夜ふかし閑談

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『遠巷説百物語』6編 あらすじ・解説 11年ぶり!シリーズ第六弾!舞台は遠野

こんばんは、紫栞です。

今回は京極夏彦さんの『遠(とおくの)巷説百物語をご紹介。

 

遠巷説百物語 「巷説百物語」シリーズ (角川書店単行本)

 

11年ぶりッ!

『遠巷説百物語』は2021年7月に刊行された巷説百物語シリーズ】の第六弾。
前作の『西巷説百物語』からおよそ十一年ぶりのシリーズ最新作です。前作『西巷説百物語』でシリーズは終わりです的なことを公式サイトなどで仰っていたので、まさか十一年後にまたシリーズ新作を書いてくれるとは驚き。作者の京極さんとしても【巷説百物語シリーズ】はもう書く予定はなかったらしいのですが、角川のお化け専門雑誌「怪」が廃刊になった後、「怪と幽」という新雑誌が誕生したことにより、また書くことになったと。

巷説百物語シリーズ】はずっと「怪」で連載されていた作品でしたし、新雑誌の目玉になる連載としてってことでしょうか。どこの出版社も雑誌存続が厳しく、廃刊が相次いでいるなかでこの“お化け専門雑誌”、しぶとく生き残っていますねぇ。

 

なんにせよ、シリーズファンとしては新雑誌誕生に感謝しかないです。また【巷説百物語シリーズ】の新作を読む機会を与えてくれて、本当に有り難き幸せであります。

 

江戸時代を舞台に、公には出来ぬ厄介事の始末を金で請け負うを渡世とする者達が、妖怪譚を利用した仕掛けで解決させていく妖怪小説のシリーズである巷説百物語シリーズ】

 

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本どうしで密接に繋がっているとはいうものの、一冊ずつ趣向も時系列も変わって別作品として書かれてきたこのシリーズですが、第六弾である今作は江戸末期の岩手県遠野地方が舞台。シリーズ全体の時系列としては、『続巷説百物語』収録の「老人火」で百介が又市らに別れを告げられてから数年後、弘化二年~三年(1845年~1846年)の出来事で、『続巷説百物語』~『後巷説百物語』の間ですね。

 

タイトルの『遠巷説百物語』の「遠」は遠野のことなんですね。遠野は“化け物が集まる土地”。妖怪小説家として遠野に関係する本や物語を多数書いている京極さん。巷説シリーズにも絡めてきたという訳ですね。

 

 

 

 

物語の中心人物となっているのは、遠野南部家当主の密命を受けている宇夫方祥五郎。この密命というのが、「市井の動向を探るため、巷に流れる噂を逐一聞き付け、真意を見定め、悉く知らせよ」との令で、“御譚調掛”(おんおはなししらべがかり)と揶揄した呼称で呼ばれる人物。密命っていわれると何やら大仰ですが、祥五郎はお人好しで腕っぷしの弱い人物なので、物語上の役割としては巷説~後巷説の三冊での主要人物である山岡百介に近いですね。

 

その“御譚調掛”である祥五郎が情報屋的に毎度頼る人物が乙蔵。乙蔵は豪農の倅で妻子持ちであるものの、野良仕事を嫌って色々な渡世に手を出しては失敗するを繰り返すといった、いつの時代にもいる困った男。しかし、世事には通じていてとても物知りであり、近郷近在の醜聞、噂、些事などなど、耳に入らぬものはないと豪語する、祥五郎としては便利な男で、いつもこの乙蔵から咄を買っているという訳です。

 

で、今回の“仕掛け人”は誰かというと、アニメで登場した後に“逆輸入”の形で『前巷説百物語』に出て来た長耳の仲蔵

 

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仲蔵は器用でどんな細工物でも上手く拵える人物として『前巷説百物語』では仕掛け仕事のサポート役的ポジションでしたが、今回はメインの仕掛け人として活躍しています。又市や林蔵みたいに決め台詞はないですけどね。

 

他、『西巷説百物語』に登場した六道屋の柳次が仲蔵の仕事の手伝いで登場。

 

