夜ふかし閑談

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『イニシエーション・ラブ』小説・映画 ネタバレ解説 ”最後二行”で全ては変貌!仰天恋愛小説

こんばんは、紫栞です。

今回は乾くるみさんのイニシエーション・ラブをご紹介。

イニシエーション・ラブ (文春文庫)

 

 あらすじ・概要

イニシエーション・ラブ』は2004年に刊行された恋愛小説。乾くるみさんは【タロウ・シリーズ】というタロットをモチーフにしたシリーズを書かれているのですが、この『イニシエーション・ラブ』はタロットの6番目「恋人」をテーマにした作品で、シリーズとしては『塔の断章』に続いての二作目。因みに、三作目はドラマ化もされた『リピート』ですね。

 

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このシリーズは「天童太郎」という人物が共通して出てくるのが特徴で(ただし、作品によって天童の人となりは異なるので、同一人物ではない)イニシエーション・ラブ』にも登場しています。ほんのチョロッと出てくるだけなのですが、「イニシエーション・ラブ」の意味を説明する役割を担っている、印象的な人物として描かれています。

 

どんなお話かというと、男性が代打で呼ばれた合コンの席で好みの女性と出逢い、恋に落ちる。1980年代後半を舞台にした、ノスタルジックで甘く切ない青春小説。

 

・・・と、いう、一見何の特徴もない恋物語なのですが、実は驚きの仕掛けが施されていて、最後の二行を読むと全く違う物語りが浮かび上がる、仰天させられる作品になっています。なので、恋愛小説というよりミステリ小説だと捉える人も多いですかね。

「最後から二行目は絶対に先に読まないで!」「必ず二回読みたくなる小説」という販売文句と、著名な芸能人による帯の絶賛コメント、テレビ番組で紹介されたりなどして注目を集めた作品です。

 

施されている仕掛けはミステリとしては叙述モノということになりますが、人が死ぬような物語りではない。2000年当初は、誰も死なない日常ミステリや、叙述トリックを使ったどんでん返しものがはやって多数出回った頃だというのが個人的な印象。この小説はそんな流行の只中にあった作品だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

以下ガッツリとネタバレ~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Side-A、side-B

この小説は1980年代後半の福岡・東京が舞台。各章のタイトルに内容に合わせた当時の有名楽曲が使われているのが構成の特徴ですが、もう一つの特徴がSide-Aとside-Bで物語りが大きく二つに分かれていることです。

 

Side-Aでは大学4年生で今までに恋愛経験のない22歳の鈴木夕樹が、歯科衛生士で20歳の成岡繭子と出逢い、交際するに至るまでの、恋にのめり込んでいく、幸せでたまらない様が描かれていて、side-Bでは就職したばかりの鈴木が東京に派遣され、静岡の繭子と遠距離恋愛する中で気持ちが離れていってしまい・・・と、いう苦々しい様が描かれる。

と、簡単にいうと太田裕美さんの代表曲木綿のハンカチーフまんまのストーリーがside-Bでは展開される。

実際、side-Bの最初の章は「木綿のハンカチーフ」になっています。

 

「離れ離れになっても僕たちは大丈夫さ!」と田舎に彼女を残して上京した男が、都会の絵具に染まって田舎と一緒に彼女を棄てる。

男を想い、静かに身を引くいじましい女性の姿と、恋愛の儚さを謳っていている名曲ですが、男性の身勝手な心変わりや、男性にとって都合の良い女性像の描写など、女性としては割とイラッとしてしまう歌詞ではある。

 

 

曲以上に、この小説のside-Bは胸糞が悪い展開をしています。

上京し、初の社会人生活に追われて静岡との行き来が面倒になる鈴木。繭子とは違う魅力を持った都会の女性・石丸美弥子に言い寄られて気持ちが揺れ動く。そんな時、繭子の妊娠が発覚。繭子に子供を堕ろさせたあげく、鈴木は美弥子と肉体関係に。しばらく二股状態だったが、ある日浮気が繭子にバレて、逆ギレして怒鳴りつけて別れる。かくして、鈴木は繭子を棄てて美弥子と真剣交際することに。

 

俺と繭子との関係は、子供から大人になる為の儀式、通過儀礼の恋、イニシエーション・ラブだったんだ。子供っぽい繭子から大人の女性である美弥子に。「脱ロリコンって意味でも、あいつと別れることが大人になることと繋がっていたんだな――」

 

そっか~“イニシエーション・ラブ”ってそういう意味なんだ~これってそういうお話だったのね~

 

って・・・・・・

 

は?

