こんばんは、紫栞です。
今回は、京極夏彦さんの『狐花 葉不見冥府路行』(きつねばな はもみずにあのよのみちゆき)をご紹介。
あらすじ
作事奉行上月監物の屋敷の奥女中・お葉は、憔悴して伏せっていた。深紅の彼岸花を染め付けた着物を纏った魔性のごとき美しい顔の男の姿を度々目撃し、恐怖で病みついてしまったのだという。
その美しき男の名は萩乃介。萩乃介は既にこの世に居ないはずの男であり、お葉はその事を身をもって”知っていた”為に畏れていたのだ。
しかし、萩乃介の亡霊はお葉の前だけでなく至る処に現われ、様々な人物に目撃されて死人が出る事態にまで発展する。
騒動を知った監物は自身の過去の悪行と関わりがあるのではないかと考え、悪行仲間と話し合い、幽霊騒動の謎を解き明かしてもらおうと武蔵野晴明社の宮守である中禪寺洲齋に”憑き物落とし”を依頼するが――。
京極夏彦×歌舞伎
『狐花 葉不見冥府路行』は、八月納涼歌舞伎での演目用に依頼されて京極さんが書き下ろした作品。2024年8月4日~25日まで東京・銀座の歌舞伎座にて上演されていまして、出演は松本幸四郎さん、中村七之助さん、中村勘九郎さん。
京極さん曰く、てっきり今までに書いた本を歌舞伎にするという話かと思ったら、歌舞伎用に書き下ろしてくれと言われて断れなかったのだそう。
歌舞伎はもちろんですが、京極さんは通常実写化を前提として作品を書くことはしない作家なので(むしろ、わざと映像化出来ないように書いていると前インタビューで仰っていたことも・・・)、これは異例中の異例、京極夏彦作品においては画期的なことです。
『鵼の碑』『了巷説百物語』と京極さんならではの(?)分厚い本の刊行が続いていましたが、今作は250ページほどで内容も読みやすいので京極初心者にもオススメ。いつもの京極作品よろしく他作と同一世界上ではあるものの、単体で充分に愉しめる作品となっていますので、夏の読書本にもオススメです。
歌舞伎ありきで書かれたってことは、ひょっとして脚本みたいな作品なのかと少し懸念したのですけど、そんなことはなく、ちゃんとした小説作品です。装丁も美しくてテンションが上がりますね。初回限定特典で武蔵野晴明社の御札も付いてくる!(値段はチトお高いが・・・)
ここ最近は超絶長編や連作作品などの刊行が続いていたので、この厚さの京極本を読むのはえらく久しぶりな気が。作品雰囲気は『嗤う伊右衛門』や『覘き小平次』などに近いですかね。
分厚いものばかり読んでいたので、このページ数だと読んでいて物足りなさ感じちゃうかも・・・なんて妙な心配をしていたのですが(よくよく考えたら250ページって普通に長編なんですけども)、物足りないなんてことは一切なく・・・と、いうかですね、滅茶苦茶に良かったですね。
ついこの間『了巷説百物語』読んで感服したばかりなのに、また感服してしまいました。
元々、京極夏彦作品は芝居がかった台詞や演出が行き届いた文体が特徴なのですが、それが歌舞伎要素とマッチしていて良い・・・!京極時代小説の耽美さが極まった悲劇作品となっております。
中禪寺洲齋
今作の舞台は江戸時代。ちゃんとした年数は書かれていませんが、『了巷説百物語』での大事件のすぐ後の出来事らしいので、天保十三年ぐらいの設定でしょうかね。
『了巷説百物語』で登場した、【百鬼夜行シリーズ】の主要人物・中禅寺秋彦の曾祖父である中禪寺洲齋がまたも登場。憑き物落としを依頼された洲齋が、幽霊事件の謎を解き明かす様が描かれる。
哀しき幽霊事件の顛末と、それに関わる悪人たちの心情が主になっていますが、今作は中禪寺洲齋の物語ともなっております。『了巷説百物語』の「葛乃葉」で触れられていた洲齋のルーツが、クローズアップされて詳細が明らかに。
『了巷説百物語』の読者が興奮するのはもちろんですが、洲齋のルーツはそのまま昭和の中禅寺秋彦のルーツともなる訳で、【百鬼夜行シリーズ】ファンにとっても非常に興味深い。必見です!
