夜ふかし閑談

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『ある閉ざされた雪の山荘で』原作小説 ネタバレ 感想 “漢字一文字”とは?

こんばんは、紫栞です。

今回は、東野圭吾さんの『ある閉ざされた雪の山荘で』をご紹介。

ある閉ざされた雪の山荘で (講談社文庫)

 

あらすじ

名演出家・東郷陣平が手掛ける舞台オーディションに合格した若き役者七名は、東郷からの手紙に従い、早春の乗鞍高原に集められた。

これから四日間、ペンションを貸し切って舞台稽古を行なうが、“大雪によって孤立してしまった山荘”という設定の下で今後起こる出来事に皆で対処してもらい、その各人の動きや対応などをまだ完成していない推理劇の脚本・演出に反映させるというのだ。

 

肝心の東郷はおらず、手紙で指示を出してくるだけ。電話の使用も外部との接触も禁止という奇妙な稽古内容だったが、禁を破ったら即刻オーディション合格を取り消すとも書かれていたため、彼らは指示に従って「実践での役づくり」に戸惑いながらも挑むことに。

 

“殺人が起こった”という設定指示がなされると、“殺され役”は実際にペンションから姿を消す。一人ずつ仲間が居なくなるにつれ、彼らは恐ろしい疑念を抱いていく。

 

これは本当にただのお芝居なのか?それとも———?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

“なんちゃって”雪の山荘もの

『ある閉ざされた雪の山荘で』は1992年に刊行された長編ミステリ小説。2024年1月にこの本を原作とした映画が公開予定だってことで、気になって読んでみました。

 


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刊行されたのが20年以上前で東野圭吾作品の中でも初期の作品なのですが、第46回推理作家協会賞候補作にもなったみたいなので、“東野圭吾の山荘もの”としては比較的有名なのかも?

刊行時期が近いのと、山荘でのクローズド・サークルという設定が共通していることから、同作者の『仮面山荘殺人事件』を連想して比較する人も多いようですね↓

 

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読んでみると、確かに色々と共通項がある。

 

『仮面山荘殺人事件』は強盗パニックサスペンスが融合した一味違うクローズド・サークルでしたが、こちらの『ある閉ざされた雪の山荘で』もまた、クローズド・サークルのド定番に一味加えた“他にはない雪の山荘もの”となっています。

 

集められたのは若い舞台役者男女七名。変則的な方法で成功を収めてきた変わり者でワンマンの演出家からの指示に従い、現実には春で晴天続き、電話も繋がっているし、すぐ近くにはバス停があるという全く孤立していなし危機感もない環境下で、「ある閉ざされた雪の山荘で」なシチュエーションを厳守して4日間過すことを強いられる・・・・・・。

 

何やらひねくれた設定なのですけども、この設定が面白い。

 

“仮定の殺人事件”が起こると、突如指名されたであろう“殺され役”は山荘から姿を消し、「〇〇はこうこうこのような状態で殺されたよ~」って“設定”のメモ書きが“仮定の殺人現場”に置かれるといった具合に、茶番じみたヘンテコ状況で芝居は進行していく。

けれどそのうち、芝居にしては不自然な点が散見されだして、「ひょっとして、本当に殺人事件が起こっているのでは?」と、皆は疑心暗鬼に陥っていく。

 

トリックや犯人どころか、殺人事件自体が実際に起こっているのかどうかも解き明かさなくてはならない謎の一つになっている異色のミステリサスペンス。

 

役者しかいないクローズド・サークルってのも、興味をそそられる設定ですよね。

 

 

最初は講談社ノベルスでの刊行だったようですが、

 

1996年に文庫版が発売されているので、今入手しやすいのは文庫版の方ですね。

 

 

ネットで「新装版」と出て来るのですが、調べたところノベルス版から加筆したとか内容の違いはなさそう。

しおんさんの描かれた装画が掛け替えカバーとして付いているバージョンがあるので、それで中身の違いを気にする人が多いのですかね。私が買った本もこの掛け替えカバー付きだったのですが。確かに、元の装画とは大分印象の違う女の子が描かれたイラストで、一見するとライトノベルっぽいのでビックリするかも。

 

 

 

 

以下ガッツリとネタバレ~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三重構造

上記したように、一風変わった“なんちゃってクローズド・サークル”な物語で展開していく今作。

芝居の稽古にしては、“殺され役”が死体のふりもせず皆の前から姿を消し、遺体の状況を説明したメモ書きが置かれるだけというのはどう考えても奇妙です。

芝居稽古ならば、“殺され役”に実際に死体のふりをさせて、“犯人役”に命じて部屋の状況なども現物を使って再現させる方が絶対に良いはず。死体だけでなく、凶器や足跡の有無までメモ書きで済ませるなんて雑すぎます。これじゃあ現実的なリアクションをしろと言われても無理だし、山荘を貸し切ってまで出そうとした雰囲気が台無し。一体何がしたいのか?

