夜ふかし閑談

夜更けの無駄話。おもにミステリー中心に小説、漫画、ドラマ、映画などの紹介・感想をお届けします

『ローズマリーのあまき香り』感想 これぞ御手洗シリーズ!待望の本格長編!

こんばんは、紫栞です。

今回は、島田荘司さんのローズマリーのあまき香り』の紹介と感想を少し。

ローズマリーのあまき香り

 

あらすじ

一九七七年十月十一日、ニューヨーク・マンハッタン。ウォールフェラー・センター五十階にあるバレエシアターで、戯曲のバレエ「スカボロゥの祭り」の最終公演中に主役のフランチェスカ・クレスパンが撲殺される事件が発生。

「スカボロゥの祭り」は四幕もので、クレスパンは二幕と三幕との間、三十分の休憩の間に殺されたのは間違いないという。しかし、現場となったクレスパン専用の控え室は地上五十階の完全な密室で凶器も見つからない。

それどころか、三幕以降も舞台は続き、クレスパンが最後まで踊りきったのを舞台関係者も観客も確りと観ていたという。

 

バレエ界の大スターであるフランチェスカ・クレスパンは、死んでも尚踊り続けた。

 

謎だらけの事件は様々な憶測を呼び、事件は神聖化されてクレスパンは文字通り伝説のバレリーナとなった。

時を経て、この“奇跡の謎”に御手洗潔が挑むこととなるが――。

 

 

 

 

 

 

 

御手洗シリーズ、久しぶりの本格長編

ローズマリーのあまき香り』は2023年4月に刊行された長編小説で、島田荘司さんの代名詞的シリーズ御手洗潔シリーズ】の新作です。

 

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2022年10月に刊行された森博嗣さんの『オメガ城の惨劇』と同じく、

 

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文芸雑誌「メフィスト」から会員制読書クラブメフィストリーダーズクラブ」となった“新生メフィスト”の立ち上げ最初の目玉連載の一つとして書かれた作品。

 

森博嗣さんに「犀川創平」の名前が出て来る長編、島田荘司さんに御手洗シリーズの長編・・・・・・ミステリ界隈の人々が否応なく惹きつけられてしまうこの強力なラインナップを初っ端の連載に持ってくるとは、“新生メフィスト”気合い入っているなといった感じ。

 

こちらのインタビューによると↓

ddnavi.com

連載の依頼が来た当初、島田さんは「本格ものを書いてくれ」と言われたものの、御手洗の親友で馬車道時代のワトソン役・石岡和己が主役のユーモア小説を構想して実際に書き始めていたらしい。

 

なんでも、

石岡君が住んでいる横浜の馬車道周辺が再開発地区になってしまい、立ち退きを要求されて仕方なく近くの高層マンションに引っ越すことになるんだけど、高所恐怖症のためベランダにも出られず、ウォークインクローゼットに閉じこもって仕事をするように。そのうち、不眠からアルコールに手を出して言動がおかしなことに・・・

ってな、ストーリー構想だったのだとか。

 

い、石岡くーん!!アルコールでおかしくなってしまうって・・・そ、そんな・・・!馬車道も・・・。時の流れは残酷というかなんというか。

ユーモア小説と島田さんは言っていますが、シリーズファンにとっては戸惑いと哀しみの物語ですね。

 

しかし、講談社の文芸部長さんから“新生メフィスト”への熱意と作品は世界配信するつもりだと聞かされ、「これは石岡君のアルコール依存症話じゃいかんぞ」となって“代表作レベルの新作”を書くことに変更したらしい。

 

こういう話聞くと、編集側の熱意って大事なんだなぁとつくづく思いますね。

 

おかげで、石岡君のアルコール依存症話ではなく、御手洗が謎を解いてくれる600ページ越えのバリバリの本格長編が書かれることになったと。

 

ま、戸惑いつつも「石岡君のアルコール依存症話」も気になるところですが。こちらもいつか書けたら書くとのことです。

 

 

 

 

シリーズとしては『鳥居の密室-世界にただひとりのサンタクロース-』

 

以来の新作となりますが、近年は御手洗シリーズといっても中編や短編だったり御手洗もオマケ程度に出て来るだけだったりするものが多かったので、このレベルの本格長編は久しぶり。

私は京極夏彦ファンでレンガ本慣れしているのでアレですが、常人ですと本のボリュームが見た目辞書なので、なかなか気後れしてしまいますかね。

 

 

後期の作品、特に『屋上の道化たち』(※文庫化の際に『屋上』に改題)やスピンオフですけど『犬坊美里の冒険』

 

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などは登場人物達も事件内容もトンチンカンで正直かなりガッカリさせられましたし、読んでいてイライラしっぱなしだったので、今回単行本で買うのを結構躊躇してしまったのですけど、作者自身が“代表作レベルの新作”との思いで書かれたとあって、さすがに今作はそんなトンチンカンな作品にはなっていなくて安心しました。

 

 

 

 

※以下、前半について少しネタバレ含みます~

 

 

 

 

 

 

 

 

事件が起こるのは1977年で、序盤は主にニューヨーク市警のダニエル・カールトンの視点で話が展開されていきます。途中、ユダヤ教の話やバレエ演目の元になっているファンタジックな作中作が挿入されて、時は20年後、迷宮入りして伝説化した事件の謎に御手洗が挑むというのが全体的な流れ。

 

この流れというか構成の仕方は、島田荘司作品の中期『水晶のピラミッド』『眩暈』『アトポス』

 

 

をシリーズファンに連想させますね。実際、作品の読み応えも中期の頃に引けをとらないもので読んでいて懐かしいといいますか、「そうそう!これぞ島田荘司作品だよね」と、なれる。

“死後も踊り続けたバレリーナという謎も、島田荘司作品全盛期のように魅力的な謎で良いなぁと。

ニューヨークのマンハッタンが舞台で、高層ビルで事件が起きるという設定は『摩天楼の怪人』を連想させますね。

 

 

御手洗が登場するのは本当に後半から。前半の300ページはまったく出て来ないのでヤキモキさせられるかもしれないですが、御手洗ものの長編だとこれはいつものパターンなので、ファンは慣れたものだろうと思う。むしろ、今回はまだ登場している割合が多いなと感じるのでは。

 

事件発生が1977年で、20年後に謎解きに挑む。つまり、1997年の御手洗が活躍する。

この頃の御手洗は北欧に移住し、大学で教鞭をとる生活を送っている。年齢はおよそ50歳くらいですかね。

 

北欧に移住してからの語り手でお馴染みのハインリッヒが今作でも登場。ハインリッヒが20年前のこの謎を持ち出して、御手洗に興味を持たせる流れですね。

 

読む前は勝手に石岡君とのコンビで読めるのかなと思っていたので、後半に入った時「あ、もう北欧移住しちゃっている時期か・・・」と少し残念な気持ちになってしまった。

ハインリッヒが嫌いな訳じゃないのですけど、ファン的にはやはり御手洗シリーズは石岡君がワトソン役をしているのが王道ですからね。北欧に移住してからの御手洗はすっかり真人間になっているので、馬車道時代のようにエキセントリックな言動もしてくれないし・・・。

