こんばんは、紫栞です。
今回は城平京さんの『虚構推理』(小説版)をまとめて紹介したいと思います。
2020年1月から放送されていた連続アニメの原作小説。著者の城平京さんは『スパイラル~推理の絆~』を始めとした漫画原作で有名な作家さん。
この『虚構推理』も片瀬茶紫さんによる漫画版があり、アニメも漫画版を基盤にしたものですが、
シリーズ1作目の長編『虚構推理 鋼人七瀬』は2011年に講談社ノベルスから刊行されたもので、漫画原作として書かれたものではありませんでした。その後、2015年に「少年マガジンR」でコミカライズされ、『虚構推理 鋼人七瀬』のコミカライズが終了した後も城平さんがシリーズものとして続編を執筆、片瀬さんがコミカライズするという形でシリーズが続いています。なので、小説版と漫画版が並行して存在する作品なんですね。
もはや漫画版の方が一般的知名度のあるシリーズなのかな?と、思われるのですが、城平京さんの小説が久し振りに読みたいなぁというのと、漫画版に比べて小説版は冊数が少ないというのもあって(^_^;)、小説版をまとめて読んでみました。
“虚構推理”とは
十一歳の頃に神隠しにあい、右眼と左足を奪われ一眼一足となって、あやかし達のあらゆる相談事を引き受ける、人とあやかしの間をつなぐ巫女「知恵の神」となった岩永琴子と、死とひきかえに未来を予言する妖怪「件(くだん)」と、人魚の肉を祖母に食べさせられたことによって不死の身体と「未来決定能力」をもつことになってしまった桜川九郎の二人が、あやかし達から相談された厄介事を人間社会でも受け入れられる虚構を構築して解決、あやかし・人の世との秩序を守る物語り。
簡単にいうと、100パーセント怪異によって起こった事件があったとして、「犯人は妖怪だよ」と説明したところで誰も受け入れてくれないから、なんとか“ありえそうな仮説”でねじ伏せて納得してもらおうというもの。
つまり、すべて嘘。
真相を究明するのではなく、事実でないことを事実であるかのように組み立てるのに、どんな虚構の推理をひねり出してくるのかを楽しむ物語り。著者の城平さん曰く、この特殊な設定は『雨月物語』の「蛇性の婬」という一編から着想を得たものだそうです。
シリーズ一作目の『虚構推理 鋼人七瀬』は第12回ミステリ大賞受賞作ですが、「真の解答は予め判った上で、嘘を前提とした解決を提示するのは果たしてミステリといえるのか?」と、論争になったようです。
謎を解明するのが推理ですからね。解決を“でっち上げる”のは推理とは言えないのでは・・・?と、確かに引っかかるところではある。
この特殊設定でどう知略をめぐらすかを楽しむ本として、ミステリかどうかといったカテゴリーなどには囚われずに読むべきシリーズだと思います。
シリーズ一作目の『鋼人七瀬』は最初の刊行が講談社ノベルス、
その次に講談社文庫版、
そのまた次に講談社タイガから刊行。
漫画版同様に片瀬茶紫さんが表紙イラストを担当していて、シリーズ続編の他2冊はノベルスや単行本などは出さずに、最初から講談社タイガでの刊行となっています。講談社タイガで刊行されるシリーズに移行した形ですね。
では、1冊ずつご紹介。
『虚構推理 鋼人七瀬』
第12回ミステリ大賞受賞作。
非業の死をとげたアイドル・七瀬かりん。彼女の亡霊が、アイドルだった頃の衣装を身につけ、鉄骨を振り回して夜な夜な人を襲うという都市伝説「鋼人七瀬」が起した事件を、合理的な虚構を提示して謎を解決。“想像力の怪物”として力を持つ「鋼人七瀬」の存在を無効化しようとするお話。
登場人物の設定、都市伝説の元になったアイドルの詳細と、色々と説明が必要な為とは思われますが、ミステリ的ネタがたいしたものではない割には文量が結構あって、読んでいてどうしても「長いな」と感じてしまう。事がさほど起こらずに説明にページが割かれているのも単調に感じてしまう理由ですかね。
