こんばんは、紫栞です。
今回は、乙一さんの『大樹館の幻想』をご紹介。
あらすじ
巨大針葉樹の幹を囲むように建設されている洋館・大樹館。偉大な小説家である御主人の奥方の十三回忌で大樹館に家族がそろったその日、使用人として住み込みで働いている穂村時鳥は自信の腹から”胎児の声”を聞く。
”胎児の声”は未来から語りかけていると言い、「これから殺人事件が起こり、大樹館は事件の謎を残したまま炎に包まれる」と訴える。
幻聴かと思っていた時鳥だったが、”胎児の声”が訴える通りに物事は進んでいき、事件が次々と発生。
未来を変えるべく、時鳥は”胎児の声”に導かれながら大樹館が燃え落ちる前に事件の謎を解こうと推理を開始するが——。
『大樹館の幻想』は2024年9月に刊行された長編小説。「星海社 令和の本格ミステリカーニバル」ように(?)書き下ろされた作品のようで、ゴリゴリの館もの本格推理小説です。
デビュー以来、ミステリ小説は多く書いてきている乙一さんですが、どの作品も短編で叙述系のどんでん返しものが主でした。少ないページ数の中で奇想天外な仕掛けと完成度の高い物語が展開されるのが持ち味で凄味。
そのため、ド定番な舞台設定の推理もの作品は今までさほど(と、いうかほぼ)なかったのですが、今作は本当の、本格長編推理小説。しかも館もの。推理小説特有の図解がたくさん挿入されており、タイトルも”いかにも”。
こんなにガチガチでゴリゴリのベタベタ本格推理ものは乙一史上初なので、「乙一が書く本格推理ってどんななの!?」と読む前からテンションが上がりました。私は乙一作品が好きであるのと同様に、伝統的な定番ミステリも好きな人間ですから。
乙一さん作品ですと他名義のものも含め、長編はホラーやヒューマンものでしたからね。400ページ以上の長編でミステリを書いてくれているのも初です。
タイトルに「幻想」とあるように、舞台も登場人物も文章も耽美で幻想的。別名義の山白朝子よりの作風寄りですかね。
登場人物の名前もゴテゴテで、皆名前に相応しい美形・美人なので、もはや少女漫画的。語り手はほぼ時鳥なのですが、地の文での表現が一々乙女チックです。
そうはいってもやはり乙一ですので、耽美に王道のミステリをやりながらも奇抜な要素が盛込まれています。それが上記のあらすじにもある”胎児の声”に導かれての推理ですね。
以下、ネタバレ含む感想となりますので注意~
未来からの干渉
主人公の穂村時鳥は現在妊娠初期の状態です。本人もまださほどの自覚症状はしておらず、「ひょっとして・・・」ぐらいに思っていたところ、腹の中から”胎児の声”を聞く。
胎児を通して時鳥に呼びかけているのは、十数年後の未来に暮らしている時鳥の息子・穂村ツバメ。ツバメは理系の大学に通っていて、精神を過去にいる自分に重ねる時間遡行の実験の被験者をしている。
ツバメの居る未来では、十数年前の大樹館での事件は「多くの謎を残したまま焼失したことで伝説と化した事件」として、多くの人々に考察されていて、使用人の時鳥は犯人の最も有力な容疑者として疑われ続けた。そのような状態のためろくな職に就けず、ツバメを一人で育てていた時鳥は金に困窮して自身の病気を放置してしまった結果、早くに亡くなってしまったと。
ツバメが時間遡行の実験に参加したのは、過去の母親を救うため。ここで混乱しそうになるのは、”胎児の声”で呼びかけて過去を変えたところで、十数年後にいるツバメの世界を変えることは出来ないということ。
この実験で過去を変えても、枝分かれした別軸世界となるだけとのこと。パラレルワールドってことですかね。
なので、何をしたところでツバメ居る世界の時鳥の命を救える訳ではないのですけども。ツバメとしては、あくまで母親の無実を証明して汚名をそそぎたい一心での実験参加だと。
ツバメは当然、過去の母親を守ろうと疑われる原因となった行動をとらないように言い、時鳥はその助言に従って行動する訳ですが、それによって”大樹館の事件”の事件内容が大きく変わることとなる。
未来からツバメが干渉したことで、ツバメが居る世界では起きていない別の死亡事件が発生し、元々の”大樹館の事件”は意図も犯人さえも異なるものへとすり替わる。
パラレルワールドが発生した結果、動機もトリックも犯人も違うものとなるのがこの作品の面白いところですね。同じ舞台で2パターンあるという。
トリックに関しては数学的というか物理的なもので、図解がないと理解するのは厳しいですかね。真相のトリック以外にも、ツバメと共に色々な”未来で探偵たちが提唱している仮説”を論じたり検証したりする場面で図解が沢山出て来ます。
これらの図解やシンキングタイムはいかにも本格推理小説って感じで、乙一作品でやられると新鮮さがありました。
舞台となる大樹館は上記したような幻想的表現で描写されているのですが、「大木を囲むようにフリルのように重なっている館」ってのは文章だけだとちょっと想像しにくいので、館の図解も欲しかったです。
父親
今作、初っ端にまず気になるのは「時鳥が妊娠している子の父親は誰なのか?」だと思います。
穂村時鳥は数年前から山奥にある大樹館で住み込みで働いているただ一人の使用人ですので、こんな閉鎖的環境で誰と肉体関係を持ったのか下世話ながら気になってしまうところ。
ツバメも読者も子供の父親は創作活動で度々大樹館に帰ってきていた次男の彗星だと思わされるのですが、終盤で実は彗星ではないと明らかにされる。
「じゃあ誰よ?」なんですけれども、それがこの小説、確りと明言されないままに終わるんですよね。
でも、ま、これはもう御主人様しかいないと思いますね。読んでいてずっと時鳥の御主人様への想いはただ世話になったというだけにしては強すぎてほぼ崇拝って感じでしたし、御主人様が息子の彗星と「時鳥の表情を変えられるか」の賭けをしたのもそういうことなのかと思えば納得がいく。
作品の中盤、数ヶ月前にクリームシチューの調理中、御主人様の小説を鍋に落してしまったが、本が溶け込んで活字成分によりとても美味になったという、よく分からない、意味不明な、幻想も幻想な事柄を時鳥が語っているのですが、
”嚥下すると御主人様の物語が私の一部となり、お腹の中に生命として宿るのを感じた。”
との一文からして、これは妊娠の暗喩だったのかと。
作中では何度も時鳥が「大樹館では夢と現実の区別がつかなくなる」と語っているので、時鳥は夢うつつに御主人様との関係を結んでいた・・・ってことなのか?「大樹館の幻想」のなせるワザなのでしょうかねぇ・・・。
正直、乙一作品ですのでもういっちょドカンとしたどんでん返しや度肝を抜く展開を期待してしまう気持ちは少しありましたが、本格ミステリとしての完成度は高く、乙一らしい奇抜さもあって十分に面白く、読み応えもあって満足な一冊でした。
気になった方は是非。
ではではまた~