こんばんは、紫栞です。
今回は京極夏彦さんの『書楼弔堂 待宵(まつよい)』をご紹介。
〈探書〉の夕
2023年1月に刊行された『書楼弔堂 待宵』は明治が舞台の〈探書〉物語シリーズの第三弾。「書楼弔堂」という、とんでもなく品揃えが良い本屋に、史実の著名人たちが本を探しに訪れて“その人の人生にふさわしい一冊”に出合っていくという連作短編もの。
※このシリーズの概要について、詳しくはこちら↓
このシリーズは朝、昼、夕、夜という構成で書いていくものだそうで、第一弾は夜明けを表す「破曉」、第二弾は真昼を表す「炎昼」、第三弾の今作は夕暮れ前を表す「待宵」。
前作の『炎昼』から六年経ってのシリーズ第三弾ですね。もうそんなに経っていたのかって感じですが・・・。
前作の明治三十年代初頭から時が経ち、今作は明治三十年代後半(このシリーズはスタートが五年刻みなのがオキマリとなっています)。「書楼弔堂」という店が舞台で、元僧侶で年齢不詳な弔堂主人と、同じく年齢不詳な美童(シリーズ第一弾からはおよそ10年経っているので、実際は結構な年齢になっているはずですが)丁稚・撓(しほる)が登場するのは同じですが、このシリーズは本ごとに語り手が変わります。
今作の語り手は弔堂に行く坂の途中にある甘酒屋の店主・弥蔵(※本名ではない)という老人。この甘酒屋は前作まで手遊屋だったところで、店の親爺が亡くなって空き家になっていたのを、数年前に弥蔵が地所ごと買い取って甘酒屋を始めたとのこと。
弥蔵は商売っ気のない無愛想な老人なのですが、幕末の動乱を生きた元侍で、なにやら色々と訳ありな様子。
他にレギュラーキャラクターとして、弥蔵の店の常連客で職を探してぶらぶらしている三十前の若造・利吉が出て来ます。
無愛想で粗野な弥蔵と、調子外れの粗忽者である利吉とのやり取りが読んでいて楽しいですね。
各物語の序盤に弥蔵と利吉のやり取りがあり、中盤に弔堂の客である著名人が登場、道案内がてらに弥蔵と著名人が弔堂を訪れるというのが一連の流れとなっています。
各話・解説
『書楼弔堂 待宵』は六編収録。
以下、各編に登場する史実の著名人たちについて紹介しますが、「どの著名人か?」を予想するのもこの物語の楽しみの一つとなっていますので、ネタバレをくらいたくない人はご注意下さい。
●探書拾参 史乗(しじょう)
探書の客は徳富蘇峰。
日本の歴史を書き記した『近世日本國民史』を書いたことで知られる思想家で、歴史家で、評論家で、ジャーナリスト。小説家の徳冨蘆花は実の弟。
作中の明治三十年代後半は日本が戦争に傾いていた時代。徳富蘇峰は平民主義から国家膨張主義となり、反戦主義から好戦派に転じたとみられて世間から批判されていました。
弥蔵の店に「徳富蘇峰を鰻屋で目撃した、弔堂に行きたいと話していたから道を尋ねに此処に立ち寄るはずだ」と、オエライさんに媚び売っときたい魂胆の利吉が報せに(待ち伏せに)来る。はたして、予想の通りに徳富蘇峰が甘酒屋に来店。利吉の媚び売りは上手くいかなかったものの、弥蔵は徳富蘇峰と二人で弔堂を訪れることに。徳富蘇峰は露西亜の祖国戦争の資料が欲しいと云うが――ってなお話。
本人は元々の考えを変えた訳ではないと云いますが、状態としては弥蔵や弔堂が云うように「いきなり意見を変えた」と世間に批判されも致し方ないよなといった感じ。色々反問しますが、その実もっとも気がかりなのは自身の主張で弟と仲違いしてしまったことだろうと弔堂主人に見透かされる。
●探書拾肆 統御(とうぎょ)
探書の客は岡本綺堂。
和製シャーロック・ホームズとも謳われる連作小説『半七捕物帳』で知られる小説家で、新歌舞伎の台本や怪談話なども多く手掛けました。
弥蔵の店にどうも様子のおかしい男が来店。聞くと、男は何者かに後をつけられているようだと云う。下手くそな尾行をしているのが利吉だと知った弥蔵は、利吉を捕まえて男を逃がす。
利吉が云うには、先ほどまで一緒に鰻を食べていた岡本敬二(岡本綺堂)が「あの男は殺人犯かも知れない」と推測を述べたので、確かめるために探偵していたのだという。見失ったと報告にいった利吉と入れ違いに、今度は岡本が弥蔵の店に来店。利吉から聞いた書舗に行ってみたいと云うので、弥蔵が弔堂まで案内をすることに――ってなお話。
最初に出て来る様子のおかしい男は明治三十五年三月に起こった「臀肉切り取り事件」の犯人と目された野口男三郎。シャーロック・ホームズ的な観察眼で岡本綺堂が推理するのが洒落ている。『臀肉切り取り事件』は【百鬼夜行シリーズ】の『狂骨の夢』でも少し触れられていた事件ですね。
病の治療に人肉が効くという俗信を真に受けての犯行というもの。