 

 

この小説は一見、三人称の「神の視点」と、登場人物の一人である[久我和幸の独白]とで交互に描かれています。

「神の視点」部分で、殺人が実際に行なわれているような描写がされているので、読者は作中人物たち以上に「芝居と見せかけて本当の殺人が起きているのね!」という考えに誘導される。小説の約束事として、地の文では嘘は絶対的タブーですからね。

 

 

もはや当然でしょって感じですが、東郷陣平たる演出家は名前が利用されただけで舞台稽古なんて嘘っぱち。麻倉雅美という、事故で役者を続けられなくなった女性の存在がちらつくなど、推理小説では“オキマリ”な展開が繰り広げられる訳ですが、それにしても、こんな“なんちゃってクローズド・サークル”をさせる犯人の意図が解らない。

 

 

真相ですが、事件は三重構造になっていました。

「何もかも芝居という状況の中で、実際に殺人が起こる」これが本来の犯人が立てた二重構造の復讐計画でしたが、「犯人」の協力者が「犯人の復讐計画」を阻止するため“殺され役”の人たちに事情を話して一緒に一芝居打ってもらっていた。

 

芝居→芝居じゃない→やっぱり芝居の、三重ですね。

 

「いやいや、なんでそんな変なことしているの?何のための芝居なの?」なんですが、これ、山荘の隠し部屋で事の成り行きを見ていた「二重構造の復讐計画」の立案者である「犯人」ただ一人を観客としたお芝居なんですね。

 

立案者である「犯人」が覘いている前で、共犯者は「犯人」のターゲットたちと共に殺し殺されるフリをしていた。見破られないように必死で芝居していたのです。

実際にやってみせれば、恐ろしさと後悔で復讐を思い直すだろうという算段ですね。

 

 

ここで、「神の視点」だと読者が思っていた部分が、実は隠し部屋から覘いていた犯人「私」の一人称だったのだということが明らかになる。

 

“漢字一文字ですべてがひっくり返る”と今作は謳われているようですが、その漢字一文字というのは「私」。地の文で「私」と出て来た途端に真相が解るという仕掛け、叙述トリックって訳です。

久我の視点部分をわざわざ[久我和幸の独白]と書いていたのもそのためですね。

 

 

 

 

 

茶番

個人的に、漢字一文字での衝撃ってのはさほどなかったです。「神の視点」を装いながらも何だか一人称っぽいぞ感は文章に漂っていたので。

 

驚いたのは隠し部屋の存在ですね。ペンションの平面図がヒントなんでしょうけど、全然気にもとめませんでしたよ。しかし、確かに改めて見てみると“あからさま”だぁ~。「謎の空間」ですよ、これは。

 

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結局、誰も死んでいなかったという真相でして。平和的な解決となっています。

 

真相を見抜いた久我は表面的には良識人ぶっているが、心中では傲慢さがある“如何にも東野圭吾作品の主人公男性”って感じですが、最後には雰囲気に飲まれて涙を流している。

このラストシーンによって一気に物語全体が軽くなるといいますか、ライトな読後感なので「茶番」感は強いです。

ま、作中でも「茶番」といっていますし、まぎれもなく茶番なんですよ、この物語は。犯人もターゲットもどっちもどっちなところがあって、自業自得だろうとも思いますしね。

 

良かった良かった~な結末ですが、ミステリとして受け付けないという人もいるのではないかと。アイディアはやっぱり『仮面山荘殺人事件』からの派生なんだろうなぁ。

終盤までは重苦しいミステリとして愉しんでいたので、結末のライトな描写は唐突感が否めない。物語の仕上がりとしては『仮面山荘殺人事件』の方が同一のネタを扱いつつも出来が良いと思います。

 

 

 

 

でも読後感が良いのはどっち?と聞かれたら今作の方ですね。茶番でも良いじゃない。平和的解決が出来ているのですもの。

 

 

映画ですが、キャストを見た感じちょっとどの人物もイメージと違うので、原作とは人物設定諸々変えているのかもしれないですね。映画だと小説のような叙述トリックは使えないですし、どのようにアレンジが加えられるのか見物です。

 

 

気になった方は是非。

 

 

 

ではではまた~