 

ま、舞台がニューヨークだし、これはしょうがないですかね。石岡君は日本から出てくれんのだ。

 

作中で御手洗が「横浜に帰るかな・・・・・・」と言うシーンが「お?」と、なる。ハインリッヒはキヨシにとって心安まる場所はストックホルムじゃないのかとショックを受けていますが、御手洗が日本を離れたのは1994年でこの時まだ移住して3年ぐらいしか経っていないのだから、そりゃまだ日本への気持ちが残ってますって。

 

 

魅力的な謎と、一見無関係に見える様々なストーリーが結びついていく過程は見事で、後期のシリーズ作品の中では抜群に良い仕上がりになっていると思います。

 

殺されたバレリーナのクレスパンはユダヤアウシュヴィッツ収容所で生まれ育った設定ということで、昨今のウクライナ戦争、コロナウイルスを示唆する描写があるのも意欲的。少々陰謀論めいてはいましたが。作中で作者の島田さんの研究意見(?)が披露されるのは後期の作品ではよく見られますね。

 

女性が欲深く描かれるのも毎度お馴染み。

作者は、女性は長じれば皆そうなる生き物だと思っているのだろうか。たぶんそう決めつけていて、「これがリアルな女性像だ」と信じているのでしょうね。たまには同性に好かれるカッコイイ女性を書いてくれないものだろうか。と、ずっと思い続けているのですが・・・もう無理かな。

 

あと、犯人やトリックに唐突感があるのは否めないですね。個人的に、犯人はやはり物語の当初から関わっていて欲しいし、トリックに関してももうちょっとヒントが欲しい。ヨーゼフ・メンゲレで察してくれってことでしょうか。それにしても密室トリックの方がなぁ・・・。「アリス時間」は感服しましたけど。争いの元になった人物の描写や20年間の背景が全くないのも釈然としない点。

 

しかしながら、それらの不満を帳消しにしてくれるようなラストで読後感が良いですし、中期作品を思い出させるような“代表作レベルの新作”を久々に堪能出来て嬉しかったです。

 

 

シリーズファンはもちろん、本格長編ミステリを思う存分味わいたい方は是非。

 

 

 

ではではまた~

『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』意味 考察 ”電気羊の夢”とは?

こんばんは、紫栞です。

今回は、フィリップ・K・ディックアンドロイドは電気羊の夢を見るか?について少し。

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))

 

SF小説の傑作

アンドロイドは電気羊の夢を見るか』は1969年にアメリカで出版されたSF長編小説。

 

内容・あらすじは、

舞台は第三次世界大戦後の未来。大戦による放射能灰で植物や生物が多大な打撃を受けたこの世界では、科学技術が発達して本物そっくりの機械動物や人造人間が溢れているため、生きている動物を所有することが人々のステイタスとなっている。

電気羊を本物の羊だと周囲に偽っているバウンティ・ハンター(賞金稼ぎ)のリックは、本物の羊を手に入れようと、莫大な懸賞金を狙って火星から逃亡し地球に侵入した八人のアンドロイドの狩りを始めるが――。

 

ってなストーリー。

 

賞金稼ぎが狩りをするという単純なストーリーのようでいて、「人間とアンドロイドの違い」「人間とは何か?」などといったテーマが盛込まれた哲学的な近未来SF小説です。

 

この作品、アーサー・C・クラーク2001年宇宙の旅などに続いて近年SF作品では必ずと言って良いほど引用や言及があるんですよね。小説もドラマもアニメも。

 

 

 

 

 

特に、科学技術が発達した近未来で、人工物と人間との境界線が曖昧になっている世界が舞台の“小難しい系SF”だと絶対出て来るなというイメージ。観ていると「あ、またその作品について語っている!」ってなる。語ってはいなくとも、匂わせるモチーフを出したりオマージュが仕込まれていたり。

 

あまりにも引用・言及されるので、印象的なタイトルも気になるし読んでみようとなった次第です。

 

で、読んでみたらですね、非常に面白かったですね。

序盤は世界観を理解するのに手間取りますが、スリリングでハードボイルドなストーリーで読ませてくれる中で、深いテーマをどっぷり考えさせる、タイトルと共にいつまでも心に残りそうな物語。

50年以上前の作品ですが今読んでもまったく古さを感じさせない。SFを語る上で必ず出て来るのも納得です。

 

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の翻訳本はハヤカワ文庫から刊行されている浅倉久志さん訳のもののみなのですが、

 

個人的にこの浅倉久志さんの翻訳が凄く良いです。

翻訳物だと文章の違和感が強いものが多いのですが、この本は哲学的な難解さのある部分も日本語として違和感がなく、言葉選びのセンスも良くって、翻訳されたものだということをほとんど感じさせない文章で読みやすかったです。

今後も新訳版などは出さずにこのままでお願いしたいですね。

 

 

 

 

 

ブレードランナー

1982年にアメリカで公開された映画ブレードランナーの原作小説としても有名なようで、読み終わった後にこの映画も観てみたのですが、「よく原作だと名乗れるな」といったレベルでストーリーもテーマも異なる別物でした。せいぜい原案レベルですね。

 

 

上記した翻訳本だと、表紙にわざわざ“映画化名「ブレードランナー」原作”と書かれている。それだけ映画が有名ってことなのかも知れないですが、帯ならともかく、表紙にそんな情報書かなくてもと思ってしまいますね。実際、内容が全然違うのだし。

 

しかし、この映画は映画でまたカルト的人気があり、その後のSF映画に多大な影響を与えている名作のようです。2017年にブレードランナー2049』というタイトルで続編も作られています。

 

押井守監督のGHOST IN THE SHELL攻殻機動隊でのあの町並みや世界観はこの映画から来ているものだったのだなと観て分りました。

 

ブレードランナー』では原作小説の「人間とは何か?」という肝心要のテーマが消えてしまっているのですが、『GHOST IN THE SHELL攻殻機動隊』だと『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』と同様に、真っ向から「人間とは何か?」が描かれています。

 

 

原作小説と映画、両方へのリスペクトが成されている作品なのですね。『GHOST IN THE SHELL攻殻機動隊』は何回も観ている映画なのですが、今更ながら元ネタを知れて何やら感慨深い。きっと、SFファンにとっては分って当たり前な元ネタなのでしょうけど。

 

 

 

 

 

 

電気羊の夢

この作品、やはり一番印象的なのは「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」という謎の問いかけによる少々長めのタイトル。

 

かなり印象的なタイトルなので、本の内容は知らないがタイトルは知っているという人も結構いると思います。

「○○は**の夢を見るか?」といった具合にタイトルパロディが一杯あるので、それらのパロディ作品から本家を知った人もいますかね。特徴的で何やら洒落ているタイトルなので、パロディしたくなる気持ちは分る。

 

で、気になるのはこのタイトルの意味ですよね。

 

