夜ふかし閑談

夜更けの無駄話。おもにミステリー中心に小説、漫画、ドラマ、映画などの紹介・感想をお届けします

『金田一37歳の事件簿』14巻 あらすじ・感想 美雪(37)、ついに登場!!

こんばんは、紫栞です。

今回は、金田一37歳の事件簿』14巻の感想を少し。

 

金田一37歳の事件簿(14) (イブニングコミックス)

 

 

美雪(37)!

シリーズ30周年記念で“少年時代”が期間限定復活し、

 

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実質1年ほどのお休みとなった『金田一37歳の事件簿』。

少年時代復活連載中に掲載誌の「イブニング」が休刊してしまうという憂き目にあいつつも、漫画アプリ・ウェブコミック配信サイトの「コミックDAYS」に連載を移行して37歳の金田一一、再始動であります。

 

 

お休み期間があったものの、気がつけば社会人金田一のご活躍も早14巻目。表紙にデデンと描かれているこの女性はもちろん七瀬美雪(37)その人。『金田一少年の事件簿30th』4巻

 

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で告知されていた通り、ついに、やっとこさの御登場です。

 

 

 

 

 

 

以下、ネタバレ含む感想となります~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

美雪、今まで出し惜しみしていたのは何だったの?って感じで、もう初っ端に登場しています。

金田一が起床したらアパートに居て、普通に台所で食事作っている。20年経っているはずですが、表紙絵でもわかる通り見た目は高校生の時のままです。ま、この漫画、皆そうなんですけどね・・・。

 

フライトが急遽キャンセルになったので「来ちゃった!」とのこと。寝ている間に勝手に部屋入って勝手にご飯作っているということは、合い鍵持っているってことですよね。半分結婚しているようなものなのか?この関係のまま37歳まで来たのかい?幼馴染み二人は。

 

「また変なことに巻き込まれないでね?」と言われて「大丈夫だって!」とこたえている金田一ですが、いやぁ、全然大丈夫じゃないですよね。巻き込まれまくってこの漫画もう14冊目に突入していますから。

 

あんまりにも登場をもったいつけてきたものだから、読者の間で「美雪死亡説」だの金田一の妄想説」だの囁かれちまっていた訳ですが、今回の登場でこれらの噂を払拭出来た・・・・・・と、言い切りたいところですけど、今巻で描かれているのは美雪と金田一が1対1で対面している場面のみなので、微妙にまだ「妄想説」を当てはめられる状態ではある。

 

個人的にこのシリーズで“それ系”のダマシはやらないと思っていますが、じゃあここまで出し惜しみした理由は何なんだって気にはなる。単純に思わせぶりにして読者を引っ張るためだったのでしょうか。

 

 

あと、今巻でサラッと金田一の口から語られたことで判明した事実が一つ。真壁先輩と鷹島さんですが、早々にご結婚されていたそうです。前々から気になっていたので今巻でちゃんと知れて「お~!」って感じ。

真壁先輩はやはり鷹島さんから一生離れられないようだ。今後、鷹島さん登場してくれますかね~。小説まだ書いているのかな?

鷹島さんのことうろ覚えだよって人は『学園七不思議殺人事件』をお読み下さい。

 

 

 

 

 

 

リアル人狼ゲーム

お待ちかねの美雪がやっと登場して、“美雪フィーバー”をしたいところですが、そんな読者の気持ちをバッサリと断ち切ってこの漫画はサクッと通常モードに戻る。

 

美雪が登場するのは最初の数ページのみ。その後はいつもと同じようにイベント仕事の現場でまりんちゃんと共に事件に巻き込まれています。

正直、「なんだよー。美雪これだけ?」と、文句を言いたくなる。連載先移行の客寄せでチョロッと登場させたってことですかぁ?

 

モヤモヤしますが・・・・まあまあまあ、なんとか切り替えて事件の方をご紹介。

 

 

人狼ゲーム殺人事件」

あらすじ

ネット番組のマネージメント会社からの依頼で「人狼ゲーム」のイベントを仕切ることになった音羽ブラックPR社の金田一一と葉山まりん。

真冬の長野、山奥にある閉鎖されたテーマパークを借り、人狼ゲーム界で名のある者達9人にマント・覆面・手袋を着用させてゲームに興じてもらうという大掛かりで徹底した企画内容だったが、特異な状況も相まってイベントは早々に盛り上がった。

しかし、ゲストのうちの一人が実際に殺害され、さらには人狼を名乗る人物から次の犯行を予告する置き手紙が・・・・・・。

雪で閉じ込められた館の中で、“リアル人狼ゲーム”が開幕する――!

 

 

 

 

 

 

 

今回は「人狼ゲーム」を題材にした事件。「人狼ゲーム」、私、あまり詳しくないので若干不安になりましたが、作中で金田一がちゃんと説明してくれています。金田一人狼ゲームが好きなんだそうな。いつもリアルで人殺しと対峙しまくっているのに、娯楽でまでそんなことを・・・。

 

目新しいテーマではありますが、雪山に閉じ込められてのクローズド・サークルというこの漫画お馴染みの舞台設定。

真冬に長野の雪山に行くとか、もはや閉じ込められに行くようなものですよ。しかもわざわざ寒波がきている時にイベント日時変更なんて、雪国出身者からしたらありえませんわ。変更の指示だしたのはこの場合十中八九犯人なのでしょうが、「雪なめんな」って言ってやりたい。

 

「純粋に会話のロジックだけで人狼の正体を見抜く」という趣向により(そういった趣向なら画面上だけでゲームやってりゃあ良いのではって気がしますが・・・まあまあまあ^_^;)、顔や声を分らなくするためにゲストたちは皆マントと覆面でサバトみたいな格好をさせられる。皆して全身布かぶったような格好なので、作画が楽そうだなとかちょっと思った。

 

誰が誰だか分らない状態の中、ゲームマスター(GM)を割り振られたヘンリーがあずま屋で刺殺されているのが発見される。

覆面を取ってみたら音楽家冬樹楽人だと判明するんですが・・・これ、おそらく中身が入れ替わっているのでしょうね。

 