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仲蔵が棲んでいる家の持ち主である座敷童衆みたいな見た目の謎の少女・お花も仕掛けの手伝いをしています。

 

物語のパターンは、

冒頭での昔話の紹介→祥五郎が乙蔵から巷の噂を聞く→その噂の当事者の語り→祥五郎が仲蔵から仕掛けを明かされる

と、いったものになっています。

 

 

仲蔵は『前巷説百物語』での一件から江戸から都落ちして流れ流れて遠野に。柳次は別に追われた訳じゃないのだけども、上方での元締めだった一文字屋仁蔵が亡くなり、仕事が遣りに難くなったってんで遠野に来たそうな。

これらの面子から、『西巷説百物語』と同様にスピンオフ的印象をシリーズファンは抱くかなと思いますが、単体の作品としての面白さは勿論、このシリーズ全体を繋ぐような要素も盛込まれており、最終話にはやっぱり“あの男”も登場していますので必見です。

シリーズの新作を読むのは十一年ぶりですが、やはり巷説百物語シリーズは面白い(^.^)!

 

 

 

 

 

 

 

 

各話、あらすじと解説

 

『遠巷説百物語』は全六編収録。

 

巷説百物語シリーズ】で題材として採られている妖怪たちはすべて、天保12年(1841年)に刊行された、画・竹原春泉、文・桃山人の『絵本百物語』から。

 

 

 

※以下、若干ネタバレを含みます

 

 

 

 

 

●歯黒べったり(はぐろべったり)

弘化二年の晩春。宇夫形祥五郎は乙蔵から、御菓子司山田屋から座敷童衆が出て行ったのを目撃したという咄と、愛宕山の裾野にある鳥居の蔭に、花嫁姿で目鼻がなく、お歯黒をべったりとぬった口を大きく開けて笑う女が夜な夜な出るという咄を聞く。

城の勘定方である侍の大久保平十郎はその花嫁姿の女と出会したらしく、「二本差しが狐狸妖怪を見て腰を抜かした。武門の恥だ」と周りに誹られて発奮し、もう一度出向いて化け物を斬ってやると息巻いているのだとか。

 

乙蔵はさらに、何でも器用に拵える元江戸者で化け物みたいな面相をした大男・仲蔵が、去年から山口の壇塙の裏手に小屋を建てて住み着き、評判になっていると祥五郎に告げる。

 

祥五郎はそれら巷の噂を確かめるべく、大久保に会い、山田屋と仲蔵なる男の住まいへと出向くことにするが――。

 

「歯黒べったり」は目も鼻もない顔に、お歯黒をべったり付けた大口だけがある花嫁姿の妖怪のこと。伏せている女に気づき、戯れに声を掛けてみたらば、この恐ろしい顔で振り向き、大きな口でケラケラ笑うという、「のっぺらぼう」と似通ったところのある妖怪。

 

あらすじを見ると間抜けそうですが、大久保さんは剣の腕も確かで人柄もキチンとした人です。

真相部分の姉妹の関係性は『西巷説百物語』に収録されている「野狐」での姉妹をどこか連想させる。人はやっぱり哀しいものですねぇ。

『続巷説百物語』収録の「野鉄砲」で使われた小道具の“野衾”がまた使われています。

 

 

 

 

●磯撫(いそなで)

弘化二年の十月。十日ばかり山間を巡り、町場から離れていた祥五郎は、乙蔵から浜で馬よりも牛よりも大きい大魚が橋野川を遡ろうとしているのが目撃され、騒ぎになっているという咄と、数日前に遠野の米は盛岡の半兵衛という男が一手に取り扱うこととすると奉行所から通達があり、そのために米の荷送りが止まり、あわせて魚の扱いも止まってしまい、豊作であるにもかかわらず遠野は今や飢饉のような状態になりつつあると聞かされる。

