こんばんは、紫栞です。
今回は松本清張の『ゼロの焦点』をご紹介。
あらすじ
昭和三十三年。板根禎子は広告代理店に勤める鵜原憲一と見合い結婚をした。式を挙げ、信州から木曾を巡る新婚旅行を終えた十日後、憲一は仕事の引き継ぎの為に金沢へ行ってくると旅立った。それが、禎子が夫である鵜原憲一を見た最後となった。憲一はそのまま新婚一週間にして突如失踪してしまったのだ。
健康で、精力的で、職場では腕利き社員。順風満帆で、若い妻との結婚生活を楽しみにしていた様子だった憲一に一体何があったのか。
結婚早々に一人残されてしまった禎子は、夫の勤務先であった金沢に赴き、憲一の後任である本田良雄の協力を得ながら夫の行方を追うが、その過程で禎子は夫・鵜原憲一の隠された過去と“陰の生活”を知ることとなる。
そんな中、夫の失踪に関係したと思われる人物が次々に殺されてゆき――。
代表作(※著者談)
『ゼロの焦点』は1959年に光文社から刊行された作品。長編小説としては『点と線』、
『目の壁』などに続いての発表作ですね。
最初、『虚線』のタイトルで【太陽】という雑誌に連載していたものの休刊。その後、『零の焦点』とタイトルを変えて【宝石】に連載が引き継がれて、カッパ・ノベルス創刊作品として刊行される際に『ゼロの焦点』と更に改題。【宝石】は当時、江戸川乱歩が編集長を務めていました。
タイトルの改題もそうですが、連載雑誌が休刊になったり、雑誌が移った後も様々な理由で何度も休載があったりと、今作の執筆は三年間にわたり、中々一筋縄ではいかない大変なものであったようです。
苦労したせいもあるのかどうかは分かりませんが、1978年当時に三好行雄さんとの対談「社会派推理小説への道程」で、著者の松本清張は自作の長編小説の代表作を訊かれた際、“好きなもの”として今作を挙げています。
社会派推理小説の先駆者として名高い松本清張。今作も戦後13年経った日本の情勢が色濃く反映された社会派ミステリが展開されているのですが、この作品では特に女性がクローズアップして描かれています。主人公は捜査機関とは無縁の一妻とあって、当時の女性読者が感情移入しやすく、入り込みやすいものになっているかと。
昭和30年当初というのは、推理小説、探偵小説というのはエログロが強調されているものが多く、「探偵小説は男性の読み物」というボンヤリとした認識があり、女性は手に取りづらかったようです。社会派もそうですが、清張作品はミステリ界の女性読者の増加という点でも先駆者であるようですね。『ゼロの焦点』は、より女性読者を強く意識した作品だと思われます。
映画
『ゼロの焦点』は今までに映画が二本、ドラマが確認出来るだけで六本制作されています。ドラマはいずれも20年以上前のもので単発・短期放送のためかDVD化などがされておらず、今となっては観るのは困難です。なので、ここでは映画二本をご紹介。
1961年版
松竹大船撮影所制作。第12回ブルーリボン賞助演女優賞受賞※高千穂ひづる
キャスト
鵜原禎子-久我美子
室田佐知子-高千穂ひづる
田沼久子-有馬稲子
鵜原憲一-南原宏治
室田儀作-加藤嘉
映像はモノクロ。
監督は野村芳太郎さん。脚本は橋本忍さん、山田洋次さん。このお三方は『砂の器』など、清張作品を原作とした映画を多数手掛けています。
原作とは異なり、この映画ではラストで主人公と犯人が直接対峙して問答しています。崖の上で。
「クライマックス、何故か崖の上で犯人をとっちめる」というのは二時間サスペンスのド定番、お約束としてよく出て来ますが、その演出の発端がこの映画であるとされています。偉大な(?)作品ですね。
この映画の予告映像を動画で観たのですが、犯人が丸わかりというか、丸出しでした。予告でこれって良いのか?と思うのですが・・・犯人当ては度外視したサスペンス映画ということなんでしょうか。
