夜ふかし閑談

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『絡新婦の理』(じょろうぐものことわり) ネタバレ・考察

こんばんは、紫栞です。
今回は京極夏彦さんの『絡新婦の理』(じょろうぐものことわり)をご紹介。

文庫版 絡新婦の理 (講談社文庫)


あらすじ

「あなたが――蜘蛛だったのですね」
低い、落ち着いた声だった。
一面の桜である。
満開の桜の只中である。

昭和二十七年五月二日、信濃町で矢能妙子という娘が平野祐吉という男に殺害される事件が発生。平野が捕まらないまま、十月に新たに二人目の犠牲者として川野弓栄、そして年の暮れには山本純子という三人目の犠牲者が出た。被害者達はいずれも両目が潰されており、平野祐吉は『目潰し魔』と呼ばれ世間を騒がせることになる。
翌年、東京警視庁の木場修太郎は『目潰し魔』によるものと思われる四人目の犠牲者が出た事件の捜査にあたる。しかし、事件を追ううちに捜査線上に木場の友人である川島新造の名が浮かぶ。本人に問い質そうと川島の元を訪れた木場だったが、川島は「女に、蜘蛛に訊け」と言い残してその場から逃走してしまう。

聖ベルナール女学院の生徒・呉美由紀と渡辺小夜子は“ある理由”から学院内の噂話を探り、悪魔「蜘蛛」とそれを崇拝する「蜘蛛の僕」の存在を知る。小夜子は勢いにまかせ「蜘蛛」に自身の“願い”を叫んでしまう。その後、美由紀と小夜子は「蜘蛛の僕」の一員だった麻田夕子と接触するが、夕子が二人に語った「蜘蛛」と「蜘蛛の僕」についての内容は信じがたいものだった。しかし、夕子の話を裏付けるように殺人が起こり――。

房総に釣りに来ていた伊佐間一成は呉仁吉老人と意気投合。蒐集品を売りたいという仁吉に鑑定のため今川雅澄を紹介し、仁吉宅に訪れた近在の旧家・織作家の使用人である出門耕作から「ついでに織作家の大黒柱であった雄之介の遺品の精算をして貰いたい」と請われて翌朝、伊佐間と今川は連れだって「蜘蛛の巣屋敷」と渾名される織作の屋敷へ赴く。そこで事件が発生。二人は目撃者となり、織作家の事件に巻き込まれることに。
伊佐間の意思により今川は「織作家の呪いを解いて欲しい」と、陰陽師である中禅寺秋彦に正式に憑き物落としの依頼をする。依頼を引き受けた中禅寺は事件の舞台である聖ベルナール女学院、そして織作家へと向かうのだが――。

数々の事件は八方に張り巡らされた蜘蛛の巣となって関係者達を搦め捕り、眩惑する。巣の中心に陣取る「蜘蛛」とは果たして何者なのか?その目的とは?

女は、静かに、毅然として云った。

「それが――絡新婦の理ですもの」

 

 

 

 

もっとも華やかな作品

『絡新婦の理』は百鬼夜行シリーズ】(京極堂シリーズ)の五作目。

 

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お坊さんばかりで、男性ばかり、山奥のお寺が舞台で必然的に女っ気と耽美さが薄かった前作鉄鼠の檻

 

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とはうって変わって、今作『絡新婦の理』は“女性”が大きなテーマで、女学院と女系一族である織作家が舞台。キリスト教における女性と悪魔、売買春、フェミニズムなどなどが絡む事件。そして、これでもかと登場する絶世の美女達・・・。艶っぽく、怪しく、耽美全開!で、シリーズの中ではもっとも華やかな印象を受ける作品だと思います。私は【百鬼夜行シリーズ】は基本全作好きですが、この『絡新婦の理』は特に好きな作品の一つです。

 

 

 

 