バウンティ・ハンター(賞金稼ぎ)の主人公・リックは、人間を殺害し火星から逃亡してきた奴隷アンドロイドを始末していく。

アンドロイドの中には偽の記憶を持たされ、自身がアンドロイドだと自覚がない者たちもいる。リックは人間かアンドロイドかを見極めるために提唱されている「ファークト=カンプフ感情移入度測定方法」によって判別し、狩りをしていく訳ですが、人間と変わらぬ豊かな感情を持つアンドロイドや、アンドロイドのように無慈悲な人間などと対峙するうち、人間とアンドロイドとを隔てているものが分らなくなり、アンドロイドを狩ることに迷いが生じてく。

 

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」の“夢”が、夜寝ている間に見る「夢」のことなのか、将来への願望である「夢」のことなのかもよく分りませんが、このタイトルは主人公・リックが作中で抱く疑問からきているのだろうと思われる。

 

 

アンドロイドも夢を見るのだろうか、とリックは自問した。見るらしい。だからこそ、彼らはときどき雇い主を殺して、地球へ逃亡してくるのだ。たとえばルーバ・ラフトのように〈ドン・ジョバンニ〉や〈フィガロの結婚〉を歌うほうをえらぶのだ。不毛な岩だらけの荒野、もともと住居不可能な植民惑星で汗水たらして働くよりも。

 

 

作中のこの文ですと、アンドロイドもより良い生活がしたいという将来の夢を見るのだなとリックは結論づけている。アンドロイドにも意思があり、願望を持つのだと。

 

 

しかし、これだけなら「アンドロイドは夢を見るか?」というタイトルで良いはず。疑問なのは、何故“電気羊の夢”なのかですね。

 

「羊」なのは寝ようとするときに頭の中で羊を数えるという“アレ”(※元々は英語圏での言い伝えらしい)からきているのではないかという意見もありますし、リックが電気羊を所有しているという設定なのはこの言い伝えを意識してのものだと思いますが、それならそれで「アンドロイドは羊の夢を見るか?」で良いはず。

 

生き物の「羊」ではなく、「電気羊」なのは何故なのか。

アンドロイドだから電気の羊なのだろうとの意見もありますが、どうもその説明ではしっくりきませんよね。

 

これはやはり、主人公のリックが電気羊を所有しているからこその自問なのではないかと。

 

 

 

 

 

 

 

人間とは何か?

 

その想念の中には、本物の動物への切実な欲求もあった。電気羊への増悪が、ふたたび心の中ではっきり形をとった。生き物そっくりに世話し、気をくばってやらなければならない。品物の分際で横暴だ、と思った。あいつはおれが存在していることも知らない。アンドロイドとおなじように、あいつにはほかの生き物を思いやる能力がない。

 

作中で、リックは所有している電気羊に対してこのように思っている。

 

本物の羊、生き物ならば、手をかけただけ飼い主に気を配り、懐いてくれるだろうが、電気仕掛けの模造品はあくまで“生き物を真似しているだけ”で、そういった見返りは与えてくれない。

 

ハヤカワ文庫の「訳者あとがき」によると、フィリップ・K・ディックは以前に短編『人間らしさ』に付されたコメントでこのように語っているらしい↓

 

「わたしにとってこの作品は、人間とはなにかという疑問に対する初期の結論を述べたものである。・・・・・・あなたがどんな姿をしていようと、あなたがどの星で生まれようと、そんなことは関係ない。問題はあなたがどれほど親切であるかだ。この親切という特性が、わたしにとっては、われわれを岩や木切れや金属から区別しているものであり、それはわれわれがどんな姿になろうとも、どこへ行こうとも、どんなものになろうとも、永久に変わらない」

 

作者のディックは「親切」、つまり、他を思いやることが出来るのが人間性だと考えている。生物学上の区別などは関係なく、利己的にしか考えられないものは人間ではなく、親切ならばどんな姿だろうと人間。

 

だから、アンドロイドだろうと「親切」なら人間だし、人間だろうと「親切」でないならアンドロイドと同じ。「アンドロイド」は、ここではあくまで非人間性を表す用語なのですね。

 

人間かアンドロイドかを見極めるのに感情移入度測定法を用いるという設定なのも、この考えに基づいてなのだと理解できる。他を思いやるには、大前提として感情移入することが必要ですからね。

 

「電気羊」はリックにとって利益を与えてくれないものの象徴であり、「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」という問いかけは、「非人間は見返りを与えくれないもののことを想うことが出来るのか?」ということなのではないかと。

 

そしてこの問いかけは、リックが自分自身に問うていることでもあるのかもしれないですね。アンドロイドを狩り続ける自分は、人間性を失っているのではと不安になっている。実際、作中ではリックが自分はアンドロイドなのではないかと疑って検査をする場面もあります。

 

 

今回はタイトルの意味に的を絞って考察してみましたが、感情を動かすムードオルガン、マーサ-教たる宗教、終わらせ方など、諸々深読み出来る要素は目白押し。哲学的な部分だけでなく、SFバトルとドラマも面白く読ませてくれる小説ですので、気になった方は是非。

 

 

ではではまた~

『ミッドナイト ロストエピソード』発売で手塚治虫幻の作品が遂に読める!?

こんばんは、紫栞です。

この間、手塚治虫の未発表の新資料が公開されるというニュースが。

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『ミッドナイト』の原型となったらしき『ドライブラー』のカラー原稿など計6点の新資料が、2023年6月16日に立東舎から発売される『ミッドナイト ロストエピソード』という本に収録されるのだとか。

ミッドナイト ロストエピソード (立東舎)

 

ウィキペディアなどにも以前から書かれていましたが、『ドライブラー』って、1985年に連載予定だったけど、その前年末に手塚治虫が病気で入院したので中止になったって作品だそうで。その後、設定を大幅に変えて1986年から連載されたのが『ミッドナイト』だと。

 

 

『ミッドナイト』はタクシードライバーが主人公のヒューマン色が強い作品で、ブラック・ジャックが重要な役どころで登場するなど『ブラック・ジャック』のスピンオフ的要素もあるものでしたが、『ドライブラー』は超能力のあるロボット自動車が活躍するSF設定ものだったけれど、アメリカドラマのナイトライダーと設定が似ているってことでお蔵入りになったそうな。

 

確かにタイトルも似ているので、もし当初の予定のまま連載に踏み切っていたら色々言われただろう事は想像に難くない。

 

ニュースで一部原稿が公開されていましたが、カラー原稿まであったとは驚き。画像見た感じ、キャラクターデザインだけでもまったくの別物ですね。

『ミッドナイト』では、主人公がロボット自動車に乗っている設定はそのままに、設定を複雑にして人間ドラマものの一話完結形式にしたってことでしょうか。 

 

最終回が収録されていない本があること、最終回だけでなく、雑誌には掲載されたのに何故か本には収録されていない話が10作以上あることは前にこちらの記事で書いたのですが↓

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6月に発売される『ミッドナイト ロストエピソード』には今まで単行本などで未収録だったそれらのエピソードがすべて収録されているそうです。

 

 

 

 

 

全67話のうち、単行本未収録だった11話分と、ブラック・ジャックが登場する3話分、巻末資料で全67話の扉絵原画、単行本の表紙絵、予告カット、そして『ドライブラー』の原稿・資料・解題を収録。B5サイズで、お値段は税込み4950円。