なんだこの、気持ち悪い男の独りよがり物語りは。冷静に考えてクズじゃないか鈴木。一人の男がクズになる過程を見させられているだけじゃないか。こんなんで“必ず二回読みたくなる”とか、本当か!?

 

と、読者はなる訳なのですが、最後から二行目を読んで、やはり最初のページに戻ることになる。

 

 

 

 

 

 

A面、B面

最後から二行目で明かされること、それは、side-Bの鈴木の下の名前が「辰也」だということです。

ここで読者は「ん?」と、なる訳です。そう、side-Aの鈴木の下の名前は「夕樹」。つまり、side-Aの鈴木とside-Bの鈴木は同じ名字というだけの別人なのだとここで判明する。

一貫して鈴木夕樹の、一人の男の視点で追っていたと思わせられるように書かれていましたが、それは“騙し”。実際はSide-Aは夕樹の視点で、side-Bでは辰也の視点で描かれている。

さらに、side-Aの後にside-Bの出来事が起こっているのではなく、Side-Aとside-Bの出来事は同時進行。どちらのsideも1987年の4月頃から12月までの出来事なのです。2年間の出来事と見せかけて、本当は1年間の出来事。

 

どういうことかというと、成岡繭子は上京した彼氏・辰也と遠距離恋愛中に、彼氏はいないと偽って大学生の夕樹に言い寄り、恋仲になった。つまり、辰也と同様に繭子も二股を掛けていた。

 

Side-Aとside-Bとは、カセットテープのA面とB面のこと。A面を聞いているときは、B面も一緒に回っている。

 

ここで重要になってくるのが、1986年~1987年に世間で起こった出来事の数々です。単にノスタルジックな、当時の懐かしい恋愛の在り方を描く為にこの時代設定にしているのではなく、仕掛けの目眩ましとしてこの時代設定が作用している。本の巻末に、大矢博子さんの「解説~再読のお供に」で御丁寧にイニシエーション・ラブ』を理解するための用語辞典が収録されているのですが、この用語辞典を参照しながら再読して答え合わせしていく作業が、この本の最大の面白さとなっていい。

 

しかしこの仕掛け、気が付かずにただ「ほろ苦い恋愛小説だったなぁ」で終わってしまう人もいるらしいく、現に、私の友達の友達は仕掛けに気が付かずに、友達が「驚くよね~」と言っても何のことか分からなかったのだとか。

 

確かに、side-Aの鈴木夕樹の名前を失念しているとせっかくの仕掛けにも気が付かないかなとは思う。多くの人が気付くことが出来るのは、本の紹介や帯に「仰天作」「必ず二回読みたくなる」と大きく書かれているからで、この本が評判になったのは販売戦略が大きいのかなぁとも思いますね。

私は宣伝文句を受けて最初っから警戒して読んでいたので、Side-Aとside-Bで違う男性なのではないかというのは読みながら少し感じていました。あまりにも人柄が変わりすぎですからね。同時進行なんだということには気づけませんでしたけど。80年代後半に詳しい人は気づけるのかな?

販売文句を知らずに、普通の恋愛小説だと思って読んだ方が純粋に驚けるのは確かなんですが。でも仕掛けに気が付いてもらえないのじゃもったいないしねぇ・・・。

 

 

 

 

映画

イニシエーション・ラブ』は2015年に実写映画化されました。

 

イニシエーション・ラブ

イニシエーション・ラブ

  • 発売日: 2015/11/02
  • メディア: Prime Video
 

 

監督は堤幸彦さん、鈴木役が松田翔太さんで、繭子役が前田敦子さんというキャスティング。

原作を読んだ人はまず映画化されるという一報を聞いただけで驚きだったと思います。私も驚きました。仕掛けが仕掛けなので、どう考えても映像化不可能な代物だという認識があったからです

ハッキリ言って、仕掛けなしでは面白味が無になる作品なのでどう映像化するのかと疑問でしたが、映画ではside-Aの鈴木夕樹(森田甘呂)がダイエットし、side-Bの鈴木辰也(松田翔太)の容姿になったかのように描くことでこの問題をクリアにしていました。

