こんばんは、紫栞です。
今回は、映画『ブレット・トレイン』を観たので感想を少し。
『ブレット・トレイン』は2022年に公開されたアメリカ映画で、原作は伊坂幸太郎さんの【殺し屋シリーズ】の二作目『マリアビートル』。
伊坂作品は多数実写化されてきているし、【殺し屋シリーズ】一作目の『グラスホッパー』も過去に映像化されているので
『マリアビートル』の映画化自体は驚くことではないですが、まさかアメリカでブラット・ピット主演で映画化とは流石に予想外。第一報を聞いたときは「え!ホントに?すごいじゃ~ん!」でしたね。
原作の『マリアビートル』がどういうお話かというと、殺し屋ばかりが乗り合わせた新幹線内で、密やかに殺し合いが繰り広げられるというもの。それぞれ別の思惑によって行動する殺し屋たちの攻防戦が、新幹線車内という二時間ほどの密室の中でスピーディーに描かれる“殺し屋協奏曲”です。
※『マリアビートル』についての詳しい内容はこちら↓
凄いと思いつつも、公開前は次々に出される映画内容の続報に戸惑いばかりでした。で、極めつけはこの予告編。
他の乗客が知らないところでドンドン死体が増えていくというのがこの物語の特色なのですが・・・・・・めちゃくちゃダイナミックに新幹線脱線しているじゃあないか。
こりゃそうとう原作とは別物なのだなと覚悟して観ましたよ。
ところが、意外にも前半は概ね原作通りに進んでいきます。途中までは。
登場人物が殆ど西洋人になっていて、性別が違っていたり、細かい設定が変更されていたりはあるものの、それぞれに依頼を受けた殺し屋がスーツケースの奪い合いをし、狡猾な若造が裏で掻き乱すという一連の流れは同じ。
二人組の殺し屋である蜜柑(アーロン・テイラー=ジョンソン)と檸檬(ブライアン・タイリー・ヘンリー)が作中で話す“機関車トーマスの話”などは、如何にも伊坂幸太郎作品らしい暗示的なしゃれっ気部分なのですが、この映画でも出て来る。機関車トーマスの話は省略されるだろうなぁと思っていたので、「おお」となりましたね。
タイトルが「マリアビートル」から新幹線を意味する「ブレット・トレイン」に改題されているので、“ナナホシテントウ虫”の逸話が出て来るか不安だったのですが、ちゃんとあって安心しました。
原作では日本人設定であるキャラクターを白人俳優が演じたことに関しては、向こうのお国ではちょっとした論争になったそうです。原作が日本のものであっても、制作はアメリカなんだから別に・・・って思うところですが、アメリカを舞台にしているならともかく、原作通りに日本を舞台にしているのにおかしいだろうということらしい。
そりゃ確かに、新幹線の一般乗客も日本人が殆ど乗っていないしおかしいのですが、この映画で描かれている日本はおかしいところだらけでもはや“ファンタジー日本”なので、そんなことわざわざツッコむ気も起きないといいますか、一々気にしていたら日本人としては観ることも出来ないといいますか、なんといいますか。
原作だと東京発盛岡行きの新幹線なところが京都行きに変更になっているのは、「ああ、やっぱ京都映しときたい感じですか」だし、着物と日本刀出して「いつ時代だよ」っていう組の描き方しているのもアメリカ映画での「日本」あるある。忍者出さないだけマシかもですけど。
リアリティがあるのは駅の看板ぐらいで、新幹線内でアメリカ映画的ド派手なアクションしているのに誰も気づかんし、駅で危険人物集団が目立ちまくって待ち構えているし、新幹線がどんなに大変なことになっても駅員さんがほぼ出て来ないなど、JRはもっとちゃんとしてると声を大にして言いたいところですが、これはもう架空の日本、新幹線としてあえてファンタジックにしているのかなと思います。