 

 

手塚治虫作品だとあるあるなのですが、別バージョンの最終回だとか、当初のコミックス化の際に省かれたエピソードだとか、読めるのは毎度このような豪華版のみになってしまうのですよね。

 

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全67話を収録するのではなく、その中の未収録だった11話分とブラック・ジャック登場回の3話分の収録じゃ、そのまま読んでも意味が解らないところが多々あるだろうし、完全に『ミッドナイト』の本を既に持っているマニア向けの商品。

 

個人的に、大きさとかカラーは別にいいので、もっと普通本の状態で読める完全版を出して欲しい。気になるのはあくまで漫画の内容なので、雑誌掲載時と同じ順番で収められたものをコミックスで売ってくれよと。

 

多くの人に読んでもらいたいなら、通常版と豪華版、バージョン違いで出して欲しいものです。

読みたいけどお高いから毎度躊躇してしまうのよ。

 

しかし、『ドライブラー』はともかく、未収録だった11話分はどうしようもなく気になりますねぇ・・・・・・くぅぅ(>_<)。

 

 

表紙カッコイイですね・・・。マニアは是非。

 

ではではまた~

『犬神家の一族』NHK2023年ドラマ 新解釈?なラストについて

こんばんは、紫栞です。

今回は、2023年4月22日、29日にNHKで放送されたドラマ犬神家の一族について感想を少し。

 

犬神家の一族 前編

 

横溝正史の代表的シリーズである金田一耕助シリーズ】

 

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おそらく日本でもっとも映像化されている探偵小説シリーズであろうこちら、各テレビ局、様々な俳優でドラマ化されてきている訳ですが、NHK版は2016年の『獄門島からドラマスペシャルでの単発放送の形式で続いてきており、2018年の悪魔が来たりて笛を吹く、2019年の八つ墓村ときまして、今回満を持して(?)の犬神家の一族です。

 

主演は吉岡秀隆さん。NHK版は、第一弾の『獄門島』は長谷川博己さんでしたが、第二弾の『悪魔が来たりて手笛を吹く』以降は吉岡秀隆さんが金田一耕助役をされています。吉岡秀隆金田一としては三作目ってことですね。

 

なんと、吉岡秀隆さんは映画・ドラマを合わせると27代目の金田一耕助となるのだとか。どんだけ映像化されてきているんだって感じですね。

NHK版のこのシリーズは映画テイストの重めな映像と演出が特徴。金田一耕助像は石坂浩二版や古谷一行版で作られてきたイメージが割とそのまま。吉岡秀隆さんだと“人が良さそうな感じ”が強くなっていますかね。

 

 

犬神家の一族』は原作ですとシリーズ六作目の長編ですが、文庫本の著者紹介文によると“爆発的横溝ブーム”が起こったきっかけが1976年の市川崑監督による映画

 

 

だったので、シリーズの中で一番の代表作的扱いになっていて、映像化の回数ももっとも多い。

 

やり尽くされている名作なのですが、今回は数々の有名アニメ作品やドラマ岸辺露伴は動かない

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などで有名な小林靖子さんが脚本を手掛けるとのとこで、どのように料理されるのかと楽しみにしておりました。

 

 

 

以下ネタバレ~(※原作の内容についても触れております)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まず、驚きだったのは放送時間。前篇後編と二週にわたっての放送で、それぞれ1時間半ずつ、合わせて三時間使ってのドラマになっていたことですね。

 

観る直前まで、てっきり二時間一本の放送だと思っていました。今までの『犬神家の一族』の映像化作品は基本二時間でしたからね。三時間だとちょっと単調になるのではと危惧したのですが、よくよく考えてみると死亡者数が多い事件なので、丁寧にやるのならこの長さになるのかも知れない。

基本的に原作に沿ってはいるのですが、愛憎部分に主軸を置いて作り替えられたものとなっているので、空間や演技の“間”を大事にした結果ってことですかね。

 

 

原作や他映像作品と大きく違うのは、すべて佐清の策略によるものだったという真相。財産をすべて手に入れるため、母親の松子と戦友だった青沼静馬の愛を利用したという。

 

これは完全にこのドラマオリジナルのラストですね。原作の青沼静馬はかつて母を酷い目に遭わせた犬神家への憎悪と顔に負った傷で歪んでしまった人物として描かれていて、例の入れ替わりトリックも佐清を脅して静馬が扇動して行なっていたものでしたが、このドラマでは静馬は母の愛を欲している純粋な人物として描かれていました。佐清は母の犯罪を目撃して動転している風を装いながら実は都合良く操っていたと。

 

原作のラストって、犯人の松子が自白の末に自殺、昔から想い合っていた佐清珠世が結ばれ、大団円!ってなものなのですが、自分は死んでしまうものの、結局息子に財産を相続させたかった松子の思い通りの顛末となっているし、人殺しによるお膳立てで二人は幸せを手にしました!めでたしめでたし~!って、なにやら釈然としない。

 

なので、この最後に思わぬ悪意が垣間見えるドラマオリジナルのラストの方が、この陰惨で重いストーリーには合致しているし自然だという気もする。

 

財産を自分の息子に相続させたいという松子の犯行動機は、息子を想ってというより、息子を自己実現の道具にしている印象が強く、「佐清としてはこのような強烈な母親に長年辟易していたのではないか?」と考察することも出来るし、原作の解釈の一つとして示されているのかも。

 

とにかくやり尽くされている作品なので、これぐらいの“別エンド”があってもいい気がしますね。「原作と違う!」と腹が立つ気は起きませんでした。

大胆なアレンジだけでなく、戸籍関係や原作の不自然な部分など、細かい部分も修正して上手いことまとめているなぁと。

 

 

三時間と丁寧に描いているにも関わらず、犯行の詳細などはあえてそこまで説明しないのも面白いなと思いました。

犬神家の一族』といえば!な、“湖から突き出した逆さの足”は原作とは順序を変えて謎解き後に発見されることでインパクトを強めていましたが、何でそんなヘンテコな状態になったのかは語られずじまいだし、琴の稽古を抜け出しての犯行もタイミングの説明とかがほぼなかった。

原作だと、犯行で指を怪我して、琴の先生に指を庇って演奏していることに気づかれて・・・~なんですけどね。琴の先生は盲目なので気づかれまいと侮っていたら、バッチリ気がつかれていたっていうの、原作の好きな部分だったので言及もなにもないのは少し残念でした。

 

実は、原作だと琴の先生が青沼静馬の母である菊乃なのですが、今までの映画やドラマ同様に、この部分も元から無い設定にされていましたね。

 

琴の先生が菊乃だっていうの、原作では驚かされるところではあるのですが、気がつかない松子の目が節穴過ぎるし、松子の先生になったのはまったくの偶然だっていうのも無理があって不自然ですからね。

元々『犬神家の一族』で描かれる事件内容はかなり偶然で片付けている部分が多いのですが(それもまた因縁のなせる業ってことでしょうが)、菊乃さんに関してはいくらなんでも“やりすぎ”ってことですかね。

 

