こんばんは、紫栞です。
今回は、松本清張の『眼の壁』をご紹介。
あらすじ
従業員の給料遅配を防ぐため、資金調達に奔走していた昭和電業制作所の会計課長・関野徳一郎は、白昼の銀行の一室を利用した手形詐欺に引っ掛かり、三千万円を詐取されてしまう。会社に大損害をもたらしてしまったことに責任を感じた関野は、妻と社長と専務、直属の部下である萩崎竜雄にあてて四通の手紙を書き、山中にて自殺した。
萩崎にあてられた手紙には手形詐欺事件の詳細が詳細に書かれていた。関野課長に恩義を感じて慕っていた萩崎は、罪に問われぬままの手形詐欺グループに憤怒し、独自に事件を追跡してみようと決意する。
友人である新聞記者・田村満吉の協力を得ながら事件を調べるうち、この手形詐欺には代議士や右翼団体の領袖である船坂英明、高利貸の女秘書・上崎絵津子などの得体の知れない人物たちが関わっていることを突き止める萩崎だったが、事態は次第に危険な方向へと進んでいく。さらには殺人事件が発生して――。
手形詐欺に端を発する社会派ミステリ
『眼の壁』は1957年4月~1957年12月まで「週刊読売」にて連載された長編小説。2022年6月に小泉孝太郎さん主演でWOWOWでの連続ドラマ化が決定しています。
松本清張の代表作の一つである『点と線』と同時期に連載された作品でして、
今では『点と線』の方が世間での認知度は高いんですけれど、連載当時はこちらの『眼の壁』のほうが反響は大きかったんだそうな。
信じられないほど映像化されてきている清張作品ですが、『眼の壁』が映像化されるのは1958年に公開された佐田啓二さん主演の映画以来。
2022年は松本清張の没後30年の節目ってことで、今回初の連続ドラマ化だそうです。記念とか節目とか関係なく、清張作品は毎年なにかしら映像化されている気もしますが。
この原作は刊行当時の1950年代の設定で書かれていますが、今度のWOWOW連続ドラマではバブル期に時代設定を変更して描かれるのだそうです。
こちら↓
繰り返し映像化されている作品ではなく、清張作品の中では知名度もさほどなので「どうかな?」と思っていたのですが、実際読んでみたら凄く面白かったです。
文庫で500ページほどのボリュームですが、スリリングな展開もあって飽きずに読む事が出来ます。
“パクリ屋”と呼ばれる手形詐欺を素材として選んだのは、当時の検察庁検事河合信太郎氏に勧められたからなんだとか。当時の小説では汚職や詐欺などの捜査二課が担当する知能犯による犯罪を扱う例が少ないから、書いてみてはどうかということだったらしい。今ではその手の犯罪を扱った作品も多いですので、この分野でもやはり松本清張は先駆者なんだということかもしれない。
手形詐欺から端を発する物語ということで読む前は取っつきにくさを感じるかもですが、手形詐欺については発端として描かれているだけで、そんなに難しいところや解りにくいところはないので心配はご無用です。組織的で巧妙な方法での殺人事件ものとして、確りと推理を楽しめるミステリ小説となっています。
素人探偵の奮闘
今作は亡き上司の無念を晴らすべく奮闘する会社員・萩崎竜雄が事件を追う素人探偵ものとなっています。素人探偵ものだと『ゼロの焦点』のように主人公自身が事件の当事者の一人で云々という流れが多いですが、
萩崎は直接事件に関わっていないし、特別被害を被っていないにも関わらず、自殺してしまった上司の恩義に報いるべく事件を調べる。
もはやこの調査動機だけで好感が持てる主人公ですね。順調に出世していたのに、最悪会社を辞めることになっても良いと亡き上司のために長期休暇までとって事件を追う訳ですから。
萩崎だけでなく、会社の専務も社長も善良な人物として描かれていて、社長に至っては「強く言い過ぎた」と関野課長を自殺に追いやってしまった原因は自分にあると悔いており(社長は「責任をとれ」と言っただけなんですけどね。関野課長は責任感の強い人物だったので、社長が思っていたのとは違う形で責任をとってしまったと)、萩崎が事件を独自に追っていると知ってさらなる異例の長期休暇を萩崎に与えてくれる。