女郎蜘蛛・絡新婦
タイトルにある“絡新婦”ですが、“じょろうぐも”なら通常は“女郎蜘蛛”と書くはずで、“絡新婦”でそう読ませるのは納得がいかないですよね。漢字変換でだってこんな字での変換候補は出て来ません。
何故この表記なのかというと、このシリーズでは毎度お馴染み、鳥山石燕の『画図百鬼夜行』に目次には“女郎くも”と書いてあるものの、目次の対項目での記載は“絡新婦”に“じょらうくも”と、振り仮名が振ってあるため。作中での中禅寺の説明によると、
「斑蜘蛛、一名女郎蜘蛛は中国名を絡新婦(ロスインプウ)と云うと『和漢三才図会』に記されている。それを書いた石燕は三才図会を善く引いたからね」
とのこと。
作中ではこの後に女郎蜘蛛は元が巫女だったが、神性を失って娼婦に、そして妖怪へと転落していったものだと中禅寺は語ります。
社会・歴史における女性のありさま「女性から神性を搾取することで成り立った近代男性社会」を先読みするような妖怪で、今回の事件ではこれらの歴史的背景が事件に深く関係しています。
織作家が機織で財をなした家だという設定も、蜘蛛が糸を紡ぐところからくる暗示ですね。ちなみに“機を織る”という行為も近代男性社会での女性のありかたの面で重要な側面を持っています。

 

 

 

読みやすい?
この『絡新婦の理』、蜘蛛の巣ミステリなだけに事件構造の複雑さも登場人物の多さもシリーズの中ではトップクラス級で、もちろんページ数だって通常通りの千ページ越え。さぞ読むのには時間がかかるんでしょう?と、思うところですが、「前四作に比べると凄く読みやすい」という感想を抱くシリーズファンは結構います。


それは何故か・・・
たぶん・・・
関口が、いないから・・・


(^^;)


いや、登場はしているのですが、今作ではエピローグ部分のみで関口は事件に直接関係していません。これは第一作から続けて読んできたシリーズファンにとっては結構な衝撃なんですよね。【百鬼夜行シリーズ】は主の語り手は関口が務めるのが“おきまり”なんだと、ファンはそれまで思い込んでいたので。前四作では三分の一は関口が語り手でしたからね。
エピローグでも鳥口に
「関口先生、今回は何だって出番がないんですよ」
とか言われちゃっています。
これ、もうホント、読者の気持ちそのまんまなセリフなんですが(笑)

 

なんで今作では不在なんだというと、まぁ単純にこの物語には不要だからなのですが(こういったとこ、京極さんはシビアですからね)。

で、じゃあ誰が語り手を務めているのかというと、主に木場と伊佐間屋と今作のゲスト(?)・女学生の呉美由紀です。
この美由紀ちゃんなんですが、酷い状況に追い込まれても女学生ながらに奮闘し、聡明さと啖呵を切る豪胆さもありと、なかなか気骨のある女の子で、読んでいて非情に好感が持てます。個人的にまたシリーズに登場させて欲しい人物の一人なんですがどうでしょう?(笑)。

※登場してくれました!詳しくはこちら↓

 

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木場は行動派で、伊佐間屋は飄々とした人物。主な語り手三人が皆割とサバサバした語り口なので、いつも迷っていて頼りなく、湿度が高い(?)語り口の関口とはかなり異なる。
しかしまぁ、この関口の客観的になりきれない、ある種陰気な語りがシリーズの持ち味の一つになっているという意見もあり、「関口の語りじゃないから読みにくい」という真逆の声もあります。
私は木場も伊佐間屋もゲストの呉美由紀も個人的に好きなキャラクターなので、単純にこの三人の語りは読んでいて面白かったし嬉しかったです。特に木場は前作の『鉄鼠の檻』では不在でしたから、序盤で語り手として登場したのは嬉しかったですね。

もちろん関口の語りが嫌いな訳ではないですよ(^^;)関口のあの語りだからこそ醸し出される雰囲気というのは【百鬼夜行シリーズ】の基盤みたいなとこありますからね。関口の語りを存分に味わいたい方は姑獲鳥の夏をどうぞ↓

 

 

 

 



 

 

登場人物・繋がり
関口は最後にチラッとですが、『絡新婦の理』は【百鬼夜行シリーズ】のレギュラーメンバー総出演のお話です。
シリーズ的に大きな出来事の一つが、前作『鉄鼠の檻』では刑事だった益田龍一が榎木津に弟子入り志願して『薔薇十字探偵社』の一員になるところです。
榎木津の破天荒な性質に憧れてってことなんですが。榎木津に弟子入りしようとして刑事辞めるとはなんと愚かな…と、最初読んだときは驚いたものです(^_^;)
榎木津にも弟子入り志願を聞いた後の第一声で「オロカ」と言われています。以後、彼は「バカオロカ」という綽名で呼ばれ続ける訳ですが。
益田は探偵社の一員になってからは予想以上に活躍するというか、シリーズ内での出番が多いキャラクターとなります。榎木津があの調子なので、依頼人の話を聞いたり調べたりする“通常の探偵的役割”がそのまんま益田に振られるんですね。益田が一員になったことで『薔薇十字探偵社』の登場も増えたような気がします。榎木津はともかく、和寅は益田が来てくれたことで職場環境が改善されたんじゃないかと思います。話し相手兼味方ができて良かったね!って感じ(^.^)最初は益田のせいで辞めさせられそうになっていたけども・・・。
織作家のメイドで奈美木セツという娘が出て来ます。脇役にしてはキャラが濃すぎる愉快な女の子で印象的。憑き物落としの前に織作家を去って行くのですが、スピンオフシリーズの『百器徒然袋』の「五徳猫」で再登場し、

