夜ふかし閑談

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『シーソーモンスター』「スピンモンスター」あらすじ・ラストと〈螺旋プロジェクト〉と

こんばんは、紫栞です。

今回は、伊坂幸太郎さんの『シーソーモンスター』をご紹介。

シーソーモンスター (中公文庫)

 

あらすじ

昭和後期。バブルに沸く日本で、北山家の嫁・宮子と姑・セツは日々衝突を繰り返し、宮子の夫でセツの息子である直人は熾烈な嫁姑問題に悩まされていた。

実は宮子は元やり手の情報員。情報員時代に培ってきたコミュニケーション能力を駆使すれば、姑と上手くやることなど簡単なはず。そう思っていたのに、何故姑相手には冷静になれないのか。そんな中、宮子は北山家の周りで不審な死が多い事を知り、独自に調査を開始する。

 

近未来。デジタル化か進んだ結果、紙媒体が秘密保持の方法として重宝されるようになっている日本。フリーの配達人である水戸は新幹線内で移動中、見知らぬ男に一通の手紙を届けて欲しいと仕事を依頼されたことで人工知能にまつわる事件に巻き込まれ、因縁の相手である檜山に追われることに。

 

時空を超えて繋がり繰り広げられる、二つの種族の対立と二つの物語。争い合うのは変えられない「運命」なのか――?

 

 

 

 

 

 

螺旋プロジェクト

『シーソーモンスター』は2019年に刊行された長編小説。2022年10月に文庫が発売になりました。

Netflixアン・ハサウェイサルマ・ハエック主演で映画化が決定したとのことで読んでみた次第。ちょうど文庫も発売されたタイミングだったので。

 

アメリカでの映画化は『マリアビートル』(※映画のタイトルは「ブレット・トレイン」)に続いてですね。

 

www.yofukasikanndann.pink

 

 

 

買ったときは知らなかったのですが、この作品は雑誌『小説BOC』の〈螺旋プロジェクト〉たる企画で書かれたものらしく、本には最初に「〈螺旋プロジェクト〉とは」と、プロジェクトの説明や年表が掲載されています。

 

簡単に言うと八人の作家による競作企画で、「共通ルールを決めて、原始から未来までの歴史物語をみんなでいっせいに書く」といったもの。言い出しっぺは伊坂さんだとなっていますが、あとがきによると元々編集者から持ち込まれた競作企画に「こうしたらもっと楽しいかもしれない」と提案して皆で打ち合わせしていったという感じのようです。

 

共通ルールは主に三つ。

 

  • 「海族」と「山族」との対立を描く(※「海族」は目が青い、「山族」は耳が大きいという特徴がある)

 

  • 「海族」と「山族」との対立を見守る、行司や審判のような役割をする「超越的な存在」を登場させる(※作品によって年齢・性別・姿形は異なる)

 

  • 共通シーンや象徴モチーフを出す(※「主要人物二人が“対立”について語り合う」「夕暮れの情景が描かれる」「物が割れる、飲み物がこぼれる」「螺旋の形状のイメージが入る」など)

 

といったもの。

 

 

伊坂さんが描いている時代は1980年代の昭和後期と、2050年の近未来。どういうことかというと、今作は二つの200ページほどの中編、昭和後期が舞台の「シーソーモンスター」と、近未来が舞台の「スピンモンスター」が収録されている本になっていまして、それぞれ主人公も物語の雰囲気もまったく異なる“まるで別作品”なのですが、読んでいくと繋がりが分る構成になっています。二つで一つの長編小説ですね。

 

〈螺旋プロジェクト〉は各作家が各時代を描いて年表のように繋がっていくという企画ですが、今作はプロジェクトの〈螺旋〉を象徴するかのような時空を越えた物語となっています。

 

 

 

 

 

シーソーモンスター

表面上はごくごく平凡な家庭の北山家。「嫁と姑の争い」が描かれる訳ですが、作者本人があとがきで“戯画化されたドラマのような”と書いているように、掃除の仕方に文句を付けられ、「子供はまだか」とイヤミを言われるといった、テンプレというか嫁姑問題と聞いて皆が想像するようなやり取りが展開される。