文庫で400ページ、ノベルスの漫画でも1巻~6巻がこのお話に使われているみたいです。某本格推理漫画でも一つの事件に使うのはせいぜい2冊なので、かなり長いという気が。アニメは全12話でしたが、この話をメインとして話数のほとんどが使われていました。長編本格推理は元々、連続ドラマやアニメには向かないと言われていますし、被害者がバンバン出るとかでないとストーリーで視聴者をずっと惹きつけるのは難しいですよね。
解決編でずっとネットの掲示板に書き込みをするという点はストーリー同様に斬新ではありますが、やっぱりネット上のみでの論説には若干の退屈さが否めない。どうオチをつけるかは、解決編を読んでいる途中で察しがつきました。
個人的には、「寺田さんが気の毒だなぁ」という思いがずっとつきまとったまま読み終わってしまったなぁと。主要人物たちも寺田さんに対する反応が淡泊で「冷たくない?」とモヤモヤする・・・(-_-)。
解決案を数個提示するというのは、スパイラルの小説版二作目『鋼鉄番長の密室』
を連想させるものがありますね。
『虚構推理短編集 岩永琴子の出現』
こちらは短編集。
第一話 ヌシの大蛇は聞いていた
第二話 うなぎ屋の幸運日
第三話 電撃のピノッキオ、あるいは星に願いを
第四話 ギロチン三四郎
第五話 幻の自販機
の、五話収録。
第一話~第四話は漫画化されていて、コミックスの七~九巻に収録されています。
「ヌシの大蛇は聞いていた」はアニメの導入として2話目で使われていましたね。小説でも漫画での「ヌシの大蛇は聞いていた」は『鋼人七瀬』の後に発表された作品です。
「ヌシの大蛇は聞いていた」と「幻の自販機」以外の話は“虚構推理している”とは言い難いもので、「これじゃあ、ただの妖怪探偵でしかないのではないか」と。“虚構推理”として、コンセプトは徹底して貫いて欲しいと個人的には思いますね。
この中では「幻の自販機」が一番このシリーズらしさがあって良いかなと思うのですが、解決案の加害者への名誉毀損感が強くて「う~ん・・・」な気持ちが残るラストでした。なにかスッキリしない。
でも、バラエティに富んだラインナップの短編がそろっているので、アニメはこの短編の話も数話使ってやったほうが面白かったのではないか・・・と、お節介な事を思ったりする・・・。
『虚構推理 スリーピング・マーダー』
「二十三年前に妖狐と取引して妻を殺してもらった」と、大富豪の老人から告白された岩永琴子。老人は岩永に親族に自身が妻殺害の犯人だと認めさせてほしいと依頼するが、妖狐の力を借りた老人には完璧なアリバイがあった。妖狐の存在を伏せたまま、岩永はいかにして富豪一族に嘘の解答へ導くのか?と、いったお話。
六章から成る長編ですが、各章で事件とオチがあるので連作短編小説ともとらえることができる本になっています。
岩永の高校時代の話が導入に使われていて、生い立ちの詳細や学校生活をどの様に過していたかなど知る事ができ、第二章では九郎の従妹・桜川六花の『鋼人七瀬』事件後の生活の様子や内面なども垣間見えるのでシリーズファンには色々と嬉しいところがありますね。
個人的に、既刊の3冊の中ではこの『スリーピング・マーダー』が一番好きです。ミステリ的仕掛けは割と定番のもので物珍しさはないのですが、話の展開と決着のつけ方が「知恵の神」として、岩永琴子がどういう立ち位置で向き合っているのかが補強されています。ただの妖怪お悩み相談係ではないのが改めてよく分かるストーリーですね。
それにしても、富豪一族の人達が自分たちのことは棚に上げて批判的態度をとるのは読んでいて何だかムカつきましたね。