でも今回のドラマは三時間もあったし、お琴の先生を意味ありげに映す場面もあったので「やってくれるのかな?」と期待してしまった。あれは何だったんだ・・・。

 

ホラーテイストですが、過去の出来事である三姉妹で菊乃を追い出すところは他の映像化作品よりマイルドな表現になっていましたね。

他の映画やドラマですと、菊乃の三姉妹への憎しみが事件を引き起こしているのでは?という印象を引き立たせるため、嬲られて着物引っぺがされてと屈辱的に生々しく描かれているのが多い。ま、赤ん坊に火傷を負わせている時点で十分酷いんですけど・・・。

 

作品雰囲気を壊さないためか、スケキヨを逆さにして“ヨキ”、つまり“斧”の見立てだよ~っていう「なんじゃそら」な部分も変えられ、普通に斧が遺体と共に見つかったということになっていた。だいぶ滑稽感漂いますから、このドラマ雰囲気では変更させるのは納得。ズボンもはいていましたね。

 

 

 

今までにない大ボリュームでありながら、要素の多い部分は省き、説明もしすぎないことで視聴者に委ねる愛憎物語になっていたかと思います。

謎解きの説明が少ないぶん、原作をまったく知らない人にとっては「ん?」となるところもあるかもですが、原作以上に「愛」と「憎しみ」がネットリと描かれた別解釈ものとして愉しむことが出来て良かったです。

 

 

再放送もあるようですので、気になった方は是非。原作を読んでから視聴するのもオススメです。

 

 

 

 

ではではまた~

 

 

 

『そして誰もいなくなった』小説 買うときの注意点!翻訳、変更、叙述・・・などなど、実は問題だらけ?

こんばんは、紫栞です。

今回は、アガサ・クリスティーそして誰もいなくなったについて少し。

そして誰もいなくなった (クリスティー文庫)

 

知らない人は誰もいない超絶有名作

そして誰もいなくなった』は1939年にイギリスで刊行された長編ミステリ小説。ミステリの女王であるアガサ・クリスティーの代表的作品で最高傑作とも評される、超絶有名作。推理小説にまったく興味がない人でも、「そして誰もいなくなった」というタイトルを知らないなんて人はいないですよね。

 

あらすじは、

孤島に招待された、たがいに面識もない職業も年齢もバラバラな十人の男女。招待主が現われぬまま初日の夜に食事会をしていた最中、謎の声によってそれぞれの過去の罪を告発される。童謡の歌詞通りに一人、また一人と何者かに殺されていき、島は恐怖に包まれるが・・・・・・・。

 

ってな物語。

 

絶海の孤島ものである「クローズド・サークル」で、童謡に擬えて人が殺されて人形も消えていくという「見立て殺人」であり、「デスゲームもの」のハシリでもある。

 

人によっては「なに、そのベタベタなストーリー」ってなる人もいるかも知れないですが(実際、私の職場の先輩はドラマ化されたものを観たときに「凄く王道なストーリーだね」と言っていた)、つまりは、この“ベタ”は『そして誰もいなくなった』が発端で原型となっているという訳。王道を作ったのはこの作品なのですよ。

 

ミステリ界では基本中の基本とされる作品ですが、度重なる映像化によってストーリーは既に知っていたのと、海外小説に若干の苦手意識があるのとで今までちゃんと読んできませんでしたが、この度ようやっと読んだ次第。

 

超絶有名作で内容が素晴らしいのは当たり前なので、今更私がどうこう述べたところでアレなのですが、初心者なりに気になった箇所や買う際に注意すべきところがあるなと思ったので、少しまとめたいと思います。

 

 

 

まず、海外小説で登場人物も多いので名前を覚えにくい。

解説などでは「登場人物の個性が際立っているため人数が多くても混乱しない」などと書かれていますし、実際、明確に書き分けはされているのですが、何だかんだ言ってもやはりカタカナの名前は覚えにくい。馴染みがないとどうしようもないのですよ、これは。読みながら何回も本の登場人物一覧を確認してしまった(^_^;)。

なので、ここで自分用も兼ねて登場人物をまとめておきます。

 

 

登場人物

ロレンス・ウォークレイヴ

元判事。年配の紳士で鋭く、高名で有能な判事と評判だったが、「死刑好きな判事」とも呼ばれていた。勝手な都合で被告人を有罪にしたと告発される。

 

ヴェラ・クレイソーン

体育教師。若い女性で、島には秘書として雇われてやって来た。家庭教師として受け持っていた子供を故意に溺死するよう仕向けたのではないかと告発される。

 

フィリップ・ロンバート

元陸軍大尉。島にはある依頼を受けて訪れた。軍人だったとき、東アフリカの部族民から食料を奪って見捨てたことで二十一名を死に追いやったと告発される。

 

エミリー・ブレント

信仰があつく、頑迷な老婦人。かつて雇っていた十代のメイドが妊娠したことを激しく糾弾し、自殺に追い込んだと告発される。

 

ジョン・マッカーサー

退役将軍の老人。大戦のときに妻の愛人だった部下を故意に死地に赴かせたと告発される。

 

エドワード・アームストロング

男性医師。なかなかに成功している多忙な医師だが、酔って手術をしたことで患者を死なせた過去がある。

 

アンソニー・マーストン

青年。遊び好きで軽薄な人柄。危険運転で子供を死なせた過去があるが、まったく悪びれずに今も荒い運転をしている。

 

ウィリアム・ブロア

元警部。現在は探偵をしており、客の監視を依頼されて島にやって来たため、最初は名前と出身地を偽っていた。賄賂を受け取り、嘘の証言で無実の人間に罪を着せて死に至らせたと告発される。

 

トマス・ロジャース

執事。実直な仕事ぶりだが、雇われたのは一週間前で雇い主に会ったことはない。妻と共謀し、かつての雇い主を死に至らせて遺産を手に入れたと告発される。

 

エセル・ロジャース

トマスの妻。ロジャースと一緒に雇われ、主に調理を担当する。常に何かに怯えているような様子を見せる。

 

 

 

島に招かれたのは、以上の十人。

 

招待したのはオーエン夫婦ということになっています。誰も会ったことはないのですけど。

 

よくよく考えると、まったく面識のない人の招きでこんな孤島にホイホイ来るのはおかしいのですが、世間で評判になっていた島だったのと、それなりの社会的地位がある人達なので、大富豪に招かれることにさほど疑問を持たないってことなのですかね。

 

 

 

 

翻訳

海外小説を読むにあたっての最初の問題は、どの翻訳者のものを読むかです。

名作ほど色々な翻訳家、色々な出版社から刊行されているものでコナン・ドイルエラリー・クイーンなど選ぶのに一苦労ですが、

 

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そして誰もいなくなった』は早川書房からの刊行のみで、訳者も旧版の清水俊二さんと新訳版の青木久惠さんのみ。

旧訳を読むか、新訳を読むかの二択ですね。

 

ハヤカワ・ミステリ文庫の清水俊二さんの旧訳版。

 

 

ハヤカワ クリスティー文庫青木久惠さん新訳版。

 

青木久惠さん訳のものはジュニア版も出ています。

 