 

 

 

百鬼夜行-陽』の「蛇帯」では榎木津の兄が経営している榎木津ホテルで働いています。

 

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「蛇帯」は次作長編予定『鵺の碑』(ファンがいいかげん待ちくたびれている幻の次作ですが^^;)に関係してくる短編。『鵺の碑』は榎木津ホテルが舞台の一つになるらしいので、この奈美木セツも登場することが予想されます。楽しみですね!(いつになるのかは分かりませんが・・・)


前作の鉄鼠の檻以外にも、姑獲鳥の夏

 

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魍魎の匣

 

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狂骨の夢

 

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に登場した人物や事件での出来事が今作では関係しています。
オールキャスト総出演に加え、今までの全ての事件も関係してくるということで、発売当初は“百鬼夜行シリーズの集大成”なんて風に捉えられたりもしたそうな。そんな思いは次作でひっくり返されるんですけどね・・・・・・。

 

 

 

美しき蜘蛛の巣ミステリ
『絡新婦の理』はシステムのお話。なのでトリックらしいトリックもないんですけど。

一つの事件をたどっていくと、いつの間にか最初の地点に戻り横糸を一周する。しかし、事件を追っていた過程で発見された事実によって交差する糸・縦糸をたどると次のステージの別の事件へ。横糸を一周し、縦糸をたどってまた別の事件を一周・・・と、いった蜘蛛の巣構造。なので、この蜘蛛の巣を張った真犯人を作中では「蜘蛛」と呼ぶのです。「蜘蛛」は巣の中心にいる。糸を辿り続けて、行着く先は「蜘蛛」。そして、「蜘蛛」に辿り着くと待っているのは冒頭のあの台詞・・・・・・。

 

今作の突出した点は「あなたが――蜘蛛だったのですね」という台詞から始まる冒頭部分。この冒頭部分ではすでに事件は収束しており、黒衣の男(中禅寺)は「蜘蛛」である真犯人と対峙しています。この最初の数ページで真犯人は女であること、この女性がどのような体系の仕掛けを用いて事件を発生させたのかが早くも明かされます。
この衝撃的な書き出しがオープニングで、その後は事件の経過が順を追って描かれ、最後まで読むと「あなたが――蜘蛛だったのですね」の冒頭に戻ることになる。と、いう円環構造にもなっています。まるで読者までもが蜘蛛の巣に捕らえられて抜け出せなくなるような物語構成。そこもまた美しい点ですね。

それにしても今作の冒頭部分は圧巻の美しさです。【百鬼夜行シリーズ】の数ある名場面の一つなのは間違い無いと思いますので必見。

 

 

 

憑き物落とし
前作『鉄鼠の檻』はお話の都合上、このシリーズでは謎解き部分にあたる憑き物落としの場面にあまりページが割かれていないのですが(もちろん当社比です)、

 

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今作は憑き物落とし“中禅寺が着替えてから”が長いです。全体の4分の1を占めていますね。
何故かというと、聖ベルナール女学院での憑き物落とし後に新たな局面が現われ、次のステージとして今度は織作家での憑き物落としをするといった二段構えになっているからなんですが。私はこのシリーズを読む際は「中禅寺が着替えたら、そこからは一気読みする」というふうに決めているのですが(一番面白いとこだから)、『絡新婦の理』は長くってですねぇ~~初読の時は朝方まで読んでしまって、睡眠時間二時間のフラフラ状態で職場に行ったという馬鹿馬鹿しい思い出があります(^^;)
とはいえ、憑き物落としの場面がなんといっても好きなので、単純にいつもより長くって嬉しかったです。
今作では特に、憑き物落としでの中禅寺の登場シーンが凄くカッコいいですね。美由紀ちゃんという少女視点だからというのがあるかも知れないですが、シリーズの中で一番カッコいい登場シーンなんじゃないかと思いますね。“ただ者じゃない感”が凄まじいです。読んでいて盛り上がります(笑)とにかくイチオシ!ポイントですね。