落雪でドアがふさがれ、あずま屋経由でしか東棟と西棟の行き来が出来ないと世話役の金田一たちに知らせてきて、金田一の前で他メンバーに内線電話をかけたのはゲームマスターのヘンリー。その後、そのヘンリーが殺されたってことですけど、通路のことについて金田一たちと対抗策を話し合ったのはヘンリーのフリをした犯人で、殺された冬樹さんじゃなかったのだと思う。

 

誘導してる感がアリアリでしたし、ミステリにおいては“覆面とくれば入れ替わりトリック“が定石ですから。それだと、体型でバレる女性はまず除外ですかね。

 

それ以上は犯人の見当がつかないのですが。「人狼ゲーム」ってことで今回はロジックでの犯人当てがメインのようですので、次巻で頭脳戦を繰り広げてくれるのだと思います。金田一少年シリーズでロジックがメインの長編は珍しいですね。機械トリックの方が分りやすい派手さがあるのでこの漫画ではやりがち。

 

今巻は第二の被害者が出たところで終わっていますが、巻末告知によると次巻でこの事件は解決してくれるみたいです。

次巻も美雪に登場して欲しいですが・・・どうなのでしょう?

 

次巻、15巻は2024年1月発売予定。楽しみに待ちたいと思います。

 

 

ではではまた~

 

 

 

 

『鵼の碑』感想 ネタバレなし 感謝感激!17年ぶりの鈍器!百鬼夜行シリーズ新作長編

こんばんは、紫栞です。

読みましたよ。『鵼の碑』(ぬえのいしぶみ)を・・・!

 

鵼の碑 【電子百鬼夜行】

 

凄かったですよ。読めたことはもちろんですけど、他にも色々と感謝の気持ちでいっぱいです。京極先生、ありがとうございます。作家デビュー30周年おめでとうございます。

 

もっと読み込んだら毎度のネタバレありきの考察記事を書きたいと思っていますが、今回はネタバレなしでの簡単な感想と感謝の想いをば。

『鵼の碑』の感想を語れるなんて・・・感激です。コレを夢見て今まで当ブログを続けてきたといっても過言では無いですから。

 

百鬼夜行シリーズ】

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の長編、17年ぶり新作発売の発表があってから一月半。楽しみにしつつも、何か変事があって読めない状況になってしまったりしたらどうしようとか不安な心持ちで過していたので、無事読み終えることが出来て一安心。気持ちが強すぎて変になっていた(^_^;)。

 

『鵼の碑』の発売日ってなったら絶対に仕事は休みを取ると決めていましたが、残念ながら発売が発表された時点で既に休み希望が締め切られていたので取れなかった。

ですけど、幸運なことに発売日翌日の9月15日が偶々休みだったので、14日の夜から読み始めることが出来ました。

Amazonでノベルス版を予約したんですけど、ちゃんと発売日当日に届けてくれて感謝。

 

 

ノベルス版は832ページ。『絡新婦の理』とほぼ同じボリュームですね。

 

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常に本棚に並べていて見慣れているので、個人的に分厚さに驚くってことはなかったです。17年ぶりの新作なので、もっと分厚くても良いのになと思ったくらい。お馴染みの装丁と栞がちゃんとあってノスタルジックになった。

 

金ピカの帯にはシレッと「次作予定 幽谷響の家」の文字が!読む前から凄く興奮してしまいましたよ。また生き続けようと思う理由が出来ました。ありがとうございます。

 

 

単行本は直接本屋さんでと思いまして、昨日買って来ました。

 

 

単行本は1280ページ。ノベルスよりかなり迫力と重さと高級感があり、中のレイアウトも凝っている。本屋に付き合ってくれた友達が「鈍器!手痛めるよ!」って笑っていました(^^;)。私が今までに買った本の中で一番分厚くて重くて高額の本。

本屋さんによってはお祭り状態で販売しているみたいで、Twitter(今はXなんですよね・・・)のPOP写真見ていると楽しい。私が住んでいるところは田舎なので期待してなかったのですが、ちゃんと専用の売り場を作ってくれていて嬉しかったです。

 

 

 

 

 

食事とお風呂と就寝以外は本当にぶっ通しで、スマホにも一切触れずに読み続けたんですけど、前日の寝不足がたたって途中うたた寝してしまったためか、15日のうちに読み切ることは出来ず。後150ページほどだったので、仕事の為に就寝しなくちゃいけないのが本当に悔しかったですね。

とにかく没頭していたので、俗世に戻りたくない感がもの凄かった。

そんなわけで、私は16日の夜に読み終わったんですけど、今から読むって人は余韻に浸る時間も考慮して連休にしといた方が良いと思います。私も次は絶対連休を取りたい。

 

前に『鵼の碑』前にコレ読んでおいた方が良いよっていう記事書いたんですが↓

 

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ま、概ねこの通りで読んでおいて良かったですね。百鬼夜行-陽』収録の「墓の火」「蛇帯」は特に。

 

 

 

 

時期が近いのでひょっとして?とも思ったのですが、「青行燈」は今回関係ありませんでした。

 

邪魅の雫はやはりおさらいするのが妥当。

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『今昔百鬼拾遺』は全体的に“におわせ”されてたんだなぁ~と改めて感じる。でも「鬼」だけでも良いかもしれないですね。

 

 

読み終わってみると“事前に読んでおくべき本”は他にもあって超重要なのですが、ネタバレになってしまうのでそれらの紹介はまた別記事で。これから諸々再読してまとめたいと思います。

 

 

待望の『鵼の碑』を読んだ率直な感想は、「ファンで良かった」ですね。キャラクターや物語の面白さはもちろんですが、長年読み続けているファンだからこそ得られる感動があって、百鬼夜行シリーズに限らず、京極夏彦作品全部読んできて良かったなと。

変な言い方かもしれないですが、“報われた”感。「私、今、とてつもなく凄いもの読んでいるんじゃない!?」と、滅茶苦茶興奮して、読後は余韻に浸ってボウッとしてしまいました。

 

読まないファンなんていないでしょうが、絶対!絶対に!読んで下さい!!

 

ではではまた~

『ある閉ざされた雪の山荘で』原作小説 ネタバレ 感想 “漢字一文字”とは?

