こんばんは、紫栞です。
今回は京極夏彦さんの『今昔百鬼拾遺 天狗』をご紹介。
あらすじ
昭和二十九年十月。女学生の呉美由紀は薔薇十字探偵社に赴いた際、篠村代議士の娘・篠村美弥子と対面する。帰りに美弥子にお茶に誘われ、そこで美由紀は美弥子が探偵社を訪れた理由を耳にする。
美弥子の友人である是枝美智栄は八月に高尾山中で消息を絶ち、行方知れずのままに約二箇月経った十月七日に群馬県の迦葉山で女性の遺体が発見されるが、遺体は何故か美智栄の衣服を身にまとっていたという。
美由紀はこの事件の話を「奇譚月報」の記者・中禅寺敦子に相談。敦子が事件について詳しく調べてみると、美智栄が消息を絶ったのと同じ頃に高尾山中で天津敏子という人物の遺体が発見されていたこと、そして、美智栄の衣服を着て迦葉山で発見された葛城コウという女性は天津敏子と深い関わりのある人物だったということがわかったのだが――。
“天狗攫い”ともいうべき失踪事件から端を発する事件の謎を、中禅寺敦子・篠村美弥子・呉美由紀の三人の女性が追う。
天狗、自らの傲慢を省みぬ者。やがて美由紀たちが辿り着いた事件の真相はあまりにも悲痛なものだった――。
ラスト
【百鬼夜行シリーズ】
のスピンオフ的最新作【今昔百鬼拾遺】(こんじゃくひゃっきしゅうい)3社横断3ヶ月連続刊行企画で、講談社タイガから刊行の第一作「鬼」(※3社横断3ヶ月連続刊行企画の詳細についてもこちらをご参照下さい↓)、
角川文庫から刊行の第二作「河童」
に続いてラストとなる新潮文庫からの刊行、第三作目「天狗」です。
今作も敦子が謎の解明し、最後に美由紀ちゃんが犯人にキレるという今シリーズのお約束を踏んでいまして、今作では全編美由紀ちゃん視点での語りになっております。
第一作目「鬼」が敦子の視点のみ、第二作「河童」が美由紀ちゃんと敦子で交互の視点でしたので、三作品通して敦子と美由紀ちゃんで語りが綺麗に二分されている形ですね。こういうキチキチした構成は何とも京極さんらしい。
表紙写真と口絵のモデルは前作、前々作同様に女優の今田美桜さんです。
前二作ともお面に隠れて顔出ししていませんでしたが、ラストである今作もやはりお面でお顔は拝見できないままに終わりました。ホント、贅沢すぎる女優さんの使い方(^^;)。三冊通して見てみると、制服で作中の季節が判るようになっています。春→夏→秋ですね。
ページ数は380ページ程で前作「河童」と同じぐらいですが、角川文庫の「河童」より、新潮文庫の今作の方が若干値段はお安いです。
普段は各出版社の値段設定ってさほど気にしないんですけど、こうやって3社横断3ヶ月連続刊行の企画をされると各社の違いが目につきますね。講談社タイガから刊行の第一作目「鬼」は260ページ程で100ページ程の違いがあるものの、値段は新潮文庫の今作と20円(税別)の差しかないので、講談社・角川に比べると新潮は少し値段設定が低めなのかな?と思います。(使っている紙の関係とか色々あるんでしょうけど)
※2020年8月追記。
3社横断してややっこしく刊行されたこのシリーズですが、「鬼」「河童」「天狗」の三作を一冊にまとめた『今昔百鬼拾遺 月』が講談社からノベルス・文庫と刊行されました↓
タイトルに「月」ってついてるけど新作ではないので要注意。・・・とかの前に講談社と結局どうなっているのだという感じですが。そういうことらしいのでレンガ本で読みたいならこちらで。
この【今昔百鬼拾遺】は敦子と美由紀ちゃんの二人が主軸のシリーズではありますが、今回は美由紀ちゃんと美弥子さんの会話が多くを占めているので、事件の謎に女三人で挑む!って印象のお話になっています。
陥穽の中での会話が少しシュールで面白いのですが、後になって事件の真相が解ってみると色々とゾッとする。
美由紀ちゃん視点のみなのもあって、敦子は前二作より少し存在感が薄いですかね。後の二人が啖呵切るからというのもありますが・・・。
今作はですね、非常に心揺さぶられるお話になっていて、「やはり凄い」と思わせてくれる作品になっています。ホント、ファンが辞められません。
美弥子さん
前作「河童」のゲストは多々良センセイでしたが、今作のゲストは【百鬼徒然袋】
の一話目「鳴釜」に登場した篠村代議士の娘・篠村美弥子さんです。