 

 

 

 

 

 

 

以下ネタバレ~(犯人の名前も書いているので注意)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ジェンダー
登場人物の一人、織作葵は女性権利向上運動の活動をしているという設定。葵の他に美江という葵に影響されて同じ運動をしている女性も出て来ます。
女性権利向上論者達の主張はごもっともな面もあるのですが、何とも物言いが高圧的なところがあり、女性としても読んでいると閉口してくるというか、息が詰まってくるところ。

美江のことを話すと増岡は、
「ああ私はね、彼女達の理屈は判るが、あの臓躁的(ヒステリック)な態度が厭だな。何とかならぬものかと思うね」
と云った。
中禅寺は空かさず、
「馬鹿なことを云うな増岡さん。彼女達をそうさせているのは、我我男じゃないか」
と、云った。増岡は勿怪顔になる。
「君は――女性崇拝者(フェミニスト)なのか?」
「勿論僕は女権拡張論者(フェミニスト)ですよ」

上記は中禅寺と弁護士の増岡との会話。意味合いが擦れ違っているんですけども。


“小説の登場人物の意見がイコール作者の意見ではない”というのは作者の京極さんは何度もインタビューなどで仰っていることですが、私は作者の京極さん自身もフェミニストなのではないかと思います。作品全体的にそういった雰囲気が漂っているんですよね。
よく、京極作品は女性が乱暴されたという設定が多く、女性にはシビアな内容だと言われたりします。確かに過去の出来事として男に襲われたというのは頻繁に出て来ます。今作でも出て来ますし。これは時代設定が大きいのかなとも思うんですけど(現在の時代設定だとそういった事柄は余りない)。でも、京極作品の場合は本当にシビアに扱われているのは女性に狼藉を働いた男性側の方です。なんせ、そういった行為をした男は9割方死なせていますから。容赦なし。
何というか、“もっとも愚かしい人間”として描かれているのではないかと。狼藉者とまでいかないスケベも必ず痛い目にあうのが常なので、男性の方が読んでいてキツいんじゃないかと思いますね。男性作家さんでこういう風に描く人は珍しいです。女性読者が多いのもそういった部分が少なからず影響しているんじゃ。女性としては読んでいると気持ちいいですもん(笑)

今作ではさらに突っ込んで、性差について大いに語られています。テーマの一つですね。

「人間は誰しも男性性と女性性の両方を持ち合わせているのです」

ものごとは「男だから」「女だから」と簡単に分けられるものではない。考え方や行動を性別で区分することは出来ないはずで、女性的な部分が強い男性もいれば、男性的な部分が強い女性もおり、ようはバランスの問題。どっちが良いも悪いもない。

性差などと云うものは文化的社会的に決定されたひとつの局面でしかない

お話の終盤、葵は自身が半陰陽だと明かし、そのことがあったからこそ婦人運動に走ったのだと述懐しています。
伊佐間はその葵を見て、

気高い。半陰陽ではない。両性具有だと、伊佐間は思った。
どちらでもないのではなく、どちらでもある――。
なる程人とは本来こう云うものなのだ。人は本来、男でも女でもあるのだろう。それは決定されているものではなく、己で決めるものなのかもしれない。

ようは、“自分は自分だ”ってことですね。

 

 

 

 


作者には勝てない

 

「(略)敵は――事件の作者だ。君たちは登場人物だ。登場人物が作者を糾弾することは出来ないぞ」

 

「真犯人は、種を蒔き、畑を耕し、水を遣りはするものの、何が生るか、誰が刈り取るかまでは関知しないのですよ。それが敵の遣り方なのです。踊り子は興行主を知らずに舞い、役者は演目を知らずに演ずる。小説の登場人物の殆どはその小説の題名を知り得ない――僕等は踊り子であり役者であり、登場人物なのです」

 

上記は榎木津と中禅寺の作中での台詞。
まるでメタ発言をしているかのような発言内容ですよね。あくまで今作での犯人についてを語っているのでずが、この事件の真犯人「蜘蛛」は、もはやこの小説の作者・京極夏彦その人であり、登場人物達は京極夏彦と対峙しているように見えるように意図的に描かれています。

