こんばんは、紫栞です。
今回は、京極夏彦さんの『書楼弔堂 霜夜(そうや)』をご紹介。
シリーズ完結!〈探書〉の夜
2024年11月に刊行されたこちら、明治を舞台とした「書楼弔堂」というとんでもなく品揃えが良い本屋に史実の著名人たちが客として訪れる連作短編の〈探書〉物語シリーズ【書楼弔堂シリーズ】の第四弾。シリーズ完結作です。
第一弾は夜明けの『破曉』、
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第二弾は真昼の『炎昼』、
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第三弾は夕暮れ前の『待宵』、
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第四弾は夜の『霜夜』。
朝、昼、夕、夜での四部作構成だと明言されてきたこのシリーズ、今作が完結の〈探書〉の夜であります。
「書楼弔堂」という店が舞台で、元僧侶で年齢不詳な弔堂主人と丁稚の撓(しほる)が登場するのは共通していますが、このシリーズは本ごとに五年刻みで時代が進み、語り手が変わります。
今作は明治四十年代初頭。語り手は印刷造本会社で活字を起すための元の字を書く仕事をすることになった甲野。
時代の流れに乗れない無気力男、封建的な家族に疑問を持ちつつもだからといって何をする気もない女学生、殺伐とした過去を引きずって世捨て人になっている老人・・・・・・と、社会から取り残されてしまっている人達を語り手にしてきたこのシリーズですが、最終作は勤め人で本を造る側という生産的な(?)語り手ですね。
地方から東京に出て来たばかりで、何かというと「自分は田舎者だから」と口走ってしまう癖がある青年・甲野。一緒に職人をしていた父親が亡くなったのが切っ掛けで口利きにより東京に出て来たのですが、なにやら実家の方とは色々と訳ありな様子。
下宿先の親爺と奥さん、向かいの部屋で暮らしている尾形、勤めている印刷造本会社の面々などがちょこちょこ登場していますが、『炎昼』や『待宵』みたいに語り手とセットで毎話出て来る人物はいないですね。私は尾形が中々におかしみがある人物で好きです。
最終作らしく、懐かしのあの人やこの人が勢揃いで登場。シリーズを読む中で気になっていた人物たちのその後が知れるのが熱いです。前三冊が「その後はご想像におまかせするよ~」的な締め方だったので、最終作でこんなに丁寧に拾ってくれるのは有り難い限り。懐かしの人が出て来る度に「おお!」となってなにやら感慨深かったです。
もちろん四部作の締めとしての計算され尽くした、”かくあるべし”な書きっぷりもお見事。終わってしまうのは寂しいですが、文句のない、堂々の【書楼弔堂シリーズ】完結作です!
各話・弔堂の客たち
6編収録。
●探書拾玖 活字
客は夏目漱石
夏目漱石は日本人なら誰もが知っている文豪。もはや説明は不要なのですが。シリーズ第一弾の『破曉』の時に名前だけ出ていまして、客としては登場しないのかなぁ~と、思っていたら、最終巻で出してくれたと。明治四十年代のこの頃は、夏目漱石は大学教授を辞めて小説一本でやっていこうっていう矢先ですね。
●探書廿 複製
客は岡倉天心
岡倉天心は東京美術学校(現在の東京芸術大学美術学部)の初代校長で、日本の美術史研究・美術評論家として活躍。本邦美術界を牽引した人物です。岡倉天心という名で一般には知られていますけど「天心」は雅号で、生前は本名の岡倉覚三で呼ばれることが殆どだったのだとか。
不義の醜聞、旧弊との対立など色々あったらしく、お話の中ではそこら辺の事も語られています。
●探書廿壱 蒐集
客は田中稲城
田中稲城は官吏で図書館学者。帝国図書館(現在の国立国会図書館の前身)の初代館長。政府全体が戦争の方に気を取られ、文化行政を蔑ろにする中で図書館造りに奔走し、後に「図書館の父」と呼ばれた人物。”戦争”と闘っていた人物ですね。
●探書廿弐 永世
客は牧野富太郎
