こんばんは、紫栞です。
今回は、桜庭一樹さんの『彼女が言わなかったすべてのこと』を読んだので感想を少し。
あらすじ
二〇一九年九月の終わり。病気療養中の小林波間は帰宅途中に通り魔事件に遭遇し、女性が刺されるところを目撃する。救急車や警察が呼ばれて大騒ぎとなる最中で、大学時代の同級生・中川甍と七、八年ぶりに再会し、上着を借りてLINEを交換した。
連絡を取り合い、久しぶりに食事でもしようと都内で待ち合わせをした二人だったが、どうやら波間のいる世界と中川くんのいる世界は”別の世界線”らしいと判明。
大学卒業後の、それぞれに分岐した別世界。あっちの世界の中川くんはサラリーマンで、こっちの世界の中川くんは漫画家で、あっちの世界の私はロンドンに住んでいて・・・。
通り魔事件があったあの時の地震で一時的に二つの世界線が繋がったのか?
繋がっていた瞬間に交換したためなのかLINEでだけ連絡が取り合えるようで、二人は違う世界にいながら近状の報告をし合うようになるが――。
パラレルフィクション
『彼女が言わなかったすべてのこと』は2023年5月に刊行された長編小説。
前回の記事で紹介した桜庭さんの新刊『名探偵の有害性』
を手に取った時に著者紹介の覧に『彼女が言わなかったすべてのこと』と、作品名が載っているのを発見。
桜庭さんの小説作品は発売されたらすぐに買うことにしている私。「えぇ~!何この本!知らん」ってなりまして。調べてみたらば一年以上も前に刊行されているではありませんか。
好きで追っている作家は発売情報を逃さぬように通知の登録もしているのですがねぇ。去年の私は一体何をしていたのか・・・ああ、不覚です。
とにかく、遅ればせながら慌てて買って読んだ次第です。
280ページほどの長編で、内容はパラレルワールドフィクションとでも言ったら良いのですかね。物語は小林波間の視点。パラレルワールドにいる中川くんとLINEと通話で定期的にやり取りする日々が淡々と描かれています。
主人公の波間は30代の女性で、乳癌治療で仕事を休職中。独り身で、病気のことは離れて暮らす両親には黙っていて、事情を知っているのは職場の人と古くからの友人と兄のみ。
抗癌剤の副作用や手術、病気になったことでの周囲からの対応の変化など、様々なことに悩んだり考えたりしながら、中川くんとの何気ない会話が少なからず心の支えになっていくのですが、中川くんがいるパラレルワールドの方が何やら不穏なことになっていく。
読み進めていくと、中川くんがいる世界の方が現実に私達がいる日本なのだと分かっていきます。物語は2019年~2024年の事が描かれているのですが、この期間に私達がいる現実の世界で起こった事といえばコロナによるパンデミック、そして戦争です。
波間がいる世界はパンデミックの起こらなかった世界で、東京オリンピックも予定通り行われ、大盛り上がりして終わっている。本来私達が当たり前に予想していた世界ですね。
パラレルワールドという設定により、あの時のパンデミックが相対化されて、いかに異常事態だったのかと読者に思い出させます。読んでいると「ああ、そうだった。アレって異常だったよね」と何度もなりましたね。
まだコロナがなくなった訳でもないんですけど、読んでいてこんな風に思っちゃうってことは、すっかり私自身の中で”想い出”になっちゃってるんだなぁ・・・と痛感しました。喉元過ぎれば・・・ってやつですかね。
中川くんのいる世界では何万人も死んでいて、波間のいる世界ではその亡くなった人達が普通に生きていて。
(――パラレルワールドってさ、あの世みたいだな。こうなってみるとさ)
波間のいる平凡な世界が、とてつもない夢の世界だと感じられる。大半の人が当たり前に想像していたはずの世界なんですけどね。
何者でもない人達へ
この物語はパラレルワールドという特殊な設定を扱いながらも、特に大きな事は何も起きません。ただ波間がいろんなことに悩みながら日々を過していくだけ。本当にそれだけの物語。
パラレルフィクションもののはずですが、感覚としてはエッセイ本を読んでいるのに近いですかね。パラレルワールド、つまりパンデミックのこととか、その時々のニュースを聞いて思ったこと、病気になって感じた世間の在り方について、つらつらと波間の心情が描かれています。
そういう、何者でもない人達へのラブコール的物語ですね。
劇的なことが何も起こらない物語を200ページ以上人に読ませるのは中々に難しいことですが、文章が上手いのでスルスル読む事が出来ます。「何気ないことだけど・・・」というのに色々と気づかせてくれる物語ですね。
興味深く読めて満足はしているのですが、波間が考えたり語っていることはもうほぼ作者の思想そのままなのかと思ってしまったりも。
特に女性という立場は世間での立ち位置云々とはアレコレ、女性は常に虐げられている云々~についてはちょっと辟易してしまいましたね。極端な意見もチラホラありましたし。
内孫が欲しいから娘に未婚の状態で子供産ませようと変な方向に考える母親とか、ひたすら傍観者の父親とか。ほぼ自叙伝作品だった『少女を埋める』
を前に読んでいるぶん、なんだか物語を追いながらも作者自身のことがちらついてしまってノイズになっているような。『名探偵の有害性』でも「私が女性だから~」みたいな描写はあったので、作者の近年最大の関心事なのでしょうね。
とはいえ、今作は中川くんを始めとして主人公の周りが好感が持てる人達ばかりで良かったです。中盤過ぎの兄の行動には驚きましたが。でも結局半端なところで日常に戻っちゃうのがまたソレっぽい。
「愛しかないじゃん」な、物語でしたね。
気になった方は是非。
ではではまた~