この時の岡本綺堂は始めて台本を手掛けた新歌舞伎の評判が芳しくなく、父親の容態も悪くって気落ちしているところです。
●探書拾伍 滑稽(こっけい)
登場するのは宮武外骨。
新聞記者で、編集者で、著作家で、新聞史研究家で、風俗史研究家。頓智を利かせた滑稽をモットーとする(?)反骨の操觚者で、不敬罪などで何度も摘発されたり投獄されたりしても挫けずに活動を続けた人物。
いつものごとく店に暇潰しに来た利吉と駄弁っていた弥蔵。外では激しい雨が降り、雨宿りさせてくれと荷物を抱えた男・宮武外骨が来店する。聞くと、宮武は金策のために遠路はるばる弔堂に本を売りに来たのだと云う。雨が上がり、弥蔵は荷物運びを手伝いがてら弔堂まで宮武と向かうことに――ってなお話。
今回は探書の客ではなく、本を売りに来たという今までにない変化球なパターンで宮武外骨が登場するのが若干の驚きポイント。字が書いてあるものなら何でも買うという弔堂主人の根性は、字が書かれているものなら箸袋もとっておくという中禅寺の困った癖を想起させる。
●探書拾陸 幽冥(ゆうめい)
探書の客は竹久夢二。
美人画で有名な画家で詩人。浮世絵・日本画の技法を使う作風で、今でも絵やデザインなど人気があってグッズも数多いので、日本人ならほぼほぼ知っているだろう画家ですね。
思いついて朝に湯屋にやって来た弥蔵。湯船に浸かっていたらば、利吉と遭遇。ああだこうだと湯屋について二人で駄弁っていたところ、外で反戦のビラ貼りをしていた若い書生が湯屋の張り紙に描かれた絵を見て放心しているのが目についた。その絵についてこれまた三人で管を巻いていたところ、弔堂の丁稚である撓が当て逃げされて怪我する場面に行き合う。撓が客に届ける予定だった本は利吉が届けることとなり、弥蔵と若い書生・竹久は撓を介抱して弔堂までおぶって送り届けることに――ってなお話。
この竹久が後の夢二なのですが、この時はまだ十八の若造で将来の進路も決めかねて悩んでいる。夢二といえば恋多き男性として知られていますが、この時はまだ若造だからか恋や女性の話は出て来ないですね。
夢二の進路話とは別に、作中で語られている湯屋の遍歴話も興味深いです。
●探書拾漆 予兆(よちょう)
探書の客は寺田寅彦。
地球物理学、X線などの先駆的な研究で世界的に認められて一躍名を上げた物理学者で、夏目漱石の門人として俳句や随筆なども書き、それぞれ高い評価を得たのだとか。
観光だと利吉に連れ出された弥蔵。利吉は最近流行のミルクホールに連れて行くつもりだったらしいが道に迷い、歩き続けて神楽坂の茶屋で一休みすることに。すると、弥蔵は過去に見た覚えのある老人が歩き去るのを目撃し、思わずその老人と先刻話していた若い男・寺田に声をかける。寺田は弔堂の常連客で、甘酒屋に立ち寄ったこともあって弥蔵の顔を知っていた。
聞くと、かの老人はある本の元になった友人が記した日記を探していたらしく、寺田は謎解き心をくすぐられて自分も探してみると約束したらしい。元になった本を探しにこれから弔堂に行くつもりだという寺田と共に、弥蔵は店に帰ることに。寺田と道中話すうち、弥蔵もつい弔堂へと一緒に足を向けてしまうが――ってなお話。
弥蔵を店の外に連れ出しているのが、やっぱり利吉は弥蔵のことを親類縁者のように気にかけているのだな~とホッコリする。
作中で金平糖の実験をしてみようと思っていると寺田が語る場面があるのですが、実際に寺田寅彦は金平糖の実験をしたらしい。
このお話で出て来た老人の正体は弔堂によって明らかにされる。次の「改良」でもこの老人は大いに関わってきます。
●探書拾捌 改良(かいりょう)
朝、起き抜けに身体の左側に痺れを感じた弥蔵は、愈々身体がいけなくなったかと死に想いを馳せる。店を訪れた利吉はいたく心配し、世を拗ねたことばかり云う弥蔵を諭して「この店を自分に手伝わせてくれないか」といいだす。
そんな中、弥蔵に用があると客が現われる。その客は数日前に神楽坂で見かけた、寺田が弔堂との仲介をした老人だった。老人は弔堂に探してもらった本を受けとりに来たのだが、寺田からの手紙に「弔堂の場所は説明することが難しいので、近在で甘酒屋を営む弥蔵様にお尋ねするように」と書かれていたので訪ねたのだという。
具合が悪いながらも弥蔵は弔堂までの道案内を承諾するが――ってなお話。
一応弔堂に本を買いに来る客はその老人ではあるのですが、この話のメインは語り手の弥蔵。ずっと匂わせ続けていた弥蔵の過去が遂にすべて明らかに――!ってな訳ですね。
前半部分の利吉が弥蔵を諭す場面がなにやら凄く良い。じんわりと感動する。弥蔵に利吉がいてくれて良かったなぁ。本当に。
