夜ふかし閑談

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『書楼弔堂 炎昼』シリーズ第二弾!6編 登場 登場人物・あらすじ ネタバレ解説

こんばんは、紫栞です。

今回は京極夏彦さんの『書楼弔堂 炎昼(えんちゅう)』をご紹介。

書楼弔堂 炎昼

 

〈探書〉昼

『書楼弔堂 炎昼』は明治が舞台の〈探書〉物語シリーズの第二弾。「書楼弔堂」という、とんでもなく品揃えが良い本屋に、史実の著名人たちが本を探しに訪れて“その人の人生にふさわしい一冊”に出合っていくという連作短編もの。

※このシリーズの概要について、詳しくはこちら↓

 

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このシリーズは朝、昼、夕、夜という構成で書いていくものだそうで、第一弾である前作は明け方を表す「破曉」がタイトルについていましたが、第二弾である今作はお昼ってことで「炎昼」

 

 

前作は明治二十年代半ばが舞台でしたが、今作は明治三十年代初頭です。「書楼弔堂」という店が舞台で、元僧侶で年齢不詳な弔堂主人と美童で口が達者な丁稚・撓(しほる)が登場するのは同じですが、このシリーズは本ごとに語り手が変わります。

 

今作では塔子という十代後半の女性が語り手。塔子の祖父は元薩摩藩士で、「女は良妻となってなんぼ。勉強なんてさせるのは無駄だし、小説なんて俗物が読むものだ」と、閉口してしまう考えの持ち主で、両親も口を開けば「余計な物にうつつを抜かすな。早く結婚しろ」と言うばかり。

おかげで、塔子は今まで小説を一冊も読んだことがないのですが、禁止されていると憧れが募るもので、読んでみたいとずっと思って過してきた。そんな折、ひょんなことから「書楼弔堂」に足を踏み入れ、本の魅力に目覚めていきます。

育ちの良いお嬢さんということで、語り口はまるで童話のように丁寧で穏やか。前作の「破曉」は無職のまま妻子と家をほっぽってダラダラと気ままな生活を送ってしまっている三十代男性・高遠が語り手だったので、印象は前作とだいぶ異なりますね。

 

そして、今作にはサブキャラクターとして松岡國男後の柳田國男が登場。作中ではまだ松岡家に婿入りする前、二十歳過ぎの学生で、新体詩人として名を馳せていた頃ですね。噂を聞きつけ「書楼弔堂」を訪れることとなり、その後店の常連となってお話に大きく関わっていきます。

 

 

 

各話・解説

『書楼弔堂 炎昼』は六編収録。

以下、各編に登場する史実の著名人たちについて紹介しますが、「どの著名人か?」を予想するのもこの物語の楽しみの一つとなっていますので、ネタバレをくらいたくない人はご注意下さい。ストーリーについてのネタバレも含みます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

探書漆 事件(じけん)

 

〈探書〉の客は田山花袋(たやまかたい)。『蒲団』『田舎教師などの作品で知られる文豪で、自然主義派の代表的作家。と、いいつつ、私、自然主義文学たるものがよく解っていないのですが・・・(^_^;)。19世紀末にフランスで起こった文学運動で、簡単に言うと(もの凄く簡単に言うと)、誇張や美化をくわえずに率直に素直に書くって感じでしょうか。解らないですけど。ま、実際に作品を読んでみればよいのでしょうが。

 

 

物語の舞台は明治三十年。田山花袋(本名は録弥)は尾崎紅葉のところに入門して少し経った頃で、まだ作家として本格的に活動する前。尾崎紅葉は前作『書楼弔堂 破曉』でも名前だけちょこちょこ登場していましたね。そこら辺の繋がりで人づてに「書楼弔堂」のことを聞き、松岡國男と共に噂の本屋を探していたもののたどり着けず、道で偶々出会った地元民の塔子に案内してもらって三人で「書楼弔堂」に行くことに。

 

田山と松岡でああだこうだと議論を戦わせるところが面白い。双方で憎まれ口をたたき合うのですが、「殿方は仲が良い程罵りあうのだ」ってことで、たいそう仲良しな感じに描かれています。

 