原作だと禎子の夫探しに多大なる協力をしてくれる本田良雄の存在感は希薄で、事件に巻き込まれないままに退場しています。原作での本田さんが気の毒すぎる立ち回りなので、映画でのこの変更はなんだかホッとする・・・(^^;)。
2009年版
東宝映画。第33回日本アカデミー賞、計11部門で優秀賞受賞。
キャスト
鵜原禎子-広末涼子
室田佐知子-中谷美紀
田沼久子-木村多江
鵜原憲一-西島秀俊
室田儀作-鹿賀丈史
松本清張の生誕100周年を記念してのリメイク作品。監督は『メゾン・ド・ヒミコ』
『のぼうの城』
などの犬童一心さん。
初見のときは原作未読だったのですが、感想としては「よく分らない映画」。演出方法のせいか、ストーリーが判りづらかったり、登場人物の心情の変化についていけなかったり(特に最後の室田儀作)と、「?」ばっかりの映画でした。原作を読んだ後だと、何のために加えたんだという映画オリジナル要素に疑問を抱きます。室田佐知子の周辺をだいぶ膨らましていますので(絵描きの弟がいたりだとか)、主人公である鵜原禎子の存在感が希薄です。
室田佐知子を演じている中谷美紀さんの演技が凄まじく、素晴らしいので、ストーリー展開も相まって室田佐知子しか印象に残らないお話になっちゃっているのではってな気が。主役を“くってる”ってやつですね。
しかし、昭和三十年代の雰囲気や美術や衣装も美しくて良く雰囲気が出ているのと、中谷美紀さんの演技だけでも観る価値はあると思います。
1961年版のような崖の上での犯人との相対は出て来ません。全身真っ赤な恰好をした女(トリックのための恰好なんですけども)がホラーチックでやたら怖い。
以下ネタバレ~
三人の女
禎子が失踪した夫の行方を追ううちに明らかになるのは、夫・憲一が昔警察官で、その当時に取り締まり対象だったパンパン(大戦後、在日米軍将兵を相手にしていた街娼)の一人、田沼久子と関係を持ち、誰にも知られないように同棲生活をしていたこと。
憲一は禎子との見合い結婚を機に久子との関係を清算しようとしていた矢先に、久子のパンパン時代の仲間で、今は社長夫人の女性活動家として名声を手にしている室田佐知子に殺害されます。
憲一が長く関係を続けていながらも端から久子との結婚を考えていなかったのは久子が過去にパンパンをしていた女性だったからで、佐知子が憲一を殺害したのはパンパンだった自身の過去を露見させないため。
今現在も職業への貴賎はことある場面で実感するものですが、『ゼロの焦点』の舞台である昭和三十年代は女性の社会的地位は今よりずっと低く、貞操など諸々に対して強い偏見がある時代でした。犯人の佐知子は自身の才覚と必死の努力で女性活動家としての地位にまでのぼりつめた女性。パンパンをしていた過去も戦後の混乱期での話であり、食べるために必死だっただけのことで、本来は恥ずべきものでも非難されるいわれもないもののはずですが、それを許容しないであろう社会への恐れから過去を隠すために連鎖のように殺人を犯してしまいます。
佐知子夫人の気持ちを察すると、禎子は、かぎりない同情が起こるのである。夫人が、自分の名誉を防衛して殺人を犯したとしても、誰が彼女の動機を憎みきることができるであろう。もし、その立場になっていたら、禎子自身にも、佐知子夫人となる可能性がないとはいえないのである。
いわば、これは、敗戦によって日本の女性が受けた被害が、十三年たった今日、少しもその傷跡が消えず、ふと、ある衝撃をうけて、ふたたび、その古い疵から、いまわしい血が新しく噴き出したとは言えないだろうか。
夫を殺された禎子ですが、上記のように犯人の佐知子に同情してしまっています。憲一を殺し、憲一の兄を殺し、真実に近づいた本田を殺し、それらの罪をなすりつけようと久子を殺し・・・と、だいぶ酷いことをしているのですが。
