夜ふかし閑談

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『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』意味 考察 ”電気羊の夢”とは?

こんばんは、紫栞です。

今回は、フィリップ・K・ディックアンドロイドは電気羊の夢を見るか?について少し。

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))

 

SF小説の傑作

アンドロイドは電気羊の夢を見るか』は1969年にアメリカで出版されたSF長編小説。

 

内容・あらすじは、

舞台は第三次世界大戦後の未来。大戦による放射能灰で植物や生物が多大な打撃を受けたこの世界では、科学技術が発達して本物そっくりの機械動物や人造人間が溢れているため、生きている動物を所有することが人々のステイタスとなっている。

電気羊を本物の羊だと周囲に偽っているバウンティ・ハンター(賞金稼ぎ)のリックは、本物の羊を手に入れようと、莫大な懸賞金を狙って火星から逃亡し地球に侵入した八人のアンドロイドの狩りを始めるが――。

 

ってなストーリー。

 

賞金稼ぎが狩りをするという単純なストーリーのようでいて、「人間とアンドロイドの違い」「人間とは何か?」などといったテーマが盛込まれた哲学的な近未来SF小説です。

 

この作品、アーサー・C・クラーク2001年宇宙の旅などに続いて近年SF作品では必ずと言って良いほど引用や言及があるんですよね。小説もドラマもアニメも。

 

 

 

 

 

特に、科学技術が発達した近未来で、人工物と人間との境界線が曖昧になっている世界が舞台の“小難しい系SF”だと絶対出て来るなというイメージ。観ていると「あ、またその作品について語っている!」ってなる。語ってはいなくとも、匂わせるモチーフを出したりオマージュが仕込まれていたり。

 

あまりにも引用・言及されるので、印象的なタイトルも気になるし読んでみようとなった次第です。

 

で、読んでみたらですね、非常に面白かったですね。

序盤は世界観を理解するのに手間取りますが、スリリングでハードボイルドなストーリーで読ませてくれる中で、深いテーマをどっぷり考えさせる、タイトルと共にいつまでも心に残りそうな物語。

50年以上前の作品ですが今読んでもまったく古さを感じさせない。SFを語る上で必ず出て来るのも納得です。

 

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の翻訳本はハヤカワ文庫から刊行されている浅倉久志さん訳のもののみなのですが、

 

個人的にこの浅倉久志さんの翻訳が凄く良いです。

翻訳物だと文章の違和感が強いものが多いのですが、この本は哲学的な難解さのある部分も日本語として違和感がなく、言葉選びのセンスも良くって、翻訳されたものだということをほとんど感じさせない文章で読みやすかったです。

今後も新訳版などは出さずにこのままでお願いしたいですね。

 

 

 

 

 

ブレードランナー

1982年にアメリカで公開された映画ブレードランナーの原作小説としても有名なようで、読み終わった後にこの映画も観てみたのですが、「よく原作だと名乗れるな」といったレベルでストーリーもテーマも異なる別物でした。せいぜい原案レベルですね。

 

 

上記した翻訳本だと、表紙にわざわざ“映画化名「ブレードランナー」原作”と書かれている。それだけ映画が有名ってことなのかも知れないですが、帯ならともかく、表紙にそんな情報書かなくてもと思ってしまいますね。実際、内容が全然違うのだし。

 

しかし、この映画は映画でまたカルト的人気があり、その後のSF映画に多大な影響を与えている名作のようです。2017年にブレードランナー2049』というタイトルで続編も作られています。

 

押井守監督のGHOST IN THE SHELL攻殻機動隊でのあの町並みや世界観はこの映画から来ているものだったのだなと観て分りました。

 

ブレードランナー』では原作小説の「人間とは何か?」という肝心要のテーマが消えてしまっているのですが、『GHOST IN THE SHELL攻殻機動隊』だと『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』と同様に、真っ向から「人間とは何か?」が描かれています。

 

 

原作小説と映画、両方へのリスペクトが成されている作品なのですね。『GHOST IN THE SHELL攻殻機動隊』は何回も観ている映画なのですが、今更ながら元ネタを知れて何やら感慨深い。きっと、SFファンにとっては分って当たり前な元ネタなのでしょうけど。

 

 

 

 

 

 

電気羊の夢

この作品、やはり一番印象的なのは「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」という謎の問いかけによる少々長めのタイトル。

 

かなり印象的なタイトルなので、本の内容は知らないがタイトルは知っているという人も結構いると思います。

「○○は**の夢を見るか?」といった具合にタイトルパロディが一杯あるので、それらのパロディ作品から本家を知った人もいますかね。特徴的で何やら洒落ているタイトルなので、パロディしたくなる気持ちは分る。

 

で、気になるのはこのタイトルの意味ですよね。

 