 

文庫だと新訳決定版がハヤカワ・ミステリ文庫の装画を復刻していて見た目が同じものもあるので分りにくい。

 

 

買うときは訳者の名前に注意しましょう。訳者もどちらにも「青」の字が入っていてこれまた間違えやすいんですよねぇ。

 

 

私はあまり深く考えずに入手しやすい新訳版の青木久惠さん訳で読んだのですが、読み終わった後で比較しているサイトなどを見て軽く調べてみたら、かなり文章雰囲気が違っていて、物語の印象が異なるみたいなんですよね。

 

旧訳の清水俊二さん訳の方がその格調高く比較的淡々としていてその当時の小説を読んでいる重さがあり、新訳版の青木久惠さん訳は現代的な軽さで登場人物の感情がより劇的に書かれているって感じでしょうか。

 

調べながらこんなに違いがあるものなのかと驚きました。同じ文章でも、やはり訳者によって別物っぽくなってしまうのですね。

 

細かくみると訳は新訳の方が実際の文章に忠実らしいのですが、どうも文章がスムーズじゃないというか、読んでいて流れが止まってしまう感じがありました。翻訳ものだとこういった文章的違和感はつきまとうものですが、旧訳版の方が読みやすいしホラー的雰囲気があって良いという意見が多いようです。

しかし、より登場人物たちに感情移入したいという人には新訳版が良いのかも。

 

 

 

 

変更による問題点

80年以上前のイギリス刊行作品ということで、この作品は今では差別的表現と受け取られる箇所があるため、翻訳の際に原文から変更されている単語や表現が多い。

印象的でパロディの多い

 

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この「そして誰もいなくなった」(And Then There Were None) というタイトルも実はアメリカで出版する際に改題されたもので、原題は「Ten Little Niggers」。

 

これは作中で登場する歌からとられているのですが 、Niggersが黒人を侮辱する差別用語(日本語だと「黒んぼ」とか訳される)なので、当然のようにNG。

 

さらに、その作中のマザーグースの歌に関しても「10人のインディアン」だったのがインディアンも用語的にマズイとなって、今では「十人の小さな兵隊さん」となり、改変の繰り返しでほぼオリジナルの詩状態となっているそうな。

確かに、昔観た映画だとインディアンって言っていたなぁ・・・。

 

 

作中では人種や国籍を揶揄する表現も多く、作者としてはそのような意図はなかったのでしょうが、現在では差別として色々引っかかるということで作中文章も表現を変えられている。

 

これだけで文学的には結構問題なのですが、大問題なのは巧みに盛込まれた叙述トリックが改訂により意味を成さない物になってしまっているところですね。

 

今作では登場人物十人の視点が全員分描かれています。つまり、犯人の視点も知らず描かれていることになる訳ですが、その犯人視点であろう部分の辻褄が合わないことになっている。犯人は自作自演のはずなのに、招待されて来たとしか思えないように書かれているのですね。

 

本来は比喩表現や絶妙な言い回しなどによる叙述トリックが仕込まれていてミステリ的読みどころの一つなのが、用語への配慮による変更で日本語訳だと意味不明なことになっているらしい。

 

そんなこととは知らずに読んだので、読み終わった後はかなりモヤモヤしてしまいましたよ。このプロットで犯人視点の辻褄が合わないのはスッキリしない。多重人格者か妄想癖か?ってな状態になってしまっていますからね。

 

この本来の叙述トリックの素晴らしさに関しては、原文を読める語学堪能な人でないと無理ってことでしょうか。なんとも残念ですねぇ・・・。

 

 

 

 

ラスト

探偵が不在の推理小説でタイトルの通りに生存者もいないので、事の真相は最後に犯人の手紙によってもたらされるものとなっています。

 

そして誰もいなくなった」は世界中で映画・ドラマと映像化されていますが、犯人が一方的にベラベラ説明して終わりというのは映像化作品としてはやりにくいのか、ラストの流れは変更されていることが多いです。

 

実はアガサ・クリスティーの手によって1943年に戯曲化されていて、戯曲ですと最後は生存者がいて、ちょっとしたラブストーリー要素もあるものとなっているので、こちらのストーリーを採用している映像化作品もあります。

 

私が最初に観た映画も戯曲バージョンの方でした。その時は小説と戯曲があってラストが違うものになっているとは知らなかったのですが。

しかし、子供心に「タイトルと違うじゃん」とは思いましたね。「いなくなってないじゃん」みたいな。その後、別のドラマ化作品を観たら結末が違って驚いた。

 

 

 

人物名が覚えにくいことでの躓き、翻訳での困惑、犯人視点の不可解さなど、時代の流れと翻訳の難しさをモロに受けている小説ですが、何年経とうとワクワクするこの独自のミステリ設定の“本家”は確り読んでおくべきなのかなと思います。新訳版だけでなく、今度は旧訳版も読みたいですね。

 

気になった方は諸々気をつけつつも是非。

ではではまた~

『ブレット・トレイン』感想 伊坂幸太郎原作!違いはどんなもんなのか?

こんばんは、紫栞です。

今回は、映画『ブレット・トレイン』を観たので感想を少し。

ブレット・トレイン (字幕版)

 

『ブレット・トレイン』は2022年に公開されたアメリカ映画で、原作は伊坂幸太郎さんの【殺し屋シリーズ】の二作目『マリアビートル』

 

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伊坂作品は多数実写化されてきているし、【殺し屋シリーズ】一作目のグラスホッパーも過去に映像化されているので

 

 

『マリアビートル』の映画化自体は驚くことではないですが、まさかアメリカでブラット・ピット主演で映画化とは流石に予想外。第一報を聞いたときは「え!ホントに?すごいじゃ~ん!」でしたね。

 

原作の『マリアビートル』がどういうお話かというと、殺し屋ばかりが乗り合わせた新幹線内で、密やかに殺し合いが繰り広げられるというもの。それぞれ別の思惑によって行動する殺し屋たちの攻防戦が、新幹線車内という二時間ほどの密室の中でスピーディーに描かれる“殺し屋協奏曲”です。

 

※『マリアビートル』についての詳しい内容はこちら↓

 

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凄いと思いつつも、公開前は次々に出される映画内容の続報に戸惑いばかりでした。で、極めつけはこの予告編。


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他の乗客が知らないところでドンドン死体が増えていくというのがこの物語の特色なのですが・・・・・・めちゃくちゃダイナミックに新幹線脱線しているじゃあないか

 

こりゃそうとう原作とは別物なのだなと覚悟して観ましたよ。

 

 

ところが、意外にも前半は概ね原作通りに進んでいきます。途中までは。

登場人物が殆ど西洋人になっていて、性別が違っていたり、細かい設定が変更されていたりはあるものの、それぞれに依頼を受けた殺し屋がスーツケースの奪い合いをし、狡猾な若造が裏で掻き乱すという一連の流れは同じ。

二人組の殺し屋である蜜柑(アーロン・テイラー=ジョンソン)と檸檬(ブライアン・タイリー・ヘンリー)が作中で話す“機関車トーマスの話”などは、如何にも伊坂幸太郎作品らしい暗示的なしゃれっ気部分なのですが、この映画でも出て来る。機関車トーマスの話は省略されるだろうなぁと思っていたので、「おお」となりましたね。

