こんばんは、紫栞です。
今回は、手塚治虫の漫画作品『ブラック・ジャック』の中の一編「犬のささやき」について少し。
法外な金額を請求する無免許天才外科医のブラック・ジャックが、様々な依頼と患者に接していく連作短編漫画『ブラック・ジャック』。「犬のささやき」はその98話目の作品。
とはいえ、『ブラック・ジャック』は様々な事情による未収録作品が多々あるので、話数で本を探すとややこしいことになるのですが。
チャンピオンコミックスでは9巻、新装版では7巻、
手塚治虫文庫全集では5巻、
秋田文庫では11巻(※秋田文庫版はエピソード収録順がランダムで連載時の掲載順とは異なる)
にそれぞれ収録されています。
20ページほどのお話。ま、『ブラック・ジャック』は基本が一話20ページほどなのですが。毎度思いますが、どの話も20ページで描ききっているのには驚きですね。
どのネタもコミックス一冊使って描いても良いだろうにってものですし、体感的にはそれぐらいのボリュームのものを読んでいる気にさせられる。ネタもですが、漫画の構成と省略の上手さがピカイチなのだなと。
そんな名作ぞろいの『ブラック・ジャック』の中でも、この「犬のささやき」は個人的にかなり上位に食い込む完成度の高さのお話だと思っているのですが、この間「この話、最後が半端で何したいんだかよく分らない」という意見を偶々見かけまして。
「なんたることだ!」と、なったので、私なりにいっちょ解説してみようかと。もちろんあくまで私見ではありますが。
あらすじ
交通事故で恋人のさよりに死なれてしまった忠明は、ブラック・ジャックにさよりの愛犬・ヌーピーに「彼女の声をしゃべらせたい」と依頼する。
さよりの声をとったカセットをマイクロ化してヌーピーに仕込み、なくたびに彼女の声が再生されるようにしてくれと。
そんな細工は動物虐待だし気がすすまないと言うブラック・ジャックだったが、頼み込まれて「一年間だけ」という条件つきで依頼を引き受ける。
最初のうちはヌーピーとさよりを重ねてみることが出来て満足していた忠明だったが――。
気がふれているとしか思えない依頼でして、ブラック・ジャックも聞いた瞬間「おまえアホか!!」と叫んでいる。まったくその通りでちょっと笑ってしまう。ハッキリ言う先生、好きです!なんですけども、このセリフ実は改変されたもので、雑誌掲載時はアホに加えて「キチ○イ」と叫んでいるセリフだったらしい。
時代の所為ではありますが、『ブラック・ジャック』はこういったセリフの改変が多いですね。
彼女の声が録音されたテープですが、ベッドの中での睦言を忠明が冗談半分で録音してみせたもので(悪趣味。今の時代だったら絶対スマホでベッドの動画撮る系の男ですよこれは)、内容は「あなた愛してる」「好きよ」「好き」「好きなの」「ほんとに好き」「愛してるわ忠明さん」といった代わり映えのしないラインナップ(ま、睦言なんでそんなもんだ・・・)で、この限られたセリフがランダム再生される。
亡き最愛の人の声とはいえ、いくらなんでもこのセリフばかり延々と、しかもヌーピーが吠える度に聞かされたら飽きるし、ノイローゼにもなろうってものですよね。
しかも、テープの中には消し忘れた忠明の声で「殺してやる」という物騒な一言も入ってしまっていて、その度ドキリとさせられるというオマケつき。
以下、ネタバレ解説~
早々と忠明は嫌気がさしてしまい、ヌーピーを避けて行動するようになる。
亡くなった恋人への誓いも虚しく、新しい恋人を作る忠明。しかし、当然ながら新しい彼女にヌーピーは気味悪がられ、忠明はヌーピーを遠くに捨てるが、三ヶ月かけて痩せて泥んこの姿で戻ってくる。たまりかねて、忠明はヌーピーを箱に入れた状態で線路上に放置し、殺そうとする。