原作でもあとがきで作者の伊坂さんが「お話の舞台として、いつも利用する東北新幹線を使ってしまいましたが、現実には、こういった物騒なできごととは無縁です」「この物語は、“存在しない新幹線”が走行する、現実とは異なる世界でのお話、と解釈していただけると幸いです」と書かれているのですが、映画はこの部分をさらに誇張した感じ。
まったく取材してないでしょといった“日本舞台”ですが、パラリンピックマスコットのソメイティを連想させる「モモもん」という着ぐるみやイラストが随所に出て来て大いに役に立ったり、日本の挿入歌を何曲も流したりなど、日本へのリスペクトを感じさせる部分も多々ある。
映画制作が東京2020大会の開催と近かったので、日本!マスコット=ソメイティだ!って勢いなんでしょうね。私はソメイティ推しなので、「モモもん」が思った以上に活躍してくれるのは観ていて嬉しかったですよ。ソメイティの方がもっともっとずっとずっとカワイイですけどね。
総じて観ると、日本にリスペクトがあるんだかないんだかでして・・・妙な気分。
日本の描きだけでなく、全体的に非常にアメリカ映画らしい仕上がり。
原作は上記したように“殺し屋狂想曲”でミステリ的な伏線の張られ方や前作『グラスホッパー』との繋がり、登場人物達の人間ドラマと問答などが様々な要素が含まれた物語ですが、この映画は原作のストーリーを活かしつつ、独特の軽快なコメディアクションものとして作り替えている。
元々、原作の『マリアビートル』は新幹線という密室の中だけでお話が展開されていく、低予算で制作出来る舞台向けの物語なのですが(実際、2018年に舞台化されています)、アメリカの乗り物エンタメ映画らしく(?)後半は映画オリジナルで、共通の敵を前に皆で共闘!新幹線が暴走!どうする!脱線だ!冷静に考えると全然大丈夫じゃないけど大丈夫な雰囲気のラスト!みたいな、王道な展開に。
原作との最大の違いは王子(ジョーイ・キング)ですね。
まず性別が違うんですけど、原作では王子はもっとすんごい嫌なムカムカするいけ好かないガキで、終盤で「幸運と不運」「若者と高齢者」の対決が描かれることで滅多打ちとなり、議論で論破されるところがとても痛快でスカッとするのですが、この映画では別の人物が最大の敵として描かれているので、王子も原作ほどムカつかないし、“議論で論破”もない。
なので、原作で王子が会う人皆に問いかけていた「どうして人を殺しちゃいけないのか」の件も全面的にカットです。そもそも、これは原作でも前作『グラスホッパー』での主人公・鈴木が登場することで成り立つものでしたからね。この映画としては余計だろうし、カットで良かったと思います。
原作とはまた違う痛快さがあるものに仕上がっていて、エンタメとして気楽に観られるアクション映画。別物ではありますが、別物として振り切って楽しませてくれる映画ですね。
アメリカ映画のアジア人枠で(?)ご活躍の真田広之さんはご多分に漏れずこの映画にも登場しているのですが、重要でカッコイイ役どころをしていました。原作では一見平凡に見える老人って設定なんですけど、真田さんだと“只者じゃない”感強いですね。
ま、キャラクター設定はもろもろ全部違うので。
原作では死んじゃう“あの人”が生き残っているのは嬉しいし、最後にマリア役でサンドラ・ブロックが出てくれるのがまたスペシャル。カメオ出演でチャイニング・テイタムやライアン・レイノルズが出ているのもまた然り。
原作の「伝説の殺し屋」登場で度肝を抜かれるというのもいつか実写で観てみたいものですが。原作通りなら低予算で出来るし、今後日本映画でも作ってくれないかしら。
そんな訳で、原作を知っていても知らなくても楽しめる娯楽映画になっているので気になった方は是非。
映画を観た後でも原作は十分に楽しめるので『マリアビートル』も是非。
ではではまた~