伊坂さんは「自分の発想力、想像力のなさに恥ずかしい気持ちにもなりました」と書いていますが、このド定番な一般家庭風景が描かれることで、水面下ではスパイ活劇しているっていうチグハグ感が際立って良いんじゃないかと思います。

一般住宅で専業主婦と工作員が戦闘をするシーンなど、最大限にこの絶妙なヘンテコ設定が活かされていて楽しい。

 

タイトルの“シーソー”は双方の力関係、パワーの均衡を表してのもの。各段落の合間には天秤のイラストが挿入されていて、力の傾き加減をわかりやすく示してくれています。

 

宮子が「海族」でセツが「山族」。当人たちは知らずとも、種族の本能(?)でどうしても対立する訳ですが、間に直人がいるし、一応専業主婦同士一つ屋根の下ということで、戯画化された争いにとどまっています。

嫁姑問題といっても、宮子が強くって一方的に姑に虐められるような構図にはなっていないので、読んでいてイライラすることもない。

 

何にも知らずに嫁姑問題と仕事で直面した不正に苦悩している直人は、読んでいて凄く好感が持てる人物。さすが、凄腕の女スパイに惚れられるだけある。

姑を疑って調査をしていたはずが、終盤は直人に思わぬ一大事が。愛する夫を救うため大男をバタバタ倒す宮子の活躍は爽快感があります。

 

最後の“思わぬ真相”ですが、大体の人は読んでいて予想がつくのではないかと思う。しかし、分っていてもこの展開は楽しい。「キター!」ってなります。これぞエンタメ・・・!!

“高齢者なめんな”っていうこの感じは、『マリアビートル』思い出しますね。

 

 

 

 

 

スピンモンスター

「シーソーモンスター」から60年ほど時は移ろいまして、2050年。こちらの主人公は配達人の水戸という男で、頼まれた手紙を元研究者の中尊寺敦に届けたことで無関係なのにあれよあれよと面白いくらいに事件に巻き込まれていく。

 

近未来ものらしく人工知能にまつわる事件で、伊坂幸太郎作品らしく仙台が舞台。水戸は幼少期に交通事故で家族を失っていて、その時からの因縁の相手である檜山に偶然にも再会。檜山は刑事になっていて、事件関係者として水戸は檜山に追われることとなる。

 

水戸が「海族」で、檜山が「山族」。タイトルの“スピン”は“誰かに特定のイメージを持たせるために、情報を操作する”行為を指す言葉。

相手は最強の人工知能ということで、スケールの大きい事件となっています。

 

「シーソーモンスター」はスパイ活劇ですが、「スピンモンスター」は近未来SF。

簡単にいうと人工知能の暴走を描いている物語で、近未来SFではありふれた題材ですね。

 

時代も事件内容もあまりにも接点がないので繋がりようもなく思えますが、途中から「シーソーモンスター」にまつわる人物が助っ人的に現われる。これもまた“高齢者なめんな”っていうものなのですが・・・年齢が年齢なのでこれはさすがに・・・義体かよ。

 

色々な乗り物を乗り継いでの逃走劇で、男二人で自転車に乗ったりスワンに乗ったりと緊迫しながらも「シーソーモンスター」のように軽快にコミカルに進んでいく。

これまたエンタメ一直線の娯楽作品かと思いきや、中盤で水戸の過去の記憶が明らかになっていくらへんから不穏な空気が漂い始めてくる。そして最後は序盤の雰囲気からは予想も出来ない結末に。

中盤までと終盤で大分温度差を感じますね。コメディからシリアスに様変わりといいますか。

 

伊坂さんの軽妙な語り口って登場人物に愛着を持ってしまうので、こういう展開されると辛い・・・。

ただ、水戸と終始行動を共にしている中尊寺さんが途中悪役に変貌するとかがなくて良かった(昔の研究はともかく)。割とそこの部分ドキドキしながら読んでいましたね。中尊寺さんは水戸が状況的にずっとすがっている人物で、これまた魅力的に描かれていたので・・・。