後になって、今日がブラック・ジャックと約束した1年目の日だと気づき、忠明は線路へと慌てて戻るが、ヌーピーは自力で箱から脱出していた。草むらから忠明を見て、「殺してやる」と鳴くヌーピー。それに気づいた直後、忠明はやってきた電車に轢かれてしまう・・・・・・。
なんとも奇譚話風というか、ホラーテイストのお話ですね。
テープの声はランダム再生で意味のないもののはずですが、各場面やヌーピーの心情と合うようになっていて、ヌーピーを通してさよりの亡霊がそのまま喋っているように見えるのが巧み。
やせ衰えている状態で「あなた愛してる・・・・・・・・・!」と鳴いて玄関先に現われる姿もホラーですが、極めつけは忠明が電車に轢かれる直前の「殺してやる」ですね。サラリと描かれていますがめちゃくちゃに怖い。
一見、まるで彼女の亡霊が心変わりした不実な恋人を取り殺そうとしたように見えますが、でもこれ、「殺してやる」はさよりの声じゃなくて忠明の声なんですよね。
そもそもこの「殺してやる」、どんな流れで言ったものかというと、ベッドの中で「僕らを誰かがひきさこうとしたら、僕はそいつを殺してやる」と忠明がさよりに宣言したもの。
さよりのことを最愛の人だと言っていた忠明ですが、さよりの死後、一年も開けずに新しい恋人を作り、さよりの愛犬でさよりの声を発するヌーピーを遠ざけ、殺そうとした。
これは過去の“さよりを愛していた忠明”自身への裏切りであり、忠明は自らの言葉をそのまま身に受ける結果になったといえる。
戻ってきた姿を見て一旦は介抱しているし、最後は思い直して助けようとしているなど、忠明の人物像がまるっきり悪人だという風に描いていないのがまた上手い。
バカなのは間違いないですが、一般的な善良さは残している人物なので、この結末がより怖く、やるせなく感じられるのですね。
ラストは、ヌーピーが自らブラック・ジャックの家に向かって走っているところで終わる。
子供の頃に読んだ時は、自分をもとに戻してもらうために走っている、家の場所をちゃんと覚えている賢い犬なのだなぁとだけ思っていたのですが、忠明の息がまだあるのをみて、忠明を助けてもらうために走っているのだと受け取る方が自然ですかね。
最後の2ページがとにかく良くって、轢かれる前の「殺してやる」も、電車に轢かれた忠明に近づいて「好きよ・・・・・・・・・・・」「愛してるわ・・・・・・忠明さん・・・」と顔を舐める時も、ヌーピーは忠明に対してとても愛しそうな表情をしているんですよね。愛憎の入り乱れが表現された、怖いけれどもどこか切なさのある物語となっています。
この犬への細工、ブラック・ジャックが引き受けるのはどうにも違和感があるのですが、ブラック・ジャックは実際にやってみせることで忠明に「こんなのは人間のエゴだ」と思い知らせようとしたんですかね。
忠明が早々に後悔するだろうことも分っていて、ヌーピーがどうこうされるのを防ぐために「一年間」という期限をつけた。ま、忠明は思っていた以上にバカで、約束の一年を忘れて殺そうとした訳ですけど・・・。
犬に細工して、亡き恋人の代わりをさせようなんて、あまりに勝手で酷い思いつき。ヌーピーだって元の飼い主を亡くして悲しいはずなのに、“さより役”を背負わされるとは。
最後のヌーピーの走っている姿は、“さより役”から解放されて、ヌーピーが自分自身を取り戻している姿ともとれますね。
犬に人間の言葉を喋らせるという内容と、一部の変態チックな描写に目が行きがちな作品ですが、とても巧緻な計算がされた、深みがある完成度の高い作品なので、気になった方は是非。
これだけでなく、『ブラック・ジャック』はホントに名作ぞろいの傑作連作短編漫画!で、医療漫画の金字塔!なので、是非是非。
ではではまた~