夜ふかし閑談

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『そして誰もいなくなった』小説 買うときの注意点!翻訳、変更、叙述・・・などなど、実は問題だらけ?

こんばんは、紫栞です。

今回は、アガサ・クリスティーそして誰もいなくなったについて少し。

そして誰もいなくなった (クリスティー文庫)

 

知らない人は誰もいない超絶有名作

そして誰もいなくなった』は1939年にイギリスで刊行された長編ミステリ小説。ミステリの女王であるアガサ・クリスティーの代表的作品で最高傑作とも評される、超絶有名作。推理小説にまったく興味がない人でも、「そして誰もいなくなった」というタイトルを知らないなんて人はいないですよね。

 

あらすじは、

孤島に招待された、たがいに面識もない職業も年齢もバラバラな十人の男女。招待主が現われぬまま初日の夜に食事会をしていた最中、謎の声によってそれぞれの過去の罪を告発される。童謡の歌詞通りに一人、また一人と何者かに殺されていき、島は恐怖に包まれるが・・・・・・・。

 

ってな物語。

 

絶海の孤島ものである「クローズド・サークル」で、童謡に擬えて人が殺されて人形も消えていくという「見立て殺人」であり、「デスゲームもの」のハシリでもある。

 

人によっては「なに、そのベタベタなストーリー」ってなる人もいるかも知れないですが(実際、私の職場の先輩はドラマ化されたものを観たときに「凄く王道なストーリーだね」と言っていた)、つまりは、この“ベタ”は『そして誰もいなくなった』が発端で原型となっているという訳。王道を作ったのはこの作品なのですよ。

 

ミステリ界では基本中の基本とされる作品ですが、度重なる映像化によってストーリーは既に知っていたのと、海外小説に若干の苦手意識があるのとで今までちゃんと読んできませんでしたが、この度ようやっと読んだ次第。

 

超絶有名作で内容が素晴らしいのは当たり前なので、今更私がどうこう述べたところでアレなのですが、初心者なりに気になった箇所や買う際に注意すべきところがあるなと思ったので、少しまとめたいと思います。

 

 

 

まず、海外小説で登場人物も多いので名前を覚えにくい。

解説などでは「登場人物の個性が際立っているため人数が多くても混乱しない」などと書かれていますし、実際、明確に書き分けはされているのですが、何だかんだ言ってもやはりカタカナの名前は覚えにくい。馴染みがないとどうしようもないのですよ、これは。読みながら何回も本の登場人物一覧を確認してしまった(^_^;)。

なので、ここで自分用も兼ねて登場人物をまとめておきます。

 

 

登場人物

ロレンス・ウォークレイヴ

元判事。年配の紳士で鋭く、高名で有能な判事と評判だったが、「死刑好きな判事」とも呼ばれていた。勝手な都合で被告人を有罪にしたと告発される。

 

ヴェラ・クレイソーン

体育教師。若い女性で、島には秘書として雇われてやって来た。家庭教師として受け持っていた子供を故意に溺死するよう仕向けたのではないかと告発される。

 

フィリップ・ロンバート

元陸軍大尉。島にはある依頼を受けて訪れた。軍人だったとき、東アフリカの部族民から食料を奪って見捨てたことで二十一名を死に追いやったと告発される。

 

エミリー・ブレント

信仰があつく、頑迷な老婦人。かつて雇っていた十代のメイドが妊娠したことを激しく糾弾し、自殺に追い込んだと告発される。

 

ジョン・マッカーサー

退役将軍の老人。大戦のときに妻の愛人だった部下を故意に死地に赴かせたと告発される。

 

エドワード・アームストロング

男性医師。なかなかに成功している多忙な医師だが、酔って手術をしたことで患者を死なせた過去がある。

 

アンソニー・マーストン

青年。遊び好きで軽薄な人柄。危険運転で子供を死なせた過去があるが、まったく悪びれずに今も荒い運転をしている。

 

ウィリアム・ブロア

元警部。現在は探偵をしており、客の監視を依頼されて島にやって来たため、最初は名前と出身地を偽っていた。賄賂を受け取り、嘘の証言で無実の人間に罪を着せて死に至らせたと告発される。

 

トマス・ロジャース

執事。実直な仕事ぶりだが、雇われたのは一週間前で雇い主に会ったことはない。妻と共謀し、かつての雇い主を死に至らせて遺産を手に入れたと告発される。

 

エセル・ロジャース

トマスの妻。ロジャースと一緒に雇われ、主に調理を担当する。常に何かに怯えているような様子を見せる。

 

 

 

島に招かれたのは、以上の十人。

 

招待したのはオーエン夫婦ということになっています。誰も会ったことはないのですけど。

 

よくよく考えると、まったく面識のない人の招きでこんな孤島にホイホイ来るのはおかしいのですが、世間で評判になっていた島だったのと、それなりの社会的地位がある人達なので、大富豪に招かれることにさほど疑問を持たないってことなのですかね。

 

 

 

 

翻訳

海外小説を読むにあたっての最初の問題は、どの翻訳者のものを読むかです。

名作ほど色々な翻訳家、色々な出版社から刊行されているものでコナン・ドイルエラリー・クイーンなど選ぶのに一苦労ですが、

 

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そして誰もいなくなった』は早川書房からの刊行のみで、訳者も旧版の清水俊二さんと新訳版の青木久惠さんのみ。