牧野富太郎は植物学者。新種の植物を多数発見・命名した人物で、「日本植物学の父」と呼ばれています。2023年前期の朝ドラ「らんまん」のモデルになったことで知っている人も多いかと思います。
●探書廿参 黎明
客は金田一京助
金田一京助は言語学者で民俗学者。ミステリ界隈では横溝正史の推理小説に出て来る名探偵・金田一耕助の名前は、この方から拝借したって逸話が有名。石川啄木の親友だったことでも有名ですね。
一般的には辞書のイメージが強いですが、実際に生涯力を注いでいたのはアイヌ語の研究で、本格的な創始者。標準語の策定にも熱心に取り組んだと。しかし、国全体で言葉は統一すべきとの考えを強く持って推し進めようとしたため、後世では批判的な意見もあるようです。
お話ではまだ初々しく研究に燃えている頃ですね。弔堂主人が危うさを感じてやんわりと警告しています。
●探書廿肆 誕生
客は釈宗演
釈宗演は臨済宗の僧で、「禅」を欧米に伝えた禅師として知られている。
とはいえ、お話では客で来たよと名前が出て来るだけなのですが。
なんでも、釈宗演と弔堂主人で長々と禅問答をするといった内容のものを最初に書いたものの、丸々ボツにして釈宗演は名前だけ出すことにしたのだとか。禅問答も面白そうですけどね~最終話なので・・・まあまあまあ(^_^;)。
以下ネタバレ~
本の流通
今作は各話、印刷造本会社に勤める甲野が会社からのお遣いで弔堂に訪れ、その度に弔堂に来ている客と対面するといった流れとなっております。
この甲野が勤めている印刷造本会社は「印刷造本改良會」といいまして。読みやすくって扱いやすい書物を造ろうという会なのですが、なんと、この会はシリーズ第一弾の『破曉』の語り手だった高遠が代表的役割をしているのですよ。甲野は毎度、高遠に用事を言いつけられて弔堂を訪れる訳です。
『破曉』の時の高遠は病気療養という口実をいつまでも引きずって親と妻子のいる家から離れ、失職したのもそのままに悠々自適な無職生活を続けているってな有様の人物でしたからね。
その後が不明のままだったのですが、十五年の間に社会復帰して家にも帰ったようです。良かった良かった。
甲野は毎度、弔堂に行く前に道の途中にある店に寄るのですが、このお店はシリーズ第三弾の語り手・弥蔵がやっていた店です。今でも持ち主は弥蔵であるものの、店の方は鶴田に任せているとのことで、鶴田も毎話登場。相変わらずのお調子者です。お芳という嫁さんと共に店をやっています。五年の間に結婚したようで。読んでいて「おめでとう!」ってなりましたわ。
毎話ではないですが、弥蔵もちょこちょこと出て来てくれています。家族のように三人で暮らしているようで。良かった良かった。
一風変わった書楼に偉人たちが訪れ、店主と問答し、本を買っていくこのシリーズ。表面的には「京極版、徹子の部屋」といったイメージですが、このシリーズで主として描かれているのは「人物」ではなく、「本の流通」です。
明治は本の流通が劇的に進んだ時代。明治二十年代半ばが舞台のシリーズ第一弾『破曉』の頃は出版業がぼんやりと始まりつつある”夜明け前”で、まだ一般人が本を手に入れて読むには一苦労がありました。今作の『霜夜』では出版業界の仕組みがほぼ出来上がり、流通も印刷技術も整って、誰でも本を手に入れて読むことが出来るように。
今作の語り手は印刷造本会社に勤めているということで、字のデザインや紙の選定、装幀など、本を造る過程なども描かれています。本流通の進化を直接的に感じられる設定となっている。
シリーズを順に追っていくと、弔堂主人と客との対話ボリュームが巻を増すごとに減っていっているのが分かります。シリーズ第三弾の『待宵』でも少なくなったと感じましたが、今作の『霜夜』ではほぼ問答はしていません。
本の流通がままならなかった序盤では弔堂主人は懇切丁寧に、まるで本のソムリエのように、選んで、プレゼンして、本を薦めていました。それは、本を買うという行為がまだ気楽に出来ることではなく、どのような本があるのかの把握も難しかったため、詳しい人に教えてもらう必要があったからです。
流通が進み、読みたい本を自分で選ぶことが出来るようになったなら、”本のソムリエ”はお役御免となる。