こんばんは、紫栞です。

今回は、東野圭吾さんの『ある閉ざされた雪の山荘で』をご紹介。

ある閉ざされた雪の山荘で (講談社文庫)

 

あらすじ

名演出家・東郷陣平が手掛ける舞台オーディションに合格した若き役者七名は、東郷からの手紙に従い、早春の乗鞍高原に集められた。

これから四日間、ペンションを貸し切って舞台稽古を行なうが、“大雪によって孤立してしまった山荘”という設定の下で今後起こる出来事に皆で対処してもらい、その各人の動きや対応などをまだ完成していない推理劇の脚本・演出に反映させるというのだ。

 

肝心の東郷はおらず、手紙で指示を出してくるだけ。電話の使用も外部との接触も禁止という奇妙な稽古内容だったが、禁を破ったら即刻オーディション合格を取り消すとも書かれていたため、彼らは指示に従って「実践での役づくり」に戸惑いながらも挑むことに。

 

“殺人が起こった”という設定指示がなされると、“殺され役”は実際にペンションから姿を消す。一人ずつ仲間が居なくなるにつれ、彼らは恐ろしい疑念を抱いていく。

 

これは本当にただのお芝居なのか?それとも———?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

“なんちゃって”雪の山荘もの

『ある閉ざされた雪の山荘で』は1992年に刊行された長編ミステリ小説。2024年1月にこの本を原作とした映画が公開予定だってことで、気になって読んでみました。

 


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刊行されたのが20年以上前で東野圭吾作品の中でも初期の作品なのですが、第46回推理作家協会賞候補作にもなったみたいなので、“東野圭吾の山荘もの”としては比較的有名なのかも?

刊行時期が近いのと、山荘でのクローズド・サークルという設定が共通していることから、同作者の『仮面山荘殺人事件』を連想して比較する人も多いようですね↓

 

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読んでみると、確かに色々と共通項がある。

 

『仮面山荘殺人事件』は強盗パニックサスペンスが融合した一味違うクローズド・サークルでしたが、こちらの『ある閉ざされた雪の山荘で』もまた、クローズド・サークルのド定番に一味加えた“他にはない雪の山荘もの”となっています。

 

集められたのは若い舞台役者男女七名。変則的な方法で成功を収めてきた変わり者でワンマンの演出家からの指示に従い、現実には春で晴天続き、電話も繋がっているし、すぐ近くにはバス停があるという全く孤立していなし危機感もない環境下で、「ある閉ざされた雪の山荘で」なシチュエーションを厳守して4日間過すことを強いられる・・・・・・。

 

何やらひねくれた設定なのですけども、この設定が面白い。

 

“仮定の殺人事件”が起こると、突如指名されたであろう“殺され役”は山荘から姿を消し、「〇〇はこうこうこのような状態で殺されたよ~」って“設定”のメモ書きが“仮定の殺人現場”に置かれるといった具合に、茶番じみたヘンテコ状況で芝居は進行していく。

けれどそのうち、芝居にしては不自然な点が散見されだして、「ひょっとして、本当に殺人事件が起こっているのでは?」と、皆は疑心暗鬼に陥っていく。

 

トリックや犯人どころか、殺人事件自体が実際に起こっているのかどうかも解き明かさなくてはならない謎の一つになっている異色のミステリサスペンス。

 

役者しかいないクローズド・サークルってのも、興味をそそられる設定ですよね。

 

 

最初は講談社ノベルスでの刊行だったようですが、

 

1996年に文庫版が発売されているので、今入手しやすいのは文庫版の方ですね。

 

 

ネットで「新装版」と出て来るのですが、調べたところノベルス版から加筆したとか内容の違いはなさそう。

しおんさんの描かれた装画が掛け替えカバーとして付いているバージョンがあるので、それで中身の違いを気にする人が多いのですかね。私が買った本もこの掛け替えカバー付きだったのですが。確かに、元の装画とは大分印象の違う女の子が描かれたイラストで、一見するとライトノベルっぽいのでビックリするかも。

 

 

 

 

以下ガッツリとネタバレ~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三重構造

上記したように、一風変わった“なんちゃってクローズド・サークル”な物語で展開していく今作。

芝居の稽古にしては、“殺され役”が死体のふりもせず皆の前から姿を消し、遺体の状況を説明したメモ書きが置かれるだけというのはどう考えても奇妙です。

芝居稽古ならば、“殺され役”に実際に死体のふりをさせて、“犯人役”に命じて部屋の状況なども現物を使って再現させる方が絶対に良いはず。死体だけでなく、凶器や足跡の有無までメモ書きで済ませるなんて雑すぎます。これじゃあ現実的なリアクションをしろと言われても無理だし、山荘を貸し切ってまで出そうとした雰囲気が台無し。一体何がしたいのか?

 

 

この小説は一見、三人称の「神の視点」と、登場人物の一人である[久我和幸の独白]とで交互に描かれています。

「神の視点」部分で、殺人が実際に行なわれているような描写がされているので、読者は作中人物たち以上に「芝居と見せかけて本当の殺人が起きているのね!」という考えに誘導される。小説の約束事として、地の文では嘘は絶対的タブーですからね。

 

 

もはや当然でしょって感じですが、東郷陣平たる演出家は名前が利用されただけで舞台稽古なんて嘘っぱち。麻倉雅美という、事故で役者を続けられなくなった女性の存在がちらつくなど、推理小説では“オキマリ”な展開が繰り広げられる訳ですが、それにしても、こんな“なんちゃってクローズド・サークル”をさせる犯人の意図が解らない。

 

 

真相ですが、事件は三重構造になっていました。

「何もかも芝居という状況の中で、実際に殺人が起こる」これが本来の犯人が立てた二重構造の復讐計画でしたが、「犯人」の協力者が「犯人の復讐計画」を阻止するため“殺され役”の人たちに事情を話して一緒に一芝居打ってもらっていた。

 

芝居→芝居じゃない→やっぱり芝居の、三重ですね。

 

「いやいや、なんでそんな変なことしているの?何のための芝居なの?」なんですが、これ、山荘の隠し部屋で事の成り行きを見ていた「二重構造の復讐計画」の立案者である「犯人」ただ一人を観客としたお芝居なんですね。

 

立案者である「犯人」が覘いている前で、共犯者は「犯人」のターゲットたちと共に殺し殺されるフリをしていた。見破られないように必死で芝居していたのです。

実際にやってみせれば、恐ろしさと後悔で復讐を思い直すだろうという算段ですね。

 