『炎昼』では収録されている六編すべてにお話を表す花が出て来るのですが、この「事件」は塔子が芙蓉をボンヤリと見ているところから物語がスタートしています。

 

 

 

探書捌 普遍(ふへん)

 

〈探書〉の客は添田平吉こと添田唖蟬坊(そえだあぜんぼう)。明治から大正にかけて活躍した演歌師の草分け的存在で、まっくろけ節『ノンキ節』


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などの流行曲が有名。「演歌師」というのは演歌を歌う芸人さんのこと。今では演歌というと歌謡曲のジャンルの一つとなっていますが、元々は政治や社会問題を風刺する歌「演説歌」が始まりなのだとか。

 

物語の舞台である明治三十年代の頃ですと、添田平吉は二十代半ばの青年。既に演歌師として活動していましたが、演歌師としての己の在り方に疑義を抱いていて、店主が客に相応しい本を見付けてくれるという噂を聞き、自分はどんな本を欲しているのかも判らぬままに「書楼弔堂」に訪れる。八卦見や霊術家でもありませんから、お目に掛かったばかりの方の欲しいものを中てることなどできはしません」と、さすがに弔堂店主も困っています。

 

またもお祖父様に叱られ、むくれて今日こそ『書楼弔堂』に行って禁止されている小説でも読んでしまいましょう!と、思いつつ、なかなか踏み出せずに道端に佇んでいた塔子ですが、そこで弔堂に行く途中だという松岡と再会。では一緒に行こうという事になり、訪ねてみると店の前に添田が立っていて、三人で来店することに~・・・てな流れのストーリー。

 

出て来る花は野菊。この話の最後で、塔子は人生初の小説を買うことに成功(?)しています。

 

 

 

探書玖 隠秘(いんぴ)

〈探書〉の客は福來友吉。フルネームでは分らなくとも、“福来博士”と言われればオカルト好きはピンとくると思います。明治四十年代に行なわれた千里眼実験で有名な、東京帝国大学心理学研究室の“超心理学者”ですね。この千里眼実験の被験者だった御船千鶴子が、鈴木光司さんの小説『リング』に登場する貞子の母親のモデルに使われているので一躍有名になった・・・と、いうか、再注目されたので知られていますが、この千里眼実験を題材に使っている作品は他にも多数あります。京極さんも魍魎の匣でこの実験について取り上げていますね。

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意外な形で全体のストーリーに関わってくるので必見です。

 

年が明け、明治三十一年。『普遍』の最後で塔子が弔堂で売ってもらった小説は『小公子』。家族に隠れて読み、初めての小説に夢中になった塔子は誰かと『小公子』について語り合いたいと友人の美音子と会うも、美音子は最新の学問である心理学について父親と衝突したばかり。なんだかよく分らない学問について熱く語る美音子に気後れしてしまい、小説の話は出来ずじまいに。消化不良な気分に陥った塔子は弔堂を訪れるが、そこには先客で勝海舟がおり、ここでも弔堂主人と勝海舟が心理学について問答していた。

勝海舟が店を去った後、塔子が「もっと小説が読みたいです」と新たな本を所望すると、弔堂主人は二日後までに本を仕入れておく、松岡も来る予定だし、一緒にどうかと言う。約束の二日後に弔堂に行ってみると、松岡の連れで福來友吉も居て――。

と、いった流れのストーリー。

 

福來友吉はこの時、東京帝國大學の哲学科の学生。同じく帝國大學の学生である松岡の先輩として登場しております。同時期に在学していたことは確かであるものの、実際は柳田國男と福來友吉に接点があったのかどうかは分っていません。ここでは“もし交流があったなら面白いな”というif物語として書かれています(いや、この【書楼弔堂シリーズ】はすべてif物語ですけども)

後年の千里眼実験以降、福来博士は学会を追放されて評価は散々なことになってしまう訳ですが、このお話では純粋に自然科学を見極めたいと研究への熱意に満ちあふれている優秀な学生として描かれています。松岡も弔堂主人も人柄については好ましく思いつつも、自然科学を見極めたいという研究方針には危惧を抱き、心配して最後には“ちょっとした意地悪”をしているのがこのお話の見所。

 