中禅寺も榎木津も「作品は作者のもの」だと解っており、自分たちが何をしても駒の一つにしかならぬ事を知っています。つまり、最初から負けが見えている闘いなんですね。

「――僕は寧ろ――ここにその真犯人の計画の完遂を早めに来たようなものだと、そう認識しています」

「蜘蛛」の目的は“家を崩壊させること”。中禅寺の憑き物落としによって家は解体され、崩壊する。

憑物が落ちれば家は滅ぶ。
それが、この世の理(ことわり)である。

 

 


茜・動機
『絡新婦の理』はシリーズの中でも死者が多い作品。十五人も亡くなっており、憑き物落としの最中には四人命を落しています。
「蜘蛛」の正体は貞淑で、自己主張をせず、唯唯諾諾と亭主に従っていた次女の茜ですが、何故ここまでの事を仕掛けたのかの動機は明確には解りません。ラストの中禅寺と茜の会話

「本田と云う人は――あなたに――」
「あまり聞きたい名ではありません」

 

志摩子さんと云う女性は、実に律儀な女性だったようです。最後の最後まで、あなたと八千代さんの名前を、誰にも、決して云わなかったそうだ」
「――あの人は――潔い人だった」
「信じてはいなかったのですか?」
「信じません」

 

などのやり取りから、本田は学生だった頃の茜に小夜子と同じように暴行をしたから、八千代と志摩子はかつての売春仲間だったから、そして、“織作家“は茜をもっとも縛っているものだから、標的になったのだと推察することが出来ます(あくまで推察ですが)。
茜がこの計画を練り上げたのは、「あらゆる制度の呪縛から解き放たれ、個を貫き、己の居場所を獲得する」ため。全ての呪縛から解放されるために、己を縛っている要因を持っている物を全て、人ごと排除しようという計画。
とはいえ、おそらく娼婦になるきっかけを与えたと思われる本田や、自分を縛り続ける“織作家”を標的にするのはまだ解りますが、八千代や志摩子まで殺害する必要はないと思えるし、他にも直接関係ない人も巻き込んで、最終的に十五人も死なせるのはいくらなんでもやり過ぎですよね。


この計画はそもそも、実行するからには半端は許されない計画。なので、妥協はせずに非道にするに決意したのと、多くの部分は他人任せでの計画なので、思いもよらず上手くいきすぎるシステムを創造主の茜も止めることが出来なかった、または引くに引けなくなったというのが正直なところなのかな?と。作者の云う「キャラクターの一人歩き」に近い感覚というか。

 

茜がもっとも排除したかったのは、全ての元凶となった本田と、三女の葵なのではないかと思います。一時娼婦として活動し、家に戻って貞淑な妻として振る舞っていた茜にとっては、婦人活動のリーダーとして胸を張って生きていた葵の存在は、自身を卑屈にさせる大きな要因だったのではないかと。
茜は次作の『塗仏の宴 宴の支度』の一作で語り手として登場しますが、その中でも葵に対しての記述が何度もあります。

事件から時間が経ち、茜がどのような心境になっているのかも描かれているので、『絡新婦の理』を読んだなら次作の『塗仏の宴 宴の支度』

 

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も読まなきゃ駄目ですね。終われません。しかもあんな展開になりますしねぇ・・・・。

 

 

 

 

あと、茜の父親ですが、これは状況や記述から鑑みるに、呉仁吉なのではないかと。美由紀が難を逃れたのも仁吉の孫だからじゃないかなんて意見もあったりしますね。しかし、これ程無慈悲な計画を練った茜が“父親だから”という理由で標的から外すのも何だか納得がいかないような気も・・・・・・。

小夜子の妊娠もあやふやなままでしたが、これは想像妊娠だったとしか思いようがないですね。検視で妊娠の事実が出て来ないというならそう考えるしかない訳ですが・・・。他はあえて真相をぼかしているにしても、コレに関しては作中で確りとした記述がないのはひたすら奇妙です。

 

 

と、まぁ色々と書きましたが、あくまで個人的な推測ですので悪しからず。
次作でのどえらい展開から、『絡新婦の理』は長すぎる序章ともとることが出来ます。ファンなら絶対に読まなくてはいけない作品ですし、京極作品の醍醐味が詰まった作品で読みやすさもあるので、初めての人にもオススメです。是非是非。

 

 

 ※漫画もあります↓

 

 

ではではまた~