 

ここで、「神の視点」だと読者が思っていた部分が、実は隠し部屋から覘いていた犯人「私」の一人称だったのだということが明らかになる。

 

“漢字一文字ですべてがひっくり返る”と今作は謳われているようですが、その漢字一文字というのは「私」。地の文で「私」と出て来た途端に真相が解るという仕掛け、叙述トリックって訳です。

久我の視点部分をわざわざ[久我和幸の独白]と書いていたのもそのためですね。

 

 

 

 

 

茶番

個人的に、漢字一文字での衝撃ってのはさほどなかったです。「神の視点」を装いながらも何だか一人称っぽいぞ感は文章に漂っていたので。

 

驚いたのは隠し部屋の存在ですね。ペンションの平面図がヒントなんでしょうけど、全然気にもとめませんでしたよ。しかし、確かに改めて見てみると“あからさま”だぁ~。「謎の空間」ですよ、これは。

 

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結局、誰も死んでいなかったという真相でして。平和的な解決となっています。

 

真相を見抜いた久我は表面的には良識人ぶっているが、心中では傲慢さがある“如何にも東野圭吾作品の主人公男性”って感じですが、最後には雰囲気に飲まれて涙を流している。

このラストシーンによって一気に物語全体が軽くなるといいますか、ライトな読後感なので「茶番」感は強いです。

ま、作中でも「茶番」といっていますし、まぎれもなく茶番なんですよ、この物語は。犯人もターゲットもどっちもどっちなところがあって、自業自得だろうとも思いますしね。

 

良かった良かった~な結末ですが、ミステリとして受け付けないという人もいるのではないかと。アイディアはやっぱり『仮面山荘殺人事件』からの派生なんだろうなぁ。

終盤までは重苦しいミステリとして愉しんでいたので、結末のライトな描写は唐突感が否めない。物語の仕上がりとしては『仮面山荘殺人事件』の方が同一のネタを扱いつつも出来が良いと思います。

 

 

 

 

でも読後感が良いのはどっち?と聞かれたら今作の方ですね。茶番でも良いじゃない。平和的解決が出来ているのですもの。

 

 

映画ですが、キャストを見た感じちょっとどの人物もイメージと違うので、原作とは人物設定諸々変えているのかもしれないですね。映画だと小説のような叙述トリックは使えないですし、どのようにアレンジが加えられるのか見物です。

 

 

気になった方は是非。

 

 

 

ではではまた~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『鵼の碑』発売前におさらい!再読するべき本3選

こんばんは、紫栞です。

ファンが待ち望み続けていた京極夏彦さんの百鬼夜行シリーズ】(京極堂シリーズ)本編長編新作『鵼の碑』の発売が、いよいよ本当に近づいてまいりました。

 

 

 

とはいえ、なんせ17年ぶりで【百鬼夜行シリーズ】は“超絶ミステリ”と呼ばれる世界観もページ数も規格外の長編シリーズなので、

 

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たとえファンでもいきなり『鵼の碑』を読むのは気後れするという人も多いかと思います。

 

登場人物や設定がうろ覚えだというのもあるでしょうが、1000ページ越えのミステリ長編を読むのはそれなりに体力と時間を使うので、「17年前と違って、私ももう若くないから・・・」などと、不安な人もいるかと。

読書するだけで何を大袈裟なって感じですけど、それだけ読むにあたって気合いが入るシリーズなんですよね。【百鬼夜行シリーズ】の長編は。

 

 

せっかくの待ちに待った新作。確りと没入感を楽しみたいですから、『鵼の碑』を読む前に“おさらい”するべき、再読するべき本を私なりに紹介しようと思います。

 

 

百鬼夜行シリーズ】のみならず、京極さんの作品はすべて同一世界上で起こっている出来事として書かれていて複雑に繋がっているので、本当の、本当に、万全の体制で臨むってのなら全作品を読むべきなのでしょうが、残念ながらそんな時間も余裕もないので厳選で。

告知が発売の半年前とかなら百鬼夜行シリーズだけでも全部再読したんですけどね・・・。

 

百鬼夜行シリーズ】は『塗仏の宴』

 

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刊行後からスピンオフやサイドストーリー集などの派生作品も展開されているので、そこら辺も含めて紹介したいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●『邪魅の雫

 

まずは『邪魅の雫』。単純に、長編では一番の直近作品だからなんですけど。昭和二十八年の八月~九月が舞台。

『鵼の碑』前に再読するってのでまず思い付くのはコレでしょう。順当ですが、ま、やはり読んでおくのが良いでしょう。

邪魅の雫』では戦中に「山辺機関」に配属されていて中禅寺と面識があり、今は公安一課の刑事である郷島郡治という人物が出て来るのですが、『鵼の碑』もあらすじを見るかぎりどうやら公安が関わってくる物語になっているみたいなので、この郷島さんがまた登場するのじゃないかなぁ~~・・・と。

※『邪魅の雫』について、詳しくはこちら↓

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●『今昔百鬼拾遺-月』

 

こちら、2019年4月~6月まで、3社横断3ヶ月連続刊行されたスピンオフシリーズ。

「鬼」「河童」「天狗」とそれぞれに文庫で刊行されましたが、後に3作を1冊に纏めた『今昔百鬼拾遺-月』が発売されましたので、今買うならこっちの方が手っ取り早い。

※詳しくはこちら↓

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中禅寺の妹である敦子と、『紹新婦の理』に登場した女学生・呉美由紀が活躍するシリーズで、描かれているのは昭和二十九年三月~八月の出来事。

敦子と美由紀ちゃんの他に、青木、鳥口、益田といった薔薇十字団の面々(下僕)、妖怪研究家の多々良先生、『百器徒然袋-雨』「鳴釜」に登場したご令嬢・篠村美弥子などが登場。

 

サブキャラクター達でのシリーズで、中禅寺、榎木津、関口、木場の四強(?)は登場しない。なんか、いっつも留守なんですよね(^_^;)。

彼らは彼らで別の事件に巻き込まれているってことで。その中に『鵼の碑』に該当する“日光での事件”がある。

『鵼の碑』は昭和二十八年の秋から主なことが始まる物語のようなので、同時期にサブキャラクター達の間でこんなことあったよっていうのと、時系列と間を埋める補完ということで読んでおくと楽しさが増すのではないかと思います。