中禅寺秋彦同様、洲齋は非常に理路整然とした人物。”憑き物落としの拝み屋”として事件に関わるという立ち位置なので内面は描写されにくいのですが、今作では人間味溢れる部分を知ることが出来ます。
それと洲齋、『了巷説百物語』では二十代というだけでハッキリとした年齢は分からなかったのですが、どうやら二十四ぐらいらしいですよ。
二十四にしてこんなに死に別ればかりの人生だとは・・・江戸時代とはいえ過酷ですね。
辛くて哀しいことしか起きていないので、安らぎを与えて欲しいですよ。洲齋が奥さんと出逢うところとかいつか読みたいなぁ。昭和の秋彦さんと千鶴子さんの馴れ初めもね・・・。WOWOWドラマ版の洲齋は奥さんがいて愛妻家設定だったんですよ。その奥さんが病気だって設定だったんだけれども・・・。
今作の目録は以下の通り↓
●死人花
●墓花
●彼岸花
●蛇花
●幽霊花
●火事花
●地獄花
●捨子花
●狐花
これすべて曼珠沙華の異名で、各地方では実際にそう呼ばれているらしい。
こんなに別名があるとは驚きですが、地方名は数百から千種類以上あるとも言われているのだとか。それほど人々に強い印象を与える花なのですね。
タイトルの『狐花 葉不見冥府路行』も曼珠沙華のこと。作中に出て来る
「この曼珠沙華という花は、花が咲く時に葉はないのだ。花が堕ちて後に葉が繁る。葉は花を花は葉を知らぬ、そうした花なのだ。美しいが、不吉な花だ。そして毒もある」
という台詞が、”幽霊となった”萩乃介と、この作品全体を表すものとなっています。
各目録の曼珠沙華の別名が、ちゃんとその章で意味を持って描かれているのが流石京極夏彦といった感じ。
今作に出て来るのは疚しき想いのある悪人ばかり。不吉な姿をした曼珠沙華を見て、皆それぞれに過去の行いを想起していく訳です。
幽霊
「人は亡魂の姿を見ましょうし、それを怖れましょうに」
「それを見る者が、それを死人と判ずるだけのこと。そう判ずるは、彼の者に疚しき心がある故に御座いましょう。それが亡魂に見えるなら、見えておるのは自は心に御座います」
今作の登場人物たちは、幽霊を見ることで悲劇的な結末を迎えていきます。しかし、それは”幽霊を見たから”ではなくって、いずれも自らの疚しき心で自滅しているにすぎない。「萩乃介」という幽霊が、ちょっと後押しをしただけの事。
この物語は復讐劇ですが、幽霊を使ったこの復讐方法は何も感じない”人でなし”には効かないものです。罪悪感を持てる、”ちゃんとした人間”にしか効かない。
悪人ばかりの今作ですが、”根っからの”という人物は居ない。だからこその哀しい物語。
『巷説百物語』で又市が言う「悲しいやねえ。人ってェのはさあ」が思い出されますね。
最後、洲齋が「お前の幽霊は、私が見よう」と言って終わるのが何とも良い。
今作は歌舞伎用に書き下ろされた作品なので視点や場面切り替えが劇っぽく、通常の京極作品とは異なるのですが、この考えぬかれた作品構成と完成度の高さはいつもながら唸らされます。
中禪寺が出て来て「憑き物落とし」ですので、ちゃんとミステリ的仕掛けもあります。この仕掛けも歌舞伎ならではって感じで良かったですね。ちょ~と無理あるのでは?と最初思いましたが、あの当時、夜は光量がなくって暗いからそう無理でもない・・・のかも?
私は残念ながら今回の歌舞伎を観に行くことが出来ないのですが、こんな素晴らしい作品が読めて本当に有り難い企画でした。感謝感謝。
ファンはもちろん、今まで京極作品に触れたことがない人にもオススメの本ですので是非、この夏に如何でしょうか。
ではではまた~