前作、前々作の語り手とは違い、弥蔵は「本」を読みたいなどとはまったく考えていない人物。ま、そんな心の余裕がないように自身で思い込んでいたようなものなのですが。何の本を買わせるかは作者の京極さんも悩んだらしいのですが、結果このようになったとのこと。“知ったことではない”で終わっていますけど、なにやら感慨深いシメとなっています。
以下、若干のネタバレ~
『ヒトごろし』との繋がり
京極夏彦作品はそれぞれに他作とリンクするように書かれるのが特徴なのですが、今作の『書楼弔堂 待宵』は『ヒトごろし』と繋がっています。
『ヒトごろし』は新選組副長・土方歳三が主役の物語で、新選組を中心に幕末の動乱が描かれているのですが、今作の語り手である弥蔵は元侍で、その幕末の動乱期に人斬りをしていた。その際に新選組とも関わったとのこと。
ま、『ヒトごろし』では名もなき端役なんですけれども。実はかなり重要な局面を担った端役なのが最後の「改良」で明らかにされる。
『ヒトごろし』では坂本龍馬暗殺の黒幕に関しては「おそらくそうだろう」的ニュアンスで断言はされてなかったのですが、今作で裏づけがされている。坂本龍馬暗殺の黒幕については様々な説があって今でもわからずじまいですが、京極小説世界では“そういうこと”だよと。
新選組の人間で明治三十五年にまだ存命な有名どころといえば斎藤一と永倉新八。「予兆」で登場する「友人の日記を探している」老人が斎藤一で、その“友人”というのが永倉新八。
永倉新八はこの頃北海道に居たので名前だけの登場ですが、斎藤一は最終話の「改良」でガッツリと登場。弥蔵と斎藤一、元侍同士で人を斬った過去について語り合っています。
斎藤一は『ヒトごろし』でも心根はぶれないのだけれども臨機応変(?)で精神面が安定している人物的に描かれていましたが、今作でもまた、悔いてはいるけれども過去と折り合いを付けている安定した人物像になっています。過去に囚われて世捨て人として生きる弥蔵とは対照的。
人殺しの記憶
今作の語り手の弥蔵、端的に言うと“甘酒屋をやっている元人斬りのハードボイルド爺さん”で、設定だけ聞くとなにやら愉快な感じが漂うのですけどもそんなことはなく、ガッチガッチに過去の罪に囚われまくって世を拗ねている爺さんなんですね。
三十五年前に散々人を斬ったのにお咎めなしで生きながらえていることに罪悪感を抱いていて、未だ死なないのは罰で、医者に掛かれる身じゃないし、上等な暮らしなんてするべきじゃない・・・と、頑なに思っている頑固者。
今作に収録されている六編はどれも弔堂での場面が少なめ。各話のゲストたちは皆、弔堂に行く前の段階、弥蔵と話す中で今の自身にとっての答えをほぼ掴んでいる。年の功なのか、殺か殺られるかという緊迫した世を生きた経験値からなのか、弔堂主人ばりにカウンセラー能力を発揮していのですけども、弥蔵が各話ゲストに問うていることは実は弥蔵が己に問うていることなのですよね。
この【書楼弔堂シリーズ】は“成長しない”がモットーなのですが、今作での語り手・弥蔵は様々な客と出会い、弔堂の話を横で聞いていくなかで少しずつがんじがらめになっている頑なさが解れていく。
文明開化なんて自分には関係ないと明治の世を突っぱねて前を向くことを拒む頑固爺さんだったものの、他人である利吉が本気で心配している姿を目の当たりにし、弔堂に「人殺しの記憶で蓋をしてしまった、懐かしく愛おしいものを見詰め直せ」と云われて、今生きている明治の世に目を向ける。
最後は弥蔵の本名が堀田十郎というのだということが明かされて終わっています。最後の最後で語り手のフルネームが明かされるのは前作、前々作同様ですね。
次で最後!
女性の立場について描かれていた前作とは打って変わり、今作での登場人物は男性のみです。
頑固爺さんが語り手なのと、話に絡められるこの時代の女性の著名人を見つけられなくって男性のみになってしまったのだとか。確かに明治三十五年で限定されると厳しいのですかね。
男のみの物語ですけど、私は弥蔵の語り好きですよ。利吉も愛おしいキャラクターで、やり取りが楽しかったし感動しました。老人と若造のコンビって良いですよねぇ。
身のこなしで二本差しだったかどうかが解るハードボイルド爺さんの弥蔵は、弔堂主人が元二本差しの者なのではと疑っていましたが・・・ど、どうなのでしょう?元僧侶という経歴は嘘だとは思えないのですが・・・気になりますね。
次はシリーズ最終作、〈探書〉の夜が描かれるはず。今作が前作から六年空いての刊行だったのでいつになることやらですけども、京極さんの他シリーズ同様、愉しみに待ちたいと思います。
ではではまた~