

 

 

淋しくはありますが、救いや許しも与えてくれる映画だと思いますので、気になった方は是非。

 

 

観る前、観た後でも良いので、『ライ麦畑でつかまえて』や『ナイン・ストーリーズ』も是非。

 

 

ではではまた~