こんばんは、紫栞です。
今回は、映画『沈黙のパレード』を観たので、感想を少し。
こちら、2022年に公開された映画。2007年からフジテレビで制作されている【ガリレオシリーズ】
このシリーズは今までにテレビシリーズが二期、スペシャルドラマ、映画と、何本も制作されている人気シリーズなのですが、今作は劇場版3本目。前作『真夏の方程式』から9年ぶりの新作ですね。
このシリーズ、原作も『禁断の魔術』
で湯川先生がニューヨーク行ってしまい、いったんストップしていたので、久しぶりの新作だったんですよね。
もう書かないのかなぁーと思っていたところでの唐突な長編発表だったので、映像化計画ありきでの新作かなとか発売当初勘ぐったものです。東野圭吾作品はそういうの多そう・・・。
案の定映画化された訳ですが、原作小説発売から4年ほど経っての映画化だったので、思っていたよりは遅かったなと。
草薙
原作は湯川と草薙が主要人物、途中から内海が登場して~という流れですが、ドラマは男女コンビもので新作の度に女性刑事さんが代わりつつ続いていました。原作の読者からすると、別に草薙だけでいいよなんですけどね・・・。
ちょい役でなく、内海(柴咲コウ)がちゃんと参入するのはドラマ一期ぶりで懐かしい。原作ですとキャラクターの年齢や職場での立場が変化し、時間経過を感じさせる描写が多かったので“お久しぶりです感”が強かったのですが、映画の方はそこら辺サラッとしていますね。内海が捜査一課に戻って草薙の部下になっていますが、それについての説明も全然ありませんし。
映画公開前に放送されたスペシャルドラマ『禁断の魔術』では、原作同様にラストで湯川先生(福山雅治)がニューヨークに旅立っていましたが、その後何年経ったとかもよく解らない。原作とは対照的に時間経過をあまり感じさせたくないのかなぁという気がする。「みんな知っているでしょ?」って具合に、主要三人についての説明もありませんしね。
久しぶりの内海ではありますが、観てみると今作は内海の印象は薄め。草薙(北村一輝)の葛藤や苦悩が前面に出されている内容で、見方によっては草薙が主役ともいえる。
原作は草薙が視点の中心になっているのがほとんどなので、本来のシリーズの在り方に近いですね。テレビシリーズの時は草薙ほとんど出てくれなかったので、原作ファンは嬉しいのではないでしょうか。ドラマファン的には内海の活躍に物足りなさを感じるかも。
しかし草薙、容疑者の写真見て吐くほど嫌悪しているのなら捜査無理なんじゃ。上の人たちもコイツは捜査からはずそうってならんかね。その後普通に取り調べしているし、不自然ですよ。事件への悔いの想いを表現しようとしたんでしょうが、あの演出はやりすぎだと思う。
北村さんの演技は見事で、作品のアラを諸々誤魔化してくれていますけどね。
事件関係者のキャストは皆、原作のイメージよりちょっと微妙に違う感じ。でも思い起こせばこのシリーズ、イメージ通りのキャスティングはいつもない気がするので、あえてそうしているのかも。
以下ネタバレ~
説明不足
あらすじはほぼ原作の通りなので詳細はこちらで確認して欲しいのですが↓
今作の事件、トリックらしいトリックがないのですよね。物理もほぼ関係なく、何で湯川に相談するのかもいまいちわからない。
なので、ミステリとしての見せ場は町の人たちの描写とラストのどんでん返し。そこの部分にかかっている訳ですが、原作では町の人たちによる複数での犯罪計画を倒叙的にみせる構成になっていたものが、実質カット。
被害者の女の子についての回想が度々入るのみで、遺族はじめ事件関係者の人物背景がさほど描かれず、具体的に犯罪計画を進行している描写がない。単純に疑わしい人たちってだけで、「複数人による復讐劇」という物語の“見せかけ”があまり成立してないのですよね。
ミステリとしてもですが、情報が少なくって感情移入が出来ないので、人間ドラマとしてもハンパな仕上がり。
そもそも、事件概要もあまり詳しく説明されていない。15年前の優奈ちゃん殺害事件については全くといっていいほど説明がなく、女児が殺されたことしかわからない佐織(川床明日香)と一緒に発見された蓮沼(村上淳)の母親の遺体についてもまったく触れていない。