「鳴釜」の終盤の美弥子さんは本当にカッコよくってですね、オカマは惚れさせるし、“あの”榎木津を呆れさせるしで、読者の気持ちを一気にかっさらっていったお嬢様なのですが、今作でまさかの再登場をしてくれました。ファンとしてはひたすら感謝感謝です。ありがとうございます。
美弥子さんが登場するとあって「鳴釜」関連の話題がチラホラ出て来ますので、未読の方は今作の前に読んでおくことをオススメ。
同じく「鳴釜」に登場したオカマの金ちゃんも再登場してくれてさらに驚きと喜びが。
美弥子さんはあの「鳴釜」での騒動の後、金ちゃんとすっかり仲の良いお友達になっていたらしい。被害者の早苗さんとも。
初対面の美由紀ちゃんに「見所がありますわ」とすぐに「お友達になって戴けます?」と云うくらいなので、少しでも興味をもった人とは親睦を深めたいと思うタチなのかもしれないですね。美弥子さんが中禅寺(兄)のことを果心居士のまま覚えているのが可笑しい。
しかし、美由紀ちゃんも女学生にして探偵、祈祷師、雑誌記者、代議士の娘とかなり奇異な交友関係を形成していっていますな・・・。
他、益田・鳥口・青木の三馬鹿トリオがそろって登場。
最初、薔薇十字探偵社を訪問するところから始まりますが、益田のみの登場で和寅は登場しそうでしなくってちょっと残念。何時までもお茶を入れていたらしい(^^;)。榎木津は富士山だか河口湖だかに行っているらしい。何しに行ったんだかは不明とのこと。
う~ん、このお出かけは長編に関わることなのかどうなのか微妙なところですね。
青木はやっとまともに登場したなといった感じ。「自分はつまらない人間」という敦子に対して、悩ましげに心配している姿がチラチラと。最後に木下も少し登場していました。
鳥口は第一作目「鬼」と同じ用途で、カストリ雑誌記者独自の取材技術で事件のやや下世話な詳細を調べてくれています。“常軌を逸している”を、「蒸気が出てる」と言い間違えするのに笑いました(^^)。
この三馬鹿トリオは『塗仏の宴』以降、しっかり友人関係になっているのが伝わってきますね。薔薇十字団だからか。
以下ネタバレ~
男・女
今作では女性同士の恋愛が絡んでくるとあって、舞台は昭和なものの、テーマは昨今よく取り沙汰されるLGBT問題を大いに想起させるお話となっています。
今でこそ環境も変わって理解ある人も増えましたが、昭和のこのころの御時世だと同性同士の恋愛はさぞや厳しい偏見が多かったのだろうなと思います。今作では武士一族の厳格な家での出来事とあって、より男性視点での旧弊的な偏見や差別が強調され、終盤は女性蔑視で傲る男性に対峙する敦子・美弥子・美由紀の三人の女性たちという図式になります。
この男性による女性蔑視は「鳴釜」でも扱われている題材です。なので、今回のお話に美弥子さんが登場するのは必然とも感じる。金ちゃんも。
「鳴釜」は“男らしさ”を声高に主張する乱暴者が女性を暴行するという事件でした。
――男らしい。
男らしいとはどう云うことなのだ。
(略)
意地を張ったり見栄を張ったり、痩せ我慢をしたり、暴力を振るったり女性に乱暴をしたり、威張ったり蔑んだりすることが男らしいと礼賛されるなら、僕は男なんか辞めたい。
上記は「鳴釜」に出て来る一節。
今作では「威張ったり蔑んだり」という、“傲り昂ぶり”が天狗に擬えてクローズアップされています。
男・女といったジェンダーについては『格新婦の理』でも散々触れられていましたね↓
天狗
「鬼」は恐いモノ、「河童」は品のないモノ、「天狗」は傲慢なモノ。
一般的に云われている天狗の概要というのは、自分の知識や能力を過信して正しい修行をしなかった僧侶がなるとされています。傲慢であるがために悟りを開くことも出来ず、どの道からも爪弾きになる。
傲り昂ぶり、その傲慢を省みることもなく、どんな境遇であれ謙虚さが全くない。
今作では男だというだけで何の根拠もなく「女より優れている」という無根拠な“傲り”を、傲りとも気づかず“常識”だと信じて疑わない老人の存在が事件の大きな要因になっています。
曰く、
「女の分際で男と対等に口がきけると思うな」
「女に出来ることは子を産むことだけ」
「男を守り立てて家を護ることすら出来ない女には生きている価値がない」
云々。