旧訳を読むか、新訳を読むかの二択ですね。

 

ハヤカワ・ミステリ文庫の清水俊二さんの旧訳版。

 

 

ハヤカワ クリスティー文庫青木久惠さん新訳版。

 

青木久惠さん訳のものはジュニア版も出ています。

 

 

文庫だと新訳決定版がハヤカワ・ミステリ文庫の装画を復刻していて見た目が同じものもあるので分りにくい。

 

 

買うときは訳者の名前に注意しましょう。訳者もどちらにも「青」の字が入っていてこれまた間違えやすいんですよねぇ。

 

 

私はあまり深く考えずに入手しやすい新訳版の青木久惠さん訳で読んだのですが、読み終わった後で比較しているサイトなどを見て軽く調べてみたら、かなり文章雰囲気が違っていて、物語の印象が異なるみたいなんですよね。

 

旧訳の清水俊二さん訳の方がその格調高く比較的淡々としていてその当時の小説を読んでいる重さがあり、新訳版の青木久惠さん訳は現代的な軽さで登場人物の感情がより劇的に書かれているって感じでしょうか。

 

調べながらこんなに違いがあるものなのかと驚きました。同じ文章でも、やはり訳者によって別物っぽくなってしまうのですね。

 

細かくみると訳は新訳の方が実際の文章に忠実らしいのですが、どうも文章がスムーズじゃないというか、読んでいて流れが止まってしまう感じがありました。翻訳ものだとこういった文章的違和感はつきまとうものですが、旧訳版の方が読みやすいしホラー的雰囲気があって良いという意見が多いようです。

しかし、より登場人物たちに感情移入したいという人には新訳版が良いのかも。

 

 

 

 

変更による問題点

80年以上前のイギリス刊行作品ということで、この作品は今では差別的表現と受け取られる箇所があるため、翻訳の際に原文から変更されている単語や表現が多い。

印象的でパロディの多い

 

www.yofukasikanndann.pink

 

この「そして誰もいなくなった」(And Then There Were None) というタイトルも実はアメリカで出版する際に改題されたもので、原題は「Ten Little Niggers」。

 

これは作中で登場する歌からとられているのですが 、Niggersが黒人を侮辱する差別用語(日本語だと「黒んぼ」とか訳される)なので、当然のようにNG。

 

さらに、その作中のマザーグースの歌に関しても「10人のインディアン」だったのがインディアンも用語的にマズイとなって、今では「十人の小さな兵隊さん」となり、改変の繰り返しでほぼオリジナルの詩状態となっているそうな。

確かに、昔観た映画だとインディアンって言っていたなぁ・・・。

 

 

作中では人種や国籍を揶揄する表現も多く、作者としてはそのような意図はなかったのでしょうが、現在では差別として色々引っかかるということで作中文章も表現を変えられている。

 

これだけで文学的には結構問題なのですが、大問題なのは巧みに盛込まれた叙述トリックが改訂により意味を成さない物になってしまっているところですね。

 

今作では登場人物十人の視点が全員分描かれています。つまり、犯人の視点も知らず描かれていることになる訳ですが、その犯人視点であろう部分の辻褄が合わないことになっている。犯人は自作自演のはずなのに、招待されて来たとしか思えないように書かれているのですね。

 

本来は比喩表現や絶妙な言い回しなどによる叙述トリックが仕込まれていてミステリ的読みどころの一つなのが、用語への配慮による変更で日本語訳だと意味不明なことになっているらしい。

 

そんなこととは知らずに読んだので、読み終わった後はかなりモヤモヤしてしまいましたよ。このプロットで犯人視点の辻褄が合わないのはスッキリしない。多重人格者か妄想癖か?ってな状態になってしまっていますからね。

 

この本来の叙述トリックの素晴らしさに関しては、原文を読める語学堪能な人でないと無理ってことでしょうか。なんとも残念ですねぇ・・・。

 

 

 

 

ラスト

探偵が不在の推理小説でタイトルの通りに生存者もいないので、事の真相は最後に犯人の手紙によってもたらされるものとなっています。

 

そして誰もいなくなった」は世界中で映画・ドラマと映像化されていますが、犯人が一方的にベラベラ説明して終わりというのは映像化作品としてはやりにくいのか、ラストの流れは変更されていることが多いです。

 

実はアガサ・クリスティーの手によって1943年に戯曲化されていて、戯曲ですと最後は生存者がいて、ちょっとしたラブストーリー要素もあるものとなっているので、こちらのストーリーを採用している映像化作品もあります。

 

私が最初に観た映画も戯曲バージョンの方でした。その時は小説と戯曲があってラストが違うものになっているとは知らなかったのですが。

しかし、子供心に「タイトルと違うじゃん」とは思いましたね。「いなくなってないじゃん」みたいな。その後、別のドラマ化作品を観たら結末が違って驚いた。

 

 

 

人物名が覚えにくいことでの躓き、翻訳での困惑、犯人視点の不可解さなど、時代の流れと翻訳の難しさをモロに受けている小説ですが、何年経とうとワクワクするこの独自のミステリ設定の“本家”は確り読んでおくべきなのかなと思います。新訳版だけでなく、今度は旧訳版も読みたいですね。

 

気になった方は諸々気をつけつつも是非。

ではではまた~