 

映画では「最後の5分全てが覆る。あなたは必ず二回観る」というキャッチコピーが付けられており、原作と違い、最後はクリスマスの夜に辰也(松田翔太)が繭子(前田敦子)に会いに行き、そこで繭子と一緒にいる夕樹(森田甘呂)と鉢合わせ。そこから映像上で“答え合わせ”の5分間が始まるという、原作よりも仕掛けが分かりやすいオチになっています。この後どうするんよ、この人ら・・・と、心配になる締め方ではありますが(^_^;)。

 

仕掛けが分かりやすいのもそうですが、原作の各章のタイトルに使われている懐メロがそのまま流れたり、映像で確りと1980年代後半が再現されていて、原作を読んだ人にとっても原作への理解がより深まる親切なものとなっているかと思います。

 

オチを変えている以外は割と原作通りに映像化しているのですが、成岡繭子は原作よりもより男性の妄想みたいな女性になっていましたかね。女性からすると、繭子って“100%あざとい女”なんですけど(^^;)。

 

 

 

 

何をしたい物語りなのか

この本を読み終わり、再読で答え合わせもすませて読者がまず思うことというのは、成岡繭子の周到な二股の仕方。夕樹と辰也、双方の男に全くバレずに二股行為をしているのですからね。見事なものですよ。

 

しかし、このことから繭子の方が悪いかのように捉え直すことは的外れです。

浮気はもちろんダメですが、このお話で圧倒的に悪いクズなのが辰也であることは、仕掛けが判明した後でも何ら変わらない見解のはず。

浮気して、きちんとした避妊をせずに妊娠させて堕胎させて、挙げ句逆ギレして怒鳴りつけ、シレッと別の女に乗り換えているのですからね。なにが、「俺とあいつの関係は、結局はその――イニシエーション・ラブってやつだったんだろうな」だ。ふざけきったバカバカしい男だ。

 

結果的に二股・浮気になっていますが、繭子の方は夕樹と親しくなっていきデートしたりするようになっていたものの、夕樹と肉体関係を持ったのは堕胎し、辰也との関係に破綻の兆しがハッキリと出てから後のことです。

まだ新生活が始まったばかりの頃に彼氏はいないと嘘を言って合コンに参加しているのはいただけず、男性に対して思わせぶりな態度をとるのが好きな女性なのかとは思いますけどね。

 

最後の2行目を読んで浮かび上がるのは、辰也より繭子の方が上手だったという事実。

ここで、「で?」となる人もいるかと思います。「ただ浮気し合っていた男女の話を読まされただけじゃないか。何がしたいのだ」と。

 

仕掛けありきの、脅かすのが第一目的に書かれた小説ではあるのだろうと思います。この手の話題は叙述トリックものでは度々議論されることであって、どうしても直面する問題なのですけども。『イニシエーション・ラブ』の場合は殺人事件ものではなく恋愛が題材になっているぶん、余計に疑問視されるのかもしれません。

 

終盤、酔った辰也は間違えて別れた繭子に電話をし、「たっちゃん」と普通に応対されて怖くなり、繭子が哀れだと思って勝手に感傷に浸っています。

実際は、繭子は誤って相手の前で浮気相手の名前を口走っても大丈夫なように夕樹の事を辰也と同じく「たっちゃん」と呼んでいただけなのですが。(因みに、辰也は繭子の前で美弥子の名前を口走ったことで浮気がバレた)

 

何も知らずに、繭子がまだ自分のことを想っているなどと哀れんで感傷に浸る。何を伝えたいのかと言われたら、この“独りよがりなクズ男の滑稽さ”を嘲っている物語りなのだろうと個人的には思っているのですが、どうなのでしょう。

 

必ず再読したくなるといいますが、私としては辰也がクズで不快なので(他に感情移入出来る人物もいないし)、とても丸々最初っから全部再読しようという気にはなれないのが正直なところ。拾い読みでの答え合わせとなってしまう(^_^;)。なので、映画はなんだか有り難かったですね。

 

 

一風変わった恋愛小説、血生臭い要素なしで叙述モノを楽しみたい人は是非。

 

 

 

ではではまた~

 

 

 

 

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