勝手に売り買いが出来なくなった米商人や漁師たちの不満は日に日に高まり、このままではいつ押し寄せが起こってもおかしくないと危惧した祥五郎は、「半兵衛なる男に米の扱い全てを任せる」というあまりにおかしな通達を疑問に思い、町奉行の是川五郎左衛門の元を訪ねる。是川も盛岡藩の勘定方である児玉毅十郎からの通達には疑義の念を抱いていた。

 

祥五郎は是川に「これは大胆な不正なのではないか」と進言し、是川と共に逃げた半兵衛と児玉を追うが、そこに大魚が現われて――。

 

「磯撫」は肥前松浦の近辺の海に出るという怪魚。尾びれに細かい針が無数にある大きな魚で、北風が吹き荒れると現われて、海面を撫でるように近づいて尾びれの針で人を引っ掛けて海中に落して食らうのだとか。

 

この物語で描かれる「半兵衛騒動」というのは実際にこの頃の遠野で起こった出来事なんだそうな。虚実が入り混じり、巷説百物語シリーズならではのオチがつけられています。

決着の付き方から、祥五郎は仲蔵たちが事を収めるために殺しをしたのではと疑いますが、仲蔵は「儂は荒事はしねえ」とキッパリと言い放っています。『前巷説百物語』での損料仕事の時は荒事も辞さない渡世だったんですけども、仲蔵の仕事の仕方は又市にだいぶ感化されていることが伝わってきますね。

 

 

 

●波山(ばさん)

弘化二年の十一月。ここ一月ばかり、遠野では娘が行方知れずになった後に、焼け爛れた無残な死骸で戻されるという凄惨な事件が三件続いていた。

山男の所為だと謂う者も居るが、これは夜に飛び、啼いて光り、火を吐く大きな鳥、伊予の深山に棲む「波山」という鶏の所為に違いないと乙蔵は祥五郎に自身の考えを述べる。

 

乙蔵の主張を聞き、判断に迷う祥五郎だったが、どの娘も最初に被害が出た横田の油商・鳳凰屋の近辺で行方知れずになっていることに気づき、町奉行の是川から「娘焼き殺しの下手人を捕らえろ。人ではなく、化け物であった場合は退治せよ」と命じられ、鉄砲を渡された町廻役同心・高柳剣十郎と共に事件を調べ直す。

 

「波山」は伊予に伝わる怪鳥。大きな鶏のような姿で火を吐き、バサバサと羽音をたてるので「婆娑婆娑(ばさばさ)」ともいわれる。普段は山奥に居て人前に出ることは滅多になく、音に気付いて人が外を覗いても、忽然と姿を消してしまうのだとか。

 

今作の中では一番血生臭い事件。“狂ってしまった人”による云々というのはこのシリーズに限らず京極作品ではよくある。

鉄砲名人として名が知れてしまっている高柳ですが、実は鉄砲の腕は微妙。なので、仕掛け仕事でサポートとして「旗屋の縫」が登場します。「旗屋の縫」は民譚で語られる猟師の名称なんだけども、ここでは鉄砲名人が代代継ぐ名とされている。

 

 

 

 

●鬼熊(おにくま)

弘化三年の小正月。遠野では様々な行事が行なわれ、人々は活気に満ちていた。祥五郎は出来るだけ出歩いて村や人の様子を見て回っていたが、賑やかな様子を目にしても、藩政や公儀への不安から心中は穏やかではなかった。

そんな折、祥五郎は乙蔵から盛岡藩では禁じられているはずの隠し女郎屋が遠野にあり、そこには遠方からも客が来ているようだという噂を聞かされる。乙蔵の咄によると、その隠し女郎屋の女たちは盛岡藩の領民ではなく、他所の女で十人以上はいるのではないかという。場所は貞任山の方で、貞任山では昨日、雲を衝くほどの大きな熊が出たと騒ぎになっているらしい。

翌日、町医者である田所洪庵の元に町廻役同心・剣十郞の使いだと祥五郎が訪れ、土淵で発見された遺体の検分を依頼される。祥五郎と共に洪庵が現場に行ってみると、そこには信じがたいほど巨大な熊の死骸と、その熊によって押し潰されたらしき屋敷の下敷きになっていた三つの遺体があった――。