出て来る花は水仙。前作『破曉』に引き続き、勝海舟が弔堂に意見を聞きに来るのもまた必見のお話になっています。

 

 

 

探書拾 変節(へんせつ)

 

〈探書〉の客は平塚らいてう平塚らいてう(平塚らいちょう)は大正から昭和にかけて思想家、作家、評論家として活躍した、女性解放運動家。女性の社会地位向上の為に生涯活動した人物です。

 

「隠秘」での出来事からおよそ半年後。縁談話をしつこくすすめてくる家族達から逃げ出し、弔堂に行こうとしていた途中でこれまた道端で花をボンヤリと眺めていた塔子。気味の悪い花だと思っていると、「時計草がお好きなのですか」と邪気ない少女に声をかけられる。少女はハルと名乗り、聡明そうな物言いで己が通っている女学校の授業内容に納得が出来ず、逃げ出してこんなところまで来てしまったのだと言う。道すがら話をし、成り行きで共に弔堂に入店してみると、これまた松岡が先客で訪れていて――。

てな流れのストーリー。

 

明治三十一年のこの時は、平塚らいてう(本名・平塚明)はまだ十二三の少女。ですが、この物語ですととてもそんな年齢とは思えないほど聡明で己の意見を確りと持っている非常に大人びた少女として描かれています。年上であるはずの塔子もタジタジですね。

武家の作法からくる男尊女卑や女性の社会的立場については京極夏彦作品で度々描かれるテーマで、作中で松岡とハルが問答する事柄は『格新婦の理』『今昔百鬼拾遺 天狗』でも繰り返し語られています。

 

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時代の流れを描くうえで、外せない事柄の一つだということで繰り返し描かれているのだと思いますが、男性作家でこんなに執拗に(?)書いてくれるのも珍しいのではないかといつも感服いたします。

世の中がこの作中の松岡のようにフラットな考えの男性ばかりなら、女性はもっと生きやすくなるのですがねぇ・・・。

 

 

 

探書拾壱 無常(むじょう)

 

〈探書〉の客は乃木希典日露戦争での英雄とされた陸軍軍人で、“乃木将軍“と言われれば知っている人も多かろうと思います。 

 

祖父が病気となり、存命のうちに早く婿をとって世継ぎを産めと改めて母親に強くいいつけられた塔子。祖父の余命が後わずかだということも、とにかく縁談を受けろと言う母の言葉にも戸惑うばかりの塔子は、また家を逃げ出した。その道すがら、具合が悪そうな年配者と遭遇し、休ませてもらおうと近くの弔堂へ二人揃って行くことに。ついてみると、この年配者と弔堂主人は旧知の間柄であることが判明して――。

と、いった流れのストーリー。

 

乃木希典は軍人としては色々と評価が分かれる人物。敵の名誉も重んじ、誠実で責任感の強い乃木の人柄を明治天皇は買っていたらしく、後の昭和天皇である迪宮裕仁親王の教育係を任せられ、その迪宮裕仁親王にもたいそう慕われたということですが、軍人としては愚将だったともよく言われます。明治天皇崩御した際に殉死したことでも広く知られているのですが、この事に関しても当時一部では“前近代的行為だ”と冷笑的な声が上がったりもしたようです。

 

作中の明治三十一年の時、乃木希典は五十歳。日清戦争を経て、台湾総督に就任するも辞職して日本に戻り、休職中だった頃。弔堂主人とは古い付き合いだということで、僧侶だったかつての弔堂主人は乃木に何度も「あなたのように優しい人に軍人はむいていません」と説いたが、結果的にいずれの忠告も聞いてもらえなかったということで、戦争帰りの休職中で弱っている乃木に弔堂主人は最初冷ややかな態度で接してします。今までになく厳しい様子の弔堂主人ですね。退店する前には「死んで義を果たそうなどとはするな。人は生きてこそです」という言葉を贈っています。

 

史実ですと、乃木はこの後しばらく休んでいましたが、明治三十七年に日露戦争が開戦して復職。旅順要塞攻略で勝利し賞賛されたものの、たくさんの死者を出してしまったことを悔い、自責の念にかられて何度も涙を流していたのだとか。そして、明治天皇崩御の後に自ら命を絶ってしまう訳です。