この作品に限らず、皆初対面の女子である岩永に対して失礼だと思う。小娘が多少気障りなことを言っても、いい大人なんだから大人な対応をしろと。『鋼人七瀬』では初対面で沙希さんが顔面を殴っていたし(警官でそれは問題だと思う)、短編集では寝ている岩永を見て「可憐だけど不吉で、不穏で、死の予兆をまとっているように見えるからスケッチさせてくれ」だの、横にいる九郎に頼んだりだとか。いいだけ失礼ですよ。「思っても言うな」と、言いたい・・・(-_-)。
以上、既刊3冊。
※続刊はこちら↓
「虚構」で有るが故に
このシリーズは謎解きというよりも、いかに納得してもらうかという部分に主軸が置かれているもので、いわば、「嘘を楽しむ」といった趣向の読み物。
なので、虚構の推理を組み立てる上で、どうしても被害者や加害者にありもしない悪意があったかのように語らなければいけない状況が余儀なくされるのですが、これがやはり読んでいると少し引っかかってしまう点ではあります。読者は被害者がただ怪異にあってしまっただけだという事実を知っているので、本来は何もしていない人達に不当な言いがかりをつけている、名誉毀損しているという思いが拭えず、若干の不快感が残ってしまうのですね。
あと、怪異を扱っているぶん、線引きの曖昧さも気になります。
怪異を持ち出せば“何でもあり”といった状態になる危険性があるもので、ファンタジーとしてはそれも良いですが、ミステリには「怪異はここまでは出来るが、ここからは出来ない」みたいな明確なルールがないとなぁと思います。“都合良いところで妖怪パワー持ち出してきてる”と、やはり読んでいて思うところがチラホラリ。
個人的に、怪異側はこちらの世界に物理的干渉が出来るのに、普通の人間は触れることも出来ないというのが納得いかない・・・(^_^;)非存在は幻覚をみせて脅かすくらいがせいぜい・・・と、していないとなぁ。
こっちは触れないのに、向こうは撲殺出来ちゃうとかズルイよ。作中でも「なんという理不尽」といっていましたけど。
発展途上
難癖のような意見ばかり書いてしまいましたが、このシリーズはまだまだ発展途上なのだと思います。
設定が盛りに盛られている割には活躍しない桜川九郎とか、九郎の従妹でシリーズ全体の黒幕っぽい桜川六花もおそらくこれからどんどんと行動していくのではないかと。今のところ岩永琴子の印象ばかりが強いことになっていますけどね。
シリーズの主要人物である二人、岩永琴子と桜川九郎は恋人同士ということで、お話にラブコメ要素もあるのですが、すでに恋人同士なところからスタートなので、ラブコメとしてウキウキもワクワクも出来ないのが現在の実情。
九郎先輩の岩永への態度や扱いはてんで恋人へのソレじゃない。気遣っている素振りなどはあるし、庇ったりするシーンもあるのですが、恋愛感情とはかけ離れてみえる。利害関係が一致しているから一緒にいるといったような雰囲気。それでいて、恋人としてやることはやっているというのだから、意味がわからん。
作品は一貫して岩永の奇抜さが際立つように描いているのですが、個人的には九郎先輩の方が珍妙な心理の持ち主で、ある意味失礼で気持ち悪い人物のように感じる。
と、また難癖のようなことを書いていますが、ラブコメに関してもまだまだ発展途上なのだと思います。
通常は恋人同士ではなく事件に向き合う上でのパートナー止まりの設定にしそうなところを、「いくところまでいっている恋人同士」と態々設定しているのには作者の意図があってのことでしょうし、今後の展開でこの設定がいきてくるのではなかろうかと。九郎先輩の心理も謎解きの一つとして、徐々に明かされて今現在の印象はひっくり返されるかも知れません。
これからの期待値が高いシリーズですので、アニメなどで気になった方は是非。
ではではまた~