「もう私の出番などはありません。私がこれまで為て来たことは、私などが居なくてもこの国中で行えるようになったので御座いますから。仕組みは、整ったのです」
終わりと始まり
賊に入られてボヤ騒ぎが起きたことが切っ掛けで店をたたむことを決意した弔堂主人。(前のインタビューで「最後は弔堂を火事で全焼させるか」みたいなことを京極さんが仰っていたのでドキリとしましたが、ボヤですんで良かった^_^;)
いつまでも変わらずに在り続けて欲しい場所というのはあるもの。書楼弔堂は多くの客たちにとって想い出深い、心の拠り所となっている書舗。
どんなに時代が移り変わろうが、本の流通の仕組みが整おうが、「私の出番はない」なんて寂しいことを言わずに、店を続ければ良いじゃないかと読者としては思ってしまうところですが。
高遠、弥蔵と、今までの語り手たちが出て来てくれる中、シリーズ第2弾『炎昼』の語り手である天馬塔子が中々出て来てくれないなと読みながら気を揉んだのですが、最終話で満を持して登場してくれます。
塔子さん、結局『炎昼』の後は嫁ぐことも就職することもなく実家に居たのだそう。そのような立場ではさぞ家に居づらかったのではと想像してしまいますが、この度、両親が相次いで亡くなって天涯孤独に。で、財産と家屋敷を売却したお金を使って神田の水道橋駅の裏手に家を建てたっていうんですね。で、弔堂にある書物の三分の一程度をその家に移し、補完・閲覧・売るといったことをすると。
塔子さんが受け継ぐことになるとは驚きですが、実はこの家、【百鬼夜行シリーズ】の方で既に登場しています。『今昔百鬼拾遺-鬼』で、鳥口が言っている「水道橋の民家でお婆さんが一人で営っている、中禅寺の古本の師匠だと云う大層な御仁が遺した文庫」というのがソレ。
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ファン的にこの文庫は他作と何か繋がってるのだろうなとは思っていましたが、まさかこのお婆さんってのが塔子さんのことだったとは。
弔堂が閉められることに抵抗はないのかと甲野に訊かれ、塔子さんは「同じ状態を維持するためには、常に変わっていなければいけない」「いつまでも変わらないものというのは、常に変わり続けているもののことなの」と、言う。
百年先、千年先までの次を見据えなければ、嗣いで行くことは出来ないと。
「それが出来ないのなら、何かに固執してずっと同じことを続けて行こうとするなら、それは必ず滅びます。過去の栄華を取り戻すべく同じことを繰り返したりすることは、もう愚の骨頂です。後戻りも足踏みも以ての外。わたしなんかにご主人の胸の内までは読み切れませんけれど、この弔堂は――終わるのではなくて、始まるんです」
終わって、始まる。【書楼弔堂シリーズ】の第壱話のタイトルが「臨終」で、最終話が「誕生」となってるのも意図的なものなのですね。いつもながら感服するシリーズ構成で恐れ入りますよ。ホント。
今作では語り手である甲野の訳あり事情も確り落ち着くところに落ち着いています。なるほど大変難しい実家事情で。こちらも読み応えがあります。
甲野は他作で出て来ることありますかねぇ・・・名前だけでも出て来そうな気はする。京極さんのことだし。
何やかんや言われてもやはりシリーズが終わるのは寂しくはありますが、弔堂主人は選りすぐりの本を持って北の方に行くとのことで。また他作の方で関わってきそうな匂いがプンプンしております。楽しみですね。
諸々の方は確りついていますが、弔堂主人や丁稚の撓に関しては謎の部分が多いまま。いつか別のところで明かさせるかも知れませんが、一風変わった建物である書楼もひっくるめて、謎めいたまま終えているのもまた良い塩梅かと。
今年はプライベートでは嫌なことが多かったのですが、30周年で京極さんの新作を何作も読めて読書生活の方は充実していました。年がもうじき変わるこのタイミングで、このような”終わりと始まりの物語”を読めたのは嬉しく、感謝感激であります。
広がり、繋がり続ける京極ワールドから益々目が離せません。来年もどうか、新作よろしくお願いいたします!
ではではまた~