夜ふかし閑談

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『ゲームの名は誘拐』ネタバレ・解説 原作小説と映画の違い

こんばんは、紫栞です。

今回は、東野圭吾さんのゲームの名は誘拐をご紹介。

 

ゲームの名は誘拐 (光文社文庫)

 

あらすじ

腕利きの広告プランナーである佐久間駿介。金を稼ぎ、適当に女遊びをして順風満帆な日々を過していた彼だったが、ある日、手掛けてきた一大プロジェクトをクライアントの副社長・葛城勝俊の鶴の一声によって潰され、プロジェクトのリーダーからも外されてしまう。

屈辱感に満たされて酒に酔った佐久間は、出来心から直接会って問い質してやろうと葛城の屋敷へと出向く。葛城邸を前にして逡巡していると、若い女が屋敷から塀を跳び越えて抜け出す場面に遭遇した。

女は葛城勝俊の娘・樹理で、血の繋がりがない母や異母姉妹との折り合いが悪くて家出してきたのだという。

とりあえず樹理をなだめる佐久間だったが、翌日、会社を訪れた葛城と直接対面し、「私はゲームには些か自信がある」という言葉を聞いて葛城にゲームでの勝負を挑もうと決意する。

佐久間は樹理と結託して「誘拐ゲーム」を仕掛けるが――。

 

 

 

 

 

 

 

狂言誘拐

ゲームの名は誘拐』は、2002年に刊行された長編小説。2003年に藤木直人さんと仲間由紀恵さん出演で『g@me』(※ゲームと読む)というタイトルで映画化されていますので、

 

 

そちらの方で知っている人が多いですかね。とはいえ、映画も20年以上前なので覚えている人はあまりいないかもですが。しかし、2002年に刊行して2003年って・・・メチャはやな映像化ですね。東野圭吾だと日常茶飯事かもしれないですけど。

 

今度は2024年6月にWOWOWで連続ドラマ化されるとのことで、

 

www.wowow.co.jp

 

 

改めて原作小説を読んで、映画も観てみました。

 

 

タイトルや上記のあらすじからお分かりかと思いますが、今作は狂言誘拐もののミステリ。

連載時は『青春のデスマスク』というタイトルだったようですが、改題されて『ゲームの名は誘拐』になったようです。中身を読んだ後なら『青春のデスマスク』というタイトルが何を意図してつけられたものか分りますが、このタイトルだと内容を誤解する人が殆どでしょうから改題されたのは納得ですね。『ゲームの名は誘拐』というタイトルですと狂言誘拐ものなのだとすぐに分る。

 

映画だと『g@me』と改題されていて、これまた内容が分りにくいタイトルになっているのですけども。今度のWOWOWドラマでは『ゲームの名は誘拐』ってタイトルのままやってくれるようです。

 

狂言誘拐ものですと犯行手段に重きを置かれるミステリが多いですが、従来の狂言誘拐ものの面白さも踏まえつつ、東野圭吾作品らしい展開で驚かせてくれるミステリとなっています。

物語は一貫して佐久間の視点で描かれているので、犯罪小説としても愉しめるかと。

 

 

 

 

 

 

以下ネタバレ~

 

 

 

 

 

 

 

 

気持ちが悪い

 

偶然樹理の家出に遭遇した事を利用し、佐久間は携帯電話やインターネット掲示板などを駆使して身代金三億円の奪取に成功。

樹理と金を分け合い、最後に樹理が誘拐犯に解放されたのを装って葛城邸に帰ることでこの狂言誘拐はリスク無く終了するはずでしたが、翌日になっても誘拐事件が報じられず、樹理が家に帰らずじまいであるらしいことを知って佐久間はにわかに不安になる。

数日経ってやっと誘拐事件が報じられますが、そこで佐久間は驚愕することに。テレビに映った葛城樹理の顔写真は、佐久間の前で樹理だと名乗っていた女とは別人だったのです。そしてさらに数日後には、葛城樹理が遺体で発見されたと報じられた・・・。

 

佐久間に樹理だと名乗っていた女の正体は、異母姉妹で樹理の妹である千春。

つまらない口論の末に勢いで姉の樹理を殺害してしまった千春は、動転して後先考えず館から抜け出した。そこに佐久間が接触してきて狂言誘拐を提案してきたので、千春はこっそりと父親の葛城勝俊に相談。葛城はこの事態を利用して娘が加害者であることを隠蔽し、あわよくば佐久間に罪をなすりつけようと画策した、と。

 

 

なんとも東野圭吾作品らしいどんでん返し展開ですが、序盤で「こいつ、妹の千春の方なのだろうな」と察してしまう人は多いだろうと思います。東野圭吾作品作品を読み慣れている人はもちろんですが、この手の犯人による一視点語りのミステリですと共犯者の素性を疑うのは定石ですからね。

 

ま、千春の方だとして、何故このようなまどろっこしいことをするのか、相手の目的が定かでないので気になってドンドン読み進めてしまうのですけども。

 

 

私の読み終わっての率直な感想は「気持ち悪い話だな」です。

 

男女で狂言誘拐計画ってことで、お約束的に犯行途中に二人は肉体関係を持ってしまうのですが、実は千春はその際に佐久間の精液と陰毛を採取。これを使って樹理の事件を強姦殺人に偽装する。

 

これのなにが気持ち悪いって、娘が男と肉体関係を持つことで採取してきたこれらを使って、娘の遺体に偽装を施し、ありもしない強姦を“態々”でっち上げて世間に晒す、葛城勝俊が気持ち悪い。

 

直接指示された訳ではないが、そうして欲しいのだろうなと父親が思っているのを察して、千春が自分の意思で佐久間と関係を持って採取したとのことですが、こんなものをやり取りする親子って気持ち悪い。