 

一縷の希望はあるものの、読後感はモヤモヤしたものになっていてスッキリはしない。「シーソーモンスター」がひたすら痛快コメディだったぶん、より温度差と落差を感じますね。

 

 

 

 

 

 

以下、若干のネタバレ~

 

 

 

 

 

 

 

 

「対立」と「争い」

「シーソーモンスター」の宮子とセツがたどり着いた結論は「争いたくなる気持ちは分る。だけど、争わないほうが好ましい」というものでした。

双方の対立心を了解しつつ、適度な距離を模索して争わぬよう努める。

 

それに対して、「スピンモンスター」の水戸と檜山は「定められていることだ」といった具合に双方自ら対立して、争いを真っ向から受け入れることとなっている。

 

嫁姑と因縁のある若い男二人では関係性が異なるので、同じ「海族」と「山族」の対立でも違ってしまうのかなとは思いますが、それにしても水戸と檜山は何故進んで“そっち”に行ってしまうのかとやるせない気持ちになる。

 

「争いはすべての基礎」「ぶつかり合わなければ何も起きない」「現状維持と縮小こそ悪」「争いはなくならない。争い続けること自体が、目的なんだから」と、「スピンモンスター」では作中で語られています。

 

進化するためには争いが必要だということを説いている訳で、たしかにそれはそうなんでしょう。争いがなければ文明の発展はなかった。現状維持のために誰も行動を起さず、口を噤むのであれば、出来上がるのはそう良い世界ではない。

 

しかし、人間も進化しているからには「対立」するにしても血を流すことを避ける遣り方を考えることが出来るはず。たとえ人工知能が、大きな何らかの力が、人と人との対立を煽ったとしても。

 

「スピンモンスター」では作中で一旦「シーソーモンスター」で示された“平和的解決”を否定しますが、最終的には同じ結論に帰結します。無理かもしれないけど、平和のために努力することは自由だし、大事。

 

対立する者同士でも相手を知ろうとすることで敵じゃなくなるかもしれないし、対立することで争いだけじゃないもっと別の何かが生み出されるかも。予測不能な人間の感情は完全無欠な人工知能の計算を崩すことも出来のではないか--。

 

 

しかしながら、「スピンモンスター」ではあくまでこのような希望が示されるところで終わっているので、人工知能が作っていく未来がどうなるのかは分らずじまいです。これは次の時代を描いている吉田篤弘さんの『天使も怪物も眠る夜』に持ち越しなんですかね。

 

 

 

〈螺旋プロジェクト〉は面白い企画だとは思いますが、約束事が多くって読んでいて「無理やり“入れているな”感」はどうしても否めないかなと。共通シーンや象徴モチーフはもっと少なくて良いのでは。「審判役」も、この本ではあまりいる必要性を感じなかった。

 

八作品読んだ方がより愉しめるようになっているとはいえ、雑誌に一挙掲載されているならともかく、各作家の本を買って読んでというのは正直大変ですよねぇ。個人的には『シーソーモンスター』だけで単体の作品として十分愉しめますし、補足するために読むにしても「シーソーモンスター」と「スピンモンスター」の間の時代にあたる朝井リョウさんの『死にがいを求めて生きているの』

 

 

 

と最終時間軸となる吉田篤弘さんの『天使も怪物も眠る夜』だけで良いのではと・・・。いや、出来たらやっぱり全部読んだ方が良いのでしょうけど。

 

 

Netflixでの映画はコメディアクションなんだそうです。アメリカでの映画化は意外ではありますが、「シーソーモンスター」は実写にはすごく向いていそうだなと思うので楽しみですね。

時代設定、舞台はどうするのですかねぇ。「スピンモンスター」の要素を入れるのかどうかも気になる。たぶん主でやるのは「シーソーモンスター」のストーリーのみじゃないかな~?ですけど。その方がコメディアクションとしてはまとまりますよね。

 

〈螺旋プロジェクト〉や映画化で気になった方は是非。

 

 

 

 

ではではまた~