 

「鬼熊」は木曽谷に伝わる妖怪。熊が歳を経て妖怪になったもので、デカくて怪力の化け物熊。人前にはあまり出て来ないものの、夜更けに里に現われて家畜を奪い、山に持ち帰って食べるのだとか。

 

女郎が関係する物語はこのシリーズでは比較的多い。ま、時代が時代ですからね。京極作品では女を人とも思っていない男はもれなく死ぬ運命にある。

お医者の洪庵と娘さんとのことを考えるとあまりに気の毒というか、いたたまれない顛末だなぁって思うところですが、最後の仲蔵の言葉を信じて前向きにとらえたいですね。

小道具としてまたも“野衾“が使われています。

 

 

 

●恙蟲(つつがむし)

弘化三年の春。遠野では豊作満作を祝う祭りを盛大に行なおうと人々の間で盛り上がっていた。しかし、祭りをしたいという願い出に奉公である是川五郎左衛門は快諾したものの、勘定方と連絡が取れないために話がまったく進展しないという。どうやら数日前から勘定方の組屋敷一画がまるごと隔離されている所為で、奉公と勘定方で擦り寄せが出来ないらしいという咄を祥五郎は乙蔵から聞かされる。

乙蔵は勘定方組屋敷で疫病が出たための隔離で、騒ぎになるのを防ぐために隠しているのではないかというが、祥五郎はその咄に疑念を抱く。

 

その頃、勘定方佐田久兵衛の娘・志津は、父親の死因は疫病だと聞かされ、外出の一切を禁じられていた。疫病だといわれても釈然としない志津の元に、勘定吟味方改役である大久保が訪れ、この度の疫病騒ぎには不審な点が多すぎると聞かされる。さらに、そこに祥五郎が現れ「これは疫病ではなく謀殺だ」と二人に告げるが――。

 

「恙蟲」は、夜な夜な民家に入り込んでは寝ている住人の生き血を吸い、ついには殺してしまうという虫。「ん?それってダニじゃない?」って感じで、実際にツツガムシというダニは存在していて、ダニ目ツツガムシ科の総称とされている。『絵本百物語』では妖怪として紹介されているんですね。因みに、『絵本百物語』の中でも博士が退治してくれる。

 

魚、鳥、熊ときて、今度は虫。謀殺だなんだと面倒なことが絡みまくっているので、ひとまずここは虫の所為にして隔離状態を解消させようってことで仕掛けをする訳で、「虫ばら撒いただけ」と仲蔵はいいますが、ダニを集めるのが地味に大変そうだなと思う。「骨が折れたが、まあそこは蛇の道はへびだ」とも言っていますが・・・こういう渡世ってダニが多くいる場所にまで詳しくなれるのか?

ここで出てくる謀殺が次の「出世螺」にも関係していて、この物語の最後で祥五郎は仲蔵に仕事を依頼する。志津さんとの約束を果たすためなのですが、この依頼をする前に仲蔵が祥五郎に「女房でも貰いな」といっているのが先の展開への“におわせ”になっていますね。

 

 

 

●出世螺(しゅっせほら)

弘化三年。恙蟲騒動から三ヶ月ほど経ったある日、祥五郎は遠野領の領主・南部義晋公に呼び出され、恙蟲騒動から明らかとなった公金横領に先の老中・水野越前守が深く関わっているらしいこと、行方の知れぬ金が未だ領内のどこかに隠されているのではないかという咄を聞かされる。

一方、先人の掘り残しの金があるのではと各地で発掘を続けていた乙蔵は、大麻座で遂に金塊を発見。興奮し、数日喰わずにいたために眩暈を起して路肩に蹲っていたところ、「八咫の烏」だと名乗る黒ずくめの姿をした男に声を掛けられる。八咫の烏は「遠野には今物騒な連中が入り込んでいる。懐のものは、暫くは誰にも見せない方が御身のためだ」と乙蔵に忠告するが――。

 