それほど、敗戦によって女性が受けた被害というのはぬぐい去れないものだということでしょうか。見合い結婚でよく知りもしないままに短期間添っただけの男より、敗戦で辛い境遇に立たされた女性である佐知子の方に肩入れしてしまうのはこの時代の女性ならではかもしれません。原作と違い、映画では佐知子に怒りをぶつけていたりしますけどね。
禎子や佐知子と違い、自分が受けている仕打ちがわかっていて、それでも男の言うままに行動してしまう田沼久子の存在もまた、時代の象徴のように感じられます。
女性としては、やはり鵜原憲一への憤りが読んでいると湧いてきますね。そんなに相手女性の経歴が恥だと思っているのなら、そもそも付き合わなければいいのに(-_-)。久子を完全に結婚相手として除外しているところが腹立たしい。あげく、久子に別れを切り出せないからと自殺の偽装までしようという始末。佐知子が突き落としたくなるのも分かるというものです。
『砂の器』でも給仕をしている彼女の職業を恥じて交際を公にしたがらないという描写がありましたが・・・見栄っ張りの優柔不断なろくでなし男ばかりが世にはびこっていると著者は言いたいのでしょうか。
名誉を守るために、自分の過去を知っている人物を殺害するという点も『砂の器』に通じるものがありますね。清張作品ではこういった、不遇の境遇から成り上がった人間が過去を消し去るために殺人を犯してしまうというパターンがよく見られます。「境遇からの脱却=社会への抗い」として、過去に成功を阻まれてしまうのは社会や時代の“しつこさ”を描いているのかなぁと思ったり。
タイトルの意味
『ゼロの焦点』って、全部読んでみてもタイトルの意味が明確にはわからないんですよね。タイトルに繋がる具体的な記述もないので。何とな~く、ニュアンスで・・・みたいな。ちゃんと説明するのは難しい(^^;)。
連載当初のタイトルが『虚線』だったことから推察するに、やはり“禎子が夫の行方を探す旅”を表しているんだとは思います。
見合い結婚であるが故、夫の事をまだよく知らなかった禎子は、その夫を探す旅の中で“あるはずのない夫の一面”に直面し、殺人事件の謎を追っていくも、真ん中が抜けたように実体はいつまでも掴めない。実体の“無い”ものが関心を、注目を集めている。
禎子の夫を探す旅は、葬り去られたものをひたすら追い続ける旅路で、禎子にとっては判明していく事実はどれも虚構の絵空事のように実感が湧かないものだが、殺人という悲劇は間違いなく起こっている現実。
見合いによって会ったその日に結婚が決まった、まだよく知らない夫が新婚一週間で失踪。行方を探る中で、夫が周囲に隠していた女との生活が判明。さらに周辺の人間が次々と殺されていって~・・・ですからね。大混乱ですよ、まぁ。
自分が同じ状況に立たされたら・・・・・・と、読んでいるといい知れぬ不安に襲われてきます。それらのことを踏まえると、やっぱり今作は女性読者向けの作品なんだなぁと。
あと単純に、松本清張は「点」「線」などをタイトルで使うのが好きだったのかとも思いますが。連載当初の『虚線』もそうだし、『点と線』とか『蒼い描点』とか・・・。
冬の風景
他に特色として、『ゼロの焦点』は冬の風景が非常に上手く噛み合っている作品です。舞台は冬の金沢、能登半島。禎子が事件を追う中で抱える虚無感は、寒くて白い雪が降り積もる北国の風景にピッタリで、舞台情景が作品と密接に関わっていると感じます。冷たい海や断崖も然りですね。
禎子が室田儀作と共に室田夫人・室田佐知子が乗った小舟を見送るラストはとても情緒的です。
過去を隠すために必死だった佐知子ですが、夫の室田儀作にとって、佐知子のそんな過去は咎めるに値しないもので、妻を想う気持ちは変わらないのだという事実は、救いであり皮肉です。
痛ましく、哀しく、虚無な事件。
寒く真っ白な世界、荒れ狂う冬の海はこの事件と正に一体化しています。
敗戦による女の苦境、タイトルの意味を熟考し、情景を思い浮かべながら読んで欲しい作品です。気になった方は是非。
ではではまた~