 

タイトルが「マリアビートル」から新幹線を意味する「ブレット・トレイン」に改題されているので、“ナナホシテントウ虫”の逸話が出て来るか不安だったのですが、ちゃんとあって安心しました。

 

 

 

 

 

 

 

原作では日本人設定であるキャラクターを白人俳優が演じたことに関しては、向こうのお国ではちょっとした論争になったそうです。原作が日本のものであっても、制作はアメリカなんだから別に・・・って思うところですが、アメリカを舞台にしているならともかく、原作通りに日本を舞台にしているのにおかしいだろうということらしい。

 

そりゃ確かに、新幹線の一般乗客も日本人が殆ど乗っていないしおかしいのですが、この映画で描かれている日本はおかしいところだらけでもはや“ファンタジー日本”なので、そんなことわざわざツッコむ気も起きないといいますか、一々気にしていたら日本人としては観ることも出来ないといいますか、なんといいますか。

 

原作だと東京発盛岡行きの新幹線なところが京都行きに変更になっているのは、「ああ、やっぱ京都映しときたい感じですか」だし、着物と日本刀出して「いつ時代だよ」っていう組の描き方しているのもアメリカ映画での「日本」あるある。忍者出さないだけマシかもですけど。

 

リアリティがあるのは駅の看板ぐらいで、新幹線内でアメリカ映画的ド派手なアクションしているのに誰も気づかんし、駅で危険人物集団が目立ちまくって待ち構えているし、新幹線がどんなに大変なことになっても駅員さんがほぼ出て来ないなど、JRはもっとちゃんとしてると声を大にして言いたいところですが、これはもう架空の日本、新幹線としてあえてファンタジックにしているのかなと思います。

 

原作でもあとがきで作者の伊坂さんが「お話の舞台として、いつも利用する東北新幹線を使ってしまいましたが、現実には、こういった物騒なできごととは無縁です」「この物語は、“存在しない新幹線”が走行する、現実とは異なる世界でのお話、と解釈していただけると幸いです」と書かれているのですが、映画はこの部分をさらに誇張した感じ。

 

まったく取材してないでしょといった“日本舞台”ですが、パラリンピックマスコットのソメイティを連想させる「モモもん」という着ぐるみやイラストが随所に出て来て大いに役に立ったり、日本の挿入歌を何曲も流したりなど、日本へのリスペクトを感じさせる部分も多々ある。

映画制作が東京2020大会の開催と近かったので、日本!マスコット=ソメイティだ!って勢いなんでしょうね。私はソメイティ推しなので、「モモもん」が思った以上に活躍してくれるのは観ていて嬉しかったですよ。ソメイティの方がもっともっとずっとずっとカワイイですけどね。

 

総じて観ると、日本にリスペクトがあるんだかないんだかでして・・・妙な気分。

 

 

 

日本の描きだけでなく、全体的に非常にアメリカ映画らしい仕上がり。

原作は上記したように“殺し屋狂想曲”でミステリ的な伏線の張られ方や前作『グラスホッパー』との繋がり、登場人物達の人間ドラマと問答などが様々な要素が含まれた物語ですが、この映画は原作のストーリーを活かしつつ、独特の軽快なコメディアクションものとして作り替えている。

 

元々、原作の『マリアビートル』は新幹線という密室の中だけでお話が展開されていく、低予算で制作出来る舞台向けの物語なのですが(実際、2018年に舞台化されています)、アメリカの乗り物エンタメ映画らしく(?)後半は映画オリジナルで、共通の敵を前に皆で共闘!新幹線が暴走!どうする!脱線だ!冷静に考えると全然大丈夫じゃないけど大丈夫な雰囲気のラスト!みたいな、王道な展開に。

 

 

原作との最大の違いは王子(ジョーイ・キング)ですね。

まず性別が違うんですけど、原作では王子はもっとすんごい嫌なムカムカするいけ好かないガキで、終盤で「幸運と不運」「若者と高齢者」の対決が描かれることで滅多打ちとなり、議論で論破されるところがとても痛快でスカッとするのですが、この映画では別の人物が最大の敵として描かれているので、王子も原作ほどムカつかないし、“議論で論破”もない。

 

なので、原作で王子が会う人皆に問いかけていた「どうして人を殺しちゃいけないのか」の件も全面的にカットです。そもそも、これは原作でも前作『グラスホッパー』での主人公・鈴木が登場することで成り立つものでしたからね。この映画としては余計だろうし、カットで良かったと思います。

 

原作とはまた違う痛快さがあるものに仕上がっていて、エンタメとして気楽に観られるアクション映画。別物ではありますが、別物として振り切って楽しませてくれる映画ですね。

 

アメリカ映画のアジア人枠で(?)ご活躍の真田広之さんはご多分に漏れずこの映画にも登場しているのですが、重要でカッコイイ役どころをしていました。原作では一見平凡に見える老人って設定なんですけど、真田さんだと“只者じゃない”感強いですね。

ま、キャラクター設定はもろもろ全部違うので。

 

原作では死んじゃう“あの人”が生き残っているのは嬉しいし、最後にマリア役でサンドラ・ブロックが出てくれるのがまたスペシャル。カメオ出演チャイニング・テイタムライアン・レイノルズが出ているのもまた然り。

 

原作の「伝説の殺し屋」登場で度肝を抜かれるというのもいつか実写で観てみたいものですが。原作通りなら低予算で出来るし、今後日本映画でも作ってくれないかしら。

 

 

そんな訳で、原作を知っていても知らなくても楽しめる娯楽映画になっているので気になった方は是非。

 

 

 

映画を観た後でも原作は十分に楽しめるので『マリアビートル』も是非。

 

 

ではではまた~

『金田一少年の事件簿30th』4巻 ネタバレ・感想 30周年記念完結!!物語は再び37歳へ!

こんばんは、紫栞です。

今回は、金田一少年の事件簿30th』4巻の感想を少し。

金田一少年の事件簿30th(4) (イブニングコミックス)

 

『30th』完結、そして「イブニング」休刊

金田一少年の事件簿シリーズ】連載30周年記念として、37歳になっていた金田一一がふたたび高校生となって復活した金田一少年の事件簿30th』

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『37歳』の方もあるし何巻ほどやるのかと思っておりましたが、この度の第4巻で完結とのこと。

 

『37歳』になってからシリーズは「マガジン」から「イブニング」に移籍し、月2回の連載で続けられてきた訳ですが、昨年末に驚きの一報が。「イブニング」が休刊になってしまったのです。

 

「イブニング」は高めの年齢層がターゲットで実写化作品も多く出していたので、そこそこ人気の雑誌だというイメージでした。なので、休刊の発表は意外だったんですけど・・・文芸誌などは特にですが、紙媒体での雑誌は昨今どんどん休止・廃刊になっていますね。知名度のある作品を抱えていても、紙の雑誌での継続は厳しいということなのでしょうか。淋しいですねぇ・・・。