 「出世螺」は深山にいるホラ貝が、山に三千年、里に三千年、海に三千年を経て龍と成ったもの。出世したホラ貝ってことですね。出世螺が山からぬけるときには大きな洞穴が出来、螺の肉を食べると長生きするといわれるけども、実際にはそれで長生き出来たということを確認出来ないので、嘘をつくことを「ほらをふく」と云うようになったとも。

 

最終話にはやはり又市が登場です。この時はもう“御行の又市”ではなく、“八咫の烏”となっています。『続巷説百物語』収録の「老人火」で百介が目にした扮装ですね。

 

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ここではおぎんは登場していませんが、又市とおぎんはやはり一緒に行動しているようです。

仲蔵とは『前巷説百物語』の「旧鼠」での一件以来、もう会うことはないだろうと思っていた又市が、二十年以上前に縁が切れたと思っていたが、こんな処で繋がるとは、「生きるなあ哀しいし、辛えがね、少しだけ面白え」と言うのが感慨深い。

 

ここで出てくる一揆も実際にこの頃の遠野で起こった出来事なんだそうな。お金の動き云々は結構ややこしくって読んでいてこんがらがってくる。『続巷説百物語』収録の「死神 或は七人みさき」で触れられていた金塊がここで大いに関わってきて、シリーズファンを唸らせる筋になっています。

物騒な連中が登場し、祥五郎が斬られたりしてヒヤヒヤしますが、最終的には志津に看病されたことがきっかけで二人は結婚するので、結果オーライというか、良かった良かったという結末に。祥五郎はお人好しで、志津は気丈な娘なので、二人は良い夫婦になりそう。

二人で江戸に出て小商いをすることに決めたとのことで、後々別シリーズなどでこの二人の店が出て来ることもあるかもですね。※『狂骨の夢』に佐田申義という人物が登場していますが、関係あるんですかね?

 

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終盤では又市の口から五六年前にあった「でけえ鼠」との事件について、情報が小出しにされています。「でけえ鼠」が、筆頭老中だった水野越前守のことだったことがここで確りと明かされているので、次作ではこの事件の詳細が描かれるのですね。きっと。

 

 

 

 

 

 

 

遠野

「遠野は化け物が集まんだ。咄だって、なんぼでも来る」

と、乙蔵が作中でいうように、柳田國男による説話集遠野物語で有名な遠野は、河童や座敷童衆など数多くの民話が伝わっている場所。国境で様々な職の人々が住み、交易の要所でもあったことから様々な噂や化け物が集まるハナシまみれの土地となったそうで。

 

今作では遠野の史実や『遠野物語』とリンクしている部分がチラホラり。

物語の中心的人物である宇夫方祥五郎は「遠野古事記という文献の著者である宇夫形広隆の子孫で、“御譚調掛”の密命を受けたのもこのご先祖様のことがあったからという設定。

 

「乙蔵」は『遠野物語』に出て来る人物。新田乙蔵という、峠のところで甘酒を売っている九十代の老人で、村の人には乙爺と呼ばれており、年の功もあって色々な事に詳しくハナシ好き。だけども、お風呂に入ってなくって大変に臭うので、村の人は近くに寄ってきてくれないのだとか。

柳田國男の『遠野物語』が発表されたのは明治四十三年。『遠巷説百物語』の舞台は弘化二~三年ですので、“乙爺”の若い頃、二十代前半の頃のこととして描かれているのですね。

 

他、「磯撫」の半兵衛騒動や「出世螺」での一揆以外にも史実や『遠野物語』とリンクする箇所があるらしいので、照らし合わせて読むとより愉しめるようになっているようです。私もこれから所持している本を読み返して復習してみようかと思っております。

 

 

 

 

 

ハナシ

巷説百物語シリーズ】は第一弾の『巷説百物語』が多視点、

 

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『続巷説百物語』が百介による傍観者視点で、

 

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後巷説百物語』が多重構造、

 

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『前巷説百物語』が仕掛ける側である又市の視点で、

 

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『西巷説百物語』が仕掛けられる側視点

 