会社の人間関係、特に上役たちというのはミステリ作品ではドライに描かれがちですが、この物語ではどの人物も従業員思いで、読んでいて嫌な気持ちにならなくて良いなぁと。従業員が五千人近くいる大きな会社ですが、昭和電業制作所はさぞかし良い会社なのでしょう。辞めちゃ駄目だよ、萩崎。
素人探偵に新聞記者の友達がいるというのは定番のご都合主義ではありますが、田村も良いヤツで、単独スクープをとる野心を持っているとはいえ、親身になって旅費と労力も厭わずに萩崎の調査に付き合ってくれる。
清張作品は電車での移動調査や捜査が多く描かれるのも特徴の一つですが、『眼の壁』でも中央本線や木曽山脈の線を行ったり来たり忙しく動き回っています。
[
清張作品はやはり地道な調査・捜査過程が面白いですね。
以下、若干のネタバレ~
衆人環視のなかでの犯行
手形詐欺に端を発するこの物語。代議士や右翼団体が絡んでいることで萩崎も身の危険を感じたりしてスリリングな目に遭うのですが、途中で衝動的な殺人事件が発生したことで事態はいよいよ物騒なことになっていく。
黒幕には手下が多くいまして、その手下たちを使って黒幕は白昼堂々、衆人環視のなかで巧妙に犯行計画を実行する。
犯罪は普通、人目を忍んで実行されるもので、誰にも目撃されないように気を遣いながらするものなんでしょうけど、この黒幕は周りの眼を気にしないで、寧ろ逆手にとった大胆な方法をとるんですね。これは捜査二課が担当する知能犯的な犯行方法だともいえる。堂々としているぶん、かえって気がつかれないという盲点ですね。
目撃者はいっぱいいて、眼前で拉致や遺体搬送といった恐ろしい犯罪が行なわれているにも関わらず、誰も気にとめることがない。見逃してしまうという恐怖。
“建物も、電車も、自動車も、人も、彼の視界にさりげなく映っている。眼にうつっていることが現実なのか。しかし、じっさいの現代の現実は、この視界の具象のかなたにありそうだ。眼は、それを遮蔽した壁を眺めているにすぎない。”
松本清張の作品タイトルってのは大抵が抽象的なのですが、今作のタイトルはこの“人の眼はほんの表層部しか見ていないし、映していない”という現実を表しているものなのかなと。
壮絶なラスト
今作はメイントリックが結構えげつないといいますか、非人道的でグロテスクで「いやいや、そんな・・・」な、血の気も引くおぞましさなんですけども、このトリックは1956年に足立区の工場で実際に起こった事件をヒントにしているのだとか。
フィクションだと思っていたからまだアレだったのに・・・。いやぁ、人間って本当にこんな酷いことが出来るもんですかね。
このトリックに関連しまして、終盤に事件の黒幕は壮絶な行動をとる。追い詰められたとはいえ、よりにもよってこんな方法を最後に選ぶのは唐突すぎて読んでいて疑問でした。あの黒幕はそんなタマじゃなさそうだし。
人物確認のために連れて来られた人の良いおじいさんいましたが、目の前で再会したばかりの懐かしい人物があんなことになって、さぞかしショックだったろうと思う。トラウマ確実ですよ。
“無理やり感”が垣間見えるラストで少し残念ですね。部落差別などにも作中で動機として触れているのですが、サラッとしすぎかなと思います。もっと深掘りして欲しかったですね。
事件には右翼団体を率いている船坂英明の他に、高利貸で秘書をしていた上崎絵津子が実体は見せぬままに影のごとくつきまとうのですが、萩崎は一回面会しただけの上崎絵津子に妙に惹かれてしまったらしく、事件を追いながらも何故か庇い立てし続けて、事件に深く関与しているのは間違いないと確信しながらも誰にも打ち明けない。
一目惚れってことなのかもしれませんが、本当にたいした対面をした訳でもないので、萩崎が何故そんなに上崎絵津子に肩入れするのかが解せない。なので、事件調査が佳境を迎えても協力してくれている田村に打ち明けないのにはなんだかイライラさせられました。田村が良いヤツだから余計に・・・。
しかし、たいした接触も持ってないのに何故か心に深く刻まれて、訳も無く庇いたいという感情がわき起こることはあるのかもなぁとも思う。上崎絵津子という“幻の女”の真相も今作の大きな見所ですね。
松本清張作品ならではの面白さが詰まった作品で読みやすいボリュームですので、初めて清張作品を読む人にもオススメです。
ドラマ化などで気になった方は是非。
ではではまた~