こんばんは、紫栞です。
今回は、宇佐美りんさんの『推し、燃ゆ』について感想を少し。
「2021年もっとも売れた本」と帯に書かれているこちら、第164回芥川賞受賞作。『推し、燃ゆ』は宇佐美りんさんのデビュー作『かか』の次に刊行された作品で、21歳での芥川賞受賞は歴代三番目の若さ。当時かなり話題になった作品ですね。
題材に興味が湧いて、今更ながら読んでみました。
オタクにとっての救いと絶望の書
内容は一言で言うと、「推しが炎上する話」。
「推し」とは、辞書的な意味では”他の人に薦めること“ですが、ここでの「推し」は特定の人や物を応援することを意味する造語を、「炎上」は物理的な”燃える”ではなく、ネット上で批判や誹謗中傷が集中してしまう状態を指す。
主人公・あかりは、男女混合アイドル「まざま座」メンバー・上野真幸(うえのまさき)を推すことに生活のすべてを費やしている女子高生。しかしある日、推しの上野真幸がファンを殴る事件が発生し、炎上。あかりの「推し」のための日常は変化を余儀なくされる――。
あらすじとしてはこんなもので、内容は本当にシンプル。推しの炎上に直面することとなってしまう熱狂的ファンの戸惑いと絶望が描かれる。ページ数も100ページちょっとであっという間に読めてしまいます。
“推しが燃えた。ファンを殴ったらしい。“
という書き出しが素晴らしく、目を惹く。この書き出しに心掴まれて購入した人は多いんじゃないかと思いますね。
私も「推し事」といえるほどの事はしていませんが応援するアーティストや俳優がいて、友達にもアイドルのファンクラブに入っている子がおり、会う度その手の話題でキャッキャと盛り上がるので、”推しの炎上“は想像するととても恐ろしい。
芸能人のスキャンダルを知ると、その度に推しの炎上に直面しているファンの心情を想像してはいたたまれない気持ちになります。
この本は”それ“が容赦なく描かれている本で、熱狂的ファン・オタクに何処までも寄り添ってくれながらも、容赦ない”終わり”を突き付けてくる。
帯にある豊崎由美さんのコメント、
”すべての推す人たちにとっての救いの書であると同時に、絶望の書でもある“
が”まさに“、ですね。
以下、ネタバレ~
偶像に生かされるということ
作中では「ふたつほど診断名がついた」と書かれているのみで具体的には明かされていないのですが、主人公のあかりは発達障害を持った女の子。
家でも学校でもバイト先でも”生きづらさ“を感じていて、その”生きづらさ”から唯一逃れられるのは、推しを推しているときだけ。
推しが出ているものはすべて見て、推しの発言はすべてノートに書き出し、ブログやSNS でファンと繋がり、推しカラーで身の回りのものを統一、ままならないながらも推し活のためにバイトに励んでグッズを買い、お金も時間も推しに費やす。
そんなあかりにとっては、「推しは命にかかわるからね」で、自分を支える「背骨」で「中心」。
「推し」という題材同様、この発達障害の描写も高く評価されている今作ですが、「なぜ主人公を発達障害の設定にする必要があるのか」と疑問に思う人もいて、私も同意見ではある。別に障害を持ち出さなくても成立する物語なのになぁと。
皆が普遍的に抱えている疎外感や閉塞感、劣等感を際立たせるためですかね。描きたいのは“熱狂的ファンとはどういうものか”ではなくって、“生きづらさに悩まされる若者”。
「推し」といってもファンのスタンスはそれぞれ違っていて、とにかく盲目的に信奉する人、恋愛対象としてみている人、認知されたい人、影ながら応援したい人、作品にしか興味がない人など様々ですが、あかりのスタンスは「作品も人もまるごと解釈し続けること」。
解釈することで、推しの見る世界を見て、推しと同調・共鳴したいということでしょうか。
地下アイドルを推していて、認知をもらって裏で繋がりたい、付き合いたいというスタンスである友達の成美が、あかりとは対照的な存在のファンとして描かれている。
それまでの推しが留学して活動を止めてしまったことから別ジャンルへと移った成美と、「未来永劫、私の推しは上野真幸だけ」と、頑なで一途(?)なあかりってのも、ファンの在り方の違いを見せつけられますね。ま、この人だけ!って思ってはいても、素敵な芸能人は一杯いますから、なんやかんや別で推す人が出来たりするんですけどね~。しかし、“最初の人”はいつまでも特別だというのはあると思う。
私は、どちらかというとあかりの推し方に共感しますね。リアルで触れ合いたいとはそんなに思わなくって、あくまで有象無象のファンとして応援したい。わかる。
私のような“にわか”なお茶の間ファンはともかく、あかりの推し方は「信仰」に近い。神(推し)の教え(考え)を理解するため、提供された情報を探求し、よりどころとする。
尊敬・崇拝して、推しを神格化する。
しかし、推しは仏陀やキリストではなくって、生身の、私達と変わらぬただの人間。だから破綻が生じることとなる。
ファンはどうしても知ったような顔で推しのことを語ってしまうものですが、他人を完全に理解することなど不可能。解釈し続けたところで正解なんてないし、結局のところ、あかりは上野真幸がファンを殴った理由なんて分りやしない。表舞台に立っている推しの姿は「偶像」で、“作り物”なのだから。
分ってはいても、ファンとしてはこの現実を叩きつけられるのはやはり辛いものです。
骨を拾う
〈病めるときも健やかなるときも押しを押す〉あかり。「ほんとのファンなら落ち目の時こそおうえんしなくっちゃ」な、のび太くんのセリフそのままに、今まで以上に必死に推し活に励みますが、事はどんどんと無常な方向へと進む。
ファンの女性を殴り(交際していた女性だったのではと噂が立つ)、確りとした弁明もしなかったことで炎上は加速。グループで一番人気だった上野真幸のファンは離れていき、人気投票では最下位に。インスタライブで公式発表より先にグループが解散することを明かし、その後の正式な記者会見では左手の薬指に指輪をして“結婚”を匂わせ、解散と同時に芸能活動を引退することを告げ――。
いやぁ、最悪な顛末ですね!
