夜ふかし閑談

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『恋に至る病』ネタバレ・解説 ラスト4行の意味を考察!化物との恋愛青春ミステリー

こんばんは、紫栞です。

今回は、斜線堂有記さんの『恋に至る病』を読んだので感想を少し。

 

恋に至る病 (メディアワークス文庫)

 

大量殺人犯との青春ラブストーリー

こちら、2020年3月に刊行された長編小説。2025年10月にこの本を原作とした映画が公開予定で、偶々映画の予告動画を観て気になり、

 


www.youtube.com

 

そしたらKindleUnitedで読み放題対象作品になっていたので読んでみました。

 

本のキャッチコピーは

”僕の恋人は、自ら手を下さず150人以上を自殺へ導いた殺人犯でした――。”

という、衝撃的なもの。

 

あらすじは、

物語の主な登場人物は主人公の宮嶺望(みやみねのぞむ)と寄河景(よすがけい)。冒頭、男子高校生の宮嶺が男から暴行を受けながら「そうです。景は百五十人以上の人間を殺しました。それも、自分では手を下さずに。彼女は疫病のように人を殺し、罪悪感なんて欠片も覚えなかった、化物です。僕はそんな彼女を殺しました」と告白。そこから、宮嶺がいかにして化物の景を愛するようになったか、景と初めて出会った小学五年生の頃からの回想をしていく。

 

後半、少しだけ刑事さんの視点が入りますが、基本的には宮嶺視点による回想物語となっています。

化物である寄河景を巡るサスペンスでありミステリ。そして、そんな化け物を愛してしまった宮嶺の破滅的な青春ラブストーリーです。

 

 

 

モデル・モチーフ

キャッチコピーと本の冒頭で告白されている”百五十人以上を自殺に導く”の方法、明らかになるのは第二章の後半で、100ページほど読んでやっと解ることなので知らない方が愉しめるのではと思うのですが、公式サイトや本の紹介文にも書いてあるので言ってしまいますと、”自殺教唆ゲーム『青い蝶』”を景が構想して主催者として運営した結果、日本を震撼させる死者多発事件へと発展したというのが事の次第。

 

ゲームで指示されて自殺する。しかも百人以上がなんてにわかに信じがたいですが、作中でだいぶ具体的に方法や詳細が描かれているので読み進めるうちに信じられるようになるといいますか、現実性を感じるように。

それもそのはずで、このゲームは2017年に実際に起こった「青い鯨(ブルー・ウォール・チャレンジ)」というゲームによって引き起こされた事件がモデルとなっているそうで。作者の斜線堂有記さんもこの事件から物語の着想を得たとXでポストしています。

 

今作を読み終わった後に調べてみたら、ゲーム内容はもうほぼそのままですね。

まず、SNSなどを通じてめぼしい人物をゲームに誘導する。参加したプレイヤーは数日間にわたり主催者から指示された課題を行い、画像などを付けて報告するように要求される。要求される課題は些細なものから徐々にエスカレートしていき、最終的に自殺しろと指示される・・・。

 

こんな、ただ命令に従うだけのゲームでそんなに人を惹きつけられるのかい?って思ってしまうところではありますが(何の報酬もないし、やってて面白いとも思えないし・・・)。現実にこのようなゲームで指示通りに自ら命を絶った人が多数いるとは恐ろしいことです。

 

手口としては、典型的なマインドコントロールですね。最初はとっつきやすいのからやらせて、途中で罵倒し自信を喪失させて思考力を奪い、これこれこんな事をすれば変われるよとのたまって言いなりにする。このゲームでは「死ねば素晴らしい世界に行ける」と死後の世界に夢を見させて自殺させるのが常套手段となっている。

カルト教団などのやり方と同じですが、閉鎖空間に閉じ込めたり対面ではなく、SNSでの画面上や電話でのやり取りだけで自殺にまで追いやれてしまうとは驚きですし、人間がいかにもろいかを痛感させられますね。

 

 

 

 

 

以下、ガッツリとネタバレ~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつから?

景が何故こんなゲームを作ったのかというと、小学校の時に宮嶺がクラスメイトに酷いいじめを受けたことがきっかけとされています。

 

景はそれまでクラスメイトは(と、いうか、人間は)皆善良だと思っていたが、リーダー格の人間が宮嶺をいじめ始めるとクラスメイトたちは流され、一緒にいじめるか見て見ぬフリをして誰も宮嶺を助けようとはしなかった。

景はいじめのリーダーである根津原を殺すことで宮嶺を救いましたが、”簡単に流される人々”がいたからこそ宮嶺は苦しんだのだと考え、そのような人々を淘汰しようと自殺教唆ゲーム『青い蝶』を作った。

”流されやすい人=平気で人を傷つける人”だから、簡単にゲームの指示に従ってしまうような人には死んでもらおうという訳ですね。

 

作中で刑事さんも言っていますが、人間が人間を淘汰しようなんておこがましい限りで、個人的にもこの手の思想は「たかが人間のくせに何様のつもりだよ」と反吐が出るんですけれども。

 