 

 

 

 

●『百鬼夜行-陽』

 

 

こちらは、百鬼夜行シリーズの各事件に関わった人々のサイドストーリー集。

刊行されたのが2012年で結構な年月が経っており、長編やスピンオフシリーズに比べると見落とされがちでしょうが、実は『鵼の碑』前に一番読んでおくべきなのはコレだろうと思います。もっとも直接的な関係がありますからね。

 

本には十編の短編が収録されていますが、『鵼の碑』に登場する人物のサイドストーリーは「墓の火」「蛇帯」の二編。後、断定は出来ないのですが、昭和二十八年秋という時期から考えて「ひょっとしたら関係しているんじゃないかなぁ~?」と、いうのは「青行燈」※本編読みましたが、『鵼の碑』には「青行燈」は関係ありませんでした。

 

※詳しくはこちら↓

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短編ですぐ読み切れるので、『邪魅の雫』や『今昔百鬼拾遺』を再読する余裕ないよ~(>_<)って人は、「墓の火」と「蛇帯」だけ読んで挑んでも良いんじゃないかと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

整えて挑みたい

個人的に、最低限読んでおいた方が良いかなと思うのはこんな感じですね。

繋がっているとはいえ、京極作品はどれも単独で支障なく読めるように書かれているので、無理におさらいしなくても大丈夫なのでしょうけど。

 

私は今、『邪魅の雫』の再読が終わったところなのですが、百鬼夜行シリーズは『塗仏の宴』までが第一部的な区切りになっていて、『陰摩羅鬼の瑕』から第二部スタートなので、邪魅の前に陰摩羅鬼も再読しておくんだったかなぁと若干思ったり。

 

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いや、でもそれだと陰摩羅鬼と邪魅の間にある『百器徒然袋』や『今昔続百鬼』も・・・・・・ってなってキリがないので、ま、これぐらいで(^_^;)。

 

 

『鵼の碑』発売の9月14日までにいろいろ整えていきたいと思います。とにかく楽しみ!

 

 

ではではまた~

 

 

※読みました!ネタバレなし感想はこちら↓

 

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『嗤う伊右衛門』解説・考察 恐ろしくも美しい究極の純愛小説!夏のオススメ本~⑫

こんばんは、紫栞です。

今回は、京極夏彦さんの嗤う伊右衛門をご紹介。

 

嗤う伊右衛門 (角川文庫)

 

あらすじ

ついぞ笑ったことなぞない生真面目な浪人・伊右衛門に、御行の又市を通して縁組みが持ちかけられる。

その相手は老同心・民谷又左衛門の娘でお岩といった。重い疱瘡を患い、生来の美貌は見る影も無いほどに醜く崩れた顔になってしまったお岩を不憫に思うと共に、お家断絶を憂う又左衛門が又市に婿捜しを頼んだのだ。

お互いに相手のことをまったく知らぬままに縁組みはまとまり、ともに暮らし始めた伊右衛門と岩は互いに惹かれていくが、不器用な二人は相手を想いながらもすれ違ってしまう。

そんな二人に、かつて岩に執心していたこともある筆頭与力・伊藤喜兵衛の罠が仕掛けられ――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

京極版四谷怪談

嗤う伊右衛門』は1997年に刊行された長編小説で【江戸怪談シリーズ】の第一作目。東海道四谷怪談』『四谷雑談集』を原典とした“京極夏彦版「四谷怪談」”です。

【江戸怪談シリーズ】は前に三作品まとめて簡単に紹介したのですが、今回は『嗤う伊右衛門』について深く掘り下げて紹介したいと思います。シリーズ概要や他シリーズとの繋がりはこちらの記事で↓

 

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1994年に『姑獲鳥の夏』でデビューして以降、【百鬼夜行シリーズ】を続けて発表し続けていた京極さんが、初めて発表した百鬼夜行シリーズ外の作品で、初の時代小説、初のハードカバー作品でした。百鬼夜行シリーズ』はノベルスでの刊行ですからね・・・。

 

今でこそ京極さんの時代小説はお馴染みですが、当時は新境地に挑んだ作品として読者には目新しかったことでしょう。ページ数も350ページほどと、京極作品にしては驚異的な少なさでした。発売当初は本が薄いってだけで読者から文句をつけられたと京極さんが以前テレビ番組で愚痴っていましたね。

 

目出度く第25回泉鏡花賞受賞し、第118回直木賞候補作にもなり、京極さんの代表作の一つに。2004年には舞台演出の大御所・蜷川幸雄さん監督で映画化されているので、それで知っている人も多いと思います。

 

思えば、この映画は私が最初に触れた京極夏彦関連作でした。この時はまだ作者名も原作も知らなかったんですけど。耽美な雰囲気に惹かれてレンタルしただけ。そもそも読書自体この時は全然していませんでしたし。

まさか、映画を観てから数年後に京極夏彦作品にドハマりして読書三昧になるとはね・・・(^_^;)。

 

映画観て終わりにしている人には、絶対に、ぜっつたいに!原作を読んでもらいたいです。

 

 

 

 

 

反転

上記したように、今作は古典怪談の「四谷怪談」を元に著者が独自に再構成した物語。主な設定やストーリーは『四谷雑談集』を下敷きにして、直助・お袖・宅悦・世茂七など、『東海道四谷怪談』での登場人物を脇役として配置しています。

 

『四谷雑談集』というのは四谷で実際に起きたと噂された「夫に裏切られた妻による祟り事件」の詳細が書かれた文献(※あくまで“噂話”の詳細ですが)で、鶴屋南北による歌舞伎狂言東海道四谷怪談』の“元ネタ”とされるものです。

 

実は、【巷説百物語シリーズ】のメインキャラクターである又市は『嗤う伊右衛門』が初登場作品。元々、『四谷雑談集』に登場する人物で、【巷説百物語シリーズ】はここからの派生的作品ともいえる。結果的に、巷説百物語シリーズ】と密接な関わりがあります。詳しくはこちらの記事で↓