結局、最後まで弔堂主人の願いは聞き入れてもらえなかったというこの結末は酷く哀しいですね。やはり能力はあっても“いい人”は軍人にはむかないという事でしょうか。

 

出て来る花は百日草。乃木と弔堂主人との問答が主のためか、この話には松岡が登場しません。ま、理屈屋の松岡がこの場にいても話がややこしくなるだけでしょうからね・・・(^_^;)。

 

 

 

探書拾弐 常世(とこよ)

 

祖父が亡くなり、弔堂からも読書からも一年半ほど遠ざかっていた塔子。弔堂主人と丁稚の撓の二人にも、一年前に勝海舟が亡くなった日に紅梅の下で出会したきりとなっていたが、ある日、本への想いが湧き上がり、たまらなくなって久し振りに弔堂を訪ねようと決意する。

歩みを進めていると、道の途中でこれまた久し振りに松岡と遭遇。なにやら覇気のない様子の松岡に、「身内に不幸があって、弔堂には一年以上足が遠のいていた」と塔子が語ると、松岡は「実は私の方にも不幸があったのですよ」と言う。これも何かの思し召しかと、二人は一緒に弔堂へ――。

てな流れのストーリー。

 

時間が進み、舞台は明治三十三年の年が明けて少し。このお話ではゲストは無しで、語り手の塔子、松岡、弔堂主人の三人で物語が展開されます。

サブキャラクターとして全編通じて己の進むべき道を模索していた松岡國男(後の柳田國男)のメイン回が最後でやっとこさ。さて、松岡の〈探書〉、“ふさわしい一冊”とはこれいかに。

 

塔子は祖父を、松岡は想い人を、弔堂主人は勝海舟を、と、三人とも近しい人を亡くした体験をした後ということで、“人が死ぬとはどういうことか”といったことから始まり、「あの世」とは、「幽霊」とは、と、弔堂主人の語りが広がっていきます。

「あの世とは、即ちこの世に生きる人、凡ての中にあるものなのでございます。生きている人の数だけ、それはございます。その中にあるものこそが魂ではございますまいか」

「戻らぬ者を戻そう、戻って欲しいと願うから、幽霊は出る」

などの弔堂主人の言葉が胸に響くお話となっていますね。

 

シリーズ一作目の『破曉』からスペシャルな感じで度々登場していた勝海舟が亡くなってしまって、読者としても淋しい。このシリーズでは気持ちの良いとても魅力的な老人として描かれていましたからね。別作品の『ヒトごろし』にも登場していましたし。

 

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ま、史実に沿って時代を追う物語なのでしょうがないのですけども。数話前は元気だったのにあっけなく・・・というのがまた淋しさを募らせますね。

 

 

 

 

以下、さらにネタバレ~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

柳田國男

作中の明治三十年代初頭の頃、松岡國男は帝大生の新体詩人ですが、その後は名門の柳田家に婿入りして柳田國男となり、ドンドンと出世。出世しただけでなく、それぞれの地方の歴史を研究する郷土学を提唱し、日本民俗学の開拓者となる。明治四十三年に発表した岩手県遠野地方に伝わる説話を集めて記した遠野物語が特に有名ですね。

京極夏彦が書く妖怪小説において、郷土学や民俗学は切っても切り離せないもの。近年は『遠野物語』に関する作品も色々出しているのですが、

 

 

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この『書楼弔堂 炎昼』では、もう著者である柳田國男自体を登場させちゃっている訳ですね。理屈屋で多少頭が固いが、優秀で好感の持てる人物として設定されています。

 

無知なもので、学生時代は詩人だったということに結構驚いてしまいました。『炎昼』では、松岡は失恋中であり、想い人への気持ちと一緒に新体詩を書くのはもうやめようとしているところから始まっています。詩をやめ、己は何をしたいのか、弔堂の常連として通って行く中で模索していく様、文学から離れて郷土学への論考を見出すまでの過程が描かれています。

 