バウンティ・ハンター(賞金稼ぎ)の主人公・リックは、人間を殺害し火星から逃亡してきた奴隷アンドロイドを始末していく。

アンドロイドの中には偽の記憶を持たされ、自身がアンドロイドだと自覚がない者たちもいる。リックは人間かアンドロイドかを見極めるために提唱されている「ファークト=カンプフ感情移入度測定方法」によって判別し、狩りをしていく訳ですが、人間と変わらぬ豊かな感情を持つアンドロイドや、アンドロイドのように無慈悲な人間などと対峙するうち、人間とアンドロイドとを隔てているものが分らなくなり、アンドロイドを狩ることに迷いが生じてく。

 

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」の“夢”が、夜寝ている間に見る「夢」のことなのか、将来への願望である「夢」のことなのかもよく分りませんが、このタイトルは主人公・リックが作中で抱く疑問からきているのだろうと思われる。

 

 

アンドロイドも夢を見るのだろうか、とリックは自問した。見るらしい。だからこそ、彼らはときどき雇い主を殺して、地球へ逃亡してくるのだ。たとえばルーバ・ラフトのように〈ドン・ジョバンニ〉や〈フィガロの結婚〉を歌うほうをえらぶのだ。不毛な岩だらけの荒野、もともと住居不可能な植民惑星で汗水たらして働くよりも。

 

 

作中のこの文ですと、アンドロイドもより良い生活がしたいという将来の夢を見るのだなとリックは結論づけている。アンドロイドにも意思があり、願望を持つのだと。

 

 

しかし、これだけなら「アンドロイドは夢を見るか?」というタイトルで良いはず。疑問なのは、何故“電気羊の夢”なのかですね。

 

「羊」なのは寝ようとするときに頭の中で羊を数えるという“アレ”(※元々は英語圏での言い伝えらしい)からきているのではないかという意見もありますし、リックが電気羊を所有しているという設定なのはこの言い伝えを意識してのものだと思いますが、それならそれで「アンドロイドは羊の夢を見るか?」で良いはず。

 

生き物の「羊」ではなく、「電気羊」なのは何故なのか。

アンドロイドだから電気の羊なのだろうとの意見もありますが、どうもその説明ではしっくりきませんよね。

 

これはやはり、主人公のリックが電気羊を所有しているからこその自問なのではないかと。

 

 

 

 

 

 

 

人間とは何か?

 

その想念の中には、本物の動物への切実な欲求もあった。電気羊への増悪が、ふたたび心の中ではっきり形をとった。生き物そっくりに世話し、気をくばってやらなければならない。品物の分際で横暴だ、と思った。あいつはおれが存在していることも知らない。アンドロイドとおなじように、あいつにはほかの生き物を思いやる能力がない。

 

作中で、リックは所有している電気羊に対してこのように思っている。

 

本物の羊、生き物ならば、手をかけただけ飼い主に気を配り、懐いてくれるだろうが、電気仕掛けの模造品はあくまで“生き物を真似しているだけ”で、そういった見返りは与えてくれない。

 

ハヤカワ文庫の「訳者あとがき」によると、フィリップ・K・ディックは以前に短編『人間らしさ』に付されたコメントでこのように語っているらしい↓

 

「わたしにとってこの作品は、人間とはなにかという疑問に対する初期の結論を述べたものである。・・・・・・あなたがどんな姿をしていようと、あなたがどの星で生まれようと、そんなことは関係ない。問題はあなたがどれほど親切であるかだ。この親切という特性が、わたしにとっては、われわれを岩や木切れや金属から区別しているものであり、それはわれわれがどんな姿になろうとも、どこへ行こうとも、どんなものになろうとも、永久に変わらない」

 

作者のディックは「親切」、つまり、他を思いやることが出来るのが人間性だと考えている。生物学上の区別などは関係なく、利己的にしか考えられないものは人間ではなく、親切ならばどんな姿だろうと人間。

 

だから、アンドロイドだろうと「親切」なら人間だし、人間だろうと「親切」でないならアンドロイドと同じ。「アンドロイド」は、ここではあくまで非人間性を表す用語なのですね。

 

人間かアンドロイドかを見極めるのに感情移入度測定法を用いるという設定なのも、この考えに基づいてなのだと理解できる。他を思いやるには、大前提として感情移入することが必要ですからね。

 

「電気羊」はリックにとって利益を与えてくれないものの象徴であり、「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」という問いかけは、「非人間は見返りを与えくれないもののことを想うことが出来るのか?」ということなのではないかと。

 

そしてこの問いかけは、リックが自分自身に問うていることでもあるのかもしれないですね。アンドロイドを狩り続ける自分は、人間性を失っているのではと不安になっている。実際、作中ではリックが自分はアンドロイドなのではないかと疑って検査をする場面もあります。

 

 

今回はタイトルの意味に的を絞って考察してみましたが、感情を動かすムードオルガン、マーサ-教たる宗教、終わらせ方など、諸々深読み出来る要素は目白押し。哲学的な部分だけでなく、SFバトルとドラマも面白く読ませてくれる小説ですので、気になった方は是非。

 

 

ではではまた~