そもそも、自分を恨んでいる男と娘が二人きりで寝泊まりするのを許容するのも父親の感覚としておかしい。千春はまだ高校生ですよ?いつなにされるか分ったもんじゃないってのに。実際、ヤっちまっているし。

 

男の犯行だと印象づけたいって狙いなのでしょうが、強姦されたことにする必要なんてまったくないし。むしろ、好奇の目にさらされることになってマイナスだと思うし。

 

実の娘にこんなことやらせて、こんなものを受け取って、それを使って実の娘の遺体にこんな工作して。娘は強姦されたんですと世間に嘘のアピールをして。

 

 

父親として、本当に気持ちが悪い。理解しがたいし、虫酸が走る。

 

 

個人的に、真相のここの部分に大いに引っかかってしまって、物語やミステリの仕掛け云々は脇に追いやられて「気持ち悪い」に全部持って行かれてしまいました。

 

殺されて、家族は誰も悲しんでくれず、死後に父親の手でこんな屈辱的なことされて、樹理がひたすらに不憫です。

 

 

はて、ではこのまま佐久間は誘拐と強姦と殺人の罪を着せられてしまうのか――?

なのですが、狂言誘拐中、千春が佐久間の部屋で料理を作って運んでいる写真を切り札に、葛城と対峙して駆け引きする場面でこの物語は終わっています。

 

男女の狂言誘拐物語ではなく、佐久間と葛城とのゲームによる勝負として物語を締めている訳ですね。

 

 

 

 

映画 原作との違い

上記したように、この物語の主要人物たちは悪人ばかりです。作者の東野圭吾さんが「良い人が出てこない物語を作りたかった」らしく、このような仕上がりになっているようです。東野圭吾作品だと前に当ブログで紹介した『ダイイング・アイ』とかもそのようなコンセプトで描かれていましたかね。

 

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2003年の映画『g@me』では、エンタメとして観客が感情移入出来るようにと人物像が変更されています。

 

主要の三人とも、完全に悪人になりきれない人間味溢れる人物像になっていて、私が原作で嫌悪した強姦云々の偽装工作も丸々カット。大賛成ですよ、このカットは。

 

殺害された樹理は薬物中毒でいつも家族が手を焼かされる存在だったことになっており、ラリって刃物を手にした樹理が千春に襲いかかってきて、もみ合っていたら誤って刺してしまったという、正当防衛的なものとなっていて、千春に同情できるものとなっています。

樹理が薬物中毒だったことを隠したいがために葛城が佐久間を利用する計画を画策したと、原作とは別に理由付けもされている。

確かに、原作を読んでいても「こんな面倒くさいことする必要ある・・・?」と少し疑問ですからねぇ。しかし、警察に樹理の遺体を調べられれば薬物中毒だったことはバレてしまうんじゃ・・・?と、これはこれで疑問ですが。

 

三分の二まではほぼ原作通りのストーリーですが、そこから先が映画による完全オリジナル展開で、原作よりさらに二転三転のどんでん返しをしています。

ツッコミどころが多いし、ちょっとやり過ぎ感もありますが、原作を先に読んでいた人でも楽しめますし、原作よりも分りやすく葛城に一矢報いることが出来ていてスカッとする。

 

原作より恋愛要素が強くなっていて、ラストシーンも佐久間と千春の二人。なんだかんだ、佐久間と葛城とのシーンで締めている原作のラストは釈然としなさがやはりありますので、映画のラストの方が良いと思う人もいるかと。これはこれで取って付けた感ありますが・・・。

 

 

当時のスタイリッシュさ(?)を意識しての仕上がりだからか、今観ると演出や台詞回しなど色々とダサい。タイトルの『g@me』からして時代を感じますが(当時も子供心に「なんで@なんだよ」って困惑しましたけどね)、終盤の電話シーンの合成とか謎演出過ぎて笑ってしまう。一周回って斬新な面白さがありますよ。

 

藤木直人さんと仲間由紀恵さんの二人が美男美女で画は文句なく美しいです。特にこの当時の仲間さんが凄く綺麗でそれだけでも観る価値あり。

流石に、原作の高校生設定から大学生設定に変更されていますが。でも大学生設定も違和感ありますけどね・・・。

 

 

このように、映画は原作からはかなり変更されています。

 

小説の文庫版には佐久間役を演じた藤木直人さんによる文章が収録されていまして、藤木さんも最初に台本をもらった時、原作とかけ離れた内容に「こんなふうに変わってしまっていいんだろうか」と悩まれたようですが、記者会見で東野さんとお会いした際に「どうぞ気兼ねせずに思いっ切り演じて下さい」と言葉をかけられて気が楽になったとのこと。

東野圭吾さんは作品を発表した時点で自分の手からは離れるので、映像化は制作の方々にお任せするというスタンスなんですよね。

原作ありきの映像化は昨今何かと話題になる事柄ですが、作家さんによって意見は様々です。大事なのは制作側の姿勢、原作へのリスペクトだと個人的には思いますが。

 

 

今度のドラマは東野圭吾作品を何度も映像化しているWOWOWですし、

 

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この映画ほど大胆な変更はないのではと思うのですが、二時間もあれば十分なボリュームの原作を全4話の連続ドラマでやるようですので、設定やストーリーの細部を膨らませたりはするでしょうね。

20年前と携帯電話事情が激変しているので、身代金受け渡し方法も変更しないとダメだろうなぁ。

 

 

小説、映画、ドラマ。それぞれに面白さを見出してストーリーや時代の違いを楽しめる作品ですので、気になった方は是非。

 

 

 

 

 

 

ではではまた~