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一般的に「四谷怪談」と聞けば『東海道四谷怪談』のストーリーを連想する人がほとんどでしょうから、『嗤う伊右衛門』のストーリーを疑問に思う人もいるでしょうが、『四谷雑談集』の内容を知ると今作が上手い具合に踏襲していることが分る。『四谷雑談集』のあらすじについてはこちら↓

 

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しかし、日本一有名な怪談と言われた「四谷怪談」も、令和のこの世では知らない人が多いですかね。昔はドラマや映画でよくやっていましたけど、今は古典怪談もの自体テレビでやりませんもんね~。ま、それはそれで何の先入観もなしに今作を愉しめるということで。

 

 

四谷怪談」のお岩は夫に尽くす貞女で、伊右衛門は祟り殺されるのが当然の酷すぎる男であり、二人の間にあるのは打算まみれの期待と利用ですが、『嗤う伊右衛門』ではお岩は凜とした高潔な女性で気性激しめ、伊右衛門は寡黙で誠実な男性で、互いに惹かれ遭っているものの、想い遣るばかりにすれ違ってしまう愛情深い不器用夫婦。

 

こんな具合に、人物像も夫婦の在り方も、途中岩が激昂する場面の意味も、丸々反転されたものとなっています。それだけでなく、「四谷怪談」という“怪談自体”も反転された物語なのだと結末で気がつかされる。

 

四谷怪談」を上手い具合に下敷きにしながら、反転させてまったく違う印象を与える物語に仕上げているのが今作の特徴です。

描かれるのは怨霊・祟りといった超常現象ものではなく、周囲の思惑や謀によって壮絶な結末へと至る夫婦の姿。怨讐と情念、純愛と狂気の物語。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

純愛と狂気

伊右衛門と岩の二人はそれぞれに好感が持てる人格設定となっていますが、この二人が仲むつまじく暮らすのは到底無理なのだなぁというのは読んでいてヒシヒシと伝わる。

 

伊右衛門は岩の崩れた顔を醜いなどとは思っていないし、岩を深く愛しているのですが、岩に対して気を遣いすぎるあまりに口ごもっては「すまぬ」と詫びてしまう。

岩にしてみれば、伊右衛門には“健やかに、思いのままに振る舞って欲しい”と願っているので、そんな姿を見てキツくあたってしまう。

 

結果的に、伊右衛門は憔悴していくばかりだし、岩はそんな弱っていく伊右衛門を見てますます鬱憤がたまっていくばかり。

互いに無関心ならこんなことにはなりませんが、想い合っているばかりにすれ違っているのですね。それにしたって、不器用すぎるだろうと歯がゆくなりますが。

 

そんな訳で、傍目には不仲な夫婦として見えてしまう二人。女房があの御面相、あの気性では当然だろうと噂されるのですが、伊右衛門はどんなに憔悴しても岩と離れようとはしない。

もちろん岩を愛しているからですが、憔悴し続けながら妻を庇い続ける伊右衛門の姿は傍目には異様なものとしてうつる。

 

読者は「伊右衛門は誠実だけど不器用だなぁ。投げやりになっているとはいえ温厚だなぁ」と思って読み進めていくのですが、終盤で伊右衛門は突如、温厚とはほど遠い凄絶な方法で決着をつける。

 

「だ、旦那、狂ったか」と驚く又市に、伊右衛門「狂うておるなら初めから」と答えます。

 

伊右衛門は初めから、岩と出会った時から静かに狂っていた。恋に落ちたときからずっと。寡黙で実直、淡々としていて心情が分りにくかった伊右衛門だからこそ、終盤での“伊右衛門の真実”にとてつもない恐ろしさを感じる。

しかしそれと同時に、哀しさと美しさも感じる。本当の意味で人を愛するのは、狂っていなければ出来ないのだと知らしめされるのです。恐ろしく、哀しいですが、これぞ真の純愛小説なのではないでしょうか。

 

 

 

 

何を“嗤う”のか

笑わない男であった伊右衛門が“嗤う”時、狂気は放出される。この小説でもっとも怖い瞬間は伊右衛門が嗤うときで、もっとも怖い人物は本来の「四谷怪談」では祟られる立場であるはずの伊右衛門なのですね。

 

最後の最後、伊右衛門は自分なりの方法で幸せを獲得しています。どこか魍魎の匣に出て来た“あの人”を連想させられますね。彼岸に到達したと。

 

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タイトルの「嗤う」は、嬉しい・楽しいときの意味合いでつかわれる「わらい」ではなく、「あざけりわらう」ときに使われるものです。

 

では伊右衛門は何を嘲っているのか?

 

「綺麗の醜いの、男だの女だの、侍だの町人だの――余り関係ねぇことなのかも知れやせん」

と、一連の騒動後に又市は言います。

 

伊右衛門と岩の周りでは、常に美醜、男女、身分、家名などによる問題や障害が纏わり付いていました。だからこそすれ違い、引き裂かれることとなった。

 

二人は煩わしい世間から解放される。最後に伊右衛門は自分たちを悩ませ、翻弄してきた“しがらみ”を嘲ってわらう。生きるの死ぬのすらも変りはないと言って。

 

深く想い合っている二人ですが、この方法でしか幸せにはなれなかったのかなと思いますね。

 

 

悲恋が主軸でありながら、伊右衛門と岩が二人でいる場面はこの物語ではほんの少ししか描かれていません。

真相を知らされて激昂し、隠坊堀へと向かった岩に何が起きたのか。

互いに真実を知った二人の間でどの様なやり取りがあったのか。

それは読者の想像に委ねられている。散りばめられた断片から夢想するというのはまさに“怪談”といえるのかも。

 

 

悲恋としての要素だけでなく、ミステリ的構成も巧みで、伊右衛門が凄惨な決着をつける場面は恐ろしいものの、エンタメ的な爽快感がある。

又市はじめ、脇役たちの事情や心情も読み応えがあります。伊右衛門だけでなく、又左衛門や直助の「狂気」も物語に深く関わっている。一貫して、人を想うことの狂気の物語が描かれているがまた素晴らしい。この完成されている感じが京極夏彦作品の醍醐味ですね。

個人的にもっとも好きな場面は、伊右衛門「俺が貰ろうた」と言って嗤うところです。ゾッとするんですけども、たまらなく良いんですわ。何度も読み返してます。

 