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と、本によって描き方や構成が異なるシリーズ。

 

遠野が舞台である今作はどうなっているのかというと、「昔話の逆の道筋を辿る」という試みがされています。

通常、「昔話」というのはまず出来事があって、当事者の体験談があって、色々要約やら細部がこそぎ落されて風聞となり昔話になるんですけども、今作では冒頭に乙蔵が語っているらしき「譚」が紹介された後、風聞である「咄」、当事者視点の「噺」ときて、「話」で仕掛けの暴露をするという三段構成になっています。

 

今作で中心的人物となっている宇夫方祥五郎は、身分は浪士だけども殿様の紐付き、武士でも町人でも百姓でもないという半端な立場で、どんな人物とも対等に接する善良な人物。

どっちつかずの傍観者だった百介と通ずる部分が多々あるのですが、“百物語だった”百介とは違い、祥五郎は“おはなしを創る人”となっています。

 

 

「旦那の仕事は話ィ集めることじゃねえのか。それがどうだよ。見てりゃどうも、話を創ってねえか」

「どういう意味だ」

ただの傍観者じゃねえと言っているんだよと長耳は言う。

「話に咬んで、話ィ曲げてるじゃねえか。まあ、悪い方にゃ曲げねえってだけで、旦那が絡めば筋書きが変わる。集めてるだけたあ、到底思えねえ」

 

お人好しで義理や人情に左右される祥五郎は、殿様に仕事の報告をするときにどの立場の人にとっても都合が良くなるように内容を曲げてしまうんですね。只の出来事が、祥五郎が関わることで創作されたお話に、物語になるという訳です。

祥五郎の存在によって「昔話の逆の道筋を辿る」ことが出来る構造となっているんですね。

 

仲蔵にも言われるように、祥五郎のこういった在り方は危なっかしい。自分でも軸が何処か振れていると自覚していた祥五郎は、最後には侍身分を捨て、志津と添って遠野を去る。“おはなしを創る人”からは無事卒業出来たとあって、そこも含めてめでたしめでたしな結末ですね。

 

そしてさらに、この本は祥五郎に巷の噂を伝えていた乙蔵が、「峠で甘酒を出す茶屋を営む譚好き親爺」として巷の噂となり、祥五郎がその噂を聞き知ったところで終わります。

ハナシを語っていた乙蔵自身がハナシとなりましたというオチ。ここから各話の冒頭の「譚」に繋がるだなと読み終わると分かる仕掛けになっているのだと。いつもながら、なんて完成された構造なんだ!と、脱帽ものです。

 

 

 

了(しまい)へ!

作者曰く、第三弾の『後巷説百物語』で終わるつもりが直木賞を受賞してしまって終わらず、第五弾の『西巷説百物語』で終わったつもりでいたのが復活した【巷説百物語シリーズ】。

じゃあ三冊以降は後付け後付けで書いているのかというと、それがそんな事はなく、ちゃんとすべてが密接に繋がる、非常に綿密な物語として隙なく描かれています。

 

何故こんなことが可能なのかというと、実際に書くかどうかはさておき、第一弾を発表した段階でシリーズの全体像は決めていたかららしい。

 

このシリーズは次作で今度こそ本当に完結だとのこと。シリーズが意図せず続くことになり、伸ばし伸ばしになったおかげで、作者の京極さんが当初考えていた筋書きは無事書ききられることとなったようで、京極さん自身は面倒なのかもですが、ファンとしては喜ばしいことです。

 

次作『了(しまいの)巷説百物語』は既に「怪と幽」で連載中。『続巷説百物語』の頃から度々触れられていた「でけえ鼠」との対決、事触れの治平と一文字屋仁蔵が亡くなることとなった“幻の事件”の詳細がやっと明らかになる!(はず)

 

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最終作は仕掛けを暴こうとする側の視点で、又市たちは「敵」として描かれるのだとか。興味深いですね!

 

本当に終わるんだと思うと少し寂しいですが、シリーズ最終作、楽しみに待ちたいと思います。

 

ではではまた~