 

さて、では30周年記念でお休み状態だった『金田一37歳の事件簿』はどうなるのかというと、講談社漫画アプリ「コミックDAYS」に移籍し、2023年4月26日から連載再開されるようです。「イブニング」と同じで、月2回更新での配信。

 

「イブニング」に掲載された分で『金田一少年の事件簿30th』が完結し、新たな掲載先の「コミックDAYS」にて再び“20年後”の『金田一37歳の事件簿』の新章スタートってことですね。

 

 

 

そんな訳でシリーズとしてまた一区切りつくこととなった(気づけば区切りだらけのシリーズですよね・・・やってること変わらんのに)金田一少年の事件簿30th』4巻、前巻からの続きである「鬼戸・墓獅子伝説殺人事件」の解決編と、短編の「怪盗紳士の挨拶」が収録されています。

 

 

 

 

以下がっつりとネタバレ~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「鬼戸・墓獅子伝説殺人事件」

前巻は「ジッチャンの名にかけて!」宣言するところまでが収録されていました。※前巻の詳しい内容はこちら↓

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今巻は佐木が居るときは毎度お馴染みのビデオ映像を観ての謎解きタイム!からの推理お披露目。

 

主なトリックは火の見櫓での“空中密室”と、墓獅子舞最中でのアリバイトリックの二つ。

空中密室に関しては(これを空中密室って言うの、個人的には疑問なんですが)、オペラ座館殺人事件』でのトリックを連想させるものでしたね。上と下の違い。

結構力が必要そうだし、オペラ座の時は真上の階からターゲットが頭を出すタイミングを見れば良かったのですが、下からで櫓でってなるとロープを引っ張るタイミングが難しそう。

 

墓獅子舞最中での犯行トリック解明で星宮つむぎが犯人だと判明。やはり、この手の事件だと仮面を被っている人物が犯人ですよね。

被害者に協力させての犯行というのも予想通り。容疑者の中ですと被害者の白神流星に協力させることが出来そうなのは星宮つむぎだけなので、犯人当ては今回も容易だったかと。

 

舞を踊っている最中、マントの中で入れ替わるという“二人羽織トリック”なんですが、かなり練習が必要そうだし、普通体型の男性である白神流星と小柄な女性である星宮つむぎとでは体格差がかなりあるのでバレバレだろうと思う。実際、祖父の庄吉さんにバレてましたし。

最後にとってつけたように高遠さんプロデュースの事件だったと明かされるのですが、庄吉おじいさんに見抜かれるようなトリックを提供してちゃじゃダメだろって感じ。

 

しかし、あんなギャグ顔の駐在さんが高遠さんの変装だったのは驚きですね。今巻で一番の驚きかもしれない。

ここで高遠さんは日本を離れることを決めて、変装して経営していた「Caféふくろう」も閉店させると客の金田一たちに告げ、金田一、美雪、佐木がそれぞれに卒業後の進路について話す場面で終わっています。20年後の『37歳』を踏まえての描写ですね。

 

佐木二号のテレビ局はともかく、美雪が国際線のCAになっているのは違和感あったのですが、高遠さんが海外行くってのと後々絡ませるつもりなのですかね。

金田一は事件引き寄せ体質なんだから刑事にでもなったらどうだと剣持警部に言われて「いやだ・・・!」「一生謎を解き続けたくはないんだよ~~!」と叫んで終わっています。

 

ミステリ界では謎大好き名探偵が溢れているものですが、どうやら金田一一は“一生このまま”の謎解き人生を想像して絶望してしまったようです。

しかし、剣持警部の「どーせ事件解決するなら“給料”出たほうがいいんじゃないか?」には「確かにな」と、なりましたね。運命(体質)を受け入れた方が、楽になる・・・・・・。

 

 

 

 

 

「怪盗紳士の挨拶」

最後は2話を使っての短編。久しぶりの怪盗紳士ネタ。

そういえば、『37歳』の方は怪盗紳士はまだ登場していませんね。20年後もあの「気に入った」っていう醍醐真紀の顔しているのだろうか。今回も家で一人なのに何故か醍醐真紀の顔をしていましたけど。気に入りすぎだろ。ま、泥棒を続けているかどうかも分りませんが。

 

金田一少年の事件簿30th』が完結なのと、「イブニング」での掲載が最後ってことで、いつものメンバーに加えて玲香ちゃん、明智さん、フミいつきさんとオールスター勢揃いのサービス的短編となっています。

ミス研の場面で真壁先輩と鷹島友代も出て来ます。ここで鷹島さん出すってことは、『37歳』の方で今後登場が期待出来るのかも。20年経っても関係が続いているのか気になりますねぇ。

 

絵を盗み出すトリックに関しては、美術好きの私としては物申したい。みんな、絵に関心なさすぎでしょ!ちゃんと鑑賞しろ。

30億の絵画を展示するってのに、警備がこんなにザルなのもありえないなぁと思いますね。

 

玲香ちゃんの服装、なんだか新鮮だと思ったらトリックのためだったとは。言われてみれば、玲香ちゃんって基本的にアイドルらしいミニ丈のスカートが主だったんだなぁと。

 

今回は怪盗紳士にまんまと盗まれたまま終わっていて、金田一も「人が殺された訳じゃないし」とさほど気にしていない様子。いや、そんな問題じゃないだろうに。泥棒もれっきとした犯罪だし、あの絵が他国からお借りしたものだとしたら国際問題ですよ。なんせ30億だから。

 

最後にまた高遠さんの話しているのですが、とりあえず関わりたくないという何処か投げやりな金田一の態度はファンとしてはちょっと残念。前はもっと“俺が捕まえてやるぜ!”という意気込みがあったと思うのですが。手紙で送られてきたリストの場所頑張って巡ったりしていたのに・・・。

 

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高遠さんが活動を続けるってことは、被害者が出続けるってことなのに「いつか捕まって死刑にでもなるんじゃねえの」発言はいただけない。美雪が金田一に関わって欲しくないって想う気持ちは分りますけどね。

 

 

 

 

 

 

37歳へ!

はて、時が再び20年前に戻っての『金田一少年の事件簿30th』は高遠さんがギリシャに着いたところで終わっています。『37歳』の方でオリンポス十二神だの言い出したのはギリシャ実際に来ての発想だったらしい。やれやれ。

 

ギリシャに来てその後の二十年、高遠さんが何をしてどういった経緯で捕まって牢屋に入ることとなったのか、どんな具合に仲間集めをしていたのか・・・等々、気になるところですが、『金田一少年の事件簿R』の時にやっていた“自身のルーツ探し”はどうなったのか。

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ちゃんと今後関わってくるのか若干不安なのですが。まさか、“なかったこと”にさせるのではあるまいな。

 

そしてそして!今巻の帯には移籍のお知らせと共に「ついに37歳の七瀬美雪登場!!」の謳い文句が!

いよいよですねぇ。絵を見る限り料理をしている後ろ姿っぽいですが・・・どうなのでしょう。

 

金田一37歳の事件簿』14巻は2023年8月発売予定。楽しみに待ちたいと思います!

 

 

ではではまた~