 

まだまだ残暑がつづくようですので、夏を感じられるうちに是非。個人的に、京極作品の中でも特に好きな作品ですので、多くの方に読んで欲しいです。

 

 

ではではまた~

『ザリガニの鳴くところ』映画 感想 タイトルの意味を考察

こんばんは、紫栞です。

今回は、映画『ザリガニの鳴くところ』を観たので感想を少し。

 

ザリガニの鳴くところ (字幕版)

 

『ザリガニの鳴くところ』は2022年に公開されたアメリカ映画で、原作は2018年にディーリア・オーウェンズさんが発表した同名小説。

 

 

作者のオーウェンズさんは動物学者として活動されていて、『ザリガニの鳴くところ』が作家デビュー作。

この原作小説は2019年、2020年とアメリカで最も売れた本であり、日本で早川書房から発売されたのは2020年ですが、2021年本屋大賞翻訳小説部門第1位獲得もしていて、全世界で1500万部突破の大ベストセラー小説なのだとか。いやはや、凄いですね。確かに、本屋さんで一時よく平積みにされていたような。

 

只今アマプラの見放題対象で、口コミ読んで気になったので観てみました。

 

 

タイトルと映画のポスターが印象的で心惹かれますよね。

 

 

 

物語は、1969年にノースカロライナ州の湿地帯で死体が発見されるところから始まる。死体の身元は町で評判の良かったチェイスという男で、櫓から落ちての転落死とみられた。事故か事件かも断定しかねる状況だったものの、現場から足跡も指紋も一切検出されなかったことから、警察はチェイスの死に何者かが関わっていると判断。容疑者として“湿地の娘”と呼ばれている孤児のカイヤを逮捕する。

裁判が進行していくなか、カイヤは自身の過去を回想していく。

 

カイヤが幼い頃、気性の激しい父親から逃れるため、母親と兄弟達は次々と家を出て行った。やがて父親も出て行き、カイヤは湿地の家に一人取り残される。学校に通わず、福祉課から隠れ、ルーム貝を採ってジャンピンとメイデル夫妻の雑貨店で必需品に替えてもらいながら湿地の家で一人暮らし続ける。

兄の友人だったテイトとの再開と初恋。そしてチェイスと出会い・・・カイヤの湿地での生活は脅かされていく。果たして裁判の行方と事件の真相は?

 

 

ってなストーリーですね。

 

 

 

 

 

 

 

死体が出て、裁判が行なわれて、真相は最後に明らかになって~・・・なので、ジャンルとしてはミステリーなのでしょうが、この物語のメインと見所は“湿地の娘”と呼ばれて周囲に蔑みと偏見の目で見られながらも懸命に暮らし、自然界と調和した一人の女性の生き様。

 

幼子一人残していくなんてなんちゅう家族だって感じですし、福祉課もちゃんと保護しろよと言いたいところですが、時代と孤立した場所のせいなのか、カイヤは一人で生活し続けてスクスクと成長する。

どう考えても生活するには不便な場所ですが、カイヤ自身がこの湿地から出ることを拒み続けるのですね。自然界と溶け込みながら生きるのがカイヤの望みなのです。孤独に耐えかね、男性と恋に落ちて「ここを出て外の世界に行こう」と誘われてもそれは変わらない。

 

印象的である「ザリガニの鳴くところ」というタイトルの意味は、“生き物たちが自然のままの姿で生きている場所”のこと。

カイヤは“自然のまま”、この湿地で生きたいのです。生き物として。

 

 

このカイヤの在り方は、そのまま事件の真相へと繋がっている。最後の最後、犯人が解っても、まったく責める気は起きてきません。人間界では間違いなく「罪」なのでしょうが、自然界ではただの摂理なんだとストンと受け入れてしまう。カイヤの半生を見せられるからこその共感と納得ですね。ま、怖いと思う人もいるでしょうが。

 

なので、ミステリーとしては犯人当てが容易です。登場人物が少ないですしね。

途中、赤い繊維に関するミスリードがありますが仕掛けはそれぐらいで、伏線で唸らせられるということもないです。

「どうやって殺したか」についての細かい説明は無いのですが、裁判では「現実味が無い」と一蹴されたあのトリックをやったということですよね。忙しい。なんか、被害者が勝手に落ちる仕掛けでも施したのかと思っていたのですが。「未必の故意」的な・・・。

 

ミステリー面は、原作ではもっと工夫された書き方がされているのかしら。小説だと人物の心情ももっとダイレクトに分るのでしょうし、読んでみたいですね。

 

 

湿地で長年外界と隔たれた暮らをしているが、美人で賢く、テイトやチェイスに熱心に求愛されるというのはどうしてもご都合主義感はありますかね。なにやらお伽噺風味ですらある。

テイトがまさにお伽噺の王子様的。

 

湿地とはいえ町からも普通に行き来できる場所で女性が一人というのはあまりに無防備ですし、現実にはもっと酷いことが起こるのではないかと思う。男が大人数で押しかけてくるとか・・・。

 

カイヤの境遇が境遇なので、ミルトン弁護士やジャンピンとメイデル夫妻が親身になってくれるのがしみる。兄は善人風を装っていますけど、色々言いたいところはありますね。オイコラ、置いていきやがって。

 

チェイスは“良くない男”として描かれていますが、貝のネックレスをずっとしていたし、カイヤへの想いは本当だったのでしょう。愛情が醜い執着に変わってしまったと。とはいえ、都合の良い囲い女にしようとして拒否されて逆ギレってのは、やっぱりどうしようもないクズ男で同情は出来ませんが。

 

 

ミステリー要素は薄めで思っていたのとはちょっと違いましたが、画が綺麗で湿地は神秘的、人の優しさに触れられ、ラブストーリーとしても見応えのある映画で良かったです。

夏向けの映画だと思うので、今の時期に是非。

 

 

 

 

 

ではではまた~

 

 

 

佐々木事務所シリーズ 3作品まとめて解説 夏のオススメシリーズ~

こんばんは、紫栞です。

今回は、芦花公園さんの【佐々木事務所シリーズ】をご紹介。

 

異端の祝祭 佐々木事務所シリーズ (角川ホラー文庫)

 