聞くに堪えない暴言ばかりで読んでいると怒りが込み上げてくるのですが、読者の気持ちを代弁するようにその都度、美弥子さんが怒ってくれるので、読者は心の均衡を保つことが出来る(^^;)。ホント良かった、美弥子さんがいてくれて。て、感じなんですが。
「そうやって家名だの血統だの資産だのと云った、くだらないものに縋っていなければ、まともに立ってもいられないのでしょうね。剰え性別にまで寄り掛かり、振り翳す。見苦しいことこの上ないですわ。そんな肝の小さい、器の小さい人間を、わたくしは心底蔑みます。男だろうが女だろうがそのいずれでもなかろうが、そんなことは何の関係もない。地位も名誉も何も持っていなくったって、人は一人で立っていられるものですわ。何故なら」
人だからですわと美弥子は云った。
「生きていることそれ自体が誇りです。それなのに貴方達はそんな要らないものを振り翳して相手の上に乗って来る。そうしなければ立てないんです。それは猿のすることではなくって?いい迷惑ですわね」
美弥子さんはやっぱりカッコいい。惚れ惚れしますな。
このお爺さんは幼少からの徹底した武士教育(?)の賜物でこんな昭和の時代でも引かれるような旧時代的な考えになっているのですが、女性同士で恋愛をしていると知って「家の恥だ」と本気で自分の孫を刀振り回して殺そうとするのだから、もう武士だのなんだの関係なくただひたすら狂った爺さんなんですよね。別に女性じゃなくったって、男性だって誰だってこのお爺さんが狂人だというのは解る。もちろん息子にも。
犯人はこのお爺さんの息子で、女性同士で恋愛をしていた娘の父親である藤蔵です。
娘とその恋人をこの狂った爺さんから逃がしてやりたいと、何の関係もない女性二人を殺害して身代わりにしたというのが事の真相。
犯行が露見した後、藤蔵は父を糾弾します「孫を本気で殺そうとするアンタは狂ってる」「私は家名なんかより娘を大事に思う。望みを叶えてやりたいと思う。それが親だ」と。
父親の傲慢さを糾弾し憤る藤蔵ですが、藤蔵がこんな非道な計画を立てたのは、家の中では父の機嫌を取って今まで通りに振る舞い、その上で娘の願いも叶えてやりたいという、虫の良過ぎる思惑から。
本当に藤蔵がすべきだったのは父親を説得することだったハズ。
なのに、父の考えはおかしいとは思うものの「世間とそう違いはない、世間だって娘のことを蔑むはずだ」と決めつけ、諦め、説得すること、考えることを放棄した末のこの無茶苦茶な殺人計画。
自分の考えに固執して正しいと思い込み、違っているとは思いもしない。
自らの傲慢を省みぬ者。
藤蔵もまた「天狗」なんですね。
啖呵
美弥子さんが既に啖呵を切りまくるので、お約束の美由紀ちゃんの啖呵はどうなるんだとか変な不安をしてしまいましたが(^_^;)、今作でも美由紀ちゃんは堂に入った啖呵を聞かせてくれます。
至極真っ当な長広舌で相手をぐうの音も出ない状態にするというのは京極作品の醍醐味ですが、小娘ならではの率直な感情の高ぶりが伝わってくる啖呵は美由紀ちゃんだからこそで、この【今昔百鬼拾遺】ならではのものですね。
今作は犯行理由があまりに理不尽なものだったので(わざわざ穴まで掘る必要あるかなとか若干疑問)、被害者のことを思うと哀しくやり切れない想いが込み上げてきます。啖呵の部分を読みながら美由紀ちゃんと同調して目がウルウルしてきてしまう。犯人に怒り狂っていた美弥子さんも、美由紀ちゃんの啖呵を聞いて気が落ち着いているので、図らずも美由紀ちゃんが事件関係者の憑物落とししてるのだなぁと。
今後
今作は度々【百鬼夜行シリーズ】で描写されていた敦子の密かな悩みも再度クローズアップされていましたし、
美弥子さんも上記で紹介した部分はほんの一部で、もっとカッコいいシーンも一杯ありますので、見所たくさんでファンは必見ですので是非。
欲を云うなら、ラストだし榎木津か中禅寺(兄)を出して欲しかったところですが(【今昔続百鬼】だと最後に中禅寺が登場していましたからね)、
3ヶ月連続刊行も今作がラストだと思うと寂しいですね。3ヶ月間、毎月愉しませてもらって有り難い限りでした。
京極さんは機会があればまた【今昔百鬼拾遺】を書いてもいいとインタビューで仰っていたので、このシリーズは続くかもです。
また敦子の理路整然とした推理・美由紀ちゃんの啖呵が読める日を願って、京極夏彦ファンを続けたいと思います。※『鵼の碑』もね!!
ではではまた~