夜ふかし閑談

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『ザリガニの鳴くところ』映画 感想 タイトルの意味を考察

こんばんは、紫栞です。

今回は、映画『ザリガニの鳴くところ』を観たので感想を少し。

 

ザリガニの鳴くところ (字幕版)

 

『ザリガニの鳴くところ』は2022年に公開されたアメリカ映画で、原作は2018年にディーリア・オーウェンズさんが発表した同名小説。

 

 

作者のオーウェンズさんは動物学者として活動されていて、『ザリガニの鳴くところ』が作家デビュー作。

この原作小説は2019年、2020年とアメリカで最も売れた本であり、日本で早川書房から発売されたのは2020年ですが、2021年本屋大賞翻訳小説部門第1位獲得もしていて、全世界で1500万部突破の大ベストセラー小説なのだとか。いやはや、凄いですね。確かに、本屋さんで一時よく平積みにされていたような。

 

只今アマプラの見放題対象で、口コミ読んで気になったので観てみました。

 

 

タイトルと映画のポスターが印象的で心惹かれますよね。

 

 

 

物語は、1969年にノースカロライナ州の湿地帯で死体が発見されるところから始まる。死体の身元は町で評判の良かったチェイスという男で、櫓から落ちての転落死とみられた。事故か事件かも断定しかねる状況だったものの、現場から足跡も指紋も一切検出されなかったことから、警察はチェイスの死に何者かが関わっていると判断。容疑者として“湿地の娘”と呼ばれている孤児のカイヤを逮捕する。

裁判が進行していくなか、カイヤは自身の過去を回想していく。

 

カイヤが幼い頃、気性の激しい父親から逃れるため、母親と兄弟達は次々と家を出て行った。やがて父親も出て行き、カイヤは湿地の家に一人取り残される。学校に通わず、福祉課から隠れ、ルーム貝を採ってジャンピンとメイデル夫妻の雑貨店で必需品に替えてもらいながら湿地の家で一人暮らし続ける。

兄の友人だったテイトとの再開と初恋。そしてチェイスと出会い・・・カイヤの湿地での生活は脅かされていく。果たして裁判の行方と事件の真相は?

 

 

ってなストーリーですね。

 

 

 

 

 

 

 

死体が出て、裁判が行なわれて、真相は最後に明らかになって~・・・なので、ジャンルとしてはミステリーなのでしょうが、この物語のメインと見所は“湿地の娘”と呼ばれて周囲に蔑みと偏見の目で見られながらも懸命に暮らし、自然界と調和した一人の女性の生き様。

 

幼子一人残していくなんてなんちゅう家族だって感じですし、福祉課もちゃんと保護しろよと言いたいところですが、時代と孤立した場所のせいなのか、カイヤは一人で生活し続けてスクスクと成長する。

どう考えても生活するには不便な場所ですが、カイヤ自身がこの湿地から出ることを拒み続けるのですね。自然界と溶け込みながら生きるのがカイヤの望みなのです。孤独に耐えかね、男性と恋に落ちて「ここを出て外の世界に行こう」と誘われてもそれは変わらない。

 

印象的である「ザリガニの鳴くところ」というタイトルの意味は、“生き物たちが自然のままの姿で生きている場所”のこと。

カイヤは“自然のまま”、この湿地で生きたいのです。生き物として。

 

 

このカイヤの在り方は、そのまま事件の真相へと繋がっている。最後の最後、犯人が解っても、まったく責める気は起きてきません。人間界では間違いなく「罪」なのでしょうが、自然界ではただの摂理なんだとストンと受け入れてしまう。カイヤの半生を見せられるからこその共感と納得ですね。ま、怖いと思う人もいるでしょうが。

 

なので、ミステリーとしては犯人当てが容易です。登場人物が少ないですしね。

途中、赤い繊維に関するミスリードがありますが仕掛けはそれぐらいで、伏線で唸らせられるということもないです。

「どうやって殺したか」についての細かい説明は無いのですが、裁判では「現実味が無い」と一蹴されたあのトリックをやったということですよね。忙しい。なんか、被害者が勝手に落ちる仕掛けでも施したのかと思っていたのですが。「未必の故意」的な・・・。

 

ミステリー面は、原作ではもっと工夫された書き方がされているのかしら。小説だと人物の心情ももっとダイレクトに分るのでしょうし、読んでみたいですね。

 

 

湿地で長年外界と隔たれた暮らをしているが、美人で賢く、テイトやチェイスに熱心に求愛されるというのはどうしてもご都合主義感はありますかね。なにやらお伽噺風味ですらある。

テイトがまさにお伽噺の王子様的。

 

湿地とはいえ町からも普通に行き来できる場所で女性が一人というのはあまりに無防備ですし、現実にはもっと酷いことが起こるのではないかと思う。男が大人数で押しかけてくるとか・・・。

 

カイヤの境遇が境遇なので、ミルトン弁護士やジャンピンとメイデル夫妻が親身になってくれるのがしみる。兄は善人風を装っていますけど、色々言いたいところはありますね。オイコラ、置いていきやがって。

 

チェイスは“良くない男”として描かれていますが、貝のネックレスをずっとしていたし、カイヤへの想いは本当だったのでしょう。愛情が醜い執着に変わってしまったと。とはいえ、都合の良い囲い女にしようとして拒否されて逆ギレってのは、やっぱりどうしようもないクズ男で同情は出来ませんが。

 

 

ミステリー要素は薄めで思っていたのとはちょっと違いましたが、画が綺麗で湿地は神秘的、人の優しさに触れられ、ラブストーリーとしても見応えのある映画で良かったです。

夏向けの映画だと思うので、今の時期に是非。

 

 

 

 

 

ではではまた~