佐々木事務所シリーズとは

【佐々木事務所シリーズ】は心霊案件を扱う佐々木事務所が、依頼を受けて奇怪な出来事に挑んでいくシリーズ。

ジャンルとしては民俗学・都市伝説ホラー。扱うのはいずれもガチの心霊現象で、超自然的現象ありきのシリーズですが、人怖系ホラー要素とミステリ要素もあるので、ホラー慣れしていない人にもオススメのシリーズ。

どの本も300ページほどで、“怖すぎない”のも読みやすいですね。

 

主要人物は佐々木事務所所長の佐々木るみと、その助手の青山幸喜

 

るみは小太りで一見年齢も性別も不詳気味の三十代前半の女性で、心霊現象解決の能力だけでなく、宗教や民俗学全般に豊富な知識があるが対人関係が不得手。個人的に、何で名前を平仮名にしたのかなと思う。名前が平仮名表記だと読んでいてつっかえてしまう事が多々ある・・・

 

青山は子犬のような見た目で人当たりの良い20代後半の青年。大学のゼミで先輩だったるみを慕っていて、事務所を手伝うというのも自らの希望。実家がプロテスタント教会でありながら、カトリック教会のような悪魔祓いもやっているという変わり種で、るみの助手をしながら実家の教会仕事も手伝っている。

 

他、作中では“ほぼ最強”の能力者として描かれる、四国に住む訛りの強い拝み屋イケメン・物部、絶世の美青年で老若男女、誰彼構わずに誘惑することが出来る片山敏彦などがレギュラーとして登場しています。

 

ストーリーだけでなく、このような能力と個性の強いキャラクターでも愉しませてくれるシリーズですね。

一応各物語は独立したものですが、人間関係がその都度前の事件を受けて変化していくので、刊行順に読むのが基本のシリーズとなっております。本にはシリーズ名も番号も書かれていないので、くれぐれも間違えないように気をつけて下さい。

 

 

2023年8月時点で刊行されているのは三作品。では、一冊ずつご紹介~

 

 

 

 

 

 

『異端の祝祭』

 

『異端の祝祭』については前に記事でまとめたので、詳しくはこちらを読んで欲しいのですが↓

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タイトルの通り、カルト教団の祝祭が行なわれようとしていて云々といったストーリー。

恐ろしい能力を持った敵が現われ、怪異も起こりますが、この物語で最も怖いのはカルト教団にハマってく過程ですね。

 

 

 

『漆黒の慕情』

 

塾講師の片山敏彦は、存在するだけで注目を集めてしまう絶世の美青年。常に周りから羨望の眼差しを向けられる敏彦だが、あるときから異質な視線と得体の知れぬ黒髪の女性につきまとわれ始めた。周囲の人間に危害が及び、怪異にも悩まされだした敏彦は佐々木事務所を訪れる。

一方で、小学生の間では「ハルコさん」という奇妙な噂が囁かれていて――。

 

簡単にいうと、ストーカー話。心霊現象と都市伝説が絡んでややこしくなっていますが、単純に厄介な者にストーキングされましたって話ですね。

ミステリ的仕掛けが施されていますが、読み慣れている人なら犯人はすぐに分ると思います。

規格外なストーカーですが、ストーキングされる片山も規格外な美の化身なので、解決の仕方もまた調子外れなものになっている。

 

 

 

『聖者の落角』

 

佐々木事務所に相次いで同様の不可解な相談が持ち込まれる。病院に現われ、難病の子供たちと話をしていくという謎の黒服青年。この黒服青年の話を聞いた、“見た”、子供たちは、身体的な病は完治するものの、奇怪な行動をして以前とはまるで別人のようになってしまうという。

助手の青山が協会の仕事で不在のなか、るみは一人で調査を開始するが、調査を進めれば進めるほど恐ろしい疑惑に苛まれていって・・・・・・。

 

とある疑惑がずっと纏わり付くお話・・・なんですが、この疑惑、ちょっと短絡的に考えすぎなんじゃないのかって気がしましたね。もうちょっと突っ込んだ情報集めてから断定しないと。

いつもは基本二人での調査ですが、今作ではるみ一人。片山に手伝ってもらったりもしますが、色々と青山くんの偉大さが分る物語となっています。

 

 

 

 

 

 

 

美醜と不快感

このシリーズ、容姿が優れた人物がやたらと出て来ます。特に、男性が美形ばかり。レギュラー人物の青山も物部も片山(片山敏彦に至ってはもう「誰も贖えない美」というとんでもないもの)も、そろいもそろって美形ですし、各事件関係者にも必ず容姿が優れた人物が絡んでくる。しつこいほど、美醜につられる人物の揺れ動きが描かれています。

「美人だから優遇される」ってな考えがずっとつきまとっているのですよね。

 

現実には、美的感覚は人それぞれなので、造形に対して「優れている」「劣っている」の判別はそんなにハッキリさせられるものでもなく、作中ほどの万人に通じるような「なんでも切符」状態は有り得ないと思うのですが。態度や表情にも左右されるところが大きいですしね。

 

このシリーズの場合、るみが幼少の頃に「醜い」という理由で酷い虐待やいじめを受けていて、容姿に対して強いコンプレックスを持っているという設定なので、このように美醜についてのしつこい描写があるのだろうとは思いますが。

あんまり「美人だから」「美人だから」と繰り返されると、妬み根性丸出し感があって、読んでいて気分の良いものではない。

ま、片山敏彦に関しては凄すぎてもはや笑えてきますけどね(^_^;)。

 

 

気分の良くなさは作中全体に漂っています。

事件内容はもちろんですが、るみや青山くん含め、100%好感を持てる人物がいないんですよね。どの人物も不快にさせる部分を持っていて、好きになりきれない。しかし、嫌いにもなりきれない。好感と嫌悪が交互にくる感じ。

 

しかし、この人物描写が規格外な出来事と人物ぞろいの世界にリアリティを与えているのかなと思います。あまりに好感度が高い主要人物ばかりにしてしまうと、能力や設定も相まって何やらポップな話になりそうですものね。

 

 

一話完結物の予定調和ではなく、巻を増すごとに人間関係が変化していくので、今後のシリーズの展開にも注目です。まだまだ暑い日が続くようですので、この夏是非。

 

 

ではではまた~

 

 

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