最終話である「常世」で、松岡に弔堂主人は「貴方様の一冊は、貴方様自身がお書きになるものと推察いたします」「いつか必ずお書きになると信じております。上梓をお待ちしておりまする」と言い放つ。松岡國男から柳田國男となって後、何冊も本を上梓しているのですが、そのうちのどれが“生涯の一冊”になったのかは読者に委ねる形で終わっています。やっぱり『遠野物語』かなぁ~とか思いますが・・・どうなのでしょう。

 

 

 

 

 

塔子

シリーズ第一弾の『書楼弔堂 破曉』は明治二十年代半ばが舞台で、文明開化後の急激な変化にいまだ馴染めずにいる人々、出版法が成立したことなどによる「本」の在り方の大きな転換期などが描かれていましたが、今作の語り手は十代後半の若い女性ということで、明治時代の女性の立場の変化などが描かれています。

 

語り手の塔子は、元薩摩藩士である厳格な祖父の元で育ち、何も不自由していない生活を送りながらも、祖父や両親が言う「女なんだから」という締め付けや禁止事には漠然とした疑問を持っている。

塔子は何かしらの信念があって強く反発しているという訳ではないので、江戸の頃ならさして疑問も感じずにサッサと言われるまま縁談を受けたりなんなりしたのではないかとも思える人物なのですが、明治三十年代のこの頃は女性解放運動や女性の社会地位向上などの活動の兆しが出始めた時代。御一新からしばらく経ち、新しい生活に慣れてきた中で、旧制から女性が受けてきた仕打ちは不当なものなのではないかという声が上がり始めたということだと思いますが、世間のこういった声が耳に入ってくる中で、塔子は祖父や両親の在り方が前時代的なのではないかと、何かしら言われる度に釈然としないモヤモヤした気持ちを抱えます。

 

とはいえ、「変節」に登場したハル(平塚らいてう)のように確りとした考えや反発心を持っている訳でもなく、目上の殿方と対等に言い合うことなどとても出来ない塔子は、いつも黙って少し家から逃げ出すのを繰り返すのみ。ちょっとした意表返しとして隠れて小説を読み始めて本の魅力に取り憑かれていくも、塔子自身も「自分はただ現状から目をそらしたくって本の世界に逃げているだけなのでは?」との考えも常に脳裏にあり。そのため、祖父の容態がいよいよ悪くなってからは罪悪感もあって、一年以上読書からは離れて生活しています。

しかし、本への想いは捨てきれず再び弔堂へと向かう。この先、自分がどうしたいのかはいまだ判らずじまいだが、「本」への情熱だけは取り戻すのですね。

 

シリーズ第一弾の語り手である高遠と同様、塔子も別に人として成長はせず、縁談話などはどうなったのかなど、この後どのような人生を歩んだのかは分らないままに物語は終わっています。

作者のインタビューによると、このシリーズは語り手が成長しないのがテーマなのだとか。別に成長しなくっても、身にならない読書でも良いじゃないかという想いが示されているのでしょうか。

 

最後、塔子は弔堂主人にすすめられて三日で自転車に乗れるようになるだとかいう教則本を買います。最後の最後にはずっと不明だった塔子の苗字が「天馬」だということが明らかになる。『破曉』の高遠も最後の最後で下の名前が明かされていたので、同じパターンですね。

何でいきなり自転車?って感じであり、ネットの検索ワードにも「天馬塔子 自転車」と出て来るので、塔子も実は自転車で何かしら有名な史実の人物なのでは?と勘違いして検索する読者が多いのかなぁと思われるのですが、天馬塔子は完全にこの小説の架空の人物ですので、お間違いのないよう。ま、勘違いしてしまうのもしょうがないと思いますが・・・(^_^;)

 

 

 

次は夕

次作は〈探書〉の夕。五年おきスタートがこのシリーズのオキマリであるらしいので、次の舞台は明治三十五年からですね。今作は前作から日清戦争をはさんでの明治三十年が舞台で、乃木希典が登場する「無常」でも戦争について触れられていましたが、次作では日露戦争開戦が時代背景に絡んでくるでしょうから、戦争についての事柄がさらに多くなることが予想されますけど・・・果たして今度はどのような作品になっているものか。ま、本屋で本を買う話だということに変りはないと思いますが(^^;)。

 

 

次作も楽しみに待ちたいと思います。

 

 

ではではまた~