景はこのゲームを作ったことが宮嶺への最大の「愛」の証明だと告白する。とんでもなくイカれてるし倫理観崩壊しているんですけど、宮嶺は景のことが好きでどうしようもなく”ヤラレテ”いるので、積極的な協力はしないまでもゲームの主催者である景を恋人として支える決意をする。

 

宮嶺としては、景は善良な人間なのに自分を救うために根津原を殺してしまったことでこんなことになってしまったと思っていたのですが、終盤で次々と”景の善良さ”を否定するような事実が明かされていく。

つまり、景が人を支配することに喜びを感じる、罪悪感や共感性の欠如した「化物」だという事実ですね。上記した理屈は、すべて宮嶺への言い訳として用意したものでしかない。

 

ま、読者としては「こんなゲーム作る奴が善良なはずがないじゃん!」って感じで、サイコパスな化物なのは最初っから解りきっていたことで特に驚きもないのですけども。流されやすい人間を淘汰するって目的のはずなのに、途中でゲームから降りようとする奴は別のプレイヤーに始末させるし。景が言う理論はどう考えても破綻してるんですよね。

 

ここで問題になってくるのが「いつから景は事の成り行きを操作していたのか?」でして。

終盤で刑事の入見が言う推理でラブストーリーの根底が崩れかけ、追い打ちのようにラストの4行で困惑の極みへと導かれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

恋に至る

ラストの4行で描かれているのは、景が宮嶺の名前が書かれた消しゴムを持っていた事実。

小学校の時の消しゴムなのは間違いないのでしょうが、読者の考察ですとこの消しゴムの意味が主に二つの意見で分かれています。

 

この消しゴムは小学校の時に流行ったジンクスで景が宮嶺との恋の成就を願って持っていたものだとする意見と、この消しゴムはいじめが始まった時に取られたもので、景が根津原に命じて盗ませたのではないか、つまり、宮嶺へのいじめは実は景が首謀者だったのではないかという意見ですね。

 

私個人としては、いじめの首謀者説に一票ですかね。

宮嶺が根津原からいじめを受けていた時に、暴行を受けた後に手の写真を撮られて「蝶図鑑」とのタイトルで毎日ブログに記録されるというのがありまして(これがゲーム『青い蝶』のタイトルの元ネタにもなっている)。

根津原の残虐性を表すエピソードとして作中では描かれていましたが、これ、私は残虐性というよりも”歪んだ愛情”って感じがして違和感があったんですよね。

 

途中で根津原が宮嶺に「女みたいな顔してる」と言うシーンもあるので、少し”そういう感情”もあっていじめてたってことなのか?とか思っていたのですが、景がやらせてたとすればこの「蝶図鑑」もしっくりくる。

行為を徐々にエスカレートさせていくのも、画像をアップさせるのも景が考案した『青い蝶』と共通していますし、「蝶図鑑」自体が『青い蝶』の前身だったのかと。

 

 

あとがきで作者の斜線堂有記さんが、

 

誰一人として愛さなかった化物か、ただ一人だけは愛した化物かの物語であり、寄河景という人間そのものを謎としたミステリーです。

 

と、今作のことを説明されています。

 

刑事の入見は景が宮嶺を罪が発覚した際の自身のスケープゴートとして側においてコントロールしていたのではないかと推理していましたが、ただのスケープゴートにここまでの「物語」を用意してこんなまどろっこしいことをする理由は景にはない。他人を操ることが好きだといっても、宮嶺に異常なまでに執着しているのは間違いないことですからね。

ここまでしているのなら、もはや利用しているつもりだったとしても愛しているのと変わりないですよ。同じです。言ってしまえば”どっちでもいい”

 

私個人の考察としましては、最初から景は他人を支配することで快感を得る「化物」だったのだけれども、幼かったこともありそこまで自覚的ではなかった。それが宮嶺に恋をしたことで明確に自覚して、「化物」として開花するに至った。

終盤で景が宮嶺に、

「私は、宮嶺を傷つけられた時から、・・・・・・私の中に、ずっと消えない炎があるの・・・・・・私が、もし、普通の女の子だったら、」

と、言うシーンがある。

 

いじめにゲームに殺人と、景は様々な「物語」を宮嶺に用意しますが、これらの諸々は所謂”おためし行動”なのかなと。

宮嶺を試すと同時に、景も自分自身のことを常に試している。だから”あの時”も「やっぱりそうか」と口走った。景自身が自らを見極めたくて揺れ続けていたのでは。

普通に宮嶺を愛することが出来ない自分が嫌だと思いつつも、支配するのをやめる気にはなれない。最後にやった誘導工作も、ひょとしたら消しゴムをポッケに入れていたことさえも、「ずっと一緒にいてくれるか、いられるのか」の”おためし行動”なのかも。

 

 

そんな風に考えてはみるものの、今作は景の視点や心情が一切描かれていないので結局本当のところは解らないし断言も出来ません。まさに「寄河景という人間そのものを謎としたミステリー」で、考察の余地が何処までもある一冊となっています。

 

読者それぞれに考察・解釈するのを愉しむミステリーであり、恋愛小説ですね。

 

気になった方は是非。

 

 

ではではまた~