こんな情報量で、状況証拠も物的証拠もあるのに、黙秘を貫いて無罪になったって言われても、到底納得しかねる。優奈ちゃん殺害事件は本当に蓮沼がやったことなのかどうかも解らず、観ていて困惑する人も多いことでしょう。ま、優奈ちゃん殺害事件に関しては蓮沼が間違いなく犯人だということでいいと思いますが。
終盤のどんでん返しにしても、湯川が犯人に行着くプロセスが曖昧なんですよね。なぜ犯人がわかったのか、推理モノなら最重要であろう部分が不透明。おそらく、新倉先生(椎名桔平)が庇う相手が他にいないからってことなのでしょうが・・・。
このどんでん返しの最大の問題点は、湯川が最初に言った「蓮沼には絶対に自分は逮捕されない確信があった。なぜなら真犯人を知っているから」という言葉を、湯川自身が導き出す真相によって覆してしまうところにあります。
だって、結局佐織を殺したのが蓮沼だってことなら、逮捕されない確信なんて持てるはずがないですからね。先に言った言葉と大きく矛盾してしまっている。
蓮沼の計画はあまりにも無謀で不自然すぎる。「被害者の血がついた服を持っているのがメッセージ」って・・・いや、単純に自分が殺した証拠ってだけじゃん。後生大事に持ってたの、馬鹿みたいじゃない?意味不明だよ。
と、ミステリとしておかしな部分が多々あるのですが、どんでん返しなどの問題点に関しては概ね原作通り。
原作自体が問題のある出来といってしまえばそれまでなのですが、この映画では原作の問題点を解消することなく、むしろ全体的に説明不足にして原作よりいっそう不可解で疑問ばかり残るものに仕上げてしまっている。
ミステリ小説の映像化の利点は「わかりやすくなるところ」のはずが、この作品は真逆を行ってしまった感。上手く詳細を変更して、原作小説の欠点を補って欲しいと映画には期待していたのですが・・・残念です。
クズ
原作も同様なのですが、この物語、真相を知った後だと被害者の佐織への悪感情ばかりが印象に残る。「佐織、クズじゃん」と思った人は、それはそれは多いことでしょう。
しかしながら、映画ではまだ申し訳なさそうな態度をとっているぶん、原作よりマシなのですよ。「あれ?原作だともっと腹立つ感じだったよね?」と思って、原作を読み返したらやっぱり凄いムカついた。
原作だともっと不貞不貞しくって煽っているような態度で・・・もう、もう・・・なんだ、コイツ・・・!なんですよ。
佐織のクズっぷりが気になる方、是非原作を。
原作とは違い、彼氏(岡山天音)が結婚したいと言っていないですね。原作だと歌手になるって時に結婚したいと言って、あげく孕ませて、これまた「なんだコイツ」なのですが、映画だと彼氏が結婚のことまったく頭にないから、勝手に結婚すること決めている沙織に違和感ある。
でもやっぱり、計画について真っ先に口を割る彼氏は原作同様に腹が立つ。
原作終盤での佐織の両親と彼氏が話す場面、映画ではカットされていますけど、個人的にはあそこもムカツク場面だったのでカットされて良かった。
新倉の奥さんの留美(檀れい)ですが、嫉妬心で激昂したというように変更されていましたね。原作だと、嫉妬心よりも沙織のプロデュースに音楽家として全身全霊を懸けている夫のことを想っての感情が強くて・・・だったので、この変更は何だか厭でした。
この夫婦も、被害者遺族も、その被害者遺族の友達も、増村も、上記したようにこの映画だと描写が不足しているので感情移入出来ないのですが。小説だと各人物の視点が描かれているのでまだわかるのですけどね。
佐織の妹(川口夏希)とか、原作では出番の多い立ち回りだったのですけど、映画だとほぼ空気だった。
友情
原作だと祐太郎と戸島、湯川と草薙、二つの友情関係が相対的に描かれています。原作の湯川と草薙は二人で飲みに言ったりしていてもっと普通の友達感あります。湯川先生がわざわざ店の常連になったのも、草薙の力になりたいと思ったからなのですよね。映画でも「親友」と湯川の口からハッキリ言っているのが聞きたかったな。
諸々気になるところはありますが、湯川と草薙の友情関係がクローズアップされているだけでもファンは観る価値あると思います。
配信もされていますし、気になった方は是非。
ではではまた~