こんな、こんなの・・・ファンが気の毒すぎる。
まず、あかりが推している上野真幸の行動は、お世辞にも褒められたものではないですよね。いやいや、ダメでしょ、これは。夢を見せ続けてきたからには、責任が伴うと思うのですよ。私は。
でも、現実にもありふれていることなんですよねぇ・・・それがリアル。あかりの推しは解散ライブしてくれただけまだマシなのかとも思うけど。でもかえって残酷なのだろうか・・・。
幼少の頃にピーターパン役をしていた上野真幸は、あかりをネバーランドにいざなって、おいてけぼりにして立ち去る。
これって、本当に絶望的な推しの終わり方だと思うんですよね。光り輝いている、パフォーマンスも申し分ない“まだまだ出来る”であろう推しが、突然表舞台から姿を消してしまうのって。
“終わるのだ、と思う。こんなにもかわいくて凄まじくて愛おしいのに、終わる。”
私はある芸能人のお茶の間ファンだったのですが、ある日いきなり、訳が分らない、本当に分らないままに「終わり」ました。あかりが置かれた状況とは全然違うんですけど、この一文は特に胸に迫ってくるものがあって特に辛かったです。
吹っ切るためか、SNSで特定された上野真幸のマンション前まで行ってみたあかりは(※マンションまで行くなんて絶対やってはいけない迷惑行為なのでダメですよ!)、ベランダの洗濯物を見て“推しは人になった”と痛感。もう上野真幸をいつまでも見て解釈し続けることは出来ない事実を決定的に理解する。
推しはアイドルという「神」から生身の「人」に。「信仰」していたあかりは、「神」を喪失してしまう訳です。
それで、あかりはどうなってすまうんだ・・・!なんですれども、どうともならない。
あかりにとって、“推しのいない人生は余生”。
“一生涯かけて推したかった。それでもわたしは、死んでからのわたしは、わたし自身の骨を自分でひろうことはできないのだ。”
最後は、あかりが自分でぶちまけた綿棒を拾うところで終わる。
綿棒は骨に見立ててのものですね。「背骨」と「中心」を失ったあかりは、全身を使い、這いつくばって散らばった「骨」を拾いながら、“当分はこれで生きよう”と、思う。
「中心」だった推しを推すことだけでなく、今までの「全体」すべてで“わたし”だと気がついて終わっているので、一応成長はしているのかと思いますが、この後、あかりはどうなるのですかねぇ。
学校を中退し、バイトをクビになり、就職活動もせずに亡くなった祖母の家で独り暮らし状態ですけど。
あかりは推し活のためじゃないと働く意欲が湧かなそうだしなぁ。また新たな推しに出会えたら、今度は適切な(?)推し方が出来るだろうと思うのですが。
今作は、オタク世界にまったく興味がない人には一々大仰でピンとこない物語かと思います。「つまらない」「もっと現実を見ろよ」といった具合に。なので、読む人は選ぶ作品ですかね。
でも、生きることに嫌気がさしても、推しがいるからこそ踏ん張っていられるという人間はいるんです。虚構だと分ってはいてもね。「本当」だけの世界なんて味気ないですし。
私はアイドルファンではないですが、人が作る創作物を楽しみに過している身としては共感だらけの小説でした。とにかくオタクにとっては名言だらけ。
しんどいですけど、すべての推す人たちにオススメしたい本です。
気になった方は是非。
ではではまた~